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6章 風の守護する都
5-1 エドガーとロア
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5-1 エドガーとロア
エドガーと部下の騎士たちは、走りに走った。
もちろん、実際に走ったのは兵士を乗せた馬ではあったが、エドガーの気迫はまるで馬を自らが引っ張っているようですらあった。鬼気迫る様相で走る騎兵の集団を見て、近隣の村人は騎士の亡霊が、晴らせぬ恨みを抱えて走っているのだと怯えた。
だが当然、人も馬も生き物である以上、体力の限界を超えて走り続けることはできない。ヘイズたち本隊を追い抜き、昼夜なく続けた疾走の二日目には、騎手も騎馬も疲労困憊して、今にも崩れ落ちそうになっていた。
「え……エドガー……隊長……これ以上は……」
騎士の一人が、かさかさになった喉で、エドガーの背中に限界を訴えた。が、エドガーが断固として前を見据えたまま、馬を止めようとしない。
「だめだ……まだ、半分も来ていない……一日で戻ると誓ったのに……」
「隊長……!」
そのとき、ついにエドガーを乗せた馬が力尽き、かくんとひざを曲げて崩れ落ちてしまった。エドガーには受け身を取る体力すら残っておらず、目の前の堅い地面に頭から倒れこんだ。
「隊長!大丈夫ですか……」
慌ててほかの騎士がエドガーを助け起こす。屈強なエドガーはこの程度ではびくともしなかったが、馬はいかんともしがたかった。
「隊長、もう限界です。馬も休めてやらないと……」
「……」
沈黙したエドガーに、騎士たちはさすがに納得したのだろうと、ほっと安堵した。しかしエドガーは、まったく諦めてはいなかったのである。ふところに手を突っ込むと、そこから小さな小袋を取り出し、中のものを手のひらの上に出した。
「隊長?何を……」
エドガーは呼びかけにも答えず、だまって倒れた馬の元まで近寄った。
「許せ……」
エドガーが手を馬の口元に近づける。するとたちまち、馬は四足で立ち上がり、力強くいなないたではないか。イヒヒーン!
「ええ!?一体、何が……」
馬は元気良く立ち上がると、早く走らせろと言わんばかりにぶるぶると鼻を鳴らした。信じられない、さっきまで瀕死だったというのに……騎士たちは唖然とした。
「エドガー隊長、いったい何をしたのですか?」
「……」
エドガーはまたも問いかけを無視し、さらに自分も小袋の中身をぐいっと飲み込んだ。さすがに様子がおかしいと思った騎士は、語気を強めてエドガーに詰め寄った。
「隊長!」
「……回復薬だ。それで、私と馬の体力を回復させた」
「え?霊薬かなにかですか?なんだ、それならそうと早く言ってくださいよ」
騎士はほっと胸をなでおろした。ヒーリングパウダーは、神殿などで作られる薬だ。疲労回復の効果もあるが、ここまで効くとは驚きだ。
「しかし、ずいぶん強い効き目ですね。よろしければ、私たちにもいただけないでしょうか?」
「だめだ。それに、これはヒーリングパウダーなどではない」
「え?」
エドガーは小袋の口をキュッと締めると、ふところに戻しながら言った。
「これは、セントウの種だ」
「せっ……セントウ、ですって!?」
セントウとは、果実の一種だ。果肉には薬効があり、万薬の元となるが、種には恐るべき呪いの力が込められているという。
「た、隊長!なぜ自ら毒を飲むような真似を!」
「セントウの種には、体の内なる力を呼び起こす効果があるのだ。これがあれば、王都まで最速で戻ることができる」
「ですが、まったくノーリスクというわけではないでしょう!代償に、なにか副作用があるのでは……?」
エドガーはその問いには、何も答えなかった。馬の鐙に足をかけると、再び馬へとまたがる。
「お前たちは休んでから来い。私は少しでも先に行き、一人でも多くの謀反者を切り捨ててやる」
そう言い切ったエドガーからは、危険な毒物を飲んだ迷いも、副作用への恐れも、みじんも感じられなかった。あるのは、ただ国のために、女王のために粉にならんとする、決意と覚悟だけだった。
「……隊長。ならば、私たちにも、その種をいただけないでしょうか」
「何……?」
エドガーはおもわず騎士たちの顔を見やった。ほかの騎士たちは、疲労にやつれながらも、一様に決意をその目に宿していた。ここまで強行軍に文句ひとつ言わずついてきた、精鋭ぞろいだ。祖国を思う気持ちは、みな同じだった。
「……だめだ」
「エドガー隊長!」
「お前たちは、まだ若い。お前たちには、未来のこの国を守る役目があるだろう……しかし、今この国を守るのは、この私だ!」
ヒヒーン!エドガーが馬の腹を蹴ると、馬はたっぷりと眠った日の朝のように、元気よく走り出した。大地を疾走していくエドガーの後ろ姿に、騎士たちは何も言うことができなかった。ただ、彼のもとに、祖国の英霊の加護があらんことを祈るばかりだった……
(一分でも早く!一秒でも早く!)
エドガーは一心不乱に走る馬に鞭打ちながらも、心が肉体を飛び出して、王都へと飛んでいきそうな思いだった。自分のために、不幸な運命をたどらせてしまったこの馬には申し訳なく感じる。それでもエドガーは馬をせかした。今ならば、悪魔に魂を売ることさえいとわないだろうと、エドガーは心の底で思った。
「ロア様を、命に代えてでも守って見せる……!」
エドガーがロアと出会ったのは、ロアがまだ生まれて間もない頃だった。普通の子にくらべて体が小さく、弱々しい印象を受けたことを覚えている。
「エドガー。本日より、あなたを王家直属騎士団の隊長に任命いたします」
「ははっ!」
若かりし頃のエドガーは、先の女王、オリシャに呼び出されると、その眼前に跪いた。
「未熟ながら、女王陛下のお力になるべく、この身を捧げてまいる所存であります」
「ええ。ですが、エドガー。あなたの忠誠は、できるなら私ではなく、この子に捧げてくれないかしら」
オリシャはそう言うと、自分の傍らに置かれたゆりかごの中で眠る赤子に目線を向けた。
「は……?いえ、もちろんご子息様にも、忠誠をささげる所存でありますが……」
「……それを言うなら、“ご息女”でしょう。いいですか、エドガー。今言った言葉を、ただのお小言程度にとらえないでください」
オリシャが背筋を正したのを見て、エドガーは広い肩幅をきゅっと縮めた。
「これから話す内容は、他言無用にてお願いします。あなたへの信頼の証として話すのだということを、くれぐれも忘れないように」
「は、ははっ!それで、その内容とは……?」
「……おそらく、女王としての私の代はそう長くは続きません」
「はい……?」
「そう遠くないうちに、私は命を落とすでしょう」
9/3 誤字を修正しました。
エドガーと部下の騎士たちは、走りに走った。
もちろん、実際に走ったのは兵士を乗せた馬ではあったが、エドガーの気迫はまるで馬を自らが引っ張っているようですらあった。鬼気迫る様相で走る騎兵の集団を見て、近隣の村人は騎士の亡霊が、晴らせぬ恨みを抱えて走っているのだと怯えた。
だが当然、人も馬も生き物である以上、体力の限界を超えて走り続けることはできない。ヘイズたち本隊を追い抜き、昼夜なく続けた疾走の二日目には、騎手も騎馬も疲労困憊して、今にも崩れ落ちそうになっていた。
「え……エドガー……隊長……これ以上は……」
騎士の一人が、かさかさになった喉で、エドガーの背中に限界を訴えた。が、エドガーが断固として前を見据えたまま、馬を止めようとしない。
「だめだ……まだ、半分も来ていない……一日で戻ると誓ったのに……」
「隊長……!」
そのとき、ついにエドガーを乗せた馬が力尽き、かくんとひざを曲げて崩れ落ちてしまった。エドガーには受け身を取る体力すら残っておらず、目の前の堅い地面に頭から倒れこんだ。
「隊長!大丈夫ですか……」
慌ててほかの騎士がエドガーを助け起こす。屈強なエドガーはこの程度ではびくともしなかったが、馬はいかんともしがたかった。
「隊長、もう限界です。馬も休めてやらないと……」
「……」
沈黙したエドガーに、騎士たちはさすがに納得したのだろうと、ほっと安堵した。しかしエドガーは、まったく諦めてはいなかったのである。ふところに手を突っ込むと、そこから小さな小袋を取り出し、中のものを手のひらの上に出した。
「隊長?何を……」
エドガーは呼びかけにも答えず、だまって倒れた馬の元まで近寄った。
「許せ……」
エドガーが手を馬の口元に近づける。するとたちまち、馬は四足で立ち上がり、力強くいなないたではないか。イヒヒーン!
「ええ!?一体、何が……」
馬は元気良く立ち上がると、早く走らせろと言わんばかりにぶるぶると鼻を鳴らした。信じられない、さっきまで瀕死だったというのに……騎士たちは唖然とした。
「エドガー隊長、いったい何をしたのですか?」
「……」
エドガーはまたも問いかけを無視し、さらに自分も小袋の中身をぐいっと飲み込んだ。さすがに様子がおかしいと思った騎士は、語気を強めてエドガーに詰め寄った。
「隊長!」
「……回復薬だ。それで、私と馬の体力を回復させた」
「え?霊薬かなにかですか?なんだ、それならそうと早く言ってくださいよ」
騎士はほっと胸をなでおろした。ヒーリングパウダーは、神殿などで作られる薬だ。疲労回復の効果もあるが、ここまで効くとは驚きだ。
「しかし、ずいぶん強い効き目ですね。よろしければ、私たちにもいただけないでしょうか?」
「だめだ。それに、これはヒーリングパウダーなどではない」
「え?」
エドガーは小袋の口をキュッと締めると、ふところに戻しながら言った。
「これは、セントウの種だ」
「せっ……セントウ、ですって!?」
セントウとは、果実の一種だ。果肉には薬効があり、万薬の元となるが、種には恐るべき呪いの力が込められているという。
「た、隊長!なぜ自ら毒を飲むような真似を!」
「セントウの種には、体の内なる力を呼び起こす効果があるのだ。これがあれば、王都まで最速で戻ることができる」
「ですが、まったくノーリスクというわけではないでしょう!代償に、なにか副作用があるのでは……?」
エドガーはその問いには、何も答えなかった。馬の鐙に足をかけると、再び馬へとまたがる。
「お前たちは休んでから来い。私は少しでも先に行き、一人でも多くの謀反者を切り捨ててやる」
そう言い切ったエドガーからは、危険な毒物を飲んだ迷いも、副作用への恐れも、みじんも感じられなかった。あるのは、ただ国のために、女王のために粉にならんとする、決意と覚悟だけだった。
「……隊長。ならば、私たちにも、その種をいただけないでしょうか」
「何……?」
エドガーはおもわず騎士たちの顔を見やった。ほかの騎士たちは、疲労にやつれながらも、一様に決意をその目に宿していた。ここまで強行軍に文句ひとつ言わずついてきた、精鋭ぞろいだ。祖国を思う気持ちは、みな同じだった。
「……だめだ」
「エドガー隊長!」
「お前たちは、まだ若い。お前たちには、未来のこの国を守る役目があるだろう……しかし、今この国を守るのは、この私だ!」
ヒヒーン!エドガーが馬の腹を蹴ると、馬はたっぷりと眠った日の朝のように、元気よく走り出した。大地を疾走していくエドガーの後ろ姿に、騎士たちは何も言うことができなかった。ただ、彼のもとに、祖国の英霊の加護があらんことを祈るばかりだった……
(一分でも早く!一秒でも早く!)
エドガーは一心不乱に走る馬に鞭打ちながらも、心が肉体を飛び出して、王都へと飛んでいきそうな思いだった。自分のために、不幸な運命をたどらせてしまったこの馬には申し訳なく感じる。それでもエドガーは馬をせかした。今ならば、悪魔に魂を売ることさえいとわないだろうと、エドガーは心の底で思った。
「ロア様を、命に代えてでも守って見せる……!」
エドガーがロアと出会ったのは、ロアがまだ生まれて間もない頃だった。普通の子にくらべて体が小さく、弱々しい印象を受けたことを覚えている。
「エドガー。本日より、あなたを王家直属騎士団の隊長に任命いたします」
「ははっ!」
若かりし頃のエドガーは、先の女王、オリシャに呼び出されると、その眼前に跪いた。
「未熟ながら、女王陛下のお力になるべく、この身を捧げてまいる所存であります」
「ええ。ですが、エドガー。あなたの忠誠は、できるなら私ではなく、この子に捧げてくれないかしら」
オリシャはそう言うと、自分の傍らに置かれたゆりかごの中で眠る赤子に目線を向けた。
「は……?いえ、もちろんご子息様にも、忠誠をささげる所存でありますが……」
「……それを言うなら、“ご息女”でしょう。いいですか、エドガー。今言った言葉を、ただのお小言程度にとらえないでください」
オリシャが背筋を正したのを見て、エドガーは広い肩幅をきゅっと縮めた。
「これから話す内容は、他言無用にてお願いします。あなたへの信頼の証として話すのだということを、くれぐれも忘れないように」
「は、ははっ!それで、その内容とは……?」
「……おそらく、女王としての私の代はそう長くは続きません」
「はい……?」
「そう遠くないうちに、私は命を落とすでしょう」
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