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13章 歪な三角星
7-4
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死ん、でいる……?尊だけじゃなく、俺たち、勇者全員が……?
「ふ……ふざけたことを!僕は今、ここに生きている!」
クラークが叫んだ。だがその声は、本当に叫んだのかと思えるくらい、弱弱しいものだった。
「君ねえ、僕の話聞いてた?今生きてても、過去死んだことは覆らないんだよ」
マスカレードは、呆れたように首を振った。
「あの女を思い出してみなよ。あの女は、間違いなく自殺した。でも、今この世界では間違いなく生きている。このことを、二の国の勇者くんは生き返ったのかって訊いたよね」
そんなことを、俺は言っただろうか?すぐさっきのことが、よく思い出せない……
「完全な蘇生なのかと訊かれたら、それはノーだ。あっちの世界で、あの女は死んだんだから。死んだ人間を生き返らせることはできない。けど、その魂なら?しかも、異なる次元の、異なる世界の魂なら」
魂……俺は無意識のうちに、胸元のアニをぎゅっと握りしめた。アニはもう、ちりんとも揺れていない。
「死んだ人間はもちろん、生きた人間を異なる世界から呼び寄せるのは、現代魔術をもってしても、まだまだ難しいんだよ。けれど魂だけなら、それも可能となる。そこに目を付けたのが、すなわち勇者召喚システムと呼ばれる大魔術なんだよ。いわば、魂のサルベージさ」
「魂の、サルベージ……それなら、俺たちは、アンデッドなのか……?」
「いいや、それも少し違う。何度も言うけど、君たちは確かに生きている。不死であるアンデッドとは違うんだよ。つまりね、新しく用意した生きた肉体に、召喚した魂を定着させた生命体……それこそが、僕たちが“勇者”と呼ぶ存在なんだ」
なん……だって……?
「新しく、用意した……?」
「そう。君たちの魂のデータをもとに作成されるから、姿かたちは似ているけれど、前の世界のそれとはまったく異なる別物だ。その証拠に、力なんかは前とは比べ物にならないだろう?」
そうだった……俺はそれを、アニから勇者の肉体だからだって説明されて……勇者の、肉体!
「そういう事だったのか……言葉通り……この体は、勇者の器として、新たに用意されたものだった……」
「ご明察。だから、簡単に作り替えることもできる。そこの、金髪の君みたいにね」
マスカレードに指摘され、クラークは震える手で、自分の顔の半分を覆った。やつは召喚されてすぐ、自分の顔を望み通りに変えたと言った……
「なら、俺たちは……人間じゃ、ないのか……?」
「それもまた難しいね。生まれ方は少々特殊とは言え、君たちは普通の人間と体の構造は何ら違わない。人の魂はね、やっぱり人の体にしか宿らないんだってさ」
「なら……なら、俺たちは、どうしてこの世界に……どうして俺たちは、死んだことになってるんだ……?」
「死んだことになってる……?あ、そうか。君たち、その記憶を消されてるんだっけ」
「な……記憶を、消されただと?」
「うーんとね。まず説明すると、勇者の能力ってのは、前の世界で積み重ねてきた“業”が変質したものなんだよ」
業……以前アニも、同じことを言っていた……
「この業ってのは、まあざっくりいえば、罪みたいなもんだよね。つまり、悪い奴ほど、強力な力を持つ勇者になれるってわけ。ほら、二の国が呼んだ、あの極悪勇者みたいにさ。でも、そんな悪人を、しかもめっちゃ強い力を持った悪人を呼び出したりなんかしたら、手を付けられないのは目に見えてるでしょ?そこでお偉いさんたちは頭を抱えた。強い勇者は欲しい、けれど自分たちの言うことを聞かないやつは嫌だ……と、そんなときに、一つの妙案が出た」
マスカレードが、闇の中で動いた。どうやら、指を一本突き立てたようだ。
「実はね、数ある業の中にも、とりわけ深くて、強い力に変化するものがあったんだ。何だと思う?」
俺たちは何も言えなかった。とてもじゃないが……
「それはね、殺人。人殺しだよ。誰かを殺した人間は、すこぶる強い勇者になるんだ。けどそんなイカれた奴を召喚したら、こっちの世界が滅ぼされかねない。そこでさ、悪知恵の働く奴がいたんだね。こう考えた。人を殺していても、手懐けるのが割かし容易なタイプの人間がいるじゃないかって。ま、つまり……」
その先の答えを、俺は知っている気がした。
「自殺。自らを殺した人間だよ。君たちみたいな、ね」
カラン、カラーン。
乾いた音を立てて、クラークの手から魔法剣が滑り落ちた。
「じ、さつ」
「そうだよ。今召喚されている勇者は、全員が過去に自殺をしているんだ。殺意が外じゃなくて内に向いている分、制御がしやすいんだって。ま、自らを殺すようなやつがまともな精神状態のわけはないんだけどさ。さあ、そこで重要な、記憶操作の出番だ」
マスカレードは立てていた指を、頭に向けたようだ。
「君たちは知らぬ間に、頭の中をいじくられているんだよ。君たちの魂を召喚した際に、基本はそのままだけど、いくつか邪魔になる記憶は封印してしまうんだ。主に自殺に至った動機関連をね。そうすれば君たちは、嘘みたいに扱い易い人間になる。人類のため、魔王との決戦をいとわなくなるわけだ。でも、ここは慎重にしないといけない。何せ記憶はデリケートだ。一つ欠いただけでも、その人間の人格に重篤な障害を与えかねないからね。そのための役割を担うのが、それだ」
闇の中からマスカレードの指が伸びる。その切っ先は、俺の胸を指し示していた。
「自我字引。そいつは召喚された勇者にもれなく与えられる。なぜならそいつが、勇者の記憶を封印している張本人だからさ」
な……
「アニ、が……?」
俺はゆっくりと、自分の胸元を見下した。見慣れたはずのガラスの鈴。今はそれが、酷く恐ろしいものに見える。
「そいつらは勇者をつぶさに観察して、勇者の最も根深い闇に関する記憶を消してしまう。そうと分からせないように、少しずつ、かつ最小限の分だけね。君たち、思い当たらないかな?当初と今とで、思い出せなくなっていることがあるんじゃないの?」
思い出せなくなったこと……そ、そうだ!俺は……あの地下牢で、処刑を宣告された時。俺はあの時は、自分が自殺したことを覚えていた!どうして二度も死ななきゃならないんだと、絶望していた!その後で俺は骸骨剣士に心を切られ、絶望から解き放たれた。だけどその事実は、忘れたわけじゃなかったはずなんだ!けどいつの間にか、俺はそのことを全く気にしなく……いや、正確には……忘れて、しまっていた。記憶を、消されていた!
記憶が消えたのは、骸骨剣士のせいじゃない。アニのせいだったんだ!
「そ……そんな……」
「ふふ。どうやら、心当たりがあるみたいだね。あーあー、かわいそうに。君たちは初めっから騙されていたんだよ。記憶を消され、魂を再利用されてさ。素直に同情するよ」
「ふ……ふざけるな!」
クラークが大声を出した。喉が裂けたような、血を吐くような叫びだった。
「僕は……!僕たちは、使い捨ての道具なんかじゃない!記憶を操作されている?魂だけ新しい体に入れた?ふざけるのも大概にしろ!そんなもの、信じられるものかっ!」
「あれぇ、そう?どっちかって言うと、信じたくないようにも見えるけどねぇ?」
「何を……!」
「あ、じゃあ分かりやすい証拠があるよ。君たち、いつこの世界の言葉を覚えたんだい?」
「は……?」
言葉を……?そんなもの、一度も習っていない。最初から……
「君たち、初めから字が読めたし、話せただろ?けどさあ、違和感なかったわけ?見たことも聞いたこともない言語なはずなのにさ。それって、言語野をいじくられてるからだよ?」
「ふ……ふざけるな。僕は、この世界に来てからずっと、日本語を話している。今だって……」
「あー、それ、認識が歪められてるね。君たち勇者の脳ミソは、いわば高性能翻訳機を内蔵しているんだ。君がニホンゴだと思ってる言葉は、勝手に翻訳されて大陸語になってるんだよ。もちろん今も」
俺は思わず口元を触ってしまった。だけど、そうだ……俺は以前に何度か、どうしてこの世界の文字が読めるんだろうと疑問を抱いたことがあった……あの時は、深く考えなかったけど。けど、俺の脳が、勝手に処理をしていたのか……?
「そんなこと……そんなこと、信じられるか!僕たちは、人間なんだ!コンピューターでも、機械でもない!そんなことが、人間にできるはずがない!」
いや……この世界の魔法なら可能だと、俺は思った。俺は、パロットパローラという、異なる言語を刷り込ませる魔法を知っている……だがそれを知らないクラークは、頑なに認めようとしない。マスカレードはイライラと首を振った。
「あー、そ。別に、信じてもらわなくっても結構だよ。僕は親切心で教えてあげただけなんだから」
「親切だと……!」
「そーだよ。ねえ、君たちさぁ。腹立たしいと思わない?僕だったら、そんな人造兵器みたいな扱い受けたら、まっさきに僕を呼び出した奴を殺してやるね」
「貴様、何を言って……」
「だって、憎いだろ?何様だよってさ。君たち、どこの国の生まれでも、ていうかこの世界の生まれですらないんだよ?それなのに、どうしてこの世界の王様の言うことを聞かなきゃいけないわけ?僕ならふざけるなって思うなぁ。ねえ、二の国の勇者くんなら、分かってくれるんじゃない?」
マスカレードは、俺の方を見た。それは……分からないと言ったら、嘘になる。だから俺は、王城を逃げ出したんだ。
「僕なら、勇者の力を使って、むかつく奴らを全員ぶっ殺してやるなぁ。それで、金を奪って、ついでに女もさらってさ。どこかで楽しく暮らせばいいじゃん。どうせ一度死んでるんだから、もう何やってもいいやって思わない?」
「貴様……そんなことが、許されるとでも」
「許す?誰の許しが必要なわけ?君たちは許したか?自分たちの魂を利用されて、頭ん中までいじくられてもいいって?……ハッ、ばっかじゃないの」
マスカレードは吐き捨てるように言った。
「君たちの世界はどうだったか知らないけどさ、許しなんて、この世には存在しないんだよ。やったもんが勝つ。それが、この世界の決・ま・り・な・の!」
「そ、んなこと……僕は……」
「ねー、もう素直になりなよ。正直に生きればいいじゃんか」
糾弾するようだったマスカレードの声が、急に気味が悪いほど優しくなった。
「せっかく二度目の人生にありつけたんだからさ、好きなことして生きようよ。なんだったら、僕が手伝ってあげてもいいよ?」
「な……ん、だって?」
「僕が君たちを、自由にしてあげるよ」
マスカレードの声は、仮面越しでもわかるくらい、にやついていた。
「僕と一緒に来なよ。僕はどこの国にも属していない。どこの国のしがらみにも捕らわれず、自由に生きていけるよ。もちろん、君たちにもそれなりの協力はしてもらうことになるけどね。でも、王の命令で魔王と戦わされるよりは、ずっとずっとましだろ?」
マスカレードと、いっしょに行く……?奴と一緒に行けば、俺は全てから自由になれる。自由に生きていける。それは、俺がこの世界に来てから、ずっと追い求めていた事じゃないか……
「僕と一緒に、自由を手に入れようよ」
「……僕は、断る」
俺はハッとして、クラークの方を見た。クラークの声は小さく掠れていたが、それでもきっぱりと言い切った。
「貴様は、悪だ。貴様の言っていることは、正しくない。貴様が言っているのは、自由じゃなくて、ただの身勝手だ。そんな奴の誘いに、僕は乗らない」
「……ふーん。正義に反するってやつ?まだそんな、つまらないものに拘るんだ。いいよ、無理にとは言わないから。ただ、後悔しても遅いからね。それじゃ二の国の、君はどうだい?」
マスカレードに問いかけられて、俺は身じろいだ。俺は……俺は……
「俺は……行けない。俺には、仲間との約束がある。あいつらを置いていくことは、できない」
俺がたどたどしく答えると、マスカレードは苛立った様子で舌打ちした。
「あっそ。チッ、とんだ見込み違いだったよ。君たちはもう少し賢いと思ってたけど。ま、これで利用価値がなくなったわけだから、気兼ねなくぶっ殺せるんだけどさ」
がさがさと、マスカレードのいる茂みが揺れる。俺とクラークは身構えたが、クラークは剣を落としていることに気付いていない。まずい、今ここを襲われたら……!
「けどまあ、それはまた今度にするよ。今夜は僕も、戦いに来たわけじゃないからね」
え?どうやらマスカレードは、そのまま後退していっているようだ。思わずほっと息をつく。
「それじゃあね、勇者諸君。せいぜい、操り人形としての生を全うしなよ。きひゃははは!」
奴の狂ったような笑い声は、次第に遠ざかっていき……ついには、聞こえなくなった。元の、静かな夜が戻ってくる……だけど、風の音も、虫の声も、もうただの雑音にしか聞こえなかった。
「……」
「くっ……」
クラークの食いしばった口元から、苦しそうな声が漏れた。やつは今、どんな気持ちなんだろう。けど俺も、彼に気遣う言葉をかける気には、とてもなれなかった。
「……クラークぅ!いるのぉー!」
ん……背後から声が聞こえてくる。やがて、こちらに走ってくる足音も。
「ああ、いた!クラーク、こんなところにいたのね」
はあはあと息を切らしてやってきたのは、ドレスを着たコルルだった。パーティー会場からここまで走ってきたようだ。
「どうしてこんなところにいるの?あんまり遅いから外に出てみたら、どこにもいないんだもの。心配したわ」
「あ、ああ……ごめん……」
「……?でも、それより!大変なことになったのよ!早く戻って来て!」
「コルル……大変なことって……?」
「詳しいことは戻ってから話すけど……ついさっき、フィドラーズグリーン戦線から、皇帝閣下宛てに緊急の連絡が入ったの」
「フィドラーズグリーンから……?」
「ええ。魔王軍が、進軍を再開したの!」
つづく
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クラークが叫んだ。だがその声は、本当に叫んだのかと思えるくらい、弱弱しいものだった。
「君ねえ、僕の話聞いてた?今生きてても、過去死んだことは覆らないんだよ」
マスカレードは、呆れたように首を振った。
「あの女を思い出してみなよ。あの女は、間違いなく自殺した。でも、今この世界では間違いなく生きている。このことを、二の国の勇者くんは生き返ったのかって訊いたよね」
そんなことを、俺は言っただろうか?すぐさっきのことが、よく思い出せない……
「完全な蘇生なのかと訊かれたら、それはノーだ。あっちの世界で、あの女は死んだんだから。死んだ人間を生き返らせることはできない。けど、その魂なら?しかも、異なる次元の、異なる世界の魂なら」
魂……俺は無意識のうちに、胸元のアニをぎゅっと握りしめた。アニはもう、ちりんとも揺れていない。
「死んだ人間はもちろん、生きた人間を異なる世界から呼び寄せるのは、現代魔術をもってしても、まだまだ難しいんだよ。けれど魂だけなら、それも可能となる。そこに目を付けたのが、すなわち勇者召喚システムと呼ばれる大魔術なんだよ。いわば、魂のサルベージさ」
「魂の、サルベージ……それなら、俺たちは、アンデッドなのか……?」
「いいや、それも少し違う。何度も言うけど、君たちは確かに生きている。不死であるアンデッドとは違うんだよ。つまりね、新しく用意した生きた肉体に、召喚した魂を定着させた生命体……それこそが、僕たちが“勇者”と呼ぶ存在なんだ」
なん……だって……?
「新しく、用意した……?」
「そう。君たちの魂のデータをもとに作成されるから、姿かたちは似ているけれど、前の世界のそれとはまったく異なる別物だ。その証拠に、力なんかは前とは比べ物にならないだろう?」
そうだった……俺はそれを、アニから勇者の肉体だからだって説明されて……勇者の、肉体!
「そういう事だったのか……言葉通り……この体は、勇者の器として、新たに用意されたものだった……」
「ご明察。だから、簡単に作り替えることもできる。そこの、金髪の君みたいにね」
マスカレードに指摘され、クラークは震える手で、自分の顔の半分を覆った。やつは召喚されてすぐ、自分の顔を望み通りに変えたと言った……
「なら、俺たちは……人間じゃ、ないのか……?」
「それもまた難しいね。生まれ方は少々特殊とは言え、君たちは普通の人間と体の構造は何ら違わない。人の魂はね、やっぱり人の体にしか宿らないんだってさ」
「なら……なら、俺たちは、どうしてこの世界に……どうして俺たちは、死んだことになってるんだ……?」
「死んだことになってる……?あ、そうか。君たち、その記憶を消されてるんだっけ」
「な……記憶を、消されただと?」
「うーんとね。まず説明すると、勇者の能力ってのは、前の世界で積み重ねてきた“業”が変質したものなんだよ」
業……以前アニも、同じことを言っていた……
「この業ってのは、まあざっくりいえば、罪みたいなもんだよね。つまり、悪い奴ほど、強力な力を持つ勇者になれるってわけ。ほら、二の国が呼んだ、あの極悪勇者みたいにさ。でも、そんな悪人を、しかもめっちゃ強い力を持った悪人を呼び出したりなんかしたら、手を付けられないのは目に見えてるでしょ?そこでお偉いさんたちは頭を抱えた。強い勇者は欲しい、けれど自分たちの言うことを聞かないやつは嫌だ……と、そんなときに、一つの妙案が出た」
マスカレードが、闇の中で動いた。どうやら、指を一本突き立てたようだ。
「実はね、数ある業の中にも、とりわけ深くて、強い力に変化するものがあったんだ。何だと思う?」
俺たちは何も言えなかった。とてもじゃないが……
「それはね、殺人。人殺しだよ。誰かを殺した人間は、すこぶる強い勇者になるんだ。けどそんなイカれた奴を召喚したら、こっちの世界が滅ぼされかねない。そこでさ、悪知恵の働く奴がいたんだね。こう考えた。人を殺していても、手懐けるのが割かし容易なタイプの人間がいるじゃないかって。ま、つまり……」
その先の答えを、俺は知っている気がした。
「自殺。自らを殺した人間だよ。君たちみたいな、ね」
カラン、カラーン。
乾いた音を立てて、クラークの手から魔法剣が滑り落ちた。
「じ、さつ」
「そうだよ。今召喚されている勇者は、全員が過去に自殺をしているんだ。殺意が外じゃなくて内に向いている分、制御がしやすいんだって。ま、自らを殺すようなやつがまともな精神状態のわけはないんだけどさ。さあ、そこで重要な、記憶操作の出番だ」
マスカレードは立てていた指を、頭に向けたようだ。
「君たちは知らぬ間に、頭の中をいじくられているんだよ。君たちの魂を召喚した際に、基本はそのままだけど、いくつか邪魔になる記憶は封印してしまうんだ。主に自殺に至った動機関連をね。そうすれば君たちは、嘘みたいに扱い易い人間になる。人類のため、魔王との決戦をいとわなくなるわけだ。でも、ここは慎重にしないといけない。何せ記憶はデリケートだ。一つ欠いただけでも、その人間の人格に重篤な障害を与えかねないからね。そのための役割を担うのが、それだ」
闇の中からマスカレードの指が伸びる。その切っ先は、俺の胸を指し示していた。
「自我字引。そいつは召喚された勇者にもれなく与えられる。なぜならそいつが、勇者の記憶を封印している張本人だからさ」
な……
「アニ、が……?」
俺はゆっくりと、自分の胸元を見下した。見慣れたはずのガラスの鈴。今はそれが、酷く恐ろしいものに見える。
「そいつらは勇者をつぶさに観察して、勇者の最も根深い闇に関する記憶を消してしまう。そうと分からせないように、少しずつ、かつ最小限の分だけね。君たち、思い当たらないかな?当初と今とで、思い出せなくなっていることがあるんじゃないの?」
思い出せなくなったこと……そ、そうだ!俺は……あの地下牢で、処刑を宣告された時。俺はあの時は、自分が自殺したことを覚えていた!どうして二度も死ななきゃならないんだと、絶望していた!その後で俺は骸骨剣士に心を切られ、絶望から解き放たれた。だけどその事実は、忘れたわけじゃなかったはずなんだ!けどいつの間にか、俺はそのことを全く気にしなく……いや、正確には……忘れて、しまっていた。記憶を、消されていた!
記憶が消えたのは、骸骨剣士のせいじゃない。アニのせいだったんだ!
「そ……そんな……」
「ふふ。どうやら、心当たりがあるみたいだね。あーあー、かわいそうに。君たちは初めっから騙されていたんだよ。記憶を消され、魂を再利用されてさ。素直に同情するよ」
「ふ……ふざけるな!」
クラークが大声を出した。喉が裂けたような、血を吐くような叫びだった。
「僕は……!僕たちは、使い捨ての道具なんかじゃない!記憶を操作されている?魂だけ新しい体に入れた?ふざけるのも大概にしろ!そんなもの、信じられるものかっ!」
「あれぇ、そう?どっちかって言うと、信じたくないようにも見えるけどねぇ?」
「何を……!」
「あ、じゃあ分かりやすい証拠があるよ。君たち、いつこの世界の言葉を覚えたんだい?」
「は……?」
言葉を……?そんなもの、一度も習っていない。最初から……
「君たち、初めから字が読めたし、話せただろ?けどさあ、違和感なかったわけ?見たことも聞いたこともない言語なはずなのにさ。それって、言語野をいじくられてるからだよ?」
「ふ……ふざけるな。僕は、この世界に来てからずっと、日本語を話している。今だって……」
「あー、それ、認識が歪められてるね。君たち勇者の脳ミソは、いわば高性能翻訳機を内蔵しているんだ。君がニホンゴだと思ってる言葉は、勝手に翻訳されて大陸語になってるんだよ。もちろん今も」
俺は思わず口元を触ってしまった。だけど、そうだ……俺は以前に何度か、どうしてこの世界の文字が読めるんだろうと疑問を抱いたことがあった……あの時は、深く考えなかったけど。けど、俺の脳が、勝手に処理をしていたのか……?
「そんなこと……そんなこと、信じられるか!僕たちは、人間なんだ!コンピューターでも、機械でもない!そんなことが、人間にできるはずがない!」
いや……この世界の魔法なら可能だと、俺は思った。俺は、パロットパローラという、異なる言語を刷り込ませる魔法を知っている……だがそれを知らないクラークは、頑なに認めようとしない。マスカレードはイライラと首を振った。
「あー、そ。別に、信じてもらわなくっても結構だよ。僕は親切心で教えてあげただけなんだから」
「親切だと……!」
「そーだよ。ねえ、君たちさぁ。腹立たしいと思わない?僕だったら、そんな人造兵器みたいな扱い受けたら、まっさきに僕を呼び出した奴を殺してやるね」
「貴様、何を言って……」
「だって、憎いだろ?何様だよってさ。君たち、どこの国の生まれでも、ていうかこの世界の生まれですらないんだよ?それなのに、どうしてこの世界の王様の言うことを聞かなきゃいけないわけ?僕ならふざけるなって思うなぁ。ねえ、二の国の勇者くんなら、分かってくれるんじゃない?」
マスカレードは、俺の方を見た。それは……分からないと言ったら、嘘になる。だから俺は、王城を逃げ出したんだ。
「僕なら、勇者の力を使って、むかつく奴らを全員ぶっ殺してやるなぁ。それで、金を奪って、ついでに女もさらってさ。どこかで楽しく暮らせばいいじゃん。どうせ一度死んでるんだから、もう何やってもいいやって思わない?」
「貴様……そんなことが、許されるとでも」
「許す?誰の許しが必要なわけ?君たちは許したか?自分たちの魂を利用されて、頭ん中までいじくられてもいいって?……ハッ、ばっかじゃないの」
マスカレードは吐き捨てるように言った。
「君たちの世界はどうだったか知らないけどさ、許しなんて、この世には存在しないんだよ。やったもんが勝つ。それが、この世界の決・ま・り・な・の!」
「そ、んなこと……僕は……」
「ねー、もう素直になりなよ。正直に生きればいいじゃんか」
糾弾するようだったマスカレードの声が、急に気味が悪いほど優しくなった。
「せっかく二度目の人生にありつけたんだからさ、好きなことして生きようよ。なんだったら、僕が手伝ってあげてもいいよ?」
「な……ん、だって?」
「僕が君たちを、自由にしてあげるよ」
マスカレードの声は、仮面越しでもわかるくらい、にやついていた。
「僕と一緒に来なよ。僕はどこの国にも属していない。どこの国のしがらみにも捕らわれず、自由に生きていけるよ。もちろん、君たちにもそれなりの協力はしてもらうことになるけどね。でも、王の命令で魔王と戦わされるよりは、ずっとずっとましだろ?」
マスカレードと、いっしょに行く……?奴と一緒に行けば、俺は全てから自由になれる。自由に生きていける。それは、俺がこの世界に来てから、ずっと追い求めていた事じゃないか……
「僕と一緒に、自由を手に入れようよ」
「……僕は、断る」
俺はハッとして、クラークの方を見た。クラークの声は小さく掠れていたが、それでもきっぱりと言い切った。
「貴様は、悪だ。貴様の言っていることは、正しくない。貴様が言っているのは、自由じゃなくて、ただの身勝手だ。そんな奴の誘いに、僕は乗らない」
「……ふーん。正義に反するってやつ?まだそんな、つまらないものに拘るんだ。いいよ、無理にとは言わないから。ただ、後悔しても遅いからね。それじゃ二の国の、君はどうだい?」
マスカレードに問いかけられて、俺は身じろいだ。俺は……俺は……
「俺は……行けない。俺には、仲間との約束がある。あいつらを置いていくことは、できない」
俺がたどたどしく答えると、マスカレードは苛立った様子で舌打ちした。
「あっそ。チッ、とんだ見込み違いだったよ。君たちはもう少し賢いと思ってたけど。ま、これで利用価値がなくなったわけだから、気兼ねなくぶっ殺せるんだけどさ」
がさがさと、マスカレードのいる茂みが揺れる。俺とクラークは身構えたが、クラークは剣を落としていることに気付いていない。まずい、今ここを襲われたら……!
「けどまあ、それはまた今度にするよ。今夜は僕も、戦いに来たわけじゃないからね」
え?どうやらマスカレードは、そのまま後退していっているようだ。思わずほっと息をつく。
「それじゃあね、勇者諸君。せいぜい、操り人形としての生を全うしなよ。きひゃははは!」
奴の狂ったような笑い声は、次第に遠ざかっていき……ついには、聞こえなくなった。元の、静かな夜が戻ってくる……だけど、風の音も、虫の声も、もうただの雑音にしか聞こえなかった。
「……」
「くっ……」
クラークの食いしばった口元から、苦しそうな声が漏れた。やつは今、どんな気持ちなんだろう。けど俺も、彼に気遣う言葉をかける気には、とてもなれなかった。
「……クラークぅ!いるのぉー!」
ん……背後から声が聞こえてくる。やがて、こちらに走ってくる足音も。
「ああ、いた!クラーク、こんなところにいたのね」
はあはあと息を切らしてやってきたのは、ドレスを着たコルルだった。パーティー会場からここまで走ってきたようだ。
「どうしてこんなところにいるの?あんまり遅いから外に出てみたら、どこにもいないんだもの。心配したわ」
「あ、ああ……ごめん……」
「……?でも、それより!大変なことになったのよ!早く戻って来て!」
「コルル……大変なことって……?」
「詳しいことは戻ってから話すけど……ついさっき、フィドラーズグリーン戦線から、皇帝閣下宛てに緊急の連絡が入ったの」
「フィドラーズグリーンから……?」
「ええ。魔王軍が、進軍を再開したの!」
つづく
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