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8章 重なる魂
6-2
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6-2
「うぉっと!」
ぼすっ。俺の腰のあたりに、ぼさぼさの黒髪がぶつかる。慌てて後ろに下がると、そこに居たのは小さな子どもだった。浅黒い肌に、伸び放題の黒髪。服はボロボロのワンピース……というより、大人物の上着をすっぽり被っているようだ。ぶかぶかの裾からは、はだしの足がのぞいている。恰好だけでは、男の子か女の子かもわからないな。
「あ、ごめんな。よく見てなくて」
俺が謝っても、その子どもは口を閉ざしたまま、大きな丸い目でじっと俺を見上げている。な、なんだ?
「えーっと……?」
「……」
俺が弱っていると、その子どもはごそごそと、自分のポケットをまさぐり始めた。なんだなんだ?やがてポケットから出てきたのは、すこしくたびれた花だった。子どもはそれを、俺に差し出す。
「え?これ、俺にくれるのか?」
子どもはぶんぶんと首を横に振った。そしてもう片方の、何も持っていない手も俺に差し出す。
「桜下さん、この子、対価をよこせって言ってるんじゃないですか?」
「ああ、なるほど。その花を、売ってくれるってことだな?」
俺の言葉に、子どもはこくりとうなずいた。ははぁ、変わった訪問販売だな。
「花、ねぇ。別に俺たち、草花と自然を愛する集団ってわけでもないんだけど……」
正直、いらない。花は桃色の可愛らしい花びらをしているが、ずっと握りしめられていたからか、しおれてしまっている。だいたい、金に余裕もないし……なんだけど、この子の恰好は気になる。言っちゃ悪いが、ずいぶんみすぼらしい……
「あー。君は、何て名前なんだ?」
俺がたずねても、子どもは首を横に振った。ふむ、知らない人には名乗らない、か。
「じゃあ、この仕事はどうして?」
これにも、沈黙。困ったな、コミュニケーションが取れない。
「弱ったな。なにか、話せる事情でいいから教えてくれよ。じゃないと、さすがになぁ」
俺が渋い顔をすると、子どもは手を引っ込めた。そして口を大きく開くと、口内を指さした。
「え……」
「やだ……!」
ウィルが息をのむ。子どもには、舌がなかった。根本のほうで切れて、丸まってしまっている。子どもは口を閉じると、また首を横に振った。
「そうか、だから一言も喋らなかったのか……」
これも正しくないな。喋らないんじゃなくて、喋れなかったのだ。過去に一体、何があったのか……この子の口から聞くことは、もう叶わない。
「……お前の事情はわかった。悪かったな、無茶を言って」
子どもはまた首を横に振ると、再びこちらに花を差し出した。
「……わかった。それじゃあ一輪、もらおうかな」
俺はくたびれた花を受け取ると、カバンから銀貨を一枚取り出した。
「これでいいか?」
子どもはこくりとうなずくと、コインを受け取り、ぎゅっと握りしめた。花一本にしては割高だが、なんだか事情もありそうだし……
「あ、そうだ。ついでに聞きたいんだけど、この辺に安く泊まれる宿ってないか?」
俺の問いに、子どもは少し悩むと、ついてこいとばかりに手招きした。どうやら、ガイドを引き受けてくれるらしい。
小走りに駆けて行く背中を追いながら、フランが小声で話しかけてくる。
「よかったの」
「何がだ?」
「とぼけないで。いちいちこじきに恵んでなんていたら、財布がいくつあっても足りないよ」
う。フランの鋭い指摘。
「まぁ、そうなんだけどさ。この町の案内料と、花代と考えれば、それほどではないだろ?ほら、結構キレイだし」
桃色の花を、フランの前髪にそっと挿す。
「ほーら、似合う似合う」
「……」
「そ、そんな怖い顔すんなよ……わかってるって。この一回こっきりにする。けど、さすがにあの場で、知らんぷりはできないじゃないか」
「……はぁ。お人好し。すぐ付け込まれるんだから」
ははは、手厳しい……けど、フランの指摘は正しい。俺のしたことは、善行というよりは、自己満足に近いものだろうから。それでも俺は、そうしたかったのさ。
名も知らぬ子について行くこと数分、目の前に小さな建物が見えてきた。少しくすんだ白色の壁には、「旅人歓迎」と書かれた看板が打ち付けられている。脇にはこんもりと葉を茂らせた木が生えていて、しだった枝にピンク色の花を咲かせていた。
「ここが、お前のおすすめか?」
俺がたずねると、子どもはこくこくとうなずいた。ふむ、ちょっと古そうだけど、逆にそれくらいがちょうどいいだろう。
「いい感じじゃないか。気に入ったぜ」
うんうんうなずく俺を見て、子どもはほんの僅かに口角を上げて微笑んだ。それから勢いよく頭を下げると、次の瞬間にはくるりと背中を向けて、たたたっと駆けて行ってしまった。
「あっ。もう行っちゃったよ」
「あの子、大丈夫でしょうか?ちゃんと帰る家はあるのか……」
遠ざかって行く背中を見つめて、ウィルが心配そうな顔をする。彼女も孤児だったわけだから、余計に心配なのかも。
「喋れない子どもか……苦労は絶えないだろうな。けど、案外ちゃっかりしてたし、逞しく生きて行くんじゃないかな」
「そう、ですね……うん、そう思うことにします」
ウィルは複雑な表情で、それでも飲み込むように、こくんとうなずいた。子どもは行ってしまった。そこから先は、俺たちの知りえない領域だから。するとエラゼムが、うつむいてぼそりとつぶやく。
「花売りの子ども、か……」
「うん?エラゼム、なんか言ったか?」
「……いいえ。それよりも、宿に入ってしまいましょう。桜下殿たちは、体をお安めにならなければ」
「あ、そうだな。よし、行こう」
つづく
====================
読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「うぉっと!」
ぼすっ。俺の腰のあたりに、ぼさぼさの黒髪がぶつかる。慌てて後ろに下がると、そこに居たのは小さな子どもだった。浅黒い肌に、伸び放題の黒髪。服はボロボロのワンピース……というより、大人物の上着をすっぽり被っているようだ。ぶかぶかの裾からは、はだしの足がのぞいている。恰好だけでは、男の子か女の子かもわからないな。
「あ、ごめんな。よく見てなくて」
俺が謝っても、その子どもは口を閉ざしたまま、大きな丸い目でじっと俺を見上げている。な、なんだ?
「えーっと……?」
「……」
俺が弱っていると、その子どもはごそごそと、自分のポケットをまさぐり始めた。なんだなんだ?やがてポケットから出てきたのは、すこしくたびれた花だった。子どもはそれを、俺に差し出す。
「え?これ、俺にくれるのか?」
子どもはぶんぶんと首を横に振った。そしてもう片方の、何も持っていない手も俺に差し出す。
「桜下さん、この子、対価をよこせって言ってるんじゃないですか?」
「ああ、なるほど。その花を、売ってくれるってことだな?」
俺の言葉に、子どもはこくりとうなずいた。ははぁ、変わった訪問販売だな。
「花、ねぇ。別に俺たち、草花と自然を愛する集団ってわけでもないんだけど……」
正直、いらない。花は桃色の可愛らしい花びらをしているが、ずっと握りしめられていたからか、しおれてしまっている。だいたい、金に余裕もないし……なんだけど、この子の恰好は気になる。言っちゃ悪いが、ずいぶんみすぼらしい……
「あー。君は、何て名前なんだ?」
俺がたずねても、子どもは首を横に振った。ふむ、知らない人には名乗らない、か。
「じゃあ、この仕事はどうして?」
これにも、沈黙。困ったな、コミュニケーションが取れない。
「弱ったな。なにか、話せる事情でいいから教えてくれよ。じゃないと、さすがになぁ」
俺が渋い顔をすると、子どもは手を引っ込めた。そして口を大きく開くと、口内を指さした。
「え……」
「やだ……!」
ウィルが息をのむ。子どもには、舌がなかった。根本のほうで切れて、丸まってしまっている。子どもは口を閉じると、また首を横に振った。
「そうか、だから一言も喋らなかったのか……」
これも正しくないな。喋らないんじゃなくて、喋れなかったのだ。過去に一体、何があったのか……この子の口から聞くことは、もう叶わない。
「……お前の事情はわかった。悪かったな、無茶を言って」
子どもはまた首を横に振ると、再びこちらに花を差し出した。
「……わかった。それじゃあ一輪、もらおうかな」
俺はくたびれた花を受け取ると、カバンから銀貨を一枚取り出した。
「これでいいか?」
子どもはこくりとうなずくと、コインを受け取り、ぎゅっと握りしめた。花一本にしては割高だが、なんだか事情もありそうだし……
「あ、そうだ。ついでに聞きたいんだけど、この辺に安く泊まれる宿ってないか?」
俺の問いに、子どもは少し悩むと、ついてこいとばかりに手招きした。どうやら、ガイドを引き受けてくれるらしい。
小走りに駆けて行く背中を追いながら、フランが小声で話しかけてくる。
「よかったの」
「何がだ?」
「とぼけないで。いちいちこじきに恵んでなんていたら、財布がいくつあっても足りないよ」
う。フランの鋭い指摘。
「まぁ、そうなんだけどさ。この町の案内料と、花代と考えれば、それほどではないだろ?ほら、結構キレイだし」
桃色の花を、フランの前髪にそっと挿す。
「ほーら、似合う似合う」
「……」
「そ、そんな怖い顔すんなよ……わかってるって。この一回こっきりにする。けど、さすがにあの場で、知らんぷりはできないじゃないか」
「……はぁ。お人好し。すぐ付け込まれるんだから」
ははは、手厳しい……けど、フランの指摘は正しい。俺のしたことは、善行というよりは、自己満足に近いものだろうから。それでも俺は、そうしたかったのさ。
名も知らぬ子について行くこと数分、目の前に小さな建物が見えてきた。少しくすんだ白色の壁には、「旅人歓迎」と書かれた看板が打ち付けられている。脇にはこんもりと葉を茂らせた木が生えていて、しだった枝にピンク色の花を咲かせていた。
「ここが、お前のおすすめか?」
俺がたずねると、子どもはこくこくとうなずいた。ふむ、ちょっと古そうだけど、逆にそれくらいがちょうどいいだろう。
「いい感じじゃないか。気に入ったぜ」
うんうんうなずく俺を見て、子どもはほんの僅かに口角を上げて微笑んだ。それから勢いよく頭を下げると、次の瞬間にはくるりと背中を向けて、たたたっと駆けて行ってしまった。
「あっ。もう行っちゃったよ」
「あの子、大丈夫でしょうか?ちゃんと帰る家はあるのか……」
遠ざかって行く背中を見つめて、ウィルが心配そうな顔をする。彼女も孤児だったわけだから、余計に心配なのかも。
「喋れない子どもか……苦労は絶えないだろうな。けど、案外ちゃっかりしてたし、逞しく生きて行くんじゃないかな」
「そう、ですね……うん、そう思うことにします」
ウィルは複雑な表情で、それでも飲み込むように、こくんとうなずいた。子どもは行ってしまった。そこから先は、俺たちの知りえない領域だから。するとエラゼムが、うつむいてぼそりとつぶやく。
「花売りの子ども、か……」
「うん?エラゼム、なんか言ったか?」
「……いいえ。それよりも、宿に入ってしまいましょう。桜下殿たちは、体をお安めにならなければ」
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