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第九章
82,孤独の少年
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──どんな環境下でも、安定した日々は続かないもの。
事の始まりは、ヤエが十二歳の時である。
宮廷内の馬たちの世話をしていたヤエの前に、ある日見知らぬ少年が現れた。ヤエよりも二~三歳ほど上だろうか。厩舎で餌を食べる馬たちをぼんやりと眺め、少年は何も言わずにただ突っ立っていた。
ヤエは横目で少年の存在に気付いていながらも仕事に集中し続ける。
妙な違和感があったのだ。
彼は立派な漢服を身に纏っているものの、生気が感じられない。服の上からでも身体つきが細いのが分かるほど。顔は痩せこけており、目の下には隈ができている。しかも、黒い長髪は乱れ放題だった。
一体、何者だろうか……?
まともに顔を見るのがなんとなく恐ろしくて、ヤエは徹底的に目を合わせないでいる。
しかしそんなヤエの気持ちとは裏腹に、少年は乾いた声を発した。
「なあ、君」
「……はい?」
その場にはヤエと少年しかいない。無視することも出来ず、一度少年の方に顔を向けた。
「馬の世話は、……じゃない?」
「えっ?」
蚊の鳴くような声量に、ヤエは思わず首を傾げる。それでも少年は、口を動かし続けた。
「君、馬の世話は大変じゃないのか?」
「あ……この仕事ですか? 大変ですけれど、動物の世話には慣れているので大丈夫ですよ」
「そうなのか。馬以外にも、育てたことが、あるのか」
「はい。村で暮らしていた頃に養鶏場の仕事を手伝っていましたし」
「そうか……凄いな。本当に、凄い」
少年はなぜか嘆くようにそう呟くのだ。それから背を向けると、とぼとぼとどこかへ去って行った。
一体、何なんだったのだろう。そう思うのと同時に、なぜだかその少年に対してよく分からない既視感を覚えた。
──その日からというもの、少年はヤエが厩舎で馬たちの世話をしていると、度々姿を現した。扉の前で立っているだけで、中に入ってくることはない。
ある日ヤエが厩舎の清掃をしていると、またもや彼がやって来た。相変わらずげっそりしているが、なぜかその日は少し微笑んでいる。
「君、今日もご苦労だね」
「あ……はい、ありがとうございます」
少年は決して長居はしない。少し話すと、いつもこの場から立ち去っていく。仕事に支障が出るほどではないので、ヤエはあしらったりはしなかった。
「仕事が終わったら、茶を飲むといい」
「えっ、お茶ですか?」
「普洱茶だ。南の地でよく採れるんだよ。君の為に特別に用意したんだよ」
「え……私に、ですか?」
「いつも頑張っているからな。仕事が終わったのち、遣いの者に持ってこさせるよ」
「あ、ありがとうございます……?」
ヤエは戸惑いつつも、頭を下げる。
満足したように、少年は今日もその場から立ち去っていく。
謎の少年は名乗ったりしなかった。
ヤエも常に仕事を優先しており、訊かれたことを返答する程度だったので深く事情を訊ねようとはしなかった。
──そんなある日。宮廷の庭園でいつものように皇子と束の間の休息を取っている際、ヤエは何気なくあの少年の話をした。
「──まるで、病人のようなんです。力なく立っていて、顔もどこか疲れきっていて……。仕事の邪魔をしに来るわけでもないのです。いつも一言二言、話をしたら立ち去っていくだけで……。彼がいったい何者なのか、どうして私に会いに来るのか不思議なんですよね」
ヤエが一通り話し合えると、皇子は小さく頷いていた。その表情は何となく切ないものに思える。ゆっくりと、皇子は口を開いた。
「僕の、知っている人だ」
「え?」
「……きっとそれは、兄上だ」
それを聞き、ヤエは唖然とした。皇子の兄、ということは──
「双子のお兄様、ということですか?」
「うん、そう。宮廷にはヤエと僕と兄上くらいしか若い者はいない。それに、病人のような容姿だったんだろう? 兄上は生まれつき持病がある……。今は少し病状が落ち着いているから、少しの間なら出歩けるそうなんだ」
皇子は淡々と述べた。
「あのお方が、お兄様だったなんて……。見た目も雰囲気も、全くあなたとは違います。双子とは思えませんでしたね」
「そうだね、よく言われるよ。兄上は僕とは正反対だ。全てにおいて」
ヤエはこの時の幻想を見て、胸の奥が凍りつくように冷たくなっていくのを感じた。
思い出していく──その時に皇子と交わした会話が。
彼はとてつもなく切ない表情をしていた。だからヤエは、深く皇子に詳しい事情を訊くのを控えた。
「兄上は殆ど他人と話したことがない。歳が近いヤエが頑張っている姿を見て、話したかったんじゃないかな」
「そうだったんですね……」
「きっと寂しいんだ。だからヤエ、兄上と話をしてくれて、ありがとう」
「そんな。お礼を言われることは何もしていません」
ヤエが首を横に振っても、皇子は優しい眼差しをしていた。
そういう事情があったのならば、ヤエはこれからも一言でも二言でもあの少年と話をしようと思った。
そのちょっとしたことがどれだけ救われるのか、ヤエは痛いほどに知っているからだ。
何もかも奪われた中で、毎日ほんの少しでも皇子との時間を過ごせる。それだけのことが、ヤエにとっても大きな支えになっていたから。
こんな日々が末永く続く。そう思っていたのに。
その日が最後だったのだ。皇子と共に過ごせる大切な時間は──
事の始まりは、ヤエが十二歳の時である。
宮廷内の馬たちの世話をしていたヤエの前に、ある日見知らぬ少年が現れた。ヤエよりも二~三歳ほど上だろうか。厩舎で餌を食べる馬たちをぼんやりと眺め、少年は何も言わずにただ突っ立っていた。
ヤエは横目で少年の存在に気付いていながらも仕事に集中し続ける。
妙な違和感があったのだ。
彼は立派な漢服を身に纏っているものの、生気が感じられない。服の上からでも身体つきが細いのが分かるほど。顔は痩せこけており、目の下には隈ができている。しかも、黒い長髪は乱れ放題だった。
一体、何者だろうか……?
まともに顔を見るのがなんとなく恐ろしくて、ヤエは徹底的に目を合わせないでいる。
しかしそんなヤエの気持ちとは裏腹に、少年は乾いた声を発した。
「なあ、君」
「……はい?」
その場にはヤエと少年しかいない。無視することも出来ず、一度少年の方に顔を向けた。
「馬の世話は、……じゃない?」
「えっ?」
蚊の鳴くような声量に、ヤエは思わず首を傾げる。それでも少年は、口を動かし続けた。
「君、馬の世話は大変じゃないのか?」
「あ……この仕事ですか? 大変ですけれど、動物の世話には慣れているので大丈夫ですよ」
「そうなのか。馬以外にも、育てたことが、あるのか」
「はい。村で暮らしていた頃に養鶏場の仕事を手伝っていましたし」
「そうか……凄いな。本当に、凄い」
少年はなぜか嘆くようにそう呟くのだ。それから背を向けると、とぼとぼとどこかへ去って行った。
一体、何なんだったのだろう。そう思うのと同時に、なぜだかその少年に対してよく分からない既視感を覚えた。
──その日からというもの、少年はヤエが厩舎で馬たちの世話をしていると、度々姿を現した。扉の前で立っているだけで、中に入ってくることはない。
ある日ヤエが厩舎の清掃をしていると、またもや彼がやって来た。相変わらずげっそりしているが、なぜかその日は少し微笑んでいる。
「君、今日もご苦労だね」
「あ……はい、ありがとうございます」
少年は決して長居はしない。少し話すと、いつもこの場から立ち去っていく。仕事に支障が出るほどではないので、ヤエはあしらったりはしなかった。
「仕事が終わったら、茶を飲むといい」
「えっ、お茶ですか?」
「普洱茶だ。南の地でよく採れるんだよ。君の為に特別に用意したんだよ」
「え……私に、ですか?」
「いつも頑張っているからな。仕事が終わったのち、遣いの者に持ってこさせるよ」
「あ、ありがとうございます……?」
ヤエは戸惑いつつも、頭を下げる。
満足したように、少年は今日もその場から立ち去っていく。
謎の少年は名乗ったりしなかった。
ヤエも常に仕事を優先しており、訊かれたことを返答する程度だったので深く事情を訊ねようとはしなかった。
──そんなある日。宮廷の庭園でいつものように皇子と束の間の休息を取っている際、ヤエは何気なくあの少年の話をした。
「──まるで、病人のようなんです。力なく立っていて、顔もどこか疲れきっていて……。仕事の邪魔をしに来るわけでもないのです。いつも一言二言、話をしたら立ち去っていくだけで……。彼がいったい何者なのか、どうして私に会いに来るのか不思議なんですよね」
ヤエが一通り話し合えると、皇子は小さく頷いていた。その表情は何となく切ないものに思える。ゆっくりと、皇子は口を開いた。
「僕の、知っている人だ」
「え?」
「……きっとそれは、兄上だ」
それを聞き、ヤエは唖然とした。皇子の兄、ということは──
「双子のお兄様、ということですか?」
「うん、そう。宮廷にはヤエと僕と兄上くらいしか若い者はいない。それに、病人のような容姿だったんだろう? 兄上は生まれつき持病がある……。今は少し病状が落ち着いているから、少しの間なら出歩けるそうなんだ」
皇子は淡々と述べた。
「あのお方が、お兄様だったなんて……。見た目も雰囲気も、全くあなたとは違います。双子とは思えませんでしたね」
「そうだね、よく言われるよ。兄上は僕とは正反対だ。全てにおいて」
ヤエはこの時の幻想を見て、胸の奥が凍りつくように冷たくなっていくのを感じた。
思い出していく──その時に皇子と交わした会話が。
彼はとてつもなく切ない表情をしていた。だからヤエは、深く皇子に詳しい事情を訊くのを控えた。
「兄上は殆ど他人と話したことがない。歳が近いヤエが頑張っている姿を見て、話したかったんじゃないかな」
「そうだったんですね……」
「きっと寂しいんだ。だからヤエ、兄上と話をしてくれて、ありがとう」
「そんな。お礼を言われることは何もしていません」
ヤエが首を横に振っても、皇子は優しい眼差しをしていた。
そういう事情があったのならば、ヤエはこれからも一言でも二言でもあの少年と話をしようと思った。
そのちょっとしたことがどれだけ救われるのか、ヤエは痛いほどに知っているからだ。
何もかも奪われた中で、毎日ほんの少しでも皇子との時間を過ごせる。それだけのことが、ヤエにとっても大きな支えになっていたから。
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