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クリスマス side B
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12月18日。19時02分。
今日もいつも通りの一日が終わり、それといった予定もないからとぼとぼと部屋に戻った。カギを差込みドアを開け、微かに香る私の部屋の匂いを確かめると、ほっとして、どことない安心感に包まれる。そして、玄関に一歩を踏み入れると私を迎えてくれるセンサーが明かりをつけてくれて。「ただいま」と思いながらドアを閉め、大きく吸った息をはき出し、ドアのカギをカチャッと閉めた。
玄関では、靴と上着を同時に脱いだ、靴はそのままにしている、上着は壁のフックに。それが私の習慣。そして、3歩ほど先のリビングまでの途中で明かりのスイッチを入れて。
リビングに明かりが付くと、肩にかけていた鞄を投げ捨て、ベットに寝転がり。ごろごろと背伸びしながら「ん~っ」と言う。そうして一日ため込んだため息を最後の一滴まで吐き出すと、凝り固まった体中の筋肉が緩み、溶けてゆくようないい気持ち。そんな心地いい気分に30分以上浸ってからじゃないと、いつもは次のステップに向けて起き出せないのだけど。今日は、むふふっと思い出し、起き出せることがあるんだ。
それは、鞄の中にある、お昼休みに書き込んできた、ボーナスが振り込まれたばかりの貯金通帳。久しぶりに転がりこんだ、かなりの大金。仰向けのまま、鞄に手を延ばし、届かないから、ごろごろとベットから身を乗り出してこたつとの間にずり落ちながら、床の鞄をひっくり返す。鞄の中の品々が散らばるけど、そんなことには一々構わず、品々をがさごそとかき分け、貯金通帳だけを抜き取り、開けて、最後の一行に目を向けると。
「うしししししし」
なんて笑い声が出て。
「お疲れ様でしたね・・私」
とつぶやく、あぁ年に二回だけの至福のひととき。通帳を手に持ったまま背伸びして、天井を見上げ、頭の中に思い浮かべたリバーダンスする30人の諭吉さん達「うしししし」そして頭の中、次に思い浮かぶ映像。とりあえず洋服をたくさん買って。下着も欲しいんだ。ちょっとえっちなのが。それと、旅行。カニ。スキーなんてどうだろ。誰と行けば楽しいだろう。そんなことを考えながら、ほかになにか・・とテレビの下に目を向けると、説明書通りにつないだのにまだ動かないDVD。これの支払は来月だったはずだから今は気にせずにおこう。そうだ、映画のソフトも買わなきゃいけない。みたい映画を自動的にリストアップ。あの映画、この映画。でも、まずは買い物と旅行とカニのスケジュールを組んでおこう。会社の正月休みはいつからだっけ? そんな先走る思いのままに枕元の景品カレンダーに手を延ばして、意味深なサンタクロースのイラストと目が合ってしまった。延ばした手が途中で止まってしまう。
「もぅ・・クリスマスかぁ・・」
そうつぶやくと、さっきまでのテンションが急降下してゆくのがわかる。ため息につられて連想してしまったもの。必ずこの世界にいるはずの、今どこかでなにかをしているだろう、まだ出逢わない運命の人。スマートなシルエットと優しい笑顔はおぼろげな映像としておもい浮かべることができるのに、その正確なルックスはベールに包まれたまま。腕をひねって貯金通帳に目を戻し、「これで買えたらなぁ」なんてことをつぶやいてしまった。アンテナをぐるぐる回しているつもりなのに、全然それらしいシグナルをキャッチできない。会社の先輩達や男の子たちは私をそれなりにかわいがってくれるけど、私はそれなりに満足しているつもりだけど。それだけじゃなにか満たされない毎日。また、そんなことを、また、深く考え始めてしまったようだ。
貯金通帳を投げ捨て、ベットに足だけ乗せたまま、こたつとの隙間にそって背伸びして。ふぅぅっとため息で前髪をもて遊ぶと、ちくたくちくたく、孤独感が増幅し、テンションがもっと下がる音が響きだす。しかたなく部屋を見渡してみた。少し散らかった、私のサイズに合ったワンルーム。社会人になってから始めた一人暮らしも板についてきたと思うけど、見てしまうカレンダー。ぼやいてしまう。
「・・クリスマス・・かぁ・・」の一言。
去年一緒に過ごした男友達。一昨年一緒過ごした男友達。思い出すと、いつも、長続きしないなぁ、なんて思う。どの思い出も、恋に発展するまでに、未練だけが残る、野球中継が割り込んだときの録画ドラマのような途切れ方。
でも・・まぁいっか。そのうち何とかなるだろう。ボーナスも振り込まれたばかりだし、とりあえず目先の予定だけでも楽しもう。そう気を取り直して、もう一度貯金通帳に手を伸ばしてみた。その時だ、携帯電話がぴょろろと私を呼ぶ。音の響くあたりをガサゴソとかき分け、見つけだし、表示を見つめた。同期の同僚、美佐から。スイッチを押して、耳に押し当てた。
「美佐? なに?」
「恭子ぉ?」
「うん・・」
「うししし・・」
美佐が電話でそんな笑い声を出すときは、必ずいいニュース。だから。
「なになになになに?」
と跳ね起き、わくわくしながら訊ねた。
「明後日コンパするから。うちの課と営業2課。ひろし君が帰ってきてるんだって」
「了解!」
言い終わる前に即決する。誘われたコンパは何がなんでも行くことにしているから。でも、
「ひろし君?」って誰?
「ほら・・配属の後すぐアメリカに行っちゃったあの子」
と言われても全然そんな名前の男の子は記憶にないし。
「ほら・・研修時代にいたじゃん。ジャニーズ系のぉ」と言われても・・。
「そんな男の子いたっけ?」
「ったく記憶力ないんだから・・今回の超目玉なんだよ。あたしも理恵も狙ってんだから」
と、言われても本当に思い出せない。必死で記憶をたどるけど。全然思い出せない。う~んと考え込んで、しばらく黙り込むと。
「・・でもねぇ・・」と美佐が一言。
「でもって?」と記憶回路を閉じて聞く私。
「女の子の人数、少し足りないかもしれない。営2って男ばっかでしょ。うちも半々だし」
そういう話しならすぐに対応できる。
「わかった・・誰か友達つれてく」
「じゃ、ノルマは一人以上。もう少し多くても大丈夫だから、男も誘えたら呼んでいいよ」
「了解」
「クリスマスの召使い君をキープしなきゃ。恭子もそうなんでしょ」
そうそうそれそれ、今この瞬間、心に引っかかっていた小骨を取ってくれるのはこの話題だけ。だから。
「うん。期待できそう?」と訊ねると。
「うしししし」と笑う美佐は。
「してて」と言う。本当に期待できそうな雰囲気を感じた。だから。
「うしししし」
「うしししし」
と笑いあって、電話を切った。本当にいいタイミング。さすがミス幹事。美佐にはいつも感謝な気分。心のモヤモヤが一気に晴れ渡った気がする。
「んっ~」と背伸びしながらベットに乗せてた足を延ばして開いて閉じて、勢い付けて上半身を起こしたら、ふぅと一息。そして思いつくこと。よし、このチャンスにむちゃくちゃかわいい洋服をさっそく買っちゃぉう。確か、その辺にただで貰った通販のカタログがあったはず。目だけを動かして探してみると、こたつの上に発見。足で手繰り寄せて、手を延ばし、取って、ベットにごろごろと戻って、ぱらぱらとページをめくる。どれもこれもかわいい。自分自身がモデルさんになってる気分。しばらく想像に浸ったまま無意識にぱらぱらとページをめくった。その時だ。はっと、目に飛び込んできた長身のモデルさん。目が合って息を飲んでしまった。えっ、と思うものがあるこの娘・・。しばらく逢っていない私の親友。
「優子・・?」かと思った。じぃっとモデルさんを見つめると微かに別人だけど。本当によく似ている。そういえば、あの娘にこの前逢ったのはいつだっけ。そう思って。すぐに目についたテレビの下に小さなアルバム。ベットからずり落ちないように手を延ばす。引っ張り出すと、積み重ねていた雑誌が崩れたけど、気にせずにカタログに重ねてページをめくった。夏、一緒に旅行に行った時の大胆な水着写真が最初のページに。この日以来逢ってないんだ。そう気づいて。あの娘は今なにしてるだろうか? そんな想像が頭の中にいっぱいに広がった。ページをめくると短大に行ってた頃の写真。なつかしい高校生だった頃の写真。ありありと写真を写したあの瞬間を思い出せる。まるで時間旅行をしているかのような錯覚。そして、最後の一枚はもっと小さな頃。そんなに小さな頃からずっと姉妹のように一緒だった優子。同じ思い出を共有している親友と呼べるただ一人なのに、社会人になってからはお互いの都合が噛み合っていない。そうだ、いい機会だし。また優子を誘ってあげよう。でも、めくった一枚。それは大勢で写した一枚。大勢の男女からぽつんと離れてる優子のひときわ飛び出てる背丈はお立ち台に乗っているからじゃない。またこの前みたいに軽率なメンバーを揃えると優子一人がこんな風に飛び出してしまうから、それだけは気遣わなきゃいけない。でも、そういえば、あの娘より背の高い男の子ってどこかにいただろうか。ぶつぶつと考え込んで、私の記憶に住んでいる男の子達を想像したけど、ぴんとくる顔は寝ても起きても全然現れなかった。
12月19日 11時24分
その考えごと。ふと思いだしたのは。
「よっ・・恭子ちゃんありがとぉ、今日もかわいいね」
朝、彼に社内メールで頼まれた資料を集め。彼の頼み事だったから、ひときわ丁寧に分類してからファイルして、退屈してたから、わざわざ彼のデスクに運んだお昼前。ちょうどデスクに帰って来たばかりの彼が私の肩をもみもみとしたとき。いつのまにか、肩の大きな手にほっぺをすりすりさせる癖。「あぁん」と喘ぐ癖。それからゆっくりと振り向き、色っぽい目つきを意識しながら見上げ。まじまじと上目使い・・しなきゃ顔が見えないから・・で、見つめて、突然思い出したぴんっとくる顔。どうしてこの人が思い浮かばなかったのだろう・・と思った。
「どうかした?」
と彼が私の肩を揉む姿勢のまま、きょとんとしている私をものすごく高いところからのぞき込み、優しく前かがみになって首をかしげる。
「ううん・・」
と、首を振って。彼、高倉健一さん・・研修の時隣に座っていた、社会人になってから名前を最初に覚えあった人。同期だけど年は2つ上。それ以上詳しくはないけど、会社では最も親しくしている、いつもこう呼んでる男の人。
「ケンさん」って。すると首を傾けて必ず。
「んっ・・なに?」と返事するお兄さんみたいな優しい人。
でも、私はこの人に恋愛感情を全く持っていない気がする。どんな感情かと言われると、そう、まるで本当のお兄さんのような感情しか持っていないんだ。いつも余りにも優しくて、余りにも近くに存在を感じるから。でも、狙ってる娘は多いって噂は聞く。けど。誰かと付き合ってるような噂は聞かない。そうだ、と思う。退屈してるし、とりあえずこのチャンスに情報収集しちゃお。
「ケンさん身長どのくらいあるの?」
「はぁ?」
「だから・・身長・・何メートル?」
なんの違和感も感じずにそう聞いたら、少しだけ違和感を表情に出したケンさんが。
「・・うん・・一点八三メートル。体重は」
と、つぶやいた。だから。
「体重は聞いていません」とふてくされる。
聞くと私のも答なきゃならない恐怖心がつのるから。ったく。いつも一言多い・・だからこの人には恋愛感情が湧かないんだ、と気づいた。それに。
「身長がどうかしたの? それもメートルだなんて単位で。ウルトラマンのスペックじゃあるまいし、普通はセンチでしょ」
と、細かい間違いをネチネチと指摘する理科系独特のキラリと瞬く鋭い眼差し。これには、心の中を探られているようで、いつも一歩引いてしまう。だから「別にメートルでもいいじゃん」と思っても、なにも言い返せず。むすっとその背丈を眺めていると。
「立ってると1点83メートルだけど座ると小さくなるぞ。ケンさんは」
なんて言いながら椅子を出すケンさん。その言葉の意味が解ったから、一瞬、誘う事にためらいを感じたけど。とりあえず、回りを見渡しても、声をかけられそうなめぼしい人はこの人くらいだし。
「ほーら、足が長いんだ」
解ってますよ。ったく。自分で言わなくてもいいでしょ。でも、座ると本当に小さくなってしまうケンさん。立っている私より視線がぐんと低くなる。そんなケンさんをまじまじと見つめて。とりあえず必要な事だけを聞き出しておこう。まだ決断したわけじゃない。
「ケンさんって、どんな娘が好み?」
唐突を意識しながら真剣にそう聞いてみた。
「はぁ?」
と、まぬけな顔で振り向くケンさん。その間抜けな顔が妙にカチンときた。だから。
「だから、どんなオンナが好きなの?」
と、語気が荒くなってしまう。すると。
「ど・・どんなオンナ?」
きょとんとなって、しばらく考えるケンさん。きょろきょろする視線を見つめたまま待ってみる。すると。
「う・・うん・・落ちついてて、しとやかで・・しずしずって感じ・・の・・明るい・・よく笑う、愛嬌がたっぷりの」
私から視線を反らせながらしどろもどろにだらだらと喋り始めた。聞いていると、なんで私の名前が出てこないの、全然私じゃないって事ね、と言い返したくなる。でも、言う事をためらった理由。はっと視界に割り込んできた人・・忘れていた・・この向かいのデスクに座る女性のことを。
「それってあたしのこと? 年上はどうなの? 私はケンちゃんみたいな男の子好みだけどなあ」
とディスプレーの横から顔を出して、左右の人差し指と親指をモジモジさせてながらにっこりとするのは、向かいのデスクに座る、長い髪がむちゃくちゃ綺麗な確か・・ひとみさん。
「・・・・・・」
となるケンさんにらぶらぶビームをビシバシ浴びせて。唇をむにゅむにゅさせてハートのキスを連射しながら、硬直してしまうケンさんと私に。
「あんた達なに話してるの? 大きな声で。みんなの耳がダンボの耳になってるよ」という。振り返ると、本当に大きな耳が小さくなるのが見えた気がした。それより、この人は苦手・・と言うより、無条件降伏だ。美貌のレベルも知性のランクも違いすぎる。同じ種類の生き物なのに、すれ違うだけで心臓がドキドキしてしまう女性。それに、回りを見渡すとその辺にいるみんながジロリと私を・・見ているの?
「へへへ・・・なんでもないです・・・から」
あわてて逃げ出してしまった。振り返ると、小さな拳で口元を押さえてしとやかにくすくす笑うひとみさん。恥ずかしそうにこそこそ隠れるケンさん。ケンさんの好みってあれなのかな。そんなイメージがむちゃくちゃ鮮明になってしまった。でも、1点83メートル。確か優子の身長は1点78メートルだったから。とりあえず、お膳立て、この線で整えてしまおう。頭の中で自動的に計画書が作成されはじめた。
コンパは結果はどうであれ、計画を立ててワクワクしてる時が一番好き、会社の帰りに見つけた理想にぴったりの洋服を新調してシミュレーション。あーして、こーして・・甘い言葉で私を口説くあんな彼との出会い、そうだ、それっぽいランジェリーもこの機会に買っておこう。そして、愛を誓い合った後の、あんな彼との朝までのお喋り。あー空想がどんどん膨らんでくる。むふふ。ともっと空想してしまう、あの子とかこの子。って誰? そしてふと後姿だけ記憶から呼び起こされたひろし君ってどんな男の子なんだろう。なんてワクワクと考えながら部屋に帰ると、昨日と同じタイミングで携帯がぴょろろとなり始めた。また美佐から。今日はメール。
「明日のコンパ。現在の人数、オンナ 6、オトコ 7。19時。中島駅前の伝言板。とりあえずノルマよろしく」
そうだ、と思いだした。めぼしいメンバーも見つけたことだし。優子に電話しなきゃいけない。携帯をいじくり優子の番号を呼び出してみる。でも、そういえば優子に電話するのは何ヵ月ぶりなんじゃないだろうか。番号変わってないだろうか? なんて不安を感じながら、待ってみた。すると予感が的中したかのように。
「ただいまおかけになった番号は・・」
うそっ? あわてて記憶を探った。今でも無意識にかけられる優子の家の番号。でも。
「あら? 恭子ちゃん? お久しぶりだね。元気にしてる?」
電話に出たのは優子のお母さん。優子のことを聞いたのだけど。
「まだ会社から帰ってないの・・会社にかけてみる?」
と。とりあえず教えてもらった会社の番号をメモして。電話を切った。夜中にもう一度と思い。少しの退屈。しかたなく回りを見渡して、なかなか動かないDVDを見つけて。何が書いてるのかさっぱり解らない説明書と見比べても、まったくなにがどうなのか理解できないから。あきらめて、適当に夕食を食べて。そのまま、普段のペースで時間を過ごし、結局、眠り転けてしまった。
12月20日 12時08分
会社。昼休み。とりあえず、こそこそと隠れて昨日メモした優子の会社に電話してみる。
「あの・・高木優子さんを・・」
でも・・。電話にでたおじさんっぽい人がいった言葉は・・。
「あっ・・今日・・高木君・・ちょっと」
と、背筋を何かが這いずる感じに、えぇぇ? と思った。優子がなにかとんでもない事になってるような予感が押し寄せてきた。あわてて電話を切って。もう一度自宅に電話してみる。すると。
「あら・・恭子ちゃん・・ごめんね。昨日伝えられなかったの」
と、またお母さんがでた。そして。
「・・いろいろあったみたいで・・」
と、暗い声。だから。
「具合でも悪いんですか?」と訊ねる。
「ううん・・元気なんだけど。待ってて起こしてくるから」
暗い雰囲気のままの声に、かなり不安になってしまった。本当にただごとではないような雰囲気を感じる。優子の事を考えると直感がよく当たってしまうし、それに、この妙な胸騒ぎはいったい。と、自然と耳を澄ませていると、電話から微かな大声が聞こえる。
「ったく・・いつまで寝てるのよったく・・」
「もぉぉぉなによぉぉ・・・」
「電話よ電話」
「だれよぉ・・」
「恭子ちゃんよ・・はやく出なさい・・ったく・・もらいてあるのかしらね・・」
「あたし結婚なんてしないもん」
「はいはい・・」
相変わらずな、あの家族独特の大きな声での会話。ぶつぶつと優子らしいぼやき声。ぎしぎしと優子らしい足音。そして。
「ふぁい。ったくなによぉぉこんなに早くいい夢だったのに。もう少しゆっくりしてから」
相変わらず面倒くさそうな優子の声がようやく直に聞こえた。すかさず。
「優子? どうかしたの? こんなに早くってもうお昼だよ」そう言うと。
「えっ??」と、電話の向こうで驚いた優子。やっぱりなにかあったんだと直感した。だから、探りを入れてしまう私の好奇心。
「会社にかけたら。高木君今日ちょっとなんてゆうし。どうしたの具合でも悪いの?」
「ううん、会社・・辞めてやったの」
ぎょっ・・。会社を辞めてやった?
「えぇぇなんでなんで」
「セクハラ。あんなのと飲みに行ったのが間違いだった。いいの、仕事もつまらなかったし」
ぎょぎょっ・・予想できない話しだ。絶対きかなきゃ損! だから、思いつくままに。
「セクハラって・・なにされたの? カカリチョー? 一緒に帰ったって・・付き合わされた、でで、優子はどうしたの? たぶんって・・ぶちのめしたぁ? 飛んだって・・どこまで? 宇宙まで? なんでそんなのに誘われたのよ? なんでそんなのについて行ったの? 断れなかったって・・結構その気だったんじゃ? てっぺんつるつるにはげてる? ちび? エロじじぃ? あんた馬鹿じゃないの?」
なんて次から次に無意識からあふれる話しが止まらない。それに、おしゃべりに夢中になってしまういつものクセに気づかずにいると、お昼休みが終わってしまいそうな5分前のチャイムが。だから。
「でね・・」と、本題に移る事にした。
「今日コンパがあるんだけど優子もいかない? ほら、そろそろクリスマスだし、また今年もシングルベルしてんでしょ。そろそろクリスマスの召使い君をキープしとかないと」
言い終わって耳を澄ませていると、優子は少し考え込んでいるような沈黙。そしてすぐ。
「うん。何時からどこで?」
と拍子が抜けるあっけない返事。少し変。いつもは、くどくど口説かないと返事しない娘なのに。でも、とりあえず、ノルマ達成。
「7時、中島の駅前。遅れないでね。めぼしい男、連れて行くから期待してて」
「うん。わかった」
返事を聞いて、電話を切って。よしっとガッツポーズ。次は・・と。ケンさん。オフィスの入り口から見渡すと・・ぎょっ・・ひとみさんと話ししてる。でも、昼休みはもうすぐ終わってしまうし。だから、こそこそとデスクに近づいてみる。ひとみさんがエレガントな手で口許を抑えて、くすくすと私には絶対まねできないような笑い方。椅子にもたれ、ぎこぎこと揺れているケンさん。その、のろけてる笑顔。割り込めない雰囲気だ。でも、時間的なチャンスは今しかなさそうだし。だから、こんな時は。
「けーんさん」
無防備な首に絡みついて、ひとみさんににやにやな笑みを振り向ける。ひとみさんが、きぃっと目を光らせて、唇を少しだけとがらせた。一瞬ぞわっとした殺気を感じたけど。ふんっとため息はいていつもどおりの涼しげな笑顔に戻るのを確かめて。よし、これで主導権は私のものだ。ケンさんを見つめると唇が接触しそうなくらい近くにケンさんの顔。慌ててのけぞるケンさんが妙におかしい。
「なっなに・・・」
と、のけぞりつづけるケンさんの一瞬の動揺に乱れた呼吸。そして、私を見つめるおびえた目。心の扉はだらしなく開いたままのはず、に、すかさず。
「今日コンパなの、ケンさんも行くでしょ」
と、絶対断る事のできない言葉を早口で使ってみる。行かない? とは言わない。行くに決まってるでしょ。を短縮して、行くでしょ。と言うのだ。すると、ものすごくフクザツな表情で考え込み始めたケンさん。その間に、
「ひとみさんも行きますか?」
と、訊ねたけど。ひとみさんは小さく首を振って。どうぞ・・って雰囲気。少しだけ殺気を感じたけど。ちょっとだけ恐くなったけど。まあいいや。よく考えると、ひとみさんを連れて行ったらヒンシュクものかもしれない。男の子の視線が全部この人に集中してしまう。そんなことを考えながら、ケンさんに視線を戻すと。まだ引き吊っていた。その表情はあまり乗り気じゃなさそう。だから、断ったりしたらどうなるかわかってるんでしょうねとテレパシーを送りつけてやる。そして、唇をとがらせて、じっと瞳の奥を見つめてあげると。ケンさんはごくりと喉を動かせて。
「い・・行く・・行けばいいんでしょ」
そんな返事を、おそるおそるした。よし。と心の中でガッツポーズ。そして思いつくまま。
「うん、ケンさんに逢わせたい娘がいるのよ。変わった娘なんだけどね、すっごく綺麗なスタイル超ナイスな娘なの、あたしの親友だよ。逢いたいでしょぅ。別に彼氏になってくれなくてもいいの。ちょっと話し相手になってあげるだけでいいの。毎年この時期寂しくなっちゃう娘だから。ねっいいでしょ。コンパ、いくでしょ。話し相手になってあげてくれるでしょ、私の親友なの、だから、話し相手になってあげて、ね。7時、中島の駅前」
一気に喋って反応を待ってみる。ケンさんがまた考えてる。少しの時間差をおいて。
「話し相手? 恭子ちゃんの親友? 俺じゃなきゃ駄目なの?」
と、おそるおそると訊ねたケンさん。だから。
「えへへへ。ケンさんしかいないの」と、とりあえずここは正直な理由。
「はぁ?・・俺しか・・いない・・の?」
「うん。あの娘より背の高い男の人って」
「背が高い?」
「うん・・1メートル78センチ・・」
とつぶやく。ちょっとだけ目を剥いたケンさん。理科系のケンさんにはそれがどのくらいの背丈なのか即座に理解できたようだ。
「そりゃ高いわ、昨日はそうゆうことだったんだ」
うんざりとそんな事を言ったケンさん。おおきなため息をはいた。だから。
「なによぉ、そのため息」
なんて目を三角にして言うと、ケンさんはぎょっと振り向いて、おどおどと視線をきょろきょろさせている。その理由はたぶん、視界のかたすみで「ふぅぅん」と唇をとがらせているひとみさんのせいだと思うけど。
「いや・・うん・・行って話し相手になればいいんだな。大役だな・・俺につとまればいいんだけど」
と、とりあえず来てくれそうだから。
「うん、大丈夫、その娘、見た感じは超きれいだから、でも、でかいとか大きいとか言わないでね、高いとか、すげーってのも駄目だから」
と、ちょっと口を滑らせすぎたかなと思ったら。
「でかい・・の?」と不安げに聞くケンさん。
「うん、まあ、いろんなものがでかいの」おっぱいとか・・。
「高い・・というのは」
「うん、まぁ、背がね」さっき言ったでしょ・・。
「大きいって・・」
「いろいろなものが大きい娘なの」お尻とかも・・。
「すげーって・・いろいろなものが、すげーのかな?」
「まぁ」たぶん、ケンさんもスゲーって言うかもね・・アノ娘を見たら。でも。
「お相撲さん? ですか?」と、ケンさんが空想している映像が見てた気がして。だから。
「ちがうよ、会えばわかるよ、とにかく見た感じは綺麗な娘だから」と大きな声で否定した。すると。
「・・行って、話し相手になればいいんだね」と、なかば諦めたかのような口調のケンさん。
「うん、話し相手になるだけでいいの」
と、私も、うなずいて。えへへへと笑ってみる。その瞬間、ふと思いだした。DVD。
「そうだ・・ケンさんに頼みたい事あるの、その娘、紹介したげるから聞いてくれる?」
そう訊ねてみた。この人なら部屋に上げてもいい気がした。今までどうして思いつかなかったのだろう。そう思うと。
「なに? べつに女の子を紹介してくれなくても、何でも聞いてあげるよ、恭子ちゃんの頼みなら」
うしし。期待通りの返事だ。
「DVD買ったの」
「ふぅぅん、で」
とつぶやきながら、パソコンのマウスをカチカチさせ始めたケンさん。興味がそれていくのが解る。
「動かないの。説明書も全然解らないの。天皇陛下の誕生日、空いてるでしょ」
そう聞きながら、他人ごとの対応になり始めたケンさんの態度が気がかりになるけど。
「はいはい、そんな事ならお安い御用だから、23日、午前? 午後? どっちがいい?」
マウスを動かして画面をカチカチと切り替えるケンさんだけど、画面を見つめる真剣なかっこいい横顔でちゃんと話を聞いてくれているみたい。だから。
「ケンさんの都合に合わせる」
と、声がしとやかになってしまった。すると。
「じゃ午前でいいかな? 午後はマックにでも行こうか。10時頃にしよう」
と、提案。振り向いて、すごくすてきな笑顔だから。
「それって、もしかしてデート・・って意味」と反射的に聞いてしまったら。
「あ・・まあ・・プチなデートになるかな」
と、恥ずかしそうな返事が、なぜだか知らない、ものすごくうれしい気持ち。だから。条件反射。
「ケンさん大好き」
思わず抱きついてしまった。でも・・。
「動かないDVDなんて、店の人に頼めば良かったのに」
と、またよけいな一言。カチンときた。抱きついて損した気分があふれる。だから。
「だってお金取るって言うんだもん」
そんなうそを言いながら離れて。それに・・。
「今時、そんなことでか?」
と、またよけいな二言。だから。
「ケンさんを部屋に連れてきたいのよ」
言い合いになりそうな、そうでないような、負けたくない気分がそんな言葉を。すぐに、しまった、と思ったけど。
「えっ?・・・・」
と、振り向いたケンさんの表情は鼻の下が少しだけ延びていて、目と目が合って、すこしやばそうな雰囲気。ひとみさんがちらちらとしながらキーボードをかしゃかしゃ。本当にやばい、とりあえず冷静になろう。別にこの人に気がある訳じゃない。
「なに考えてんのよ? そういう意味じゃないの。コンパ行くでしょ。とにかくその娘の話し相手になってあげるだけでいいの。別に彼氏になってあげなくてもいいから。なにかおいしいもの食べさせてあげるから。DVDもよろしくね」
そう耳元にささやいて。ぷいっと逃げ出すことにした。その時。
「ありゃ・・メールだ・・」
と、ケンさんがつぶやいた瞬間。
「駄目今ひらいちゃ!」
なんてひとみさんの大声。オフィスのみんなが一斉に振り向き、私も見つめた先のディスプレーには。
「ずいぶん態度が違いますね フンっだ!!」
だなんて。大きな江戸文字が大きくなったり小さくなったり。
「ったく・・」
なんて言ってるひとみさんが私を気にしてる。えぇ、もしかして、この二人・・と一瞬思った。けど。
「なんのことですか?」
ケンさんの、ちらちらと私を気にしながらの、鈍そうな反応。そして。
「ふんっ」とするひとみさんから伝わった、
「このバカ」そんなテレパシー。なぁんだ、と、とりあえず安心してみた。
午後3時。とりあえず、今日の予定はコンパだけだ。今からわくわくしてしまう。美佐が言ってたひろし君ってどんな子だろうか? 営業2課って・・確か北米担当・・。結構なエリート君がたくさん・・
「うしししし」
なんて一人笑い。でも・・。
「恭子ちゃん」
と、突然、私を気安く呼んだのは。
「今日のコンパ、恭子ちゃんも行くんでしょ」
みんながマッチャンと呼ぶ・・松本さん。あまりお呼びしたくない人。この人は美佐と同じ課の・・ったく、美佐のおしゃべり・・。とほっぺを膨らませながら。
「う・・うん」とためらいな返事すると。
「一緒に行こうか」
げぇ・・。引きつった首を横向きに振れない。それに、マッチャンのにやにやした顔。断るチャンスは全くなかった。なにかを誤解したマッチャンが軽やかに向こうに行く。眺めているとゆううつな気分が押し寄せてきた。そんな時にぴっと飛び込んできたメール。無意識にあけて、振り返るとKenと書かれている。ケンさん? 開けてみると。
「遅れるかもしれない、店の名前は?」
なんて書いてある。ゆううつになった瞬間にどうしてこうタイミングの悪い。だから。ムカつく気分のまま、こう打ち込んでやった。
「オクレタラ コロシテヤル !!」
するとすぐ、私の気分にはおかまい無しで。
「マニアッタラ アイシテクレル?」
だって。これは、あの人の素敵なところ。ふぅぅぅっつと息を吐くと、一瞬で気分がほんわりしたから。
「イマモアイシテルコト カンジナイノ?」
冗談はカタカナで書く暗黙の了解。ケンさんは、こんな冗談を日常会話でやり取りできる人。今日はどんな返事を書いてくれるかと楽しみに待っていると。
「コワイクライニカンジテル モットアイシテホシイカラ・・間に合うように努力するよ」
それは時間通りに来るはずの返事。それに、もっと愛してほしいのか・・カタカナだから、冗談だと解っていてもやっぱり、こんな返事はうれしい。そんなうれしい気分で勝手に想像してみること。あの優子とケンさん。背丈も揃うし、結構似合うんじゃないだろうか? 優子ってひとみさんにも負けないくらいの美人だし、モデル顔負けの体格だし。ムチムチプリン星人だし。ひょっとしたら私、二人の愛のキューピットに。もし、そうなったら・・うし・・うしし。そのとき。頭にコツン。
「いてっ・・なによぉぉ」と振り向くと。
「こら! なににやにやしてんだ、気味悪い」
ぎょっ!! 係長だ・・。
「なによぉぉじゃないよ、ったく仕事をしなさい。いつもいつも、この娘は」
このおじさんは苦手だ。だから。とりあえず。
「はぁぁい」
と、ふてくされた返事。でも、仕事なんて、給料とボーナスさえもらえれば、それでいいと思っているから、係長の背中にあっかんべぇーだ。でも、そうすると。また、ため息とともにゆううつな気分。ディスプレーに振り返る瞬間、遠くのマッチャンと目が合ってしまった。手なんか振ってる。うわわわわ・・いやな予感がする。見なかったことにしよう。
終業時間。着替えた新しい洋服。大きな鏡の前でくるっと回ってチェック。かわいい。よし、なんて言いながら外に出ると、美佐が待ってくれていて。
「どうしたのそんなおめかしして」という。
「まぁ・・いいじゃない・・たまには」と、別に理由なんてないんだけどと言いたいけど。
「恭子もひろし君狙ってるの?」と言われたら。
「私・・ひろし君知らないんだど」ちょっとは期待しているかも。
「まぁ・・保険掛けたってことね」
「まぁ・・ね」
そう言うことにして。とりあえず、友達一人と、ケンさんのことを話すと。
「えっ・・ケンさんも誘ったの?」
と、むちゃくちゃうれしそうな顔をした美佐。え・・なにこの反応。
「やるじゃん」
なんて言っている美佐って、ケンさんのこと。一瞬、そんな想像をしていると。
美沙は、向こうからくる集団を見つけて。
「良かった・・女の子の数が一人多くなってたの。それと、あれが営業2課の男の子達」
となんでもないような雰囲気。とりあえず安心して、営業2課の男の子達と顔合わせ。ひろし君ってどの子・・と思ったのに、そのメンバーの中に、ぱっと見、めぼしいのは一人もいない。それに。
「じゃ、行きましょうか。うっわ、恭子ちゃん、すげぇーかわいい」
と突然肩に手を回したマッチャン。はぁぁ。こいつもいたんだ、警戒していなかった。それに、なんであんたに肩を抱かれなきゃいけないわけ? もぉぉっと思っているけど、大勢の前で無下に振り払うのもなんだし・・ほかに逃げ道もないし、しかたない、無視するか。後できっぱりすればいい。そう思うと次に気になるのは、女の子のみんながひそひと話してるひろし君。美佐に「ひろし君ってどれ?」って小声で聞いたけど。
「うん、あの子」
と指さした先にいる人は、女の子の視線に囲まれた、確かに顔はジャニーズ系だけど、そんなに魅力なんて感じない男の子。なんだか、今回のコンパは、ばぁっとしなさそうな予感が的中しそう。そんな予感をずるずると引きずり、マッチャンを無視して、美佐とぺちゃくちゃしゃべりながら駅前まで歩いた。
12月20日 18時58分。
角を曲がるとそこは駅前。そのもう少し向こう。すぐに目に止まった伝言板の前の優子。久しぶりに見るかなり遠くから識別できるあの目立つ背丈。近づいてゆくと、待ったのだろうか、爪先ををトントンさせて、少しだけ退屈な仕草で伝言板を眺めている。それと、しばらく合っていないからだろうか。その寂しげな横顔に息を飲んでしまった。優子って、いつのまにかむちゃくちゃ綺麗になってるし、とつぶやいてしまいそうな・・そんな気がした、別人みたい。それに、いつ見ても変わらない圧倒的なあの背丈がなめらかなシルエットと絶妙のバランスで優雅な雰囲気を醸し出して。一瞬、この娘、恋でもしたのだろうか。そんなことを考えてしまう真剣な横顔。あんなに真剣に、なにを見てるのだろう。後ろからそぉぉっと伝言板を見つめると、優子の視線の先に。
「優子さんへ、今年は逢えると思う。思い出のシーンもう一度見せてあげたいから、クリスマスを待っていてくれ。君のサンタクロース。祐二」
なんてことが書いてある。えっ? と思った。脅かさないようにそぉぉっと訊ねてみる。
「おっす・・それって、優子のこと?」
なんて伝言板を指さして。すると。
「えっ・・ううん、違うけど・・」
やっぱり、この娘にそんなロマンスは有り得ない。それに、優子の反応は相変わらずおっとりしてるし。とりあえず一安心して。
「ふぅぅん。久しぶりだね」と、見上げると。
「うん・・」
とうなずいて、視線は、私じゃなくてとなりの。だから、あわてて。
「あっ、松本さん、とりあえず会社の人」
と、紹介すると微かにぎょっとした優子。だから、ちがうわよ、全然そんな人じゃない! とテレパシーを送る。のに、優子は疑ってるような目。それに。
「とりあえずってなんだよ・・」
そんなマッチャンのぼやいた声に。優子はふふんっなんて私をからかう笑みを浮かべるから、ったくもぉぉ、いい加減に離れてよ。そんな顔をしてみる。それで優子は納得してくれたようだ。とりあえず。ほっとして。でも、ちらっとマッチャンを横目で見ると。やっぱり、優子の背丈に驚いて。
「彼女、モデルでもしてるの?」
なんて、この娘に初めて逢う男が必ず口にすることを私の耳元につぶやく。
「ううん」
と首を振って。ったく、と思うこと。さっきまであんなにベトベトになるほどに私にくっついていたのに、ポイッと離れて、私にはまったく興味がなくなったかのように優子に見とれている。たいていの男がそうだなと思う。優子と一緒にいると、オトコは目から光線でも出してるように目の前の優子のバストを見つめてから、まじまじと優子の顔を見上げて。私は、あんたじゃつりあいませんよ、と身長差を見比べる。本当に優子より背の高い男の人って少ないなぁ。それに、優子が踵の高い靴。滅多に履かないのに、そんなの履いたらいくらケンさんでも。それに、今日の優子はものすごくしとやかでシックな洋服。うらやましくみとれていると、優子は私を見つめてにこっと。だから私も微笑み返す。これが親友の証かな、なんてことを思った。その時。
「ふぅ・・間に合った、殺されずにすんだよ」
と、現れたケンさん。私の肩をいつもみたいにもみもみ。いつもの癖で、一言「あん」とあえいでからケンさんに振り向いて、微笑みながら見上げる優子に、ほら、この人がめぼしい人だよと、テレパシーを送った。けど。優子はまた、伝言板を見つめていた。そういえば、よくみると、サンタクロース・・なんてことが書かれていたような。まずいなぁ・・優子はまた、あのことを考えているようだ。あのこと・・優子は二十歳を過ぎてなお、サンタクロースの存在を本当に信じている。それは、私だけが知っている優子の秘密。この時期この娘が寂しい顔をする理由。そして、その寂しい顔に感じてしまう優しくなる気持ちを運命の声と聞き間違える男達。でも、そのことケンさんに話した方がいいだろうか? そう思ってケンさんに振り返ると。美佐に捕まったのかしら、照れくさそうにおしゃべりしながら行ってしまう。優子を手招きして。とりあえず、コンパ。飲んで騒いで、後はどうにでもなれ。店ののれんをくぐると同時に店の中からオヤジ達の同期の桜の大合唱。今回はハズレだ。そんな予感がドトーのごとく押し寄せた。美佐と顔を見合ったけど。始まってしまったものは仕方がないようだ。
店の人に案内されて席につくと、優子はいつも、どうしてそうなるのか、みんなとは少しだけ距離をおいた一番端に座らされる。自分からそこを選んでいるかのようにセイタカコンプレックスのせいだと冗談っぽく私に理由を打ち明けたことがあったけど、それは冗談ではなさそうだ。それに、すこし離れた目だたない場所で遠近感を狂わせてる女の子に気安く声をかける無謀な男の子。今日もいないみたい。優子はまた一人でうつむいて、グラスをもて遊びはじめていた。
お酒が回りはじめて、マッチャンが理解できないなにかを私に話しかけている。適当にあしらうと、優子のことが心配になった。なんとかならないかときょろきょろと見渡してみた。優子とおしゃべりしてあげたいけど、そうすると、また、私と優子だけで盛り上がるだけだし。でも、こうして冷静な気持ちできょろきょろすると、誰が誰を狙っているか、ありありとわかる気がする。マッチャンはどうやら私を狙っているみたい。とりあえず無視しよう。そして、ひろし君、普通の女はあんなのがいいのかなぁなんて思う。隣の男の子の話をうわの空にさせて、女の子の視線を集めてる。私は、コンパを出逢いの場にしようとは思ってないけど。それらしい出逢いを少しだけ期待しているけど、マッチャン・・まだなにか言ってる。こんな男はあまり乗り気がしないなぁ。こんなのに彼氏役を頼んでもそんなにメリットはなさそうだし。そんなことをブヅブツと考えていたとき。はっと気づいた。美佐の顔が生男を狙うドラキュラの顔になっている。牙が生えて、目が真っ赤になって、胸元のボタンはわざと外して、黒と赤のブラジャーを惜しげなく曝せて、くずした膝、はみ出る太もも、パンツが見えそうな足の付け根。というスタイルでケンさんの肩に斜めにもたれ、でれでれとおしゃべりしてる。ケンさんもへらへらとのろけてるし。今にもケンさんの首筋に牙を立てそうな美沙・・やばい・・だから。
「けぇーんさん」
と、マッチャンをほったらかして、ケンさんにすりよる。「ごめんこの人は」と美佐にテレパシーを送る。少し膨らんだ美佐。ケンさんが私に振り向くまでに美佐に手をあわせた。ぷいっとした美佐。そして。
「んっ・・なに」
といつも通りに間抜けな顔で振り向いてくれるケンさんを見つめて、その雰囲気、まだ美佐に気を引かれているわけじゃなさそうだ。ほっとして。
「ほら。昼間ケンさんにあわせたい娘がいるって言ったでしょ」
あたふたと切り出してみた。
「えっ? うん・・この娘?」
とケンさんは美佐を指さしたけど。
「美佐ちゃんのことなら知ってるんだけど。オレタチ、もうマブダチだよねぇ~」
「マブダチだよねぇ~。うふふふふふ」
なんて酔っぱらって。むちゃくちゃうれしそうな顔をした二人にムカッとしたけど。今は、そんなことにかまっていられない。
「違うの、ほら・・あの娘」
と、優子を指さした。ケンさんが振り向く間際、優子が一瞬顔を上げたけど。すぐにうつむいて・・。
「綺麗な娘でしょ」
と、言った瞬間の優子は縦じまの背景を背負って沈んでいた。そして、ケンさんが振り向き私が指さした方向を見定め。うつむく優子を見つけて。
「えっ? う・・うん」
と、曖昧な返事。だから。
「話し相手になってあげて・・話し相手になるだけでいいから・・」と懇願するのに。
「どうして・・?」って乗り気のない返事。
やっぱり後込みしてしまうのだろうか、ケンさんでも。でも、どうしても優子には楽しい一時をプレゼントしてあげたい。
「あの娘私の親友なの・・男の子とお話くらいさせて上げたいの」
「でも・・ちょっと・・く・・暗くない?」
「暗いけど・・一生のお願い。ケンさんならつりあいとかとれるから・・」
「つりあいって?」
「言ったでしょ背が高いって・・」
「言ったけど・・」
「そんなに嫌?」
と、声が大きくなってしまった。優子のことになるとどうしても語気が荒くなってしまう。ケンさんあまり乗る気がなさそうだ。失敗だったかなぁ。と一瞬思ったけど。
「はぁぁ・・」
とため息をはくケンさん。優子のことぱっと見そんなに嫌なんだろうか? あんなにきれいな娘なのに。それとも、ケンさんがいくじなしなのか。ぶつぶつ考えてると。
「話し相手になるだけだぞ。苦手なんだよ暗い娘って」
そうグチたケンさん。確かに優子は見た目そのままの暗い娘だけど、話せば天然系の愉快な娘なんだし、それに、別につき合えとか彼氏になれとか結婚しろなんて言ってる訳じゃないし。どうしてもあの娘には世話を焼きたいから。
「暗くても私の親友なの」
と目が座ってしまうことを意識してしまう。そして。
「ほらぁ。別に彼氏になってくれなんて言ってないでしょ。話し相手になってあげて」
と、ケンさんの背中を押して。
「彼女の名前は?」と聞くケンさんを。
「自分で聞いて」と突き飛ばす。
するとケンさんは、立ち上がり、踏ん切りをつけてくれた。でも、何度も何度も振り返る。そのたびにガッツポーズをしてる私。でも、ケンさんが向こうに行くと同時に、ぎゅっと衿を摘まれて、おそるおそる振り向くと。
「恭子? いったいなんなわけ?」
と、ドラキュラのままの美佐が髪を逆立たせ、牙を剥いて怒っている。めらめらと炎を背負っているようにも見えて。ぞぉーっとした。
「ったく、ケンさん、もう少しで落とせそうだったのに」
と胸元と膝回りをただす美佐。やっぱりその気だったんだ。それに、まだ恐い顔。とにかくここは正直に言うしかない。
「ごめんなさい・・あの娘友達なの・・」
「友達って?」まだ怒っている美佐。
「説明すると長くなる友達」
「二人をくっつけたいわけ?」まだ怒ってる。
「ううん・・そんなじゃないけど・・ケンさんならつりあうかなぁ・・って」
「どういう意味よ・・ったく・・今回ロクなのがいない・・営業2課ってネクラオタクばかりじゃん、ゲルググってなによ、はぁリックドム、モビルスーツだって。あの人たちナニ語しゃべってるの?」
よかった・・怒ってる理由はそれだったんだ。ほっとため息はきながら。ガンダムで盛り上がっているんだねと思いながら。
「ところで ひろし君って・・」と無理やり話題を方向転換させて。
「理恵にとられちゃった、速攻だった」
あ・・そ・・早いね。そんな感じで、美佐とぶつぶつ言い合っている間にケンさんは長い旅を終えて、優子のそばまで到達し。なにかを話しかけたようだ。優子が顔を上げて、そのまま私を不安な顔で睨む。だから、親指をたててみた。唇をかんだ優子が、またケンさんに話しかけられて、恥ずかしそうにうつむいて、よし! ケンさんは優子の隣に座って、優子の素顔をのぞき込み、白い歯をキラリとさせた。そんなケンさんを見つめた優子。見つめあう二人。お互い半開きの閉まらない唇が表現してる会話。
「綺麗・・」とケンさん。
「素敵・・」と優子。そんなイメージ。そして、時間が止まった。いい雰囲気だ。これでとりあえず今日の目的は完了だ。でも・・。
「あ~あ、取られちゃった」と美佐。
「もぉぉぉぉ、ケンさん。好きだったのになぁ」ともう一度、美佐。でも、よく見ると表情からは怒りが消えてる。
「せっかくのチャンスだったのに・・連れてきてくれてものすごく感謝してたのに・・今夜は絶対できそうだったのに。久しぶりの獲物だったのに。もぉぉ」
そんなぼやき声に、ごめんなさい・・とつぶやくと、美佐は、どことなくうっとりな表情。
「あの娘、恭子の友達って言ったよね」
「えっ・・うん」
「綺麗な娘ね・・ひとみさんといい勝負できるんじゃない?」
「えっ・・うん そうかな?」
「すんごいフェロモンでてるし、あれじゃかなわないよ・・ケンさんも巨乳美人に弱いんだね・・うわーメロメロになっちゃってる・・ケンさん・・私のケンさん・・なんか幻滅だな・・」
と、美佐が言った理由。二人を見つめると。ものすごくきらきらとさわやかなケンさん。あんな表情会社で見たことがない。それに、体中をくすぐられている子猫みたいに首をすぼめて笑っている優子。その大柄な体格に全く釣り合わないねじれ方。でも、ウツクシイ・・滅多に使わない形容詞をつぶやける程に綺麗なシーン。みとれてしまった。まるで、その一角だけが空中に浮かんでいるような錯覚まで感じて。
「あの二人、運命のなんとかじゃないの?」
と美佐が言う。私もそうつぶやきたい気分がした。あの二人、本当にピンク色できらきらしてる。
その後、とりあえず美佐と焼け飲み。へべれけにはならない程度に。飢えた男どもがにやにやとしているから。
その後、男達の攻撃を軽くあしらって。そろそろ時計が気になる時間まで美佐と二人で盛り上がっていた。時計を気にすると、優子とケンさんもどうなったかと気になって、ちらりと見てみると、視界の片隅がさっきよりもっとらぶらぶなピンク色のオーラ。なんだか見たくないような気分がするけど、オソルオソル顔を振り向けると。ぎょっ!! 二人は小指を絡めあってくねくね。首をすぼめている優子。恥ずかしそうに照れているケンさん。むっかぁぁ。私たちはこんなにげっそりしてるってのに。絶対じゃませずにはいられない。だから。そぉぉっと背後に忍び寄って。
「なにしてるのぉ」
と嫌みったらしく優子の首筋に抱きついてやった。すると、一瞬の間。そして。
「ひゃぁぁ!!」
と爆発したように驚いた優子。あわてて解いた小指。そのパワーに振り飛ばされた私と、肘が命中したテーブルのグラス達。ガシャパリン!! 尻餅ついて呆然としてしまった。すると。
「ははは」
なんて笑ってるケンさん。私には見向きもせずに、慌ててグラスのかけらを拾おうとする優子を。
「危ない、手、斬るといけないから」
と強引にとがめて。手を握られた優子がケンさんに振り向いて止まってしまった。気づいたケンさん。あわてて手を放し。恥ずかしそうに笑ってから、震える手付きで破片を拾いはじめる。そんなケンさんをじっと見つめている優子。2秒感覚で優子に微笑みを投げかけるケンさん。店員さんが掃除機持ってきて。
「ちょっとどいてくれる」
なんて割って入ったのに、視線のレーザービームはきつく結ばれたまま。二人のレーザービームの光通信のような会話が私を素通りしてる気がする。なんだか恥ずかしい。いづらくなる。けど、逃げ出すタイミングが見つからない。おろおろしていると。
「ほらぁ、支払済ませるわよ」
と、美佐が私の手を引っ張ってくれた。このチャンスにあわてて逃げ出した。そして、レジでお金を払っている最中。チラっと二人を見ると、手を差し出すケンさん、立ち上がることをためらっている優子。でも、ケンさんは強引に優子を引っ張って。優子ってわざとらしい。ケンさんにもたれかかって、そのまましがみついて、ケンさんの胸に顔を埋めて、ゆっくりとケンさんを見上げた。優子もあんな演技ができるんだ。そう思っていると、ケンさんが優子の脇に手を入れて、あんなに大きな優子をぬいぐるみでも抱くかのように軽々ひょいと抱き上げる。ものすごくうらやましい。開いた口が塞がらない。ぽかぁ~んとみとれていると。ケンさんはなにかをつぶやき、ゆっくりと優子を床におろした。うつむく優子がなにかをつぶやき。そして、顔をあげた。その背丈、とりあえず優子の方がわずかに低い。そして、優子の微かな上目づかい。照明が反射する優子のいつにないしっとりした唇、が、なにかをつぶやいているかのようにごにょごにょ。そのまま、そこだけ時間が止まっているかのように見つめあってる二人。唇と唇が引き合う光線が見える気がした。本当に引き合ってゆく。まさか、うそ、そんな、目の前で。ごくりと唾を飲み込んでしまうシーン。なのに。
「恭子小銭もってる?」
と美佐の声にあわてて振り向いてしまう。じゃらじゃらする財布をあたふたと鞄から取り出して、次に二人に振り向いたとき、二人はどこにもいなくなっていた。きょろきょろ探しながら店を出ると、手を取り合ってこそこそと逃げ出すような二人がもうあんなに遠くに。一瞬振り返った優子と目が合った。だから、反射的なガッツポーズを送ってあげる。でも。
「あ~ぁ・・あの二人絶対結婚しちゃうよ恭子・・責任とれるの?」と美佐が聞く。
「えっ・・結婚?」ってナニ語だっけ・・思考回路が・・。
そう思っていると見えなくなった優子とケンさん。
「あの二人、このままラブホテルに直行って感じだね」
あの子に限ってそれはないと思うけど・・・。
「今夜は体力が続く限りヤッてヤッてヤリまくりだね」
ケンさんに限ってそれはないと思うけど・・・。
「勢いに任せて、今日、俺、アレ 持ってないんだけど、我慢できないんだ。いいだろ。後先なんて考えるひまないシチュエーションで、うん、いいよ、私も我慢できない。どんどんして。もっとして。でも、そんなに何発も撃ったら、どんなに下手でもやっぱり命中しちゃったりして」
美沙・・何を形容しているのだろ・・どんな想像力?
「そんでもって、ねぇ恭子・・あたし・・生理が来ないんだけど・・・やっぱり・・・・アレかな」
なんて独り言をつぶやいている美佐・・・。
「結婚するべきだよね・・・・なんてなっちゃうんだろうなぁ・・・はぁ~ぁ、あたしがそうなる予定だったのに、今日すれば高確率で間違いなくできちゃってたのに、そのつもりでケンさんにチクビちらまでしてあげたのに、二人きりになれたら押さえつけてでもしようと思ったのに、無理やりでもなんでもするつもりだったのに、ケンさんが嫌がろうがどうしようが、絶対立たせてヤル覚悟できてたのに」
と美佐が、お酒の力でぼやいている。でも、
「・・・・ちくびちらって・・・できちゃってたって、押さえつけてって、無理やりって、嫌がろうがどうしようが・・・立たせて・・ヤル」
それってレイプでしょ? と美佐を見上げると、私をジロリと私を睨んで。
「あんたのせいだからね」
と。だから・・・。
「また今度ケンさん誘うから・・・ね・・・ね」
「もう遅いわよ、私の勘だと、あの二人年内に電撃的にくっつく。もうそこで合体してるかもしれない」
「うそっ・・年内ってあと少ししか? もう・・合体? ど・・・どこで」
「はぁぁぁ・・悔しい・・恭子一軒おごりなさいよね」
おごるしかなさそうな美佐のヤマンバみたいな顔。でも、優子ってひょっとして、本当に恋の花がイキナリ咲き乱れてしまったのだろうか。なんて思うとものすごくうれしいかもしれない。けど・・。
「ケンさんも売れちまったか・・今日もまた、売れず残った、私たち」
たち・・には私は含まれていない絶対に、と思いながらも、美佐の私の腕に摺りよりながらの五七五が頭から離れなくなった。そして、美佐と歌いまくった後のほとんど夜明け前。部屋に帰って、ベットに転がってごろごろ背伸び。前髪をふぅぅっともて遊ぶ息が荒くなってる。なんなんだろこの寂しさは・・・。
12月21日 06時57分
すぐに訪れた朝、寝覚めはゆううつだ。ほとんど眠れなかった。頭が痛いし重いし。会社を休んでやろうかと思ったけど。ケンさんと優子がその後どうなったかをどうしても知りたい。だから無理矢理起きて、適当な朝食。適当な洋服。適当にお化粧。そして出かけた。
中島の駅前、改札を出て、おもいっきりあくびして、背伸びしたその時。ちらっと視界をかすめたものにぞわっとしたオーラを感じた。そぉぉっと会社とは反対の方向に振り返ると。少し向こうに昨日の伝言板。そこにケンさんがいる。ただならぬモヤを纏っている。ふと思い出したのは、昨日の美佐の一言。ヤッてヤッてヤリまくった・・ような精根尽き果てたような雰囲気で伝言板を見つめ、はぁぁぁぁぁと長々とため息。そぉぉっと近づいて、後ろから見つめると。伝言板には。
「サンタさんへ。また逢えるクリスマスを待っています。優子」
なんて文章。サンタさんへ? また逢える? ケンさんが手でなぞっているのは、優子の2文字。これはあの優子が書いたものだと直感で思う。けど、ケンさんのその表情。また、ため息をはぁぁぁぁっと。じぃぃっと観察して直感で思うこと。これは、絶対ヤッてヤッてヤリまくった雰囲気ではない。だとすると・・一瞬で振られたのだろうか? そんな気がした。そぉぉっと観察し続けていると。私に気づいたようなそぶり、ほんの少し顔が振り向き、目から出る光線が、ちらっと私に向いた。「やべっ・・恭子ちゃんだ」そんなテレパシーを感じたから。にやっとしてしまう。これは振られたんじゃない。惚れたんだ、しかも相当に。それは確かな直感。そぉぉっと近づこうとすると、そぉぉっと私から逃げようとするそぶり。むふふ。こんな男はどうしてもからかいたい。だから。そぉぉっと逃げ出しはじめるケンさんを。
「おっはよぉぉぉぉケンさん、その疲れ方からして、ぬふふふふぅ。きゃぁぁぁ、もう、えっちなんだから」
無茶句茶わざとらしい カラ元気 で背中を叩いてみた。ケンさんが振り返る。だから、目はニヤニヤと、引き吊りそうな口元を拳で隠して、そんな笑顔をわざとらしく。すると。
「おはよ、恭子ちゃんは今日も元気だね」
ケンさんは、元気のない声でそう言った。言いながら、くすっと力なく笑い。
「この伝言板のジンクスって知ってる?」
なんてことを聞く。このあいだのドラマで舞台になった伝言板だと言うのはかなり有名な話。そのおかげで、待ってると書けば必ず逢えるジンクスができたらしい・・そんな相手がいる人にだけ通じるそうだけど・・私はまったく興味なしだから。
「まぁ・・」とだけ返事したら。
「本当なのかな・・」と
伝言板に振り返るケンさん。やっぱり。勝手な想像は当たっている。ケンさんは完璧に優子に惚れてしまったようだ。なんだか心のなかでいやらしい手が私をくすぐり始めた。こんな男をからかうのは本当に楽しい。だから。
「ででで、どうなったの、ねねね、ケンさんどうなったの、ちゅぅくらいした?」
ううんとうつむいたまま首を振るケンさん。そして、追い打ち。
「どこに惚れたの? 体? 顔? 性格? カラダでしょぅ? ねねねね、言っちゃいなさいよ、どうだったのよ? ちょっとくらい触ったの? あの巨大なおっぱいとかに」
そう訊ねると、ケンさんの視線は、あの娘のものとは比べ物にならないけど、それなりにお気に入りの私のバストをちらり・・じぃぃぃ・・そして、はぁぁぁぁぁぁとため息。それはどういう意味なのよ、という気がしたけど。
「ケンさん?」
と言っても反応のないケンさん。私を無視したまま歩こうとする。だから、もう一度言う。
「ケンさん」
強引に腕を抱こうと駆け寄ると、ケンさんは立ち止まり、ものすごく真剣な眼差しで私に振り返る。息を飲み込んでしまった。なっ・・何? この食べられてしまいそうな・・。
「ちょ・・ちょっとケンさん」
ケンさんは、じっと私の瞳の奥を見つめて。なにかを言おうとして、大きく息を吸い込んで、でも、はぁぁぁぁと重苦しいため息をはきながらしぼんでゆく。
「ケンさん?」
と言ったけど。ケンさんはうつむいて、とぼとぼ歩いてゆく。頭の中の優子があふれて。そこら中にぶちまけているみたいだ。でも、別に彼氏になってあげなくてもいいって言ったのに。そう思うと、何となく嫉妬してる気持ちが表に出て、顔に出て。荒い語気もでてしまう。
「もう、ケンさん」
「んっ・・・」
ケンさんの味気ない、そっけない、他人ごとの返事に唇が尖った。
「なによっ・・・もう」
彼氏になってあげなくてもいいって言ったのに。初めはあんなに嫌がってたくせに。私は今ぷぅぅっと膨らんでいるのに、そ知らぬ顔でとぼとぼと歩いてゆくなんて。でも、恋と言う名の不治の病、ケンさんの雰囲気はまちがいなく末期症状。小走りに追いついて、左斜め下からケンさんをのぞき込む。いしししし、と笑いながら。腕を抱いて。
「私が、何とかしてあげるからね、安心して」
なんて言う。ケンさんが、腕をもそもそさせながら私を見つめて言い返す一言。
「お節介・・好きそうだな恭子ちゃん」
そんな皮肉っぽいセリフ、大きくうなずいて肯定する。
「うん。私、お節介、大好きなの」
にやにやしてしまう目でそう言うと、ケンさんはまたため息とともに肩を落として・・・。なによぉ、この反応。でも・・。
「本当に優子に惚れちゃったの?」
そう聞くと、ちらっと視線を反らせてまたため息。ホントになんだろ・・このしずみ方。でも、じっくりと観察するとわかる直感。この人、本当に本気で惚れている。あの娘に。どうやら美佐の一言は本当みたいだ。一瞬、責任・・の二文字を思い浮かべてためらいな気分がしたけど。こんな雰囲気は楽しまなきゃ。あの優子がこのケンさんと、だなんて。心の中でけっけっけっけっと笑ってしまう。よし、今日一日おもいっきりからかってやろぉ。そんな気分が溢れてきた。
デスクに座って、コンピューターのファイルを開くと係長が家庭を犠牲にして、夜通しこしらえた今日の私のスケジュールが現れる。ぱっと見て、今日もそれらしい仕事がない。そう確認すると、すぐに退屈を持て余してしまう。ケンさんをからかいに行きたくても、私の回りで男達がいそいそがやがや。こんな雰囲気じゃ行けそうにないし。ぶつぶつと作戦を練っていると。無性に優子に逢いたくなり始めた。からかいたい、そんな気分とケンさんのあの状態を教えてあげたい。それに、いったい何があったのか。知りたいのはそれだ。どうにかして会社を抜け出す方法を。と思案すると。
「外回り行ってきます」
「おぅ、頼むぞ」
と遠くからそんな声。ぴんっとひらめいた。外回り。なんてしたことがないけど。これだ。こそこそと身長の低さを最大限に生かして。オフィスの入り口の私のネームプレートに「外出」の札をかけて。こそこそ、なんてつぶやきながら、会社の外へ。脱出成功! 急ぎ足で駅まで歩いて、いつもと反対方向の切符を買う。改札を抜けて。すかさず優子に電話してみる。
「今外回りで近くまできてるから。あの店覚えてる?」
返事を確かめながら、電車に飛び乗って。次の駅で飛び降りて、高校生の頃から通っている喫茶店に直行する。からんとドアを開けて、きょろきょろする。まだ優子は来ていない。しばらく待つことにした。いつもの窓際の席に座り、私の事覚えてくれていそうな微笑みのマスターに紅茶をリクエストして。窓の外を頬杖ついてわくわくしながら眺めてみる。すると、相変わらずな目だつ背丈で陰を引きずる優子が来た。くすくすと思うのは、あの陰さえなければそこら中のオトコが優子に摺り寄りそうなのに、なんてこと。そして、ったく と思うのは、あの陰があらゆる男を遠ざけているんだな、なんてこと。そんな優子と目が合って、店の中から手招きした。からんと扉を開ける優子がマスターにおじぎしながらテーブルの前に来る。微笑みの挨拶を交わして、椅子を出して座るのを待つ。その間じっと優子を観察してしまう。どことなく沈んだケンさんと似た症状。もやを纏った少し斜めにかしいだその姿勢。うししと心の中で笑って、椅子に座った優子に。
「あんたケンさんになにしたの?」
と聞いてみたら、ぎょっとして息を止めたのがわかった。それに、そんな言い方、この娘が答えられるわけがないか。だから。
「そんなにすごい夜だったとか」
と、ありえないと思うことを聞くと、やっぱり今度は ?ハテナ の印が頭の上に浮かんでいる、だから。
「それともケンさんになにかされた? ケンさん少し沈んでいたけど」
と、本題を言い放ってみた。予想通りに、静かにうつむいてゆく優子にぴんとくること。
「まさか、また、サンタクロースの事を馬鹿にされて怒ったとか・・」
うなずいた優子。やっぱり。そして、ったく。と思った。この娘はサンタクロースを馬鹿にするとそれこそ二重人格かと思えるほどに怒るんだ。
「夢と現実はっきりわけなさいよ、いいかげんに」これは本音、でも。
「ほっといてよ」
と、ふてくされる優子。首をすくめる私。これが優子に友達ができない理由だと思う。私は信じてあげたい。サンタさんにもらったと優子が見せてくれたぬいぐるみのことも知っている。でも、ほっといてよ・・と優子が言うとおしゃべりはいつも途切れてしまうんだ。だから、何から話そうか。といつものように考えて。
「携帯・・どうしたの? つながらなかった」
なんてどうでもいい話しから始めることにした。可愛いウエイトレスさんが紅茶を持ってきてくれた。もう一つ・・と人差し指をたててウエイトレスさんに目で合図する。すると。
「かけてくれる友達、恭子だけだし・・最近あまり恭子からもかかってこないから」
なんて、暗い会話を続けている優子。ため息を吐き出したくなる。けど。
「ケンさんに電話番号とか教えなかったの?」
とりあえず無難なインパクトの話題。すると、うなずいている優子。そのうなずき方はものすごく後悔しているみたい。だから、ひそひそっと。
「ケンさん優子に一目惚れだよ、絶対。どうする?」
そう言うと優子はものすごくうれしそうな顔をあげた。心の中で叫んだ「ほんとに?」なんて声が聞こえた気がする。そして、じらせるために紅茶を口にしながらにやにやしてみる。でも、急にまた黙り込んだ優子。うつむいて、今度は何を考えているのだろうか。優子の心の中をのぞき込むつもりでじぃぃっと素顔を観察する。そうすると、優子の考えてる事がなんでも解る気がするから。そして、たぶん、と思いつく確信に後押しされて、すらすらと話してしまう、無意識なおしゃべり。
「ケンさんってねぇ・・」
から始まるケンさんを褒めちぎるデマカセ・・でもないかな。あの男は、本当に優しい何でも頼めるお兄さんみたいな人。どことなく抜けていて、それなのにいざというときはしっかりしてて、まじめで、一応名の通る大学を出ていて、将来も有望で、理科系で、「ケンさんは科学者なんだぞ」って、ダイエットのアドバイスをしてくれた事もあったかなぁ・・そのおかげで私は3キロ痩せられた。すぐに元に戻ってしまったけど。そんな話し。でも、言いすぎちゃったかな・・。息継ぎをしたその時。いきなり顔をあげた優子が。
「ひょっとして、恭子も好きなの? 高倉さんのこと」
なんてことを聞き返してきた。ちょっと驚いたけど。ものすごく真剣な優子を見つめると、いたずらしたい気分があふれて。
「うん。大好き」
なんて、大きくうなずいてしまった。そして。
「優子は?」
と、わくわくしながら聞いてみた。すると。
「・・・好き・・・みたい・・・」
だって・・ったくいつもいつも世話が焼ける。言い放ってから、くねくね曲がり始める優子。
「えへへへへ」
なんて奇妙に笑い始めて。会話が弾み始めた。
「いったいなにしたのよ。ケンさんものすごく落ち込んでたよ。はぁぁってため息なんか吐いて、捨て犬オトコそのもの。優子がケンさんにどんななひどいことしたんだろって一瞬、我が目を疑ったくらいだったんだから」
なんて、いししししって笑いながら話してあげると、優子は、ものすごく心配な顔で。
「そんなに落ち込んでた?」
だって。うなづくと。まったく。人の気も知らないで・・なんて言いたくなる。やっぱり、昨日の二人のシーンは本物なんだと思う。優子もケンさんも、一目で運命を意識したんだろうな。うらやましい。そんな想像に浸ろうとした。そのとき優子が。
「どうしてあの人にあわせてくれたの?」
なんてことを聞いた。きょとんとなったのは私の方、急には思い出せなくて、どうしてだろ。と思ったまま。
「どうしてだろ?」
と、声で繰り返す。そして、自分自身に訊ねるように。
「どうしてだろね、ほんとに」
そうつぶやいて。口から出るに任せた言い訳。
「だってほら、優子って毎年この時期寂しくしてるから、優子みたいな娘にはケンさんちょうどよさそうだったから」
本当は背丈が揃っているという理由だけだったことを思いだしたけど。そのことは黙っておこう。そして。
「私の勘って当たってるでしょ。ちょっと後悔もしてるけど、ケンさんじれったいし、いつも一言多いし、あたしには・・だから、優子にあげる。好きにしていいよ」
と私の話しを黙って聞く優子にさらに続けた。
「なにしたのか知らないけど、優子も一目で好きになっちゃったんでしょ」
すると優子は表情は溢れる自信でたっぷりなのに。
「たぶん」なんて、か細い曖昧な返事。
「運命みたいなもの感じた?」と聞いたら。もう一度、自信たっぷりな表情で。
「たぶん・・・」だって。
「嫌ったわけじゃないよね?」と追い込むような誘導尋問をすると。
「うん・・」だって。
「声。聞きたい?」
「うん・」
くすくす笑ってしまいそう。だから。踏ん切りをつけさせるつもりで。
「じゃっ、ケンさんに電話するように言っといたげようか」なんて言うと。
「う・・うん・・」と、返事してすぐ。
「ううん、私から・・・」
そう言って唾をごくり。優子にしてはものすごい勇気を出したんだと思う。そう言い放ってから、うつむき始めた優子。ほんとにまったく。けなげなムスメなんだから。なんてことを思ってしまう。ずっと昔からこの娘はこんな感じ。そして、そんな優子の緊張を、私は冗談っぽい言葉でほぐしてあげるんだ。
「できるのぉ?」
なんて指をくるくる回して。他の誰かが見れば、私が優子をからかっているように見えるだろうけど。こうでもしないとこの娘は・・。
「できるわよ」
そんな決断を絶対しない。だから、私のペースに乗せて、もっと大きな決断をさせてあげよう。
「じゃ、ケンさんに言っといてあげる。優子から電話あるからって。ケンさん喜ぶだろうなぁ・・飛び跳ねるかも」
でも。ここまでが限界かな。かぁぁっと赤くなった優子は、
「そんなこと絶対駄目」とまたうつむいた。
「じゃましちゃおぅかなぁ」
と、うつむいた素顔をのぞき込む。すると。優子にしては上等なたんかを切った。
「すれば」って。だから。
「なによぉその自信は」
なんてからかうのはこれで最後にしてやるか。くすくすと笑って。優子の目を見つめてみる。すると。
「ねぇ恭子」と聞き始めた優子。
「なに」と聞いてあげる。
「もし、同じ人好きになって、取りあいっこになったらどうする?」
だなんて、それは、予想もしないセリフ。私と優子が同じ人を好きになって、取り合いに? なんてありえない話でしょ。そう思って一瞬戸惑ってしまった。そぉぉっと。
「ケンさんのこと?」とつぶやいて、もう一度、ありえない・・と思いながら。
優子の顔をじっと見ると。まさか、この娘、そんな誤解をしてるのだろうか? 一瞬そんな気がしたけど。
「ううん、もし、そんなことがあったら」
そんな気がしただけみたい。だから。
「そのときは彼に任せる、二股は許せないけど」
それは、思いつくままの返事。「私も」とつぶやいた優子。そして。つい、いつもの癖。
「でも・・ケンさんは別かもよ」
そうつぶやくと。
「・・・・」
なんて目を大きくあけて黙り込んだ優子が本当におかしい。
「ぷぷぷ・・純情なんだね優子は。冗談よ」
「もう」
「ケンさんもすっごく純情だから、優子にはちょうどいいよきっと、どんな告白されたかはちゃんと報告してよ、ケンさんのことだから、もどかしく一言多く言うかも知れないけど、なんっか意外な言葉使うかも知れないし」
「うん」
その返事を聞いてから、時計を気にした。すかさずレシートを取った優子が。私にチラッと微笑んで。
「ピコーピコーピコー」と変なおまじないをつぶやいてから。
冷えた紅茶をごくごくと飲み干して。
「ありがと・・」
そうつぶやいて、私と一緒にうなずいて席を立ち、出口に向かう。店のマスターと目が合う。ものすごく優しい笑顔。私たちのことを覚えているのだろうか。久しぶりに来たのに全然容姿の変わらないマスター。深々とおじぎして店を出た。そして、振り返り、ドアをカランとあける優子に。
「今年は逢えそう? サンタさんに」
そう聞いてみた。すると、私の声が聞こえなかったみたい。優子は空を見上げて。だから。
「どうしたの」そう訊ねると・・。
「シリウスって言うの」と訳のわからないことを言った優子。
「はぁ?」と口を開けた私。すると。
「夜あの辺に輝く夜空の中で一番明るい星。大犬座の一番きらきらしてる星。天狼星とも言うの。天空の一匹狼の星。シリウスって、いい名前だと思わない?」
なんて空に指をさしての説明・・。
「尻臼・・・?」
「私と高倉さん二人っきりの秘密。これ以上は教えたげない。ムフフ・・・」
ちょっとだけ驚いた。二人っきりの秘密? ってなによそれ・・二人でナニしたの、と思うと。
「ええええっ、なによそれって、あんたたちもうできてんの?」としか言えなくて。
今この瞬間の優子を見る限り、本気で驚くしかない。うっとりと二人きりのシーンを回想している優子。本当に高いところから私に振り向いて。
「高倉さんの夢。だったんだって」
なんて、過去形を強調してる。その過去形がものすごく意味深。なによ、こんなに心配してあげたのに。そんな気分。だから。
「なによぉ、あたしがお節介することないじゃない、結構真剣に考えてあげたのに」
わざとらしく膨らませたほっぺ、なによもうすでに二人だけの秘密を共有してるんだ、と思うと睨んでる目が笑ってしまう。そんな私を見つめる優子が。
「ありがと、逢わせてくれて」と言った。
「本当にありがと」ともう一度言った。
まあいいか、と私はつぶやいて。
「がんばってね」と言ってあげる。
「うん」と、かわいくうなずいた優子。とりあえず安心した。この二人はきっと燃えるような恋をして・・今年中に電撃的にくっつく。と、美佐が言ってた予言が本当に当たるのかも。そのイメージはものすごく鮮明な映像となって頭の中にあふれるから。ほっと安心。どうともなかったみたいだ。ケンさんのあの落ち込み方も、恋と言う不治の病の初期症状、男にはよくある症状だったんだと、今は思える。気が抜けてあくびが出た。
「さってと会社に戻るか」
と、あくびのついでに背伸びすると・・やっぱり比べてしまうもの。
「変わらないね、ちっちゃなころからあたしたち」
本当に変わらない。この30センチ近い背丈の差。ちっちゃなころから、まるで姉妹のように仲良しなのも変わらない、もし姉妹だとすれば私がお姉ちゃんで。優子は妹かな。外見とは正反対。くすくす笑いたくなる。
「そうね」
と、うなずく優子は背丈の差をぷんっと気にしてるみたい。そして、うつむいた。だから。
「今度は、どうしたの?」
とたずねてみる。ううん、と首を振った優子。なにを考えているのだろうか。うつむいたまま、手を後ろに組んでとぼとぼと歩き始める。黙ったまま。なんだかおしゃべりしたい気分じゃない。うっとりと唇に微かな笑みを浮かべて。その表情に思うこと。二人きりの秘密か。尻臼って言ってたっけ。後でケンさんに追求してやろぉ。そんな気分。
そうこうしている間に駅について。切符を買って。お釣りを取ろうとした。そのとき。
「ねぇ恭子」
と、優子が突然口を開いた。
「なに」とお釣りを確かめながら返事する。
「ジンクスって信じる」
と訊ねた優子。えっ・・と思った。優子が見つめているもの。それは、あの伝言板とは違う、この駅の落書きだらけの伝言板だけど。
「えっ・・優子も知ってるの?」
そう聞いてみた。
「うん・・昨日、高倉さんが教えてくれたの」
そういえば、ケンさんが朝、手でなぞっていた・・優子・・の2文字。二人だけの秘密ってこのことかな・・なんて思う。けど。あの伝言板とは全然違う、汚い、落書きだらけの伝言板だから。
「全然違うね」なんて、つぶやいてしまう。
「でも、いいの」そう真剣な目でつぶやいた優子は、なにもためらわずにチョークを手にして、端っこの何も書かれてないところに、小さな字でこんな文章を書いた。
「次は私の夢をたずねてください、今の私が誰を待っているのかを 優子」
ジンクスを意識している文章だと感じる、待っている。という言葉。どういう意味なんだろ。ものすごく真剣に考えてしまった。でも。
「一緒にお祈りして、ねっ」なんて大真面目に言う優子はもう手を合わせてて。だから。
「どういう意味なのよ?」
そう聞くのは無駄みたい。
「はいはい」
と片目で優子を見上げながら手を合わせてあげる。本当に優子は大真面目だ。そして。
「ありがとう」とつぶやいた優子と別れた。
はぁぁ・・うらやましいかも。そういえば優子はケンさんにいったい何をしでかしたのだろうか。一番大事なことだけを聞かなかった気がする。サンタクロースに関わるなにかなのは確かだけど。たぶん、ケンさんが「子供っぽいとか・・お父さんだったんじゃないの?」なんて言って優子を茶化してしまったのだろうと想像できる。そう言うと優子は必ず怒るから。でも、そんなことはもういいや。私が引き合わせた二人の恋が本当に始まったんだ。そんな気分だ。でも、さっきの伝言板。優子の夢ってなんだろう。電車が来て、ホームから手を振って。このことケンさんに言うべきか、いや・・それは、野暮ってヤツだと思う。そっと見守ってあげよう。優子のことは。でも。ケンさん。優子があんなに好きになってしまっていること、どう伝えようか。ガラガラの座席に座って、う~んと、考える人のポーズ。でも、いいアイデアが浮かばない。
12月21日 11時45分。
そぉぉっとオフィスに戻った。そ知らぬ顔で仕事をさっきからずっとしているふり。とりあえず、きょろきょろとしてみる。係長と目があったけど、知らん顔してる。よし。作戦成功だ。胸をなで下ろしてからまた考える。あの二人ってどうだろうか? 優子も相当ケンさんのことが好きみたいだし。やっぱり似合うよ、絶対いい。あの二人が抱き合うシーンはものすごく鮮明にイメージできる。私は本当に愛のキューピットに。そうだ、ケンさんに電話をさせなきゃいけないんだ。そんな事を思いだした。昼休みにケンさんに直接。そう決断して時計を眺めると、10分で昼休みだ。きっとうまくいくはずの二人。うっとりと思ってふぅぅと息を抜くと思考が一瞬停止した。その瞬間、ぴっと私のディスプレーにメールが届いた合図。慌ててクリックすると、Hitomiと文字が現れた。ひとみさん? 一瞬背筋に冷たいものが走ったような、別にやましい事はなにもしていないけど。いつもと違う出来事が突然起こるとそんな感じがしてしまう。きょろきょろしてから、そぉっとマウスを動かして開けてみた。
「ケンちゃんが変なの。理由はあなた? ひとみ」
と短く解りやすく書かれてあるメール。でも、解りやすいけど。どことない恐さを感じてしまうのは。向かい合うデスクに座るあの二人の雰囲気。いや・・ひとみさんの目付き。ここは妙なことは考えずに正直にした方がよさそう。だから。
「たぶん、私の友達が原因です。恭子」
と送り返すと。すぐさま。
「ケンちゃん、振られたの?」と返事、だから。
「一目惚れしたみたい」と送る。するとまたすぐさま。
「うそっ!」
と返ってきた。ビックリマークが意味あり。ひとみさんってやっぱりケンさんの事・・そんな予感がしてしまったけど。
「その話おもしろそぉ。あとでね。ぷぷぷ」
と続いた文章。あとでね? ぷぷぷ? その文字を見つめて。ひとみさんも私と同じ心境なんだ。そんな直感。朝の雰囲気のままのため息を吐いているケンさんを想像して、くくくくっと笑ってしまう。でも・・。少しだけ心配だから。
「今、どうなっていますか?」
と、打ち込んでみた。すると。
「頭抱えてため息ばかり。お昼一緒にどぉ?」
「OK!」
そう打ち込んで、あと5分で始まる、お昼休みか待ち遠しくなってきた。ぷぷぷっと笑ってしまう。あのケンさんが・・そうとは知らずに。だから、ぷぷぷ。そんな感じだ。
食堂で適当なランチをお盆に乗せてきょろきょろするとひとみさんが窓際の席で手を振ってくれた。小走りにそのテーブルに向かう。ひとみさんが拳で口を抑えて笑っている。椅子を出そうとすると、
「で、どんな娘なの?」
突然本題に入った。だから。
「背がこんなに高くて」と手を高々とあげて背伸びして。
「ひとみさんも、うなずく くらい綺麗な娘です」と話し始めると。
「へぇぇぇ・・くくくく」と細い指で口元を抑えて笑うひとみさん。
椅子に座ると、なにがそんなにおかしいのか。ひとみさんは、まだ、おなかと口元を抑え、体を折り曲げ、笑いを抑えられないみたい。でも、私も同じように笑ってしまう理由は、
「あのケンちゃんが・・・ヒトメボレ・・・くくく」
その一言に尽きると思う。同性の恋愛話はそれなりのうらやましさとか同情とかが入り交じるけど。異性の場合は。それも、それなりに親しい異性の場合は。やっぱり私も。
「くくくくく」ってつられ笑い。
「でも、ケンちゃんのあの雰囲気、振られたみたいよ・・」
と笑いが治まった瞬間、ひとみさんが切り出した。
「そんなことないと思いますけど」
さっきの優子を思い浮かべるとそれは自信たっぷりの確信。でも。
「目の前にいるから解るのよ。あれは絶対振られてる」だから言い返す。
「でも、昨日の雰囲気・・絶対結婚しそうな感じだったのに・・」と、すると。
「結婚??」と、周りのみんなが振り返りそうな声で驚いたひとみさん。私も。負けずに。
「もぉぉのすごい、らぶらぶだったんですから。出逢った瞬間から」
と、さっきの優子もそうだし、絶対の自信があふれる言葉を言い放つ。でも、少しだけ思案したひとみさん。にやっとして。
「焦ったのかな? けんちゃん・・」
その一言は予想しなかった。そういえば優子がなにかとんでもないことをした確信があるけど、ケンさんがなにかしたのかもしれないし。でも、そんなこと、優子は一言も言わなかった。焦ったと言うのは。キス・・とか・・セックス・・。そういえば。と思うけど、ピンとくるものはない。優子が言っていた二人きりの秘密・・でもなさそうだし。
「一応あの子も男の子だしさ・・」
と続けてつぶやくひとみさん。にやっとする大人のオンナ独特の目。
「まさか?」と疑ったけど。ひとみさんは自信たっぷりだし。確信が揺らぎ始めた。
「その娘、背が高いって言ったけど、グラマーなの? おっぱいがすごいとか」
「えっ・・はい・・むちむちぷりん」と手でゼスチャーしてしまうのはなぜ?
「そっかぁ。抑えられなかったんだろうなぁ。私なら、あの子だったらなんでも許してあげるのに。少しくらい焦っても上手くリードしてあげるのに、少しくらいなら乱暴されてもいい」
乱暴されてもいい? って。でも、優子はあんなにもじもじと。でも、あの優子のことだから、焦ったケンさんになにかして後悔してたのかもしれないし。つまり、ひとみさんの空想とは逆・・。
「あたしも結構オトコを見てるからね、あれって絶対、焦ってしくじったときの落ち込み方だよ。下手だとか、小さいとか、早いとか、えっもう終わりって言ったのかも、その娘。そういうとあんなふうになるもん。オトコって・・でも、私は、大きさなんてあまり気にしないし。少しくらい早くても、数でカバーしてくれればいいじゃない、ねぇ。男の子にこうするのよあーするのよってしてあげるのもアレの楽しみ方だと思わない」えぇ~・・なんの話ですかソレ・・。
ねぇ、とか、思わないっていわれても・・。でも、ひとみさんの目を見つめると、なんだかそっちの話しを信じてしまいたくなる。けど、ケンさんが優子にそんなこと・・なんて、想像すらできないし。確か、ひとみさんとは年が4つも違うから、世代のギャップを感じてしまうついていけない会話。でも。絶対それはないと思う。でも、そうかもしれないし。そんなパニックになりそうな、空想できない想像が頭の中でぐるぐるし始めた、その時。
「そうじゃないなら・・」
とひとみさんが遠くを眺めながらつぶやいた。
「そうじゃないなら?」
意味ありげな言葉をそのまま聞き返してしまう。ひとみさんがものすごく魔女的な笑み。そして、こうつぶやいた。
「その娘になにかとんでもない秘密があるとか・・近寄れない大きな障害になるような・・惚れたオンナにものすごくお金持ちな恋人がいるとか。婚約してる女に一方的に惚れたとか・・そっちなのかな? 無力さを思い知って打ちのめされてた・・とも言えそうだし」
するどい。絶対そっちの方。優子が恋してるのはお金持ちじゃなくて、サンタクロースなんだけど・・そう思った瞬間。
「あの・・恭子ちゃん・・」
その声にぞわっと鳥肌がたった。オソルオソル振り向くと。ぎょっと椅子から転げ落ちそうになった。ケンさんがゾンビみたいな雰囲気で、ものすごく高いところからうらめしい目で私を見おろしている。
「な・・なに? びっくりさせないでよ」と、返事すると。
「じゃね・・ケンちゃん、しっかりしてね。ぷぷぷ」
と、ひとみさんがいそいそと席をたって。待ってください・・と言おうとしたのに。
「なにか話したの?」とケンさん。
「え・・うん少し・・いや・・・ううん、ううん、なにも何も話してなんかないよ」と私。そして、はぁぁぁとため息を吐きながら隣の椅子を出して座るケンさん。うつむいたままため息。いくらなんでも、こんなに暗いオトコとは食事一緒にしたくない。からかいたい気分もぶっとぶ暗さ。私も逃げ出したい気分だ。でも。
「朝はちょっと混乱してたから・・」
そうつぶやいたケンさん。
「話し聞いてくれる?」と言うから。
「え・・・う・・うん」と、ごくりと唾を飲み込んだ私。
「昨日、優子さんがサンタクロースの話しをして、俺、冗談言ったらものすごく怒っちゃって」
と、切り出すケンさん。話しを聞くしかなさそうな状況になってしまった。そして。重く苦しい雰囲気のまま。
「・・理由・・解る?」と聞いた。
解る。けど、サンタクロースは優子にとっては、愛と同じくらい大切なものだから。でも。
「さぁ・・・」
この秘密だけは言っちゃいけない気がする。だから・・。
「ほかになにかしちゃったの?」
と、おそるおそる、ひとみさんの意味ありな言葉を確かめてみた。でも。
「ううん、優子さん、サンタクロースを信じますかって聞いたんだ、俺に。だから、冗談のつもりで、信じてあげるって言ったんだけど、そしたら、突然・・」
よかった、と思った。やっぱり、いきなり手を出した訳じゃなさそう。下手とか、小さいとか、早いとか、えっもう終わりとか、そんなことはなかったみたい。とりあえずほっとして。
「ねぇ・・ケンさん?」
と、やっぱり二人をくっつけてみたい。さっきの優子の雰囲気もそうだけど。ケンさんも相当な雰囲気だ。だから、ここは私が瞬間接着剤の役を演じれば、二人は、まるで指先にこぼれた瞬間接着剤が一瞬で指と指をくっつけてしまうように。ぎゅっと・・ぐふふ。と心の中で笑ってみる。くっつけるとこの人がどうなるのか見てみたい。優子がどうなるかも。ものすごい欲求があふれる。電話で話をさせてあげよう。今が絶好のチャンス。だから。絶対聞いていないことは知っているけど。
「電話番号・・聞いたの?」
とりあえず、切り出しはそこから。
「ううん」と予想通りに首を振るケンさん。
「あたしが電話してあげるから話してみなさいよ、ね」
とりあえず親切を装って、私がさっき優子と会ってたことなんておくびにも出さずに、練りに練った作戦実行。以外と簡単じゃん。なんて思いながら。ポケットから携帯を取り出して。有無を言わさずにかけてみる。もう優子も家に帰っているだろう。それに、さっき、自分からするって優子は言ってたけど。ケンさんの電話番号も聞いてないはずだし。びっくりするだろうなぁと思いながら。心の底で、いひひひひと笑い、コールサウンドを3回。4回とカウントする。唐突に、かちゃっ・・。
「はい高木です・・」と、お母さんの声が聞こえて。そうだ一瞬ひらめいた。あのお母さんにもケンさんのことを。うししと想像力で笑って。顔は平静を装ったまま、携帯電話をケンさんに渡した。
「話してみなさいよ」
わざとらしさを必死で隠した優しさを装うお姉さんの口調。電話を受け取るケンさんの手がふるえている。そのしどろもどろなケンさんが異様におもしろい。
「あの・・優子さん?・・いえ・・その、私、タカクラケン・・イチ・・と」
その震えた声。くくくくっと笑ってしまいそぉ。優子がどうするかも興味津々。だから、椅子ごとケンさんのそばに移動して、電話に耳を寄せてみる。相変わらずな、優子のお母さんの大きな声。
「タカクラケン? 様ですか?」
「いえ・・あの・・タカクラケン・・・イチです・・その・・優子さんのお母さんですか」
ケンさんがこわごわと私を見つめる。その時。
「ドッシーン!! きゃぁぁぁぁ、ガタガタガタガタ・・ズズーン・・いってぇ・・ドッタンドッタン・・ちっ・・ちょっと、駄目、お母さん・・あたしが出る・・けっけっけっけっけ、タカクラケンだって、あんたにもオトコができたの? タカクラケンだって、だっはっはっは・・もう・・そんなに大きな声で言わなくっても、やめてよ、受話器塞いでよもぉ・・だはは、タカクラケンだって。セイテンノヘキレキだわ、だっはっは。こりゃおかしい。もぉぉ、貸してってば、ばかぁ! あっち行ってよ!」
それは、私は知っている、相変わらず愉快なあの家族独特の会話なのだけど、携帯の小さなスピーカーから流れた、近くのみんなが顔を見合わせる大きな声。私もケンさんと顔を見合わせて・はてな・を浮かべた。でも、すぐに、すーはーっと深呼吸の音がして、ものすごくしおらしい、今まで一度も聞いたことない優子の声が響いた。
「あの・・優子です・・高倉さんですか?」
ケンさんがごくり・・とさせた音が耳に響いて。一瞬、手に汗が滲んだ。会話は続く。
「えっ・・あっ・・はい・・あの・・恭子ちゃんにその番号・・あの・・その・・今、なにか落ちたみたいだけど・・それと、昨日のことは・・冗談がすぎたみたいで・・」
とりあえず、ほっとしてしまいたくなる会話が始まった。ケンさんって以外としどろもどろでかわいい。そんなケンさんのちらちらと私を気にする表情を見ていると、私も、じわじわと顔の筋肉が緩みはじめて。
「階段から・・落ちたの? 大丈夫なの・・痛くない、けがしてない? そぉ。うん・・いや・・いいんだ、うん、声・・聞きたくて、恭子ちゃんに、うん・・」
まるで首筋をくすぐられている子猫のようなケンさん。さっきまでの暗すぎる雰囲気はいったいなんだったのと思いたくなる。少し離れて、黙って見ててあげることにして。頬杖ついて、ふふんっと笑ってみた。その瞬間。
「僕たち、まだ・・始まったばかりだよね・・」
えぇっ・・心臓がドキッと跳ねた。それは、ものすごく重くて、息が止まりそうな、ドラマみたいセリフ。ケンさんが、そんなに重いセリフを言うだなんて。私だったらその一言でノックアウトしちゃう。私にも言ってほしい・・今の・・そしたら、何もかも捧げちゃうから。唖然とそう思っていると。
「もう一度逢いたい、逢ってほしい、逢ってくれませんか」
ものすごく真剣な、情熱を感じられるセリフ。私だってそんなこと一度も言われたことないのに・・。と思っていたら。
「じゃぁ・・6時にあの伝言板の前でいい?・・ほんとに? うん・・何が起きてもそこで待っているから。うん・・じゃぁ6時に」
にやにやしはじめたケンさん。うやうやしく電話を切って、うやうやしく私に渡して。
「ありがと・・」
と言うケンさん。その顔はまるで、世紀をまたいだ初日の出のように輝き始めて。白鳥の湖のようなステップで回転しながら食器を返し、空中に浮いたままのステップで食堂を出てゆくケンさん。一瞬、私ってなにかとんでもないことをしてしまったかのような。女を口説く男をこんなに間近で見たのは初めてだけど。どうしてこんなに素敵なシーンなの。胸が苦しくなってきちゃうし。優子が無茶句茶うらやましすぎる。でも、きょろきょろ。一人だけになったテーブル、また、ものすごい寂しさが押し寄せる。うつむくと、ランチのハンバーグがひからび始めていた。
デスクでぼぉぉっとしている。ケンさんのあのセリフが頭から離れなくなった。
「まだ始まったばかりだよね・・逢いたい・・何が起きてもそこで待ってるから」
うらやましすぎる。後悔はしていないけど、ケンさんっていつも一言多いくせに、あんなに素敵な言葉を言える人だっただなんて。「まだ始まったばかりだよね」私はそんなセリフ一度も言われた試しがない。付き合ってくれとか、好きだとか。それと比べるとやっぱり、後悔・・してるのだろうか。ぶつぶつ考えてしまう。その時。また、メールが届いた。無意識のままあけてみると・・Hitomi・・なんだろ?・・すかさず開けてみると。
「ケンちゃんが、もっと変なの・・今度は何が起きたの?」
想像するとケンさんは、たぶん、一人でにやにやと微笑みながら羽ばたくように仕事をしている。ピアノを演奏しているようにパソコンをカシャカシャしたりなんかして・・。そう思うと、なんだかむかっとなった。だから。
「棒で叩けば治ります」
と、いつもの癖で打ち込んでやる。だんだんいらいらし始めてきた。確かにくっつけようとはしたけど。話し相手になるだけだぞって言ったくせに、別に彼氏になってあげてとは言ってないし、最初は嫌がってたくせに・・たった一日であんなに燃え上がるだなんて・・うらやましすぎるよったく。
ぶつくさな気分のまま仕事が終わって。私服に着替えて、更衣室を出る。別にこれと言った予定なんか全然ない。どうしようかこれから今日は・・と考えるとあくびが。だから、帰って寝よう・・そう思った瞬間。
「恭子ちゃん」と、腕を掴まれた。振り返り、まじまじと見ると、それはひとみさん? 制服の時とは全然雰囲気が違うものすごく均整のとれた、出すところはしっかり出して、そうじゃない部分は見えるか見えないか。そんな洋服。うっとり見とれてしまいそう。そんなひとみさんが腕を掴んだまま。
「けんちゃん見なかった?」
と聞く。電話で、6時にドーノコーノと言ってたから。この人の魔の手を避けて、優子の元に駆け出したのだと思うけど。そのことは黙ったまま。
「ううん・・」と、首を振ると。
「あ~ぁ。今夜、あたしが慰めてあげようかと思ったのに。どこ行ったのかなぁ。ほとんど壊れてたよ、今日一日。落ち込んだり羽ばたいたり。叩いて治すってそんな意味でしょ。日頃のうっぷんも晴らしたいし。あの子かわいいし。最近御無沙汰だし。甘えさせてあげようとウズウズ思っていたのに」
と、小さな唇をぺろり。さぁぁっと血が引いた。違う! そういう意味じゃない。ったく。この人はなに考えてんだか。そう思いながらひとみさんを見つめると。むちゃくちゃ綺麗な素顔。ほとんどすっぴんなのに。そして、その目つき。
「あの・・私・・今日・・」
逃げなきゃなにされるか解らない気がした。
「彼とデートなの? いいなぁ」とひとみさんがゆっくりな甘ったるい口調で聞く。
「いっ・・いえ・・」
と曖昧な返事しかできない。その曖昧さを見抜かれたみたいに・・。うふふっと笑うひとみさん。
「恭子ちゃん・・かわいいよね・・一緒に飲みに行かない? あたしがおごってあげるから。ねっ」
ぞわわっ。ひとみさんの私を掴む手に力がこもって、私に照準を定めているような豹みたいなものすごい悩ましい目つき。に加えて、唇をぺろり。生き血を吸いとられるようなものすごい恐怖を感じてしまった。あわてて手を振り払って。
「今日は・・ちょっと・・」
逃げ出した、会社を出たところで心臓がどきどきしはじめた。女にこんな気分だなんて。でも・・。近くで見たひとみさんって・・ものすごく綺麗だった。妙な気分だ。
その妙な気分を引きずったまま気がつくと部屋に帰っていた。ベットでごろごろと背伸びして、ちくたくと響く音に目を向けた。10時か・・そして、想像してしまうこと。今ごろあの二人。あの雰囲気なら、ラブホテルに入ってしまったかもしれない。美佐の一言が頭の中にこだましている。ヤッてヤッてヤリまくって、激しく愛し合って・・・。今頃は本当に合体・・・。
「なに考えてんのよ・・」とつぶやいてしまう。それとも、ケンさんの部屋に。優子って相当な純情女だから。誘われたら、誘われるまま。ケンさんの部屋で・・激しく愛しあって・・・。あん・・あぁ~ん・・なんて声が聞こえる気がする。
「もぉぉ、なに考えてんのよ・・」
と、またつぶやいてしまう。眠れない夜だ。優子のことばかり考えてると、自分のことなんてこれっぽっちも考えられない。このままだと私がシングルベルになってしまいそう。でも・・優子・・ケンさんと今ごろ・・。激しく。淫らに・・。あっ・・あん・・あぁん・・。頭の中でそんな声がこだまし始めた。
「はぁぁぁぁ・・・」
もやもやな考えごとが頭から離れてくれない。枕を抱きしめて・・別なことを必死で考えるけど・・そういえば、ひとみさん、化粧薄くて本当に綺麗だった。記憶を鮮明に蘇らせるアイテムはあの小さくて綺麗な唇・・あんな唇にキスしたら・・。
「ぎょっ・・なに考えてんのよ・・もぉぉ」
枕を殴りつけて。でも、そんな枕を抱きしめると、もんもんとし始める夜更け・・窓の外を眺めると、晴れ渡った夜空にはものすごく綺麗な満月が。きっとあれのせいだ。こんな気分になっているのは。そう思うことにした。けど、寝ているのか、起きているのか解らない夜更け。枕を抱きしめたままごろごろ、むらむら。頭の中で優子とケンさんが・・そして、私とひとみさんが・・悩ましげに・・淫らに・・。目覚ましが突然鳴り響く時間なのに、眠った実感が全然ない。
12月22日 07時02分
そんなゆううつな朝・・会社を休みたい気分が昨日以上にしているけど。ほどほどのお化粧だけで、無理矢理出かけることにした。何度もあくびをぱたぱた扇ぎながら。満員電車に揺られ、中島駅の改札を出て。またあくびをぱたぱたと扇ぎながら、角を曲がって・・びたん! と見えない手に引き戻された気がした。そぉぉっと振り返ると、吐きだした息が逆流した。おもいっきりデジャブなシーン。昨日の朝にタイムスリップしたような錯覚。ケンさんが昨日よりもっとすごい雰囲気で伝言板をなぞっている。暗いどころじゃない雰囲気。真っ黒だ。そぉぉっとその暗さに吸い込まれないように、後ろから観察してみる。ケンさんがじっと見つめている伝言板の文章。読んでしまうとそこには。
「空を見上げながら待っていました・・なにか用事でもできたのですか? ・・・Ken」
げっ! どゆ意味? まさか、優子、こなかった? すっぽかした? でも。とりあえず、こんなにゆううつな気分の時に、こんな雰囲気のオトコと一緒に出勤なんてしたくない。だから、そぉぉっと素通りしようとした。のに。
「恭子ちゃん・・おはよ」
ぎょっ! 気づかれた。返事するしかなさそうだ。だから。
「・・お・・おはよ・・」と、オソルオソル返事する。そして、見上げるケンさんの表情。鳥肌がぶぶぶっと出た。整えていない髪。充血した目。その下にクマ。不精髭・・。まるで魂を抜き取られたような・・歩く屍・・。それが、暗い声で。私に・・。
「俺・・嫌われたのかな?」なんて言う。
「・・え?・・」と首を傾げるしかない。そして、昨日よりもっと重苦しいため息。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」
今度は一体何が起きたのだろうか? まったく想像できない・・。だから・・。
「何があったの?」とオソルオソル聞いてみる。けど。
「・・うん・」
としか言わないケンさん。
「どうしたのよ・・」と腕を捕まえても。
「・・うん・・」
としか言わないケンさん。これは相当なオオゴトになったようだ。焦点の合わないうつろな視線。私の手を力なく振り解いて、とぼとぼと歩く足どり。
「振られたの?」
オソルオソル訊ねると。また。
「・・うん・・」
としか言わないケンさん。私も今まで何人かの男の子を振った経験があるけど。あの人達もこんな風になったのだろうか。いや・・そんなことはないはず。ケンさんが特別なんだと思う。ケンさんってそんなに壊れやすいデリケートな人だったの。ちらりと横目で観察するけど。まったくイメージが湧かない。だから、回想してしまう。ケンさんが優子と接触していたのは、あの飲み会の数時間。たったあれだけの接触だったはず。それなのに、それだけで、こんなにも変わってしまうなんて・・。
「本当に振られたの? 本当に嫌われたの?」
もう一度聞いてみる。でも。
「・・うん・・」
としか言わないケンさん。また、ため息を吐いた。何もおしゃべりできないまま、たどりついてしまった会社。夢遊病者のように満員のエレベーターに乗ったケンさん。私の乗り込めるスペースがなさそうだから、次のにしようと立ち止まって。
「しっかりしなさいよ」
とも言えずに手も・・振れない。いったいなんなの? 次のエレベーターを待つ間に、そぉぉっと鞄の中の携帯電話を取り出して、優子の家の電話番号を呼び出したけど。受話器をあげるスイッチをどうしても入れられない。「信じられない」とは、よく口にする言葉。今がそうつぶやく時だ。けど、つぶやけなかった。思い返すケンさんの雰囲気が圧倒的だったから。
オフィスでふと気がつくと、今日は、ものすごく真面目に仕事をしている気がした。一通りのノルマを達成した時、背伸びしながら思考回路からあの二人のことが排除されていることに気づいた。そう気づくと、あの二人のことを考え始めてしまう。優子の雰囲気。あれは、絶対にケンさんのことを。そして、ケンさんの雰囲気。いったいなんなのこのものすごいギャップは。そう思った瞬間また、仕事に夢中になり始めてた。その時。
「恭子ちゃん・・ここにいたんだ」
その、まったりした聞き覚えのある声に振り向くと。ひとみさんが前髪をかきあげながら、ものすごく深刻な表情でつっ立っている。反射的に。
「どうかしましたか?」と訊ねてしまう。
「うん・・けんちゃんのことなんだけど・・。本当のことを教えて、一体何があったの?」
きょろ・・としてみた。まわりのみんながひとみさんに視線を集中させている。その注目の中・・。
「ねぇ・・正直に言って」
ごくり・・。それは、ほとんど哭き声だ。でも、正直に言うにも、私だって何がどうなったのか全然わからないから・・。
「私にも・・わからない」
としか答えられない。
「とにかく一緒に来て・・」
とひとみさんが手を取った。引かれるままついてゆく。連れてこられた場所、そこは、ケンさんが仕事をしているオフィス。デスクの間を通り抜ける。雰囲気はいつもと変わらないように思えるけど。その一角だけ。本当に黒い霧が立ちこめているように見えた。
「朝からずっと、あのまま止まってるのよ」
ひとみさんが少し離れたところで立ち止まり指をさす。頬杖をついたケンさんがディスプレーをぼんやりと虚ろな目で眺めていた。そぉぉっとケンさんの目の前で手をかざして・・なのに全く反応がない。薄く笑って、ため息吐いて。指をトントン。そして悲しい顔をして。はぁぁぁぁ。それを繰り返すケンさん。ぞわわわっと寒いものを感じる。本当に壊れてしまったのだろうか。ふと、ディスプレーに目を向けると・・優子・・と書かれている。その文字の隣でカーソルがチカチカ。ひとみさんと顔を見合わせてしまった。でも・・笑えない。禁断症状だと思う。このままだと優子の声を聞かせるか、優子に合わせないとケンさんは本当に壊れてしまいそうな・・その時。
「おい・・高倉」
と少し向こうからの声・・目があったおじさん。あれは、課長だ。名前は知らないけど。
「おい・・高倉・・おぉーい・・ケンイチ」
ひとみさんと一緒にケンさんの背中に振り向いて、そっとケンさんの肩をたたいたのは私。
「・・んっ・・」
と振り向いたケンさんと目が合ったけど、のけぞりたくなる濁った虚ろな目。無表情。おそるおそる
「呼んでるよ・・」
と課長を指さすとそのままゆらりと立ち上がって、ゆらりと歩いてゆく。そして。
「どうかしたのか? 具合わるそうだな」
そんな、課長の声に耳を傾けた。
「この報告書はいいんだけど・・最後の・・一枚・・この、優子ってのは・・なんなんだ?」
私が、ぎょっとしてしまった・・。そぉぉっとディスプレーを見つめてしまう。これだ。背筋を延ばしきれないケンさんが慌てもせずにその書類を奪い取った。
「・・これは・・」とつぶやいたように口をごにょごにょさせるケンさん。そして課長の大きな声・・。
「好きな女でもできたのか? どうしたんだ髭も剃らずに、精根尽き果てるまでタマシイを吸い取られたって感じだけど。よっぽどのオンナなのか・・気持ちは解るけど、仕事中はな・・報告書はうまくできている。行ってよし」
そんなに大きな声で言わなくてもいいのに。にやにやと笑わないでほしいのに。近くの女の子が顔を見合って口元を抑えているのに。
「はぁ・・」
としか言わないケンさん。そのまま書類をくしゃくしゃとポケットにねじ込んで・・そのまま、とぼとぼとオフィスの外へ歩いて行く。そんなケンさんの背中を追いかけてしまう。右に曲がって、見えなくなった。はっ、とひとみさんと顔を見合って、後をつけようとした。けど。
「おぃ・・そこの二人」
と、私たちを手招きする課長。ひとみさんともう一度顔を見合って、おそるおそる課長に目をむける。課長の恐そうな顔。歩み寄るしかなさそう。デスクの前で膝が震える。そんな私たちを課長はぎょろっと見あげて。ふふんと笑った。そして。
「君らみたいな二人に言い寄られると俺でもああなるよ。じゃんけんでもしてなんとかしてくれないか。こう毎日だと課のテンションが下がるんだよ」だなんて。
「違います・・」
と、慌てたのはひとみさん。そして。
「私も・・」
と、叫んだのは私。
「だったら、誰が原因なんだ・・優子ってのは君じゃないのか?」
と、私を見る課長。ぷるぷると首を振って。
「違います・・」と答えたのに。
「正月休みまでは体力残しておいてやってくれな。・・ったく・・うらやましい。あのままだとあいつ死んでしまうぞ、いくら若いからって無理させるんじゃないぞ。男の体力には生産力ってゆう限界があるんだから、どれだけ搾り取ったんだお前たち」
だなんて、いったい何を生産するの? 搾り取るだなんて・・と思うけど、人の話は一切聞かずに、いやらしい笑みを浮かべた課長。その誤解にミサイルでも撃ち込んでやりたい気分になった。でも、今はそんなことにかまってられない。
「それって、セクハラですよ・・失礼します・・」
とひとみさんの荒い口調と鋭すぎる目つきに黙りんだ課長。くるっと回ってオフィスから出て行くひとみさんに私も続いた。そして、急ぎ足でケンさんの後を追う。確か、右に曲がったはず。しばらく走って、きょろきょろする。でも、ケンさんはもうどこにもいなくて。代わりに、
「恭子・・どうしたの?」と、美佐に合った。
「うん・・」と返事した私。そしてすかさず。
「けんちゃん見なかった?」
と大きな声で聞いたひとみさん。美佐はくすっと笑って。こう言った。
「そこの階段上がって行きましたよ。なにか考えごとしてたみたいですけど・・どうかしたんですか?」
二人で同時に美佐が指さす方向を見た。屋上と書かれている矢印。ひとみさんと顔を見合って、行き来したテレパシーに、ぎょっと同時に目を剥いてしまった。
「あのままだとあいつ死んでしまうぞ」
さっきの課長の声が頭の中でこだました。まさか・・
「自殺・・」
「うそでしょ・・」
と、ひとみさんが私に問いただす。あわてて駆け出す私。
「ちょっと・・どうしたのよ」
なんて言う美佐にはかまってられない。必死になって階段を駆け上がった。息が切れて足がもつれるけど、そんなことにもかまっていられない。屋上までもう少しの所で、脚が動かなくなってはぁはぁはぁはぁと息を整えていたら。
ぎぃぃぃぃ。と大きな音が聞こえて。耳を澄ませたら、バタン・・なんて音が聞こえた。ひとみさんと顔を見合わせたら、動かない足に力がこもって。もっと駆け上がると階段が尽きた薄暗いフロア。「非常出口」と書かれた照明が付いたり消えたりしている、ひんやりと息苦しい場所。重そうなドアが一つ。「無断立ち入り厳禁」なんて大きな字。あけることがとても恐いドア。ひとみさんと顔を見合ってしまう。
「ひとみさん・・・」
「大丈夫・・・だと思うけど」
「どうしよ・・・」
涙声になってしまう。ひとみさんが、ドアに近づいて、ノブを回したのにドアを開けない。私をじっと見つめて。うなずく。おそるおそるうなずいた私。肩に体重を乗せて、もう一度目で合図したひとみさん。うなずいてナマツバを飲み込んだ私。息を大きく吸って、大きく吐いたひとみさんがそぉぉっともたれかかるようにドアをあけて、少しの隙間から顔を出した。そして、しばらく・・息を飲み込んで見守っていると、そぉぉっと顔を引っ込めて、そぉぉっとドアを閉め、私を見つめるひとみさん。
「ど・・どうしたんですか?」
と訊ねてみた。微かにうなずいたひとみさん。目を伏せて、くすっと笑った。そして。
「あたし、あぁゆうの駄目なの・・ったく」
そう言って、
「あー、だめだめ・・絶対ダメ、行っちゃダメ・・・これは恋じゃない・・だから・・あとよろしくね」
手を振って階段を降り始めた。あぁゆうの? 行っちゃダメ? これは恋じゃない? ドユこと? 「待って」と言う前に、ひとみさんがいなくなる。訳がわからないまま、ドアに駆け寄る。そぉぉっとノブを回した。そぉっとドアを開けて、そぉぉっと顔を出してみる。少し向こう、大きな貯水槽の脇にケンさんがいた。手すりに背もたれて、空を見上げてるけど。閉じてる目。キマッテル・・と言うのコレ? そんなケンさんを眺めていると心の奥でキュンと音がしたのを感じた。確かに、私もあぁゆうのは苦手だ。変な恋心が湧き上がってくるし、どう声をかけるべきか。ものすごく思案しなければならない。とりあえず、あの手すりを乗り越える直前までそっとしておくべきか。それとも、空元気で「どうしたのよ!」と、顔を叩くとか。いや、そんなこと、ケンさんが飛び降りる前にしちゃ駄目だ。弾みで落ちたら私の責任になってしまう。でも、本当に、どうしてしまったのだろう。反開きのドアにもたれたまま。考え込んでしまう。あの放心状態のケンさん。優子と逢えなかったのは確かだと思う。いや、逢ってなにかあったのかも。喫茶店で会った優子の状態を思い返すと、あの優子がケンさんを振ったなんて想像できない。ケンさんが振った? それも有り得ない。いったい何が起きたのだろうか・・。確か昨日は6時にどうのこうのと言ってたはずだ。ぶつぶつ・・。そのとき。
「どうしたの? 恭子ちゃん。恭子ちゃん・・きょうこちゃん」
と、はっと顔を上げた。向こうから、ケンさんが手を振って、にこにこしてる? この変わりよう。本当になにがなんだかさっぱり解らない。とりあえず、えへへへへと笑いながら、ケンさんのそばに行くことにしよう。ここからだと大声で話さなきゃならないし。そう思って、ドアをくぐってそっと閉じた。すぐそこに降りる階段が一つ。そぉっと一歩を踏み出したつもり・・。なのに。突然、足が重くて動かない・・。
「きゃん・・」
と、膝が折れた。ついでに足首が変な方向に曲がって、慌てて手すりにしがみついた。階段をあんな勢いで登ったからだ。そう気づくと、今ごろになって息がはぁはぁしてることにも気づく。
「どうしたの?」
と、ケンさんが慌てて歩み寄ってくれる。手すりにしがみついたまま。
「はぁ、はぁ、はぁ」としか言えない。
「足、くじいた?」
と、ケンさんが私をのぞき込む。とりあえずうなずくと。ケンさんは、くすっと笑って、そっと私の脇に手を差し込んで、
「ったく、こんなとこに、なにしに来たんだよっと・・軽いな・・40キロってとこ?」
なんて言って抱き上げてくれた。39キロです・・。と、思ったけど・・。言い返せない間に、貯水槽から伸びる太いパイプの上に降ろされた私。動かない足がぶらぶらして。ひざまずいたケンさんが、見上げる視線を私に向けて。
「どうしたの? なにか考えごとでも?」
なんて聞く。それは私が聞きたいことでしょ、と言おうとしたけど。
「足、大丈夫・・どこが痛い?」
と、優しく靴を脱がせて、足首を優しくもみもみしてから、くねくねしてくれるケンさん・・。
「くじいた? 痛くないか?」
「うん・・少し・・でも大丈夫」
って言ったけど、なんだろ、この感じ。
「ケンさん・・」とだけ訊ねた。
ケンさんは、いつも通りに首を傾ける。呼吸を整えながら、ケンさんを観察してみた。目はさっきほど濁ってはいなくて、不精髭はさっきのまま。でも、足首を揉み揉みしながら心配してる顔。それは、私がこんなにはぁはぁと息をしていることが理由なのかも。そう思って、無理に笑顔を作ってみる。すると、くすっと安心したみたいな笑い方。
「もういいか?」と言うから・・ううんもっと・・と言おうとしたのに。
「痛いの痛いの跳んでけ」
と言って、ため息ついて、また空を眺め始めるケンさん。その寂しすぎる横顔。ふと、思いだした。・・自殺・・本当にするのだろうか。と考えたら、背中がぶるるっと微かに震えた。だから。
「ケンさん・・」と聞き始めたこと。
「んっ・・」という微かな笑顔に。
おそるおそる聞いてみよう。もし、あれが本当の予感だったら、それだけは責任とれない。
「自殺なんて・・しないよね・・」
「はぁ?」
必死の決意と心からの心配でそう聞いたのに、また、なによ、その間抜けな返事は。
「しないの? 飛ばない?」
と、問いただしたあと。くくくっと笑ったケンさんは、
「してほしいの? いくら恭子ちゃんの頼みでもそれだけは」
と、鼻で笑い始めた。カチンと心の中でなにかがぶつかったような音。
「だって、ケンさん・・そんな感じだったから。本当に飛び降りそうだったんだから」
涙声なのに。
「するわけないでしょうに・・」
むちゃくちゃあっけない返事。だから。
「じゃ、なんで屋上なんかに・・」
声が荒くなった。
「気分転換したいときはたまにここにくるの」
ケンさんもうんざりしてる。でも。そのうんざりな返事が腹立たしい。だから。
「気分転換!?」
声がものすごく大きくなった。・・・けど。
「うん・・優子さんのこと・・考えてた」
やっとこの話題・・。
「な・・何があったの?」これが本題だ・・。と、急に声が小さくなってゆく。
「ほら、昨日、電話してくれたろ・・6時にあの伝言板の前でって約束してくれたけど、結局来てくれなくて」
その続きを期待して耳をそば立てた。来てくれなくて、だから、そのあとどうなったのかを知りたい。のに。また、遠くを眺めるケンさん。少しだけ待った。でも、そのあとがなかなか始まらない。だから。
「それだけ?」と、聞き正した・・。
「んっ・・うん・・。なにかあったのかなぁって、それとも、優子さん綺麗な人だから、俺なんてお呼びじゃないのかも・・なんて、くよくよ考えてもしかたないし・・気分を変えようと屋上に来たの。どうかしちゃいそうだったから」
それは、もっともすぎる説明だけど。どうしても腑に落ちないというか・・。
「来てくれなかったって・・」
「9時・・10時頃までかな・・待ってたけど・・結局・・」
「それだけ?」優子が来なかった・・だけ?
「うん・・それだけ・・」
「本当にそれだけ?」あんなに落ち込んで、他に何かあるでしょ・・。
「うん・・本当にそれだけだよ」
「本当に、本当に、たったのそれだけ?」たったそれだけであんな顔するの普通?
「ほかに隠すものなんてありませんよ」
こんなに心配してあげたのに、優子が来なかった、たったのそれだけだなんて・・。むっかぁぁぁっとなった。
「ばっかじゃないの・・たったそれだけであんなに・・」
「あんなにって?」
「どれだけ心配したと思ってんのよ」
と、言い合うだけ無駄だ。このきょとんとした無垢な表情には。もういい。本当にたったのそれだけで、この人はあんなになってた訳だ。はぁぁとため息を吐く。そして。
「ケンさん、優子の電話番号とか聞かなかったの?」
たぶん絶対に、まだ聞いていない確信があるけど。
「聞く間なんてなかったし・・」
やっぱり・・。
「ったく、なにやってんのよ」
あ~いらいらする。電話番号くらいすぱっと聞くでしょうに。ったくもぉぉこの人も世話が焼ける。ぶつぶつしながらポケットを探した。携帯電話がない・・鞄の中だ。だから。
「ケンさん・・電話貸しなさい」
気分のせいでお母さんみたいな口調。
「えっ?・・」
「えっ。じゃないの。出しなさい携帯電話。持ってるでしょ」
この人のじれったさのせいだ。本当にお母さんみたいな口調になってしまう。
「う・・うん・・」
しぶしぶなケンさん。余りにじれったいから、胸のポケットから半分でてきた携帯電話を、ひったくるように奪い取ってやった。そして、優子の家にかけてやる。番号をしっかりと確かめてスイッチを押してやる。
「ほらぁ、好きですって言うの」
「えっ・・」
「だから、えっ、じゃないの。耳に当てて、優子が出たら、すかさず、好きだ、愛してるって言うの。それだけでいいのあの娘には」
言いながら、耳に押しつけてやる。それなのに、のけぞって、ぎこちなく電話を手に取り、耳を澄ませたケンさん。ごくりと喉仏を上下させて・・。おそるおそると。
「あの・・高倉です・・」
だなんて、あぁ~むしずが走る。きぃぃぃっとこの人のほっぺをかきむしりたくなりながら。電話を奪い取ろうと手を延ばして。
「優子、ケンさんがあんたのこと好きだって」
と、お節介なせりふを喉のすぐ下に用意して。電話に手が触れた。その時、ケンさんの表情がさぁぁぁっと音をたてて変わったから。手が止まった。
「僕も・・しつこくして・・ごめんなさい」
悲しい声。また、何が起きたのか理解できない。何もかもが止まってしまう。ごめんなさい? どういう意味よ、それって。確かめずにはいられないから。
「ちょっと貸して・・」
と電話を奪い取って、耳に当てる前に。
「優子?」
と聞いたけど・・もう電話は切れていた。
「つぅー、つぅー、つぅー」
の音を耳に痛く感じながら、ケンさんの横顔をまじまじと見つめると。
「ごめんなさい・・優しくしてくれてありがとう・・本当にごめんなさい・・だって・・事故とかに遭った訳じゃなさそうだし・・」
うそっ! あわてて電話番号を確かめたけどまちがいなく優子ん家の番号・・。リダイヤルのスイッチを押そうとしたけど
「ふっきれたよ・・もういい」
んっ~と背伸びするケンさん。振り向いて。
「こんなにどきどきしたの初めて・・本当の恋ってこんな感じの連続なんだろうな」
と、私に微笑む。そのすがすがしそうな顔に見とれて、スイッチを押し始めた指先が止まる。優子いったいどうした訳? なにも想像できなくなって、頭の中、思考が停止したことを意識してしまう空白。何も考えられない。心の中が真っ白な空虚になった。そのとき。
「電話・・返してくれる」
と私の手に触れたケンさんの暖かい手。ふと、目があった。いつものケンさんに戻っている気がした。さわやかな優しい笑顔。その瞬間、体のどこかでスイッチが入る音が聞こえた。キュン・・と。そして、体中の神経がもこもこと手に向かって移動したような・・・。指先のセンサーがありとあらゆるケンさんの情報を集めだしているような。ケンさんのDNAを解析しているかのような。そして、まるですべてのパスワードが解除されたような、5000年ぶりに天の岩戸が開いたような。その扉から輝くまぶしい黄金の光をまとった大いなる何かが現れたような。
「ちっちゃな手だな・・かわいい
優しい笑みを浮かべて私の手をくねくねもて遊ぶケンさん。その笑顔の下には、まだ寂しそうな気配が見え隠れしてるけど。まだくねくねと私の手を持て遊んでいるケンさん。例えようのないくすぐったさが全身を駆け巡り始めた。男に触れるのは久しぶり。こんなに気持ちが安らぐ男の優しい微笑みを、こんなに間近で見つめるのも久しぶり。そんなケンさんが手の神経を通じて、空虚な心にどぉぉっとなだれ込んだ気がした。くすっと笑って手を解放してくれたケンさん。心臓が突然跳ね、どきどきと鼓動が早くなり始めた。やばい、と思う。頭の中ではこの人には、全然、そんな意識なんてしてないのに。体は違う。全身がものすごく敏感になりはじめてる・・。私、感じてる。彼の指先が肌に触れただけで意識が遠のいてしまう程に。
「さってと・・」
と腕時計を確かめたケンさん。
「もう昼休みの時間か。食欲もないし・・戻ってウトウトしてくるよ」
と背伸びしたケンさん。
「帰ろっか」と首を傾けた。
「う・・うん」
「足、痛い?」
「うん・・少し・・」
とうなずくと、ケンさんは、また、私の脇に、もぞもぞと手を忍び込ませる。ぞわわっと感じた。な・・なに? この変な気持ち? びくびくとケンさんの手が触れている所が痙攣してる。さっき抱き上げられた時はこんなじゃなかったのに。今は、どっどっどって音が聞こえるくらいに血が逆流してる。ど・・どうしちゃったのよ・・。と思うのに、体中の力が抜けてしまって。
「よっと、立てますか・・」
そう言って、私を抱き上げて、下におろしてくれたケンさん。脇にものすごい力がこもってしまう。もぞもぞ感じるからぎゅぅぅっと脇に力がこもる。だから、もっとケンさんの手のもぞもぞする感触がもっと脇に力を込めさせて・・・。
「手が抜けないよ、そんなに締め付けたら」
なんて苦笑いするケンさんのもっともぞもぞする指先。もう少し、感じていたいかも・・。でも。ケンさんの困惑してる顔に気づいて。
「ひゃっ・・」
と、脇を跳ね開ける。ものすごくやばい。私、自分から求めてる。
「歩ける? 大丈夫?」
と、私の肩に手を置いて、私の素足を見つめたケンさん。
「う・・うん・・」
と、うなずいたけど。膝は別の理由でカタカタしてる。ほっぺはぽぉぉっとなってくるし。けど、そんなこと気づかれるのはいやだ。とにかく歩こう。だけど。カクンだなんて、足に力が入らないし。まだ脇に感じたもぞもぞが全身を駆け巡っている。足が倒れてゆく体を支えてくれない。スローモーションで景色が流れてゆく。ケンさんの胸にふわっと顔が埋まって。
「おっと・・」
と崩れる私と同じ早さで屈んでくれたケンさん。今度はお腹と胸の境目をがしっとつかんでいる。そこは、脇よりもっと敏感なところ。肋骨の一本一本の隙間にケンさんの指先が食い込む感触。呼吸が止まって、おなかの筋肉に変な力がこもって。ぴくぴくしてる自分に気づいて、魂とか霊魂が体から抜け出してゆくようなふぅぅっとなる意識。失神してしまいそうになった。それなのに。
「大丈夫? おぶって行こうか」
とケンさんは何も気づいていない素のままで。
「ほら・・そぉぉっと歩いてみよっか」
なんて、手を差し出してくれた。その手を震えながら無意識に握りしめると、指先の神経がものすごい勢いで脈打ってる。でも、ケンさんは何も気づいてくれないまま。
「せぇの・・おいっち・・に、おいっちに」
なんて言って、私を操縦し始めた。そぉっとケンさんに操縦されるままに歩を進めてしまうと、本当に体から魂が抜け出しているようなふわふわした感覚。さっき転びそうになった一段の階段。さっきの重いドアを軽々とあけるケンさん。先に私を通してくれて、ぎぃぃ、ばたん。急に薄暗くなった。その薄暗い空間でケンさんをじっと見つめてしまう変な感情を意識した。本当にやばいよ・・。これ。
「ほら・・階段・・降りられるか?」
「う・・うん・・」
必死の理性で自分を抑えて、ケンさんの手を握る。こもる力がぎゅぅぅっとなる。一段ずつ丁寧にエスコートしてくれるケンさん。先に、一段、二段と降りて、振り向くケンさんと視線の高さが揃うと、どうしても見つめ合ってしまう。そのたびに、ケンさんは立ち止まって・・。
「世話が焼けますね・・」
だなんて、いつもの一言多いセリフ。それはあなたの方でしょと思うのに、何も言い返せないから、うつむいて、また、ぎこちなく一段、二段。また見つめ合って。
「ホントに大丈夫?」
う、うん、と首を振って。階段をふわふわしたまま降りると、バランスが崩れた。すかさず支えてくれるケンさん。片方の手は堅く繋がれたまま、もう片方の手が背中をぎゅっと。ぺたっと抱き合い、ほんのりした体温を感じるとまた気が遠くなる。そして、
「やっぱり歩けない?」
と耳もとにささやくケンさん。異常にくすぐったい声。だから、別の理由で歩けないのに。ううん・・と首を振るけど、膝は震えるし、息が不規則だし。それに、こんなにまどろこしい私に、しびれがきれたのだろうか。ケンさんは。
「ほら、おぶってやるよ・・」
と、背中を向けて、一瞬ためらったのに。おかまい無しに私をおんぶした。慌てて首筋に抱きつくと、すぐそこにケンさんの耳。
「よいしょっ」とバウンドすると、足がパカンと開いて、スカートがぐいっとめくれてる。やっ・・やだ・・直そうと目を向けると、私の太股にケンさんの手が食い込んでいて。その内側に指先がむぎゅっと。一段一段揺さぶられるたびにスカートがじわじわと捲れ上がって。素足が丸出しになってるし。パンツも・・・むちゃくちゃ恥ずかしい。直そうと手を離すとバランスがずれて、そのたびに、
「じっとしてて」
と、バウンドするケンさん。そのたびにケンさんの首にしがみつき直し、腕の素肌にケンさんの首筋が触れると、直に触れる男の体温をものすごく敏感に感じてる私。本当にどうかしてしまいそうな気分になっている。そんな気分を必死の気持ちで冷静なまま保とうとしているのに、でも、ケンさんは。ちらっと私に振り向いて。ふふっと笑って。
「柔らかい・・」だなんてエッチないやらしい微笑みで、もっと太ももに食い込む指先。むちゃくちゃ敏感になっている太股がぞわわっと鳥肌をたてた。顔と耳に火がついた。もう駄目だ・・本当にもう駄目。意識が遠くなってゆくことがこんなにもはっきりわかるなんて、本当に気絶してしまいそう。こんな感じ方は始めて・・。
「ケンさん・・下ろして・・もういい・・もういいよ」
それは、ほとんど喘ぎ声なのに。
「あと、少しだよ」
と、ケンさんは無関心のまま。
「ほんとにもういい」
かすれた、震える声なのに。
「もう少し」ケンさんはまだ無関心。
「本当にもう駄目・・」本当にいく・・いってしまう・・この、むき出しの太股が感じているケンさんの熱い手。ほっぺが擦れるケンさんの髪。腕が感じているケンさんの体温。全身を駆け巡るぞわぞわした感触を我慢しきれない。なのに、オフィスのあるフロアまで無言のまま降りて行くケンさん。ようやく下ろしてもらった所は、さっき美佐と会った場所・・。
「ほら・・降ろすよ・・」と、言われて。ぐにゃぐにゃになってる体がケンさんの背中をずるずると滑りながら床に足をつけた。慌てて捲れたスカートを元に戻そうとするのに、戻せないし。
「痛くない、大丈夫・・・」
とまた、跪いて。
「あ・・ごめんなさい」
と、捲れたスカートに気付いたケンさん・・パンツ見えてるし、恥ずかしいのに。私よりもっと恥ずかしそうに慌てて私のスカートを整え直してくれて。でも・・それよりも・・。
「本当に痛くないか」
とつぶやきながら足首を撫でて、私を見上げて、にこっと笑うケンさん・・気づかないでと思うことは、私、本当に感じて、本当に・・どうしてこんなことで、こんな風になっちゃったの私・・。整わない呼吸をとにかく落ち着けていると。上着の裾をピンっとしてから、ゆっくり立ち上がるケンさん。
「心配してくれて、どうもありがと・・気持ち落ち着いたよ」
だなんて・・私の気持ちはこんなにバクバクだから、何も言えないのに。つづけて、
「もう・・あの娘のことは諦めるよ。話し相手になってあげるだけの約束だったし・・」
そんなことを言い始めた。私も、突然冷静さを取り戻し、確かにその約束だったけどと思い出す。
「恭子ちゃんとの約束は守ったよな」
確かにそうだけど。そう思い。見上げると、ケンさんは人差し指で目を・・それって涙を拭いた? それに・・。悲しさを無理やりの笑顔でごまかしてること、私でも解る。
「これって失恋って言うのかな。今ごろになって・・こんな気持ちになるんだ」
だなんて。気分がめまぐるしく変わる状況。そのとき、ふと頭をよぎったのは雨の中、電柱の根元、段ボール箱の中、捨てられた一匹のかわいい子犬が泣きそうな目で寂しそうに私をじっと見つめているような・・何度振り返ってもまだ私を見つめているような。行かないで、助けてって。こんなに大きなケンさんがそんな子犬のような顔をしている気がする。さっきまで恥ずかしくて火照っていたほっぺや耳が、今度はその余熱を持ったまま体の中からじんじんと熱くなってくる。自分自身を制御できない。母性本能に火がついた実感。いや・・もう・・私、ケンさんを段ボール箱の中から助け上げて、ぎゅっと抱っこして、「一緒に帰ろう、もう大丈夫よ」って家に連れて帰ってあげようとしている。母性本能が燃え上がってしまってる。だから、ほっぺがこんなに火照ったまま。
「な・・なにか食べさせてあげようか・・そんな約束だったじゃない。今日一緒に帰ろ・・ね・・だから元気出して」
なんて事を必死の笑顔でうわずってしまうんだ。でも、そううわずってから、突然思いだした優子の顔。今、ケンさんにこんな抑えきれない気分でいる私をあの子はどんな目で見るだろう。でも。悪いのは優子でしょ。ケンさんをこんなにしてしまって。それに、私をこんなにしてしまったのも、あの娘のせいかもしれない。考えている間にケンさんが
「そんなつもりじゃないよ・・」と言うけど。続けて。
「もう元気になったから」とも言うけど。
「ううん・・私にも責任があるから・・」
美佐が言ってたことも思い出してしまう。あなた責任とれるの? と。でも、まさか、こんな形でとらなきゃならないとは夢にも思わなかった。そして。
「じゃ・・お言葉に甘えようかな・・」
とケンさんははにかんだ。惚れ惚れする笑顔で。
「うん、甘えて。私でいいなら」
と、とても可愛くうなずいた私。そして。
「優しいんだ・・恭子ちゃんって」
その一言が優子に遠慮している気持ちをかき消したんだ。ものすごい決意を今感じている。この男を奪ってしまえ・・と。
デスクに戻ってから、何も考えられない時間を過ごしている。ぼぉぉっとディスプレーを眺めて。周期的にケンさんに抱き上げられた脇がぶるるっと震えて力がこもる。深呼吸をするとその力が抜けるけど、今度は、ケンさんにおんぶしてもらってた時の太股がぞわわっとして膝がもぞもぞする。吸い込んだまま止まる呼吸に気づいて、はぁぁっとはきだすと、呼吸が荒くなってしまう。そして、あの人が欲しい、その思いを実感しはじめた。回想すると、ひざまづくケンさんをどうしても思い出してしまう。ひざまづいて、スカートを恥ずかしそうな顔で直してくれた。あんなに恥ずかしい思いをしたのに、なすがままに身を任せていた私。ケンさんってあんなに素敵な人だったんだ。そればかりを繰り返し始めた。係長が目の前で手を振りかざしている。けど、別に気にならない。いつものことだ。そんなことより、ケンさんってもしかして、今まで気づかなかったけど。ものすごくいいのかもしれない。抱き上げられたシーンとおんぶしてもらってたシーンを何度も何度も回想している。そして、ひざまづくケンさん。その回想は、いつのまにか、ケンさんにだっこされて、バージンロードをみんなに拍手されながら通り抜けてゆくシーンに変わっている。ひざまづいたケンさんがバラの花束を手に私のほほえみを待っている。花束を受け取った私は、優しく微笑んで、跪いているケンさんの顔を優しくおなかのあたりに抱きしめて。ケンさんは心地よさそうに私のおなかにぐりぐりと甘えている。それは、ものすごくうっとりな想像だ・・いや・・予感? はっと気がついて。慌てて壁の時計を見つめた。同時に終業時間のチャイムが鳴った。いそいそとあちこちの電源を落として。なぜか、ちょうどいい場所にいる係長に。
「お先に失礼します」と言って、鞄を肩に掛けて走り出す。行き先はケンさんのデスク。どことなくうきうきしていることに気づいている。無性にケンさんの顔を見たい気がする。オフィスの入り口、つま先立ちして見渡すと、いつものデスクで真剣な顔をしているケンさんがいる。こそこそ・・なんてつぶやきながら、ケンさんの背中まで小走りに駆け寄った。そぉぉっとケンさんが見つめているディスプレーを見つめると。訳の解らない絵と記号。まじめなケンさんの横顔に見とれてしまう。ふと、ひとみさんと目が合った。
「・・?」とつぶやくひとみさんに、くすくすと口元を抑えながら会釈すると、ひとみさんがケンさんに私を指さして合図してくれた。振り向くケンさんに。にこっと笑顔を見せて。
「早く帰ろぉ」と言う。
「えっ・・うん・・もう少し・・」
なんて言うケンさん。わざとほっぺを膨らませて・・。でも、今は邪魔したくない気分がほっぺをしぼませてしまうから、おちょぼぐちでそっと待つことにした。でも、ちらちらと振り向いてくれるケンさん。そして。
「高倉、おぃケンイチ、今日はもういいから早く帰れ・・帰れ帰れ」
と、向こうの方から課長のうんざりしてる大きな声。シッシッなんてしている。ケンさんと見つめ合って、にっこぉと笑顔を作ると。ケンさんは。
「じ・・じゃ・・帰りましょうか」
と少しだけひきつって、マウスをあたふたと動かし始めたケンさん。もうしばらく、待つことにした。待ってる時間がなぜか心地いい。そして・・。ゆっくりと立ち上がるケンさん。
「じゃ・・ひとみさん、お先に・・課長・・失礼します」と挨拶したケンさん。
「わたしも・・お先に・・失礼しまーす」
「・・・?」
きょとんとしているひとみさん手を振って。ケンさんの後についてゆく。課長にぺこりとするケンさんにつられて、私もぺこり。じぃぃっと私を目で追う課長にも手を振ると振り返してくれた、どことなく、ぎこちなく。そして、みんなが呆然と見送ってくれたオフィスを出てから、ケンさんの腕にしがみつくとぐりぐりとその暖かさを味あわずにいられない。どことなく困惑の表情を浮かべたケンさんが妙にかわいい。
「なにかあったのか?」
と、私を見つめたケンさんが聞いた。でも。
「ううん別に」
と、うつむいて抱きしめる腕に力を込めて、ほっぺでケンさんの体温を味わう。ものすごくうっとりな気分だ。もう一度見上げるケンさんの顔。朝よりももっと延びた不精髭。くすくすと笑うと、なんだか解らない心地いい気分。そのまま、会社を後にして、想像してしまうこと。私の手料理を。優しく微笑みながらこの人に「はい、あぁ~んして・・」と食べさせてあげる私。そして空想が早送りされて、ものすごい速さで二人のセレモニーが終わって、再生速度が落ち着いたとき、私は淫らなことを何の抵抗もなく空想していた。私とケンさんは裸で抱き合い、体中にキスし合い、何度も何度も唇を重ね、上になったり下になったりしながら愛し合って。そして、どのくらい愛し合ったのだろう、いつしか、疲れ果て、ふと目を覚ました私。心地いいけだるさ。芋虫のようにもぞもぞと、静かに上下するケンさんの胸、カワイイ乳首をチュッと吸ってあげると。
「あん・・」とうなされるケンさんをくすくす笑う。そのままケンさんの体の中心線を指先でなぞると、
「うんもう・・・くすぐったいよ」と悶えるケンさん。
「じっとしていなさい」といいながらケンさんのかわいい乳首にもっといたずらする私。そして、
おへそをくすぐるとケンさんのぴくぴくと反応するお腹の筋肉が私のいたずら心をさらに刺激する。そしてもう少し向こうにもっと敏感そうなものを見つけて、それを指先でぴんっとはじくと、ケンさんは「あうん・・」と身悶えて。
「もうなにするの・・」という。
くすくすと笑いながら、私は、
「いたかった? ごめんね、痛いの痛いのとんでけ」そうつぶやきながら、それを優しく撫でてあげる。すると、
「あん・・あん・・」と悶えるケンさん。おとなしくしなさいと、それを優しく握ってあげたのに、それは、私の小さな手の中で暴れるように脈打ちながら、むくむくとエネルギーが充填されて。熱く、硬く、大きくなって。
「恭子ちゃん・・・」
とつぶやいたケンさんは、起き上がり、私の小さな体を力ずくで押し付け、バールで無理やりこじ開けるように。そして、掘削機が山にトンネルを掘るかのように。
「恭子ちゃん・・・」
「・・・ちゃんなんていらない」
「恭子ちゃん・・・・」
ケンさんの荒い息遣いがたまらない・・・・。そして、この激しさ。
「恭子ちゃん」と私を締め付けているケンさん。
そう、それでいいの。あなたはもう私の虜。もう離さない。渾身の力で彼を抱きしめかえす私。あなたはもう私なしでは生きていけない男。私のものよ・・。
「恭子ちゃん・・恭子ちゃん・・」
とぎゅぅぅぅぅっと抱きしめる腕を揺さぶるケンさんに気づいたとき。はっと顔をあげると、困った顔をしているケンさんが。
「どこにいくの?」
と私を見つめていた。えっ? と思いきょろきょろすると、中島の駅をとっくに通り過ぎて、そこは、時々美佐達とうろうろする駅前の商店街。道路を掘り起こしている削岩機がだだだーって。そんな工事現場の人たちが。
「今日は、ここらで終わろうや、力がはいらんわ」なんて言ってる。
その削岩機を見つめながら・・い・・今の・・・ゆ・・夢??
夢見てた・・私、歩きながら本当に夢を見ていた。突然、いままでなにかとんでもないことを想像していたことに恥ずかしくなって。
「えへへへへへ・・」とほっぺを引き吊らせながら笑ってしまった。なにを考えていたんだろ・・。無茶苦茶鮮明な映像だったのに思い出せないような気がする。
「えへへへへへ・・」ともう一度笑うと。
くすくす笑ったケンさん。
「この辺に恭子ちゃんの知ってるおいしい店でも」なんて訊ねるから、慌てて。
「ううん」
と首を振って、ケンさんを引っ張り、中島の駅に強引に引き返すことにした。ものすごく鮮明な、現実との区別がつかない夢だった気がする。不思議そうな顔のケンさんを見上げる。目が合うとくすくす笑うケンさん。私、歩きながらなにか変なことをしたのだろうかと恥ずかしくなった。でも、そんなこと聞けるわけないし。そして、黙ったまま歩き始めると、また、頭の中で自動的に大きく膨らむ身勝手な想像力が今夜この人と本当に愛し合うことを予感してしまう。欲しくてたまらなくなってるんだ、と自分でも解る。服の上から感じるこの人の体温を直に感じてみたい。はっきりそうつぶやける程に。そして、また、意識が一人でに妄想を映像化して、いつのまにかベットの上、裸で抱き合う私とケンさん。その鮮明な映像が夢なのか現実なのか解らなくなってくる。でも、中島の駅前で急に立ち止まったケンさんに突然引き留められて。私は大きな瞬きとともにもう一度現実の世界に戻ってきた。
「どうしたの?」
と、ケンさんに訊ねたとき、ケンさんが眺めたもの。伝言板。そういえばと優子の顔を思い出す。なにか、二人きりの秘密がどうのこうの、尻臼・・のこと。でも・・今はそんなことは口に出す気がしない。優子のことは思い出せても考えることができなくなっている。ケンさんの腕をいじわるな力で引っ張り。定期を出して改札を抜けた。ホームでじぃっとケンさんの横顔を見上げていると、たぶん、優子のことを考えているのだろうな・・。そんな想像ができる。試しに・・。ほっぺを指でつついて「優子のこと考えてるの?」と聞こうかと思ったけど・・。なぜかそうしようとすることに嫌悪感を感じてしまう。電車がきて、乗り込むと、満員なのはいつものこと、でも、いつもとはすこし違う。電車が優子の家とは反対の方向に走り出すことに妙な安心感がしてる。そして、少し違うことはそれだけではなかった。どことなくゆったりしていることに気がついた。きょろきょろと見上げると、手すりとドアを歯を食いしばって支えているケンさんが私の空間を確保してくれていた。電車がゆれるたびに歯をぎぃぃっとくいしばり、少ししてから、にこっと私にほほえんでくれるケンさん。目頭が熱くなる衝動がこみ上げてくる。本当にこんなに優しい人だったなんて。どうしていままで気づかなかったのだろう。それに、私は今この人に守られている世界でただ一人の女の子なんだ。男に命がけで守られている実感を感じるのは生まれて初めて。ずぅっとこのままこの人に守られていたい。でも、私が降りるのは二駅目・・。残念な気持ちで電車を降りて、ケンさんに。
「大丈夫?」と訊ねた。なにごともなかったかのようにうなずくケンさんが本当に恋しく思う。本当にこの人が私の彼氏だったなら。ふと思うこと。これは絶対、ゆきずりの恋なんかじゃない。一緒に改札をくぐると、どうしても体温が恋しくなって、ケンさんの腕にしがみついてしまう。抱きしめると本当に暖かい。でも・・と思うこと。さっきからずっとそうだと気づくのは、ケンさんって無口な人なのだろうか。普段に比べて全然話をしない。そぉぉっと見上げると。
「・・なに」
といつものように首を傾げて。
「ううん・・」
と言うと会話はそれで終わってしまう。ゆっくり、のっしのっしと広い歩幅で歩くケンさん。ちょこまかと小さな歩幅で歩く私。だんだんと寂しい気分になり始めた。だから、なにかおしゃべりしようと、話題を探し、ふと目に止まった、近所のスーパー・・。ぴんっとひらめいた。ここは異常に明るく・・。
「ケンさん何が食べたい?」
「えっ?」
「なにか作って欲しいものとかある?」
「作って・・って・・」
「愛情たっぷり込めて作ってあげる」
「あ・・愛情?・・」
「うん」とうなずき「へへへ」と笑う。
よし、会話が弾み始めた。心の中でガッツポーズ。そのままケンさんをお店の中に引きずり込んでやる。そして、
「ねぇ・・知ってる? おいしいお野菜の見分け方」から始まる、私の乏しい知識を総動員した身勝手なおしゃべり。
「うん・・」「そぉ?」「恭子ちゃんって物知りだね・・」「はいはい」ケンさんはたったの4語で受け答えてくれるだけだけど、それでも、なんて幸せな一時。このままフウフという呼び名にならないだろうか。そんなことまで考え始めてしまった。そのとき。
「恭子ちゃん」
と急に立ち止まり不思議そうな顔をするケンさん。
「なにも買わないの?」
「へっ?」
ケンさんが腕にぶら下げている篭にはまだなにも入ってなくて・・しまった・・またおしゃべりに夢中になっていたようだ。しばらく止まってしまった私を見つめてケンさんが。
「パスタなんてどぉ?」
と言う。あたりを見渡すと、そこはパスタのコーナー。そして、私よりもっと吟味な目でケンさんはパスタの材料を篭に入れ始めた。
「ペペロンチーノなんてどぉ? 簡単だし」
と言われても、そんなもの、レストランで食べたことがあっても、作り方なんて知らないし・・。
「簡単で手軽で、あっさりしたのがいいな」
と、まるで主夫の手付きで、とんがらし、にんにく、を吟味して。
「バジリコは・・これでいいか。オリーブオイルは・・エキストラバージンの・・あった。恭子ちゃんは、にんにく好き? 唐辛子、辛いの大丈夫?」
「えっ・・うん・・」
「じゃ、どばどばっと入れて、ぽかぽかになるのを作ってみようか」
「・・・うん」
完全に主導権を奪われて、レジで、少し惨めな私。お金までケンさんが出しているし・・。ちゃんとポイントスタンプまでもらってる。
「いいじゃん、30円足りないくらい・・」
レジのお姉さんにそう言ってウィンクすると余分にもう一つもらえたりして。
「はい・・貯めるとなにかもらえるんでしょ」
スタンプカードを受取ながら、なにか、惨めな予感がしはじめた。この人、私よりシュフ慣れしてる。どうして? そんなに慣れているの?
スーパーを出ると、私のマンションはすぐそこなんだけど、さすがに、知っている顔を見かけると御近所様の目が変に気になってしまった。もう周りも暗いし。男を連れ込もうとしてるだなんて。だから、10センチ程の距離をとって歩くことにした。誰にも見つからないようにうつむき加減で歩いてしまう。こんなときは名前を呼ばれたくないのに。
「恭子ちゃん・・恭子ちゃん」
と私を呼ぶケンさん。
「・・なに?」
と小声で返事する。すると。
「恭子ちゃんの部屋に・・その」
と今ごろ気づいたのだろうかと思うようなことを聞いたケンさん。だから。
「うん・・」
と返事して。ケンさんの困惑の表情を見上げた。なによその困った顔は・・という気分。強引に手を引きエレベーターに乗り込む。二人きりのエレベーターで、5階のボタンを押す。無言のまま上ってゆくエレベーターの表示を眺めて。そぉぉっとケンさんを観察。ちぐはぐする視線がなかなか合わない。私もそうだけど、緊張してるのかな? なんて思うと、そんなケンさんがどことなくかわいい。5階について、扉が開くと、ぎょっ・・御近所様だ・・慌てて、うつむき、ケンさんとは他人のふり。御近所様がエレベーターに乗り込み、扉がしまったところで、ケンさんの手を引っぱった。急ぎ足で部屋の前。あたふたと鍵をあけて。ドアを開けて、ケンさんを引きずり込む。誰にも見られてないかとドアの隙間から外をのぞいてからドアを閉めた。ハラハラドキドキな一瞬。ほっと胸をなで下ろし。センサーがともす小さな明かりの中でケンさんを見上げて。
「えへへへ」と笑う。そんな私に。
「誰かに見られるとまずい?」
と聞くケンさん。
「ううん・・別に」と首をふると。別な意味の緊張感。狭い玄関で、ケンさんとの距離が2センチ程しかない。このまま抱き合ってしまえと身勝手な想像力を必死の力ではねのけ。もっと大きな明かりのスイッチを探そうと手を延ばすと、ケンさんと息がふれあう。神経がものすごく過敏になっている。ケンさんが戸惑い、ガサゴソと音がするとびくびくしてしまう。明かりよ早くついて。と見つけたスイッチを押すと、バスルームの明かりがともった。慌てて、すぐ下のスイッチを入れるとリビングまでの短い廊下の明かりがともって、ほっと胸をなで下ろした私。ケンさんも同じようにふぅぅっとため息。
「緊張するね・・女の子の部屋は・・」
と、ケンさん。本当に緊張してる顔に。
「そぉ?」と必死で緊張を隠す私。
いつも通りに無意識に靴を脱いで。上着は壁のフックに引っかけて。
「・・上がって」
と息を吸い込みながら言い、ケンさんを手招きした。先にケンさんを進めると、頭を下げながらのっしのっしと歩いてゆく。その無防備な後ろ姿に襲いかかりたい衝動がこみ上げた。後ろから突き倒し、ベッドに押し倒し、そのまま手足を押さえつけ、着ている服を引きちぎって。イヤイヤとあがらうケンさんを無理矢理。はっと思って首をぶるぶると振る。
「なに考えてんのよ私・・」
とつぶやくと、ケンさんが振り向く。だから
「何でもない・・」
となにも言ってないケンさんにそんな返事。本当にやばい・・。私、もうその気でいる。でも、リビングの入り口からきょとんと振り向いたケンさんが唐突に。
「俺、作るから、恭子ちゃんはこたつの上を片付けてくれる」と言う。
リビングを見ると、こたつの上はいつも通り散らかり放題で、いつも私がテレビを見るために座る一角だけ床の絨毯が見えている。
「は・・はは・・」
と笑うとものすごい恥ずかしさとともに冷静さが戻ってきた。今までなにかものすごいことを考えていた自分がもっと異常に恥ずかしく思えて。
「はははは・・」ともう一度笑うと。
「俺の部屋も似たようなものだよ」と笑いながら言うケンさん。
それはいつものよけいな一言だ。男の人の部屋なんかと比べられたくないのに。頭の中がめまぐるしく混乱している。くすくす笑うケンさんは、上着を脱いでキッチンに向かい、ネクタイを衿から抜き、腕をまくり、溜まりに溜まった洗い物を片付けることから始めた、しばらくすると、あちこちの扉を開けて、大きなパスタポットを見つけだし、それをごしごし洗ってから、水を注いで、塩を味見してからどばどばとポットに入れる。そして、包丁を取り出し、刃先に指を当て、お皿の裏でシャンシャンさせて、トントントントン・・。その手際の良さにあっけにとられて・・。その間に私がしたことは、雑誌を集めて積み上げただけ。ため息も出なかった。
こたつの上をそれなりに片付けて、とりあえず、散らかってたものを集めてベットの下に押し込む。すると、キッチンからじゅぅぅぱちぱちという音。オリーブオイルとにんにくの香りが見える。ものすごくいい香り。鼻の穴を大きく広げて くんくん させていると。
「恭子ちゃん・・」
と、リビングに顔をのぞかせたケンさん。鼻の穴を大きく広げた私を見つめて。ぷぷぷっと笑った。アドリブを入れられず、そのまま止まってしまうと。笑ったままのケンさんが。
「手伝ってよ」と手招き。だから、はずかしいまま、キッチンに行く。
「お皿並べてくれる・・どこにあるのか・・」
ポットの中でぐつぐつと踊るパスタ。フライパンの上でじゅぅじゅぅと入れすぎてるようなにんにくが香ばしそうな狐色に輝いている。
「恭子ちゃん・・お皿」
「・・はい・・」
慌ててしまう。また、身勝手な想像力が頭の中で大きな風船を膨らませ始めた。こんな人が私の旦那さまだったなら・・。ポットの中の一本のパスタをお箸で器用に摘みだし、味見して、満足そうにうなずいたケンさん。ざるにどどぉっとあけると、湯気がもうもうとたって。水気をてきぱきと振って、フライパンにじゅぅぅぅ。ものすごい器用な鍋裁きでかきまぜ、バジリコを振りかけると、いい香りが立ち上る。また、クンクンと鼻の穴を大きくしていると。
「こら・・お皿はどうした?」
「あっ・・はい・・今すぐ・・」
そのなれない返事に意識した・・妻・・と言う文字。もし・・本当にこんな人が旦那さまだったなら。私は世界で一番幸せな女の子になれるんじゃないだろうか。適当に用意したそれしかない大きめのお皿に、お箸でくるくると器用にパスタを盛りつけるケンさん。その箸捌きを本当に見とれてしまった。
そして、二人きりのお食事。テレビもつけず、黙ったまま。ちゅるちゅるすると。妙な緊張感があふれる。
「おいしい?」
とケンさんが聞く。
「うん・・」
としかいえない私。本当に黙り込めるおいしさ。本当に言葉が思い浮かばない。だからだと思う、何も考えられない頭の中で、本当にこの人が旦那様になってくれたら、ばかりがぐるぐるしはじめた。でも、そんな沈黙を破ったのはケンさんの方。
「ねぇ恭子ちゃん・・聞いていい?」と・・。
私は顔をあげた。ケンさんを見つめると。
「優子さんにとってサンタクロースっていったいなんなの? 知ってるんだろ」
パスタを口からだらりとさせて、そんなことを聞いたケンさん。突然、今まで想像した、予感だと信じていた何もかもが崩れ落ちてゆく気がした。やっぱり、無口だったのは、ずっと優子のことを考えていたからなんだ。そう思うと、急に冷めてゆく、さっきまでメラメラしていた熱い情熱。だから、むかついたことを。
「優子はさんで私がちゃんなのはどうして?」
と、聞き返してしまったんだ。
「えっ・・」
と驚くケンさん。「あ・・いや・・」とあたふたして。だから、もっと機嫌が悪くなった。今まで空想の世界であんなに私を愛してくれてたのに、突然優子の話だなんてあんまりでしょ。
「ごめん・・ずっと頭から離れてくれなくて」
やっぱりずっと考えていたから、今まで無口だったのね。もう一度、そう思うとむかつく気分が、何もかも話してしまえと指令を出した。だから。
「あの娘、思いこみとかが激しくて、サンタクロースに逢ったことを今でも信じてるの」
ふんっと視線を反らせて話してしまう。あの娘の悪口。
「子供の頃に会ったんだって。ぬいぐるみをプレゼントしてもらったって言ってた。もう一度逢いたいって、お父さんだったんじゃないのって、そのこと馬鹿にしたら今でも、ものすごく怒るの。馬鹿みたい」
私は悪口を言ってるつもり。けど、ケンさんにはそうは聞こえなかったようだ・・。
「だから・・あんなに怒ったんだ・・」
と遠くを見つめたケンさん。
「えっ・・」と思った。
「君が逢ったって言うなら、僕も信じてあげるよ、サンタクロースでも、宇宙人でも、エイリアンでも・・半魚人・・とも言ったかなあの時・・冗談だとおもって。だから・・あんなに怒ったんだ」
そして、耐えられない程の沈黙。チュルチュルとパスタを口に運び、もぐもぐと食べる。すぐになくなってしまうパスタ。「ふう」とおなかを抑えると、ちくたくちくたくと罪悪感を増長させる音が響く。やっぱり話しておけば良かっただろうか。そんなことを考え始めたそのとき。ぴょろろろと私を呼ぶ携帯電話・・リビングまでの途中のフックに引っかけた鞄の中。
「誰だろ・・」
立ち上がり、鞄から取り出した携帯電話。そして、その表示は優子の家の電話番号だ。さぁぁっと血の気が引いた。そぉぉっとケンさんに振り返って、横顔を見つめてしまう。
「はやく出なよ、聞いたりしないから」
と目が合ったケンさんが言う。うなずき、もし、電話の相手が優子だとケンさんにばれたら・・いや・・それ以上に、今私の部屋にケンさんがいることが優子にばれたら・・心臓が凍り付いてゆく気がする。そぉぉっとボタンを押した。そっと耳に当て耳を澄ませ。
「もしもし・・」という。
「恭子?」やっぱり優子の声。
「うん・・あっ・・誰だかわかる・・」
やばい・・そんな言い方は・・。冷や汗が流れ、横目でみてしまうケンさんの横顔。
「へへへへ」と優子が電話の向こうで笑ってる。おそるおそる、ユウコとは絶対口にしないように。
「どうしたの・・」と聞いた。
「うん・・明日休み?」
「うん・・休みだけど」
「そっちに行ってもいい?」
「えっ・・」
ちらっと見てしまう、ケンさんが手を延ばしてる。こたつの脇、積み重ねた雑誌の上、それは・・私と優子しか映っていない、あのアルバム・・。
「駄目・・それは・・」とケンさんに言う。
「駄目なの?」と優子の声が耳に届く。
「ううん・・ちがう・・いいよ・・何時頃にくる?」混乱はさほどでもない、私は、かなり冷静でいる。
「朝でもいい? 10時頃」
「うん・・解った・・待ってる。じゃ、・・今ちょっと・・駄目だから」
ケンさんが・・と出かかったけど、電話をきるボタンを押す方が早かった。電話を切って、ちゃんと切れてるかも確かめる。そして。
「駄目よ・・勝手に見ないでよ」
とアルバムを奪おうとしたけど・・。優しく笑みを浮かべて見とれているケンさん。
「姉妹みたいだな・・こんなにきらきら笑ってる。二人とも・・」
それは、例の水着の写真。かなり素肌の露出を奮発したビキニ。
「二人とも綺麗・・」
私は女の子の水着写真とかをにやにやと見る男は嫌いだけど、今のケンさん。全然そんなじゃない。うっとりと、ものすごく素敵な笑みを浮かべて。見入っている。ページをめくると、短大の頃のジーンズ姿。高校生だった頃のセーラー服・・。
「昔から、背丈の差は変わってないみたい」
くすくす笑うケンさんを見つめてしまう。そして、ようやく口にしてしまうこと。
「言っとけば良かった?」
「んっ・・なにを」
アルバムを丁寧にめくるケンさんのおっとりした返事。
「サンタクロースのこと。あれって、世界で私しか知らない優子の秘密なの」
そう言うと、なにかを思いだしたようにふううっと息を吐いて、アルバムをそっと閉じ。
「ごめん・・勝手にみちゃって・・」
と言うケンさん。そしてそのまま。
「・・知ってたら、俺、嘘付きになってたかも知れないし・・」と言う。
意味が解らない・・嘘付きって・・。
「ほら、俺も逢ったことがあるんだ・・なんて、女の子を口説くときって、そんな嘘平気な顔で言ってしまうから、俺もそんな男なんですよ」
そんな意味なんだ。でもそれって経験があるから言えることなんじゃないの。そう思うから、試しに。
「誰かをそんな嘘で口説いた経験があるの?」
と聞くと。薄くうなずいたケンさん。
「ひどく後悔したけど・・どうしていいかわからなくて、あせって、軽率な言葉から始まった恋だから軽率なまま、愛してるって言葉までもが軽率になっちゃって・・女の子はそれだけは見抜くんだよな・・ケンさんの幼いころの苦い恋の経験」
それはどんな恋だったのだろう? そういえばと思う。この人、あの娘にはものすごく慎重になっている気がする。
「でも、良かった。優子さんの前では正直な俺でいれたんだ。もし、いつか、愛してるって言う時が来ても、本当の気持ちで言えそう」
やっぱりそうなんだな。さっきはもうあきらめるって言ったくせに、優子のことが本当に好きなんだこの人。あの娘への気持ち「愛してる」って、今言ったこと聞き逃せなかった。でも。
「もう・・諦めたんじゃないの?」
とは私のわがままな気持ち。
「諦めたつもりでも、頭から離れない・・。どのくらい好きになったのだろ、あの娘のこと」
それは目を見つめれば解ってしまう。この人は心の底から優子のことを想っている。うらやましい。そんな気分がした。じぃぃんて感じもする。そぉぉっとケンさんにもたれてみる。本当にうらやましい。私もそのくらい想われてみたい。だから・・。ケンさんの胸に手をそっと忍び込ませてしまうんだ。自分でも解っている。本当は、こんなことをしても無駄だってこと。
「優子はいいな・・こんなに愛されて」
そんなことを言っても無駄だと思う。でも、どうしても言いたい。
「私も愛されたい・・ケンさんみたいな優しい人に・・愛してるって言ってみて、冗談でもいいから」
暖かい、どことなく震えているようなケンさん。心臓のある方の胸を探ると手の平に感じる鼓動、とくんとくんと私と同調して。このまま押し倒されてもいいと思っている。言葉じゃなくてもいい。体で愛し合えたなら・・またそんな想像をしていることに気づいたけど。どうにもならないようだ。しばらく見つめ合っていた。でも、ケンさんが私の手を取り。恥ずかしそうな声で。
「くすぐったいよ・・」と言う。
その一言で冷めてしまった。今まで、空想の世界であんなに激しく愛し合う予定だったのに・・。手を握られたまま、見つめあうけど・・どきどきなんて全然しなくなってる。つまらなくなった。ケンさんの腕を抱いて、肩にもたれうつむいた。そして、目を閉じて、大きなため息。
何も言わず、くすくすと笑うケンさん。前髪を人差し指で優しく透いてくれる。私もくすぐったい。だから、私もくすくすと笑ってしまう。すると、ケンさんの人差し指が私の小さな顎をそっと撫でて・・。顔をあげると、ケンさんは言った。笑いながら。
「にんにくのせいかな。心の中のドラキュラがどこかに行ってしまったみたい・・こんなにおいしそうな女の子なのに」
「食べてもいいんだよ・・」といったつもりだけど。
「ニンニク入れすぎたかな?」だって。
いつもの一言多い冗談なのにむかむかしない。そうかも知れないと思う。本当ににんにく臭い。しばらく部屋にこの臭いがこもるかなぁ・・。そんなことを考えた。目をあけたまま、お互いの臭いをかぐと唇が1センチ位の距離まで接近する。でも、彼のほうからキスなんて絶対してくれない確信があるから、全然慌てられない。お互いの本当ににんにく臭い香りをくんくんと嗅ぎ合い、お互いでくすくす笑い合う。そのとき。今なら・・という想いがこみ上げたんだ。それが、
「ケンさんって、近くで見ると結構イイ男だよね」
というセリフになったのだと思う。
「そぉか?」と言い返すケンさん。その返事にイラっとする。こんなに可愛い女の子が上目遣いであなたを誉めてるのに、ナニその返事。これって、キスして私を抱いてって意味でしょ。何もわかってくれないのは・・男の子は少し年上でも・・女の子より初心だから?
「うん・・近くで見ると、イイオトコに見えるよ」
そうつぶやいて、私の決意にうなずいて、一瞬震えた。
でも、このチャンスを逃したら一生後悔するかもしれない恐怖感が湧いた。目を閉じて、唇はすぐそこにある。ちょっと顎をあげれば届く距離に。でも、もし本当にキスしてしまったら、そのまま、そうなってしまうかも。そんな思いがよぎるけど私はそうなってしまいたい。でも、ケンさんは違うな。多分何もしないと思う。それに、キスだけなら優子も許してくれると思う。キスだけでもいいじゃん。どうしても手に入らない人だけど唇に触れるくらいなら神様も許してくれるはず。そんな言い訳に自分で納得して。にこっと作り笑い。につられてニコッとする隙だらけのケンさんの唇に。ちゅっと音を響かせて、下唇を軽く吸って、その一瞬を永遠に記憶に留めてみる。んぐっ、っていうケンさんの声。しっとりして、にんにく臭くて、微かに震えてしまう切ないキス。あきらめきれない気持ちがそのまま私を少しだけ待たせている。ケンさんの唇を吸って、なんだろ、この感覚。どうしてこんなに何もときめかないの? やっぱり、どんなに思ってもこの人は違うんだ、そんな気がした。そっと離れると、ケンさんがごくり、として、手がゆっくりと私の肩に乗った、その瞬間、物凄く怖くなったんだ。私は慌てて飛び離れ手を払いのけた。慌て始める呼吸を必死の力で押さえつける。なんて事しちゃったの、そんな思いもよぎる。でも、冷静な気持ちがゆっくりと戻ってくると、一生の思い出に残りそうなキスだったな。とてもかわいい、まるで初めてのキスみたいな。なんて気もする。ケンさんの視線を受け止めてみる。どことなく怯えてるような、どことなく慌ててるような。そんな表情を見つめたまま、くすくすと笑ってしまった私。そして、舌をべぃぃっと出して、ケンさんを突き放し、きょとんとしたケンさんに言ってやる。
「い、今のは、夕食作ってくれたお礼よ。食べたら出てってね、私そんな気持ち全然・・・・・」
キスした後なのによくもまあそんな下手な言い訳が・・と自分で思う。でも、出てってくれないと、またこの人を押し倒してしまいそうな衝動があふれ始めて、次は抑えきれないかもしれない。かたかたと震えていること気づかれませんようにと祈っていた。その時。
「じゃ、外を散歩しないか? まだ少し早いし」
と言うケンさん。一目でわかった気がする。ケンさんも逃げ場を探していることを。そして。
「もう少し一緒に・・・・」
とつぶやいた。そして、いてあげるよ・・とは期待したその次のセリフ。でも、いてあげるだなんて言うのは、大きなお世話かな。でも違った。
「・・いたいから・・我がままを聞いて。散歩しよう・・さっきのスーパー出たところから見えたんだ、大きなクリスマスツリーが。見に行ってみない」
素敵な口説き文句だと思う。うなずいた。もう一度うなずく。この人を諦めきるにはもう少しの時間が必要だ。そして。
「このままでいいよね」
と自分の服を眺める。けど。
「着替えるなら待ってるけど」
といやらしくにやっとするケンさん。
「このままでいいよ・・脱ぐ自信ないし」
「脱ぐ?」と言いながら私を透視しているケンさん。
ったく、いやらしい。絶対期待している目付き。一瞬見せてあげようかと胸のボタンに手をかけてみたけど。胸のボタンに手をかけた私を見て、ぎょっとして、きょろきょろと逃げ場を探し始めたケンさん。
「そういえば・・DVDって」
すぐに逃げ場を見つけて、関心ごとはもうすでにそっちの方向に向かってしまったようだ。本当に純情な人なんだなと思う。それに、これ以上の誘惑は止めておこうと思ったんだ。
「これかな?」
とこたつからはいだしたケンさん。
「説明書は・・これかな・・」
とDVDの上の説明書、ぱらぱらめくって。しばらく見比べて。
「コンセント・・がつながってないんだよ」
とコンセントを差し込む。するとDVDの小さな窓にデジタルの時計が一つ。リモコンをいじくって、あっと言う間に時間を合わせたケンさん。その時計。まだ、7時を過ぎだところか。そう思っていると。テレビをつけて、そばに置いてあったディスクを差し込み、テキパキとスイッチを押すケンさん。テレビにものすごく綺麗な映像。それは、こんなに綺麗な映像で見つめたかった、私の大好きなレオさま主演の恋愛映画。
「デカプレオ?」と私に振り向くケンさん。
「ディカプリオです」ったく、そう言うことにうとい人なんだから。それに。
「ふぅぅん」
なによ、その意味深な横目は。それに。
「恭子ちゃんはこんなのがいいんだ」
その馬鹿にしてるような目。
「こんなのってなによ、いいでしょ別に」と言い返してやる。
「こんなのがいいのか・・」
ケンさんよりよっぽどましです・・と言いたい。少なくとも、空想の中で恋することができる人だから。そして、
「これがメインスイッチ・・ディスクを入れて・・再生とか停止とか押すところは解るよな」
「うん・・」
その気軽な返事で、明日の予定もなくなってしまった。明日の予定・・か。優子がくるんだな・・と思い出す。それまでにこの人を追い払わなきゃ。そう思い慌ててケンさんの背中を押した。そして、玄関。神経衰弱のような靴達から、お揃いの一足を選んで。無理矢理の笑顔で
「本当に見えたの? クリスマスツリー」
とでも言わなきゃ泣いてしまいそうだ。
「絶対見えた。懸けてもいい」
「どっちの方向だった」
「あっち」
「本当に?」
「本当ですよ」
マンションから出ると外は冷たい風。凍えないように慌ててくっついて、二人で歩く夜の並木道。しばらく歩くと、本当にあった、近所の幼稚園、広場に大きなクリスマスツリー。灯はともっていない寂しいツリーだけどそばまで行きたくなる。二人で顔を見合ってから門をそっと開けて、そばまで歩き、見上げた。子供達が丁寧にくくりつけたいろいろな願い事。平仮名ばかりのたんざくには、もう恋心を綴った内容があふれている。
「七夕みたいね」
と言ったのは私。
「俺たちも、なにか願い事でも書こうか?」
とケンさんが言った。でも、ポケットを探しているケンさん。
「こういうときに限って書くものがないんだよなぁ」
なんていっている。私も、短冊に書きとどめようとした文章。それが何も思いつけなくなっていることに気づいたから。寂しくなり始めた。それに、もうこの人との話題はこれ以外に見つけられなくなっていたから。
「優子と明日会う約束したの、さっきの電話で・・・」
そう打ち明けると、少し間をおいて。
「そぉ・・」とケンさん。
「私から言っといてあげようか・・」
お節介・・本当に好きなんだなと自分で思っている。でも。
「もう一度・・自分でなんとかするよ。ラブレターでも書こうかな。かわいい封筒とか買ってきてさ」
それってケンさんには似合わない。そう思うとくすくす笑える。けど。
「でも、本当に振られてしまったら・・また、慰めてくれますか?」
と言うケンさんに、
「私は滑り止めですか?」って言い返した。
「ゴールキーパーがいてくれないと、勇気が出ないかもしれないし」
「なによ・・その例え・・」
「がんばれって言ってほしいの」
「いくじなしって言ってあげる」本当にいくじなしって思う。でも。
「うん・・」とうなずいたケンさんに。
「はいはい、本当に本当に振られたら、さっきのキスを思い出して」と言ってあげた。我ながらかっこいいセリフだったかも、なんて思いながら。すると。
「あれは、心の奥底の箱の中にしまっておくよ、ずーっとなくさないように」
この言葉に少しだけうれしくなった。ほんの一瞬の出来事だったけど、この人もさっきのキスを永遠に覚えていてくれそう。だから。
「私もそうする」
と返事して。思いつくままのセリフ。
「・・私の胸は優子みたく大きくないけど、涙くらいは拭けると思う・・泣くんだったら、貸してあげる、優子に本当に本当に振られたらここで泣いてもいいよ」
もう一度、我ながらいいせりふだと自分で感動して。でも、少し恥ずかしかったかも。くすくす笑ってしまった。そして。
「そっちの方もいいかも・・今泣いちゃおうか」と屈んで私の胸に顔を寄せたケンさん。
「もぉぉいやらしい」
と言いながら少し期待したけど、ケンさんを押しのける。やっぱり、駄目だと思う。もう元気を取り戻してるし、そんなケンさんに私はすっかり安心してしまったから。そして、もう一度ツリーを見上げる。しばらく見上げて、もう少しと思う気持ちがケンさんの腕を手繰り寄せて・・。見上げたのはケンさんの唇。さっきキスしたんだな。あの唇に。だんだんと遠くなってゆく気がした。だから。
「神様お願い。もう一度だけ」そうつぶやいたんだ。でも、声はケンさんまで届かなかったようだ。
「帰ろうか・・送るよ」
「うん・・」
幼稚園の門を閉めて、とぼとぼと歩いてゆく。
「神様お願いもう一度だけ」
つぶやいたのか、そう願ったのか。自分でもわからない。腕を抱き、この温もりも忘れないでおこうと今、必死で思っている。私の部屋まではほんの10分ほど。あっという間についてしまったマンションの玄関。
「じゃ・・ここまででいいか・・」
「うん」
腕を離すと、ものすごく寒くなった気がした。
「明日はもういいな・・」
「うん・・」
そう返事すると、ものすごく寂しくなった。
「じゃ・・お休み・・本当にありがと」
振り返り歩き始めたケンさんの後ろ姿。こみ上げてくる思い。「神様お願い、もう一度」
つぶやいた。たぶん、神様はこの願いを聞いてくれたんだと思う。無我夢中で駆け出すことができた。私の足音に気づいたケンさんが振り返ってくれた。そして、ねらいを定めた。この人への人生最後のキス。おもいっきりジャンプして。首に抱きつき、吸血鬼が生き血をすするようにケンさんの唇を吸った。脇を抱き上げてくれるこのくすぐったい感触も忘れない。このにんにくの味と臭いも。そして、やっぱり、確かめようとしてるのに、こんなにときめきのない唇が重なっているだけのキス。唇が離れて、見つめ合う。そっと地上に降ろしてくれた、呆然とするケンさんに人生最大級のアッカンベーをして、そのまま逃げ出した。マンションの玄関。振り向くと、ケンさんがまだいる。手を振ると振り返してくれるケンさん。でも、私の元には絶対駆け寄ってくれない確信、だから、手を振り続けることが辛くなってくる。諦めて、背中を向けてエレベーターを待つ。そぉっと振り向くと、ケンさんの背中がふっと暗闇に吸い込まれた。彼が私のもとに駆けてくることを私は期待している、そんなことは絶対ないとわかっているのに。だから、なんだろう、このこみあげてくるたとえようのない感情。
扉の開いたエレベーターに乗って、5階のボタンを押す。扉が閉まる。まだ、泣かないでおこうと思うのに、ぽたっ、ぽたって涙が床に落ちる音。部屋に戻り、明かりをつけられないまま、ベットに寝転がる。いつもの背伸びなんてできない。まだ、ケンさんのにおいがする。でも、くんくんとそのにおいを嗅ぎ分けると。泣いてしまおうという決意がこみあげてくる。泣いて、泣き止んだあと何もなかったんだと自分に言い聞かせたい。ただ、母性本能がむずむずしただけ。久しぶりに男の人に体を触られて、そんな気分になっただけだ。久しぶりにイイ男がそばにいたから、久しぶりに男の臭いをかいで、だから、こんな気持ちになっただけだ。こんなのはよくあることだと思う。愛でもないし、恋でもない。でも。空想の世界であんなに愛し合ったあの人、本当は空想の世界でも少しも愛し合えない人だと解った気がして。
「優子のバカ」
とつぶやいて。
「なんでこんな失恋しなきゃならないのよ」とぼやいたら、涙がぽろぽろとあふれてきた。
おもいっきり泣いてしまおう。気がすむまで。
12月23日(天皇誕生日)10時03分
「恭子・・恭子・・」
と声が遠くで聞こえる。
「恭子・・ねぇ・・起きてよ」
と今度は近くに聞こえた声。
「もぉぉ・・なによぉ」
となかなか開かない目を無理矢理開けると、優子がくすくす笑いながら見つめていた。ちょっと驚いた。けど、そういえば・・と思い出し、安心して、また起きれなくなった。
「鍵・・開いてたから・・どうしたの? 着替えもせずに・・ひどい顔してる。お化粧滲んでるよ。口紅も」
その理由は殺されてもしゃべれない。すると。
「泣いてたの? 目が赤いよ・・」
「別に・・」
それもやばい・・と思って、布団に潜り込んだ。すると。
「誰か来てたの? 二人分・・にんにく・・唐辛子・・スパゲティー・・ペペロンチーノ作ったんだ・・へぇぇ・・恭子が作ったの?」
この娘の悪い癖。私の部屋にくると、まるでいじわるな探偵のように探り尽くす。
「誰が来てたの?」
本当にばれそうで恐くなったから、布団からでることにした。でも、布団から出ると、一晩中うなされていたせいかブラウスはくしゃくしゃで胸元ははだけているし、ブラジャーもいつのまにかずれている。スカートのベルトもはずしてたから、いつのまにか膝までずり落ちてパンティーが、それも、半分お尻をさらけ出して。あわててブラジャーだけでも元に戻すけど。そんな私をじっくり観察した優子が。
「ひょっとして、こないだの松本さん?」
だなんてことをいやらしそうに笑って聞く。
「冗談じゃない・・」と言ったのに。
「一人暮らしってそういうことするのに都合がいいんだね。私には絶対無理だけど」
そういうことってどういうことよ。と思ったけど。すこし赤い顔の優子が私の寝起きを見つめて想像していることはたぶん。そう思うとため息が出た。この娘のそうゆう想像力はものすごいから。
「いいなぁ~。本当は愛し合ってたんだね。昨日、電話で慌てたのはそういうことだったんだ。ふぅぅん」
やっぱりそうゆうことを想像してるようだ。赤らめた顔を伏せ、きょろきょろする優子。まったくもぉぉっと思う。適当に身だしなみを整えて、ベットから出た。これ以上探索されると何が出てくるかわからないから。
「ま、その辺に座ってて・・コーヒーでもいれるから・・で、なんの用事だったの?」
こたつに座り、二組のお皿を重ねる優子を横目で見ながら。キッチンに向かうと。
「うん・・」と言ったまま黙り込んだ優子。そぉぉっとキッチンから覗いたら、手をごにょごにょさせていた。例のこと以外に用事があるわけないかと思い。やかんに水を入れて、プレートに乗せて、ぴっと、スイッチを押す。そして、沸くまでの少しの時間。こたつに入り、深呼吸して心の準備を整えて。
「ひょっとして、ケンさんのこと?」
と、それ以外に考えられないけど。聞いた。
「うん・・」
やっぱり。とため息。さっき失恋したばかりの男のことを話さなきゃならないのかと思うと、気が滅入るけど、大切な親友だから聞くしかないか。そうあきらめて。
「どうしたの、またなにかしちゃったの?」
たぶん、私はほとんど知っているけど。やっぱり優しく聞いてあげるのが親友に対する礼儀だと思うから。
「聞いてあげるからさ、言ってみなさいよ」そう言った。すると優子は。
「寝過ごしちゃった・・」
と言い出した。相変わらずこの娘の一言目は理解できない。そして、つづく。
「ごめんなさいって言ったの・・私には、恋なんてできそうにないから・・高倉さんって私のことどう想ってるかな・・悪いことしたかなって思うけど・・恭子から言ってくれない? 私・・無理だって」
全然意味不明な優子のつぶやき。だから。聞き正すこと。
「最初からはなしてよ、寝過ごしたってのは?」
「うん・・6時に伝言板の前でって約束してくれたのに・・また寝過ごしちゃった」
へへへと笑っている優子を見つめて、あぁ、あれか。と思った。私とケンさんの情事もそれから始まって、さっき終わったんだ。さっき・・あれは昨日の8時頃・・・もう14時間も過ぎたんだな。と時計を眺めて。それと、寝過ごすのもこの娘の得意技だったなと全然関係ない二つの思い出にうんざりすると。続ける優子。
「あの人と付き合ってみたいけど、私、恋なんてしたことないし、できそうにないし」
「そんなことないよ」
と反射的に言いながら少し他人行儀を意識して。でも、おかまいなしに続ける優子は。
「高倉さんって私のこと・・ほら、恭子がおととい言ったでしょ、一目惚れしてるって。だから・・私には無理だから・・って。言ってほしい・・」
もじもじと優子の天然ぎみなしゃべり方。はぁぁぁっとうんざりなため息を吐く私。私より30センチも背が高いし、体重も倍ほど違う大女が「無理だから」か。なよなよしてまぁ。徹底的にうんざりすると堪えきれない睡魔が襲ってきた。ため息をもう一度吐いて優子にもたれると、そこは私がいつも抱いている枕よりも大きな胸。顔を埋めると枕より柔らかく弾む弾力、枕より暖かくて心地いい。どうすればこんなに整った大きなおっぱいになるのだろ、そんなことをうらやましく思いながら、ぐりぐりと私にはない谷間に分け入ると。優子はいいなぁと思ってしまう。この優雅な体格もそうだけど。その体格に全然似合わない臆病な恋ができることがうらやましい。本当に優子はいいと思う。虫達を呼び寄せるために花は綺麗に咲くんだ。と、どこかで読んだ本に書いてたことを思い出した。いつまでも臆病なままでいて、ずっとつぼみのままでいる花は、最後まで摘みとられず、みんなが摘み取られたり、枯れたあとにおそるおそるぽつんと咲いて、冬を越すことを真剣に考えてる虫達に愛され命を紡ぐ。確か、冬を越すことと、人生の将来をもじった内容の、結婚情報誌だったかな・・あれ。私は「命短し恋せよ乙女」の信奉者だから馬鹿にしたけど・・優子を見てるとこの娘はあの雑誌の内容の通りになりそう。本当に将来を真剣に考えられる男の人に愛され、そして命を紡いでいけるのかも。そう思うと、何となくうらやましい。私もそろそろ将来のことを考え始めたのかな・・って思った。
「ねぇ・・恭子、聞いてる」
と優子が私を揺すっている。でも、柔らかく弾む暖かい枕。心地いい揺れ方。なつかしさを感じてしまう優子のとくんとくんと響く鼓動。駄目だ。本当に意識がなくなってく。でも、昨日の私。本当にこの娘からあの人を奪う気でいた。キスまでしてしまった。ちゅっと一瞬。そして、ぶちゅぅぅぅっと人生最大級のキスをもう一度。ありありとあの瞬間の映像を思い浮かべて、とりあえず、ごめんなさい。と思っておこう。ごめんね・・優子と。でも。謝ってほしいのは私の方だ。久しぶりに味わったとてつもない失恋。一瞬でもあんなに燃え上がったのに、ケンさんはこの娘を本当に愛しはじめてる。男の人がぼそっとつぶやく「愛してる」と言う言葉。それがたとえ私じゃない人への思いでも、やっぱり、感動してしまう。そういえば、私は今まで一度もそのせりふだけは言われた経験がない。本当に優子はいいなと思ってしまう。そして、ごめんねとも。
ぴぃぃぃとやかんが呼ぶ音が聞こえた。
「恭子・・沸いたよ」
「えっ・・うん・・適当に入れて、コーヒー・・わかるでしょ。冷蔵庫の上にあるから」
優子がそっと立ち上がった後、私はいつもの枕を探し、手繰り寄せ、抱きしめた。
12月23日 (天皇陛下の誕生日) 12時47分
私の記憶はそこで途絶えている。携帯の音に目を覚まし。
「あぁ~うるさい」
と起きた時、部屋に優子の気配はまったくなくなっていた。あれっ・・優子どこ行ったんだろときょろきょろしてから電話に出ると。
「あの・・恭子ちゃん・・高倉ですけど」
ケンさん? あわてて、跳ね起きて。
「あっ・・おはよ・・」と返事した。でも、話したいことなんて何もないと気づいて。
「もう・・お昼ですよ・・それより、昨日そこにネクタイ忘れてない? たぶん、キッチンのどこかにかけたと思うんだけど」
そう言われて、ふと、こたつの上の置き手紙に気がついた。ネクタイもきれいに畳まれてそこにある。
「私をからかうのは楽しいですか? お幸せに」と震える文字、そして・・優子がいなくなった理由もすべて一瞬でなにもかも理解できた。
「なんでこんなもの忘れていくのよバカ !!」
感情がそのまま声になった。あわてて電話を切って、優子の家に電話したけど・・。
「あ・・恭子ちゃん・・優子、いるの? 恭子ちゃんから電話だよ」
「出たくない。あんな娘大嫌い」
相変わらずな大きな声が響いた。
「今、出たくないって・・あんた達、喧嘩でもしたの」
とお母さんの声・・。
「・・・ううん」と首を振って電話をきった。そぉぉっと置き手紙を手にしてみた。乱暴に書かれた字が滲んでる、あの子の涙かな・・と思う。そして、もうすっかり乾いている。
「私をからかうのは楽しいですか? お幸せに」
あの娘は20年近くサンタクロースを信じている。朝の乱れた私の寝起きを見たあの娘が想像してたことを思い出してしまった。あの娘がそういう誤解をするとどうなるか。そう思うと、気が遠くなった。
もう一度電話をかけたけど、無駄だった。
「優子・・出なさいよ」
「もう絶交したの・・あんな娘、大っ嫌い」
絶交・・か。あの家族独特の大きな声が受話器からこの携帯電話まで届いた。
「あの・・恭子ちゃん・・」
「いいんです・・ごめんなさいって・・伝えてください。言っても信じてくれないならそれでもいいって。からかってなんかないって」
うんざりな気分も入り交じっている。頭の中がもっとパニックになってくる。今はもうなにも考えられなくなっている。気がますます遠くなっていった。
12月24日(クリスマスイブ) 12時24分
朝、会社に体調不良で休みますと連絡したのは覚えてる。その後少ししてから、ケンさんからかかってきた電話には出なかった。それに、信じられないけど、あれから24時間過ぎちゃった。あれから、ずっと寝込んだまま、ぼぉぉっとしている。まさか、こんなシングルベルを過ごすとは、夢にも思わなかった。優子のことを考えるとあれだけ思いこみの激しい娘だから。何を言っても無駄だろうな。と確率ゼロパーセントの答しか出ないし。ケンさんのことを考えると・・私、ひょっとして、とんでもないことをしてしまったのかも・・。そのまま優子に振られて、そのまま私の胸に・・なんて思いもよぎるけど。そんなのはフェアじゃないと思う。はぁぁぁぁと心の中でため息。ため息ばかりだ。何を言っても無駄。ケンさんに仲裁を頼めば、それこそ火に油を注ぐものだ・・どうしたものか。思案にふけったまま。時計だけがちくたくちくたくと音をたてている。この脱力感・・絶望感。それに放心状態の気持ち・・私‥このまま死ぬのかな・・。
12月24日(クリスマスイブ) 20時37分
まだぼぉぉっとしていることに気づいた。時計を見るといつのまにか夜になっている。失恋のショックより大きい絶望感だけがまだ私を包んでいる。あんなに大切な親友だったのに。もう、取り返しがつかないかもしれない。それに、誤解でしょ、話聞いてよ、と、優子にむかつく気分も感じる。ぼぉぉっと焦点のあわない目で月明かりに照らされた揺れるカーテンを見つめている。窓があいているのかな? まぁいいや。目の焦点が合わないよ。それに、やっぱり窓があいているんだ。カーテンに映る窓の影がゆっくりと右から左へ開いてゆく。こんな時間に誰だろう。泥棒さんかな? そう考えるとゆっくりと目の焦点が合い始めた。光の粒がきらきらと部屋の中にこぼれた。なんだろアレ? と思った。じっと見つめていると、そぉぉっと窓から入ってくる、光の粒に包まれた人影? 余りの眩しさに目を細めると。
「恭子ちゃん。メリークリスマス」
とその人影は言った。唇に人差し指をたてて、しぃーとしてるようだ。光の粒達が一粒ずつ融けてゆく。脱力感のせいで起きあがれもせずにぼぉっと見つめていると。
「あの娘の誤解は俺がなんとかしたから。これはプレゼント。大丈夫、きっと仲直りできるから・・元気を出して」
そんなことを言っている。かなり若い声、淡い光に包まれた真っ赤な衣装、背中の真っ白な袋。それは見覚えのあるこの人、この時期ならどこにでもいるサンタクロースだ。でも、不思議な感覚だな、身動きできない。そんな格好の強盗かも知れないのに。まぁ強盗でもいいか、私の部屋にはそんなに高価なものは何もない。そんなことをぶつぶつと考えてしまった。すると、ゆっくりと前かがみに私の顔をのぞき込み、
「ホントに大丈夫?」
と言いながら、あの時のケンさんのように指先で優しく私の前髪をすいて、くすっと笑ったハンサムな笑顔。このサンタクロースは誰かに似ている。誰だろ?
「あの二人は、君がお節介しなくても結ばれる運命だったんだ。俺が君の恋人になれれば君もそんな顔をしなくてすむのだろうけど、そうもいかないから。これで許して。あの娘のことも許してあげてほしい」
そう言ったと思う。そして、
「うん・・もういいよ」・・どうなっても・・
そう、うなずいたら、おでこにちゅっとキスしてくれた感触は夢ではない気がした。
ぎょっ!! と叫びながら飛び起きた。心臓が不規則にどきどきして、呼吸までもが荒々しくなってる。窓はしまっているしそこには誰もいない。部屋の中は真っ暗。時計だけがちくたくと音をたてている。
「夢?・・え?・・今の何?」
そうつぶやいて、明かりをつけて、あたりをきょろきょろした。すると、机の上にどこかで見たことがあるようなぬいぐるみ。サンタクロースとトナカイ・・・これって、確か優子に見せてもらったのと同じ。が、一生懸命、携帯電話を抱き起こそうとしている。
「夢?・・・」
とおでこに手を当ててもう一度つぶやいたとき、見つめていた携帯電話が突然なり始めた。心臓が飛び跳ねた。まだ動転しているのか携帯の音がものすごい音量。そぉぉっと取ると、ぬいぐるみの手から光の粒が一粒。その輝きが溶けてしまうまで見つめてしまった。そして・・鳴り止まない携帯電話。ピッ。とスイッチを押したら。
「あの・・」
と聞こえた、それはすぐに誰だかわかる、電話では必ずもじもじするケンさんの特徴的な声。でも。
「恭子ちゃん・・その・・やっぱり自分で言ってよ・・でも、あの娘絶対怒ってるから、高倉さん・・お願い」
なぜか優子の声が混じってる気がした。
「ネクタイのこととか、俺から説明したんだけど。喧嘩したんでしょ。優子さん、誤解したこと一人じゃ謝れないからって、今、部屋の前にいるんだけど・・ほら・・言いなさいって・・親友なんだろ・・・でもぉ・・」
気がしたんじゃなくて、優子の声だったんだ。何がなんだかさっぱりわからなくなった。おそるおそる。
「そこに、優子もいるの?」と聞いたら。
「・・うん・・ここに、替わるよ。ほら・・ごめんねって一言くらい言えるでしょうに」
とケンさんの声・・。そしてすぐ。
「・・へへへ・・ごめんね」
代わってくれとは言ってないのに。それに、なんで一緒にいるわけ。それも、今。部屋の前にいるっていったっけ・・。だから、むっとしてしまったんだ。
「なによ・・あんた」
と声が低くなった。それに。
「絶交したんでしょ、私とは」
なんて言っても、電話の向こうで、まったく聞く耳持たずにへらへらしている声が、あん・・やだ・・もぉぉ。高倉さん・・だめ。さわんないで。だなんて聞こえる。そののろけた声を額に血管を浮かべながら黙って聞いていると。
「ほらぁ・・恭子が言ったじゃない。その時は彼に任せるって。ごめんね・・高倉さん、私のこと・・その・・待っててくれたから・・ずっと・・ジンクスとかも・・許してくれるよね・・高倉さん・・あげるって言ったじゃない・・好きにしていいって」
相変わらず意味不明な天然系の声に耳がかゆくなってきた。言い返す言葉すら考えられずまだ黙って聞いていると。
「へへへ。愛してるって言われちゃったの・・それに・・サンタさんにも逢えたの・・恭子のこと、疑ったりせず仲直りしなさいって・・来てくれたんだよ本当に、高倉さんとの運命も信じていいって。携帯電話プレゼントしてくれたの、それで・・」
その、サンタさん・・の一言に。
「ねぇ優子・・」
と急に聞いてみたくなったこと。
「なぁに・・」
「優子が逢ったサンタクロースって、結構若いの?」
「うん」
「かなりハンサム?」
「うん。どうして。前にも話したことあるじゃない」
確かにそう聞いたような気がするけど。私も逢ってしまったのかもしれない・・とは言えない。マボロシだった気がするし。
「ううん・・別になんでもないんだけど」
絶対夢だったとも思っている。全然自信がない。ほんの一瞬前のことを回想しても・・。あれは絶対夢だ・・でも・・このぬいぐるみ・・は誰がここに置いたの? それに・・電話から聞こえる優子とケンさんの声も現実なのだろうか・・。
「変なの」
と優子が素でつぶやいた。あんたよりはましよ。と思うから今は現実なのだろう。
「外、寒いんだよ・・ケーキとシャンパン買ってきてる。開けてほしいな」
ケンさんがそう言うから。身だしなみをチェックしてから玄関を開けた。開けた途端にうんざりした。体をくねくねさせてらぶらぶな気持ちを表現する二人が本当にいる。周辺の空気はピンク色の生ぬるいらぶらぶな粘り気。そして、もっと気が滅入ること。こんな時に限っておなかが。
「ぐぅぅぅぅぅぅー」と言う。
「おなかすいてるの? 高倉さんとケーキ買ってきたの。食べる?」と優子。
「はいはい」と私。
「ごめんね・・変な誤解したみたいで・・」
もじもじしている優子。ついいたずらしてみたくなった。ふふんと目をそらせて。
「どんな誤解をしたの? 私がケンさんをどうにかしたような誤解?」
そう言うと期待通りに耳を赤くした優子。
だけど、これ以上話すと、もっと困るのはケンさんだし。だから。優子の手にぶら下がってるケーキに視線を移して。
「ケーキかぁ・・う~ん」
とぼやく。そういえば、ほとんど一日以上何も食べていない気がする。この二人のせいで。それに、チラリと見上げるとケンさんのいつもどおりの間抜けた顔。昨日あんなに燃え上がったのはいったいなんだったのだろうと、ものすごい幻滅が襲い掛かってきた。
「ねぇケンさん、駅の陸橋渡った向こうにケンタッキーがあるの」
そういいながら、優子にもちゃんと説明しておきたい。邪魔だなと思う。この間抜けなケンさんの顔が私をいらいらさせる。どうしてこの人はこんな時の空気を器用に読まないのだろうと思ったから。
「・・・ケンタッキー?」と聞くケンさんに。
「私、あれから何も食べてないの。そのケンタッキーの向かいにピザ屋さんもあるから」
「あれから・・」と優子
「ぴざ・・・?」とケンさん
ったく、ほんとにもういらいらする。なんでこんなに不器用なのよ。タカクラケンイチ!!
「もう、ケンさん、どうしていつもいつもそうなのよ」
「なにが?」
「だから、フライドチキンとピザを買ってきてって言ってるの。はやくしなさい。もぉ、あの事しゃべっちゃってもいいの」
あたしたち二人っきりで話したいことがあるからどっかに消えてって、言ってるのよ。という意味のテレパシーも最大出力で送信してやる。
「あ・・うん・・ケンタッキーとピザ・・・・ね」
これだけ気張らないと届かないのか・・という実感で。
「早く行ってきて」
と、勢いに任せしまいそうだけど、そんなに早く優子に説明できないかもしれないから。
「あ、ゆっくりでもいい」とつけたした。
「ケンタッキーとピザ・・・ね、じゃ、ちょっと行ってくるから」
そういいながらぶつぶつと出かけるケンさん。でも、やっぱりまだ空気読めてないだろうなぁ、と思う。そして、もう一人、空気を読む、ということの意味すらわからない優子に、
「ねぇ優子、私たちずっと友達だよね」
と口火を切ってみた。
「う・・うん」とあいまいな返事をする優子。ストレートに「私、昨日あの人とキスしたの」なんて言い放ったらそれこそ・・・。だから、ここは遠まわしに、遠まわしに。地球を一周するくらいの気持ちで。
「だったら、もう絶対怒らないって約束してくれる?」
そういいながら、優子の手を引いて、ドアを閉める。このようなことを話すときは、このくらい狭いほうがいい。そして、鍵も閉めて。優子を押しながら。
「あんな寝起き姿をみたら誤解もするよね」
と言う。
「絶対怒らない?」と、もう一度言っておこう。
「たぶん」という優子を部屋の一番奥まで誘導して、逃げられないようにしてから。深呼吸して、よし、心の準備はOKだ。
「あのね」
「うん」
「でも、もともとの原因は優子なんだからね」
でも、やっぱり怖いかもしれない。ケンさんが先に話しているかもしれないし。
「ケンさんがもう話した?」
「なにを?」
あいつが話すわけないか。
「まぁ、座って・・・ね」
「なによ、全然わからないじゃない」
どんな反応するだろうかと思う。けど、腹を据えて正直に説明しよう。深呼吸して。
「ゆっくり話すから・・・いい?」
「うん」
「一昨日、あなたに振られたケンさんを慰めてあげたの。ケンさんにごめんなさいって言ったでしょ。ケンさんそのおかげで自殺しそうだったんだよ」
「じ・・・ジサツ?」
「だから、あたしが慰めてあげたの、ここで」
「うん」
「深呼吸して、冷静に聞いてね」
「うん」
私も深呼吸しとこ。大きく吸って、はーっと吐き出してから。
「沈み込んでるケンさんが妙にかわいくて、あたし、なんだかムラムラしちゃってね」
「むらむら?」
「ちゅうしちゃったの」・・二回も・・とは絶対言わないように、
でも、ぎょっ? とするだろうなぁ。やっぱり。
「それ以上想像しないで、本当に軽く、ちゅ、だけだったんだから」あんなにディープなキスだったことも絶対ばれないように、わざとらしく涙目で訴えてみる。それ以上のやましいことは本当になかったんだから。
「押し倒したくなって、押し倒そうとしたの、でも、優子のことしか考えていないのあの人、だから、悲しくなって、なんだかものすごい失恋した気持ちになっちゃって、泣きたくなって、あんな寝起きだったの」
本当にそうだ、ウソ泣きだけど、涙も吹かずに優子にアピールしよう。よく思い出すと、泣きたいくらい、われながらとんでもない行きずりの失恋だった。それに。
「もともとは優子が悪いんだからね、ごめんなさいなんて言うから」
絶対優子が悪い。と思う。でも、そこまでいうと。
「・・・・・」と、うつむいてしまう優子。そんなに沈んでしまわなくても、だから、ここからは。
「優子はいいね」
と、よいしょするか。逃げださなかったし、冷静そうだし。
「ケンさん、あなたの虜になっちゃってる」
そういうと優子は顔を上げて。だから、
「ごめんね」
ととまた不安にさせる。そして
「そう気づいた後だったのに、あの人を奪おうとして」
これだけは本当に謝っておきたいこと。
「うん」
といってくれる優子がなんとなくうれしい。そして。
「いろいろとありがとう。変な誤解してごめんなさい」
なんてことを優子が口にするなんて。やっぱり、これでもうケンさんには手出しできなくなったようだ。なんとなく踏ん切りがついてしまった。
「うん、一応合わせた責任があるし、本当にそれだけだから許してね」
と言う。ふたりでうなずいて、顔を見合っていると、なんとなくにやにやと沸き立つ好奇心。やっぱり聞かずにはいられないこと。
「でででで、ケンさん何て言ったの?」
「えっ?」
「ちゅうとかしちゃったの?」
「う・・うん」
・・・・・うわっ、うんだって、そうか、しちゃったんだ、もぉ、こんなに早く。だから、
「ひょっひょっひょっひょっ」なんて、悔しさとおかしさが入り混じる笑い声が出てしまう。それに、
「まま、食べましょ食べましょ。ったく、ケンさん何してんだろね」
と話題をそらしながらじゃないとこの娘は白状しないだろうから。
「で、ケンさん何て言ったのよ」とケーキを切り分けながら他人事のように追求すると。
「うん・・・まぁ、いろいろ」
「ふぅぅぅん、ででで、優子はどうするの?」
と追求しながら、とりあえずシャンパンでも開けよう。あまり真剣に追求しすぎると殻に閉じこもってしまうから。
「え・・?」なんてとぼける優子にさりげなく。
「これからよ、男と真面目に付き合い始めたら、あんなこともこんなこともあるんだから」
そう聞くと、この娘の顔は本当にうそつけない顔なんだと思う。空想の中、今どっちが上になってるのだろう、と思えるような表情。この前は私がそんな空想に浸ってたけど・・。
「ふぅぅぅぅん。今なにかえっちな想像に浸ってるでしょ」
「うん・・・」やっぱり。だから。
「ひょっひょっひょっ」と、いやみたっぷりに笑ってやる。
「ううん・・別に、そんな想像なんて・・・」と優子は言うけど。
「そんな想像ってどんな想像? 優子にとってあんなことってどんなこと?」と聞くと。
「・・・だから、手をつないでデートとか」
「ふぅぅん。じゃ、こんなことって?」
「・・・それは、映画をもたれあって見るとか」
「ふぅぅぅん」
「なによ、その目」
「別に。いただきまぁす」
とりあえず、危機は去った。そんな気がする。ケーキを頬張りながら、クリスマスケーキかと思う。そして、ふと思いついたこと。
「ねぇ優子」
「なに?」
「お節介かなぁと思うけど、優子って男と付き合ったことなんてないでしょ」
これは、正直な気持ち。
「・・・・・何言いだすのよ」と言うけど。
「正直に言いなさい」
「ありません」
「だったら、よく聞いて」
ケンさんって会社で結構モテること、今のうちに言っておいたほうがいいと思う。特にひとみさん。あの人はどんなタイミングでケンさんをベッドに引きずり込むかわからないし、もしそうなったとしても、そのくらいのことで怒ったりなんて。だから、モテる男と付き合うんだから、それなりの覚悟ってものを・・・。私がちゅうしちゃったことも、あっそ・・くらいに聞き流せるようになってねと、言っといてあげよう。
「うん」とうなずく優子に、とりあえず、生唾を飲み込んでから。大真面目の顔で。
「あのね、ケンさんってね・・・・」
そのとき。ピンポーンとチャイムが鳴って。だから、条件反射。
「はいはいはいはい、あー、ごめんね、鍵かけちゃった」
と、ドアを開けると
「ただいま・・・」
と両手にケンタッキーとピザを抱えて帰ってきたケンさん。
「おまたせ、こないだのスーパーでお総菜も買ってきたよ。野菜も食べないと偏るでしょ」
と、私に渡してくれたそれは、パックのお惣菜。
「うんうん、くるしゅーない、くるしゅーない」
そして、ケンさんのことだから。
「ポイントもらった?」と聞くと。
「二つだけど・・」と取り出す福引券。
「うんうん、これでガラガラ二回引けるよ」
「じゃこれ、チンしてくれる」
「はいはい」いわれるままに電子レンジに。
「お皿は?」
「はいはい、ここ、ここ」いわれるままにお皿を並べて。
「それと、お茶」
「あ、ポット、水入ってる?」
「中の水いつから入ってるの?」
「えぇ・・・いつからだろ」
「ったく、うわっ、ほらぁ、見たこともない生き物が生まれてる」
「うそっ」
「うそ・・」
「もぉぉぉぉ」
「ったく、どうして食べたらすぐ片づけないの?」
「たまってからのほうが効率的なの」それは、昨日のスパゲティーの・・。
「うわっ、これなに?」
「なによ、もぉ」
「ほら・・・・本当に見たこともない生き物」
とケンさんがつまんだのは、信じられないようなムシの死骸が・・。
「ぎょっぎょ」
「ナンマイダ、ナンマイダ」
「もぉ捨ててよバカ、手洗ってよ。あー近寄らないで」
そんな言い合いをしながら、なんだろうなぁ、この違和感のなさ。こいつは昨日あんなにディープなキスをした男。それがずぅっと前からこんな感じで私のそばにいる男のような錯覚。だけど。
「はい、優子さん、お待たせ」
とコタツに運ぶケンさん。やっぱり、優子には さん を付けてるし、見たこともないその優子を見つめるやさしい眼差し。ケンさんも何か私を意識して無理しているのかな? 無理やり昨日のこと隅に押しのけているような、この仕草はそういう意味なのかなとも思う。
「あの、わたしも」と立ち上がろうとする優子を、
「あ、いいのいいの、優子は座ってて」
ととがめるのは。
「ねぇ、ケンさん、優子のことどう言って口説いたの?」
ということをケンさんにも聞いてみたいから。
「えっ?」
なんてとぼけるケンさん。だけど、この右下の角度から、こんな表情で見上げながら聞くと、この男は必ず白状するんだ。
「うん・・好きですって告白しただけだよ」
と。そして、コタツの優子は目を三角にしてにらんでるけど。
「いいじゃない、私が引き合わせたんだから、それくらい教えてくれても」
と言い返す。
「じゃ、いただきましょ」と私。
「乾杯はシャンパンで?」とケンさん。
「あっ、もう飲んじゃった」と私。
そして、私のそばから離れないケンさんに。
「ねぇケンさん、恥ずかしいのはわかるけど、向こう行ってくれない?」とぼやいた。
「えっ・・・」
「ケンさんはもう優子のものなの、モーノ」
と言うと、なに今更意識してるのだろうとおかしく思う。
「ほら、あっち行けっていってんの」とこの前もそうだけど、私が蹴飛ばさないと優子の元に行かないケンさんが本当にじれったい。
もじもじとお尻歩きで寄り添う二人を観察しながら。なんとなく素敵でうらやましい恋が本当に始まったんだね、オメデトと思う。見詰め合って、もじもじと、お尻が痒くなるような雰囲気。
「はいはい、お幸せにぃーだ」とでもいわないとやってられない。
「勝手に乾杯しちゃうからね」と自分でシャンパンを注ぐこのわびしさはなんだろ。
「さめないうちに勝手に食べちゃうからね」
そうつぶやいたとき、優子の視線の向こう。サンタクロースとトナカイのぬいぐるみ。そういえば、と思う。この二人は結ばれる運命だといってたな、あれは、本当にサンタクロースだったのだろうか。まぁなんでもいいや。そう思うと、シャンパンが疲れた体に染み込んで、うとうとと心地いい気分。なのに。こんなタイミングで携帯がブーブーいう。
「なによ」と出てみると、美佐だ。
「あっ、恭子、今さぁ、ちょっと飲んでんだけど、くる?」
だいぶ酔っていそうな声。だから。
「遠慮します」と即決する。
「えぇーなんで、恭子抜け駆けしてるでしょ? いま男といるでしょ?」
「いませんよ」
「ねぇ、もう一度さ、ケンさん連れてきてよ ここに、あーもう未練がたらたらしてる」
そんなことできるわけない。と、今にも盛大に合体しそうなこの二人を眺めてみる。
「そもそも、私がシングルベルなのも、あんたのせいだからね・・聞いてるの‥わかってるの・・」
あーうるさい。ぷちっと切ってやる。そういえば、美佐の誘いに乗ったおかげでこんな目に。そう思うと、はぁーとため息が出る。もたれあい くすくすと 親指相撲を始めて、いちゃつく二人を眺めてみる、「なにやってんだか・・」はぁぁぁ・・ウンザリだ。けど、まぁ、いっか。
ここで合体とかしないでよ、と思いながら・・とりあえず食べれるだけ食べよう。
メリークリスマス、遠くからそんな声が聞こえた気がして、あーあ、とため息はきながら、私も彼氏ほしいなぁと願ってみた。来年は優子みたく、サンタクロースを信じてみるか。そんな気分だ。
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