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15章 燃え尽きた松明
1-1 海境《うなさか》
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1-1 海境《うなさか》
「儂には……儂には、時間が……」
夕闇迫る逢魔が時。廃墟と化した塔のふもとで、一人の老人が背中を丸め、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。
老人の名は、ハザール。言語魔法の名士であり、三の国の西方に位置する町、ストーンビレッジを実質的に統治している者でもある。
「まだじゃ……まだ儂は、終わってはおらぬ……」
ハザールは、色の異なる双眸をどんよりと濁らせながら、ひたすら虚空を見つめていた。まるで、そこから何かが現れるのを恐れているかのように。
老魔導士は、左右の瞳の色が異なる、オッドアイの持ち主だった。これは、単なる珍しい特性というだけにとどまらず、“魂が進化した者”の証、すなわち『エンライトメイト』の証という意味もあった。
エンライトメイトは、常人よりもはるかに優れた才覚を持つ。この老魔導士もまた、強い魔力を持った魔法使いだった。
しかし彼は、つい先日、とある一行に敗れた。その一行は、ハザールが今まで見たことも無いような奇妙な術を使い、仕掛けた罠もすべて突破し、そして彼自身をも打ち負かした。ハザールにとって、これほどの大敗を喫するのは、これまでの長い人生でも初めての経験だった。その時の戦いの余波で、ハザールの屋敷は全壊し、塔は崩れ去った。
プライドも財も力も、全てを失ったハザールは、それでもまだ諦め悪く、廃墟にしがみついていた。だが、もはやどうすることもできないのは、彼自身も心の奥底で、認めていることではあった。
「まだ……まだ……」
「いいや。あんたはとっくに終わりだよ、おじいさん」
ハザールは、びくりと肩をすくませた。聞こえてきたのは、宵闇に似つかわしくない、奇妙に明るい声だ。
「だ、だれじゃ!?」
「あれぇ?忘れちゃった?それとも、もうボケちゃったかな」
ざっざと、足音が近づいてくる。がれきの陰から現れたのは、奇妙ないで立ちの人物だった……フードにマント、腰元には剣。そしてなにより、顔を覆う、銀色の仮面。
「おっ、お前は……!」
ハザールは、近づいてくるそいつの姿を見て、きゅっと瞳孔を小さくした。
「よかった、覚えてるみたいだね。久しぶり。どうかな、調子は?」
仮面の人物……もとい、マスカレードは、親し気にハザールへ声を掛けた。一方のハザールは、唇がわなわなと震えている。
「な……なにを、しに……?」
「嫌だなぁ、決まってるじゃないか。あんたの作戦が上手くいったのかどうか、首尾を聞きに来たんだよ」
そう言ってマスカレードは、ざっざっと近づいてくる。そして、すっと指を一本、ハザールの胸元へと向けた。
「そいつを貸し与えたのは、あんたが四属性を物にできるって豪語したからだよ?」
マスカレードが指さしたのは、ハザールが首から下げていた、大きな鱗のような首飾り……竜の逆鱗の首飾りだった。
「それ、もともと僕のだから。おまえにあげたんじゃない。んで?うまくいったの?」
ハザールは唇を震わせながら答えた。
「そ、それは……もちろん……じゃが、あ、あ、あと少しだけ時間をくれんか。あと、もう少しだけあれば……」
「うそつき」
マスカレードの一言で、ハザールの口は凍り付いた。
「ぜーんぶ知ってんの、僕。お前がヘマしたってのも、リトライはできないってのも。お前さぁ、まだ分かってないの?終わってるんだよ、あんた。さっきも言ったでしょ?」
「い、いや……まだ、儂は……」
「あー、もういいよ。よーくわかった。あんたは噓つきだ」
ハザールはしわだらけの顔を土気色にして、ばっと地面にひれ伏した。
「す、すまなかった!噓をついた事は謝る、この通りじゃ!じゃが、もう一度だけ!もう一度だけ機会をくれ!そうすれば、儂は必ず……」
「ざーんねん。遅かったねぇ」
ドスッ。マスカレードは目にも止まらぬ速さで剣を抜き、ぬかずくハザールの背中を刺し貫いた。
「ごっ、お、ぉ……」
真っ黒な刀身が、ハザールの体を串刺しにしている。だが奇妙なことに、そこから血は流れ出なかった。それとは裏腹に、ハザールの全身には、神経を焼き焦がすような痛みが回っていた。あまりの痛みに、ハザールは目から鼻から口から体液を垂れ流し、眼球はぐりんと回って白目をむいた。
「ほんとのこと言うとね、どっちでもよかったんだ。お前が嘘つこうが、正直に話そうがさ」
マスカレードは、自分の足下でもだえ苦しむ老人に、ほとんど興味なさそうな口調で伝える。
「でもさぁ、むかつくよね。嘘つきはドロボーの始まりって言うだろ。お前、僕の逆鱗を盗もうとしたわけ?」
マスカレードは手元の剣を、ぐりぐりと捻る。ハザールはその度にびくんびくんと痙攣したが、もはやその口から出る声は、言葉になっていなかった。
「おい。おい!何とか言えよ!」
マスカレードが剣を深く突き刺すと、ハザールの体がひときわ大きく跳ね、そして動かなくなった。マスカレードは舌打ちして、黒い剣を引き抜く。
「ちっ。さすが、三流は死に際すら汚いね」
マスカレードはハザールの遺体を蹴飛ばして、仰向けにさせた。その首元から逆鱗の首飾りを引きちぎると、もう一度強く蹴っ飛ばした。老人の遺体は四肢を振り乱しながら飛んで行き、がれきの裏にどさりと落ちた。
「さーてと。逆鱗は回収したことだし、僕の任務も終了だけど……」
一人の人間を殺めたことなど気にも留めず、マスカレードはのんびりと周囲の廃墟を見渡す。
「うひゃー、ずいぶん暴れたなぁ。前に会った時より、ますます強くなったみたいだね。……うん、決めた」
銀色の仮面の下で、マスカレードは、にいぃっと笑みを浮かべる。
「また君に会いに行くことにしようかな。二の国の勇者くん?」
ぶるるっ。
「桜下?どうしたの?」
「いや、なんか寒気が……風邪でも引いたかな」
俺が鼻の下をこすると、ライラが心配そうな顔で、こちらをのぞき込んでくる。
「だいじょーぶ?海風に当たりすぎちゃったかな」
「かもな。ま、今は全然平気さ。それにどうせ、今日はやることもないんだし」
そう言って俺は、ベッドに深く腰掛けた。
今俺たちがいるのは、ジェイコブスコーブの港町。そこの“ネッド”という名前の宿の、二階の一室だ。
今朝方、マリカたち元奴隷のヤーダラ族を見送った後、俺たちは泊まっていた宿へと戻ってきた。ここ数週間は、ずーっと走りっぱなしの日々を送ってきたからなぁ。こうしてのんびりできるのも、実に久々だ。
「急ぐ旅でもないんだし、今日一日くらいゆっくりしても、ばちは当たらないよな?」
と言うと、「そうですね」と返してきたのは、金髪金眼の幽霊シスター・ウィルだ。
ウィルは、部屋に置かれたテーブルのそばを、ふよふよと漂っている。彼女の垂れ目がちな目は、一見すると頼りない印象を受けるが、ウィルなしには先日の勝利は成しえなかった。最近は使える魔法も増えてきて、日に日に頼もしくなってきている存在だ。
ウィルの後ろの窓には、銀色の髪と赤い瞳のゾンビ・フランが寄りかかって、潮風に髪をなびかせていた。
彼女はいつだって無表情で、口数も俺たちの中じゃ一番少ない。だけど、冷たい娘ってわけでもないんだ。その証拠に、さっきまで窓の外を見ていたのに、今はこちらを向いているのは、寒気がするって話をしていたからだろう。心配してくれたんだ。
俺の座るベッドのすぐ隣には、赤髪と藤色の瞳のグール・ライラがちょこんと収まっている。
彼女はもともと甘えたがりだったが、先日の老魔導士の一件から、以前に輪をかけて俺にくっつくようになった。彼女が何をされたかを知っている俺は、それを拒むことなく受け入れている。ただ一つ気になるのが、なんだかライラの顔が赤いことが多い気がするんだよな。風邪を引いているのは、ライラの方なんじゃないかと心配になる。後日この話をウィルにしたら、呆れた顔をされてしまったけれど。
窓とは反対側の壁に寄りかかっているのは、黒髪と灰色の瞳のヴァンパイア・アルルカだ。
彼女は潮風が嫌いなので、窓からできるだけ離れている。以前は怪物としての本性を隠そうともしていなかったアルルカだが、先日の戦いでは八面六臂の活躍を見せてくれた。ようやく仲間意識らしいものが芽生え始めたようで、主としては嬉しい限りだ。
そして最後に、戸口の扉の前には鎧の首なし騎士・エラゼムが、背筋をしゃんと伸ばして立っている。真面目な彼は、一瞬たりともだらけるそぶりを見せない。アンデッドは疲れ知らずなので、放っておけば四六時中ああしていそうだ。彼は頼もしい従者であると同時に、俺の剣の師匠でもあった。
「さて……ふわーあ。早起きしたから、俺はちょこっと寝ようかな。みんなはどうする?」
「ライラは、桜下といっしょにいるね」
ライラは、俺の隣にころんと横になった。フランは一言だけ、「ここにいる」と告げる。アルルカはなにも言わないが、出て行く気配はなさそうだ。
「では……吾輩は、町を出歩いてきてもよろしいでしょうか」
「あ、じゃあ私も、出てこようかな」
エラゼムとウィルは、町を見てくるそうだ。エラゼムは城主を、ウィルは自分の父親を捜しているから、それの聞き込みも兼ねているんだろう。俺は二人を見送り、海鳥の声を子守唄にしながら、ひと眠りした。
次に目が覚めた時、窓から見える太陽は、ほぼ真上に昇っていた。腹時計がぐぅとなっているから、ちょうどお昼時だろう。ぐ~っと伸びをする。
「桜下さん、目が覚めました?」
「ん?あれ、ウィル。帰ってきてたのか」
出かけて行ったはずのウィルは、ベッドわきにふわふわ浮かんでいた。もっとゆっくりしてくると思っていたのに、ずいぶん早いな。
ベッドから起き上がると、まだライラはすやすや寝息を立てていた。ふぅむ、俺だけが寝過ごしたってわけでもなさそうだな。それなら、ウィルの方になんかあったのか?
彼女の方を見ると、なぜだか、妙にそわそわしている。
「あ、え、ええ。なんて言うか、ちょっと思うところがありまして……」
「思うところ?」
「は、はい……あの、ところで!桜下さん、前にした話って、覚えてますか?」
あん?いきなり話題が変わったな。ウィル自身、そうとうテンパっているのか、いつなんの話かを言うのを忘れている。
「……ウィル、なに焦ってんだ?ひょっとして、何か企んでる?」
「え?ちち、ちがいますよ!」
「あやしい……いたずらのつもりか?引っかからないぞ」
「う、うぅ……」
ウィルはたじたじになってしまった。わはは、普段からかわれている仕返しだ。
なんて思っていたら、ウィルはじわりと、目もとに涙を浮かべたじゃないか。俺はびっくり仰天した。
「え!?うぃ、ウィル、何も泣くことないだろ。そんなに悔しかったのか?」
「ち、違います。だって、だって……」
ウィルはしくしくとべそをかいている。え、えぇー?俺、そんなに酷い事したかなぁ?ウィルがしくしく、俺がおろおろしていると、おっきなため息をついて、フランが近づいてきた。
「はぁ~。何やってんの、二人とも」
「ふ、フラン」
「フランさん……」
「いい?あなたこの前、ウィルと約束したんでしょ」
フランにそう振られて、俺はようやく思い至った。
「あ、ああ。あれか、なんかプレゼントするってやつ?」
「そう。ウィルは今、その話をしようとしてたの。けど緊張しちゃって、だからあんな無様なことになってたわけ」
「ぶざま……」と、ウィルがショックを受けているけど……フランは気にせずに、話を続ける。
「で、ウィルはあなたと、デートしたいんだって」
「へー、デートか。でーと……はぁ?」
「……」
ウィルは、今度は真っ赤になって、うつむいている。デートって、あの?いや、どのデートがあるんだよって話だけど……
「だって……物じゃないじゃないか」
「そうだけど、ウィルはそれがいいんだって。お金もかからないし、そもそもアクセサリーとかじゃ、幽霊が持ち歩くには向かないでしょ」
ああ、それは確かに……普通の人には、ウィルの姿は見えない。はたから見たら、アクセサリーが宙に浮いているように見えるはずだ。ううむ、そこまでは考えていなかった。
「それで、デートか……」
「そう。だから早めに切り上げて、戻ってきたんだって。どうせなら、あなたと一緒に見て回りたかったんだってさ」
う。な、なんだよそれ……だからウィルは、ずっと俺が起きるのを、ベッドのそばで待っていたのか?俺は不覚にも、胸がきゅんとうずくのを感じた。
「どうせお昼時だし、ついでに外で済ませてきたら?」
「あ、お、おう……それも、いいな」
「だって。ウィル、聞いてた?よかったね」
「は、は、はい……そう、ですね……」
ウィルは今や、絞れば真っ赤な汁がポタポタ垂れそうなほど赤くなっている。お、俺だって恥ずかしいんだぞ。ウィルに直接言われるならともかく、フランにこうも淡々と仲介されると……
「すみません、フランさん……」
ウィルもさすがに申し訳ないのか、へにゃへにゃと頭を下げる。
「いいよ、そういう約束だし。でも、あんまり世話焼かせないでよ」
「はい……今後気を付けます」
約束って、あれか……お互い抜け駆けしない、平等にってやつ。俺がこっそり聞いてしまった、フランとウィルの間の条約だ。
「えっと、じゃあ……桜下さん、行きましょっか」
「あ、は、はい。よろしく、お願いします……」
我ながら、ぎこちねぇ……俺とウィルは、互いにギクシャクしながら、部屋を出て行った。後ろから、フランのため息がまた聞こえてきた気がするけど、気にしないことにするぞ。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「儂には……儂には、時間が……」
夕闇迫る逢魔が時。廃墟と化した塔のふもとで、一人の老人が背中を丸め、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。
老人の名は、ハザール。言語魔法の名士であり、三の国の西方に位置する町、ストーンビレッジを実質的に統治している者でもある。
「まだじゃ……まだ儂は、終わってはおらぬ……」
ハザールは、色の異なる双眸をどんよりと濁らせながら、ひたすら虚空を見つめていた。まるで、そこから何かが現れるのを恐れているかのように。
老魔導士は、左右の瞳の色が異なる、オッドアイの持ち主だった。これは、単なる珍しい特性というだけにとどまらず、“魂が進化した者”の証、すなわち『エンライトメイト』の証という意味もあった。
エンライトメイトは、常人よりもはるかに優れた才覚を持つ。この老魔導士もまた、強い魔力を持った魔法使いだった。
しかし彼は、つい先日、とある一行に敗れた。その一行は、ハザールが今まで見たことも無いような奇妙な術を使い、仕掛けた罠もすべて突破し、そして彼自身をも打ち負かした。ハザールにとって、これほどの大敗を喫するのは、これまでの長い人生でも初めての経験だった。その時の戦いの余波で、ハザールの屋敷は全壊し、塔は崩れ去った。
プライドも財も力も、全てを失ったハザールは、それでもまだ諦め悪く、廃墟にしがみついていた。だが、もはやどうすることもできないのは、彼自身も心の奥底で、認めていることではあった。
「まだ……まだ……」
「いいや。あんたはとっくに終わりだよ、おじいさん」
ハザールは、びくりと肩をすくませた。聞こえてきたのは、宵闇に似つかわしくない、奇妙に明るい声だ。
「だ、だれじゃ!?」
「あれぇ?忘れちゃった?それとも、もうボケちゃったかな」
ざっざと、足音が近づいてくる。がれきの陰から現れたのは、奇妙ないで立ちの人物だった……フードにマント、腰元には剣。そしてなにより、顔を覆う、銀色の仮面。
「おっ、お前は……!」
ハザールは、近づいてくるそいつの姿を見て、きゅっと瞳孔を小さくした。
「よかった、覚えてるみたいだね。久しぶり。どうかな、調子は?」
仮面の人物……もとい、マスカレードは、親し気にハザールへ声を掛けた。一方のハザールは、唇がわなわなと震えている。
「な……なにを、しに……?」
「嫌だなぁ、決まってるじゃないか。あんたの作戦が上手くいったのかどうか、首尾を聞きに来たんだよ」
そう言ってマスカレードは、ざっざっと近づいてくる。そして、すっと指を一本、ハザールの胸元へと向けた。
「そいつを貸し与えたのは、あんたが四属性を物にできるって豪語したからだよ?」
マスカレードが指さしたのは、ハザールが首から下げていた、大きな鱗のような首飾り……竜の逆鱗の首飾りだった。
「それ、もともと僕のだから。おまえにあげたんじゃない。んで?うまくいったの?」
ハザールは唇を震わせながら答えた。
「そ、それは……もちろん……じゃが、あ、あ、あと少しだけ時間をくれんか。あと、もう少しだけあれば……」
「うそつき」
マスカレードの一言で、ハザールの口は凍り付いた。
「ぜーんぶ知ってんの、僕。お前がヘマしたってのも、リトライはできないってのも。お前さぁ、まだ分かってないの?終わってるんだよ、あんた。さっきも言ったでしょ?」
「い、いや……まだ、儂は……」
「あー、もういいよ。よーくわかった。あんたは噓つきだ」
ハザールはしわだらけの顔を土気色にして、ばっと地面にひれ伏した。
「す、すまなかった!噓をついた事は謝る、この通りじゃ!じゃが、もう一度だけ!もう一度だけ機会をくれ!そうすれば、儂は必ず……」
「ざーんねん。遅かったねぇ」
ドスッ。マスカレードは目にも止まらぬ速さで剣を抜き、ぬかずくハザールの背中を刺し貫いた。
「ごっ、お、ぉ……」
真っ黒な刀身が、ハザールの体を串刺しにしている。だが奇妙なことに、そこから血は流れ出なかった。それとは裏腹に、ハザールの全身には、神経を焼き焦がすような痛みが回っていた。あまりの痛みに、ハザールは目から鼻から口から体液を垂れ流し、眼球はぐりんと回って白目をむいた。
「ほんとのこと言うとね、どっちでもよかったんだ。お前が嘘つこうが、正直に話そうがさ」
マスカレードは、自分の足下でもだえ苦しむ老人に、ほとんど興味なさそうな口調で伝える。
「でもさぁ、むかつくよね。嘘つきはドロボーの始まりって言うだろ。お前、僕の逆鱗を盗もうとしたわけ?」
マスカレードは手元の剣を、ぐりぐりと捻る。ハザールはその度にびくんびくんと痙攣したが、もはやその口から出る声は、言葉になっていなかった。
「おい。おい!何とか言えよ!」
マスカレードが剣を深く突き刺すと、ハザールの体がひときわ大きく跳ね、そして動かなくなった。マスカレードは舌打ちして、黒い剣を引き抜く。
「ちっ。さすが、三流は死に際すら汚いね」
マスカレードはハザールの遺体を蹴飛ばして、仰向けにさせた。その首元から逆鱗の首飾りを引きちぎると、もう一度強く蹴っ飛ばした。老人の遺体は四肢を振り乱しながら飛んで行き、がれきの裏にどさりと落ちた。
「さーてと。逆鱗は回収したことだし、僕の任務も終了だけど……」
一人の人間を殺めたことなど気にも留めず、マスカレードはのんびりと周囲の廃墟を見渡す。
「うひゃー、ずいぶん暴れたなぁ。前に会った時より、ますます強くなったみたいだね。……うん、決めた」
銀色の仮面の下で、マスカレードは、にいぃっと笑みを浮かべる。
「また君に会いに行くことにしようかな。二の国の勇者くん?」
ぶるるっ。
「桜下?どうしたの?」
「いや、なんか寒気が……風邪でも引いたかな」
俺が鼻の下をこすると、ライラが心配そうな顔で、こちらをのぞき込んでくる。
「だいじょーぶ?海風に当たりすぎちゃったかな」
「かもな。ま、今は全然平気さ。それにどうせ、今日はやることもないんだし」
そう言って俺は、ベッドに深く腰掛けた。
今俺たちがいるのは、ジェイコブスコーブの港町。そこの“ネッド”という名前の宿の、二階の一室だ。
今朝方、マリカたち元奴隷のヤーダラ族を見送った後、俺たちは泊まっていた宿へと戻ってきた。ここ数週間は、ずーっと走りっぱなしの日々を送ってきたからなぁ。こうしてのんびりできるのも、実に久々だ。
「急ぐ旅でもないんだし、今日一日くらいゆっくりしても、ばちは当たらないよな?」
と言うと、「そうですね」と返してきたのは、金髪金眼の幽霊シスター・ウィルだ。
ウィルは、部屋に置かれたテーブルのそばを、ふよふよと漂っている。彼女の垂れ目がちな目は、一見すると頼りない印象を受けるが、ウィルなしには先日の勝利は成しえなかった。最近は使える魔法も増えてきて、日に日に頼もしくなってきている存在だ。
ウィルの後ろの窓には、銀色の髪と赤い瞳のゾンビ・フランが寄りかかって、潮風に髪をなびかせていた。
彼女はいつだって無表情で、口数も俺たちの中じゃ一番少ない。だけど、冷たい娘ってわけでもないんだ。その証拠に、さっきまで窓の外を見ていたのに、今はこちらを向いているのは、寒気がするって話をしていたからだろう。心配してくれたんだ。
俺の座るベッドのすぐ隣には、赤髪と藤色の瞳のグール・ライラがちょこんと収まっている。
彼女はもともと甘えたがりだったが、先日の老魔導士の一件から、以前に輪をかけて俺にくっつくようになった。彼女が何をされたかを知っている俺は、それを拒むことなく受け入れている。ただ一つ気になるのが、なんだかライラの顔が赤いことが多い気がするんだよな。風邪を引いているのは、ライラの方なんじゃないかと心配になる。後日この話をウィルにしたら、呆れた顔をされてしまったけれど。
窓とは反対側の壁に寄りかかっているのは、黒髪と灰色の瞳のヴァンパイア・アルルカだ。
彼女は潮風が嫌いなので、窓からできるだけ離れている。以前は怪物としての本性を隠そうともしていなかったアルルカだが、先日の戦いでは八面六臂の活躍を見せてくれた。ようやく仲間意識らしいものが芽生え始めたようで、主としては嬉しい限りだ。
そして最後に、戸口の扉の前には鎧の首なし騎士・エラゼムが、背筋をしゃんと伸ばして立っている。真面目な彼は、一瞬たりともだらけるそぶりを見せない。アンデッドは疲れ知らずなので、放っておけば四六時中ああしていそうだ。彼は頼もしい従者であると同時に、俺の剣の師匠でもあった。
「さて……ふわーあ。早起きしたから、俺はちょこっと寝ようかな。みんなはどうする?」
「ライラは、桜下といっしょにいるね」
ライラは、俺の隣にころんと横になった。フランは一言だけ、「ここにいる」と告げる。アルルカはなにも言わないが、出て行く気配はなさそうだ。
「では……吾輩は、町を出歩いてきてもよろしいでしょうか」
「あ、じゃあ私も、出てこようかな」
エラゼムとウィルは、町を見てくるそうだ。エラゼムは城主を、ウィルは自分の父親を捜しているから、それの聞き込みも兼ねているんだろう。俺は二人を見送り、海鳥の声を子守唄にしながら、ひと眠りした。
次に目が覚めた時、窓から見える太陽は、ほぼ真上に昇っていた。腹時計がぐぅとなっているから、ちょうどお昼時だろう。ぐ~っと伸びをする。
「桜下さん、目が覚めました?」
「ん?あれ、ウィル。帰ってきてたのか」
出かけて行ったはずのウィルは、ベッドわきにふわふわ浮かんでいた。もっとゆっくりしてくると思っていたのに、ずいぶん早いな。
ベッドから起き上がると、まだライラはすやすや寝息を立てていた。ふぅむ、俺だけが寝過ごしたってわけでもなさそうだな。それなら、ウィルの方になんかあったのか?
彼女の方を見ると、なぜだか、妙にそわそわしている。
「あ、え、ええ。なんて言うか、ちょっと思うところがありまして……」
「思うところ?」
「は、はい……あの、ところで!桜下さん、前にした話って、覚えてますか?」
あん?いきなり話題が変わったな。ウィル自身、そうとうテンパっているのか、いつなんの話かを言うのを忘れている。
「……ウィル、なに焦ってんだ?ひょっとして、何か企んでる?」
「え?ちち、ちがいますよ!」
「あやしい……いたずらのつもりか?引っかからないぞ」
「う、うぅ……」
ウィルはたじたじになってしまった。わはは、普段からかわれている仕返しだ。
なんて思っていたら、ウィルはじわりと、目もとに涙を浮かべたじゃないか。俺はびっくり仰天した。
「え!?うぃ、ウィル、何も泣くことないだろ。そんなに悔しかったのか?」
「ち、違います。だって、だって……」
ウィルはしくしくとべそをかいている。え、えぇー?俺、そんなに酷い事したかなぁ?ウィルがしくしく、俺がおろおろしていると、おっきなため息をついて、フランが近づいてきた。
「はぁ~。何やってんの、二人とも」
「ふ、フラン」
「フランさん……」
「いい?あなたこの前、ウィルと約束したんでしょ」
フランにそう振られて、俺はようやく思い至った。
「あ、ああ。あれか、なんかプレゼントするってやつ?」
「そう。ウィルは今、その話をしようとしてたの。けど緊張しちゃって、だからあんな無様なことになってたわけ」
「ぶざま……」と、ウィルがショックを受けているけど……フランは気にせずに、話を続ける。
「で、ウィルはあなたと、デートしたいんだって」
「へー、デートか。でーと……はぁ?」
「……」
ウィルは、今度は真っ赤になって、うつむいている。デートって、あの?いや、どのデートがあるんだよって話だけど……
「だって……物じゃないじゃないか」
「そうだけど、ウィルはそれがいいんだって。お金もかからないし、そもそもアクセサリーとかじゃ、幽霊が持ち歩くには向かないでしょ」
ああ、それは確かに……普通の人には、ウィルの姿は見えない。はたから見たら、アクセサリーが宙に浮いているように見えるはずだ。ううむ、そこまでは考えていなかった。
「それで、デートか……」
「そう。だから早めに切り上げて、戻ってきたんだって。どうせなら、あなたと一緒に見て回りたかったんだってさ」
う。な、なんだよそれ……だからウィルは、ずっと俺が起きるのを、ベッドのそばで待っていたのか?俺は不覚にも、胸がきゅんとうずくのを感じた。
「どうせお昼時だし、ついでに外で済ませてきたら?」
「あ、お、おう……それも、いいな」
「だって。ウィル、聞いてた?よかったね」
「は、は、はい……そう、ですね……」
ウィルは今や、絞れば真っ赤な汁がポタポタ垂れそうなほど赤くなっている。お、俺だって恥ずかしいんだぞ。ウィルに直接言われるならともかく、フランにこうも淡々と仲介されると……
「すみません、フランさん……」
ウィルもさすがに申し訳ないのか、へにゃへにゃと頭を下げる。
「いいよ、そういう約束だし。でも、あんまり世話焼かせないでよ」
「はい……今後気を付けます」
約束って、あれか……お互い抜け駆けしない、平等にってやつ。俺がこっそり聞いてしまった、フランとウィルの間の条約だ。
「えっと、じゃあ……桜下さん、行きましょっか」
「あ、は、はい。よろしく、お願いします……」
我ながら、ぎこちねぇ……俺とウィルは、互いにギクシャクしながら、部屋を出て行った。後ろから、フランのため息がまた聞こえてきた気がするけど、気にしないことにするぞ。
つづく
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