龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

文字の大きさ
119 / 201
  外伝 - 第一章 龍姫と炎狐

一章四節 - 冷王の誘い

しおりを挟む
「それに、華奈かなさんはどうするん?」

「華奈は全く相手にしてくれないよ」

 そのすねた口調に、乱舞らんぶは目を見開いた。気を許した者の前では、大斗だいとは驚くほど感情豊かだ。

「この子と仲良くして、華奈が嫉妬するかどうか見るのも良いんじゃない?」

 しかし、やはり彼は大斗だった。

「……それはやめといた方がいいような――。そんなことに与羽ようを使わんでくれん?」

「そっか。中州の姫君の名前は与羽って言うんだったね。かわいい名前だね、与羽」

「……そんな扇情的な声で呼ばんでくれん?」

 与羽をかばうように、乱舞が二人の間に割って入った。

「別にお前に話しかけてるわけじゃないんだから、問題ないでしょ?」

「大あり」

 乱舞は冷静に指摘して、与羽を振り返った。

「与羽、こいつと話があるから、少しの間辰海たつみ君と遊んどってくれん?」

 いつもの与羽なら、たとえしぶしぶでもこの場を離れてくれるだろう。しかし与羽は、首を横に振った。

「辰海んとこには、行けんの」

 何の感情もこもらない声で言う。つきんと胸が痛んだが、精一杯感情を殺した。

「けんかでもしたの?」

 しかし、乱舞の気づかわしげな声が与羽の心をやさしく揺らす。鼻の奥がツンとするのをこらえて、与羽は首を横に振った。

「与羽……?」

 突然雰囲気を変えた妹に、乱舞は慣れない様子で手を伸ばした。そっと、壊れものを扱うように頭を撫でる。

「どうしたの?」

 やさしい声。それがいっそう与羽の我慢を打ち砕く。

乱兄らんにぃ……」

 なんでもないと言いたかったのに、与羽の目から涙がこぼれた。

 一滴落ちるとまた一滴。

 次から次へとあふれて止まらなくなった。

 考えてみれば、辰海に邪険に扱われるようになって泣きそうなったことは何度もあったが、泣いたことはなかった。我ながらよく今まで我慢できたものだと思う。
 しかし、兄のやさしい声に耐えられなくなってしまった。

「最低だね」

 泣く与羽とそれを困ったように慰める乱舞を見ながら、大斗は冷静に評価した。

「辰海、……古狐ふるぎつねの長男か。『古狐』にふさわしくないな」

 古狐は誰よりも主人に忠実でなくてはならない。

「ひっぱたいてやればいいよ、そんな奴。――おいで、俺がお前を強くしてやる」

 大斗が与羽に向かって大きく一歩踏み出した。大きな手が、まだ涙をぬぐい続けている少女に伸びる。

「な、大斗!」

 乱舞は慌てて大斗を止めようとした。しかし、大斗の方が一枚上手だ。あっという間に乱舞の制止を振り切り、与羽を抱えあげていた。

「道場に連れて行くだけだよ。男にするほど厳しくはしない。――最初のうちはね」

 いきなり抱きあげられた与羽は、驚きに目を見開いている。彼女の目の前には大斗の横顔。鋭い光を放つ濃い紫の目と、この状況を楽しむように吊り上がった口元。多くの人は彼の挑発的な表情を怖いと言うが、あまり人の敵意に触れてこなかった与羽にはさほど強い恐怖を与えなかった。

「『最初のうちは――』って……、大斗!」

「大丈夫。不必要なけがはさせない」

 声を荒げる乱舞に、大斗は澄ました様子で言う。

「そういう問題じゃ――」

 乱舞が繰り返し制止しようとしても、効果はなかった。すばやい身のこなしと巧みな話術でかわされ続けている。

「中州で武術は美徳だよ? 老若男女地位問わず剣の心得があるのはいいことだ」

 次に大斗は与羽を見る。

「与羽だって古狐にいたんなら、少しくらい剣術を習ったでしょ? 古狐は文武両道の家系だ」

 否定してくれと祈る乱舞の目の前で、与羽は浅くうなずいた。まだ涙は止まっていないが、落ち着きを取り戻しつつある。

「いいね」

 賞賛の言葉とともに、大斗の目が光る。それに気づいて、乱舞は片手で額を覆った。もう彼を止められそうにない。

「強くなりたいでしょ?」

 大斗の言葉には、肯定しか認めない強い圧力がこもっている。

 また与羽はうなずいた。さきほどよりも強く。涙でぬれた青紫色の目には、強い光が宿っている。覚悟と、少しのあこがれ。それは、辰海に守られていたころには見せなかった瞳だ。

「ほら、乱舞。この目を見なよ。お前以上に戦士らしい」

 大斗は与羽のわきを両手で抱え上げ、自分の頭よりも高く掲げた。まっすぐ見降ろしてくる与羽に嬉しそうにほほえみかける。

「はじめまして。俺は武官筆頭九鬼くき家長子。九鬼大斗だよ。よろしく」

 いまさらな気もするが、そう自己紹介した。普段の大斗からは考えられないやさしい声だ。与羽の事が相当気に入ったらしい。

「中州……、与羽です。よろしくお願いします」

 与羽も名乗った。そう言えば、自分の学友にも九鬼家出身の少年がいる。無口なのであまり話したことはないが、確か彼の目も大斗と同じ深紫色だった。

「あの……、千斗せんとの――?」

「兄貴さ。あいつがあまり喋らないのは知ってるけど、学問所で俺の話すらしないの?」

「千斗が講義や勉強関係意外で話しとるとこ、見たことない……、です」

「まったく、困った奴だね」

 弟と違って饒舌じょうぜつな大斗は、呆れたように息をついている。

「まぁいいや。早速道場へ行くかい?」

 疑問形で聞きつつも、彼は既に与羽を連れて行く気でいる。大斗は与羽が持っていた勉強道具を乱舞に押し付けると、返事を聞くことなく歩きはじめた。

「待って、大斗!」

「日没までには帰すよ」

 乱舞の静止を意に介さず、大斗は与羽を抱えたまま軽い足取りで立ち去ってしまった。

 追いかけたいが、乱舞は次期城主の身。学ばなければならないことがたくさんある。大斗のことだ、厳しく指導するだろうが、無茶はさせまい。
 沸き起こる不安を心の底に沈めて、乱舞は自分の職務へと戻った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

処理中です...