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2. その日、魔術師は『王』に出会った
……ふたりの出会いは、現在から見て十年前に遡る。
当時、ルグレアは突然公爵家の嫡子となった教養のない若者で、ジャフィーは魔術学院を跳び級かつ首席で卒業した天才だった。
ルグレアは公爵家の落し胤だったが、自分の生まれを知らぬままに市井で育ち、軍に入って、戦闘に特化した魔術の才を持つ『魔術剣士』としての才を開花させ始めていた。その矢先に、公爵家の息子達が事故で死に、あれよあれよという間に公爵家へと迎え入れられたのだった。
ふたりはあの日、ルグレアにとっては貴族社会へのお披露目でもあった、当時の帝国では毎日のように開かれていた夜会で出会った。
帝国そのものの腐臭が、どろりと甘く香るような夜だった。楽しくもない酒を飲んでいたジャフィーの眼の前で、ジャフィーの知り合いの放蕩息子の一人が、見たことのない男にわざとぶつかって、その胸元に葡萄酒をぶち撒けた。
男の胸元に赤い染みが広がって、酒の香りがジャフィーの鼻先まで漂ってくる。なにやってんだこいつは、とぼんやり見た先で、放蕩息子がにやにやと笑って言う。
『おっと。手が滑った。……構わないよな? 血にも汚れにも慣れているだろう?』
馬鹿にしたような半笑いが、漣のように広がっていく。その言葉ではじめて、葡萄酒をかけられた男が噂の『公爵家のご落胤』、平民として暮らしていたという男であることがジャフィーにもわかった。
貴族の――でなくとも、大体はそうかもしれないが――若者は身内意識が強く、異分子に厳しい。彼らにとってその男は、『這い蹲って許しを請えば、どうにか仲間に入れてやってもいい』ぐらいの存在にすぎなかった。男が今や公爵家の正式な嫡子であることを鑑みれば、その見識のほうがおかしいのだとしても、だ。ルグレアは男を冷たく一瞥し、それから、ひどく無造作に剣を振るった。
『ああ、そうだな。だから、』
欠片の躊躇いもない一閃だった。
『手が滑っても、おかしくないよな。こっちも』
『……あ?』
その剣の動きが速すぎて、斬られた放蕩息子は、何が起きたのか理解できなかったようだった。
痛みより先に恐らく噴き出した血が目に入り――『腕が、腕が!?』の半狂乱の悲鳴の中、切り落とされた片腕が血を撒き散らしながら宙を舞い、次いで発生した炎によって消し炭に……なる直前で炎がかき消えて、その指先だけがちりっと焦げた。
当然、夜会は一気に恐慌状態に陥って、当事者である『公爵家のご落胤』――ルグレアの、『やべっ』の呟きはかき消された(後から聞いたところによれば、ルグレアの行為は『初手で舐められたら終わりだ』という破落戸らしい判断による『若気の至り』だったらしい。これだけの規模の夜会であれば、当然腕のひとつやふたつくっつけられる魔術師も居るはずだ、という計算はしていたらしいが)。
ともかく、ルグレア側の実情がどうであったかは、ジャフィーには当然関係なかった。
そのときのルグレアは、ジャフィーには、恐慌に陥る周囲などまるで気にしないまま、超然と佇んでいるみたいに見えた。
そんなルグレアを見て――ルグレアに腕を吹き飛ばされた男を治療しながら、酔いも濁りもすっかり覚めて、ジャフィーは、全身の血がすべて入れ替えられたみたいな、生まれ変わらされたみたいな、目覚めさせられたみたいな――そういう、ぞくぞくとした心地がしていた。
なにかが変わる予感がした。
この男が、すべてを変えてくれると思った。
他の全てに霞がかかって、もう、ルグレアしか目に入らなかった。
そして、その予感のとおりに――出会いから五年後、ジャフィーとルグレアは、ジェレニア帝国の悪趣味な王宮を、ふたりで火の海に変えたのだ。
……そもそも、元々のジェレニアは、フィード大陸のほぼ中央に位置する、雑多な諸国のうちひとつに過ぎなかった。
けれども、一人の偉大なる王が『大陸統一』を夢見て版図を広げ、広大な大陸のほぼすべて――長い歴史を持つ北と西の二国、ログーナ王国と聖アレルス王国とを除き、南は海まで、東は無人の砂漠までを領土とし――ついに二国にのみ手が届かずに、志半ばで病に倒れた。
そうして遺されたのが、巨大なだけの『ジェレニア帝国』だった。
各地で反乱が起きたり、かつて国だったいくつかが『自治領』となったり。そういうことを繰り返しつつ、ジェレニア帝国は、各地の富を順調に吸い上げて大きく膨れた。そうして長い時が経ち――偉大な王の志を忘れた王家とその取り巻きの貴族たちは、当たり前のように腐り切っていった。
無能な王が数代続き、民は飢え、貴族たちは権力闘争と享楽に耽った。首都では贅の限りが尽くされ、地方では民が暴動を起こし、派遣された軍がそれをどうにか鎮圧する。そういうことが長く続いた。
そういうことが普通になっていたジェレニア帝国を、五年前、ルグレアとジャフィーが二人で潰した。
ルグレアとジャフィーは、二人きりで王宮を制圧し、王とその側近を皆殺しにした。
無論、実行犯が二人であっただけで、計画自体は入念だった。
ルグレアは軍の出身で、かつ、妾腹ではあったが公爵家の嫡子で――遠く、王家の血を引いていた。ジャフィーは国立魔術院を跳び級で卒業した天才魔術師で、かつ、歴史ある侯爵家の嫡男で、貴族間に広い伝手を持っていた。
ルグレアは王家に不満を持つ軍上層部に働きかけ、ジャフィーは主に年若くまだ旨味を吸えていない貴族や、数少ない志あるものたちをひっそりと集めて、クーデターとその後の政権確立に向けた準備を整えていた。
結果として、体制派の貴族たちの粛清と、新政権の発足は、驚くほどスムーズに行われた。
ルグレアが新たな王となり、侯爵家の嫡子だったジャフィーは親を隠居させて家を継ぎ、ルグレアの第一の側近かつ筆頭魔術師となった。
ルグレアは国庫を開放して飢えた民を宥め、同時に、各地で起きていた暴動や、新たな王を侮って起きた紛争を、欠片の容赦もなく平定した。『一個師団を超える』とも言われるほどの戦闘能力を有した魔術剣士のルグレアと、おおよそ使えない魔術はないジャフィーとがともに戦場に立てば、勝てない戦などあるはずがなかった。
そして今、ジェレニア帝国は、最も偉大であったときと同じ領土を有するに至り──
(……でも、まだだ。まだこれから――この程度じゃ、全然足りない)
かつて、帝国を帝国たらしめた偉大なる王は、『大陸統一』を悲願として掲げた。
遠い時を経て、今、その悲願を叶える王が生まれた。ルグレアにはそれだけの才覚が、王器がある。少なくともジャフィーはそう信じた。ジャフィーはまだまだ先を見ていた。
誰も見たことのない景色。誰も手に入れたことのない『世界のすべて』。
ジャフィーはただそういうものをルグレアに捧げたくて、出会ってから十年を経た今となっても、変わらず、ルグレアだけを見つめ続けているのだった。
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