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第一章
6・嫌な予感
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午後六時。
私は本日ラストのお客様の施術に入っているところだった。
どれだけ疲れていても、常に笑顔を絶やさない。丁寧に丁寧に、フェイシャルマッサージを心がけた。
「沢田様。最近お肌のツヤがとてもよくなりましたね」
「あら、嬉しいわ。鈴本さんたちのおかげよ」
穏やかな口調で沢田様は微笑んだ。
沢田様は一年前からフェイシャルコースに通われているマダム。敏感肌と乾燥肌に悩んでいたけれど、ここ最近になってずいぶんとお肌の調子がよくなった。
「沢田様の努力の成果です。今月のお食事ノート、拝見しました。とてもよく管理されていますね。睡眠もしっかり取られているようで」
「鈴本さんたちにアドバイスをもらったおかげよ。十歳若くなった気分だわ」
お顔のマッサージを終え、スチームをかけながらフェイシャルパックをする。
パック時間は約十分。
「そうそう、この前店長さんにもお話したのだけれど」
「なんでしょう」
「わたしね、ここでお薦めされた化粧水がお肌に合わなくてやめてしまったことがあるでしょう?」
「あ……はい。レガーロの化粧水ですよね」
思わず、胸中で苦笑する。
半年前、沢田様にもレガーロ化粧水をお勧めしたことがあった。一週間分だけお試しに、と購入していただいたものの、頬全体が赤くなってしまったため使用を中止した。
沢田様は器の大きい方で「なかなかお肌に合う化粧水がなくてね」「敏感肌でごめんなさいね」なんて笑って流してくれた。
本来ならお詫びをしなければならないのに、沢田様はいつもよくしてくれるからと許してくださって。
「それでね、こんなわたしでもようやく自分に合う化粧水に出会えたのよ」
「本当ですか」
「海外に住んでるお友だちがお土産に美容クリームを買ってきてくれたの。日本と英国のメーカーが共同開発したものなんですって」
肌に優しくて、それでいて美容成分たっぷりのクリーム。もちろん無香料、無着色、パラベン、アルコールフリーで余計なものが全く入っていないという。
レガーロ化粧品も同じように無駄なものは入れずに美容成分を重視しているはずなのだけど……。
この違いはなんなんだろう。
「お友だちにもお肌が明るくなったと言われたのよ。それに、鈴本さんもツヤがよくなったと褒めてくれたでしょう? 美容クリームの効果が出てるって実感したわ。もちろん、丁寧な施術をしてもらっているおかげでもあるわ」
「ありがとうございます」
沢田様の言葉は、私たちエステティシャンにとって喜ばしいもの。
なのに、なんでだろう。心の奥が、ざわざわする。
『売れないものには理由がある』
神楽オーナーのあの言葉が、頭をよぎった。
閉店後。片づけを終わらせ、日報をまとめている途中。事務室にて阿川店長に呼び出された。
「鈴本さん。今度の水曜日、出勤になったのよね」
「あ……神楽オーナーから聞きましたか」
「ええ。レガーロ本社へ同行するんでしょう?」
「はい」
「鈴本さんも大変ね」
大変どころか、すでに参っています。
平社員の私でさえああだこうだ言われて疲れるのに。店長にはもっと負担がかかっているのではないだろうか。
店長はふう、と深く息を吐くと、首を横に振った。
「あんまり悪くは言いたくないのよ、神楽オーナーに対して。ベル・フルールを救ってくれた人だから」
「と、おっしゃいますと?」
「前オーナーが病気になってしまったのは話したわよね?」
「はい」
「実は前オーナー、治療に専念するためにベル・フルールを閉業しようかと考えていたみたいで」
「えっ」
……初耳だ。
「なかなか跡継ぎが見つからなかったらしいの。そこで名乗りを上げてくれたのが神楽オーナーよ。詳しいことはわたしも聞いていないけれど、前オーナーにご恩があるんですって。なにがなんでもベル・フルールを守るとオーナーが宣言したって話よ」
「あの、神楽オーナーが?」
前オーナーにどんな恩があるかは知らないけれど、神楽オーナーの意外な発言に胸が熱くなる。
「厳しい人ではあるけれど、神楽オーナーを信じてわたしたちも頑張らないとね。このご時世だし、新規契約をとるのも大変なの。やれることはやりましょう」
阿川店長の渋い顔を見ると、私は頷くしかなかった。
なんとなく暗くなったこの雰囲気を打破したく、私はわざと声を明るくした。
「そういえば店長。最近、沢田様のお肌が以前より綺麗になりましたよね。新しい美容クリームを使いはじめたとか」
「そうそう、以前カウンセリングに入ったときチラッと話は聞いていたんだけど、まだカルテに記入していなかったわ。ごめんなさいね」
「私も気になるのでぜひ共有してください。日本とイギリスのメーカーが共同開発したそうですが」
「そうなの。『ビュート』という化粧品で、日本ではまだ一部のサロンでしか取り扱ってないみたいなのよね。イギリスのデパートでは一般販売されているらしいわ」
「国内では貴重ですね」
「……だから、調査しなきゃならなくて」
ふと、店長の面持ちが神妙になった。
調査って?
「ビュート社について徹底的に調べろとオーナーに指示されたのよ」
「えっ。そうなんですか。どうして?」
「よくわからないわ。あの人、要件しか言わないし」
なんで、うちのサロンと関係ない化粧品会社について調べる必要があるんだろう。
私の胸の奥がどくん、と低く唸る。
「うちには、レガーロ化粧品があるんですよ」
「そうね。それは、わかってる」
店長は苦笑した。
「鈴本さん。どうか、オーナーの言うとおりにしてね」
「……はい。承知してます」
嫌な予感がした。あの神楽オーナーがなにを企てているか知らないが、とんでもない「シナリオ」を考えていそうで。
必ず、レガーロ化粧品を十万円分売らないと。
改めて強く決心する。
私は本日ラストのお客様の施術に入っているところだった。
どれだけ疲れていても、常に笑顔を絶やさない。丁寧に丁寧に、フェイシャルマッサージを心がけた。
「沢田様。最近お肌のツヤがとてもよくなりましたね」
「あら、嬉しいわ。鈴本さんたちのおかげよ」
穏やかな口調で沢田様は微笑んだ。
沢田様は一年前からフェイシャルコースに通われているマダム。敏感肌と乾燥肌に悩んでいたけれど、ここ最近になってずいぶんとお肌の調子がよくなった。
「沢田様の努力の成果です。今月のお食事ノート、拝見しました。とてもよく管理されていますね。睡眠もしっかり取られているようで」
「鈴本さんたちにアドバイスをもらったおかげよ。十歳若くなった気分だわ」
お顔のマッサージを終え、スチームをかけながらフェイシャルパックをする。
パック時間は約十分。
「そうそう、この前店長さんにもお話したのだけれど」
「なんでしょう」
「わたしね、ここでお薦めされた化粧水がお肌に合わなくてやめてしまったことがあるでしょう?」
「あ……はい。レガーロの化粧水ですよね」
思わず、胸中で苦笑する。
半年前、沢田様にもレガーロ化粧水をお勧めしたことがあった。一週間分だけお試しに、と購入していただいたものの、頬全体が赤くなってしまったため使用を中止した。
沢田様は器の大きい方で「なかなかお肌に合う化粧水がなくてね」「敏感肌でごめんなさいね」なんて笑って流してくれた。
本来ならお詫びをしなければならないのに、沢田様はいつもよくしてくれるからと許してくださって。
「それでね、こんなわたしでもようやく自分に合う化粧水に出会えたのよ」
「本当ですか」
「海外に住んでるお友だちがお土産に美容クリームを買ってきてくれたの。日本と英国のメーカーが共同開発したものなんですって」
肌に優しくて、それでいて美容成分たっぷりのクリーム。もちろん無香料、無着色、パラベン、アルコールフリーで余計なものが全く入っていないという。
レガーロ化粧品も同じように無駄なものは入れずに美容成分を重視しているはずなのだけど……。
この違いはなんなんだろう。
「お友だちにもお肌が明るくなったと言われたのよ。それに、鈴本さんもツヤがよくなったと褒めてくれたでしょう? 美容クリームの効果が出てるって実感したわ。もちろん、丁寧な施術をしてもらっているおかげでもあるわ」
「ありがとうございます」
沢田様の言葉は、私たちエステティシャンにとって喜ばしいもの。
なのに、なんでだろう。心の奥が、ざわざわする。
『売れないものには理由がある』
神楽オーナーのあの言葉が、頭をよぎった。
閉店後。片づけを終わらせ、日報をまとめている途中。事務室にて阿川店長に呼び出された。
「鈴本さん。今度の水曜日、出勤になったのよね」
「あ……神楽オーナーから聞きましたか」
「ええ。レガーロ本社へ同行するんでしょう?」
「はい」
「鈴本さんも大変ね」
大変どころか、すでに参っています。
平社員の私でさえああだこうだ言われて疲れるのに。店長にはもっと負担がかかっているのではないだろうか。
店長はふう、と深く息を吐くと、首を横に振った。
「あんまり悪くは言いたくないのよ、神楽オーナーに対して。ベル・フルールを救ってくれた人だから」
「と、おっしゃいますと?」
「前オーナーが病気になってしまったのは話したわよね?」
「はい」
「実は前オーナー、治療に専念するためにベル・フルールを閉業しようかと考えていたみたいで」
「えっ」
……初耳だ。
「なかなか跡継ぎが見つからなかったらしいの。そこで名乗りを上げてくれたのが神楽オーナーよ。詳しいことはわたしも聞いていないけれど、前オーナーにご恩があるんですって。なにがなんでもベル・フルールを守るとオーナーが宣言したって話よ」
「あの、神楽オーナーが?」
前オーナーにどんな恩があるかは知らないけれど、神楽オーナーの意外な発言に胸が熱くなる。
「厳しい人ではあるけれど、神楽オーナーを信じてわたしたちも頑張らないとね。このご時世だし、新規契約をとるのも大変なの。やれることはやりましょう」
阿川店長の渋い顔を見ると、私は頷くしかなかった。
なんとなく暗くなったこの雰囲気を打破したく、私はわざと声を明るくした。
「そういえば店長。最近、沢田様のお肌が以前より綺麗になりましたよね。新しい美容クリームを使いはじめたとか」
「そうそう、以前カウンセリングに入ったときチラッと話は聞いていたんだけど、まだカルテに記入していなかったわ。ごめんなさいね」
「私も気になるのでぜひ共有してください。日本とイギリスのメーカーが共同開発したそうですが」
「そうなの。『ビュート』という化粧品で、日本ではまだ一部のサロンでしか取り扱ってないみたいなのよね。イギリスのデパートでは一般販売されているらしいわ」
「国内では貴重ですね」
「……だから、調査しなきゃならなくて」
ふと、店長の面持ちが神妙になった。
調査って?
「ビュート社について徹底的に調べろとオーナーに指示されたのよ」
「えっ。そうなんですか。どうして?」
「よくわからないわ。あの人、要件しか言わないし」
なんで、うちのサロンと関係ない化粧品会社について調べる必要があるんだろう。
私の胸の奥がどくん、と低く唸る。
「うちには、レガーロ化粧品があるんですよ」
「そうね。それは、わかってる」
店長は苦笑した。
「鈴本さん。どうか、オーナーの言うとおりにしてね」
「……はい。承知してます」
嫌な予感がした。あの神楽オーナーがなにを企てているか知らないが、とんでもない「シナリオ」を考えていそうで。
必ず、レガーロ化粧品を十万円分売らないと。
改めて強く決心する。
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