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今さら信じていると言われても
「ここが……魔道具研究部」
デイビット様とは、創立祭まで婚約者の役割を事務的にこなせばいい。
直近の数件の夜会、それに大貴族との昼食会、最後に創立祭の夜会だ。その時だけ、私は婚約者として振る舞う。
今までデイビット様のために使っていた時間が、少しだけ自分のものとして残る。
私は魔道具研究部の部室前に立っていた。小さな部室からなにやら異様な魔力を感じる。
ノックをしても返事がない。私はもう一度だけノックをして扉を開けた。
「わっ!?」
一人の男子生徒が何やら魔法を使って、人形の魔道具を抑えていた。緊迫した空気だった。
「き、君、悪いが……、手伝ってくれないか? ……自立型魔導人形13号が暴走して……、もう限界が……」
これが私と、魔道具研究部部長ユウト・アルバトロス様との出会いだった――
ユウト様は少し変わったお人だった。魔道具をこよなく愛し、人には興味を一切持たなかった。
デイビット様の婚約者である私は、学園でもある程度の認知度があると思っていたけど……。
『助けてくれてありがとう。俺はユウト。君の名は? そうかっ、魔道具が好きなんですね』
私は、久しぶりに子どもの頃みたいに、自分を知らなくて、何もしがらみがない人と出会った。
そして、私は魔道具研究部に所属することとなった。若干、数名の弱小部活。ユウト様以外は、私が入部することに驚いていたけど、拍手で歓迎してくれた。
「これらの魔道具に必要な材料をダンジョンで取ってきました。これで、魔導ビジョンが作れますね。試作型を作ってきました」
「……液晶水晶が採れるのって、高位ダンジョンですね……」
「こ、これってどんな魔力構築をしているんだろう。すごく配列が綺麗」
「あっ、マリサさん! 創立祭に展示する魔道具はこんな感じでいいですか!」
忙しいけど充実した日々だった。その中でも、私はユウト様との魔導談義が一番楽しかった。
「マリサもあの原初の魔道具を知っているんですね。帝都の博物館にあるやつですよ」
「ええ、偉大な魔道具師様が作った魔導灯は今では普通だけど、その当時はとても革新的で――」
ユウト様は魔道具の話になると子どもみたいに目を輝かせる。でも、一歩部室を出ると、落ち着いていて、必要以上のことを言わない無口な人だった。
ある日、美人で有名な王女様に話しかけられているユウト様を学園で見かけた。ユウト様は一瞥しただけで、王女様を袖にしているのを見てしまった。
「――マリサはすごい。こんなに知識と経験がある人は初めてです」
私は変な気持ちになった。
褒められることが珍しいわけではない。でも、それは大抵、子爵令嬢としてとか、婚約者としてとか、そういう意味だった。
「……あ、ありがとうございます」
「ははっ、これからもよろしくお願いします」
その言葉は不思議なくらい胸に残った。なんだか無性に照れてしまった。
そういえば、ユウト様は温室の件について何も聞かなかった。
噂を知らないはずがないのに、あえて触れないのだとわかった。事情を探ることもなく、ただ私を一人の部員として扱ってくれる。
その距離感がありがたかった。
……もしかして本当に知らないのかもね。
***
「あ――、そ、その……」
「あら、おはよう」
フィオナの様子がおかしかった。
学園の廊下ですれ違った時も、何か言いたそうに私を見て、結局うつむく。
以前なら、デイビット様がそんなフィオナに優しく声をかけていた。
でも最近は違った。彼はずっと疲れた顔をしていて、フィオナを見る時の表情も前とは違っていた。
フィオナも顔が暗かった。
私はそれを見ても、何も言わなかった。
……あの二人は一緒になって幸せになるのに? どうしたんだろう?
昼休みの教室。デイビット様の侍女が教室へと入ってきた。少し息を切らしている。
「――あの温室の件は事故であり、マリサ様がフィオナ様を助けた行為だと判明しました」
「な、に?」
「こちらの防犯魔道具の映像を見てください」
温室の件で誰かが動いたんだ。私はもう過去の記憶にしていたから全然忘れていた。
面倒な事態になりそうだから、私は教室を出ようとしたら、フィオナがやってきた。
「お姉様、それにデイビット様! お、お話があります。あっ――」
そして遅れて届いた真実は、壊れたものを元には戻してくれない。
デイビット様の身体が震えていた。
「……なんだ、これは? なぜ真実を言ってくれなかったフィオナ。……俺は正義感が強い男だ。マリサは君を助けただけじゃないか」
「す、すみません……、わ、私、それでデイビット様が振り向いてくれるならと思って……、でも、私は罪悪感で押しつぶされそうで……、それに真実を伝えてもデイビット様は全然話を聞いてくれなくて」
「なんだと? 俺のせいだと言うのか? 俺は君を信じていた。だから、そんなものは嘘だと思っていたんだ。くっ、君は生徒会の仕事も手伝ってくれない。それに、俺の学園生活のフォローを一切せず遊び呆けて――」
フィオナが私の腕を取り、涙目で頭を下げた。
「お、お姉様、ごめんなさい。わ、私、あの時はどうしてもデイビット様が好きで……つい、出来心で……。それに、怖くて何も言えなくて――」
なんだろう、きっと心が透けて見えるっていうのはこういうことなんだろう。
「あの……もうあなたたちのことは信用していません。ですので、許す許さないなんてどうでもいいです」
私はフィオナだけじゃなく、デイビット様に向けて言い放った。
フィオナが泣きながら反論をする。
「少し困らせれば……皆が、デイビット様が私の方だけを見てくださると思ったの。お姉様なら最後には許してくださるって……」
ただ甘えていたのだ。自分が泣けば、皆が守ってくれると思っていた。私なら最後には折れると思っていた。
私はあの日、心が壊れてしまった――
デイビット様が駆け寄ってきた。
「マリサ、話をさせてくれ、お願いだ!」
その顔を見た瞬間、わかった。この人は本当に自分本位で身勝手だ。
私の心は氷のまま、心が動くことはなかった。
「創立祭が終わるまでは、約束通り婚約者でおります。それ以外は特に話をする必要もございません」
私は気まずい空気の教室を後にした。デイビット様とフィオナの言い争う声が廊下にまで聞こえるのであった。
***
創立祭当日。
私はいつも通りに身支度をした。鏡の前で髪を整えて、淡い色のドレスに袖を通す。
デイビット様との婚約がこれが最後なのだと思うと、不思議と気持ちは静かだった。
悲しくないわけじゃない。ううん、むしろ清々しい気持ちになれる。
ようやく終わるのだという安堵の方が近かった。
会場に着くと、いつも通り視線が集まった。
子爵令嬢として。
そして、生徒会長の婚約者(元)として。
「まあ、マリサ様。本当にお美しいこと」
「やはりお二人はお似合いですわね」
そんな声が聞こえる。私はいつも通り微笑んだ。
最後くらいは見苦しく終わりたくなかった。
だから、婚約者としての役目だけは完璧に果たすつもりだった。
隣に立つデイビット様は、以前よりずっと口数が少なかった。
開会式の前、彼が小さく声をかけてくる。
「……マリサ、今日は」
何かを言いたかったのだろう。
でも、私は先に言った。
「本日は婚約者としての務めを果たします。それだけです」
以前なら、こんなふうに突き放すだけで胸が痛んだだろう。でも今の私は、何も感じない。
開会式は滞りなく進んだように見えたが、創立祭はトラブルが続いた。
夜会はどうにか混乱なく進んでいく。もちろん、以前よりはぎこちないところもあった。でも、それでも十分だと思う。
私は最初の一曲を、約束通りデイビット様と踊った。
音楽に合わせて足を進めながら、昔ならこの距離が当たり前だったのだと思う。
幼い頃から何度も隣に立って、何度も手を取られてきた。
そうしていずれ夫婦になるのだと、疑ったこともなかった。
夜会の終わりが近づいた頃だった。
私はバルコニーで休もうとしたら、ワイングラスを持ったデイビット様に呼び止められた。
「マリサ、強情を張るのはもうやめろ」
「……は?」
私は足を止めて彼の顔を見た。ほんのりと赤い顔だ。
「もう謝っただろ? なら、俺のところへ戻ってこい」
私は息を吐いた。逃げるつもりはなかった。ここで終わらせると、最初から決めていたからだ。
「いつ、あなたが謝ったんですか?」
デイビット様が頭をかしげる。
「教室で俺が頭を下げただろ? なんだ、言葉が欲しかったのか? 疑った俺が悪かった。謝罪する。……ほら、これで元通りだ。機嫌直して、明日から普通にしてくれよ。俺は『君を信じていたよ』」
確かにその言葉は、ずっと聞きたかった言葉のはずだった。
でも、今じゃないんだ。それは、あの時、あの場所で聞きたかった言葉だ。
「君を責めなかったつもりでいた。もちろん、心の中では信じていたんだ」
デイビット様は自分に酔っているように続ける。
「君がどれほど俺を支えてくれていたのかも、何一つ見えていなかった。全部、当たり前のように受け取っていたんだ。きっとそれは……愛だったんだろう」
私は静かに首を横に振った。駄目だった。彼は私を見ていなかった。
「フィオナのことも、俺がもっと早く気づくべきだった。君にあんな思いをさせておいて、今さらだというのはわかっている。だが、それでも――婚約者としてよりを戻そうじゃないか」
手を差し伸べた。
私は反応が出来なかった。怒りはない。哀れみさえも感じられる。
「――失礼します。夜会は終了しました。私たちの制約はこれにて発動します」
私は胸元につけていた婚約の印のブローチを外した。
小さな青石のついたブローチだった。幼い頃、両家の約束の証として贈られたものだ。
私はそれを彼の手に置いた。
「わたくしが欲しかったのは、真実がわかったあとの謝罪ではありません」
デイビット様が息を呑む。私は続けた。感情を乗せずに、ただ、淡々と。
「あの日ただ一度、貴方がわたくしを信じてくださることでした」
たったそれだけだった。
誰より立派な謝罪も、後からの後悔もいらなかった。
あの場で、君はそんなことをしない、と。
その一言だけでよかったのだ。
「今さら信じると言われても、もう遅いです」
デイビット様はブローチを握ったまま、何も言えなかった。それもそのはずだ。『誓いの制約』の効力が発揮する。
私と彼の間には制約がある。婚約者じゃない。絶対に戻れない。
もしも、無理に戻ろうとすると……、制約破りになり、誓い(誓約)が発動し貴族としての全てを失うことになる。
引き止められないのだと、彼自身がわかっているのだと思った。
呆然と私を見つめるデイビット様。ワイングラスを床にこぼす。
「お、俺は……、なんで、間違えて……、俺は……」
崩れ落ちる彼を置いて、私はその場を立ち去った――
***
「なんだか疲れちゃった……」
私は一人で会場を出た。
少し風が冷たい。肩が震える。泣きたいわけではない。ただ、長く張っていたものが抜けていくようで、うまく息ができなかった。
その時、足音がした。
振り向くと、ユウト様が立っていた。
「……誤解は解けなかったのですか?」
彼はそう言って、自分の上着を私の肩にかけた。防犯魔道具の件、きっとユウト様の公爵家の家柄が関係しているのかもしれない。
でも私にはわからない。
「ええ、婚約破棄ですね」
「……魔道具、作りますか?」
「ぷっ、慰めているのですか?」
「いえ、あなたなら、きっと賛同すると思って」
ユウト様は深い事情を聞くでもない。ただ、私に必要なものを差し出してくる。
そのさりげなさが、今の私にはありがたかった。
「……ありがとうございます」
小さく頷いて私の言葉に答えるユウト様。
受け取った上着は、思ったより温かかった。
ユウト様は私の顔をじっと見ることもなく、いつも通りの声で続けた。
「部員のみんなも喜んでいましたよ。部室で君を待っています。行こう」
たぶん、その笑みは今夜初めて無理をしていないものだったと思う。
それはきっと気遣いなのだろう。
一人でいたくないならそばにいられるように。
でも同情だとは思わせないように。
そんな距離の取り方ができる人なのだと、私は改めて思った。
私は迷いなく頷いた。
「はいっ」
その一言を口にした時、ようやく気づいた。
私はまだ、完全に心が壊れていない。誰かの心を信用したい、と思っているんだ。
デイビット様とは、創立祭まで婚約者の役割を事務的にこなせばいい。
直近の数件の夜会、それに大貴族との昼食会、最後に創立祭の夜会だ。その時だけ、私は婚約者として振る舞う。
今までデイビット様のために使っていた時間が、少しだけ自分のものとして残る。
私は魔道具研究部の部室前に立っていた。小さな部室からなにやら異様な魔力を感じる。
ノックをしても返事がない。私はもう一度だけノックをして扉を開けた。
「わっ!?」
一人の男子生徒が何やら魔法を使って、人形の魔道具を抑えていた。緊迫した空気だった。
「き、君、悪いが……、手伝ってくれないか? ……自立型魔導人形13号が暴走して……、もう限界が……」
これが私と、魔道具研究部部長ユウト・アルバトロス様との出会いだった――
ユウト様は少し変わったお人だった。魔道具をこよなく愛し、人には興味を一切持たなかった。
デイビット様の婚約者である私は、学園でもある程度の認知度があると思っていたけど……。
『助けてくれてありがとう。俺はユウト。君の名は? そうかっ、魔道具が好きなんですね』
私は、久しぶりに子どもの頃みたいに、自分を知らなくて、何もしがらみがない人と出会った。
そして、私は魔道具研究部に所属することとなった。若干、数名の弱小部活。ユウト様以外は、私が入部することに驚いていたけど、拍手で歓迎してくれた。
「これらの魔道具に必要な材料をダンジョンで取ってきました。これで、魔導ビジョンが作れますね。試作型を作ってきました」
「……液晶水晶が採れるのって、高位ダンジョンですね……」
「こ、これってどんな魔力構築をしているんだろう。すごく配列が綺麗」
「あっ、マリサさん! 創立祭に展示する魔道具はこんな感じでいいですか!」
忙しいけど充実した日々だった。その中でも、私はユウト様との魔導談義が一番楽しかった。
「マリサもあの原初の魔道具を知っているんですね。帝都の博物館にあるやつですよ」
「ええ、偉大な魔道具師様が作った魔導灯は今では普通だけど、その当時はとても革新的で――」
ユウト様は魔道具の話になると子どもみたいに目を輝かせる。でも、一歩部室を出ると、落ち着いていて、必要以上のことを言わない無口な人だった。
ある日、美人で有名な王女様に話しかけられているユウト様を学園で見かけた。ユウト様は一瞥しただけで、王女様を袖にしているのを見てしまった。
「――マリサはすごい。こんなに知識と経験がある人は初めてです」
私は変な気持ちになった。
褒められることが珍しいわけではない。でも、それは大抵、子爵令嬢としてとか、婚約者としてとか、そういう意味だった。
「……あ、ありがとうございます」
「ははっ、これからもよろしくお願いします」
その言葉は不思議なくらい胸に残った。なんだか無性に照れてしまった。
そういえば、ユウト様は温室の件について何も聞かなかった。
噂を知らないはずがないのに、あえて触れないのだとわかった。事情を探ることもなく、ただ私を一人の部員として扱ってくれる。
その距離感がありがたかった。
……もしかして本当に知らないのかもね。
***
「あ――、そ、その……」
「あら、おはよう」
フィオナの様子がおかしかった。
学園の廊下ですれ違った時も、何か言いたそうに私を見て、結局うつむく。
以前なら、デイビット様がそんなフィオナに優しく声をかけていた。
でも最近は違った。彼はずっと疲れた顔をしていて、フィオナを見る時の表情も前とは違っていた。
フィオナも顔が暗かった。
私はそれを見ても、何も言わなかった。
……あの二人は一緒になって幸せになるのに? どうしたんだろう?
昼休みの教室。デイビット様の侍女が教室へと入ってきた。少し息を切らしている。
「――あの温室の件は事故であり、マリサ様がフィオナ様を助けた行為だと判明しました」
「な、に?」
「こちらの防犯魔道具の映像を見てください」
温室の件で誰かが動いたんだ。私はもう過去の記憶にしていたから全然忘れていた。
面倒な事態になりそうだから、私は教室を出ようとしたら、フィオナがやってきた。
「お姉様、それにデイビット様! お、お話があります。あっ――」
そして遅れて届いた真実は、壊れたものを元には戻してくれない。
デイビット様の身体が震えていた。
「……なんだ、これは? なぜ真実を言ってくれなかったフィオナ。……俺は正義感が強い男だ。マリサは君を助けただけじゃないか」
「す、すみません……、わ、私、それでデイビット様が振り向いてくれるならと思って……、でも、私は罪悪感で押しつぶされそうで……、それに真実を伝えてもデイビット様は全然話を聞いてくれなくて」
「なんだと? 俺のせいだと言うのか? 俺は君を信じていた。だから、そんなものは嘘だと思っていたんだ。くっ、君は生徒会の仕事も手伝ってくれない。それに、俺の学園生活のフォローを一切せず遊び呆けて――」
フィオナが私の腕を取り、涙目で頭を下げた。
「お、お姉様、ごめんなさい。わ、私、あの時はどうしてもデイビット様が好きで……つい、出来心で……。それに、怖くて何も言えなくて――」
なんだろう、きっと心が透けて見えるっていうのはこういうことなんだろう。
「あの……もうあなたたちのことは信用していません。ですので、許す許さないなんてどうでもいいです」
私はフィオナだけじゃなく、デイビット様に向けて言い放った。
フィオナが泣きながら反論をする。
「少し困らせれば……皆が、デイビット様が私の方だけを見てくださると思ったの。お姉様なら最後には許してくださるって……」
ただ甘えていたのだ。自分が泣けば、皆が守ってくれると思っていた。私なら最後には折れると思っていた。
私はあの日、心が壊れてしまった――
デイビット様が駆け寄ってきた。
「マリサ、話をさせてくれ、お願いだ!」
その顔を見た瞬間、わかった。この人は本当に自分本位で身勝手だ。
私の心は氷のまま、心が動くことはなかった。
「創立祭が終わるまでは、約束通り婚約者でおります。それ以外は特に話をする必要もございません」
私は気まずい空気の教室を後にした。デイビット様とフィオナの言い争う声が廊下にまで聞こえるのであった。
***
創立祭当日。
私はいつも通りに身支度をした。鏡の前で髪を整えて、淡い色のドレスに袖を通す。
デイビット様との婚約がこれが最後なのだと思うと、不思議と気持ちは静かだった。
悲しくないわけじゃない。ううん、むしろ清々しい気持ちになれる。
ようやく終わるのだという安堵の方が近かった。
会場に着くと、いつも通り視線が集まった。
子爵令嬢として。
そして、生徒会長の婚約者(元)として。
「まあ、マリサ様。本当にお美しいこと」
「やはりお二人はお似合いですわね」
そんな声が聞こえる。私はいつも通り微笑んだ。
最後くらいは見苦しく終わりたくなかった。
だから、婚約者としての役目だけは完璧に果たすつもりだった。
隣に立つデイビット様は、以前よりずっと口数が少なかった。
開会式の前、彼が小さく声をかけてくる。
「……マリサ、今日は」
何かを言いたかったのだろう。
でも、私は先に言った。
「本日は婚約者としての務めを果たします。それだけです」
以前なら、こんなふうに突き放すだけで胸が痛んだだろう。でも今の私は、何も感じない。
開会式は滞りなく進んだように見えたが、創立祭はトラブルが続いた。
夜会はどうにか混乱なく進んでいく。もちろん、以前よりはぎこちないところもあった。でも、それでも十分だと思う。
私は最初の一曲を、約束通りデイビット様と踊った。
音楽に合わせて足を進めながら、昔ならこの距離が当たり前だったのだと思う。
幼い頃から何度も隣に立って、何度も手を取られてきた。
そうしていずれ夫婦になるのだと、疑ったこともなかった。
夜会の終わりが近づいた頃だった。
私はバルコニーで休もうとしたら、ワイングラスを持ったデイビット様に呼び止められた。
「マリサ、強情を張るのはもうやめろ」
「……は?」
私は足を止めて彼の顔を見た。ほんのりと赤い顔だ。
「もう謝っただろ? なら、俺のところへ戻ってこい」
私は息を吐いた。逃げるつもりはなかった。ここで終わらせると、最初から決めていたからだ。
「いつ、あなたが謝ったんですか?」
デイビット様が頭をかしげる。
「教室で俺が頭を下げただろ? なんだ、言葉が欲しかったのか? 疑った俺が悪かった。謝罪する。……ほら、これで元通りだ。機嫌直して、明日から普通にしてくれよ。俺は『君を信じていたよ』」
確かにその言葉は、ずっと聞きたかった言葉のはずだった。
でも、今じゃないんだ。それは、あの時、あの場所で聞きたかった言葉だ。
「君を責めなかったつもりでいた。もちろん、心の中では信じていたんだ」
デイビット様は自分に酔っているように続ける。
「君がどれほど俺を支えてくれていたのかも、何一つ見えていなかった。全部、当たり前のように受け取っていたんだ。きっとそれは……愛だったんだろう」
私は静かに首を横に振った。駄目だった。彼は私を見ていなかった。
「フィオナのことも、俺がもっと早く気づくべきだった。君にあんな思いをさせておいて、今さらだというのはわかっている。だが、それでも――婚約者としてよりを戻そうじゃないか」
手を差し伸べた。
私は反応が出来なかった。怒りはない。哀れみさえも感じられる。
「――失礼します。夜会は終了しました。私たちの制約はこれにて発動します」
私は胸元につけていた婚約の印のブローチを外した。
小さな青石のついたブローチだった。幼い頃、両家の約束の証として贈られたものだ。
私はそれを彼の手に置いた。
「わたくしが欲しかったのは、真実がわかったあとの謝罪ではありません」
デイビット様が息を呑む。私は続けた。感情を乗せずに、ただ、淡々と。
「あの日ただ一度、貴方がわたくしを信じてくださることでした」
たったそれだけだった。
誰より立派な謝罪も、後からの後悔もいらなかった。
あの場で、君はそんなことをしない、と。
その一言だけでよかったのだ。
「今さら信じると言われても、もう遅いです」
デイビット様はブローチを握ったまま、何も言えなかった。それもそのはずだ。『誓いの制約』の効力が発揮する。
私と彼の間には制約がある。婚約者じゃない。絶対に戻れない。
もしも、無理に戻ろうとすると……、制約破りになり、誓い(誓約)が発動し貴族としての全てを失うことになる。
引き止められないのだと、彼自身がわかっているのだと思った。
呆然と私を見つめるデイビット様。ワイングラスを床にこぼす。
「お、俺は……、なんで、間違えて……、俺は……」
崩れ落ちる彼を置いて、私はその場を立ち去った――
***
「なんだか疲れちゃった……」
私は一人で会場を出た。
少し風が冷たい。肩が震える。泣きたいわけではない。ただ、長く張っていたものが抜けていくようで、うまく息ができなかった。
その時、足音がした。
振り向くと、ユウト様が立っていた。
「……誤解は解けなかったのですか?」
彼はそう言って、自分の上着を私の肩にかけた。防犯魔道具の件、きっとユウト様の公爵家の家柄が関係しているのかもしれない。
でも私にはわからない。
「ええ、婚約破棄ですね」
「……魔道具、作りますか?」
「ぷっ、慰めているのですか?」
「いえ、あなたなら、きっと賛同すると思って」
ユウト様は深い事情を聞くでもない。ただ、私に必要なものを差し出してくる。
そのさりげなさが、今の私にはありがたかった。
「……ありがとうございます」
小さく頷いて私の言葉に答えるユウト様。
受け取った上着は、思ったより温かかった。
ユウト様は私の顔をじっと見ることもなく、いつも通りの声で続けた。
「部員のみんなも喜んでいましたよ。部室で君を待っています。行こう」
たぶん、その笑みは今夜初めて無理をしていないものだったと思う。
それはきっと気遣いなのだろう。
一人でいたくないならそばにいられるように。
でも同情だとは思わせないように。
そんな距離の取り方ができる人なのだと、私は改めて思った。
私は迷いなく頷いた。
「はいっ」
その一言を口にした時、ようやく気づいた。
私はまだ、完全に心が壊れていない。誰かの心を信用したい、と思っているんだ。
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