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16章 奪われた姫君

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窯が並ぶ工房へ戻ってくると、すぐに向こうからフランがやって来た。

「フラン。よく分かったな」

「音がしたから。もう済んだの?」

「ん、ああ……まあ、訊きたいことは聞けた。トビーは?」

「向こうで火の番してる」

「そっか。じゃ、そろそろ戻ろう。邪魔しても悪いし」

フランはこくんとうなずくと、俺の隣に並んだ。出口へ向かう途中、窯の前で薪を抱えているトビーと目が合った。けどやつは、俺の顔を見ると、思いっきりあかんべーをしてきやがった。

「ばーかっ!ぜってーお前より、いい男になってやるー!」

「は、はぁ?」

ったく、なんなんだ?結局あいつが俺を嫌う理由は、最後まで分からなかったな。
ガラス工房の外に出ると、ぞくぞくする風が全身を撫でた。

「うぅぅ、寒い!」

熱気ある工房にいたから、寒暖差がより身に染みる。それに、かっかと熱くなるようなこともあったしな。冷たい夜風が、のぼせた頭を冷やしてくれるようだ。

「はっくしょ!うぅ。夜も更けたし、ぼつぼつ戻ろうか。デュアン、お前は?」

俺はデュアンを振り返る。やつも寒そうに腕を抱えていたが、なにか思いつめたような表情をしている。

「……僕も、馬車に帰ります。ただ……」

「ただ?」

「……くっ。なんで僕がこんなことを……いやしかし……」

なんだ?デュアンはしきりにぶつぶつ言っている。どうでもいいけど、言うなら言うでさっさとしてくれないかな。寒いんだってば。

「なあデュアン。このままいくと、俺たち朝を迎えられなくなるぜ?」

「あぁ、まったく!君があまりにもデリカシーに欠けていそうだから、教えてあげます!」

デュアンがびしっと、俺の鼻先に指を突き付けてくる。

「桜下くん!今夜は、ウィルさんを慰めてあげてくださいよ!」

「へ?」「はい?」

俺とウィルが、同時にすっとんきょうな声を上げた。

「実の父親があんなんで、彼女はきっと傷ついているはずです。他に適任が見つからないから、君がやりなさい。本当は君みたいなガサツな男より、もっといい人に頼みたいところですが……」

「う、うるさいな。って、そうじゃなくて」

「四の五の言わない!いいですか、頼みましたからね。それでは!」

デュアンは言うだけ言うと、ローブの裾をバタバタ振りながら、大股で歩いて行ってしまった。俺たちはぽかんとその背中を見送る。

「何考えてるの、あいつ」

フランが眉根を寄せて言う。

「それに、あんな父親って。ウィル、そんな人だったの?」

「ええ、まあ……だいたい想像通り、でしたかね」

「そう……あんまり気を落とさないでね。父親なんて、ただの種馬に過ぎないんだから」

「あ、あはは……」

フランが言うと、説得力があるな。フランの父もまた、ろくでなし野郎だ。

「……けどまあ、わたしより、あなたのほうがいいか」

うん?フランはとんっと一歩前にジャンプすると、くるりと俺たちを振り返る。

「あんまり遅くなると、風邪ひくからね。それじゃ」

それだけ言い残すと、フランはきびすを返して、一人で帰って行ってしまった。

「ありゃ、なんだ?」

「気を遣ってくれた……って、ことですかね」

すると、俺とウィル、二人きりにしてくれたってわけか?デュアンが捨て台詞で言った通りに。

「……せっかくだから、ちょっとその辺、歩いてくか?」

俺が提案すると、ウィルがこちらをきょとんと見つめた。

「いいんですか?」

「まあ、よければだけど。いろいろあったし、整理したいならさ」

ウィルはぱちぱちまばたきした後、柔らかく微笑んだ。

「じゃあ、お願いします」



俺とウィルは、とりあえず工房とは別の方角の、村の外れへと向かった。もうみんな寝静まっているだろうけど、幽霊と二人きりのところを、誰かに見られても面倒だ。

「それにしても、暗いですね。少し待っていてください」

そう言うと、ウィルはぶつぶつと呪文を唱え始めた。

「ファイアフライ」

ポンポンポン。俺たちの周りに、蛍光色の火の玉が浮かび上がった。

「お、こりゃいいな。明るいし、なによりあったかいよ」

「桜下さん、寒くないですか?無理はしないでくださいね」

「ああ。なに、これくらい平気だよ」

と、強がったはいいものの、じっとしているとさすがに凍えそうだ。俺は体を冷やさないためにも、とりあえず足を動かした。
しばらく進むと、急にのっそりとした背の高い影が、無数に見えてきた。一瞬びくっとしたけど、なんてことはない。それはヤシやサボテンの木だった。砂漠に木なんてほとんど生えてないから、ひさびさで驚いてしまった。耳をすませば、かすかにだけど水の音が聞こえる。近くを川が流れていて、だから植物がこんなに多いのだろう。不思議なのは、水辺に近づくと、かえって暖かくなった気がしたこと。なんでだろ?空気が湿ったからかな。

「……」

サアアァァ。サラサラサラ。木々と水音が、程よく俺たちを隠してくれる。蛍光色の火の玉に照らされる草木を眺めながら、俺は口を開いた。

「ウィルはさ」

「はい?」

「ウィルは、あんまり怒んないんだな」

「え?そう、見えますか?」

「俺から見たら、な」

ウィリアムのところから引き揚げてきて今まで、ウィルはずっと冷静だったように見えた。多少はショックを受けていたようだけど、俺やデュアンのように、怒りをあらわにすることはなかった。

「うーんと、そうですね。腹が立たなかったわけではないんですよ。ただ、私が怒るよりも先に、お二人が十分怒ってくれたので」

「うっ。ほんとうに、余計な真似を……」

「いえ、本当に気にしてはいないんです。むしろ、私も少し驚いています。もっと怒ってもいいのにって、自分でも思いますけど。今は不思議と、ちっとも心がざわつかないんですよ」

ウィルはそう言うと、自分の胸を押さえた。

「結構緊張していたんですけどね。もしひどいことを言われて、落ち込んだらどうしようって。でも、全然平気でした。ただ、ああそうだったんだなぁって感じで」

「……すごいな、ウィルは。大人なんだ」

すると、ウィルはゆるゆると首を振った。

「ぜんぜん、そんなんじゃありませんよ。元々、ロクでもない人だとは思ってましたから。だからだと思います」

「ああ、子どもを捨てるような親だから……」

「いえ、それもそうですけど。でも、やむを得ない事情で、神殿に子どもを置いてく人は意外といるんです。もし私の両親がそうで、涙ながらに後悔しているなんて言われてたら、私も泣いてたかも。ただ、あの人はそういうんじゃないだろうって確信はありました」

「え、どうして?」

「だって、あの人は……このロッドを、置いていったんです」

ウィルは自分の手の中のロッドに視線を落とす。

「考えてもみてください。子どもを手放すような切迫した家庭に、こんなものがあると思いますか?重くて実用性もない、はっきり言って役立たずのゴミです。早々に売り払うか捨てるかで、大事に取っておく理由はないはずでしょう」

「まあ……そうだな」

「それでも、まだ小さなころは、希望が持てました。このロッドが代々の家宝だとか、実はとても高価なもので、養育費代わりに置いて行ったんだとか思いましたから。でも、じきにそんなことはなかったと知りました」

ああ、それは以前、ウィル自身の口から聞いた。あのロッドは、安物だと。

「金はメッキ、宝石はガラス。古くから受け継いだにしてはあまりにもピカピカ。つまりこれは、完全に趣味の品だったってことです。そんな物と一緒に置いて行かれたってことは、つまりはこう言う事ですよ。……私は、厄介払いをされたんだと」

ウィルは、ふぅっと深いため息をつく。

「……その当時は、ずいぶんとショックだったことを覚えています。その頃から、父への恨みが募っていったんだろうなって」

「ウィル……」

俺は思わず、ウィルの手を握っていた。ウィルはちょっと驚いた顔をしていたけど、すぐに手を握り返してくれた。

「だからむしろ、あの人はイメージ通りでした。イメージよりもう一回りくらいどうしようもない人でしたが……けど、悪い人ではなさそうでよかったです」

「悪い人じゃ、ない?」と、俺は驚いてしまった。

「ええ。桜下さんも、感じませんでしたか?あの人、悪気や悪意は微塵もないんです。ただ当たり前のように、私を捨てていったんですよ。さっきのお話の最中も、私を故意に傷つけようだとかって感じは、全くなかったじゃないですか」

う……そう言われれば、そうかもしれないが。俺にはむしろ、開き直っているようにも見えたけど。

「あの人は、ああいう、根っからのどうしようもない人間だったんです。むしろ、よかったのかもしれませんね。あんな人と一緒だったら、私までああなっていたかも。それに、コマース村のみんなや、神殿の方たち……なにより、桜下さんに出会えましたから」

どきり。なんだか気恥ずかしくなって、ウィルから半歩体を離す。するとむしろ体を寄せてきて、つないだ手をぐっと引っ張られた。

「う、ウィル……」

「い、いいじゃないですか。今夜くらい……けど、そう考えると、なんだか不思議ですね」

「うん?」

ウィルは昔を思い出すように、夜空を見上げる。

「あの時、桜下さんたちが村に来なかったら。神殿に私一人じゃなかったら。桜下さんに誘われた時に断っていたら。今ここに、私はいないんでしょうね」

「そうだな。不思議なもんだよ、巡り合わせってのは」

「ええ。ふふ、今だから言えますけど、出会ったばかりのころは私、まさかこの人を好きになるとは思ってもみませんでしたよ」

「え、ええ?」

「だって、年下のくせに妙になまいきだし、やることはいっつも大胆だし……」

「そ、そんなこと言ったらウィルだって!酒は飲むし、口は悪いし、とんでもない不良シスターだと思ってた」

「ひ、ひどいです!そんな風に思ってたんですか!」

「ウィルが初めに言い出したんだろ!」

ウィルはぷくーっとむくれた後、ぷははっと笑った。俺も笑った。よかった、思ったよりは元気そうだ。

「ね、桜下さん。桜下さんって、私のどんなところを好きになってくれたんですか?」

「は、はぁ?」

「いい機会だし、聞いておこうと思って。桜下さん、言ってくれたことないですよね?」

「そ、そうかな……いや、あるだろ。王都で」

「あ、あれはお付き合いする前でしょう?ノーカンです!」

そういうものなのか?納得はいかないが……まあ、ご希望に沿ってやるか。こんな夜くらいはな。

「そうだなぁ……たぶん、一番の理由は……ウィルが、泣いてるところ、かな?」

「え……」

「あっちが、そういう意味じゃないぞ!」

ウィルはドン引きした顔で、さっと体を離した。そのくせ、手は放そうとしないんだもんな。ったく。

「その、ウィルって基本大人だし、やっぱり敵わないなって感じることも多いんだけど。でもそのくせ、時々びっくりするくらい脆く見えるんだ」

「も、脆い……でも、否定はできない、か」

「まあ、そんなだから、ほっとけなくてな。ウィルって自分が弱ってる時でも、誰かにあんまり頼ろうとしないからさ。こっちからちょっかいかけに行くしかないんだ。きっかけは、そんな感じだと思う」

「ふ、ふぅ~ん……」

「……なんだよ。自分から訊いたんだから、そんなに恥ずかしがるなよな」

「う、うるさいですよ!見ないでください……」

あはは。ウィルはフードの端を引っ張って、赤くなった顔を隠した。

「そういやさ、さっき、どうして名前の由来を訊こうと思ったんだ?」

「え?ああ、あれですか。前にプリースティス様にも、同じことを訊いた事があったんです。でも、どんなに訊いても教えてくれなかったんですよね。だから気になっていたんです」

「ああ……ウィルのこと、傷つけないようにしてくれたんだな」

「そう思います。いつもガミガミ厳しいくせに、肝心なところで優しいんだから……やっぱり一度、謝っておきたかったです。もう無理ですけど」

「ん、そんなこともないんじゃないか」

「え?」

ウィルがきょとんとして、まじまじとこちらを見つめる。

「筆談でもなんでも、やりようはあるだろ。デュアンの時みたく、あの筒を使ってもいいし」

「それは、そう、ですけど」

「だろ?全部のごたごたが片付いたら、顔を見せに行こうか。きっとウッドたちも、首を長くして待ってるって」

「でも……迷惑じゃ」

「俺が?まさか。ウィルが行きたいってんなら、俺は全力で協力するぜ」

「……」

どんっ。

「わっ。ウィル?」

胸を見下ろす。さらさらの金の髪が、俺の首元に当たっている。

「……やっぱり、よかったです。あの時、一緒に行こうって、そう決めて……」

「ウィル……」

「……ぃすきです、おうかさん……」

ウィルがこちらを見上げる。潤んだ瞳が、金色の満月のように闇夜に浮かんでいる……ここなら、誰にも見られることもないだろう……
俺はウィルに、そっと口づけした。



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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