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16章 奪われた姫君
14-1 違和感
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14-1 違和感
「もう、こんなに経ったのか……」
ロアはベッドに寝転びながら、壁についた無数の傷跡を見て、ため息をついた。
二の国の女王ロアが魔王の城に捕らえられてから、すでに一カ月が経とうとしていた。と言っても、これが確かかどうかははっきりしない。
ロアは食事の時にくすねたスプーンで、壁に引っ掻き傷をつけることで日にちを数えていた。が、最近になって、以前の牢屋から別の牢へと移動をさせられたせいで、前の日付との足し算があいまいな気がしている。
それに加えて、牢獄は地下にあるので、昼夜がさっぱり分からない。ロアは朝夕の食事を目安にしていたが、こんな地下にずっと閉じ込められていると、今食べた物が朝食か夕食か分からなくなってくるのだ。時間の感覚は常にあいまいで、ロアは体内時計がめちゃくちゃになってしまった。
「それなのに、体の調子はすこぶるいいんだから……ほんっとに腹が立つ」
ロアはストレスで常にイライラしていたが、肌はつやつやで、髪もさらさらに整えられていた。それもそのはずだ。なぜならロアの独房には、定期的に世話係と称する、女性型の魔物が数体やってくるからだ。
彼女たちは外見こそ魔物らしく、角やしっぽや鱗や牙が生えていたし、人間の言葉が喋れなかった。しかし、仕事の腕前は、王城の侍女に匹敵するものがあった。つまり、髪を梳かされ、肌のケアをされ、服を着替えさせられ、そして……最後には必ず、ロアは素っ裸に剥かれた。
「~~~!」
その時を思い出したロアは、頬が熱くなるのを感じた。何度されても、あれには慣れない。まだ相手が女性型だったからよかったものを……
裸に剥かれたロアは、ありとあらゆるところを、隅々まで綺麗に洗われた。その際に奇妙なオイルを全身に塗られるのだが、これが抜群の効き目を持っていた。おかげでロアの肌は、城にいたころよりもつるつるだ。そして出される食事を食べると、体の底から活力が湧いてくる。なんだったら、ストレスと激務に追われていた以前よりも、健康であるまであった。
(こんなところに閉じ込められて、健康もなにもないでしょうけれど……)
しかし、べらぼうに待遇がいいというのもまた、ロアの心に不安を募らせる要因たり得た。ロアはまるで、この状況を、品評会に出される前の家畜のようだと感じていたのだ。丁寧に世話をし、良い物を食べさせ、完璧な状態に仕立て上げて、それから……その先を想像して、ロアは思わずぶるりと震えた。
カツ、カツ、カツ。
「む……」
二人分の足音が近づいてくる。ロアは体を起こし、その者たちを待った。そのうちの一つは牢の前で止まり、もう一つは鉄格子の扉をくぐって、中へと通された。
「やあ、おかえり。コルト」
ロアは付き添いの魔物が去ってから、牢へ戻ってきた白髪の少女……コルトに挨拶をした。コルトは頭を下げると、たどたどしく挨拶し返す。
「は、はい。戻りました、ロア王女……さま」
「だから、そんなにかしこまらなくてもよいというのに。今は同じ、囚われの身だ」
「そ、そうです……か?」
コルトはおずおずと顔を上げると、そのままぺたりと床に腰を下ろした。
数日ほど前、ドルトヒェンと名乗る魔族が告げたように、ロアの牢屋の移動が行われた。新たにあてがわれた牢で、このコルトと相部屋になったのだ。ずっと他の人間と顔を合わせていなかったので、二人は身分の差も関係なく、すぐに意気投合した。もっとも、コルトの緊張はまだ完全には抜けきっていない様子だが。
ロアは腰かけているベッドから身を乗り出した。
「それで、どうだった?なにをされたのだ?」
「いえ、それが……なんだか、よく分からなくて。なんか、紐みたいなもので、体のあちこちをキュッとされて……は、裸で」
コルトは頬を桃色に染める。ロアは理解に少しかかったが、それが採寸であると思い至った。
「もしや、連中はそなたの服の好みを訊いてきたのではないか?」
「あ!は、はい!そうでした。よく分かんなかったから、好きな色の方を選んじゃったけど」
ロアは思わず、ふぅーっと息を吐いた。どうやらここの魔物共は、本気でロアたちを美しく着飾るつもりらしい。舞踏会でも開くつもりなのか、それとも死に装束を選ばせているのか。
「あ、あの……まずかった、でしょうか?」
ため息をついたロアを見て、コルトがおずおずと訊ねてくる。ロアは首を横に振った。
「いや……問題はないだろう。それより、どうしてそんなことをしてくるのか、そちらの方が気になっている」
「ああ……そうですよね。僕にも、よく分かんないです」
二人の会話は、そこで途切れた。ロアは格子のすき間を睨みながら、なぜ魔王のしもべたちがこんなマネをするのかについて、思案を巡らせていた。すると、コルトが小さな声で、ロアに話しかけてきた。
「あの……ロア様は、本当に王女様、なんですよね?」
「なに?……そなた、私が王女らしくないと言いたいのか?」
「あ、いえ!そんなつもりじゃ……」
コルトがあまりにも狼狽えるので、ロアは思わず笑ってしまった。
「ははは。よい、冗談だ。それで、なんだ?」
「あ、う。あの、その……お礼が言いたくて。僕らの町を、支援してくれて……ありがとう、ございます」
支援?と、ロアは頭の上にハテナを浮かべた。ピンときていないロアの顔を見て、コルトが付け加える。
「あの、僕がいた町は、ミストルティンの町です。北の果ての……」
「ああ!そうか、そなたがあの町の。そうだ、思い出したぞ。あの町を取り仕切る代表団の中に、コルトと言う名前があったな……ん?」
そこでロアは、首をかしげた。
「私の記憶が確かなら、コルトと言う人物は男だった気がするのだが……?」
「ああ、えへへ。僕、実は町では、男ってことにしてるんです。女だと、いろいろ不都合が多くって」
コルトは照れ臭そうに頭をかいた。なるほど、とロアはうなずく。一人称が僕だったので、不思議には感じていたのだ。
「しかし、そなたは……何というか、よく男で通せたな。今のそなたを見ると、とても少年には見えないのだが」
今のコルトは、さらさらとつややかな髪と、くりくりと愛らしい瞳を持つ、かわいらしい少女そのものだった。体も丸っこく、男装をしても、とてもごまかせるようには見えない。するとコルトは、バツが悪そうに笑った。
「あはは……前の僕は、もっと汚かったから。ここのものを食べて、お世話されてるうちに、いつの間にかこうなっちゃったんです」
再び、ロアは納得した。ここの魔物のケアは達人級だ。それにきっと、食事か何かにまじないが掛けられているに違いない。普通じゃあり得ないくらい、今のロアもコルトも健康的だ。
「しかし、そうか……まさかこんなところで、知人に出会うとはな。できるなら、もっと違う場所で出会いたかったものだが」
「そうですね……けどむしろ、僕みたいなビンボー人だと、直接王女様にお礼を言う機会なんて、こうでもしないと来なかったかもしれません。だから今、お礼をしたかったんです……ああ、言えてよかった」
む……と、ロアは片眉を上げた。なんだかコルトが、悔いを残さぬように行動しているように思えたのだ。
「んんっ。それは、なによりだ。しかし、礼を言うのはまだ早いかもしれないぞ。そなたの町がきちんと発展を遂げてくれねば、私としても支援をした意味がなくなってしまうからな。そなたの仕事はまだこれからだ。そうだろう?」
「……そう、ですね。そんな時が、また来ればいいですけど……」
コルトの声はどんどん小さく掠れていき、終いには黙りこくってしまった。
(無理もないわ。まだこんなに幼いのに……)
街を仕切っていると聞いていたロアは、てっきりコルトを、いい歳の大人だと思っていた。しかしこうして消沈しているところを見ると、まだまだ年端もいかない子どもそのものだ。そう、年齢で行けば、ちょうど桜下あたりと同じくらいの……
「おお、そうだ!そなた確か、桜下の知り合いだったのではないか?」
「え?」
桜下の名前を聞いて、コルトはうつむいていた顔を上げた。
「はい、そうですけど。そっか、王女様も当然、桜下のことを知ってるんですよね」
「まあな。やつを呼び出した張本人であるから。そなたも、あやつのことはよく知っているのだろう?」
「そう、ですね。桜下と仲間たちには、たくさん助けてもらいましたから」
コルトの顔が懐かしさに緩む。だがすぐに、元の陰りが戻ってしまった。
「……できれば、もう一度会いたかったな……」
「コルト……諦めるな!やつの知り合いのそなたなら、きっとまだ希望はあるはずだ!」
「え?」
「あやつの力は、そなたもよく知っているだろう?やつらは、不思議な連中だ。少数でも、大局を変える力を持っている。それにやつらは、友を見捨てようとしない」
ロアは、なんとかコルトを励ましてやろうと必死だった。自分でも不思議だったが、目の前で弱っている子どもを、不思議なほど見捨てておけなかった。
「桜下はいずれ、そなたが連れ去られたことを知るはずだ。それならやつは、必ずそなたを助けに来る。再会は叶う!違うか?」
コルトはきょとんとした顔でロアを見つめると、ぽつりと言った。
「王女様は、桜下を信じているんですね」
「え?」
指摘されて初めて、ロアはいま語っていた言葉が、本当は自分の胸の底で願っていた事なのだと気が付いた。途端に恥ずかしくなってくる。ロアは、コルトを励まそうとしていたわけじゃない。自分を安心させたくて、自分が信じていることを口にしていただけだったのだ。
「えっと、つまりだな。あー……」
「くす。いいんです、王女様。王女様の言いたいこと、わかりました。僕も桜下が好きだから。だから、あの人たちを信じることにする」
「なっ。わ、私は、別にやつを好いてなどは……!」
「そうなんですか?なんだか王女様、僕とそっくりな顔してたから。てっきりそうなのかなって」
「む、ぐう……」
励ましていたはずなのに、いつの間にかからかわれてしまった。しかし、コルトの顔には笑顔が戻った。多少不本意だが、彼女を励ますというロアの目的は達成されたようだ。
(なんにしても、よかった……)
と、ロアが安堵しかけた時だった。ドスドスドスと、騒々しい足音が牢屋に近づいてくる。ロアとコルトは、そろって身を固くした。
「んで、ここがAランクの子っと……おお、こりゃなかなかじゃないの」
牢屋の鉄格子の前に現れたのは、奇妙ないでたちの男……ロアは、声の低さと口調から男だと判断した……だった。姿かたちは人間に似ているが、頭部は鳥の骨そっくりだ。その鳥骨頭は、ジロジロと格子に顔を近づけた。怯えたコルトが弾かれたように立ち上がり、ロアの側に駆け寄ってくる。ロアは彼女を背後に隠すと、敵愾心を隠さずに呟く。
「魔王軍の一員か……」
「おいおい、つれないなあ。もちっと愛想よくしなよー。オレ、結構な実力者よ?」
鳥骨頭は、大げさに両手を広げて、くいくいと手招きする。そうすれば、ロアたちが胸に飛び込んでくるとでも言いたげだ。ロアは眉間のしわを深くする。
「はん、愛想だと?それをしてなんになる?私たちを自由にしてくれるとでも?」
「そうかもしれないじゃない。やるだけならタダだぜ?ほれほれ、ちょっとサービスしてみなよ」
鳥骨頭は両手を叩いて、まるで犬に芸をさせるような調子でロアを煽った。ロアは反吐が出そうな気分になった。
「……冗談じゃない。誰が貴様なんぞ。それより、私たちに何の用だ。さっき言っていた、Aランクとは何のことだ?」
「あらら、ざーんねん。ちぇっ、顔はいいのに、かわいげのない女だなあ」
鳥骨頭はかくっと首を曲げ、肩をすくめた。だがすぐに、何かに気づいたように、ロアの顔をまじまじと見つめる。
「……んん?」
「な、なんだ。無礼だぞ!」
「あれ、ひょっとして。もしかして、あんたがロア?二の国の王女の?」
「貴様なぞに、馴れ馴れしく名を呼ばれる由縁はない!」
「やーっぱり!ははぁ、あの女の娘だけあるな。なかなかの上玉じゃん」
男はロアの文句をすべて無視した。うつろな穴の開いた鳥頭でじろじろと見つめてくるので、ロアは気味が悪くなった。
「……ん?ちょっと待て、今何と言った?お前、母上を知っているのか!?」
鳥骨頭は先ほど、あの女の娘と言った。それはつまり、ロアの母である先女王のことだ。
「おうともさ。オレは三幹部が一角、その中でも最強の男。烈風のヴォルフガング様だぜ?」
鳥骨頭……もとい、ヴォルフガングは、くいっと自分を親指で指した。
「オレはあの戦争のすべてを知っている。当然、あんたの前の女王のこともな」
「なんだと……!」
ロアは思わず鉄格子に駆け寄ると、ガシャリと掴んで、ヴォルフガングを睨み上げた。
「貴様、母上の何を知っている!もしや、母上に何かしたのか!?」
「なにか?さぁてね、おたくの国の兵士をぶっ殺したってのは、何かの内に入るのか?」
「なにっ!」
「でもねえ、んなもん、いちいち気にしちゃねえのよ。あんた、今まで食ったパンの数は覚えちゃねーだろ?それとおんなじよ」
「おい、はぐらかすな!母上になにを……」
「おっと、あんたとばかり話してる場合じゃねえや。他の子のチェックに行かないと!んじゃね~、女王チャン!」
「あ、おい!待て!」
ロアの制止も聞かずに、ヴォルフガングは牢屋の前から去ってしまった。ロアは腹立ちまぎれに、格子を思いっきり蹴っ飛ばした。ガシャーン!
「くそったれ!」
ロアは思いつく限りの、口汚い悪態を叫び続けた。そしてひとしきり叫んだ後で、ここにはコルトがいることを思い出した。はっと振り返ると、コルトは自分の腕を抱えて、カチカチと歯を鳴らしていた。
「コルト……!すまない、怖がらせてしまったか?」
ベッドの上で震えるコルトの側に、ロアはさっと寄り添った。コルトが何やら、歯の根の合わない口で呟いている。
「さっきの人……人、なの?あの頭……それに、三幹部って……」
「ああ……あやつは魔物だろう。奴の言っていたことが正しいのであれば、相当力のある魔物と言うことになる」
「じゃあ……なんでそんなのが、僕たちに……?」
「……」
ロアは黙って、先ほどの会話を、そしてさらに前の記憶を思い出していた。
(Aランク……私たちの容姿を褒める発現……いやに健康的な生活……選ばされたドレス……)
これらの導き出すところは……ロアは体の芯がぞくりと冷えていく気がした。
(ひょっとすると、私たちは……死よりもおぞましいことをさせられるのかもしれない……)
ロアは口を固く閉ざすと、コルトの肩をそっと抱いた。今考えたことを伝えて、これ以上コルトを不安にさせたくなかった。それに、さっき自分が言ったこと……
(きっと、助けが来てくれる)
それを、揺るがせたくなかった。今口を開くと、さっきよりも自信がなくなってしまう気がしたのだ。
(頼む……みんな、頼む……!ここにいるみんなを、母上のような目に遭わせるなんて……そんなの……)
ただただロアは、救援が来ることを祈ることしかできなかった。
つづく
====================
読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「もう、こんなに経ったのか……」
ロアはベッドに寝転びながら、壁についた無数の傷跡を見て、ため息をついた。
二の国の女王ロアが魔王の城に捕らえられてから、すでに一カ月が経とうとしていた。と言っても、これが確かかどうかははっきりしない。
ロアは食事の時にくすねたスプーンで、壁に引っ掻き傷をつけることで日にちを数えていた。が、最近になって、以前の牢屋から別の牢へと移動をさせられたせいで、前の日付との足し算があいまいな気がしている。
それに加えて、牢獄は地下にあるので、昼夜がさっぱり分からない。ロアは朝夕の食事を目安にしていたが、こんな地下にずっと閉じ込められていると、今食べた物が朝食か夕食か分からなくなってくるのだ。時間の感覚は常にあいまいで、ロアは体内時計がめちゃくちゃになってしまった。
「それなのに、体の調子はすこぶるいいんだから……ほんっとに腹が立つ」
ロアはストレスで常にイライラしていたが、肌はつやつやで、髪もさらさらに整えられていた。それもそのはずだ。なぜならロアの独房には、定期的に世話係と称する、女性型の魔物が数体やってくるからだ。
彼女たちは外見こそ魔物らしく、角やしっぽや鱗や牙が生えていたし、人間の言葉が喋れなかった。しかし、仕事の腕前は、王城の侍女に匹敵するものがあった。つまり、髪を梳かされ、肌のケアをされ、服を着替えさせられ、そして……最後には必ず、ロアは素っ裸に剥かれた。
「~~~!」
その時を思い出したロアは、頬が熱くなるのを感じた。何度されても、あれには慣れない。まだ相手が女性型だったからよかったものを……
裸に剥かれたロアは、ありとあらゆるところを、隅々まで綺麗に洗われた。その際に奇妙なオイルを全身に塗られるのだが、これが抜群の効き目を持っていた。おかげでロアの肌は、城にいたころよりもつるつるだ。そして出される食事を食べると、体の底から活力が湧いてくる。なんだったら、ストレスと激務に追われていた以前よりも、健康であるまであった。
(こんなところに閉じ込められて、健康もなにもないでしょうけれど……)
しかし、べらぼうに待遇がいいというのもまた、ロアの心に不安を募らせる要因たり得た。ロアはまるで、この状況を、品評会に出される前の家畜のようだと感じていたのだ。丁寧に世話をし、良い物を食べさせ、完璧な状態に仕立て上げて、それから……その先を想像して、ロアは思わずぶるりと震えた。
カツ、カツ、カツ。
「む……」
二人分の足音が近づいてくる。ロアは体を起こし、その者たちを待った。そのうちの一つは牢の前で止まり、もう一つは鉄格子の扉をくぐって、中へと通された。
「やあ、おかえり。コルト」
ロアは付き添いの魔物が去ってから、牢へ戻ってきた白髪の少女……コルトに挨拶をした。コルトは頭を下げると、たどたどしく挨拶し返す。
「は、はい。戻りました、ロア王女……さま」
「だから、そんなにかしこまらなくてもよいというのに。今は同じ、囚われの身だ」
「そ、そうです……か?」
コルトはおずおずと顔を上げると、そのままぺたりと床に腰を下ろした。
数日ほど前、ドルトヒェンと名乗る魔族が告げたように、ロアの牢屋の移動が行われた。新たにあてがわれた牢で、このコルトと相部屋になったのだ。ずっと他の人間と顔を合わせていなかったので、二人は身分の差も関係なく、すぐに意気投合した。もっとも、コルトの緊張はまだ完全には抜けきっていない様子だが。
ロアは腰かけているベッドから身を乗り出した。
「それで、どうだった?なにをされたのだ?」
「いえ、それが……なんだか、よく分からなくて。なんか、紐みたいなもので、体のあちこちをキュッとされて……は、裸で」
コルトは頬を桃色に染める。ロアは理解に少しかかったが、それが採寸であると思い至った。
「もしや、連中はそなたの服の好みを訊いてきたのではないか?」
「あ!は、はい!そうでした。よく分かんなかったから、好きな色の方を選んじゃったけど」
ロアは思わず、ふぅーっと息を吐いた。どうやらここの魔物共は、本気でロアたちを美しく着飾るつもりらしい。舞踏会でも開くつもりなのか、それとも死に装束を選ばせているのか。
「あ、あの……まずかった、でしょうか?」
ため息をついたロアを見て、コルトがおずおずと訊ねてくる。ロアは首を横に振った。
「いや……問題はないだろう。それより、どうしてそんなことをしてくるのか、そちらの方が気になっている」
「ああ……そうですよね。僕にも、よく分かんないです」
二人の会話は、そこで途切れた。ロアは格子のすき間を睨みながら、なぜ魔王のしもべたちがこんなマネをするのかについて、思案を巡らせていた。すると、コルトが小さな声で、ロアに話しかけてきた。
「あの……ロア様は、本当に王女様、なんですよね?」
「なに?……そなた、私が王女らしくないと言いたいのか?」
「あ、いえ!そんなつもりじゃ……」
コルトがあまりにも狼狽えるので、ロアは思わず笑ってしまった。
「ははは。よい、冗談だ。それで、なんだ?」
「あ、う。あの、その……お礼が言いたくて。僕らの町を、支援してくれて……ありがとう、ございます」
支援?と、ロアは頭の上にハテナを浮かべた。ピンときていないロアの顔を見て、コルトが付け加える。
「あの、僕がいた町は、ミストルティンの町です。北の果ての……」
「ああ!そうか、そなたがあの町の。そうだ、思い出したぞ。あの町を取り仕切る代表団の中に、コルトと言う名前があったな……ん?」
そこでロアは、首をかしげた。
「私の記憶が確かなら、コルトと言う人物は男だった気がするのだが……?」
「ああ、えへへ。僕、実は町では、男ってことにしてるんです。女だと、いろいろ不都合が多くって」
コルトは照れ臭そうに頭をかいた。なるほど、とロアはうなずく。一人称が僕だったので、不思議には感じていたのだ。
「しかし、そなたは……何というか、よく男で通せたな。今のそなたを見ると、とても少年には見えないのだが」
今のコルトは、さらさらとつややかな髪と、くりくりと愛らしい瞳を持つ、かわいらしい少女そのものだった。体も丸っこく、男装をしても、とてもごまかせるようには見えない。するとコルトは、バツが悪そうに笑った。
「あはは……前の僕は、もっと汚かったから。ここのものを食べて、お世話されてるうちに、いつの間にかこうなっちゃったんです」
再び、ロアは納得した。ここの魔物のケアは達人級だ。それにきっと、食事か何かにまじないが掛けられているに違いない。普通じゃあり得ないくらい、今のロアもコルトも健康的だ。
「しかし、そうか……まさかこんなところで、知人に出会うとはな。できるなら、もっと違う場所で出会いたかったものだが」
「そうですね……けどむしろ、僕みたいなビンボー人だと、直接王女様にお礼を言う機会なんて、こうでもしないと来なかったかもしれません。だから今、お礼をしたかったんです……ああ、言えてよかった」
む……と、ロアは片眉を上げた。なんだかコルトが、悔いを残さぬように行動しているように思えたのだ。
「んんっ。それは、なによりだ。しかし、礼を言うのはまだ早いかもしれないぞ。そなたの町がきちんと発展を遂げてくれねば、私としても支援をした意味がなくなってしまうからな。そなたの仕事はまだこれからだ。そうだろう?」
「……そう、ですね。そんな時が、また来ればいいですけど……」
コルトの声はどんどん小さく掠れていき、終いには黙りこくってしまった。
(無理もないわ。まだこんなに幼いのに……)
街を仕切っていると聞いていたロアは、てっきりコルトを、いい歳の大人だと思っていた。しかしこうして消沈しているところを見ると、まだまだ年端もいかない子どもそのものだ。そう、年齢で行けば、ちょうど桜下あたりと同じくらいの……
「おお、そうだ!そなた確か、桜下の知り合いだったのではないか?」
「え?」
桜下の名前を聞いて、コルトはうつむいていた顔を上げた。
「はい、そうですけど。そっか、王女様も当然、桜下のことを知ってるんですよね」
「まあな。やつを呼び出した張本人であるから。そなたも、あやつのことはよく知っているのだろう?」
「そう、ですね。桜下と仲間たちには、たくさん助けてもらいましたから」
コルトの顔が懐かしさに緩む。だがすぐに、元の陰りが戻ってしまった。
「……できれば、もう一度会いたかったな……」
「コルト……諦めるな!やつの知り合いのそなたなら、きっとまだ希望はあるはずだ!」
「え?」
「あやつの力は、そなたもよく知っているだろう?やつらは、不思議な連中だ。少数でも、大局を変える力を持っている。それにやつらは、友を見捨てようとしない」
ロアは、なんとかコルトを励ましてやろうと必死だった。自分でも不思議だったが、目の前で弱っている子どもを、不思議なほど見捨てておけなかった。
「桜下はいずれ、そなたが連れ去られたことを知るはずだ。それならやつは、必ずそなたを助けに来る。再会は叶う!違うか?」
コルトはきょとんとした顔でロアを見つめると、ぽつりと言った。
「王女様は、桜下を信じているんですね」
「え?」
指摘されて初めて、ロアはいま語っていた言葉が、本当は自分の胸の底で願っていた事なのだと気が付いた。途端に恥ずかしくなってくる。ロアは、コルトを励まそうとしていたわけじゃない。自分を安心させたくて、自分が信じていることを口にしていただけだったのだ。
「えっと、つまりだな。あー……」
「くす。いいんです、王女様。王女様の言いたいこと、わかりました。僕も桜下が好きだから。だから、あの人たちを信じることにする」
「なっ。わ、私は、別にやつを好いてなどは……!」
「そうなんですか?なんだか王女様、僕とそっくりな顔してたから。てっきりそうなのかなって」
「む、ぐう……」
励ましていたはずなのに、いつの間にかからかわれてしまった。しかし、コルトの顔には笑顔が戻った。多少不本意だが、彼女を励ますというロアの目的は達成されたようだ。
(なんにしても、よかった……)
と、ロアが安堵しかけた時だった。ドスドスドスと、騒々しい足音が牢屋に近づいてくる。ロアとコルトは、そろって身を固くした。
「んで、ここがAランクの子っと……おお、こりゃなかなかじゃないの」
牢屋の鉄格子の前に現れたのは、奇妙ないでたちの男……ロアは、声の低さと口調から男だと判断した……だった。姿かたちは人間に似ているが、頭部は鳥の骨そっくりだ。その鳥骨頭は、ジロジロと格子に顔を近づけた。怯えたコルトが弾かれたように立ち上がり、ロアの側に駆け寄ってくる。ロアは彼女を背後に隠すと、敵愾心を隠さずに呟く。
「魔王軍の一員か……」
「おいおい、つれないなあ。もちっと愛想よくしなよー。オレ、結構な実力者よ?」
鳥骨頭は、大げさに両手を広げて、くいくいと手招きする。そうすれば、ロアたちが胸に飛び込んでくるとでも言いたげだ。ロアは眉間のしわを深くする。
「はん、愛想だと?それをしてなんになる?私たちを自由にしてくれるとでも?」
「そうかもしれないじゃない。やるだけならタダだぜ?ほれほれ、ちょっとサービスしてみなよ」
鳥骨頭は両手を叩いて、まるで犬に芸をさせるような調子でロアを煽った。ロアは反吐が出そうな気分になった。
「……冗談じゃない。誰が貴様なんぞ。それより、私たちに何の用だ。さっき言っていた、Aランクとは何のことだ?」
「あらら、ざーんねん。ちぇっ、顔はいいのに、かわいげのない女だなあ」
鳥骨頭はかくっと首を曲げ、肩をすくめた。だがすぐに、何かに気づいたように、ロアの顔をまじまじと見つめる。
「……んん?」
「な、なんだ。無礼だぞ!」
「あれ、ひょっとして。もしかして、あんたがロア?二の国の王女の?」
「貴様なぞに、馴れ馴れしく名を呼ばれる由縁はない!」
「やーっぱり!ははぁ、あの女の娘だけあるな。なかなかの上玉じゃん」
男はロアの文句をすべて無視した。うつろな穴の開いた鳥頭でじろじろと見つめてくるので、ロアは気味が悪くなった。
「……ん?ちょっと待て、今何と言った?お前、母上を知っているのか!?」
鳥骨頭は先ほど、あの女の娘と言った。それはつまり、ロアの母である先女王のことだ。
「おうともさ。オレは三幹部が一角、その中でも最強の男。烈風のヴォルフガング様だぜ?」
鳥骨頭……もとい、ヴォルフガングは、くいっと自分を親指で指した。
「オレはあの戦争のすべてを知っている。当然、あんたの前の女王のこともな」
「なんだと……!」
ロアは思わず鉄格子に駆け寄ると、ガシャリと掴んで、ヴォルフガングを睨み上げた。
「貴様、母上の何を知っている!もしや、母上に何かしたのか!?」
「なにか?さぁてね、おたくの国の兵士をぶっ殺したってのは、何かの内に入るのか?」
「なにっ!」
「でもねえ、んなもん、いちいち気にしちゃねえのよ。あんた、今まで食ったパンの数は覚えちゃねーだろ?それとおんなじよ」
「おい、はぐらかすな!母上になにを……」
「おっと、あんたとばかり話してる場合じゃねえや。他の子のチェックに行かないと!んじゃね~、女王チャン!」
「あ、おい!待て!」
ロアの制止も聞かずに、ヴォルフガングは牢屋の前から去ってしまった。ロアは腹立ちまぎれに、格子を思いっきり蹴っ飛ばした。ガシャーン!
「くそったれ!」
ロアは思いつく限りの、口汚い悪態を叫び続けた。そしてひとしきり叫んだ後で、ここにはコルトがいることを思い出した。はっと振り返ると、コルトは自分の腕を抱えて、カチカチと歯を鳴らしていた。
「コルト……!すまない、怖がらせてしまったか?」
ベッドの上で震えるコルトの側に、ロアはさっと寄り添った。コルトが何やら、歯の根の合わない口で呟いている。
「さっきの人……人、なの?あの頭……それに、三幹部って……」
「ああ……あやつは魔物だろう。奴の言っていたことが正しいのであれば、相当力のある魔物と言うことになる」
「じゃあ……なんでそんなのが、僕たちに……?」
「……」
ロアは黙って、先ほどの会話を、そしてさらに前の記憶を思い出していた。
(Aランク……私たちの容姿を褒める発現……いやに健康的な生活……選ばされたドレス……)
これらの導き出すところは……ロアは体の芯がぞくりと冷えていく気がした。
(ひょっとすると、私たちは……死よりもおぞましいことをさせられるのかもしれない……)
ロアは口を固く閉ざすと、コルトの肩をそっと抱いた。今考えたことを伝えて、これ以上コルトを不安にさせたくなかった。それに、さっき自分が言ったこと……
(きっと、助けが来てくれる)
それを、揺るがせたくなかった。今口を開くと、さっきよりも自信がなくなってしまう気がしたのだ。
(頼む……みんな、頼む……!ここにいるみんなを、母上のような目に遭わせるなんて……そんなの……)
ただただロアは、救援が来ることを祈ることしかできなかった。
つづく
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