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20. 魔術師は希う
――その空間は、『死』の香りに満ちていた。
大地が揺れる。
懐かしい、とは言いたくない、腐った肉の匂いが大気に満ちている。咆哮のたびに腐臭は強まり、人々の悲鳴が遠くに聞こえる。
シュバは天才だった。もしかしたら、ジャフィーと同じぐらいに。
シュバは、復活させた死者たちを、そのまま戦力として使うだけでは満足しなかった──彼は人々の肉塊を捏ね、ひとつの大きな怪物を作った。とほうもなく巨大な、子どもが作った泥人形のような歪な怪物。それの意図するところは明らかだった。
死者への冒涜。
ただ復活させ反乱に用いるだけで十分に冒涜的行為だというのに、シュバはそれでは満足しなかったのだ──それほどまでに、帝国のことを恨んでいる。当然と言えば当然だった。デルゲの生き残り。あの地獄を見たものが、帝国を──すべてを焼き払ったルグレアのことを許すことなどできるはずがない。
そうして召喚された怪物は、べちゃり、べちゃりと、肉が崩れる音を立てながら、怪物は目的の──隣国への使者が通るはずの街道へ──……
──向かわなかった。
欲張りすぎたのか、それとも、そもそも、ヴィエトに力を貸すつもりがなかったのか。怪物の生成とともにシュバは昏倒し、制御を失った怪物は、その『本能』のままに動き出した。
『死者蘇生』の魔術は、死した肉体を復活させて、その身体を魔力によって維持されるものへと変えるというシロモノだ。
蘇生させられたものは食事も排泄もしない──『普通の』食事は行わない。ただ、自らの肉体を維持する魔力を求めて、魔力が高い存在を捕食しようとする。
かつて、この術によって蘇生させられた死者で溢れた戦場で、ジャフィーは真っ先に狙われる餌だった。
だから、ジャフィーにはわかっていた。同じことが起きることが。そして──そうであるなら、やはり、シュバにもわかっていたと見做すべきだろう。だからやっぱり、シュバは、ヴィエトの協力者になるつもりなどなかったのだろう。
シュバが真に欲していたのは、当然、新政権での権利や地位などではない。一族を皆殺しにされた男が、そんなものを欲しがるわけがない。隣国の使者などどうでも良かったはずだ。
彼が望んでいたのは、当たり前に、皆を殺したものへの復讐だった。自らの命を引き換えにしてでも。
ジャフィーはそれを理解していて──だから、彼の望みは、当たり前に叶うだろう。少なくとも、半分は。
「……半分だけだよ。ルグレアは、おまえなんかに殺されたりなんてしないから」
腕を掲げる。
この怪物の厄介なところは、大量の死者を元に作られていること──恐らく、一部を吹き飛ばしたところでさして意味がないであろうところだった。巨大な人の形をしているが、化け物自体は、最後の一体になるまで動き続ける。そういうふうに出来ているはずだった。
そして、さすがにこのサイズのものを一気に消滅させることは、ジャフィーの魔術を持ってしても難しい──もちろん、これに対処する『誰か』のために、削れるだけは削るつもりだが。
「まあ、これも、悪くないケリの付け方だよね。……自業自得だ。人を殺しすぎた魔術師が、迎えるべくして迎えた結末。誰も不思議には思わない帰結だ」
ジャフィーは腕に力を込める。とりあえず動きを止めるなら氷か。術式を組む。
後悔はない。
後悔はない、──けれども、……
「…………ジャフィー!!」
ぞわり、と、体が震える。
声が聞こえた。遠くに、たしかに。
「………え?」
同時に、空気が一気に熱を帯びた──よく知っている、これ以上なくよく知っている温度だった。すべてを焼き尽くす紅蓮の炎だ。蹄の音が聞こえる──近づいてくる──誰が? もちろん、答えは一つでしかありえなかった。
ジャフィーの横を、黒い風が通り抜けていく。それは黒い駿馬に乗り、炎を纏った剣を片手に携えた、皇帝ルグレアそのひとだった。
駆け抜けていく、その一瞬──ちらりと、ルグレアがジャフィーを見て笑った気がした。見ていろ、とでもいいたげに。ひどく楽しそうに──状況を考えれば、いっそ冒涜的なぐらいに。
そうして、そのまま『怪物』の真下まで駆けたルグレアは、馬を乗り捨て、魔術による身体強化を使って高く高く跳んだ。
『怪物』の頭へと剣が突き刺さり──その巨大な姿が、一気に炎に包まれる。
絶叫。
怪物はひどく暴れ、けれども一度纏わりついた炎は、決して獲物から離れない。見ているだけで熱くて目が焼けると思い──それから、ジャフィーは、慌てて怪物の周囲を防護壁で包んだ。まさかコントロールを誤るとは思えないが、周囲に火が燃え移ったら大変だ。
超火力によって燃やされる肉の、焦げた匂いがつんと鼻につく。
断末魔の叫びが、高く高く、空へと響き渡る。この世のものとは思えない声。巨大な人間が炎に包まれる様は、悪趣味な絵画のようだった。
「……ルグレア、」
そうして、それが、動きを止める。
ジャフィーは腰を抜かしてへたり込んだまま、ただ、燃え落ちるそれを見る。
ルグレアだ。
同時に、ごう、と風が巻き起こる。
ルグレアは、呆然としたままのジャフィーに、やっと、近づいてくる。
失敗した。
(……ああ、)
失敗した、のに、ジャフィーには、己の口元が緩んでいるのがわかる。ぞくぞくして、どきどきしている。
ルグレアは、いつだって、ジャフィーが思いもしなかったことを、なんでもないみたいにやってのけるのだ。
「……ルグレア、……」
「ほら」
とん、と、ルグレアが、先程まで燃えていたはずの剣を、誇示するみたいにジャフィーの前に刺した。
「要らねえだろ、『竜殺しの剣』なんて」
へたり込んだままのジャフィーの前にしゃがみ込み、視線を合わせて、ルグレアは笑った。ジャフィーのよく知っている顔だった──出会った頃そのまんまの、無謀な自信家の、大言壮語を人の形にしたみたいな、ただひたすらに得意げな顔。そうしてルグレアは、あの頃となにも変わらないみたいな顔で、何も変わらないみたいな声でジャフィーに尋ねる。
「なあ、ジャフィー」
「……なに」
「お前は、俺に、お前を殺させたいのか?」
殺されるまでもなく死ねると思った。
けれども、思うだけでは死ねないのが人間だった。違う、と、咄嗟に首を振りそうになる。それは違う。ジャフィーは勝手に死ぬつもりだった。ルグレアの知らないところで、ルグレアの知らない形で。
けれどもジャフィーは死ねなかったから、今となってはもう、認めるより他に死ぬすべがなかった。そして同時に──どうやら、本当は、違うわけでもないのだった。
「……うん」
吐いた息がひどく熱い。うっとりとして、ぼんやりとして、頭が熱くて、ただただ、目の前の男に魅せられていた。
幸せだった。
多幸感で、このまま死んでしまいそうだった。
「そうだよ。だから、あんたが、俺を殺して……」
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