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外伝 - 第六章 炎狐と龍姫
六章十五節 - まずは謝罪を
しおりを挟む動くたびに痛む胸を押さえながら、辰海は中州城の奥屋敷へと急いだ。奥屋敷に入る許可は得ていない。門を通れるかどうかは賭けだった。
「与羽のお見舞いをしたいんです。通していただくことは可能でしょうか?」
辰海は屈強な門番を見上げて、頼んだ。辰海は文官筆頭古狐家の跡取りで、古狐は城主一族と最も親しい家の一つだ。歴代の古狐のおかげで、信頼もある。与羽に会えるのならば、家柄の七光りを使う恥じらいも捨てられる。
「武器になるようなものは何もお持ちではありませんか?」
二人の門番は辰海の顔を驚いたように見つめたあと、より官位の高い方が口を開いた。
「何も持っていません」
辰海は両腕を広げて、丸腰を示す。触って武器の有無を確かめられるかと思ったが、門番は浅くうなずくともう一人に扉を開くよう指示した。古狐の名は辰海の想像以上に強いようだ。
使用人に先導されて、冷たい廊下を進む。城側にある通路は、人目に触れないよう雨戸を閉めてあった。高い位置にある窓から差し込む光は、あたりの状況を知るには十分だが、お世辞にも明るいとは言えない。陰気で寒々しくて――。辰海は逃げ出したい気持ちになりつつも、必死に足を動かした。
与羽の部屋まではもう少しだ。一ヶ所だけ雨戸が細く開けられた場所がある。唯一明るい陽光が射し込んでいるあそこに与羽がいるのだろう。辰海は、真っ白い障子に映り込む自分の影を見て、覚悟を決めた。
「失礼いたします」
呼びかけたあと、使用人が細く戸を開ける。辰海の名を出さずに戸を開けてくれたのは、彼なりのやさしさだったのだろうか。
「あ、辰海殿」
辰海が案内された部屋は、使用人の控えの間らしかった。
「竜月」
辰海は部屋の端で縫い物をしていた女官の名を呼んだ。古狐家に仕え、今は与羽の世話係をしている少女。竜月は顔を上げて、目を丸くしている。辰海がこの場所に来るのは、想定外だったろうか。
「与羽に会いたくて、来たんだ」
彼女の驚き顔に気恥ずかしさを覚えて、辰海は目をそらしながら言った。
「ご主人様は今、退屈しのぎに読書をされています」
どうやら与羽は順調に回復しているらしい。辰海が胸をなでおろした瞬間――。
「辰海?」
声が聞こえたのだろう、隣の部屋から遠慮がちに青紫色の瞳がのぞいた。ずっと見たかった紫水晶のように澄んだきれいな目。
「……与羽」
それを見ただけで、辰海は泣きそうになった。
「その顔、どしたん?」
辰海とは対照的に、与羽の目は丸くなった。良く知る表情豊かな与羽だ。傷に障らないようゆっくりと、しかし今の自分が出せる全速力で歩みよってくる与羽に、辰海は目を細めた。
「ちょっと、ね」
そう言えば先ほど大斗に殴られたのだった。思い出したように頬に触れると、そこは熱を持って腫れていた。与羽のことで頭がいっぱいで気づかなかったが、じんじんと強い痛みもある。門番や竜月が辰海の顔を見て驚きの表情を浮かべたのは、これのせいだったのかもしれない。
「ちょっとじゃないじゃろ! めちゃくちゃに殴られたみたいになっとるもん!」
「うん……。でも、これは僕が悪かったせいだから、大丈夫」
辰海は与羽を安心させようと笑みを浮かべた。顔の半分を腫らしながら笑みを作る辰海に、与羽は戸惑いと驚きの表情を見せている。
「辰海……」
与羽はそう幼馴染の名前を呼んだものの、何を言えばいいのかわからなくなってしまったようだ。手のひらで乾いた唇をゆっくりぬぐう与羽を見て、辰海はためらいがちに口を開いた。
「与羽。僕、君に謝りに来たんだ。いまさらかもしれないけど……、ごめん……」
謝罪と話し合いを――。
「僕、ずっと君に嫉妬してた。君の容姿や才能がうらやましくて、君を否定してひどいことばっかりして――。そんなことやっても、僕は君みたいになれないのに。君にまったく非はないのに、本当にごめんなさい……」
いつの間にか、辰海をここまで案内した使用人も、竜月もいなくなっている。二人きりの空間で、辰海は畳に額がつくまで深く頭を下げた。
「…………。いいよ。私、気にしとらん」
思考が定まらないのか、与羽の返答には間があった。辰海の顔を上げさせようと手を伸ばしたものの、ほほの傷に触れるのをためらって空気を撫でている。辰海は与羽の顔がギリギリ見えるところまで顔と視線を上げた。眉を垂れて両手を差し伸べる与羽。その頭にはまだ包帯が巻かれている。
「あと、その頭の傷も。僕のせいだ。僕が、あんな馬鹿なことしたばっかりに。本当に――」
落ちていく与羽の姿を思い出して、辰海は言葉を詰まらせながら再び頭を下げた。苦しみに耐えるためにその場にうずくまった、と言うのがより正しいかもしれない。あの時与羽が見せた恐怖の表情は一生忘れられないだろう。
「あれは本当にバカなことだったと思うよ。私は、辰海がけがしたり、……し、死んだりしたら悲しい」
与羽はあいかわらず力ない声で言いつつ、身をかがめた。辰海の頭に覆いかぶさるように。与羽のほほが後頭部に触れる。肩を撫でられると、与羽の腕の中にいるような気分になった。
「うん……。ごめん」
辰海は目を閉じた。
「もう絶対に、二度とせんで」
「……うん。……僕も……、君がひどいけがをして、とっても不安で怖かった。僕はなんて愚かなことをしたんだろう、愚かなことをしていたんだろうって。気づくのが遅くなっちゃったけど、本当にごめん。本当に――」
謝っても謝っても足りない気がする。
「ううん。私も辰海に頼りすぎとった。辰海に助けてもらうのが当たり前すぎて、辰海の気持ちをこれっぽっちも気にしたことなかった。辰海を追い詰めたのは、私なんだと思う」
寄り添いつつもお互いを全く見ることなく、小さな声で言葉を交わす。
「違う。僕が自分の立場と役割を理解できていなかっただけで、君は悪くない」
与羽は中州の姫君で、辰海はそれを支える古狐の人間なのだから。心の底から納得できたわけではないが、与羽と辰海が対等ではない点は理解した。
――本当は対等な関係になりたいけど……。
それでも、好きな人のためなら耐えられるはずだ。
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