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16章 奪われた姫君
8-5
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8-5
窯が並ぶ工房へ戻ってくると、すぐに向こうからフランがやって来た。
「フラン。よく分かったな」
「音がしたから。もう済んだの?」
「ん、ああ……まあ、訊きたいことは聞けた。トビーは?」
「向こうで火の番してる」
「そっか。じゃ、そろそろ戻ろう。邪魔しても悪いし」
フランはこくんとうなずくと、俺の隣に並んだ。出口へ向かう途中、窯の前で薪を抱えているトビーと目が合った。けどやつは、俺の顔を見ると、思いっきりあかんべーをしてきやがった。
「ばーかっ!ぜってーお前より、いい男になってやるー!」
「は、はぁ?」
ったく、なんなんだ?結局あいつが俺を嫌う理由は、最後まで分からなかったな。
ガラス工房の外に出ると、ぞくぞくする風が全身を撫でた。
「うぅぅ、寒い!」
熱気ある工房にいたから、寒暖差がより身に染みる。それに、かっかと熱くなるようなこともあったしな。冷たい夜風が、のぼせた頭を冷やしてくれるようだ。
「はっくしょ!うぅ。夜も更けたし、ぼつぼつ戻ろうか。デュアン、お前は?」
俺はデュアンを振り返る。やつも寒そうに腕を抱えていたが、なにか思いつめたような表情をしている。
「……僕も、馬車に帰ります。ただ……」
「ただ?」
「……くっ。なんで僕がこんなことを……いやしかし……」
なんだ?デュアンはしきりにぶつぶつ言っている。どうでもいいけど、言うなら言うでさっさとしてくれないかな。寒いんだってば。
「なあデュアン。このままいくと、俺たち朝を迎えられなくなるぜ?」
「あぁ、まったく!君があまりにもデリカシーに欠けていそうだから、教えてあげます!」
デュアンがびしっと、俺の鼻先に指を突き付けてくる。
「桜下くん!今夜は、ウィルさんを慰めてあげてくださいよ!」
「へ?」「はい?」
俺とウィルが、同時にすっとんきょうな声を上げた。
「実の父親があんなんで、彼女はきっと傷ついているはずです。他に適任が見つからないから、君がやりなさい。本当は君みたいなガサツな男より、もっといい人に頼みたいところですが……」
「う、うるさいな。って、そうじゃなくて」
「四の五の言わない!いいですか、頼みましたからね。それでは!」
デュアンは言うだけ言うと、ローブの裾をバタバタ振りながら、大股で歩いて行ってしまった。俺たちはぽかんとその背中を見送る。
「何考えてるの、あいつ」
フランが眉根を寄せて言う。
「それに、あんな父親って。ウィル、そんな人だったの?」
「ええ、まあ……だいたい想像通り、でしたかね」
「そう……あんまり気を落とさないでね。父親なんて、ただの種馬に過ぎないんだから」
「あ、あはは……」
フランが言うと、説得力があるな。フランの父もまた、ろくでなし野郎だ。
「……けどまあ、わたしより、あなたのほうがいいか」
うん?フランはとんっと一歩前にジャンプすると、くるりと俺たちを振り返る。
「あんまり遅くなると、風邪ひくからね。それじゃ」
それだけ言い残すと、フランはきびすを返して、一人で帰って行ってしまった。
「ありゃ、なんだ?」
「気を遣ってくれた……って、ことですかね」
すると、俺とウィル、二人きりにしてくれたってわけか?デュアンが捨て台詞で言った通りに。
「……せっかくだから、ちょっとその辺、歩いてくか?」
俺が提案すると、ウィルがこちらをきょとんと見つめた。
「いいんですか?」
「まあ、よければだけど。いろいろあったし、整理したいならさ」
ウィルはぱちぱちまばたきした後、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、お願いします」
俺とウィルは、とりあえず工房とは別の方角の、村の外れへと向かった。もうみんな寝静まっているだろうけど、幽霊と二人きりのところを、誰かに見られても面倒だ。
「それにしても、暗いですね。少し待っていてください」
そう言うと、ウィルはぶつぶつと呪文を唱え始めた。
「ファイアフライ」
ポンポンポン。俺たちの周りに、蛍光色の火の玉が浮かび上がった。
「お、こりゃいいな。明るいし、なによりあったかいよ」
「桜下さん、寒くないですか?無理はしないでくださいね」
「ああ。なに、これくらい平気だよ」
と、強がったはいいものの、じっとしているとさすがに凍えそうだ。俺は体を冷やさないためにも、とりあえず足を動かした。
しばらく進むと、急にのっそりとした背の高い影が、無数に見えてきた。一瞬びくっとしたけど、なんてことはない。それはヤシやサボテンの木だった。砂漠に木なんてほとんど生えてないから、ひさびさで驚いてしまった。耳をすませば、かすかにだけど水の音が聞こえる。近くを川が流れていて、だから植物がこんなに多いのだろう。不思議なのは、水辺に近づくと、かえって暖かくなった気がしたこと。なんでだろ?空気が湿ったからかな。
「……」
サアアァァ。サラサラサラ。木々と水音が、程よく俺たちを隠してくれる。蛍光色の火の玉に照らされる草木を眺めながら、俺は口を開いた。
「ウィルはさ」
「はい?」
「ウィルは、あんまり怒んないんだな」
「え?そう、見えますか?」
「俺から見たら、な」
ウィリアムのところから引き揚げてきて今まで、ウィルはずっと冷静だったように見えた。多少はショックを受けていたようだけど、俺やデュアンのように、怒りをあらわにすることはなかった。
「うーんと、そうですね。腹が立たなかったわけではないんですよ。ただ、私が怒るよりも先に、お二人が十分怒ってくれたので」
「うっ。ほんとうに、余計な真似を……」
「いえ、本当に気にしてはいないんです。むしろ、私も少し驚いています。もっと怒ってもいいのにって、自分でも思いますけど。今は不思議と、ちっとも心がざわつかないんですよ」
ウィルはそう言うと、自分の胸を押さえた。
「結構緊張していたんですけどね。もしひどいことを言われて、落ち込んだらどうしようって。でも、全然平気でした。ただ、ああそうだったんだなぁって感じで」
「……すごいな、ウィルは。大人なんだ」
すると、ウィルはゆるゆると首を振った。
「ぜんぜん、そんなんじゃありませんよ。元々、ロクでもない人だとは思ってましたから。だからだと思います」
「ああ、子どもを捨てるような親だから……」
「いえ、それもそうですけど。でも、やむを得ない事情で、神殿に子どもを置いてく人は意外といるんです。もし私の両親がそうで、涙ながらに後悔しているなんて言われてたら、私も泣いてたかも。ただ、あの人はそういうんじゃないだろうって確信はありました」
「え、どうして?」
「だって、あの人は……このロッドを、置いていったんです」
ウィルは自分の手の中のロッドに視線を落とす。
「考えてもみてください。子どもを手放すような切迫した家庭に、こんなものがあると思いますか?重くて実用性もない、はっきり言って役立たずのゴミです。早々に売り払うか捨てるかで、大事に取っておく理由はないはずでしょう」
「まあ……そうだな」
「それでも、まだ小さなころは、希望が持てました。このロッドが代々の家宝だとか、実はとても高価なもので、養育費代わりに置いて行ったんだとか思いましたから。でも、じきにそんなことはなかったと知りました」
ああ、それは以前、ウィル自身の口から聞いた。あのロッドは、安物だと。
「金はメッキ、宝石はガラス。古くから受け継いだにしてはあまりにもピカピカ。つまりこれは、完全に趣味の品だったってことです。そんな物と一緒に置いて行かれたってことは、つまりはこう言う事ですよ。……私は、厄介払いをされたんだと」
ウィルは、ふぅっと深いため息をつく。
「……その当時は、ずいぶんとショックだったことを覚えています。その頃から、父への恨みが募っていったんだろうなって」
「ウィル……」
俺は思わず、ウィルの手を握っていた。ウィルはちょっと驚いた顔をしていたけど、すぐに手を握り返してくれた。
「だからむしろ、あの人はイメージ通りでした。イメージよりもう一回りくらいどうしようもない人でしたが……けど、悪い人ではなさそうでよかったです」
「悪い人じゃ、ない?」と、俺は驚いてしまった。
「ええ。桜下さんも、感じませんでしたか?あの人、悪気や悪意は微塵もないんです。ただ当たり前のように、私を捨てていったんですよ。さっきのお話の最中も、私を故意に傷つけようだとかって感じは、全くなかったじゃないですか」
う……そう言われれば、そうかもしれないが。俺にはむしろ、開き直っているようにも見えたけど。
「あの人は、ああいう、根っからのどうしようもない人間だったんです。むしろ、よかったのかもしれませんね。あんな人と一緒だったら、私までああなっていたかも。それに、コマース村のみんなや、神殿の方たち……なにより、桜下さんに出会えましたから」
どきり。なんだか気恥ずかしくなって、ウィルから半歩体を離す。するとむしろ体を寄せてきて、つないだ手をぐっと引っ張られた。
「う、ウィル……」
「い、いいじゃないですか。今夜くらい……けど、そう考えると、なんだか不思議ですね」
「うん?」
ウィルは昔を思い出すように、夜空を見上げる。
「あの時、桜下さんたちが村に来なかったら。神殿に私一人じゃなかったら。桜下さんに誘われた時に断っていたら。今ここに、私はいないんでしょうね」
「そうだな。不思議なもんだよ、巡り合わせってのは」
「ええ。ふふ、今だから言えますけど、出会ったばかりのころは私、まさかこの人を好きになるとは思ってもみませんでしたよ」
「え、ええ?」
「だって、年下のくせに妙になまいきだし、やることはいっつも大胆だし……」
「そ、そんなこと言ったらウィルだって!酒は飲むし、口は悪いし、とんでもない不良シスターだと思ってた」
「ひ、ひどいです!そんな風に思ってたんですか!」
「ウィルが初めに言い出したんだろ!」
ウィルはぷくーっとむくれた後、ぷははっと笑った。俺も笑った。よかった、思ったよりは元気そうだ。
「ね、桜下さん。桜下さんって、私のどんなところを好きになってくれたんですか?」
「は、はぁ?」
「いい機会だし、聞いておこうと思って。桜下さん、言ってくれたことないですよね?」
「そ、そうかな……いや、あるだろ。王都で」
「あ、あれはお付き合いする前でしょう?ノーカンです!」
そういうものなのか?納得はいかないが……まあ、ご希望に沿ってやるか。こんな夜くらいはな。
「そうだなぁ……たぶん、一番の理由は……ウィルが、泣いてるところ、かな?」
「え……」
「あっちが、そういう意味じゃないぞ!」
ウィルはドン引きした顔で、さっと体を離した。そのくせ、手は放そうとしないんだもんな。ったく。
「その、ウィルって基本大人だし、やっぱり敵わないなって感じることも多いんだけど。でもそのくせ、時々びっくりするくらい脆く見えるんだ」
「も、脆い……でも、否定はできない、か」
「まあ、そんなだから、ほっとけなくてな。ウィルって自分が弱ってる時でも、誰かにあんまり頼ろうとしないからさ。こっちからちょっかいかけに行くしかないんだ。きっかけは、そんな感じだと思う」
「ふ、ふぅ~ん……」
「……なんだよ。自分から訊いたんだから、そんなに恥ずかしがるなよな」
「う、うるさいですよ!見ないでください……」
あはは。ウィルはフードの端を引っ張って、赤くなった顔を隠した。
「そういやさ、さっき、どうして名前の由来を訊こうと思ったんだ?」
「え?ああ、あれですか。前にプリースティス様にも、同じことを訊いた事があったんです。でも、どんなに訊いても教えてくれなかったんですよね。だから気になっていたんです」
「ああ……ウィルのこと、傷つけないようにしてくれたんだな」
「そう思います。いつもガミガミ厳しいくせに、肝心なところで優しいんだから……やっぱり一度、謝っておきたかったです。もう無理ですけど」
「ん、そんなこともないんじゃないか」
「え?」
ウィルがきょとんとして、まじまじとこちらを見つめる。
「筆談でもなんでも、やりようはあるだろ。デュアンの時みたく、あの筒を使ってもいいし」
「それは、そう、ですけど」
「だろ?全部のごたごたが片付いたら、顔を見せに行こうか。きっとウッドたちも、首を長くして待ってるって」
「でも……迷惑じゃ」
「俺が?まさか。ウィルが行きたいってんなら、俺は全力で協力するぜ」
「……」
どんっ。
「わっ。ウィル?」
胸を見下ろす。さらさらの金の髪が、俺の首元に当たっている。
「……やっぱり、よかったです。あの時、一緒に行こうって、そう決めて……」
「ウィル……」
「……ぃすきです、おうかさん……」
ウィルがこちらを見上げる。潤んだ瞳が、金色の満月のように闇夜に浮かんでいる……ここなら、誰にも見られることもないだろう……
俺はウィルに、そっと口づけした。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「フラン。よく分かったな」
「音がしたから。もう済んだの?」
「ん、ああ……まあ、訊きたいことは聞けた。トビーは?」
「向こうで火の番してる」
「そっか。じゃ、そろそろ戻ろう。邪魔しても悪いし」
フランはこくんとうなずくと、俺の隣に並んだ。出口へ向かう途中、窯の前で薪を抱えているトビーと目が合った。けどやつは、俺の顔を見ると、思いっきりあかんべーをしてきやがった。
「ばーかっ!ぜってーお前より、いい男になってやるー!」
「は、はぁ?」
ったく、なんなんだ?結局あいつが俺を嫌う理由は、最後まで分からなかったな。
ガラス工房の外に出ると、ぞくぞくする風が全身を撫でた。
「うぅぅ、寒い!」
熱気ある工房にいたから、寒暖差がより身に染みる。それに、かっかと熱くなるようなこともあったしな。冷たい夜風が、のぼせた頭を冷やしてくれるようだ。
「はっくしょ!うぅ。夜も更けたし、ぼつぼつ戻ろうか。デュアン、お前は?」
俺はデュアンを振り返る。やつも寒そうに腕を抱えていたが、なにか思いつめたような表情をしている。
「……僕も、馬車に帰ります。ただ……」
「ただ?」
「……くっ。なんで僕がこんなことを……いやしかし……」
なんだ?デュアンはしきりにぶつぶつ言っている。どうでもいいけど、言うなら言うでさっさとしてくれないかな。寒いんだってば。
「なあデュアン。このままいくと、俺たち朝を迎えられなくなるぜ?」
「あぁ、まったく!君があまりにもデリカシーに欠けていそうだから、教えてあげます!」
デュアンがびしっと、俺の鼻先に指を突き付けてくる。
「桜下くん!今夜は、ウィルさんを慰めてあげてくださいよ!」
「へ?」「はい?」
俺とウィルが、同時にすっとんきょうな声を上げた。
「実の父親があんなんで、彼女はきっと傷ついているはずです。他に適任が見つからないから、君がやりなさい。本当は君みたいなガサツな男より、もっといい人に頼みたいところですが……」
「う、うるさいな。って、そうじゃなくて」
「四の五の言わない!いいですか、頼みましたからね。それでは!」
デュアンは言うだけ言うと、ローブの裾をバタバタ振りながら、大股で歩いて行ってしまった。俺たちはぽかんとその背中を見送る。
「何考えてるの、あいつ」
フランが眉根を寄せて言う。
「それに、あんな父親って。ウィル、そんな人だったの?」
「ええ、まあ……だいたい想像通り、でしたかね」
「そう……あんまり気を落とさないでね。父親なんて、ただの種馬に過ぎないんだから」
「あ、あはは……」
フランが言うと、説得力があるな。フランの父もまた、ろくでなし野郎だ。
「……けどまあ、わたしより、あなたのほうがいいか」
うん?フランはとんっと一歩前にジャンプすると、くるりと俺たちを振り返る。
「あんまり遅くなると、風邪ひくからね。それじゃ」
それだけ言い残すと、フランはきびすを返して、一人で帰って行ってしまった。
「ありゃ、なんだ?」
「気を遣ってくれた……って、ことですかね」
すると、俺とウィル、二人きりにしてくれたってわけか?デュアンが捨て台詞で言った通りに。
「……せっかくだから、ちょっとその辺、歩いてくか?」
俺が提案すると、ウィルがこちらをきょとんと見つめた。
「いいんですか?」
「まあ、よければだけど。いろいろあったし、整理したいならさ」
ウィルはぱちぱちまばたきした後、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、お願いします」
俺とウィルは、とりあえず工房とは別の方角の、村の外れへと向かった。もうみんな寝静まっているだろうけど、幽霊と二人きりのところを、誰かに見られても面倒だ。
「それにしても、暗いですね。少し待っていてください」
そう言うと、ウィルはぶつぶつと呪文を唱え始めた。
「ファイアフライ」
ポンポンポン。俺たちの周りに、蛍光色の火の玉が浮かび上がった。
「お、こりゃいいな。明るいし、なによりあったかいよ」
「桜下さん、寒くないですか?無理はしないでくださいね」
「ああ。なに、これくらい平気だよ」
と、強がったはいいものの、じっとしているとさすがに凍えそうだ。俺は体を冷やさないためにも、とりあえず足を動かした。
しばらく進むと、急にのっそりとした背の高い影が、無数に見えてきた。一瞬びくっとしたけど、なんてことはない。それはヤシやサボテンの木だった。砂漠に木なんてほとんど生えてないから、ひさびさで驚いてしまった。耳をすませば、かすかにだけど水の音が聞こえる。近くを川が流れていて、だから植物がこんなに多いのだろう。不思議なのは、水辺に近づくと、かえって暖かくなった気がしたこと。なんでだろ?空気が湿ったからかな。
「……」
サアアァァ。サラサラサラ。木々と水音が、程よく俺たちを隠してくれる。蛍光色の火の玉に照らされる草木を眺めながら、俺は口を開いた。
「ウィルはさ」
「はい?」
「ウィルは、あんまり怒んないんだな」
「え?そう、見えますか?」
「俺から見たら、な」
ウィリアムのところから引き揚げてきて今まで、ウィルはずっと冷静だったように見えた。多少はショックを受けていたようだけど、俺やデュアンのように、怒りをあらわにすることはなかった。
「うーんと、そうですね。腹が立たなかったわけではないんですよ。ただ、私が怒るよりも先に、お二人が十分怒ってくれたので」
「うっ。ほんとうに、余計な真似を……」
「いえ、本当に気にしてはいないんです。むしろ、私も少し驚いています。もっと怒ってもいいのにって、自分でも思いますけど。今は不思議と、ちっとも心がざわつかないんですよ」
ウィルはそう言うと、自分の胸を押さえた。
「結構緊張していたんですけどね。もしひどいことを言われて、落ち込んだらどうしようって。でも、全然平気でした。ただ、ああそうだったんだなぁって感じで」
「……すごいな、ウィルは。大人なんだ」
すると、ウィルはゆるゆると首を振った。
「ぜんぜん、そんなんじゃありませんよ。元々、ロクでもない人だとは思ってましたから。だからだと思います」
「ああ、子どもを捨てるような親だから……」
「いえ、それもそうですけど。でも、やむを得ない事情で、神殿に子どもを置いてく人は意外といるんです。もし私の両親がそうで、涙ながらに後悔しているなんて言われてたら、私も泣いてたかも。ただ、あの人はそういうんじゃないだろうって確信はありました」
「え、どうして?」
「だって、あの人は……このロッドを、置いていったんです」
ウィルは自分の手の中のロッドに視線を落とす。
「考えてもみてください。子どもを手放すような切迫した家庭に、こんなものがあると思いますか?重くて実用性もない、はっきり言って役立たずのゴミです。早々に売り払うか捨てるかで、大事に取っておく理由はないはずでしょう」
「まあ……そうだな」
「それでも、まだ小さなころは、希望が持てました。このロッドが代々の家宝だとか、実はとても高価なもので、養育費代わりに置いて行ったんだとか思いましたから。でも、じきにそんなことはなかったと知りました」
ああ、それは以前、ウィル自身の口から聞いた。あのロッドは、安物だと。
「金はメッキ、宝石はガラス。古くから受け継いだにしてはあまりにもピカピカ。つまりこれは、完全に趣味の品だったってことです。そんな物と一緒に置いて行かれたってことは、つまりはこう言う事ですよ。……私は、厄介払いをされたんだと」
ウィルは、ふぅっと深いため息をつく。
「……その当時は、ずいぶんとショックだったことを覚えています。その頃から、父への恨みが募っていったんだろうなって」
「ウィル……」
俺は思わず、ウィルの手を握っていた。ウィルはちょっと驚いた顔をしていたけど、すぐに手を握り返してくれた。
「だからむしろ、あの人はイメージ通りでした。イメージよりもう一回りくらいどうしようもない人でしたが……けど、悪い人ではなさそうでよかったです」
「悪い人じゃ、ない?」と、俺は驚いてしまった。
「ええ。桜下さんも、感じませんでしたか?あの人、悪気や悪意は微塵もないんです。ただ当たり前のように、私を捨てていったんですよ。さっきのお話の最中も、私を故意に傷つけようだとかって感じは、全くなかったじゃないですか」
う……そう言われれば、そうかもしれないが。俺にはむしろ、開き直っているようにも見えたけど。
「あの人は、ああいう、根っからのどうしようもない人間だったんです。むしろ、よかったのかもしれませんね。あんな人と一緒だったら、私までああなっていたかも。それに、コマース村のみんなや、神殿の方たち……なにより、桜下さんに出会えましたから」
どきり。なんだか気恥ずかしくなって、ウィルから半歩体を離す。するとむしろ体を寄せてきて、つないだ手をぐっと引っ張られた。
「う、ウィル……」
「い、いいじゃないですか。今夜くらい……けど、そう考えると、なんだか不思議ですね」
「うん?」
ウィルは昔を思い出すように、夜空を見上げる。
「あの時、桜下さんたちが村に来なかったら。神殿に私一人じゃなかったら。桜下さんに誘われた時に断っていたら。今ここに、私はいないんでしょうね」
「そうだな。不思議なもんだよ、巡り合わせってのは」
「ええ。ふふ、今だから言えますけど、出会ったばかりのころは私、まさかこの人を好きになるとは思ってもみませんでしたよ」
「え、ええ?」
「だって、年下のくせに妙になまいきだし、やることはいっつも大胆だし……」
「そ、そんなこと言ったらウィルだって!酒は飲むし、口は悪いし、とんでもない不良シスターだと思ってた」
「ひ、ひどいです!そんな風に思ってたんですか!」
「ウィルが初めに言い出したんだろ!」
ウィルはぷくーっとむくれた後、ぷははっと笑った。俺も笑った。よかった、思ったよりは元気そうだ。
「ね、桜下さん。桜下さんって、私のどんなところを好きになってくれたんですか?」
「は、はぁ?」
「いい機会だし、聞いておこうと思って。桜下さん、言ってくれたことないですよね?」
「そ、そうかな……いや、あるだろ。王都で」
「あ、あれはお付き合いする前でしょう?ノーカンです!」
そういうものなのか?納得はいかないが……まあ、ご希望に沿ってやるか。こんな夜くらいはな。
「そうだなぁ……たぶん、一番の理由は……ウィルが、泣いてるところ、かな?」
「え……」
「あっちが、そういう意味じゃないぞ!」
ウィルはドン引きした顔で、さっと体を離した。そのくせ、手は放そうとしないんだもんな。ったく。
「その、ウィルって基本大人だし、やっぱり敵わないなって感じることも多いんだけど。でもそのくせ、時々びっくりするくらい脆く見えるんだ」
「も、脆い……でも、否定はできない、か」
「まあ、そんなだから、ほっとけなくてな。ウィルって自分が弱ってる時でも、誰かにあんまり頼ろうとしないからさ。こっちからちょっかいかけに行くしかないんだ。きっかけは、そんな感じだと思う」
「ふ、ふぅ~ん……」
「……なんだよ。自分から訊いたんだから、そんなに恥ずかしがるなよな」
「う、うるさいですよ!見ないでください……」
あはは。ウィルはフードの端を引っ張って、赤くなった顔を隠した。
「そういやさ、さっき、どうして名前の由来を訊こうと思ったんだ?」
「え?ああ、あれですか。前にプリースティス様にも、同じことを訊いた事があったんです。でも、どんなに訊いても教えてくれなかったんですよね。だから気になっていたんです」
「ああ……ウィルのこと、傷つけないようにしてくれたんだな」
「そう思います。いつもガミガミ厳しいくせに、肝心なところで優しいんだから……やっぱり一度、謝っておきたかったです。もう無理ですけど」
「ん、そんなこともないんじゃないか」
「え?」
ウィルがきょとんとして、まじまじとこちらを見つめる。
「筆談でもなんでも、やりようはあるだろ。デュアンの時みたく、あの筒を使ってもいいし」
「それは、そう、ですけど」
「だろ?全部のごたごたが片付いたら、顔を見せに行こうか。きっとウッドたちも、首を長くして待ってるって」
「でも……迷惑じゃ」
「俺が?まさか。ウィルが行きたいってんなら、俺は全力で協力するぜ」
「……」
どんっ。
「わっ。ウィル?」
胸を見下ろす。さらさらの金の髪が、俺の首元に当たっている。
「……やっぱり、よかったです。あの時、一緒に行こうって、そう決めて……」
「ウィル……」
「……ぃすきです、おうかさん……」
ウィルがこちらを見上げる。潤んだ瞳が、金色の満月のように闇夜に浮かんでいる……ここなら、誰にも見られることもないだろう……
俺はウィルに、そっと口づけした。
つづく
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