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 同窓会か終わり、帰り際にアンはまた大杉に声を掛けられた。

「これ、あたしの携帯番号とメアド。よかったら連絡ちょうだいね」
「えっ。う、うん……ありがとう」
「じゃまたね。今日は話せて楽しかったよ!」

 恐ろしいくらい大杉は優しい女性に変わっていた。もはや別人である。

「ヨウコー。駅一緒よね。途中まで帰りましょうよ」
「ええ。いいよ……。あ、サオリ、アン。またね……」

 ヨウコガ大杉の隣で彼女と共に手を振った。アンとサオリは「ばいばい」と言いながら手を振り返す。このやり取りすら不思議な感じだった。

「じゃあアタシたちも帰ろっか」

 サオリが疲れ切った声を出す。

そんな彼女の目を見ながら、アンは理解しがたい現状について問い掛けた。

「サオリはもう、忘れちゃったの……?」
「……何を?」
「中学校の時のことだよ! 私たちがあの人にやられたこと、まさか忘れたわけないでしょ? どうして……あんなに平然と話してたの」
「…………」

 アンの言葉がサオリを戸惑わせてしまったようだ。そんなこと言われても――とでも訴えるような目をしている。

 背を向け、一息吐いてサオリは答えた。

「覚えてるわよ」

 至って落ち着いた口調である。

「じゃあどうして……?」
「どうしてって……アン。あなたもしかしてずっと根に持ってたの?」
「根に持ってたというか――」
「やめなさいよ」

 サオリは小さく首を横に振った。

「きっとアタシたちはこの先ずっと、心の傷を癒される事はない。でもあの人は……昔アタシたちに何をしたかなんてほとんど覚えてないと思うわよ」
「どういうこと……?」
「アタシたちはすごく傷つけられた……。でもそれに対して大杉は、心に傷を負ったわけじゃないわ。酷い話だけど、アタシたちがどんなに苦しんでもあの人にそれは伝わらない。大杉が人の気持ちを考える人間だと思う? ……思わないでしょう」

 星のない東京の夜空の下で、サオリは淡々と語り続ける。

「なんかね、そう考えたらもう昔のことなんてどうでもよくなっちゃった。きっとヨウコも同じだよ。大杉にイジメられたことをいつまでも頭の中で思い返しても、二度とあの頃には戻れない」

 真剣な目でまっすぐに見つめられると、アンは納得出来る気がした。サオリに何度か頷いてみせる。

「アン? 考えるのはもうやめなさいよ。悲しいだけじゃない。自分の首絞めてるのと同じよ」

 そして最後に、サオリが笑顔でアンの肩を軽く叩いた。

「今と昔は違う。今を懸命に生きて、人生楽しまなくちゃ!」

 親友の言葉はたしかなものである。今まで幸福に包まれていると思い込んでいたアンだったが、そんな中に一つだけいらぬ不幸が付きまとっていたようだ。それは自分の手で消し去る事ができたはずなのに、15年間自ら苦しみ続けた。

 人間はずるい。

 自分がしでかした悪い事は簡単に忘れてしまう。悔しい気もするが、どうしようもないことでもある。

 アンは親友の言葉を真に受けて、苦しみから逃れようと心に決めた。過去を消し去ることなんて出来ないけれど、過去の悲しい思いを忘れることならできるはずだ。

 本当の意味で幸せになろう。

 その日アンは笑みを零して帰路に着いた。

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