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第十一話 - 笑顔のまじない
──翌日。
「こりゃ、立派なシシ垣だねぇ」
日が昇り、暑さを感じはじめる頃。朝食と簡単な家事を終わらせた僕たちは、村と山の境目を歩いていた。この村の怪異がどの方向から来ているのか確かめるためだ。
スズが感心しているのは、畑をイノシシやシカから守るシシ垣だ。掘りを造り、石垣を積み上げ、イノシシやシカが人里に入り込まないようにしてある。
「この辺のはね。本当は村全体をこれで囲う予定だったのに、最近の豊作続きで中止されてる」
スズの言う通り、人間は怠惰な生き物なのだろう。必要に迫られないと動かないのだから。
「それにこれくらいの石垣なら、飛び越えてくるやつもいる」
昔、巨大なイノシシが畑を荒らしたことがあった。僕と師匠でシシ垣に追い込んで仕留めようとしたが、あのオオイノシシは一メートル以上ある石垣を飛び越えて山に逃げたのだ。
「イノシシって強いからねぇ。足速いし、力も強い。しかも海を泳ぐらしいよ!」
「本当に?」
「本当本当。少し南に行った島村もシシ害がひどくて、ある島は村の男連中全員が一列に並んで島の端から端までイノシシを狩って歩いたんだって。その時は完全にイノシシがいなくなったけど、数年後にはまたイノシシの姿を見るようになって、海から来たとしか考えられない! ってなったんだよ。漁師の中には、海を泳ぐイノシシを見た人がいるとか。あたしは見たことないけどね」
僕が相手にしている獣は、想像以上に強いようだ。
そうやって他愛もない会話をしながら村の周りや山を歩くこと数日。時にはスズ一人で出ていくこともある。それでも日没までには戻り、僕が買ってきた茶碗でご機嫌な夕食を食べ、「まだちょっとかび臭い」と文句を言いながら眠るのだ。
「……今日は何をしてきたの?」
夕食時、僕は満足げに茶碗を眺めるスズに尋ねた。今日も午後から一人でどこかに行っていたから。
「気になる?」
悪だくみするように口の端を上げて笑うスズの顔はすっかり見慣れてしまった。僕をからかいたいときと、隠したい何かを冗談でごまかすときに見せる表情だ。
「一応」
彼女への関心を見せるのは少し恥ずかしかったが、僕は素直に肯定した。
「黄泉から来た植物をむしゃむしゃしてきたんだよ」
「ひとりで?」
「ひとりで」
彼女の答えに僕は顔をしかめた。怒りに似た黒い感情が胸にある。僕はスズから怪異調査の手伝いを頼まれたのではなかったか。それなのに彼女は僕を置いて、勝手に解決へ向かおうとしているらしい。
「明日は僕も行く」
僕は顔を上げてスズを見た。彼女の目は驚いたように一瞬大きく見開かれ、しかしすぐに白い茶碗へと伏せられた。それは彼女には珍しい、ためらいのしぐさだ。
「びっくりするよ?」
その声にいつもの陽気さはない。
「構わない」
逆に僕が覇気のある声を出した。
彼女の様子。きっと、彼女と共に行った先に、彼女が隠したがっている何かがあるのだろう。それを知りたいと思った。
「……じゃあ、おいで」
短い間のあと、スズは笑顔を見せた。
「あとで後悔しても知らないからね!」
冗談を言うような明るい声と、脅すように伸ばされた彼女の髪の毛。蛇の頭にコツンと鼻を叩かれても僕は動じなかった。スズに試されているような気がしたから。
「ちゃんと僕を連れて行くのを忘れないでよ」
それどころか、気の抜けた声を出して、まったく驚いていない風を装った。
「キミがついてくるんだよ」
と笑みを含んだ声に言い返されてしまったが。
「あはははは」とスズの明るい声が暗くなりはじめた小屋の中に響き渡る。それにつられて僕も笑みを浮かべた。
「最初のロロはずーっと眉間にしわ寄せてたけど、最近は結構笑うようになったよねー」
「うるさい」
僕は慌てて笑みを消そうとしたが、それにスズが変顔で対抗してくる。唇を尖らせ、ほほを上げ、白目をむき、髪の毛を放射状に逆立てて。しかも、頭の上には聖杯のように大切そうに掲げられた白い茶碗があるのだ。描かれた四つ葉模様が良く見えるように方向まで調整して。
「ぅぷ……、っくははははは!」
さすがに耐えきれなかった。うつむいて笑い顔を隠したあと、もう一回スズを盗み見る。
「あっはっはは!」
その瞬間、再び笑いが噴き出した。彼女が唇と髪の形を変え、また違った変顔をしていたから。
「もう……、やめ……」
しこたま笑わされたあと、僕は床にうずくまって息も絶え絶えに懇願した。何度も違うパターンの変顔を見せられ、変顔での笑いが薄くなりはじめたら今度は髪の毛でのくすぐり攻撃を加えられた。おなかが痛くて引きつりそうだ。
「うんうん、その顔が良いよ」
スズは顔の穴と言う穴から汁を出す僕を見て、満足そうに笑っている。
「黄泉から来たものは、魂の影響を受けるって言ったでしょ? 怠惰な魂が幽霊作物を作っちゃうって。でも、魂のあり方によっては、役に立つんだよ。魂が生真面目ならその人はより真面目で勤勉になるし、魂が陽気で明るければ、もっともっと元気に明るくなれる。だから、毎日元気で前向きに、ね!」
最後の仕上げとばかりに、スズの両指が僕のほほを笑顔の形に持ち上げた。
「だから、君はそんなに陽気なわけ?」
僕はスズに作られた笑顔を維持したまま、彼女の顔を見上げた。スズは、「えへへ」と照れたように笑っているだけだが、きっとその通りなのだろう。彼女の迷惑なまでの陽気さは、ヨモツヘグイと戦うために身に着けた技術なのかもしれない。そう考えると、少しだけ彼女を見る目が変わった。彼女の能天気さの裏にある思慮深さを見た気がして。
「笑ってごまかすなよ」
僕は楽しい雰囲気を維持するために、ツッコミを入れた。
「笑ってれば、黄泉の悪い影響を受けないんだよーん」
「あははは」と笑い声をあげながら、スズは両手で茶碗を掲げて土間へ走っていく。夕食で使った食器を片付けるのだろう。
「こら逃げるな!」
僕は空になった食器と釜を持って、スズの背中を追いかけた。二人で楽しい時間を演じるのだ。この楽しさのどこまでが演技で、どこからが本当の気持ちなのかわからなくなるくらいに。
「こりゃ、立派なシシ垣だねぇ」
日が昇り、暑さを感じはじめる頃。朝食と簡単な家事を終わらせた僕たちは、村と山の境目を歩いていた。この村の怪異がどの方向から来ているのか確かめるためだ。
スズが感心しているのは、畑をイノシシやシカから守るシシ垣だ。掘りを造り、石垣を積み上げ、イノシシやシカが人里に入り込まないようにしてある。
「この辺のはね。本当は村全体をこれで囲う予定だったのに、最近の豊作続きで中止されてる」
スズの言う通り、人間は怠惰な生き物なのだろう。必要に迫られないと動かないのだから。
「それにこれくらいの石垣なら、飛び越えてくるやつもいる」
昔、巨大なイノシシが畑を荒らしたことがあった。僕と師匠でシシ垣に追い込んで仕留めようとしたが、あのオオイノシシは一メートル以上ある石垣を飛び越えて山に逃げたのだ。
「イノシシって強いからねぇ。足速いし、力も強い。しかも海を泳ぐらしいよ!」
「本当に?」
「本当本当。少し南に行った島村もシシ害がひどくて、ある島は村の男連中全員が一列に並んで島の端から端までイノシシを狩って歩いたんだって。その時は完全にイノシシがいなくなったけど、数年後にはまたイノシシの姿を見るようになって、海から来たとしか考えられない! ってなったんだよ。漁師の中には、海を泳ぐイノシシを見た人がいるとか。あたしは見たことないけどね」
僕が相手にしている獣は、想像以上に強いようだ。
そうやって他愛もない会話をしながら村の周りや山を歩くこと数日。時にはスズ一人で出ていくこともある。それでも日没までには戻り、僕が買ってきた茶碗でご機嫌な夕食を食べ、「まだちょっとかび臭い」と文句を言いながら眠るのだ。
「……今日は何をしてきたの?」
夕食時、僕は満足げに茶碗を眺めるスズに尋ねた。今日も午後から一人でどこかに行っていたから。
「気になる?」
悪だくみするように口の端を上げて笑うスズの顔はすっかり見慣れてしまった。僕をからかいたいときと、隠したい何かを冗談でごまかすときに見せる表情だ。
「一応」
彼女への関心を見せるのは少し恥ずかしかったが、僕は素直に肯定した。
「黄泉から来た植物をむしゃむしゃしてきたんだよ」
「ひとりで?」
「ひとりで」
彼女の答えに僕は顔をしかめた。怒りに似た黒い感情が胸にある。僕はスズから怪異調査の手伝いを頼まれたのではなかったか。それなのに彼女は僕を置いて、勝手に解決へ向かおうとしているらしい。
「明日は僕も行く」
僕は顔を上げてスズを見た。彼女の目は驚いたように一瞬大きく見開かれ、しかしすぐに白い茶碗へと伏せられた。それは彼女には珍しい、ためらいのしぐさだ。
「びっくりするよ?」
その声にいつもの陽気さはない。
「構わない」
逆に僕が覇気のある声を出した。
彼女の様子。きっと、彼女と共に行った先に、彼女が隠したがっている何かがあるのだろう。それを知りたいと思った。
「……じゃあ、おいで」
短い間のあと、スズは笑顔を見せた。
「あとで後悔しても知らないからね!」
冗談を言うような明るい声と、脅すように伸ばされた彼女の髪の毛。蛇の頭にコツンと鼻を叩かれても僕は動じなかった。スズに試されているような気がしたから。
「ちゃんと僕を連れて行くのを忘れないでよ」
それどころか、気の抜けた声を出して、まったく驚いていない風を装った。
「キミがついてくるんだよ」
と笑みを含んだ声に言い返されてしまったが。
「あはははは」とスズの明るい声が暗くなりはじめた小屋の中に響き渡る。それにつられて僕も笑みを浮かべた。
「最初のロロはずーっと眉間にしわ寄せてたけど、最近は結構笑うようになったよねー」
「うるさい」
僕は慌てて笑みを消そうとしたが、それにスズが変顔で対抗してくる。唇を尖らせ、ほほを上げ、白目をむき、髪の毛を放射状に逆立てて。しかも、頭の上には聖杯のように大切そうに掲げられた白い茶碗があるのだ。描かれた四つ葉模様が良く見えるように方向まで調整して。
「ぅぷ……、っくははははは!」
さすがに耐えきれなかった。うつむいて笑い顔を隠したあと、もう一回スズを盗み見る。
「あっはっはは!」
その瞬間、再び笑いが噴き出した。彼女が唇と髪の形を変え、また違った変顔をしていたから。
「もう……、やめ……」
しこたま笑わされたあと、僕は床にうずくまって息も絶え絶えに懇願した。何度も違うパターンの変顔を見せられ、変顔での笑いが薄くなりはじめたら今度は髪の毛でのくすぐり攻撃を加えられた。おなかが痛くて引きつりそうだ。
「うんうん、その顔が良いよ」
スズは顔の穴と言う穴から汁を出す僕を見て、満足そうに笑っている。
「黄泉から来たものは、魂の影響を受けるって言ったでしょ? 怠惰な魂が幽霊作物を作っちゃうって。でも、魂のあり方によっては、役に立つんだよ。魂が生真面目ならその人はより真面目で勤勉になるし、魂が陽気で明るければ、もっともっと元気に明るくなれる。だから、毎日元気で前向きに、ね!」
最後の仕上げとばかりに、スズの両指が僕のほほを笑顔の形に持ち上げた。
「だから、君はそんなに陽気なわけ?」
僕はスズに作られた笑顔を維持したまま、彼女の顔を見上げた。スズは、「えへへ」と照れたように笑っているだけだが、きっとその通りなのだろう。彼女の迷惑なまでの陽気さは、ヨモツヘグイと戦うために身に着けた技術なのかもしれない。そう考えると、少しだけ彼女を見る目が変わった。彼女の能天気さの裏にある思慮深さを見た気がして。
「笑ってごまかすなよ」
僕は楽しい雰囲気を維持するために、ツッコミを入れた。
「笑ってれば、黄泉の悪い影響を受けないんだよーん」
「あははは」と笑い声をあげながら、スズは両手で茶碗を掲げて土間へ走っていく。夕食で使った食器を片付けるのだろう。
「こら逃げるな!」
僕は空になった食器と釜を持って、スズの背中を追いかけた。二人で楽しい時間を演じるのだ。この楽しさのどこまでが演技で、どこからが本当の気持ちなのかわからなくなるくらいに。
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