45 / 201
第二部 - 三章 龍の領域
三章五節 - 龍姫の祈り
しおりを挟む
「面倒だな……」
さらにしばらく進んで、大斗が止まった。厳しい顔で巨木の生える森を睨み据えている。
「先輩、もしかして……」
不安そうに尋ねる与羽の前で、大斗は一歩二歩と森に踏み込んだ。
「あまり奥へは――」
その背に空が警告する。
「わかってるよ。お前は与羽をしっかり捕まえてて」
大斗はさらに数歩進んで身を低くすると、降り積もった落ち葉に触れたり、地面に目を凝らしたりした。
「先輩」
大斗を追って、与羽もゆっくりと山道を外れた。腕と帯の背を空につかまれているが、ある程度は進ませてくれるらしい。足の下に降り積もった落ち葉は分厚く、足首まで埋まった。その下にもまだ葉や腐葉土が幾層にも積もっているようで、驚くほど柔らかい。与羽は足を取られないように気を付けて、さらに進んだ。
遠く前方に見える大斗は、先ほどから同じ場所に膝をついている。
「先輩!」
与羽が呼びかけると、大斗はゆっくりと立ち上がって戻ってきた。
「……これ以上は追えない。落ち葉が分厚くて地面まで跡が残ってないし、風で葉の位置が変わってる」
与羽や大斗の歩いた跡は、落ち葉がかき分けられ筋になっていたが、辰海の痕跡は確かに見えない。
「けど、踏んで破れた落ち葉とか、山道の土がついとる葉を追えば――」
それでも与羽は食い下がった。大斗ならば与羽には見つけられない小さなしるしを追いかけられるのではないかと。
「確度が低い。無理に追ったら、戻れなくなりそうだ。この先には?」
大斗は辰海が進んでいったと思われる方向をまっすぐ指差して空に尋ねた。
「…………」
空はしばらく無言だった。巨木の間を見透かすように、長い前髪の下で目を細めているのがわかる。
「この先にあって、古狐文官が呼ばれそうな場所は……、龍山」
厳かにそう呟く。
すっと空が指さした先には、葉を落とした枝を透かして大きな山の影が見えた。天駆に向かう途中にも見た、巨大な山。いまだに熱を持った活火山で、与羽たちが旅の目的地にしていたのも、龍山の麓に湧き出す温泉地だった。
「そこまで行けるの?」
「……いえ。安全の保証は致しかねます」
「それなら良かった。与羽が変な気を起こさなくて済む」
大斗の表情には少し疲労が見える。仏頂面で手近にあった長い枝を一本拾ってくると、力いっぱい地面に突き立て目印にした。
「一回戻ろう」
与羽をまっすぐ見据えてそう言った。
「でも――」
「戻るよ」
大斗は繰り返した。与羽の肩を痛いほどにつかむと、無理やり山道まで連れ戻した。そのあとも、天駆の屋敷の方へ乱暴に押して歩く。自分よりはるかに背が高く、体格のいい大斗の腕力に抗えないのが悔しい。
「辰海が――」
「あいつなら無事だよ」
大斗は言葉少なくそう請け負った。辰海が大切な与羽を置いて、永遠に消えるなんてありえない。何がなんでも与羽の元へ戻ろうとするはずだ。その点だけは信頼できる。
「けど――」
与羽の両目には涙が溜まっていた。
「お前のその弱虫じみた顔、嫌いだな」
いま言うべきことではないとわかっているのだが、口をついて出てしまった。
「チッ」
これは自分に対する舌打ちだが、与羽は勘違いしたかもしれない。
「お前の方が俺より古狐を知ってるはずだ。お前が信じてやらなくてどうするの? あいつは勝手にいなくなるような無責任なやつ?」
「……違う」
与羽の小さな答えが返って来た。
「あいつがどこかに行って、帰ってこないなんてことあった?」
「……ない」
「俺は、あいつは見かけよりはたくましくてしたたかな奴だと思ってるし、そのうち帰ってくると思うんだけど、お前はどう?」
「帰って来るかもしれんけど……」
与羽も辰海を信じているのだ。何もできずに待つしかない自分が不甲斐なくてもどかしいだけ。
「もし、お前が無理をして古狐を捜しに行って、迷っちゃったら? 自力で戻って来た古狐が、お前がいないことを知ったらどうなるか考えてみなよ」
きっと自分を深く責めて、今の与羽以上に取り乱すだろう。その先は――。与羽はあえてそれ以上の想像をしなかった。それは与羽には負いきれないほど重いものだったから。
「……わかりました」
納得するしかない。自分のためにも、辰海のためにも。
「でも、ちょっとだけ待ってください」
与羽はそう頼んで振り返った。まっすぐ梢の先にある龍山を見据えて膝をつく。与羽を抑えていた空の手が離れた。
――龍神様、どうか辰海を無事に帰してください。
祈りを込めて指を組み合わせた与羽の隣で、空も同じように膝をついてくれた。その後ろで大斗が大きく息をつく。彼は与羽や神官の空ほど信心深くないし、神に祈ることもしない。それでも、与羽の肩を掴んでいた手を離すと、腰の刀を鞘ごと抜き取り、それを胸に当てて首を垂れた。中州の武官がよく見せる敬礼の一つだ。
――与羽。
祈る与羽の脳裏に辰海の呼び声が聞こえた気がした。「心配いらないよ」と言うようにほほえむ彼の顔が脳裏をよぎる。幻だとしても、今はそれにすがるしかない。
――どうか、無事で。
強く強く、そう祈った。
さらにしばらく進んで、大斗が止まった。厳しい顔で巨木の生える森を睨み据えている。
「先輩、もしかして……」
不安そうに尋ねる与羽の前で、大斗は一歩二歩と森に踏み込んだ。
「あまり奥へは――」
その背に空が警告する。
「わかってるよ。お前は与羽をしっかり捕まえてて」
大斗はさらに数歩進んで身を低くすると、降り積もった落ち葉に触れたり、地面に目を凝らしたりした。
「先輩」
大斗を追って、与羽もゆっくりと山道を外れた。腕と帯の背を空につかまれているが、ある程度は進ませてくれるらしい。足の下に降り積もった落ち葉は分厚く、足首まで埋まった。その下にもまだ葉や腐葉土が幾層にも積もっているようで、驚くほど柔らかい。与羽は足を取られないように気を付けて、さらに進んだ。
遠く前方に見える大斗は、先ほどから同じ場所に膝をついている。
「先輩!」
与羽が呼びかけると、大斗はゆっくりと立ち上がって戻ってきた。
「……これ以上は追えない。落ち葉が分厚くて地面まで跡が残ってないし、風で葉の位置が変わってる」
与羽や大斗の歩いた跡は、落ち葉がかき分けられ筋になっていたが、辰海の痕跡は確かに見えない。
「けど、踏んで破れた落ち葉とか、山道の土がついとる葉を追えば――」
それでも与羽は食い下がった。大斗ならば与羽には見つけられない小さなしるしを追いかけられるのではないかと。
「確度が低い。無理に追ったら、戻れなくなりそうだ。この先には?」
大斗は辰海が進んでいったと思われる方向をまっすぐ指差して空に尋ねた。
「…………」
空はしばらく無言だった。巨木の間を見透かすように、長い前髪の下で目を細めているのがわかる。
「この先にあって、古狐文官が呼ばれそうな場所は……、龍山」
厳かにそう呟く。
すっと空が指さした先には、葉を落とした枝を透かして大きな山の影が見えた。天駆に向かう途中にも見た、巨大な山。いまだに熱を持った活火山で、与羽たちが旅の目的地にしていたのも、龍山の麓に湧き出す温泉地だった。
「そこまで行けるの?」
「……いえ。安全の保証は致しかねます」
「それなら良かった。与羽が変な気を起こさなくて済む」
大斗の表情には少し疲労が見える。仏頂面で手近にあった長い枝を一本拾ってくると、力いっぱい地面に突き立て目印にした。
「一回戻ろう」
与羽をまっすぐ見据えてそう言った。
「でも――」
「戻るよ」
大斗は繰り返した。与羽の肩を痛いほどにつかむと、無理やり山道まで連れ戻した。そのあとも、天駆の屋敷の方へ乱暴に押して歩く。自分よりはるかに背が高く、体格のいい大斗の腕力に抗えないのが悔しい。
「辰海が――」
「あいつなら無事だよ」
大斗は言葉少なくそう請け負った。辰海が大切な与羽を置いて、永遠に消えるなんてありえない。何がなんでも与羽の元へ戻ろうとするはずだ。その点だけは信頼できる。
「けど――」
与羽の両目には涙が溜まっていた。
「お前のその弱虫じみた顔、嫌いだな」
いま言うべきことではないとわかっているのだが、口をついて出てしまった。
「チッ」
これは自分に対する舌打ちだが、与羽は勘違いしたかもしれない。
「お前の方が俺より古狐を知ってるはずだ。お前が信じてやらなくてどうするの? あいつは勝手にいなくなるような無責任なやつ?」
「……違う」
与羽の小さな答えが返って来た。
「あいつがどこかに行って、帰ってこないなんてことあった?」
「……ない」
「俺は、あいつは見かけよりはたくましくてしたたかな奴だと思ってるし、そのうち帰ってくると思うんだけど、お前はどう?」
「帰って来るかもしれんけど……」
与羽も辰海を信じているのだ。何もできずに待つしかない自分が不甲斐なくてもどかしいだけ。
「もし、お前が無理をして古狐を捜しに行って、迷っちゃったら? 自力で戻って来た古狐が、お前がいないことを知ったらどうなるか考えてみなよ」
きっと自分を深く責めて、今の与羽以上に取り乱すだろう。その先は――。与羽はあえてそれ以上の想像をしなかった。それは与羽には負いきれないほど重いものだったから。
「……わかりました」
納得するしかない。自分のためにも、辰海のためにも。
「でも、ちょっとだけ待ってください」
与羽はそう頼んで振り返った。まっすぐ梢の先にある龍山を見据えて膝をつく。与羽を抑えていた空の手が離れた。
――龍神様、どうか辰海を無事に帰してください。
祈りを込めて指を組み合わせた与羽の隣で、空も同じように膝をついてくれた。その後ろで大斗が大きく息をつく。彼は与羽や神官の空ほど信心深くないし、神に祈ることもしない。それでも、与羽の肩を掴んでいた手を離すと、腰の刀を鞘ごと抜き取り、それを胸に当てて首を垂れた。中州の武官がよく見せる敬礼の一つだ。
――与羽。
祈る与羽の脳裏に辰海の呼び声が聞こえた気がした。「心配いらないよ」と言うようにほほえむ彼の顔が脳裏をよぎる。幻だとしても、今はそれにすがるしかない。
――どうか、無事で。
強く強く、そう祈った。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
腕には、守るべきメイドの少女。
眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる