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10章 死霊術師の覚悟
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「アルルカー!どこだー!」
俺は、ずんぐりとした古木のうろをのぞき込みながら叫んだ。うろからは俺の声が跳ね返ってくるだけだ。
「ったく、どこ行きやがったんだアイツ……」
やぶをかき分けながら悪態をつく。ここ最近はずいぶん素直だったのに、油断するとすぐこれだ。マスクがある以上、勝手に逃げ出すことはないとは思うんだけど……
「……まさか、血欲しさに暴走して、その辺の動物を殺しまくってたりしないよな」
俺の脳裏に、ありありとその光景が浮かんだ。薄暗い木陰で、アルルカが無数の獣の骸に抱かれて、恍惚の表情を浮かべている。その全身は、真っ赤な鮮血でてらてらと濡れていて……
うぅ。あまりのおぞましさに、震えが走った。先月の取り乱しっぷりを思えば、そんな凶行に走ってもけっしておかしくはない。
「……おおーい!アルルカー!早まるなー!馬鹿な真似はよせー!」
返事は帰ってこない。どこからか、迷惑そうなフクロウの鳴き声が、「やまかましいぞ」とばかりに聞こえてくるだけだった。
「文句言うなよな。お前が狂ったヴァンパイアに殺されないように、こっちは声を張り上げてるんだから……っ!」
その時だ。俺の背筋にゾクゾクっと寒気が走った。夜の高原の空気は十分冷たいが、それ以下の冷気が、どこからか漂ってきたのだ。
「冷気……?ひょっとして、アルルカの氷魔法か?」
冷気は、目の前の木立の間から漂ってきているようだ。俺は茂みをまたいで、その間を抜けた。
向こう側は、開けた空き地になっていた。空き地の中心には、俺の背丈くらいの大岩がどすんと鎮座していて、その周りを低い茂みが囲っている。どうやら冷気は、岩の裏側が発信源らしい。岩に近づくにつれ、空気はより一層凍てついたものになった。吐く息が白いほどだ。
俺はそろそろと大回りで、こわごわ岩の裏側へと回り込んだ。そして、そこにあるものを見て、驚愕した。
岩に穿たれるような恰好で、四肢を氷で拘束されたアルルカがいたからだ。
「うわ!あ、アルルカ!大丈夫か!?」
「え……?」
俺の声に反応して、うつろな瞳のアルルカがこちらを見た。こいつの、こんなに弱弱しい声は聞いたことがない。もともと白い肌は、冷気に舐められ続けたせいで雪のような蒼白色になっている。艶やかな黒髪はばらばらと乱れ、顔に散らばっていた。馬鹿な、氷の魔法の達人であるアルルカを、いったい誰がこんな風に……?
「待ってろ、今助けてやるから!」
「その必要は……ないわ……」
「バカ、こんな時まで強がるな!くそ、俺の力じゃ無理か。フランか、それかライラの魔法で……」
「だから、大丈夫だって……騒ぐんじゃないわよ。これ、あたしがやったことだから……」
「は?」
いま、何て言った?自分でやった??
「聞き間違いか……?これ、誰にやられたって?」
「だから、あたしよ……氷使いのあたしが、氷にやられるわけないでしょ。自分で、自分を縛ってたの」
「……」
大真面目に心配していた数秒前の自分を、ぶん殴ってやりたい気分だった。このヴァンパイア、とうとういく所までいったらしい。
「……あー、邪魔して悪かったな。俺はもう退散するから、思う存分シュミに興じてくれ」
「ばか……趣味なわけないでしょ。こうでもしないと、吸血衝動を抑えられなかったのよ」
「え?」
おっと、予想外の回答だ。衝動を抑えるためだって?
「じゃあこれは、お前がドMなんじゃなくて、自らを戒めるためにやってたってか?」
「そう言ってるじゃない……なによ、どえむって。あんた、あたしを何だと思ってたわけ……」
被虐志向の変態です、とはさすがに言えなかった。
「でも、なんでそうまでして我慢してるんだ?先月なんか、地面を転がりまくってたのに」
「まぁ、ちょっと気分が変わったというか……」
「え!お前まさか、吸血を止める気になったのか!?」
「それは無理。今も死ぬほど喉が渇いてるわ」
「なんだ……じゃ、なんだ?」
「だって、せっかく月に一度のお楽しみなのよ?ちょっと趣向を凝らそうと思って、ギリギリまで我慢してたのよ。こうしたほうが、きっと何倍もおいしく感じるはずだわ……」
あー……あれか。喉をカラカラにしてからのほうが、ビールがうまいっていう。
「おっさんかよ」
「はぁ!?これほどの美女を捕まえて、よくそんなことが言えたわね……まあいいわ。あんたが来たんなら、もうこうしてる必要もないわね」
アルルカが軽く力を籠めると、彼女を押さえつけていた氷はパキン!と、いともたやすく砕けた。なんだよ、言ってしまえば、ごっこ遊びみたいなもんだったのか。心配して損したな。
「で、もう気はすんだのか?」
「まあね。どっちみち、そろそろあんたを呼びに行こうと思ってたの」
「ほう」
戻ってくるんじゃなくて、わざわざこの空き地にまで、俺を呼びつける気だったのか?
「ねぇ……あんた、言ってたわよね。一カ月間、あたしが言うことを聞いていれば、ちゃんと血をくれるって。忘れてないでしょうね?」
「ああ。なんだかんだ、お前はきちんと仕事してくれたからな。そこはちゃんと感謝してるよ」
「あ、そう……ねえ、だったら、ちょっとはあたしの言うことも聞きなさいよ」
「え?血はちゃんとやるってば」
「それはそうだけど、それだけじゃなくて。このあたしが協力してあげたんだから、見返りをよこせって言ってんの」
だから、それが血なのでは……とはいえ、こいつが活躍してくれたのも事実だ。アルルカはなんだかんだ言いながら、ライラをきちんと面倒見てくれていた。それなのに、頭ごなしに拒否をするのも、なあ?
「まぁじゃ、話だけ聞くよ。あんまり無茶なのはダメだからな!血を全部よこせだとか、自由にしろだとか……」
「わかってる、そうじゃないわ……あんたって確か、あたしたちに無理やり命令させることができるのよね?たとえ、あたしたちが心底嫌がってたとしても」
「人聞きが悪いな……事実だけども」
「じゃあ、いつかにした、あの座らせるやつもできるわよね」
「おすわりのことか?ああ」
するとアルルカは、落ち着きなさそうに、くるくると指に髪を巻き付けた。なんだって、そんなこと聞いてくるんだ?
「あの、それじゃあ……それを、あたしにしてほしいんだけど」
「……うん?」
「だから、あたしにアレをしなさいよ。そうじゃなきゃ、あんたを押し倒して、血の一滴まで吸い尽くすかもしれないわよ」
「え?いや、でも前はそんなこと……」
「い、いいでしょ!ほら、早くマスクを外してちょうだい。そのあとすぐに、あたしを座らせるのよ!」
なんだなんだ?さっぱり意味が分からないが、アルルカはおすわりをさせられたいらしい……それが、アルルカのいう見返りか?そんなんでいいのだろうか。思ったよりも簡単で、ほっとしたけれど。
「そんなに言うなら、わかったよ」
俺は、アルルカの口元を覆うマスクにそっと手を伸ばすと、指先で触れた。かちゃりと音がして、マスクの留め金が外れる。そして間髪入れずに命じた。
「アルルカ、おすわり」
リィンと、アニが揺れる。その音色を合図にしたかのように、アルルカは長い足を折りたたんで、地べたにぺたりと座った。
「ぁう。や、やっぱり動けないわ……」
「まぁ、そういうものだからな。言っとくけど、お前がやれって言ったんだからな?」
「わかってるってば。ねぇ、それよりも、早く脱いで。血を、血を頂戴よ」
ハッハッと、アルルカは犬のような浅い息をしている。ひどく興奮しているようだが……なんか、調子狂うなぁ。やりづらいったらありゃしない。
俺はのそのそとコートを脱ぎ、シャツのボタンを緩めると、アルルカの前にかがんだ。
「ほら。これでいいか?」
「あ、まって!近づかないで!」
「はぁ?だって、それじゃ血が飲めないだろ」
「いいの。ギリギリ、ほんのぎりぎりで止まって。そう……そうよ、それくらい。届きそうで届かないくらいに」
アルルカに言われるまま、俺は彼女の鼻先で動きを止めた。ちょうど俺の首筋を、彼女の眼前にさらす形になっている……俺、いったい何をさせられているんだろう。
「あぁ……目の前に、首があるのに。飲めない、体が動かないわ。くうぅ」
アルルカは懸命に首を伸ばすが、狙いすましたように俺には届かない。その位置にいろと言ったのはコイツ自身だが。
「ああ、芳醇な匂い。生きた、新鮮な血の匂いがするのに……すんすん」
「うわ、バカ!嗅ぐなよ!」
「動かないでったら!今いい所なの!」
「いい所って……」
まさか、これがアルルカの真の狙いか?つまり、さっきの延長戦で、俺を巻き込んでの焦らしプレイが始まったのでは……俺のいやな予感は、ますます的中していく。
「すんすん、すんすん……ああ!飲みたい、飲みたいのに。どうして、体が動かないの!こんなに、こんなに目の前にあるのに。耐えられないわ、こんなの!」
アルルカのだらしなく緩んだ口元からは、熱い吐息といっしょに、滝のようなよだれが垂れている。悔しそうに歪められた瞳は(自分でやってるくせに)、うるうると涙で潤んでいた。そして真っ赤な舌が伸びてきて、俺の首筋をちろりと舐めた瞬間、堪忍袋の緒が切れた。付き合ってられるか!
「いいかげんに……っ!?」
立ち上がろうとしたのに、足が動かない。いつの間にか、俺の足は薄い氷でがっちり固められていた。こ、これはアルルカの魔法……!
「逃がさないわよ。ここまできてお預けなんてされたら、あたし、頭がどうにかしちゃう」
はめられた……!くそ、もう十分どうにかしてるくせに!
「ねぇ、お願い。いじめないで。許して、もう許してぇ。ちょうだい、あんたのあっつい、赤い血を……もう、我慢できないの!」
とうとうアルルカは、ポロポロと涙をこぼし始めた。演技も乗りに乗って、気分は最高潮らしい。その頃になると、俺はもう何もかも諦めていた。この世に神はなく、奇跡なんて起きはしない。うんざりだ、もうウンザリだ。
とっとと終わってくれという願いを込めて、俺はハイライトの消えた瞳で、ぼそりとこぼした。
「アルルカ、動いてよし」
一も二もなく、アルルカが俺の首筋に食らいついた。牙が刺さるつぷっという痛みよりも、ベチョベチョの唇のほうが気になる有様だった。
数秒ほどで、アルルカは俺から離れた。
(さて、ここからだぞ)
俺は袖で首元を拭きながら、アルルカの様子を伺った。前回は、あまりの血のうまさにおかしくなったアルルカが、びくんびくんと跳ね回っていた。さて、念入りにお膳立てした今回は……
「……」
「……?」
あれ、静かだな。アルルカはうつむいたまま、微動だにしない。どうしたのかと顔をのぞき込むと、白目をむいて気絶していた。
「失神するまでやる奴があるか!起きろー!」
足の氷を剝がしてもらわないと、俺まで帰れないだろうが!
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「ったく、どこ行きやがったんだアイツ……」
やぶをかき分けながら悪態をつく。ここ最近はずいぶん素直だったのに、油断するとすぐこれだ。マスクがある以上、勝手に逃げ出すことはないとは思うんだけど……
「……まさか、血欲しさに暴走して、その辺の動物を殺しまくってたりしないよな」
俺の脳裏に、ありありとその光景が浮かんだ。薄暗い木陰で、アルルカが無数の獣の骸に抱かれて、恍惚の表情を浮かべている。その全身は、真っ赤な鮮血でてらてらと濡れていて……
うぅ。あまりのおぞましさに、震えが走った。先月の取り乱しっぷりを思えば、そんな凶行に走ってもけっしておかしくはない。
「……おおーい!アルルカー!早まるなー!馬鹿な真似はよせー!」
返事は帰ってこない。どこからか、迷惑そうなフクロウの鳴き声が、「やまかましいぞ」とばかりに聞こえてくるだけだった。
「文句言うなよな。お前が狂ったヴァンパイアに殺されないように、こっちは声を張り上げてるんだから……っ!」
その時だ。俺の背筋にゾクゾクっと寒気が走った。夜の高原の空気は十分冷たいが、それ以下の冷気が、どこからか漂ってきたのだ。
「冷気……?ひょっとして、アルルカの氷魔法か?」
冷気は、目の前の木立の間から漂ってきているようだ。俺は茂みをまたいで、その間を抜けた。
向こう側は、開けた空き地になっていた。空き地の中心には、俺の背丈くらいの大岩がどすんと鎮座していて、その周りを低い茂みが囲っている。どうやら冷気は、岩の裏側が発信源らしい。岩に近づくにつれ、空気はより一層凍てついたものになった。吐く息が白いほどだ。
俺はそろそろと大回りで、こわごわ岩の裏側へと回り込んだ。そして、そこにあるものを見て、驚愕した。
岩に穿たれるような恰好で、四肢を氷で拘束されたアルルカがいたからだ。
「うわ!あ、アルルカ!大丈夫か!?」
「え……?」
俺の声に反応して、うつろな瞳のアルルカがこちらを見た。こいつの、こんなに弱弱しい声は聞いたことがない。もともと白い肌は、冷気に舐められ続けたせいで雪のような蒼白色になっている。艶やかな黒髪はばらばらと乱れ、顔に散らばっていた。馬鹿な、氷の魔法の達人であるアルルカを、いったい誰がこんな風に……?
「待ってろ、今助けてやるから!」
「その必要は……ないわ……」
「バカ、こんな時まで強がるな!くそ、俺の力じゃ無理か。フランか、それかライラの魔法で……」
「だから、大丈夫だって……騒ぐんじゃないわよ。これ、あたしがやったことだから……」
「は?」
いま、何て言った?自分でやった??
「聞き間違いか……?これ、誰にやられたって?」
「だから、あたしよ……氷使いのあたしが、氷にやられるわけないでしょ。自分で、自分を縛ってたの」
「……」
大真面目に心配していた数秒前の自分を、ぶん殴ってやりたい気分だった。このヴァンパイア、とうとういく所までいったらしい。
「……あー、邪魔して悪かったな。俺はもう退散するから、思う存分シュミに興じてくれ」
「ばか……趣味なわけないでしょ。こうでもしないと、吸血衝動を抑えられなかったのよ」
「え?」
おっと、予想外の回答だ。衝動を抑えるためだって?
「じゃあこれは、お前がドMなんじゃなくて、自らを戒めるためにやってたってか?」
「そう言ってるじゃない……なによ、どえむって。あんた、あたしを何だと思ってたわけ……」
被虐志向の変態です、とはさすがに言えなかった。
「でも、なんでそうまでして我慢してるんだ?先月なんか、地面を転がりまくってたのに」
「まぁ、ちょっと気分が変わったというか……」
「え!お前まさか、吸血を止める気になったのか!?」
「それは無理。今も死ぬほど喉が渇いてるわ」
「なんだ……じゃ、なんだ?」
「だって、せっかく月に一度のお楽しみなのよ?ちょっと趣向を凝らそうと思って、ギリギリまで我慢してたのよ。こうしたほうが、きっと何倍もおいしく感じるはずだわ……」
あー……あれか。喉をカラカラにしてからのほうが、ビールがうまいっていう。
「おっさんかよ」
「はぁ!?これほどの美女を捕まえて、よくそんなことが言えたわね……まあいいわ。あんたが来たんなら、もうこうしてる必要もないわね」
アルルカが軽く力を籠めると、彼女を押さえつけていた氷はパキン!と、いともたやすく砕けた。なんだよ、言ってしまえば、ごっこ遊びみたいなもんだったのか。心配して損したな。
「で、もう気はすんだのか?」
「まあね。どっちみち、そろそろあんたを呼びに行こうと思ってたの」
「ほう」
戻ってくるんじゃなくて、わざわざこの空き地にまで、俺を呼びつける気だったのか?
「ねぇ……あんた、言ってたわよね。一カ月間、あたしが言うことを聞いていれば、ちゃんと血をくれるって。忘れてないでしょうね?」
「ああ。なんだかんだ、お前はきちんと仕事してくれたからな。そこはちゃんと感謝してるよ」
「あ、そう……ねえ、だったら、ちょっとはあたしの言うことも聞きなさいよ」
「え?血はちゃんとやるってば」
「それはそうだけど、それだけじゃなくて。このあたしが協力してあげたんだから、見返りをよこせって言ってんの」
だから、それが血なのでは……とはいえ、こいつが活躍してくれたのも事実だ。アルルカはなんだかんだ言いながら、ライラをきちんと面倒見てくれていた。それなのに、頭ごなしに拒否をするのも、なあ?
「まぁじゃ、話だけ聞くよ。あんまり無茶なのはダメだからな!血を全部よこせだとか、自由にしろだとか……」
「わかってる、そうじゃないわ……あんたって確か、あたしたちに無理やり命令させることができるのよね?たとえ、あたしたちが心底嫌がってたとしても」
「人聞きが悪いな……事実だけども」
「じゃあ、いつかにした、あの座らせるやつもできるわよね」
「おすわりのことか?ああ」
するとアルルカは、落ち着きなさそうに、くるくると指に髪を巻き付けた。なんだって、そんなこと聞いてくるんだ?
「あの、それじゃあ……それを、あたしにしてほしいんだけど」
「……うん?」
「だから、あたしにアレをしなさいよ。そうじゃなきゃ、あんたを押し倒して、血の一滴まで吸い尽くすかもしれないわよ」
「え?いや、でも前はそんなこと……」
「い、いいでしょ!ほら、早くマスクを外してちょうだい。そのあとすぐに、あたしを座らせるのよ!」
なんだなんだ?さっぱり意味が分からないが、アルルカはおすわりをさせられたいらしい……それが、アルルカのいう見返りか?そんなんでいいのだろうか。思ったよりも簡単で、ほっとしたけれど。
「そんなに言うなら、わかったよ」
俺は、アルルカの口元を覆うマスクにそっと手を伸ばすと、指先で触れた。かちゃりと音がして、マスクの留め金が外れる。そして間髪入れずに命じた。
「アルルカ、おすわり」
リィンと、アニが揺れる。その音色を合図にしたかのように、アルルカは長い足を折りたたんで、地べたにぺたりと座った。
「ぁう。や、やっぱり動けないわ……」
「まぁ、そういうものだからな。言っとくけど、お前がやれって言ったんだからな?」
「わかってるってば。ねぇ、それよりも、早く脱いで。血を、血を頂戴よ」
ハッハッと、アルルカは犬のような浅い息をしている。ひどく興奮しているようだが……なんか、調子狂うなぁ。やりづらいったらありゃしない。
俺はのそのそとコートを脱ぎ、シャツのボタンを緩めると、アルルカの前にかがんだ。
「ほら。これでいいか?」
「あ、まって!近づかないで!」
「はぁ?だって、それじゃ血が飲めないだろ」
「いいの。ギリギリ、ほんのぎりぎりで止まって。そう……そうよ、それくらい。届きそうで届かないくらいに」
アルルカに言われるまま、俺は彼女の鼻先で動きを止めた。ちょうど俺の首筋を、彼女の眼前にさらす形になっている……俺、いったい何をさせられているんだろう。
「あぁ……目の前に、首があるのに。飲めない、体が動かないわ。くうぅ」
アルルカは懸命に首を伸ばすが、狙いすましたように俺には届かない。その位置にいろと言ったのはコイツ自身だが。
「ああ、芳醇な匂い。生きた、新鮮な血の匂いがするのに……すんすん」
「うわ、バカ!嗅ぐなよ!」
「動かないでったら!今いい所なの!」
「いい所って……」
まさか、これがアルルカの真の狙いか?つまり、さっきの延長戦で、俺を巻き込んでの焦らしプレイが始まったのでは……俺のいやな予感は、ますます的中していく。
「すんすん、すんすん……ああ!飲みたい、飲みたいのに。どうして、体が動かないの!こんなに、こんなに目の前にあるのに。耐えられないわ、こんなの!」
アルルカのだらしなく緩んだ口元からは、熱い吐息といっしょに、滝のようなよだれが垂れている。悔しそうに歪められた瞳は(自分でやってるくせに)、うるうると涙で潤んでいた。そして真っ赤な舌が伸びてきて、俺の首筋をちろりと舐めた瞬間、堪忍袋の緒が切れた。付き合ってられるか!
「いいかげんに……っ!?」
立ち上がろうとしたのに、足が動かない。いつの間にか、俺の足は薄い氷でがっちり固められていた。こ、これはアルルカの魔法……!
「逃がさないわよ。ここまできてお預けなんてされたら、あたし、頭がどうにかしちゃう」
はめられた……!くそ、もう十分どうにかしてるくせに!
「ねぇ、お願い。いじめないで。許して、もう許してぇ。ちょうだい、あんたのあっつい、赤い血を……もう、我慢できないの!」
とうとうアルルカは、ポロポロと涙をこぼし始めた。演技も乗りに乗って、気分は最高潮らしい。その頃になると、俺はもう何もかも諦めていた。この世に神はなく、奇跡なんて起きはしない。うんざりだ、もうウンザリだ。
とっとと終わってくれという願いを込めて、俺はハイライトの消えた瞳で、ぼそりとこぼした。
「アルルカ、動いてよし」
一も二もなく、アルルカが俺の首筋に食らいついた。牙が刺さるつぷっという痛みよりも、ベチョベチョの唇のほうが気になる有様だった。
数秒ほどで、アルルカは俺から離れた。
(さて、ここからだぞ)
俺は袖で首元を拭きながら、アルルカの様子を伺った。前回は、あまりの血のうまさにおかしくなったアルルカが、びくんびくんと跳ね回っていた。さて、念入りにお膳立てした今回は……
「……」
「……?」
あれ、静かだな。アルルカはうつむいたまま、微動だにしない。どうしたのかと顔をのぞき込むと、白目をむいて気絶していた。
「失神するまでやる奴があるか!起きろー!」
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