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第一章

第36話/Etranger

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「ふぅん……ユキもあれで、けっこう頼りがいあるじゃない」

あたしは店の壁に寄りかかって、さっきのユキの姿を思い出していた。いつまでもキャバ嬢になれないで、ソファで居眠りして。でっかい坊やだと思ってたら、ニゾーを倒しちゃったり、大胆なことを平然と言ってのけたり。

「なんだか不思議だわ。ああいうコ……」

「何が不思議なんだ、オネエチャン?」

えっ?思わず顔を上げると、そこには派手なスーツの男たちが、ニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべて立っていた。

「ねぇ君、一人?よければ僕らと話でもしない?」

「安心しろよ、俺たちのおごりだから」

はは~ん。こういう手合いね、あたしを誘うなんていい度胸じゃない。だいたいなによ、おごってやるって超上から目線。お金は出すからつきあって下さいって言えないのかしら。言われても困るけど。

「悪いけど、興味ないわ」

「ひゅー。クールなネエチャンだ。ますます気に入ったぜ」

「はぁ?」

何かしらコイツ。面倒なタイプだわ……

「大丈夫、必ずいい夜にするよ。さ、行こう」

「いや、だから……」

「来いよ。楽しもうぜ」

男たちがあたしの手を掴む。

「ちょっと!一人じゃないっての!連れが黙ってないわよ!」

「つまんねぇウソつくなよ。どこにもいねぇじゃねぇか」

「それに女の子を放っておくようなヤツ、君にふさわしくないよ」

「ふざないで!あんたたちより百倍はマシよ!放して!」

ヤバ、コイツらけっこう力強いわ。あたしは手を掴まれたまま、ずるずると引き摺られていった。くぅ、振りほどけない……! 

「待て!」

鋭い叫び声。この声は……!

「ユキ!タイミングばっちりよ!」

暖簾をはねのけて、ユキがズンズンとこちらへやって来た。

「お前ら、その娘から手をはなせ!」

「あぁ?なんだおめぇ!」

「だから連れがいるって言ったでしょ!ほら、放しなさい!」

ユキがあたしたちの間に割って入ると、男たちはようやくあたしを自由にした。

「邪魔すんじゃねえ!すっこんでろ!」

「そういう訳には、いかないな」

「……きみのような粗暴な男には、その娘は相応しくないな。きみ、その娘とどういう関係なんだ?」

「え?」

「そうだ、てめえの女って証拠はあんのか!」 

証拠って……子どもじゃないんだから。
ユキは、どう言ったものかとしどろもどろしている。しょうがない、適当に切り抜けましょうか。あたしはユキの腕をつっつき、パチパチウィンクした。

(ここはイッパツかましてよ!)

(あ、ああ。わかった)

ユキは男たちに面と向き合った。

「お前たち、こいつは俺のなぁ……」

「なんだぁ?」

「俺の、ムスメだ!」

……え?

「はぁ?」

「ち、違う。俺の妹だ!」

「どっちにしろ、お前の女じゃねぇじゃねぇか!」

「妹の恋事情に、口を挟むものじゃないと思うな」

「ユキ……あんたねぇ」

「う、うるさいなぁ!とにかく!」

ぽすっ。ユキがあたしの肩を掴んで、ぐいと引き寄せた。

「こいつは、俺の大事な女なんだ。お前らにくれてやるわけには、いかないな」

あたしの左耳が、ユキの体に触れている。熱くて、力強い鼓動がした。

「あぁ?んなこと関係あるかよ。テメェの事情なんざ知るか!」

「だったら、きみから奪い取ればいいのかな……?」

辺りに険悪な空気が漂う。ユキならケンカは問題ないでしょうけど、どんな目があるか分からないここで、悪目立ちもしたくないわね……よし。

「ユキ、ごめんね」

「え……んむっ!?」

「んっ……」

「なぁ!?」

……。
数秒ほどして、あたしはユキから離れた。

「ぷは……どう?この口としたいっていうなら、付き合ってあげてもいいわよ?」

あたしは自分の唇を指して、にこりと笑った。

「ちっ……誰がテメェみたいな尻軽欲しがるかよ!」

「まったくだな……興ざめだ、行こう」

「ぺっ!二度とそのツラ見せんな!」

男たちはぶつくさ言いながら、どしどし歩いていった。

「まったく……捨てゼリフまでチンピラね。ねぇユキ?」

「……」

「もう、ユキったら」

「……ああ」

「もぉ、ごめんってば。先にあやまったでしょ」

「いや、怒ってるわけじゃないんだが……」

「そう?なんにせよ、もう行きましょ。またあいつらに会っちゃったら、面倒だわ」

「そ、うだな。帰ろう」

あたしたちは黙って歩きだした。……違うわね、黙り込んでるのはユキだけだわ。
ネオンの町並みには、手を取り合って歩く人ばかり。その中で押し黙って、黙々と歩いているあたしたちは、ずいぶん妙なカップルに見えるでしょうね……。

「ねぇ、ユキ」

あたしはユキの左の手の甲を、指先でカリカリと掻いた。

「うん?なんだよ」

「せめて手ぐらい繋いでないと、かえって不自然だと思うんだけど」

「いや、それは……まあ、確かに」

「でしょ?」

あたしは、ユキの小指だけをつまむと、自分に指を絡めた。

「……控えめなんだな」

「そうね。ユキはいや?あたしとこうするの」

「……まあ、こうしてる方が自然だしな」

「そう?」

あたしたちはぎこちなく手を繋いだまま、お互いの方を見ずに歩き続けた。

「……さっきの店では、どんな話が聞けた?」

「うん?ああ、似たようなことだったな。最近は景気が悪くて、それは得体の知れない輩のせいだろうって。ただ、それに加えて警察が嗅ぎまわってるとも言っていたな」

「警察?パコロの町に?」

「ああ。なんだ、そんなに珍しいことなのか?」

「珍しいというか……ここは政府公認の無法地帯みたいなもんだからね。ヤクザが仕切ってる時点で、だいたい察せるでしょ?」

「ああ、それもそうだな……」

「さすがに派手にドンパチすればお上も黙ってないけど、最近はあたしたちのケンカくらいだったし……あれくらいで動きがあるとは思えないわ」

「そうか……なんにせよ、不安要素が多すぎるな。これじゃ手を出しずらいだろ」

「それには同感よ。悔しいけど、こっちまでは根を伸ばせそうもないわ。もう少し力を蓄えないと……」

「けど諦める気は、ないんだろ?」

「もちろんでしょ。ゆくゆくはここだって手中に収めて見せるわ!」

「はは……当分暇にはなりそうもないな」

「ま、あたしには心強いボディガードがついてるしね!頼りにしてるわよ、お・に・い・ちゃ・ん?」

「うわっ、それはちがってだな……」

「あら、じゃあ“パパ”って呼んだ方が……」

「やめろーー!」

ユキの叫びは、明るく彩られた夜空にこだましていった。



「……ユキ。止まって」

「ん?」

俺とアプリコットが戻ってくると、見慣れぬ車が一台、事務所の前に停まっていた。

「なんだあの車。誰のだろう?」

「見たことないわね……?」

その時、事務所のほうから大声が聞こえてきた。もめるような、怒鳴るような声だ。

「なんだ?アプリコット、急ごう!」

「ええ!」

俺たちは階段を駆け上がると、扉のわきに張り付いた。漏れ聞こえてくる声は、やはり怒声のようだ。

「……だって……かってる……」

「……から……うってば!」

よく聞こえないが、キリーの声か?もう一人は……女のようだ。

「女一人なら行けそうだな。突っ込むぞ!」

「油断しないでよ、ユキ!」

俺はドアノブを握ると、バッと扉を開け放った。

「みんな、大丈夫か!」

事務所の中では、キリーがはぁはぁと息を荒げて立っていた。それと向き合うように立っているのは、制服を着た女性だ。その恰好は……警察?

「な、なにがあったんだ……?」

「っ!組員が帰ってきたようっすね!あなたたちにも話を……」

女性がこちらへ振り返った。その顔立ちは意外と幼く、キリーたちとそこまで離れていないように見える。

「あれ……?」

なんだろう、デジャヴのような……黒髪の少女の顔が、頭にちらつく。そうだ、確か放課後の、セーラー服を着た……

「あー!」

「あー!?」

俺と女の声が重なった。やはり彼女は、俺が夢の中で見た……!

「黒蜜か!」

「お兄ちゃん!?」

「そうそう、学校で後輩だった……え?」

なんて言った?センパイじゃなくて、おにいちゃん……?

「い、妹だったのか……?」

「えー!?」

「い、いもうと……?」

「え……ユキお兄ちゃんっすよね?今までどうしてたんすか!?」

「いや、まってくれ。俺は木ノ下ユキで間違いないし、きみのことも確かに知ってるが……」

「え……?

「その、きみは黒蜜であってるよな?学校の後輩だった……」

「そう、すね。お兄ちゃんのいっこ下で、同じ学校だった……」

「そうか……」

「どうして……なんにも、覚えて無いんすか……?」

俺たちのあいだに、微妙な空気が立ち込めた。俺は記憶を失い、再会したのが異世界だなんてなったら、そうもなるだろ。

「と、とりあえず……お茶でもいかが?」

スーがなんともぎこちない笑顔で、俺たちに話しかけた。場を和ませてくれようとしたのだろうが、黒蜜には逆効果だったようだ。

「っ!ヤクザなんかが出したお茶なんて飲むわけないでしょ!何が入ってるか、わかったもんじゃないっす!」

「ひぃ!」

「だいたい、そうっすよ!お兄ちゃん、どうしてヤクザの事務所なんかにいるんすか!やっぱりこいつらが犯人なんでしょ!?そうか、もしかしてこいつらが記憶を……?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。お互いに分からないことが多すぎだ。まずは席について、落ち着いて話を聞かせてくれないか?」

「う……まあ、お兄ちゃんがそう言うなら」

黒蜜はしぶしぶと言った様子だが、こくんとうなずいた。スーがためらいながらも、みなにお茶を出す。スーが黒蜜の前に湯呑を置くとき、黒蜜はものすごい形相でスーを睨みつけていた。そのおかげで、スーは危うく二度もお茶をこぼしかけた。

「……黒蜜、毒なんて入ってないよ。俺が保障する」

「……いやに肩を持つんすね。別にいいですけど」

「はは……さて、誰から話してもらったものか……」

俺がキリーを見やると、キリーは任せる、というようにジェスチャーした。

「よし、じゃあまず黒蜜から……きみは、どうしてここに来たんだ?」

「どうして“ここ”に、か……そんなの、わたしが知りたいよ」

「え?」

「……いいえ。それより、お兄ちゃんは、その……思ったより馴染んでますね。ここ、日本じゃないんすよ?」

「あ、ああ。目が覚めたらいきなりこんなところだしな。知り合いもいないし……けど」

「けど?」

「そこで、ここの連中に拾われたんだよ。彼女ら、キリーたちがいなかったら、俺は今日この場にいれなかった」

「この人たちに……」

黒蜜は胡散臭そうな目でキリーたちを見つめた。キリーは胸を張ってその視線を受け止める。

「まあ、それは分かったっすけど……じゃあなんで、今もここにいるんすか?」

「ああ、実は俺、昔のことをよく思い出せないでいるんだ」

「え?」

「記憶喪失っていうのか……断片的にしか覚えて無いんだよ」

「……じゃあ、もしかしてわたしのことも?」

「ああ……ごめんな。名前と顔くらいはなんとかなったんだが」

黒蜜は、しばらくうつむいたままだった。だがそのうち、意を決したように顔を上げた。

「……“あの日”のことも、覚えて無い?」

「うん?悪い、なんのことだか……」

「い、いいの!分かんないなら……」

黒蜜は慌てて手をぶんぶん振った。

「えっと……そっか、じゃああんまり昔の話をしてもしょうがないっすね。記憶喪失か……まさかそうなるとは」

「うん?どういう意味だ」

「いえ、こっちの話っす。とりあえず、今のわたしは今警察官をやってて、最近このパコロの町に配属されたんす」

「ああ、恰好からそうかと思ってたが、ほんとに警官なんだな」

「ええ、まあ。それでいざ現地に付いてみたら……」

黒蜜はにわかに顔をこわばらせた。ぎりり、と奥歯を噛みしめる音がする。

「この町の惨状ときたら!こんな場所を放置しておく政府が信じられない!治安も風紀も目を見張るっすけど、極めつけは巷で出回ってるあの“薬”!」

「薬……?」

「いわゆる違法ドラッグっす。成分は詳しく知らないけど、麻薬みたいなものだと思いますよ」

麻薬、という言葉が、みなをざわつかせた。
アプリコットが、信じられない、といった表情でたずねる。

「麻薬……そりゃ出回ってないとは言えないけど、でもそれは裏の裏、闇マーケットでの話よ。それが今、目立つほどの表層でやり取りされてるってわけ?」

「しらばっくれないでください。あなたたちが出所なんでしょう!」

黒蜜はバン!とテーブルを叩いた。どういうことだ?俺たちが、薬の出所?

「だから違うって言ってるのに~……」

キリーがうんざりしたように肩を落とした。スーも苦笑いを浮かべている。

「あはは……さっきからこの調子で、全然取り合ってくれないんだ」

「ウソばっかりつくからっす!このあたりで一番おっきいヤクザはここだって聞きました!あなたたちじゃなかったら、誰だって言うんすか!」

なるほど、もめていた理由はそれか。

「黒蜜、落ち着いてくれ。メイダロッカは薬には手を出してないよ」

「もう!どうしてお兄ちゃんはヤクザの肩ばっかり持つんすか!いくら恩があったって、こいつらは所詮ヤクザなんすよ!」

黒蜜はソファにどっかり座り込むと、腕組みしてむすっと黙りこんだ。参ったな、なんて言おう?

「ええっと……黒蜜。実は俺、この組でヤクザをやってるんだ」

「は……?」

黒蜜はぽかんと口を開けている。

「前の世界、日本にいたときから、そうだったらしいんだよ。黒蜜はなにか知らないか?」

「いやいや、何言って……」

そこまで言って、黒蜜ははたと口をつぐんだ。

「……知らないっすね。お兄ちゃん、卒業したらすぐ家を出ていっちゃったから」

「そうか……けど、どうやらそうらしい。そのことは覚えてたんだ」

だとすると、俺は高校卒業のその後でヤクザになったことになるのか。家を出てから、一体なにがあったんだろう?

「けどだとしたら、お兄ちゃん!こんなとこ抜け出そう?わたし、今一人寮暮らしなんです。お兄ちゃん一人くらいなら、かくまったってばれやしないっすよ」

「いや、そうもいかんだろう……」

すると痺れを切らしたように、キリーがずいっと身を乗り出した。

「あなた、いい加減にしてよね!ユキはウチの組員なんだから。勝手に引っ越しさせないで!」

「なんすか!あなたこそいい加減にしてください!ヤクザごときがわたしに命令するなんて、逮捕するっすよ!」

黒蜜とキリーの間に、ばちばち火花が散っている。

「おい二人とも、少し落ち着いて……」

「なに!」

「なんっすか!」

「うおっ……じゃなくって!」

俺はごほん、ごほんと咳ばらいした。

「二人とも、俺抜きで俺の話をしないでくれよ。心配してくれるのは嬉しいが、これじゃ纏まるものも纏まらない」

「う……」

「まあ、そうっすけど……」

「黒蜜。俺は自分の意思でこの組に入ったんだ。理由はどうあれ、そこに後悔はないよ」

「……」

「それに、組で薬を売り捌いてもいない。きっと別に黒幕がいるんだ。俺でよければ、犯人探しを手伝わせてくれ」

キリーが目を丸くした。

「ユキ!ヤクザが警察を手伝うの?」

「それは仕方ないだろ?薬なんかでシマを荒らされたら、俺たちの面目が丸つぶれだ」

「それはそうだけど……」

「……はぁ、もういいっすよ」

黒蜜はすくっと立ち上がった。

「ヤクザなんかの手は借りませんから。この事件は、わたしの独力で捜査します。あなたたちみたいなおバカな人たちは、捜査線上から外しておいてあげるっすよ」

「あ、おい。待てよ黒蜜……」

「あなたのことも、金輪際兄とは認めません。今からわたしたちは赤の他人です」

黒蜜はこちらをきっ、と睨み付けた。

「これからは“センパイ”と呼ばせてもらいますから。ではセンパイ、また」

バタン!
扉が閉まり、後には呆気に取られる俺たちだけが残された。ウィローがあきれたようにつぶやく。

「……赤の他人は、先輩と呼ばないのでは?」

アプリコットがそれに続く。

「それよりも、またって言ってたわよ。会う気マンマンみたいね、センパイ?」

「……頭が痛いな」

黒蜜……俺の妹を名乗る、警察官の少女……いや、年齢的には二十歳を越えているはずなのか。彼女はなぜ、この世界にいるのだろう?なぜ俺たち兄妹が、この世界に招かれたのだろう……

答えのない疑問に、俺は頭を抱えるばかりだった。

続く

《投稿遅れ申し訳ございません。次回は木曜日投稿予定です》
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