龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

文字の大きさ
83 / 201
  第二部 - 終章

終章二節 - 老主人の意思

しおりを挟む
「帰ってきた。けど、希理きりさんもおる」

 長い間風景を見ていた与羽ようは、こちらに来る人影に気づいて声をあげた。

「本当に?」

 辰海たつみも確認に歩み寄ってくる。たしかに眼下の温泉街を歩いているのは、見慣れた大柄な男二人だ。

舞行まいゆき様と白師はくしさんに声をかけて、竜月りゅうげつにお茶と茶うけの準備をしてもらってくる」

 辰海はすばやく退室していった。

「気遣いは無用だといつも言っているのに……」

 居室にやってきた希理は、丁寧に準備された茶と茶菓子にそう言った。

「そうはいかんよ。お前さんは一国のあるじじゃけぇのぅ!」

 舞行は血色の良い顔全体に笑みを浮かべている。舞行と白師は足湯で温泉を楽しんでいたようで、辰海の呼びかけにすぐ戻って来てくれた。

「それを言うなら、あなたも国を治めておられたじゃないですか!」

 希理は、空いた時間があると良くこの温泉宿を訪ねてくる。名目は与羽や舞行の様子見だが、どうやら舞行と白師に治世者として相談したいことがたくさんあるようだ。彼らほど長く政治に携わってきた者は少ない。この機会に「中州流の治世術」を身につけたいらしい。

 舞行が語るのは、良い官吏の見つけ方や官吏同士の紛争の納め方。神官家や地主、商家との付き合い方などなど。彼自身が「こうすれば良い」と言う法則を見つけているわけではないが、舞行の成功談や失敗談をたくさん聞いてまとめることで、希理はある程度体系化された「やり方」を見いだしつつあるようだ。
 白師は文官としての視点から、効率の良い仕事の進め方や、物事を確認する順序、読んでおくべき本や会うべき人など、舞行よりも具体的な話をしてくれる。彼は官吏を辞めて以降、自分の足で中州や天駆の様々な場所を旅したそうだ。そこで得た知識や会った人々の中には、希理の力になるものもある。

 希理の口からは、彼らの経験や助言を参考に実践した結果が報告される。うまくいけばそれで良い。失敗した場合は、中州と天駆の違いや相手の気質を考えて、その理由と次の策を考える。

 与羽は彼らの話を聞くのが好きだった。内容は難しくてあまりわからない時もあるが、彼らの知識と経験はきっと今後の与羽にも役立つだろう。

「舞行は春になったら帰ってしまうんか? わしはしばらく天駆で希理殿の手助けをしようと思うんじゃが……」

 難しい話の合間に白師が言う。

「そう言う約束じゃったからのぅ」

 舞行はちらりと外の風景を見た。雪が玻璃ガラスの粒をまぶしたように光る世界は、春が近いことを物語っている。与羽には変わりなく見える雪景色も、彼の経験の目を通せば、違った姿に映るのだ。

「私は、じいちゃんがそうしたいならここに残ってくれても構わんけど……」

 与羽は悩むそぶりを見せる舞行に言った。

「ここに来て、じいちゃんの足が良く動くようになっとるのは私も感じるけど、それって一時的なものなんでしょ?」

 博識な白師によると湯で頻繁に温めるのが効いているらしい。中州に戻れば、きっとまたすぐに悪くなってしまう。

「中州はすぐ近くに敵国がおる危ないところじゃし、じいちゃんと歳の近い官吏もほとんどおらんし、寅治とらじさんも死んでしもうたし。白師さんと一緒におりたいなら――」

 与羽は舞行に忠実に仕えてきた、先代古狐ふるぎつね家当主の名を出した。舞行と同年代の上級官吏は、もはやふたりしかいない。彼と共に歩んだ仲間の多くが、加齢と病で引退したり、亡くなったりしてしまった。

「もちろん、私も乱兄らんにぃもじいちゃんが一緒におってくれたら嬉しいし、心強いよ。少ない血の繋がった家族じゃもん。けど、だからこそ長生きして欲しいし……」

 祖父の死を想像して与羽はうつむいた。すぐではないだろうが、いつか必ず訪れる別れの時。それをできるだけ引き伸ばしたいと、与羽は考えている。

「たしかにここにおれば、多少生きながらえるかもしれんのぅ。じゃが、そのかわりに、大切な孫たちの顔を見る時間が減ってしまう。共に過ごす時間を伸ばしたいから長生きしたいのに、長生きするために離れては本末転倒じゃなかろうか」

「たしかに……。考えなしじゃったね」

 与羽もここに残るという手もあるが……。城下町に残してきた仲間や友人と会えないのはやはり寂しい。

「いやいや、それもお前さんの思いやり深さよ。与羽はきっと白師や希理のことも考えたんじゃろう」

 舞行は目尻のしわを深くした。

「中州には、卯龍うりゅう北斗ほくとをはじめ、信頼できる官吏がぎょうさんおる。この旅で確信したが、絡柳らくりゅう大斗だいとや下の世代も見事に成長しとるようじゃ。……たしかに、天駆に残って、この国のためにできることをするのも楽しいかもしれんのぅ。ここならば銀山や銀工町ぎんくまちも近い。普段見られん中州を楽しむのも、良い思い出になりそうじゃ」

「え……?」

 与羽が舞行の顔を見た。与羽だけではない。部屋にいる全員の目が、老主人の決断に注視している。

 全員がわずかな緊張を見せる中、舞行は普段と変わらない穏やかさで希理を向いた。

「希理、悪いんじゃが、一年ほどここにおらせてもらってもいいかのぅ? もちろん宿泊代は護衛分合わせて上乗せするゆえ」

「よろしいのですか?」

 希理は戸惑うように自分の額を撫でている。完全に中州城下町に帰る話の流れだったように思うが……。

「中州に伺いは立てとらんが、わしが言うのだからよかろうよ。孫や中州のことは大事じゃが、そっちは信頼できる者たちが全力で守り続けてくれる確信がある。わしはこの年になっても、自分の好奇心と治世者としての情熱が捨てきれんらしい」

 天駆の政治や、中州北部の現在の様子に興味をそそられているらしい。
 ためらいのない舞行の言葉に、与羽は困惑した。

 周りが思いもよらない決断を突然行い、それを強行する。城主一族が時々起こしてきた行動だ。普段の与羽は周りを巻き込む側だが、巻き込まれる方はこんな気持ちになるのか……。驚きと不安に、祖父の健康への期待と安堵。正と負の感情が同時に沸き起こって、ひどく混乱した。

「わかりました。では、中州にその旨を伝えますね」

 いち早く状況を整理して実行に移そうとしたのは、辰海だ。与羽に振り回されすぎて、慣れてしまったのだろう。
 彼には与羽が思っている以上に迷惑をかけているのかもしれない。一応心に留めておこうと、与羽は今の複雑な感情を記憶した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

処理中です...