2月14日

片山春樹

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2月14日 第1章? 

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はっ・・と目が覚めて、無意識が無我夢中で携帯電話を探し始めて、なぜかベットの下で裏返っている電話を掴んで慌てて画面を開いたけど・・。
「誠さん、どうして、メールとか電話とかくれないの?」とぼやいてしまうくらいに何も変化がなくて。起き上がって、キッチンの机の上のバラの花。もしや・・まさか・・誠さん、また花束を持ってマンションの前で待っていたりして・・。という予感がよぎるから、そぉぉっと窓の外を見たけど、そのような気配もあの青い車もなくて。ほっとしたのか、残念だったのか、よくわからない私。時計は、なんでこんな時間に起きたの? という5時12分で、あーまた昨日お風呂入るの忘れて寝てた、ご飯もしっかり食べてないし、あーそうだ、今日は、誠さんがナニかしでかしそうな私の誕生日だし、とりあえずは、少しくらいのおめかしもした方がよさそう。と鏡を見つめて、肌にツヤがないことに気付く。そう言えばここ最近、よく眠れていないし、こないだ栄養がありそうなもの食べたのは、カニをたらふく食べたあの日・・以来か、あの日以来、眠れていないんだな・・。はぁぁぁぁぁ。とため息吐きながら、また携帯電話を見つめて。時計だけがむなしく動き続けているから、画面を閉じて、もう一度机の上のバラの花を見つめる。
「私たち、カレカノジョの関係だよね。恋人同士になったんだよね」
そうつぶやいて、でも、それって、ナニがどう変わったのだろう・・日常はなぁーんにも変わっていなくて、もういいやと朝からシャワーを浴びて目を覚ましたら、適当な朝ごはんを食べて、おめかしはとりあえずの申し訳程度に。いつもの服を着て、ハンガーのコートを羽織って、時間が来たから部屋を出て、いつもの電車に乗って、一駅。改札を抜けて、無意識に振り返ってしまった伝言板・・の前に・・。
「いるわけないか・・」って、私、ナニ誠さんの残像を探そうとしているの? とまた携帯電話を気にするけど、やっぱり何も変化はなくて。今日は、ケンさんが後ろから追いついてくる前に会社のエントランスに到着してしまった。って、昨日、この場所で、あんな映画みたいな出来事があったことがウソみたい。大勢の人たちが早足で歩いていて、雑音しか聞こえなくて。あっ・・と思い出した。
「チョコレート持ってくるの忘れた・・・」
って、別に会社で渡す予定ではないけど。もぉ、何でもいいから予定くらい連絡してくれればいいのに。とまた、携帯電話に向かってぼやいている私。
「私に、人生の全てをシャシャゲルショジョんだったんじゃないの?」
なんてつぶやきながらふてくされていそう。でも、みんなはどうなんだろう? 彼氏ができちゃった次の日の朝って・・こうなのかな? ふと、虚無な気持ちで回想してしまったこと。
「そういうことでしたら、今日は会えないコト我慢します。で、はい・・明日は、恭子さんの誕生日ですし。だから、朝早くから夜遅くまで、恭子さんに全てを捧げます。あさっても必要なら、これからの人生もすべて、しゃ・・しゃ・・シャシャゲルショジョんでしゅ」
「で、明日は、何時に、どこに迎えに行けばよいでしょうか」
「あの・・恭子さん、先日分かれたマンションの前に迎えに行きます」
「あの、花束とかはいませんからね」
の次・・えっ? 私、そこで電話を切ったっけ? そのあと、どんな会話したかな? そこで電話を切っちゃった? えっ・・誠さん、もしかして。と気付いたこと・・。
「花束とかいりませんからね」
を、私の拒絶と思った? いやそんなことないでしょ・・。って、だから、音信不通なの? えっ・・ナニ、このビッグウェーブのような不安・・。という気持ちのまま、私の机、パソコンを立ち上げてメールをチェックして、今日もそれほど大した仕事はなさそう。と思ったら。プルプルと社内電話が鳴って。出てみると。
「ねぇ恭子、昨日のあの人にチョコ買ったの?」
という美沙の声、なんかこのフレーズに聞き覚えがありそうだけど。
と、何かを思ったこの瞬間から、今日、新しい人生が始まったような気がする。・・・どうして?

2月14日 第1章?  

「いいなぁ・・チョコあげる人ができちゃって」
と、受話器から聞こえる重い声には、ホラー映画によくある、ムラサキ色で表現されたオンネンのような特殊効果が匂ってくる気がして。受話器をそぉぉっと遠ざけながら
「う、うん、まあね。・・・テキトーに見繕って買うには買ったけど・・」
と、そう言えば、一番高いものを買っただなんて言ったら、今漂ってるムラサキ色のオンネンにシメコロされそう。という気持ちで。
「私も買ったんだけど、どんなタイミングで渡せばいいのアレ」と聞いてくる美沙の声に。
えぇっ? 買ったってチョコレートを? どんなの買ったんだろ? それに、どのタイミングでって、そう言えば私も・・アレってどのタイミングで渡すものなの? と自問しながら、それより、美沙って誰に渡そうとしているの? と思った時。
「あっ、恭子ちゃんおはよ、こないだの資料の事なんだけど」
と背後からケンさんが現れて。はっと受話器を塞いで、あぁ・・こいつに渡そうとしているのだろうな・・。と思いながら、一瞬受話器をふさぐ方が早かったことに、間違いなく私の反射神経は健在だ、と自画自賛してから。
「しぃぃぃぃぃ」として、受話器を覆っていた手でシッシッとケンさんを追い払いながら、コイツに・・。
「チョコ渡したいなら、昼休みとかに私が都合つけてあげようか」とケンさんがいるコト気付かれないように美沙に言うと。
「昼休みって・・都合つけるって」と返ってきた声に、わざとらしくケンさんにも聞こえるように。
「私、昼休みケンさんと一緒に食べるつもりだから、その時私の横にいれば、渡しやすいでしょ」
と気安く提案すると。ケンさんも えっ? って顔してるけど、ムシムシ。シッシッ。
「それって・・恭子の前で渡すのも恥ずかしくない・・」
「恥ずかしくないって、そんなこと言ってたら、一生ムリでしょ」
というか、別に所かまわず渡してもいいものじゃないの? 特に今日は。という感覚が私にはあるなと気付いたけど・・違うのかな? 経験ないし・・。他人事だし。
「一生ムリでしょって言い方・・・そりゃ、恭子はいいよね、彼氏できちゃったから」
彼氏できちゃったから・・って・・。あっそう言えば、美沙と話始めたら誠さんのコト意識からなくなってるね。その程度なの? いや、ただ、誠さんのコトより・・。今は美沙とのお喋りの方に意識が向かってるだけでしょ。とりあえず、誠さんのコトは美沙に伝わらないように意識から遠ざけているだけよ。
「そんな意味で言ったわけじゃないけどさ、それじゃ、私が先に行くから、ケンさんと二人っきりになったタイミングで渡せば」私がジャマなら消えてあげるし。という意味だけど。
「そ・・そんなこと・・ふ・・二人っきりだなんて」って優子みたいなモジモジ声にうんざりしながら。
「なんなら、ケンさんに言っといてあげようか? 美沙がチョコレート渡したいって、もらってあげてねって」と、すでに、ケンさんに聞こえるように言っているのだけど。相変わらずこのオトコはあっち向いてて聞いてなさそう・・。と同時に。
「そんなこと・・やめてよ・・言わないで・・」と泣き出しそうな声が聞こえて。
もぉぉ、どうしたいのよ。とは言えないけど。退屈し始めて、私の机の小物を触り始めるケンさんが気になるから、これ以上は付き合いきれないというか。
「とりあえず、お昼はケンさんと一緒に食べるから、好きにしてよ、それじゃあね」
と突っぱねてから。電話を切って。ちょっと冷たくしすぎかなとも思うけど。今日は私にも予定があるかもしれないし、ケンさんがそこにいるし「それ触らない」と大切にしてるポケモンのボールペン。だから、美沙にあまり優しく付き合ってあげるのもなんだし。つまり、不安もあるけど、私にもカレシができちゃったことで、私は美佐とは別のステージに移行したんだということだから、フフン。と、ニヤつくと。
「もういいの・・」ボールペンを戻しながらと聞いてくるケンさんに、今の会話聞いてなかったでしょ、と思いながら。
「うん・・って、こないだの資料ってナニ?」と、私も美沙との会話、一瞬で記憶の彼方。
「課長と相談したんだけどね、少し変更したいところがあって、恭子ちゃんの意見を聞きたいというかね、ほら、レイアウトと言うか、並べ方というか、メリハリと言うか、恭子ちゃんのその手の才能ってすごそうだし」サイノウスゴソウ。それって、もしかして、私を誉めてるのかな? というか、女の子にモノを頼むときの心得を掴んだのかな? と詮索しながら、黙ったまま請け負うのもなんだし、かといって、断る理由、何かないかな、と考えるけど。
「だから、もう一度ちょっと手伝ってくれないかなと頼みに来たのだけど」
と訴えるケンさんの目つきがなんとなく可愛く見えて。断る理由はないし。はいはい、あの時の企画書の事ね。と思い出しながら、説明文にあわせて資料を出す順番とか、グラフの区切り方とか、つまり、堅苦しい企画書を冒険物語のような脚本にする、私的には自分自身のこの才能はきっと、見過ぎている映画のおかげ、と思いながら、「どうしようかな」とぼやいて考える振りをしていると。
「恭子ちゃんの才能が必要なんです。お願いします」
とこんなに丁寧に頼まれると、おぉ~。悪い気はしない・・というより、無茶苦茶いい気分だから。
「まぁ、別にそういう事なら遠慮なくどうぞ。ってケンさんの机に行った方がイイの?」と視線を反らせて、笑っちゃいそうな笑顔をがまんしながら答えてみると。
「あぁ、うん、でも、恭子ちゃんの仕事とかは大丈夫?」
と少しだけど、私に気遣いしていそうな声色。だから。
「うん、大丈夫よ、いつでもケンさんはプライオリティーワン」ウフッ、なんて返事をカワイク。すると。
「アリガト、じゃ、よろしくお願いします」とつられて笑うケンさんも素敵な笑顔が、喜ぶ子供のように見えて。
「はーい、じゃ、先に帰っててよ、すぐ行くから」と声が弾んだ。
「ホントにアリガト、それじゃ後で」
「うん」でも・・。私・・さっきまでナニか考え事してたかな? 美沙と喋ると何もかもがリセットされてしまう気がするけど。まぁ・・いっか。それより、ケンさんのお手伝い・・。と、気安く返事したのはいのだけど、帰ってゆくケンさんの背中を見ながら、ふとケンさんの向かいに座っている ひとみさん の存在を思い出してしまって。どうしよう、また、あの人を見ると自信を喪失するかもしれないような・・。でも、私にも彼氏ができちゃったことだし、綺麗な人に劣等感を持つ理由は以前より少なくなってるはず。だから、まぁ、いっか。と諦めた瞬間にお腹のポケットの携帯電話がぶるぶると振るえて。びくっとしてから、おっ・・まさか・・と慌てて取り出して、オソルオソル画面を見たら。優子・・ではなくて。うっししししし、誠さんじゃないですか。やっとキター、という気持ちと。よかった、という気持ちと。この世から不安という不安が全て無くなった気持ちがする。メールだけど。これって、私たちが恋人になってからの初メール? だから、天を仰いで柏手を打ってから。
「よし」
とつぶやいて。期待を膨らませながら、そっと開いてみると。
「おはようございます恭子さん。お誕生日おめでとうございます。私から連絡するべきかどうか悩んだ末にメールをさせていただきます。昨日も申し上げましたが、今日は朝から迎えに伺おうかと思いました、しかし、仕事があることをすっかり忘れておりまして。このようなメールとなってしまいました。今日は、私の仕事が終わるのが18時頃ですから、19時頃にはお迎えに参上いたすつもりです。お迎えに参上してもよいでしょうか? お返事を、首を長くしてお待ちします 敬具」・・・敬具。とつぶやく前に、思考停止した私。・・って、どこのお客様に送信したメールなのよこんなの。まったく、ナニこのガチガチにお硬い、お笑いもずっこけもセンスのかけらもない文章は。とため息が出て、ふと、私を散々待たせておいてコレ? ったくもぉ、と、思いついたままを文章にすると。
「ブブー、もっとウキウキした気持ちで表現しなさい。プンプンの絵文字」と書いてから・・私に会いたいと思っていることを、映画のセリフみたいにキメテよ。と思う。そして、自分で笑ってしまうのもなんだけど、私的には私の気持ちが全て凝縮されている文章だなと、くすっと笑ってしまったこのメール。こんなの受け取ったら誠さんどんな顔するだろう? いいでしょ、私たち彼氏と彼女なんだから と思いながら、ためらいもなく送信ボタンを押して。しばらく。・・・・もうしばらく・・・・アレ、また返事が返ってこない・・また音信不通? と、えぇ・・ちょっと馴れ馴れしすぎたかな? いいでしょ、このくらい言い返しても、カノジョとカレシの関係なんだから、分かるでしょ、誠さんならこの内容とか、私の気持ちとか。と、もう一度自分に言い聞かせてみるけど、とまた不安になっていると、デスクのモニターにケンさんからのメールが届いて。
「どう? 来れますか?」と書いてあるから、慌てて。
「すぐ行きます」と返信した。まぁ、誠さんも仕事していそうだしね・・大丈夫よきっと・・ちゃんとメールが来たでしょ。ちゃんとつながってるし、こうして慣れていけばいい話。と自分に言い聞かせてケンさんのデスクに向かうと。画面を見ながらため息吐いてるケンさんを通り越した向こうの ひとみさん と目が合って、軽く会釈するけど、やっぱり、ひとみさん いつ見ても無茶苦茶可憐で綺麗な超絶美人、まさにオンナそのものの魔性の魅力・・が。私にニコッと微笑んてから、綺麗な手で私を手招きした。「えっ、私を呼んでますか?」と思いながら。
「おはようございます」と挨拶して ひとみさん に近づくと。ケンさんの視線が気になったけど。
「恭子ちゃん、ちょっと聞いていい?」とひとみさんもケンさんを見つめたまま小さな声で聞くから。
「なんですか?」と返事したら。ひとみさんはケンさんを気にしながら私の耳元に顔を近づけて。
「あのさ、恭子ちゃんの彼氏って、ケンちゃんじゃなくて、昨日のあの人?」とささやいた。だから。
「えっ・・ケンさんじゃなくてって・・?」どういうこと? と聞き返すと。
「ほら、あなたたちって仲良くて会社のみんなが公認してる関係なのに、昨日のあの人って何なの? ケンちゃんも目の前て恭子ちゃんにあんなことがあったのに普通だしさ」
「えぇ~なんですか ソレ?」私とケンさんって会社のみんなに公認されてたの? と目を丸くしていたら。クスっと、私でも鳥肌立ちそうなカワイイ笑顔で。
「だから、昨日慌てて買ったんだけどね、コレ」
と見せてくれたのはチョコレート? スゴイ豪勢なリボンがついてるデコレーションに見覚えがありそうな気がしたけど。だから? 慌てて買った。だから? 私のカレシはケンちゃんじゃない・・だから? ナニ? どんな文脈なのコレ・・・。
「あなたたちが、そういう関係じゃないなら、私も遠慮しなくてもいいのかなって思って」
えっ? 私たちがそういう関係じゃないなら遠慮しなくてもいいのかな? ってどういう意味ですか? そう自分に問いかけている間に。ひとみさんはその美しすぎる顔でもっと美しく うふふ っと笑って。
「けーんちゃん」と、椅子のキャスターをコロコロさせながら、惰性でケンさんの周回軌道に乗って。机の影に隠れたところで。誰にも見えない早業で、こそッと滑らかに。チョコレートの箱を。
「これ、もらってほしいな」とケンさんの膝の上に滑らせた。と同時に手はケンさんの膝をすりすりして。私にチラッと視線を向けたひとみさん。うふふっと笑っている頬は、どうすればそんなことが わざ とできるの? と思えるほど、みるみる桜色に染まってゆく。そして。
「あ・・ありがとうございます・・えぇ、いいんですか? こんなの」
と、ぎこちなくチョコレートを受け取ったケンさんに向かって。ひとみさんは笑顔を一瞬で困惑の表情に変えた。その変わりようもスゴイ・・。そして。
「もぉ、義理じゃないんだから、もう少し嬉しそうに喜んでよ」
伏せたり、睨んだり、しながらの、怒っているようで、恥ずかしがっていそうな表情から漏れるその粘り気のあるセリフ。と。
「義理じゃないんだからって?」ケンさんにはその言葉の意味は解らないかもしれない、と思った時。ひとみさんは。
「私、ケンちゃんのコト好きよ」と耳元にささやきながら耳たぶをチュッと吸って引っ張った、びろーんと伸びた耳たぶがひとみさんの唇からチュパッと離れると、ぷらんぷらんと柔らかく弾んで、なのに、何が起きたのか解っていなさそうなケンさんをじろっとにらんで、カエルに金縛りの術をかけた蛇のようなひとみさん。くすっと笑って、平然と、椅子をコロコロさせながら、惰性で自分の机に戻ってゆく。うーわ・・すげぇ・・としか言えなさそうな感想と。ひとみさん、年下は苦手とか言っていませんでしたか? という記憶がもたげたけど。私、初めて見た? こ・・これが・・チョコレートの・・わ・・渡し・・方? 
「義理じゃないんだらもう少し嬉しそうに喜んでよ」って、伏せたり睨んだりしながら怒っていそうで恥ずかしがっていそうな雰囲気、私も真似して言ってみようかなと思ったセリフと。
「私、ケンちゃんのコト好きよ」と耳元にささやいてからのフェイントキス、吸われた耳たぶがあんなに伸びて、ぷよんっと戻る。今頃になってドキドキしてくる生で見たこれって、もしかして、まさかの告白? ひとみさんが? ケンさんに? 今日ってそんな日? いや、それより、そんなことを、オフィスの誰もが気付かないうちに実行しているひとみさんってやっぱり・・魔女・・と思ったら、背筋にぞわっと感じる冷ややかな視線・・顔を上げると、向こうの柱の陰に心霊写真のようにたたずんでいる美沙が・・見ていた・・。ぞぉぉっと背筋に何かが走り抜けて。美沙って、私をウラミ殺しそう・・ノロイ殺しそう・・タタリ殺しそう。ちょっと、そんな目で見るのは、私じゃないでしょ、ひとみさんでしょ。と思っていると本当に幽霊のようにふぅぅっと消えた美沙。うーわ、サブイボが全身を3周している、膝もガクガクと振るえて。そのとき。
「あの・・恭子ちゃん・・」
「えっ・・」
と、ケンさんがうろたえている。それに、まだ膝の上にある、目立つ装飾のチョコレート。「どうしようコレ」 とテレパシーが飛んできて。
「早くしまいなさいよ、他の人にばれたらコワイでしょ」とは、条件反射的なセリフだと思う。もうすでに美沙にばれて、無茶苦茶やばく、コワイことになってるかもしれないし・・。
「あっ・・うん・・」
と、鞄にしまいにくそうな豪勢なデコレーションに何かを学習していそうな私。金縛りの術をかけられたケンさんをどう料理して食べようかと思っていそうなひとみさんの、舐めた唇をムニュムニュしながら、くすっと笑っている綺麗すぎる顔にペコペコしながら。とりあえずは仕事に戻ろうとしているケンさんの。
「あの・・恭子ちゃん・・こないだのコレなんだけど・・」という震えた声に。
「あっ・・うん」と。
空いてる椅子をコロコロと引っ張ってきてからケンさんの仕事を手伝い始めても。今日は、ひとみさんの視線が気になって集中できないというか。美沙の恨めしそうな青白い顔も気になって仕事なんて何も手に付かなくなったというか。ケンさんと目が合うと、ひとみさんに吸われて、ぷよんっと伸びてた耳たぶが妙に気になるというか。私もアレ挑戦してみようかな・・なんてことを考えていたりして。それ以上に、あんなことがあったばかりなのに、あまり動揺していなさそうなケンさんに私、ニブいって、羨ましい、とも思っていたりしてるかも。

そして、そのまま、昼休みは、4人掛けの小さな四角いテーブルで、ケンさんと一緒にご飯を食べながら。仕事の話しもそこそこに。
「ケンさんってモテるのね」
と言う話題を。正面のケンさんの無垢な顔にぶつけてみる。でも、ケンさんはきょとんとしたままで、意味が解っていなさそう。相変わらずニブい男ね。と思いながら。
「あの ひとみさん にチョコレートもらうなんて、会社中の男の子から恨まれるかもよ。それ以上に、ひとみさんに告白されて、どうする気なの? 断れる?」
なんて言ってみると。ケンさんは。
「どうするとか断れるとか、いや、それよりも、優子さんには黙っていてよ、ほかの女の子からチョコレートもらったなんてバレたら」えっ・・そっち?
なんてことを気にしているのはなぜ? という疑問と、バレたら?
「ばれたら?」どうなるの? の方に興味がいくというか。それって女の子には解らない感情?
「いや・・その・・ばれたりしたら・・さ」・・だから。
「ばれたりしたら?」どうなるの? と思っているのに。
「あの、ここイイですか?」
とお盆をもって現れたのは美沙で、あぁ、そう言えばそんなことも美沙と話してた、と思い出しながら。ケンさんの脛をコンっと蹴っ飛ばして。
「余計なことしゃべらないでよね」とオーラをこめて、ケンさんを ぎゅぅっ と睨んでも、そういう事、このオトコには伝わりそうにないね、と諦めながら。
「どうぞどうぞ、イイでしょ」と冷や汗かいた無理やりの笑顔でケンさんにも同意を求めると。
「はい、どうぞ。えっと・・美沙ちゃん」とケンさんの一言に。
「はい・・嬉しいです。私のコト覚えてくれているのですね」と美沙がプルプルと反応して恥ずかしそうに隣に座る。そんな、さっきの幽霊とはうってかわった、まるで少女漫画のような雰囲気の美沙に、ものすごい違和感を感じながら。
「チョコレート渡す気なの?」とケンさんには聞こえないように耳元にささやくと。
「しょぼすぎて渡せない」なんて言う。しょぼすぎて? ってナニ? と美沙を見つめると。美沙はケンさんに向かって。いきなり。
「あの、ケンさんって、ひとみさんとはどういう関係ですか?」
と聞いた。へっ? と思った私。そっち?
「ケンさんって、さっき、ひとみさんにチョコレート貰っていましたよね」
「えっ・・あ・・はい、いただきました」やっぱり見てたのか。だから、どうする気なのって聞いてあげたのに。しどろもどろなケンさんの態度に、何も言えない私は黙ったままで。
「付き合っているのですか・・その、ひとみさんと」と追及をやめない美沙に。
「いっ・・いいえ・・ひとみさんとはそういう関係ではありませんけど」とオロオロと自白してるケンさん。
「じゃぁ、他に誰か、付き合っている人とか」
やばい、と思うと同時に、ケンさんの脛をもう一度笑顔で蹴っ飛ばして、「あっごめん」と言いながらイーと顔をしかめると。
「・・えっ・・いえ・・その」よしよし、優子のコトとか、そういう事は美沙に話しちゃだめよ。
「えっ・・いえって、そうなんですか」と嬉しそうに輝く美沙と。
「えっ・・て・・」と私にヘルプを求めていそうなケンさん。
「ほら、恭子にはケンさんではない本命の彼氏がプロポーズするくらいだから、私にも・・」
私にも・・ナニ? と次のセリフを待ち構えているのに。
「あの・・それを聞けて安心できました・・それじゃ私はちょっと・・」
と美沙は慌てて席を立って。向こうの席の他の女の子たちのテーブルに座る。どうしたの? ナニその態度って。私にも・・ってナニ? でも、まぁいっか。とりあえずは私たちの秘密も余計なこともバレていない。でも。
「どういう意味かな? そうなんですか、それを聞けて安心できました。って」と聞くケンさんに。
「そういう意味よ」他にどんな意味があるって言うのよ。と返す。けど。私も説明なんてムリ。
「そういう意味?」 はぁぁぁぁーあ、もぉ。言葉で説明なんてできないけど、そういう意味でしょ。
本当に救いようがないニブさね、このオトコは。という気持ちと一緒になって、もたげてくるのは。もしかするとこのケンさんに雰囲気が似てる誠さんもこのくらいニブイのかな、という思い。確かにさっきのメールもなんだか雰囲気違ってたし。いや・・そんなことはない。私の知っている誠さんはアドリブでケンさんには勝っているはずだし。でも。今は、誠さんのコトは置いておいて。
「ケンさん」と、とりあえず、この場で忠告しておこう。
「はい」と無垢な表情のケンさんに。顔を寄せて。ひそひそ声で。
「会社では、優子の事とか、誠さんのコト誰にも言わないでね」特に美沙には。と命令すると。
「どうして」と意味解っていなさそう。だから。
「ケンさん、どうしてそこまでニブイのよもぉ。ばれたら、ネホリハホリ毎日朝から晩まで追及されるんだから、そういう事って。面倒臭いでしょ」他人の色恋沙汰って、ひどいときは退職勧告になるかもしれないんだから・・と言った方がイイかなと思いながら。
「追及って」やっぱり、説明してもあなたには解らないことね。
「とにかく、秘密にしてて、優子の事も誠さんのコトも。絶対誰にも言っちゃダメだから」
「はい」まだ解ってなさそうだから、ケンさんにはこういう説得が効果的かな。
「私も、ケンさんが会社の女の子にチョコもらったことは、優子に黙っててあげるから。ケンさんも、誠さんのコトは会社では絶対誰にも言わない。わかった」
「はい、わかりました」と返事するケンさんは、どことなく怯えていて。とりあえずはわかったようだから。それでいいのよ。とうなずいて、無言のまま、ご飯を食べて。回想するひとみさんの仕草とか、美沙のあの態度に、もう一度言ってあげるコト。
「ケンさんってモテるのね」そう言いながら、ケンさんの顔を見つめると、よく見るといい男だよね。だから別にイガイでもないのかな? という気もして、私も一度は、このオトコとあんなコトがあったし。それに、ふと考えると、なんとなく解ってきた、私に「バラの花束」を大勢の前で堂々と渡すあんな男の子がいることが皆にバレたからという理由があるからかな。だとしたら、毎日、こうして二人でご飯食べる仲だけど、実は何でもないんだと、他の女の子たちが気付いたからそうなったということか。と、それが答えかな、そう自分でも納得しながら。
「そうかな、でも、チョコレートなんて本当に・・」
と、とぼけていそうなケンさんの無垢な顔。まぁ、確かに、誠さんが現れなければ、私も、このオトコをどうしていたかな? と思ってしまうところもあるかな。と気付いたから。このオトコを、の部分。そんな思いを断ち切ろうと。
「ご馳走様、昼からも少し手伝ってあげるから」
と言ってみる。けど。「うん・・ありがと」と、立ち上がったケンさんに。
「あーケンさん、これ貰ってください」だなんて、また他の女の子がチョコレートを渡しに来て、わざとらしくもじもじと恥ずかしがっているふりの、この女の子って・・理恵・・あんた、ヒロシ君はどうしたのよ? と思うと、私に向けた視線に火花が飛んだ・・。そして。ひとみさんから何かを学習したのかな、ケンさんは。
「あぁー、どうもありがとう。嬉しいぃ、いただきます」だなんて、ぎこちないけど、喜びの感情があふれる笑顔でうやうやしくチョコレートを受け取って。そういう受け取り方はまずくないかな? と思ったけど。ケンさんは、大勢の前で「受け取ってもらえて私も嬉しいです」と叫ぶ理恵にハグされたりして・・。ほら・・みんな見てるよ・・ケンさん。はぁーあったくもぉ、どうなっても知らないわよ。だから。
「先に行くからね」とぼやいてから、食器を戻して振り返ると。
「あの・・また今度」と慌てて、でも、オソルオソル理恵を押し剥がして。ケンさんは。
「今日は、いろいろやりにくそうだね・・そういう日なんだな、初めて、こんなのもらうなんて」
チョコレートをプラプラさせながらそんなことをぼやいてる、ホントかな・・と思う。それと。
「わかるでしょ、そういう日が誕生日だと、どんな気持ちになるか」そう本音をぼやいてみると。
「あ・・そう言えば、まだ言ってなかったね。誕生日おめでと」ってこのオトコに私の気持ちなんて解るわけないか・・。それに。
「ナニがめでたいのよ?」と、もっとホンネをぼやきたくなるのは・・。
「いくつになるの?」やっぱりそんなことを聞くから。だから。
「オンナに歳を聞くのってセクハラよ」と言い返すと。
「えぇ・・」最近は男を黙らせるためのセリフになったね、コレ。
「とにかく、優子とか誠さんのコトとか、会社では、誰にも言わないでね」
と念を押してケンさんとは別れた。

そして、私の机に戻って背伸びすると、気持ちが切り替わって。あーそうだと、また取り出してみる携帯電話。画面を開けても、誠さん、また音信不通だし。本当はあの人どういう人なのかな? バラの花束をあんなに大勢の前で受け取って、私も「はい」って返事して。だから、私たちってあの瞬間から間違いなく、彼女と彼氏の関係だよね。なのに・・。「おい、何か返事しろよ」と電話にぼやいても仕方ないのはわかっているけど。また、私と誠さんの間に ナニかが まだつながっていないようなもやもやした気持ちが湧きたち始めて。でも、今日は、私から呼びつけて誠さんにチョコレートを渡さなければならないミッションも控えているし。そうよね、私から呼びつけてもイイ日なんだよね。つまり、私からメールとかしなきゃならない理由が今日はあるんだな。と思い立ったら、
「もぉ、義理じゃないんだから、もう少し嬉しそうに喜んでよ」
あのひとみさんのセリフと仕草。視線を上げたり伏せたり、怒っていそうな恥ずかしがっていそうな。意識して頬を桜色に染めるなんて、私にできるかな・・うわっ・・私、無意識にリハーサルなんかしてるかも。とため息をはいて。でも。
「あの、誠さん、これ貰ってください」とモジモジと 理恵 のように渡して。
「どうもありがとう、嬉しいぃ、いただきます」と言われると同時に。飛び上がって抱きついてハグ。
私的には、こっちのパターンの方がイイかもと思っていたりしてる。って。もしかして、今気づいたけど、生まれて初めてじゃないの? 私の誕生日にそんなことを考えるだなんて。いや、バレンタインディにそんなシミュレーションするだなんて、と言うべきか。

と、もう一度メールを開くと。さっきのままだけど。誠さんは7時に私のマンションに迎えに参上するはず。ということは、5時に会社を終わったらダッシュで帰って、シャワーを浴びて、お化粧して、一番可愛いワンピースに着替えて。カワイイ鞄も持って。カワイイ靴・・あったかな? それに、あのチョコレート、あの鞄に入ったかな? 帰ったら、とりあえずそれを確かめよう。何だろう、また余計な不安の芽がぽつぽつと芽生えてくる。いや、不安なんてない。大丈夫。私たちはもうすでに、彼女彼氏の関係なんだし。とりあえず、この前の地味服のトラウマを一番可愛い服で消去したら、マンションの前で誠さんを待つ。これって2時間でできるのかな。なんて不安がもたげて、イヤイヤイヤ不安なんてない、私たちは、ってまた無限ループに入る前に、ぶるぶると首を振って。そして。それから。誠さんが車で私を迎えに参上して。からの、空想を再開すると。誠さんは私に。
「まった・・」と言うはず。いや。
「お待たせ」と、やっと会えたねって笑顔で言われたら。次は? あっ・・まただ・・コレ。
と、そこまで空想してから、「お待たせ」と言われたらどんな返事するべきか、が思いつかなくて。「お待たせ」って言われて、なんて言えばいい? えっ・・私、たったそれだけで、どうして、こんなに焦りの気持ちが湧きたってくるの?

そして、昼からもケンさんを手伝ってあげようとしたけど。
「お待たせ」と言われてからの返事が思いつかないまま。
「このグラフなんだけどね、課長は大きさの比較をビジュアルにした方がイイって言うのだけど、俺的には値段を交えたものにしたくて、大きさと値段を融合させるようなアイデアが思いつかなくて」
と言われていることが右の耳からストーンと左の耳に抜け出てゆく感じ。そんなことより。
「お待たせ」と言われたら、なんて答えるの? 「会いたかったよ」なんて、ちょっと違うし。
「待ちくたびれましたよ」なんて言ってはいけないでしょ。
「ううん・・別に」なんてのもちょっと・・どうしよう、誠さんと再会したときのセリフ。私、本当に何も思いつかなくなってる。それに、美沙も言ってたけど、そう言えば、チョコレートを渡すタイミングっていつ? 私22歳になって、コレ、経験したことがない。オトコにチョコレートなんて渡したことがないよね私。って、おとといケンさんに渡したか・・って、アレは統計外だし。
「でね、大きさと値段。大きくて安いもの、小さくて高いもの、どんな絵にすれば表現できるのか」
と、ぼやいているケンさんの声が遠くに聞こえて。表現。そう、再会を喜んでいますよって、どう表現すればいいの? チョコレートってどんな風に渡せばいいの? とケンさんと見つめあっていたら。
「ケンさん、これ受け取っていただけますか?」
とまた、他の女の子がチョコレートを持ってきて。
「えっ・・あっ・・はい、僕に・・嬉しい、どうもありがとう、いただきます」ギクシャクと受け取るケンさんに向かってその女の子が。
「で、ケンさんって、恭子と付き合ってるわけじゃないってホントですか?」なんてことを言う。
「えっ・・あっ・・別に付き合っているわけではありません。そう見えた?」と私をチラチラと見つめながら言うケンさんに。私も、「まぁ・・わけではないけど」とつぶやいて。
「いえ・・ほら・・恭子って昨日誰かにプロポーズされて、受けたって。そんな話で持ち切りだから」って、やっぱり、突然、ケンさんに女の子が付き纏い始めたのは、それが原因なんだなと思うけど。
「プロポーズってわけでも・・ない・・・の・・ですけど・・」ってつぶやいても誰も聞いてくれなさそう。
「だから、あの、私、ケンさんのコト前から気になっていました・・それを伝えたくて・・受け取っていただいてどうもありがとうございます」
と言ったかと思うと、ぴゅーっと逃げるようにオフィスを出て行った女の子。を、私もケンさんと同じように見送ってから。ケンさんが手にしてるチョコレート、さりげなくカワイイ封筒が付属していて。健一さんへ美穂、美穂さんか、なるほどね、こういうパターンもあるんだな・・と心の中のライブラリーに積み重ねながら。
「ケンさんってモテるのね」と、うんざりと笑いながら、もう一度言ってあげたら。
「知らなかった・・」と言いながら、オフィスのみんなが注目してるし。それに、うわ、ひとみさんがコワイ目で見つめている。そんな、ひとみさんに軽く会釈したケンさんは、チョコレートを鞄に仕舞いながら。
「これって、もらった後どうすればいいの?」と小さな声で聞く。だから、普通に。
「食べればいいんじゃないの」と答えてあげたけど。
「食べると、どうなるのかな?」なんてことをものすごく真剣に聞くケンさん。私も・・。
「さぁ・・」と答えながら、確かに、優子にばれたら、その後「修羅場」が待ち構えていそうだね。アノ娘のヤキモチは私も経験あるけど、すごいのよ。という思いに、ケンさんが、3つ、4つだっけ? もチョコレートを貰った、私の目の前で。どれもコレも「義理」ではなさそう、まだほかにもありそうかな・・という思いが重なって。もしかしてこれって、私にも責任があるの? という結論が導き出されたような気がした。でも、それは、誠さんがあんなことをしたからでしょ? 私の責任じゃないよね。そう思うと。今日は、仕事になりそうにないね。私も、さっきまでナニを考えていたのかも思い出せなくなってしまったし。でも、どんなタイミングで渡すものなのかはまだわからないけど。どんな風に渡すものなのかは理解できたような気がしている。手紙・・は付ける必要ないでしょ。私たちはもうすでにカレシとカノジョなんだから・・。

その後。5時になると同時に、一目散に飛び出した私は会社からダッシュで部屋に帰る途中。
「おはようございます恭子さん。お誕生日おめでとうございます。私から連絡するべきかどうか悩んだ末にメールをさせていただきます。昨日も申し上げましたが、今日は朝から迎えに伺おうかと思いました、しかし、仕事があることをすっかり忘れておりまして。このようなメールとなってしまいました。今日は、私の仕事が終わるのが18時頃ですから、19時頃にはお迎えに参上いたすつもりです。お迎えに参上してもよいでしょうか? お返事を、首を長くしてお待ちします 敬具」
「ブブー、もっとウキウキした気持ちで表現しなさい」
で止まっているメールに。どうしてこうすぐに返事くれないのよ? とイラつく気持ち。を深呼吸で押さえつけると、私が返信したメールの文章・・これって、誠さんに怒鳴っているようにも思えて。えっ、もしかして嫌われた? とまた不安な気持ちが湧きたつから、もう一度深呼吸すると。まだ私が思うほどのカレシとカノジョではないのかな? と空虚な気持ちにもなりかけて。だから。もういいわよ、突発的な気持ちになってしまって。無意識に指先がポチポチし始めた。もぉぉ。
「どうして私を笑わせてくれないの? 遠慮なんてしないでアドリブの効いたメール送ってよ」
とふと思いついた文章を送信した後。また、すぐに返事が来ないから。
「ナニか面白いセリフ考えていますか? 私を笑わせてください」
とも打ち込んて送ってみた。すると今度は。結構早くブルブルっと・・キター。
「はい、それでは、夕食はティファニーというお店に、ご招待します。きっとご期待に添えらると思います。お猿さんの絵文字と、うきっ」
と返ってきた。えっ? 夕食はティファニー? きっとご期待に添えられる? とナニコレ? と考え込んでいたらすぐに。
「19時にお迎えに上がります」とだけ来たから。私、イヒョウを突かれた? 19時に迎えに来る、だけしか理解できない。ティファニー・・ってナニかな。 だから、とりあえず。
「はい、わかりました。おめかしして待ってます」と何も考えていない返事をしてから読み返して、おめかしは・・大事よね。こないだのノーメークのトラウマがあるし。へへへと笑ってみたけど。
「ティファニーで夕食?」ヘップバーンの映画にナニかなぞかけてる? と映画の内容を思い出そうとすると、ダッシュしてた足が止まって。あー、いけない、お風呂入って、おめかしして、オシャレもしなきゃならないし。とりあえず、メールが返ってきたし、嫌われてるわけではなさそうだし。19時。と思ったら。また。プルプルっと・・キター・・ってしつこいね私も。でも。
「あまり綺麗におめかしすると、眩しすぎる恭子さんを僕は見つけられないかもしれません。ほどほどでお願いします」
なんて返事に歯が浮いて。どうしよう・・アドリブが効いてるのコレ? 眩しすぎる私を見つけられない? どういう意味かな? だなんて、にやけちゃってる。
「わかりました」と送信して。とにかく、お風呂入って、おめかしして、おしゃれも、チョコレートも。彼氏ができると忙しくなるものなんだね、と思うことにしよう。と、部屋に帰って、さっきまでナニか悩んでいたかな私・・という気持ちが一瞬したけど、お風呂に入ろうと靴下から順番に服を脱ぎ捨てたらすぐに忘れたようだ。

そして、とりあえずあと1時間と20分のタイムリミットで、お風呂に入ってゴシゴシ洗って汗とか匂いとかを念入りに洗い流したら、髪を乾かして、意外とドライヤーをフルパワーにするとうまく乾かないというか。あちこち跳ねて、納得いかない髪の形に時計がもう止めて次行きなさいって言ってる。だから、パフパフと顔に粉をまぶしても、久しぶりにするお化粧もうまくいかなくて、あーもういいや、とまたゴシゴシ洗い流してリップだけ。そう言えば、クローセットから取り出したあのワンピースってクリスマスの時に着て以来ホッタラカシじゃなかったかな。なんて今更気付くけど、よかった、クンクンと匂いを嗅いでも大丈夫そう。とりあえず、ありがとうワンピース。この、私一番のお気に入りワンピースだけでも私は見違えるほど可愛く見える。と鏡に向かってくるっと一周、ふわっと広がるスカートに、にっこり笑って「私って可愛いよね」と自画自賛。そして。忘れてはいけないチョコレート・・うわっ・・鞄に入らない。もういいや、このままお店の紙袋のままでいい。と思っていると18時45分。うわっ・・と思って部屋を見渡すと、脱ぎ散らかった服、パンツもブラジャーも足で隅に纏めて、あとでいいや。そして、鏡の前に散乱中の化粧品のボトル。乾くともったいないから蓋だけ締めて、ドライヤーのコンセントだけ引き抜いて。もう一度鏡をチェック。チュッとしてみたら、あーそうだ。歯を磨いておこう、口とか臭くないように。チューとかするかもしれないしね。と歯ブラシでゴシゴシしていたら。歯磨き粉が胸にべちょっと・・あーもー。とゴシゴシ拭いて。跡ついてないよね。あー何してるの私。と思っていたら。18時58分。やばい。と慌てて。口をすすいで、携帯電話と財布をポケットに詰め込んで、玄関で靴を履いてドアを開けたら。あーそうだチョコレート。とまた靴を脱・・・げないからそのまま上がって、チョコレートの入った紙袋を掴んで部屋を飛び出した。

そして、エレベーターに乗って1階のボタンを押すと、息がそわそわ乱れ始めるけど。1階に到着して扉が開いて低めのヒールでカツンと一歩を踏み出すと。すぐそこ、マンションのエントランスの前には青い車。と、この前のタキシードとはうってかわった、カジュアルルックの誠さんが助手席の前で背筋をしっかりと伸ばしたスマートな姿勢で待っている。いつ見ても、姿勢はバツグンにイイ感じよねこの人。顔も整ってるし、こんなに感じのイイ人が私の彼氏なの? ホントに? なんて思ったりして、だから、落ち着こう。と自分に言い聞かせて、呼吸を整えて。目が合った気がしたからニコッと微笑んだつもり。だけど、誠さんの表情は、こわばったまま私を見つめている? どうしたの? と思いながら。ガラスの自動ドアが開いて。自然と出た言葉は。
「お待たせしました・・」
と私から。そして、ぎこちなく微笑んだつもり。なのに、私を見つめたまま、まだ固まっている誠さん。
「ま・・待ちましたか?」
とは、私のセリフだっけ? と思った時。
「あ・・いえ・・今来たところです」と誠さんの返事。その次って、私の番? えっ・・台本読み間違えた? ナニをどう言えばいいの? と今日一日中悩んでいなかったかな私。そんな思いのまま、次の一言が出てこないのはなぜ? 私、緊張してる? だから。誠さんに。
「何か言ってください・・」なんて言ってしまいそうになったけど、言うべきではないよね。と踏みとどまっていたら。
「あの・・恭子さん」おぉ何か言ってくれた。だから。
「はい・・」と、つつましく、ものすごい期待を込めた返事をしてみる。すると。誠さんはため息交じりに。
「今日は、ずいぶんと雰囲気が違いますね」と、不自然に、ほほ笑んでいる・・ってどういう意味? 雰囲気が違うって・・。そりゃ、この前の地味服に比べたら、違うと思いますけど。
「えっ・・あの・・似合いませんか? 私に、こんな衣装」という意味かもしれない? 私的にはこれが 一番のお気に入り なのですけど。
「いえ・・こんなにカワイイ人だとは・・と、衝撃的です」あぁそっちか・・って、どうしよう、私、こんなにカワイイの? なんて、嬉しすぎて、固まりました・・。けど。こんなにカワイイ人だとは・・だなんて言われちゃったし・・。どうしよう。とりあえずナニか言い訳しなきゃ・・と。
「あの・・おめかしは、ほどほどのつもりですけど(上げ調子)」と上ずってしまう、振り絞ったセリフですけどコレ・・。誠さんはそんな私に。本当に爽やかな笑顔を恥ずかしそうにヒクヒクさせながら。
「恭子さん、あなたは、美しい、綺麗だ、本当に綺麗だよ・・」と震えるように言う。そのセリフとイントネーションに、私はピンっと、何かに気付いた。と同時に緊張感が雨散霧消し始める。そして。続ける誠さん。
「こんなにカワいくて美しい女の子が僕の彼女だなんて、僕は世界一の果報者です」
と、そのセリフにも、もっとピンっときてしまって。だから、思い出した、花束をささげられた時のアノ、ギクシャクした歩き方も・・・。
「やっぱり、そうだったのね」とプイっと顔を横に向けたのは、ワザと・・のつもり。すると。
「えぇ~? あの・・その・・えっ? ちょっと・・あの」
と誠さんがうろたえて、震えながら、怯えている仕草がひしひしと伝わってくる。でも・・そんな仕草がカワイイと思っている私、これ狼狽え方に、信頼できそうな人ね・・という気持ちがした。私は。もっと、わざと、ぷぃっと横向いたまま。
「くっくっくっくっくっ」とお腹をヒクヒクさせながら笑って「やっぱり、そうなんでしょ。ダイス船長」
と言ったら。
「うっ・・・」と唇を噛んで笑い始めた誠さん。
「あの歩き方も」もしかしたら、バナナの皮もそうだったのかもしれない・・なんて今更気が付いて。
「こ、これが、バレちゃうのか・・はぁぁぁぁぁ・・恭子さん」と苦笑いしてる誠さん。
「はい」と、とりあえず笑わせてもらいましたから、許してあげますよ、という返事。を、笑ったまましたら。
「僕と結婚してください」
「・・・・・・・・へ?」じゃなくて・・。
えぇぇぇぇぇ・・今・・えっ・・今・・突然・・何言ったのこの人。と顔が、笑ったまま硬直した。ら。
「・・と、いつか本気で言う時のセリフに困るね」
意味をかみ砕くのに、数秒。そして、意味がわかったら・・。私にもできる、笑顔を一瞬で怒った顔にする、ひとみさんのアノ、テクニック。と同時に。
「冗談で言うセリフじゃないでしょ、それ」と、心の中でも絶叫してる私は、くるっと方向転換して。方向転換して・・どうする気? と思っている。どうして・・方向転換なの? と自分自身にも聞いているけど。
「あー・・あの・・その・・恭子さん」と私の両方の肩をぎゅっと掴んだ誠さん。とりあえず、私も自分でそんなことをしておいてどうしていいかわからなくなってたから立ち止まると、引き留めてくれた手が震えていることがわかって。顔だけ振り向き直すと。
「冗談なんかじゃありません。いつかいいセリフが思いついたら必ず言うつもりです。必ず何百年も語り継がれるセリフを考えてみせますから」
何百年も語り継がれるセリフを考えてみせますから・・? 何百年も語り継がれるセリフを考えて見せますから? 二回も心の中でリピートして。おぉ~、これってセンスありそうなセリフ? と感動しようとしたけど。誠さんの引き攣っていそうな顔を見つめると、いや・・アドリブかも。と気持ちが萎えた。けど。
「怒らないで・・冗談ではありません。まさかバレるとは思いませんでした。ヘンリー王子のプロポーズの次に、僕が好きなシーンを決めてみたかったというか・・」
この言い訳は、アドリブではなさそう。それに、ヘンリー王子のプロポーズ。あの時の事もしっかりと考えていてくれたのね、という気持ち。まぁ・・そういう事なら・・。許してあげるか・・。って、勝手に怒っておいて、勝手に許してあげるか。って、私のコノ感情、もしかすると、これって、本当の彼女と彼氏のやりとり? だとしたら・・。私もやり返したい。振り向いて、ぎぃっと誠さんを睨んで。
「もう一度言ってください」と、上目遣いで言ってみる。
「えっ・・どこ・・あの・・僕が好きなシーンを・・決め・・て」じゃなくて。
「その前です」って、これは、ヘンリー王子のプロポーズのシーンでダニエルがいった言葉。
「その前・・何百年も語り継がれるセリフを・・」
「もっと前です」あーもぉ、違うでしょ。その前に言ったのは。
「いつか本気で言う時のセリフに困る・・ね?」
違います。その前ですよ。と、あーもぉ歯痒い。わざとやってるの? もっとギィぃっと睨むと。今度は。
「ぼ・・僕・・」と言い始めるから。キター。ニコッと私も表情を変えてみたつもり。すると。
「僕は世界一の果報者です」だから。笑顔を一瞬て怒った顔にして。もう一度方向転換。
「あーあの・・恭子さん・・」
もう振り向き直してあげない。って「・・何してるの私?」 と私に訊ねるのは誰? と、また誠さんは私を引き留めるように、また、私の肩をそっと掴んで。私って、あっ・・これが目的かな? と感じてる。男の子に触られていること。そして、誠さんの柔らかい力で振り向き直された私に、誠さんは諦めたようなうなだれた表情で言った。
「・・・僕と結婚してください・・・」だから。
「はい・・」とわざとらしく微笑んで、うんうんっと返事して。ダニエルがそうしたように。ハグしようとしたけど・・。「ちょっと待った」と、私を制止したのは、やっとわかった心の中のもう一人の私だ、コレ。「それって、チョコレート渡してからにした方がイイんじゃない」あっ、そっか。と踏みとどまって。黙っていると。誠さんは。
「冗談で言ったつもりではありません。けど、今は真剣な気持ちではなかったかもしれません。だから、ごめんなさい気安く言うべきではありませんでした、許してください。でも、恭子さんともっとお付き合いできたら、いつか、本気で言うと思います」
って、何そんなに大真面目になってるの? 私が方向転換して、怒った振りしてるから? いや・・あの・・そこまで、ほら、私たちってまだ出会って・・今日で3日目でしょ。
「必ず何百年も語り継がれるセリフを考えて見せます。その時までに」
うわ・・どうしよう。ものすごく真剣な目でそんなこと言われたのって・・初めて。私・・。
「はい・・」と、返事はしてみたものの。そんなことを言う人だったの? これって・・アドリブじゃないよね。どうやって確かめたらいい? なんて思っているけど、私、どうしよう。誠さん・・あの・・私心の中で叫んでる。。
「こ・・これが・・好き・・という・・感情」かな・・。ガンダムネタは今日はやめておこう。未来少年コナンネタも・・。そして。
「それでは、ティファニーにご案内します」
とさりげなく助手席のドアを開けてくれた誠さん。手を出してくれて、無意識のままその差し出された手を掴むと。あっ・・暖かい・・ぬくもりってコレのコト?・・という感覚と。
「頭ぶつけないように・・」
と言われるまま屈みながら席に座ったら。
「閉めるよ、イイ?」
「はい・・」
と、ドアが閉まって。運転席に座った誠さんは。
「シートベルト」とつぶやいて。
「はい・・」とベルトを締めると。ナニ? この緊張感は。と思ってる私にお構いなく。
「それじゃ出発進行」と車を静かにスタートさせてくれた。そしてすぐ。
「ダイス船長の名セリフがバレるだなんて、強敵だね」とぼやき始めて。
バナナの皮もワザとだったのですか? と聞こうとしたけど。
「昨日は、本当に緊張したよ・・自分でも、ホントにあんなことしちゃたって、まだ信じられないくらいで、どうかしてたね。ずっと、どんな告白がイイか考えて・・結局あぁなりました」
なんて話をハニカミながら大真面目に始めるから。バナナの皮だなんてのは 野暮 だね・・と思い直して。高いところから私を見つけて ウキッ って顔した、バラの花束を抱える誠さんを思い出して。
「くっくっくっ」と思い出し笑い。でも、もし、私が受け取るの拒否したらどうしてただろう? そんなことも思いついたけど。聞くの、やめておこうかな。と誠さんの横顔を見たら。くすくす笑ってるから。いいや・・聞いちゃえ。
「誠さん」
「はい」
「もし、私が受け取らなくて、ごめんなさいって言ってたら、どうしてましたか?」
「えっ・・」
「くっくっくっ」とまだ、思い出し笑いしながらそう聞くと。
そぉぉぉっと、車を脇に停めた誠さんは。私をじっと見つめて・・何する気? 私、いけないコトを聞いた? えっ・・ナニ? 笑えなくなったのですけど・・。あの?
「受け取ってくれるまで、毎朝・・」とつぶやいた誠さん。
「毎朝?」あんなことする気だったの? と、笑っていいのか悪いのか。と思ったら。
「いや・・」言い直し始めて。
「いや・・」
「優子さんに、恭子さんを説得してくださいって、ケンイチ経由で頼んでいたと思います」えぇ?
「・・・や・・やめてくださいよそんなこと」と空想したら。
「・・もぉぉ、恭子も誠さんあんなに言ってるんだから付き合ってあげれば。そのままだと永遠にカレシとかできないかもしれないでしょ」なんて優子の声が聞こえて。それだけは、あの娘にだけは、言われたくないし。誠さんは。
「どうして?」と聞く。だから。
「優子に頼むのだけはやめてください」
「じゃぁ・・ケンイチに」ケンさんに言ったら、優子に筒抜けでしょ。だから。
「それもイヤです」と、私も大真面目になってるかも。でも。
「まぁ、でも、恭子さんは受け取ってくれたから」あ・・そうだよね。ナニ慌てたの私。
と車はまたゆっくりと走り始めて。あっそうだと、思い出したことを誠さんに言ってあげよう。
「あの」
「はい」
「ケンさん言ってましたよ。負けたな・・って。嬉しい?」
「そう・・あいつが、負けたって言ったの」やっぱり嬉しそうね。ケンさんに勝ったことが。と思ったけど。
「でも、恭子さんが受け取ってくれて。こちらこそって言ってくれたことが一番嬉しかった。言い方悪いかもしれないけど。心の中で ヤッター ってガッツポーズしてた。金メダル取ったオリンピック選手みたいに」と前を向いたまま話す誠さんに。
そうですか・・金メダルか・・アドリブではなさそうな例え方だね。と思って。
「私も。嬉しかったです」とだけつぶやいた。すると。
「恭子さんのコト、本当に好きです、改めて、よろしくお願いします」だって。
そう聞いて、私も、ヤッター って心の中で叫んでみよう。本当に、この人が私の彼氏で、恋人で、もしかしたら、将来・・。と考え込む前に、とりあえず返事・・と、言いたいこと。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。気兼ねなくどうぞ・・あっそうだ、もう少し・・」
「もう少し?」
「なんでもいいから、メールの返事早く返してください」ヤボかな・・これ・・。
「あっ・・はい・・」と返事してくれた誠さん。うん・・とうなずいて。黙り込んた。運転に集中してるの?
そして、ここで、いったん会話が止まって・・。何かがこう、お腹の中からジワッと。そして、ムズッとするあの感じ。その先をまだ空想できないことに気付いたから、外の景色を見ているふりしながら、目の焦点をわざとずらしてガラスに映る誠さんの横顔を眺めることにした。「私のコト、本当に好きです」だって・・くっくっくっ・・と笑いを堪えながら。「私もよ・・」とカワイク思ったら。がまんしてた笑い声が、プっ と鼻から抜けて。鼻水が風船になって膨らんだ。

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