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外伝 - 第四章 文官登用試験
四章五節 - 炎狐の問題
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「与羽のために?」
辰海の口から与羽の名前が出るのを久しぶりに聞いた気がする。
「それもあるけど、一番は、辰海がつらそうだから。君にはずっと僕の一番の親友でいて欲しいから」
それはアメの本心だった。以前は与羽が心配だった。与羽のために、かつての辰海をとり戻したかった。しかし、一緒に試験に取り組むうちに、今の辰海を少し理解できた。自分の非をわかっていながら、それを受け入れられずに苦しむ辰海の心を救いたいと思ったのだ。
「君は僕のことそんなふうに思ってるの?」
辰海はいつもと違って、少し驚いた顔をしていた。問いかける辰海の声色には、わずかな安堵さえ感じられる。
「そうだよ。同性で同い年で立場も近くて、君自身の人柄も良いし」
「ありがとう」
辰海の顔には、ひさしぶりに見る笑顔があった。笑い方を忘れていたような、ぎこちない小さな笑みに、アメも破顔した。
「君は昔と変わらず、素直でまじめだよ。でも、だからこそ、君はここ最近ずっと苦しんでるように見える」
「……そうかもね」
辰海の笑顔はすでに消えていたが、そこにいつもの不機嫌さはない。不安に満ちていて悲しそうで――。きっと今見せている感情こそが、最近の辰海の心を埋めているものなのだろう。
「もし良かったら、君の話をしてくれないかな?」
アメはこの好機を逃がさなかった。
「嫌だって言ったら?」
「その時は仕方ないって諦めるよ。でも、できれば知っておきたいと思うんだ。知っていれば、官吏になった君の助けになれるから」
「……ありがとう」
辰海は再び感謝の言葉を口にした。
「君がいてくれて、本当に良かった。君の観察眼はもう十分、漏日系官吏の域にあると思う」
「えへへ」
まっすぐ親友を見つめて紡がれた言葉に、アメは照れた笑いを浮かべた。
「でも、それを言うなら辰海だって、もう文官としてやっていけるだけの能力を持ってると思うよ。僕はこの四次試験で、本当に君に助けられた」
「でも、僕の心構えは官吏として不適切だって思ってるでしょ?」
冗談を言うような軽い口調。辰海の機嫌が良いのはありがたいが、受け答えは慎重にしなくてはならない。
「それは……」
「いいよ。僕だってダメなんだって、わかってる。官吏は人と協力するものだし、城主一族の与羽をないがしろにするのもよくない。でも、与羽とは関わりたくないんだ……」
「うん。そこまでは知ってる。できれば、その理由を知りたいんだけど」
「うん……」
辰海は力なくうなずいて、一つため息をついた。
「なんだろう。でも、やっぱり……、話したくない。間違ってるってわかってるから。間違っているんだから改めればいいし、その方が人間関係も仕事もうまくいくだろうって思う。でも……」
辰海の吊り上がった目がアメを見た。
「今の僕は君にどう見える?」
突然の問いかけ。
「もったいないな、って思う」
アメは正直に答えた。自分が四次試験の課題として提出した人事評価を思い出す。その中には、もちろん辰海の評価も含まれていた。友人だからという忖度のない、官吏として分析した辰海……。
「君の能力は申し分ない。知識、判断力、行動力共に優れ、すでに中級文官並みの技量がある。特に、記憶力と書写精度はずば抜けて高いよね。分野によっては上級文官にも食い込めるかも。でも、頑固で、自分で何でもできちゃうから人に協力を求めることをしない。いつか致命的な思い違いをして大きな失敗をするんじゃないかってひやひやしてる」
「そうだね。そうかも。そうならないように、注意と努力はしてるつもりだけど」
辰海は自嘲気味に笑んだ。
「じゃあ、昔の僕はどう見えてた?」
「強くて、完璧だった」
アメは即答した。
「僕じゃ絶対敵わない、天才だって思ってたよ」
何をやってもそつなくこなし、城主一族の姫に誰よりも頼られている。しかし、その態度に高慢なところはなく、純粋に憧れていた。彼の学友でいられることが誇りですらあったのだ。
「完璧、……か」
辰海はさらに表情をゆがめた。
「でも、君にとっては、全然完璧じゃなかったんだね……」
彼の様子にアメは慌ててそう付け足す。顔やしぐさに現れる辰海の本心を見逃さないようにしなくては。
「僕は、そう思ってる」
辰海はうなずいた。その視線がどんどん下がり、机の上に重ねられた自分の手へ。その様子がアメには何かをためらっているように見えた。だから、彼の言葉を待った。
半分ほど開けた戸口からは、生暖かい夏の風が入り込んでくる。辰海のこめかみを汗が伝っていくのが見えた。白いほほを撫で、首筋を流れて襟元に吸い込まれていく。
「僕は……、僕は首席で文官準吏になれると思う?」
小さく、かすれた声だった。そこからにじみ出す隠しきれない不安に、アメはゆっくりとまばたきした。
「どうだろう……」
「試験の通過順予想、提出したんでしょ?」
一度はごまかそうとしたが、辰海には通用しない。
「聞いて、どうするの?」
それでもアメは答えたくなかった。それはきっと、辰海にとってうれしくない答えだから。
「どうもしない。ただ、今の僕の実力を把握したいだけ」
「君だって、昔の自分の方ができるってわかってるんじゃん……」
アメはため息をついた。
「四次試験の通過予想順。一位、古狐辰海。二位、漏日天雨。三位、柊影狼。四位、硬玉七貴。五位、栗橙条善仁。これは予想通りの結果だったね。いや、正直六位に太一がいたのは驚いたけど。彼は能力こそ高いけど、あえて目立たない順位を目指すと思っていたよ。そして、五次試験予想順――」
辰海は仮面のように表情を硬くして、アメの言葉に聞き入っている。
「一位、漏日天雨。二位、古狐辰海。あとは四次試験と同じ順……」
辰海の口から与羽の名前が出るのを久しぶりに聞いた気がする。
「それもあるけど、一番は、辰海がつらそうだから。君にはずっと僕の一番の親友でいて欲しいから」
それはアメの本心だった。以前は与羽が心配だった。与羽のために、かつての辰海をとり戻したかった。しかし、一緒に試験に取り組むうちに、今の辰海を少し理解できた。自分の非をわかっていながら、それを受け入れられずに苦しむ辰海の心を救いたいと思ったのだ。
「君は僕のことそんなふうに思ってるの?」
辰海はいつもと違って、少し驚いた顔をしていた。問いかける辰海の声色には、わずかな安堵さえ感じられる。
「そうだよ。同性で同い年で立場も近くて、君自身の人柄も良いし」
「ありがとう」
辰海の顔には、ひさしぶりに見る笑顔があった。笑い方を忘れていたような、ぎこちない小さな笑みに、アメも破顔した。
「君は昔と変わらず、素直でまじめだよ。でも、だからこそ、君はここ最近ずっと苦しんでるように見える」
「……そうかもね」
辰海の笑顔はすでに消えていたが、そこにいつもの不機嫌さはない。不安に満ちていて悲しそうで――。きっと今見せている感情こそが、最近の辰海の心を埋めているものなのだろう。
「もし良かったら、君の話をしてくれないかな?」
アメはこの好機を逃がさなかった。
「嫌だって言ったら?」
「その時は仕方ないって諦めるよ。でも、できれば知っておきたいと思うんだ。知っていれば、官吏になった君の助けになれるから」
「……ありがとう」
辰海は再び感謝の言葉を口にした。
「君がいてくれて、本当に良かった。君の観察眼はもう十分、漏日系官吏の域にあると思う」
「えへへ」
まっすぐ親友を見つめて紡がれた言葉に、アメは照れた笑いを浮かべた。
「でも、それを言うなら辰海だって、もう文官としてやっていけるだけの能力を持ってると思うよ。僕はこの四次試験で、本当に君に助けられた」
「でも、僕の心構えは官吏として不適切だって思ってるでしょ?」
冗談を言うような軽い口調。辰海の機嫌が良いのはありがたいが、受け答えは慎重にしなくてはならない。
「それは……」
「いいよ。僕だってダメなんだって、わかってる。官吏は人と協力するものだし、城主一族の与羽をないがしろにするのもよくない。でも、与羽とは関わりたくないんだ……」
「うん。そこまでは知ってる。できれば、その理由を知りたいんだけど」
「うん……」
辰海は力なくうなずいて、一つため息をついた。
「なんだろう。でも、やっぱり……、話したくない。間違ってるってわかってるから。間違っているんだから改めればいいし、その方が人間関係も仕事もうまくいくだろうって思う。でも……」
辰海の吊り上がった目がアメを見た。
「今の僕は君にどう見える?」
突然の問いかけ。
「もったいないな、って思う」
アメは正直に答えた。自分が四次試験の課題として提出した人事評価を思い出す。その中には、もちろん辰海の評価も含まれていた。友人だからという忖度のない、官吏として分析した辰海……。
「君の能力は申し分ない。知識、判断力、行動力共に優れ、すでに中級文官並みの技量がある。特に、記憶力と書写精度はずば抜けて高いよね。分野によっては上級文官にも食い込めるかも。でも、頑固で、自分で何でもできちゃうから人に協力を求めることをしない。いつか致命的な思い違いをして大きな失敗をするんじゃないかってひやひやしてる」
「そうだね。そうかも。そうならないように、注意と努力はしてるつもりだけど」
辰海は自嘲気味に笑んだ。
「じゃあ、昔の僕はどう見えてた?」
「強くて、完璧だった」
アメは即答した。
「僕じゃ絶対敵わない、天才だって思ってたよ」
何をやってもそつなくこなし、城主一族の姫に誰よりも頼られている。しかし、その態度に高慢なところはなく、純粋に憧れていた。彼の学友でいられることが誇りですらあったのだ。
「完璧、……か」
辰海はさらに表情をゆがめた。
「でも、君にとっては、全然完璧じゃなかったんだね……」
彼の様子にアメは慌ててそう付け足す。顔やしぐさに現れる辰海の本心を見逃さないようにしなくては。
「僕は、そう思ってる」
辰海はうなずいた。その視線がどんどん下がり、机の上に重ねられた自分の手へ。その様子がアメには何かをためらっているように見えた。だから、彼の言葉を待った。
半分ほど開けた戸口からは、生暖かい夏の風が入り込んでくる。辰海のこめかみを汗が伝っていくのが見えた。白いほほを撫で、首筋を流れて襟元に吸い込まれていく。
「僕は……、僕は首席で文官準吏になれると思う?」
小さく、かすれた声だった。そこからにじみ出す隠しきれない不安に、アメはゆっくりとまばたきした。
「どうだろう……」
「試験の通過順予想、提出したんでしょ?」
一度はごまかそうとしたが、辰海には通用しない。
「聞いて、どうするの?」
それでもアメは答えたくなかった。それはきっと、辰海にとってうれしくない答えだから。
「どうもしない。ただ、今の僕の実力を把握したいだけ」
「君だって、昔の自分の方ができるってわかってるんじゃん……」
アメはため息をついた。
「四次試験の通過予想順。一位、古狐辰海。二位、漏日天雨。三位、柊影狼。四位、硬玉七貴。五位、栗橙条善仁。これは予想通りの結果だったね。いや、正直六位に太一がいたのは驚いたけど。彼は能力こそ高いけど、あえて目立たない順位を目指すと思っていたよ。そして、五次試験予想順――」
辰海は仮面のように表情を硬くして、アメの言葉に聞き入っている。
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