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第三章
31・恋する乙女
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帰り支度を終え、コハルと駅で別れ、私は一人で電車に乗る。
マンションに帰るときはいつも隣にオーナーがいるから変な感じ。とは言っても、一緒に暮らしはじめてからそんなに日は経ってないのに。彼がいることがすっかり当たり前みたいな感覚になっていた。
できるだけ明るい道を歩く。途中、私が足を向けたのは新宿三丁目駅近くの雑居ビル。
Barオアシスだ。
以前ユウキさんからもらった会員証をセキュリティ部分に翳し、ロックを解錠した。一見さんお断りのユウキさんのバーはガードが固い。
Openの札が掛けられた扉に手を掛けて中に入る。
「あら。アスカじゃないの! いらっしゃい~」
私が初めてオアシスに来たときとは打って変わって、ユウキさんはキラキラした眼差しで出迎えてくれた。
カウンター席を指さすユウキさんに「座って」と促され、私は会釈しながら腰かけた。
テーブル席には、別のお客さんが数組お酒を楽しんでいる。そこで、着物姿の女性スタッフが接客をしていた。後ろ姿でよく見えないが、立ち振る舞いがとても上品な印象。
カウンターに両肘を置くユウキさんに、グイッと顔を覗き込まれる。
「アスカはお酒が飲める口よね。好きなのオーダーしてちょうだい」
「それじゃあ……ジントニックをお願いします」
ユウキさんはニコリと微笑むと、グラスにジントニックを注いでくれた。差し出されたお酒を、私は静かに味わう。
「聞いたわよ、アスカ」
「なんですか?」
「ジンと付き合うことになったんでしょ」
「……へっ?」
予想もしないことをいきなり言われ、私は慌ててグラスをテーブルに置く。
あ、危なっ……。むせるところだった。
「なんのことですかっ?」
「とぼけるんじゃないわよ! 一緒に暮らすことになったんでしょ」
「で、でも。付き合ってはいません」
「そうなの?」
スン、と、ユウキさんの顔が曇る。
「同棲してるのに付き合ってないって?」
「オーナーの善意です。タクトとは別れましたけど、心配してくれているんだと思います」
「ふーん? でもさ、やることはやったんでしょ?」
「え……。やることって。してませんよ!?」
ユウキさんったら、何を言い出すの……!
あからさまに残念な態度を取られても困ります。
「寝るときも別室ですし、食事以外は基本的に個々で過ごすようにしています。彼、ご自宅でも仕事をされていて忙しそうですし」
「あっそう。焦れったいわねえ、あんたたち」
そんなこと言われましても……。彼の気持ちもわからないのに。
「チラッと聞いたけど。あんたたち、ガキの頃に会ったことがあるんでしょ?」
「ええ。養護施設で数ヵ月間、一緒に暮らしていた過去があって」
「あら……アスカも施設で生活してたのね」
ユウキさんは目を見張る。
そこまで詳しくは聞いてなかったんだけど、と気まずそうにユウキさんに言われるが、私は躊躇なくヒゴロモソウでの出来事を話した。
彼──リュウお兄さん──と出会ったことも。ひ弱だった私を彼が助けてくれたことも。あの御守りのことも。
あまり過去を他人に知られたくないと思っているのに。ユウキさんに話すことができたのは、きっと彼の家族であるから。
それに──いつも気にかけてくれるユウキさんは、私の中で信頼できる相手になっているからだ。
「なるほどねえ。だからジンはアスカに気を許したのね」
「気を許してもらえてるんでしょうか?」
「今さら何よ! あいつが他人を家に住まわせるなんて奇跡に近いわ。真夏に大雪が降るくらいありえない話なの!」
「そこまで……?」
だとしたら嬉しい──と思っちゃう私って単純。
「アスカもやっと目を覚ませたみたいね。吹っ切れたって顔してるわ。前の男のことは完全に忘れたんでしょ。いい感じよ。それにジンと一緒に暮らしてるってことは、少なからずあいつに気があるのよね?」
「そ、それは」
気があるどころか……これまでにないくらい気持ちが熱くなってしまっています。
彼に抱き締められるとドキドキする。安らぎを感じる。あのぬくもりに癒やされる。
仕事では厳しいのに、プライベートになると優しい一面も持っていて。笑顔さえ時折見せてくれる。
そんな彼の全てに魅了されている私がいる。
反面、私たちの関係は何も進展がないまま。彼の気持ちだってわからなくて不安にもなってしまう。
「アスカ」
「はい」
「恋する乙女の顔してるわねえ。まあ、お熱いこと」
「えっ」
こ、恋する乙女っ!
恥ずかしい。その言い方は恥ずかしすぎますユウキさん……!
「大丈夫。アスカはジンに大事にされてるわよ」
「そうですか……?」
「身体張ってDV男から救い出して、ちゃんと自分で世話もして。今までのあいつだったらありえない行動だわ。あたしはジンの幼なじみであって、親友でもある。それに家族とも言えるの。掴みどころがないあいつが考えることも、理解しているつもり。だから、ジンにとってはアスカは特別ってこともわかるの。あたしが保証するわ」
ユウキさんの言葉の数々に、私の胸はじんわりあたたかくなる。
幼なじみ。親友。家族。
二人は、ひとことでは言い表せないほど深い仲なんだ。
なんて、素敵な関係だろう。
「ユウキさんのご家族が、オーナーを迎え入れたと聞きました」
「そうなのよ。うちのママも、あたしらがガキのときからずーっとジンを気にかけてたから。ねっ、ママ?」
と、ユウキさんはテーブル席でお客さんの相手をしていた着物姿の女性スタッフに声をかけた。
白髪を夜会巻きで美しくまとめている女性の背中をまじまじと見て──私は、ハッとする。
あれ? あの人は。
着物を纏っていて雰囲気が違うので、気づかなかった。でも、上品な立ち振る舞いは全く変わってない。
「柳田オーナー……?」
彼女は、私の呼びかけに反応するようにこちらを振り返る。
優しい笑顔を向けてくるのは、間違いなく、柳田オーナー──ベル・フルールの前オーナーだったのだ。
マンションに帰るときはいつも隣にオーナーがいるから変な感じ。とは言っても、一緒に暮らしはじめてからそんなに日は経ってないのに。彼がいることがすっかり当たり前みたいな感覚になっていた。
できるだけ明るい道を歩く。途中、私が足を向けたのは新宿三丁目駅近くの雑居ビル。
Barオアシスだ。
以前ユウキさんからもらった会員証をセキュリティ部分に翳し、ロックを解錠した。一見さんお断りのユウキさんのバーはガードが固い。
Openの札が掛けられた扉に手を掛けて中に入る。
「あら。アスカじゃないの! いらっしゃい~」
私が初めてオアシスに来たときとは打って変わって、ユウキさんはキラキラした眼差しで出迎えてくれた。
カウンター席を指さすユウキさんに「座って」と促され、私は会釈しながら腰かけた。
テーブル席には、別のお客さんが数組お酒を楽しんでいる。そこで、着物姿の女性スタッフが接客をしていた。後ろ姿でよく見えないが、立ち振る舞いがとても上品な印象。
カウンターに両肘を置くユウキさんに、グイッと顔を覗き込まれる。
「アスカはお酒が飲める口よね。好きなのオーダーしてちょうだい」
「それじゃあ……ジントニックをお願いします」
ユウキさんはニコリと微笑むと、グラスにジントニックを注いでくれた。差し出されたお酒を、私は静かに味わう。
「聞いたわよ、アスカ」
「なんですか?」
「ジンと付き合うことになったんでしょ」
「……へっ?」
予想もしないことをいきなり言われ、私は慌ててグラスをテーブルに置く。
あ、危なっ……。むせるところだった。
「なんのことですかっ?」
「とぼけるんじゃないわよ! 一緒に暮らすことになったんでしょ」
「で、でも。付き合ってはいません」
「そうなの?」
スン、と、ユウキさんの顔が曇る。
「同棲してるのに付き合ってないって?」
「オーナーの善意です。タクトとは別れましたけど、心配してくれているんだと思います」
「ふーん? でもさ、やることはやったんでしょ?」
「え……。やることって。してませんよ!?」
ユウキさんったら、何を言い出すの……!
あからさまに残念な態度を取られても困ります。
「寝るときも別室ですし、食事以外は基本的に個々で過ごすようにしています。彼、ご自宅でも仕事をされていて忙しそうですし」
「あっそう。焦れったいわねえ、あんたたち」
そんなこと言われましても……。彼の気持ちもわからないのに。
「チラッと聞いたけど。あんたたち、ガキの頃に会ったことがあるんでしょ?」
「ええ。養護施設で数ヵ月間、一緒に暮らしていた過去があって」
「あら……アスカも施設で生活してたのね」
ユウキさんは目を見張る。
そこまで詳しくは聞いてなかったんだけど、と気まずそうにユウキさんに言われるが、私は躊躇なくヒゴロモソウでの出来事を話した。
彼──リュウお兄さん──と出会ったことも。ひ弱だった私を彼が助けてくれたことも。あの御守りのことも。
あまり過去を他人に知られたくないと思っているのに。ユウキさんに話すことができたのは、きっと彼の家族であるから。
それに──いつも気にかけてくれるユウキさんは、私の中で信頼できる相手になっているからだ。
「なるほどねえ。だからジンはアスカに気を許したのね」
「気を許してもらえてるんでしょうか?」
「今さら何よ! あいつが他人を家に住まわせるなんて奇跡に近いわ。真夏に大雪が降るくらいありえない話なの!」
「そこまで……?」
だとしたら嬉しい──と思っちゃう私って単純。
「アスカもやっと目を覚ませたみたいね。吹っ切れたって顔してるわ。前の男のことは完全に忘れたんでしょ。いい感じよ。それにジンと一緒に暮らしてるってことは、少なからずあいつに気があるのよね?」
「そ、それは」
気があるどころか……これまでにないくらい気持ちが熱くなってしまっています。
彼に抱き締められるとドキドキする。安らぎを感じる。あのぬくもりに癒やされる。
仕事では厳しいのに、プライベートになると優しい一面も持っていて。笑顔さえ時折見せてくれる。
そんな彼の全てに魅了されている私がいる。
反面、私たちの関係は何も進展がないまま。彼の気持ちだってわからなくて不安にもなってしまう。
「アスカ」
「はい」
「恋する乙女の顔してるわねえ。まあ、お熱いこと」
「えっ」
こ、恋する乙女っ!
恥ずかしい。その言い方は恥ずかしすぎますユウキさん……!
「大丈夫。アスカはジンに大事にされてるわよ」
「そうですか……?」
「身体張ってDV男から救い出して、ちゃんと自分で世話もして。今までのあいつだったらありえない行動だわ。あたしはジンの幼なじみであって、親友でもある。それに家族とも言えるの。掴みどころがないあいつが考えることも、理解しているつもり。だから、ジンにとってはアスカは特別ってこともわかるの。あたしが保証するわ」
ユウキさんの言葉の数々に、私の胸はじんわりあたたかくなる。
幼なじみ。親友。家族。
二人は、ひとことでは言い表せないほど深い仲なんだ。
なんて、素敵な関係だろう。
「ユウキさんのご家族が、オーナーを迎え入れたと聞きました」
「そうなのよ。うちのママも、あたしらがガキのときからずーっとジンを気にかけてたから。ねっ、ママ?」
と、ユウキさんはテーブル席でお客さんの相手をしていた着物姿の女性スタッフに声をかけた。
白髪を夜会巻きで美しくまとめている女性の背中をまじまじと見て──私は、ハッとする。
あれ? あの人は。
着物を纏っていて雰囲気が違うので、気づかなかった。でも、上品な立ち振る舞いは全く変わってない。
「柳田オーナー……?」
彼女は、私の呼びかけに反応するようにこちらを振り返る。
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