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3章 銀の川
6-1 エラゼムの記憶
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6-1 エラゼムの記憶
気が付いたら俺は、一人の騎士になっていた。薄暗い、だがロウソクが温かい光を放つ城の中を、鎧を鳴らしながら歩いている。
(これ……誰かの視点になってるのか)
こんな経験を、前にもしたことがあった。レイスを憑依させて、視界を共有した時だ。てことは、いま俺は、誰かが見たことある場面を見ているんだろうか。
俺はもくもくと歩みを進める。あたりには他の兵士はおらず、俺一人の足音だけが廊下に反響していた。ガシャン、ガシャン。
「お待ちなさい」
俺は足を止めた。誰だ?きれいな女の声だ。するとわきの通路から、一人の女性が現れた。ブロンドの髪に、藍色のふわっとしたドレスを着ている。おしとやかな美人といった印象だが、意志の強そうな目だけはきりっとしていて活動的だ。
「そんなに足を踏み鳴らして、いったいどこへ向かっているのですか?」
「や、騒がしかったですかな。申し訳ありません、メアリー様」
俺はかくっと頭を下げた。この人はメアリーというらしい。ん、メアリー……どこかで聞いたな。メアリーという女性は、頭を下げた俺を見て柔らかく笑った。
「別にうるさくはないけれど。だけどあなたがそうやって鬼気迫る歩き方をしていたら、入ったばかりのメイドたちに怖がられるわ」
「別に女中たちに好かれようとは……あ、いえ、ご忠告ありがとうございます。以後気を付けますので」
再びお辞儀をした俺を見て、メアリーは目を丸くすると、あきれたようにくすっと笑った。
「本当に、あなたは真面目ね。エラゼム。もう少し気楽に構えたらどうなの?」
そういわれて、俺……いや、エラゼムは、困った様子で顔を上げた。そうか、これはエラゼムの記憶なんだ。じゃあ、この女の人は……
「いや、そう申されましても……メアリー様はこの城の主、吾輩のご主君でありますから」
あ!思い出した。メアリーって、旅に出たっていう女城主だ!バークレイの姉ちゃんか、確かに髪の色が一緒だ。
「もう。でも、そこがあなたのいいところでもあるけれど。私の冗談にいちいち付き合ってくれるのもあなたくらいだわ」
「め、メアリー様……あまりからかわないでください」
「うふふ、ごめんなさい。それで、どこへ行くの?そろそろ日も暮れるけれど」
「ええ。ですので、歩哨の兵が配置についているかどうかを確認に行く途中なのです。どうにも最近、一部の兵がたるんでいると耳にしたものですから」
「そう……兵士に関しては騎士団隊長であるあなたに一任しているから、私から言うことはないわね。任せていいかしら?」
「もちろんです。さぁ、メアリー様はお戻りになってください。こんなところにいては、女中長が心配します」
「そうね。じゃあね、エラゼム」
メアリーはふわりと髪をひるがえすと、廊下を反対に歩いて行った。この騎士、生前は今と違って、もっと穏和な感じだったんだな。まあ今は怨霊化しちゃってるんだし、性格が違うのも当然だけれど。
エラゼムは立ち去っていくメアリーの後姿をしばらく見つめていた。今、俺の視界はエラゼムそのものだけど、考えていることまでは伝わってこない。エラゼムは、何を思っているのだろうか?
じきに視界がぼやけ、また景色が変わった。今度は城の外だ。周りから目立たない陰になったところで、エラゼムと、顔にそばかすを付けた若い兵士が話し合っている。
「よいか、ルウェン。今日呼び出したのは、お前についてよくない噂を耳にしたからだ」
「へ?よくない噂?」
ルウェンと呼ばれた若い兵士は、そばかすだらけの顔をぽかんとさせた。
「ああ。お前が夜間の歩哨中に、何人かと集まって酒を飲んでいたという」
「や、やだな隊長、なんすかそのデタラメなウワサ。そんなことあるわけないじゃないですか」
ルウェンは固い空気を取り繕うように、へらへらと笑みを浮かべた。だが、エラゼムはあくまでまじめだった。
「そうだな。吾輩もそう思い、少し調べてみた。するとどうやら、城の貯蔵庫から不法に酒瓶が持ち出された形跡があった」
「え。そ、それは……」
ルウェンがぎくりと、しまりのない笑みを浮かべていた顔をこわばらせた。
「誰が持ち出したのかはわからぬ。ただ、このことと今回のうわさ、無関係には思えなくてな。だから直接本人にたずねてみようと思ったのだ。どうだ、ルウェン?」
「……」
「ルウェン」
「……し、しりませんよそんなこと。うわさも嘘っぱちだし、俺は何もとってない!」
ルウェンは早口にまくしたてた。直前の間と言い、どう考えても怪しいぜ。
「そうか……」
エラゼムは考え込むようにあごに手を当てた。ルウェンの様子がおかしいのは、エラゼムだって分かっているはずだ。さて、どうでるかな。
「う、疑ってるんですか俺の事!」
「いいや。お前を信じよう」
「え」
え。信じるの?ルウェンもまさかそう来ると思っていなかったのか、ぽかんと口を開けた。
「お前のことは、お父上から頼まれたからな。お前もよく知っているだろう。お父上はこの城の執事として勤め上げた、立派な方だった。そのお父上が信頼しているお前を、吾輩が疑う必要はない」
「……」
「もうこんなうわさが流れなければそれでよい。お前もそれは嫌だろう?それが話したかっただけだ。手間を取らせたな」
エラゼムが言い終わっても、ルウェンはうつむいて黙りこくったままだった。そうか、こいつは親のコネで城の兵士になったんだな。そこで親を引き合いに出されたら……もう何も言えないだろうな。エラゼムはそんな様子を見て小さく息をつくと、ルウェンに背を向けた。
「む。そうだ、もう一つ聞こうと思っていたのだ」
エラゼムは足を止めると、顔だけルウェンに振り返った。
「近頃、夜分に近隣の村で城の兵士がたびたび目撃されておるそうだが、これについても何か知らぬか?」
「……知りませんよ、そんなこと」
「そうか。では、もしそのような輩を見つけたら伝えておいてくれぬか。よもや、“あの通路”を使って城を抜け出しているのだとしたら、小言ではすまぬ。場合によっては二度と城の門をくぐれなくなるから、そのつもりで、とな」
エラゼムはそれだけを言いのすと、こんどこそその場を後にした。あとには、うつむいたルウェンだけがぽつんと残された。
また場面が変わった。ここは……玉座が置いてあった部屋か?けれど荒れ果てた様子ではなく、きちんと整えられている。在りし日の姿なんだろうな。玉座の間には大勢の兵士が集められ、みな一点を見つめている。その視線の先には玉座に座る若い男と、その傍らに立つ騎士の姿があった。バークレイと、エラゼムだ。ん?エラゼムがそこにいるなら、これは誰の記憶だ?するとおもむろに、バークレイが玉座から立ち上がった。
「みなも知っての通り、姉上はしばしの間旅に出ることとなった。その間、留守は私と、エラゼムが預かる。姉上が帰ってきたときに変わらぬ姿で出迎えられるよう、みなも力を貸してくれ」
バークレイの呼びかけに、兵士たちは一堂に賛同の声を上げた。
「もちろんです、バークレイ様!」
「エラゼム隊長がいるなら、どんな敵でも怖くないな!」
「メアリー様の城を守るのが我らの務め!賊なんぞに負けることなどありません!」
次々と上がる讃の声に、バークレイはほっとした顔を浮かべた。バークレイもエラゼムも、みんなに好かれていたんだな。
……ん?俺はそのとき、ふと妙なものを見つけた。兵士たちが温かいまなざしをしている中、一人だけ異なる目つきをした兵士がいる。そばかすだらけの、若い男……あ、こいつ、さっきのルウェンとかいう兵士だ。ルウェンだけは、目をすっと細め、睨み付けるような視線をバークレイに向けている。いや、違うな、睨んでいるのはエラゼムだ。まさかこいつ、前に注意されたことを根に持っているのか?けどあれはどう考えてもコイツが悪いだろ。叱られていい気分はしないだろうが、それにしたって……俺は何となく胸に嫌な予感を覚えた。そのまま、場面は次へと変わった。
今度の場面は、エラゼムとメアリーの二人だ。何やら深刻そうな雰囲気で話し合っている。
「だからねエラゼム。私は、どうしても母様の故郷を見てみたいの」
「そんな……では、このルエーガー城はいかがなさるおつもりですか」
「バークレイに任せようと思っているわ。あの子は頭がいいから、きっとうまくやってくれるはず。それにね、エラゼム。私は、あなたにも留守を任せたいと思っているの」
「わ、吾輩にですか?」
「ええ。あなたは戦士の中の戦士だし、私が最も信頼を寄せる騎士でもあるもの。あなたが付いていてくれれば、安心できるわ」
メアリーは媚びるような視線を向けたが、まじめなエラゼムは首を振った。
「ですが、ならば今でなくても。城主が変わったばかりで、城のみなもまだ浮足立っております。落ち着くのを待たれてからではならないのですか」
「ふぅん……ねぇ、それっていつぐらいかしら?」
「いつ、ですか?そうですな……少なくとも、半年ほどは様子を見られてはいかがでしょう。さすれば城内だけでなく、近隣の者にもメアリー様の名を認めさせることもできましょう」
「半年、ね……そしたら、次はお世継ぎがいないからダメだとでも言うのかしら?まだ私、キスもしたことないのよ?」
「め、メアリー様?なにを……」
「長男、もしくは長女の子どもが家督を継ぐのがこの国のしきたりですものね。だとしたら私は旦那さまを探すところから始めなければならないわ。そこから子どもを産んで、大きくなるまで十年以上かかるでしょう。そのころ、私はもうおばさんよ?それから長旅をしろというのかしら。いいえ、まだ私はいいわよ。エラゼム、あなたはそのころも変わらず剣を振るえるの?その時になって、おじいちゃんになったからもう城を守れませんなんて言ったら、私口から火を吐くわよ」
「め、メアリー様……」
メアリーにまくしたてられ、エラゼムはたじたじになった。
「今しかないのよ、エラゼム。わかってちょうだい」
「メアリー様!今は冗談はよしてください!そんな屁理屈を……」
「いいえエラゼム。冗談でも、屁理屈でもないわ。あなたが言っているのはそういうことよ。それに、私の“力”のことは知っているでしょう。もし私の存在が知れ渡ったら、いずれ私の力目当ての人たちがこの城に押し寄せるかもしれないわ……そうなったら私は正真正銘、かごの鳥よ」
「それは……」
「お願いよエラゼム。あなたにしか頼めないの」
メアリーはそっと近づくと、エラゼムの手を優しく握った。
「エラゼム。お願い」
エラゼムは黙り込んでしまった。メアリーは口を真一文字に結んだまま、黙ってエラゼムの返事を待っている。
「……分かりました」
エラゼムがメアリーの手をぎゅっと握り返した。
「その任、お引き受けいたします」
「エラゼム!ありがとう」
「ですが、メアリー様。一つだけ、お約束ください」
エラゼムは顔をあげ、メアリーの目をまっすぐに見つめた。
「必ず。必ず、この城にお戻りください。メアリー様がお戻りになるその時まで、ここは吾輩が守りますゆえ」
メアリーはそれを聞くと一瞬はっと目を見開いたが、すぐにごまかすように笑みを浮かべた。
「そんな、大げさね。少し遠出してくるだけよ、なにも今生の別れというわけでは……」
「わかっております。ですが、お願いします。どうか」
「もう。困ったわね……」
メアリーは眉をハの字にしたが、エラゼムはがんとして譲らなかった。メアリーはふいっと目をそらし……またエラゼムを見て……観念したように目を閉じ……一呼吸おいてから目を開いた。
「……エラゼム。私は必ずこの城に帰ってくるわ。だからそのときまで、この城を守り抜いて。なにがあっても、私の帰りを信じて、待っていてちょうだい」
エラゼムはメアリーの前に跪くと、こぶしを床について、短く答えた。
「御意に」
メアリーは困ったように微笑むと、聞こえるか聞こえないかくらい小さな声で、こうつぶやいた。
「意地の悪い人ね……」
意地の悪い?それって、どういう意味だ……?
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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(これ……誰かの視点になってるのか)
こんな経験を、前にもしたことがあった。レイスを憑依させて、視界を共有した時だ。てことは、いま俺は、誰かが見たことある場面を見ているんだろうか。
俺はもくもくと歩みを進める。あたりには他の兵士はおらず、俺一人の足音だけが廊下に反響していた。ガシャン、ガシャン。
「お待ちなさい」
俺は足を止めた。誰だ?きれいな女の声だ。するとわきの通路から、一人の女性が現れた。ブロンドの髪に、藍色のふわっとしたドレスを着ている。おしとやかな美人といった印象だが、意志の強そうな目だけはきりっとしていて活動的だ。
「そんなに足を踏み鳴らして、いったいどこへ向かっているのですか?」
「や、騒がしかったですかな。申し訳ありません、メアリー様」
俺はかくっと頭を下げた。この人はメアリーというらしい。ん、メアリー……どこかで聞いたな。メアリーという女性は、頭を下げた俺を見て柔らかく笑った。
「別にうるさくはないけれど。だけどあなたがそうやって鬼気迫る歩き方をしていたら、入ったばかりのメイドたちに怖がられるわ」
「別に女中たちに好かれようとは……あ、いえ、ご忠告ありがとうございます。以後気を付けますので」
再びお辞儀をした俺を見て、メアリーは目を丸くすると、あきれたようにくすっと笑った。
「本当に、あなたは真面目ね。エラゼム。もう少し気楽に構えたらどうなの?」
そういわれて、俺……いや、エラゼムは、困った様子で顔を上げた。そうか、これはエラゼムの記憶なんだ。じゃあ、この女の人は……
「いや、そう申されましても……メアリー様はこの城の主、吾輩のご主君でありますから」
あ!思い出した。メアリーって、旅に出たっていう女城主だ!バークレイの姉ちゃんか、確かに髪の色が一緒だ。
「もう。でも、そこがあなたのいいところでもあるけれど。私の冗談にいちいち付き合ってくれるのもあなたくらいだわ」
「め、メアリー様……あまりからかわないでください」
「うふふ、ごめんなさい。それで、どこへ行くの?そろそろ日も暮れるけれど」
「ええ。ですので、歩哨の兵が配置についているかどうかを確認に行く途中なのです。どうにも最近、一部の兵がたるんでいると耳にしたものですから」
「そう……兵士に関しては騎士団隊長であるあなたに一任しているから、私から言うことはないわね。任せていいかしら?」
「もちろんです。さぁ、メアリー様はお戻りになってください。こんなところにいては、女中長が心配します」
「そうね。じゃあね、エラゼム」
メアリーはふわりと髪をひるがえすと、廊下を反対に歩いて行った。この騎士、生前は今と違って、もっと穏和な感じだったんだな。まあ今は怨霊化しちゃってるんだし、性格が違うのも当然だけれど。
エラゼムは立ち去っていくメアリーの後姿をしばらく見つめていた。今、俺の視界はエラゼムそのものだけど、考えていることまでは伝わってこない。エラゼムは、何を思っているのだろうか?
じきに視界がぼやけ、また景色が変わった。今度は城の外だ。周りから目立たない陰になったところで、エラゼムと、顔にそばかすを付けた若い兵士が話し合っている。
「よいか、ルウェン。今日呼び出したのは、お前についてよくない噂を耳にしたからだ」
「へ?よくない噂?」
ルウェンと呼ばれた若い兵士は、そばかすだらけの顔をぽかんとさせた。
「ああ。お前が夜間の歩哨中に、何人かと集まって酒を飲んでいたという」
「や、やだな隊長、なんすかそのデタラメなウワサ。そんなことあるわけないじゃないですか」
ルウェンは固い空気を取り繕うように、へらへらと笑みを浮かべた。だが、エラゼムはあくまでまじめだった。
「そうだな。吾輩もそう思い、少し調べてみた。するとどうやら、城の貯蔵庫から不法に酒瓶が持ち出された形跡があった」
「え。そ、それは……」
ルウェンがぎくりと、しまりのない笑みを浮かべていた顔をこわばらせた。
「誰が持ち出したのかはわからぬ。ただ、このことと今回のうわさ、無関係には思えなくてな。だから直接本人にたずねてみようと思ったのだ。どうだ、ルウェン?」
「……」
「ルウェン」
「……し、しりませんよそんなこと。うわさも嘘っぱちだし、俺は何もとってない!」
ルウェンは早口にまくしたてた。直前の間と言い、どう考えても怪しいぜ。
「そうか……」
エラゼムは考え込むようにあごに手を当てた。ルウェンの様子がおかしいのは、エラゼムだって分かっているはずだ。さて、どうでるかな。
「う、疑ってるんですか俺の事!」
「いいや。お前を信じよう」
「え」
え。信じるの?ルウェンもまさかそう来ると思っていなかったのか、ぽかんと口を開けた。
「お前のことは、お父上から頼まれたからな。お前もよく知っているだろう。お父上はこの城の執事として勤め上げた、立派な方だった。そのお父上が信頼しているお前を、吾輩が疑う必要はない」
「……」
「もうこんなうわさが流れなければそれでよい。お前もそれは嫌だろう?それが話したかっただけだ。手間を取らせたな」
エラゼムが言い終わっても、ルウェンはうつむいて黙りこくったままだった。そうか、こいつは親のコネで城の兵士になったんだな。そこで親を引き合いに出されたら……もう何も言えないだろうな。エラゼムはそんな様子を見て小さく息をつくと、ルウェンに背を向けた。
「む。そうだ、もう一つ聞こうと思っていたのだ」
エラゼムは足を止めると、顔だけルウェンに振り返った。
「近頃、夜分に近隣の村で城の兵士がたびたび目撃されておるそうだが、これについても何か知らぬか?」
「……知りませんよ、そんなこと」
「そうか。では、もしそのような輩を見つけたら伝えておいてくれぬか。よもや、“あの通路”を使って城を抜け出しているのだとしたら、小言ではすまぬ。場合によっては二度と城の門をくぐれなくなるから、そのつもりで、とな」
エラゼムはそれだけを言いのすと、こんどこそその場を後にした。あとには、うつむいたルウェンだけがぽつんと残された。
また場面が変わった。ここは……玉座が置いてあった部屋か?けれど荒れ果てた様子ではなく、きちんと整えられている。在りし日の姿なんだろうな。玉座の間には大勢の兵士が集められ、みな一点を見つめている。その視線の先には玉座に座る若い男と、その傍らに立つ騎士の姿があった。バークレイと、エラゼムだ。ん?エラゼムがそこにいるなら、これは誰の記憶だ?するとおもむろに、バークレイが玉座から立ち上がった。
「みなも知っての通り、姉上はしばしの間旅に出ることとなった。その間、留守は私と、エラゼムが預かる。姉上が帰ってきたときに変わらぬ姿で出迎えられるよう、みなも力を貸してくれ」
バークレイの呼びかけに、兵士たちは一堂に賛同の声を上げた。
「もちろんです、バークレイ様!」
「エラゼム隊長がいるなら、どんな敵でも怖くないな!」
「メアリー様の城を守るのが我らの務め!賊なんぞに負けることなどありません!」
次々と上がる讃の声に、バークレイはほっとした顔を浮かべた。バークレイもエラゼムも、みんなに好かれていたんだな。
……ん?俺はそのとき、ふと妙なものを見つけた。兵士たちが温かいまなざしをしている中、一人だけ異なる目つきをした兵士がいる。そばかすだらけの、若い男……あ、こいつ、さっきのルウェンとかいう兵士だ。ルウェンだけは、目をすっと細め、睨み付けるような視線をバークレイに向けている。いや、違うな、睨んでいるのはエラゼムだ。まさかこいつ、前に注意されたことを根に持っているのか?けどあれはどう考えてもコイツが悪いだろ。叱られていい気分はしないだろうが、それにしたって……俺は何となく胸に嫌な予感を覚えた。そのまま、場面は次へと変わった。
今度の場面は、エラゼムとメアリーの二人だ。何やら深刻そうな雰囲気で話し合っている。
「だからねエラゼム。私は、どうしても母様の故郷を見てみたいの」
「そんな……では、このルエーガー城はいかがなさるおつもりですか」
「バークレイに任せようと思っているわ。あの子は頭がいいから、きっとうまくやってくれるはず。それにね、エラゼム。私は、あなたにも留守を任せたいと思っているの」
「わ、吾輩にですか?」
「ええ。あなたは戦士の中の戦士だし、私が最も信頼を寄せる騎士でもあるもの。あなたが付いていてくれれば、安心できるわ」
メアリーは媚びるような視線を向けたが、まじめなエラゼムは首を振った。
「ですが、ならば今でなくても。城主が変わったばかりで、城のみなもまだ浮足立っております。落ち着くのを待たれてからではならないのですか」
「ふぅん……ねぇ、それっていつぐらいかしら?」
「いつ、ですか?そうですな……少なくとも、半年ほどは様子を見られてはいかがでしょう。さすれば城内だけでなく、近隣の者にもメアリー様の名を認めさせることもできましょう」
「半年、ね……そしたら、次はお世継ぎがいないからダメだとでも言うのかしら?まだ私、キスもしたことないのよ?」
「め、メアリー様?なにを……」
「長男、もしくは長女の子どもが家督を継ぐのがこの国のしきたりですものね。だとしたら私は旦那さまを探すところから始めなければならないわ。そこから子どもを産んで、大きくなるまで十年以上かかるでしょう。そのころ、私はもうおばさんよ?それから長旅をしろというのかしら。いいえ、まだ私はいいわよ。エラゼム、あなたはそのころも変わらず剣を振るえるの?その時になって、おじいちゃんになったからもう城を守れませんなんて言ったら、私口から火を吐くわよ」
「め、メアリー様……」
メアリーにまくしたてられ、エラゼムはたじたじになった。
「今しかないのよ、エラゼム。わかってちょうだい」
「メアリー様!今は冗談はよしてください!そんな屁理屈を……」
「いいえエラゼム。冗談でも、屁理屈でもないわ。あなたが言っているのはそういうことよ。それに、私の“力”のことは知っているでしょう。もし私の存在が知れ渡ったら、いずれ私の力目当ての人たちがこの城に押し寄せるかもしれないわ……そうなったら私は正真正銘、かごの鳥よ」
「それは……」
「お願いよエラゼム。あなたにしか頼めないの」
メアリーはそっと近づくと、エラゼムの手を優しく握った。
「エラゼム。お願い」
エラゼムは黙り込んでしまった。メアリーは口を真一文字に結んだまま、黙ってエラゼムの返事を待っている。
「……分かりました」
エラゼムがメアリーの手をぎゅっと握り返した。
「その任、お引き受けいたします」
「エラゼム!ありがとう」
「ですが、メアリー様。一つだけ、お約束ください」
エラゼムは顔をあげ、メアリーの目をまっすぐに見つめた。
「必ず。必ず、この城にお戻りください。メアリー様がお戻りになるその時まで、ここは吾輩が守りますゆえ」
メアリーはそれを聞くと一瞬はっと目を見開いたが、すぐにごまかすように笑みを浮かべた。
「そんな、大げさね。少し遠出してくるだけよ、なにも今生の別れというわけでは……」
「わかっております。ですが、お願いします。どうか」
「もう。困ったわね……」
メアリーは眉をハの字にしたが、エラゼムはがんとして譲らなかった。メアリーはふいっと目をそらし……またエラゼムを見て……観念したように目を閉じ……一呼吸おいてから目を開いた。
「……エラゼム。私は必ずこの城に帰ってくるわ。だからそのときまで、この城を守り抜いて。なにがあっても、私の帰りを信じて、待っていてちょうだい」
エラゼムはメアリーの前に跪くと、こぶしを床について、短く答えた。
「御意に」
メアリーは困ったように微笑むと、聞こえるか聞こえないかくらい小さな声で、こうつぶやいた。
「意地の悪い人ね……」
意地の悪い?それって、どういう意味だ……?
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