6 / 43
これって公認の恋ですか?
しおりを挟む
でも、その日、した会話はそれだけ・・春樹さんはもくもくと休憩時間いっぱい本に夢中になっていた。私がもじもじと、らぶらぶなテレパシーを送っても、そ知らぬ顔。私のこと・・なんとも思ってないのかなぁ・・勉強を教えてくれるってさっき言ったけど・・本当なのかな・・やっぱり彼女とか・・恋人とかがいるのかなぁ。聞けばわかるかな、聞く勇気なんてどこにもないけど。ぶつぶつと考え込んでしまう、仕事の最中もぶつぶつ考え込んでいたみたい。最近は、もう、そんなに大きなミスはしなくなったけど。みんなが心配してくれてたことを知ったのは帰り際。近くの喫茶店。誘われるままについて行って、いつもの皆とアイスクリームを食べていると・・。
「ったく、どうしたの? 今日の美樹ってすっごく危なっかしかったよ」
「ホント・・なんか、お客さんの前で上の空って感じ、みててハラハラした」
と、言われたとき・・。でも・・。
「でもさぁ・・うふふっ。どぉ、美樹。今日、春樹さんとなにか話せたの? 肩揉んでもらったぁ・・気持ちよかったでしょ」
と、言う質問には、正直に。
「ううん・・あの人・・本に夢中だったから・・・」
と、うつむいたまま返事したけど。それ以上なことは黙っていた。言う勇気なんてなかったし。
「本・・? またぁ~? ったく、ワセダってのはそこまで勉強しなきゃならないのかねぇ?」
「あの人暇さえあれば本読んでない?」
「読んでる、読んでる」
「本読んでない春樹さんって想像つかないよ」
「本読んでる時って、あの人、顔に落書きされても気が付かないんじゃない?」
「あの人、本が好きなのよ。セックスの最中も難しい本読むんじゃない? 難しい題名の本読みながら。これ読んでるから勝手にやってよ、じっとしといてあげるから・・好きにしてぇ・・って感じで。なんかそんなイメージ想像できる、あの人って」
「でも、そんなのも、いいと思うけどなぁ・・なにもしない男の子に乗って好きなように・・」
「それって、マグロ男・・」
「もう・・ロデオじゃないんだから・・」
「ぷぷっ・・やだぁ。でも・・なにかに夢中になってる男の人っていいと思うけどなぁ。あの真剣な眼差しって、あの真剣な眼差しで見つめられるだけでぞくぞくぅって、脇をくすぐられてるみたいな」
「するする。美樹ぃ~・・その若さを武器にして甘酸っぱく迫ってみなさいよ。難しそうな本と同じくらい美樹に夢中になってくれるかもよ。私を研究してぇ~って言えば」
「あぁ~。それっていいかもしれない。あの人頼めば何でも引き受けてくれるしね」
「もっとぉって言えば・・体のすみずみまでしつこく、ネチネチ、タンキューしてくれたりして。美樹はここが一番ビンカンだね、こちょこちょ・・あぁ~ん・・なんて。肩揉みあんなにうまいから・・全身マッサージなんて、気持ちいいかもよぉ」
「きゃはははは、やぁねぇもぉ、どんな話してるのよ・・」
アイスクリームをつつきながら、私の下心をくすぐる、年上のお姉さま達。そんなお姉さまたちの会話には、知識として少しだけ知っているけど・・どんな返事していいかわからない言葉がぽんぽんとでてくるから・・私は恥ずかしくなって、一人うつむくだけになってしまう。みんなのせりふをひとつひとつ想像するだけで・・・その。
「やっだぁ・・美樹、うつむいちゃって、ぶりっ子ねぇ、今どきこんなに純情なんだねぇ。本当に春樹さんのこと好きなんだ」
「ち・・違います」
「じゃぁどうして、リンゴみたいになってるの、ぷぷぷぷ。かぁ~わいいぃぃ。えっちな想像してるんだぁ」
と、ほっぺをつつくから、もっとほっぺがじんじんしてしまうし。想像してることがもっとリアルな映像になるし。頭の中、春樹さんにくすぐられて、あぁん・・な声も響いてるし。
「美樹って、本当に、本当に、春樹さんのこと好きなのぉ?」
そのみんなお揃いの一言の後、興味津々な視線がものすごく痛い。ふるふると首を振っても、その力の無さは、まるでうなずいてるみたいだし。でも・・うん・・とうなずくなんて絶対できるわけないし。
「素直じゃないね。うんっていいなさいよ、別にいいと思うよ春樹さん。謎が多いヘンな人だけど。この中には彼をねらってる女はいないし。あの人よく見れば、結構魅力あるし。私は応援したいけど」
そう言ってくれる奈菜江さん・・でも・・謎・・が多いって。ヘン・・って。だから、聞いてしまう。
「ナゾ?・・ヘン?」
「うん。休日しかこないし、ワセダのロケット博士・・なのと、みゃぁの恋人なのと、肩揉むのがうまいのと・・あと、チーフの親戚ってのは知ってるけど。他のことは謎だな。まあ、謎って言っても、悪い方じゃなくて、いい方の謎が多い。休みの日は必ずきてるから、休み無しで働いてるのかなぁ・・ふだんなにしてるのだろう・・お金かかるのかなぁワセダって・・とか。料理がすごく上手だから、料理が趣味なのかなぁ・・とか。それに・・余り女の子にちょっかいかけないしね。こっちから言わないと肩も揉んでくれないし。すごく優しいときもあれば、ムシンケーにずけずけ言いたいほうだい言うときもあるし・・よくわかんない。ホント、詳しいところは全然知らない。よく考えると。バイトも結構長いよね」
「うん・・3年位になるんじゃない」
「由佳さんが来たときもういたって言ってたし」
「その間、彼女がいるようなうわさも聞かないし」
「それに・・雨が降っても、いつもバイクだよね。車には乗らないのかしら」
「そういえばそうだよね・・」
「それに・・聞いた? こないだカレー作ってた春樹さんの歌?」
「ううん・・なにか・・歌ってたの?」
「うん・・くくく」
「えぇ~・・なになになに、なに歌ってたの?」
「うん・・このカレーは気になるカレー、だれも知らないスパイスですから、だれもしらないカレーになるでしょう・・って仕込ながら」
「知ってる知ってる、この樹何の樹のテーマに乗せた替え歌でしょ」
「そぉそぉ、この樹何の樹って、最後まで全部聞いたことある? 森になる日が未来~って。それも、一人コーラス入りで」
「このー樹何の木気になる木になるきぃ~って」
「えっ? 美里も聞いたの?」
「星が回れば宇宙~って二番だっけ?」
「そうそう、一番はね・・森になる日が未来~、その日を、その日を、みんなでまちましょう、このー樹の、このー樹の、下で待ちましょう。だよね、私も覚えちゃったよ」
「あたしがスタンバイしてる最中、一時間くらい延々と歌ってた・・」
「料理がおいしくなるとか何とかって、あの人、スープとかに歌聞かせながら作ってるみたい」
「あの人って、絶対、ヘンだよねぇ」
「そういえば去年、本みながら、もくもくと編み物してたし」
「してたしてた。かわいいセーター編んでた、誰にあげたんだろ? 誰かもらった?」
「ううん・・誰も・・」
「ケーキとかシュークリームとか最近作ってくれないよね」
「そういえば、こないだまで、よく作ってくれたのに」
「あっ・・そうだ・・美樹、明日も入ってるんでしょ、休憩時間また仕組んであげるから、追求しといてくれない」
「仕組む? 追求?」
「うん、質問、メモするから。えっとねぇ~」
それから、黙って見ていたけど・・美里さんの手帳の一枚に書き綴られはじめた質問は、顔が青くなってしまいそうな質問ばかりだ・・みんながきゃいきゃい言いながら提案する質問リスト。一文字一文字書き加えられるたびに・・ぞぉっとしてしまう。
「恋人はいるのか? いるとしたらどんな女性? 芸能人に例えると? 好きな女の子のタイプは? 年上、年下。女子高生は好きか? ロリコンか? マザコンか? ホモか? 女の子の胸と脚どっちが好きか? どこに住んでいるのか? 車は? 部屋の間取り。趣味は? 将来の夢? 携帯の番号、結婚はいつしたいか? 誰としたいか? 相手は今いるのか? 最近の興味。最近見た映画。好きな音楽。血液型。誕生日。好きなアイドル。子供は好きか? 男の子と女の子どっちがいいか? 好きな動物。アダルトビデオはよく見るか? 女の子を選ぶ基準は、脚、胸、ウエスト、お尻、足首、顔、性格、年齢。セックスの相性。セックスは前と後ろどっちが好きか?」
「上と、下も、書いといてよ」
「する方、される方も、どっちがいいか」
「上と下ぁ~・・する方、される方、やだ・・もう。書くけど。こんなものかなぁ? ほかにない?」
「そんなとこでしょ」
「ちゃんと聞いてよね」
「はい、美樹、頼んだよ。あした、絶対仕組んであげるから、聞いておいて」
「お話するきっかけにすればいいだけだから、そんなに深刻な顔せずに・・ねっ・・」
受け取った後、まじまじと見つめるメモ。それは・・ありきたりの質問じゃないと思う。ものすごく恥ずかしい文字がやたら強調されてる・・。だから。
「私が・・・聞くんですか?」
おそるおそる聞いたら。
「当たり前じゃん、春樹さんと話せそうな娘って美樹だけだし」
・・・恐怖に身がすくむ、あまりにもあっけない返事だった。
「仕事以外・・話しにくい雰囲気あるよね、あの人」
「なんか、春樹さんって存在が遠いっていうか、近づきにくいところあるし」
言えば気軽に肩揉んでくれるって言ってたくせに・・急に話が違ってるし。と思っていたら。
「そぉそぉ。住む世界が違う人って感じがする。でも・・春樹さんって美樹には異常なくらい優しいよね。どうしてだろ・・」
と、話の芯が私になり始めた・・・・。
「美樹のときは、いつもオーダーとか揃えてくれてるし」
「お料理取りに行くと必ずカウンターでなにか一言話してくれるでしょ」
「あたしたちがバイト始めたときでも、あんなに優しくしてくれなかったよねぇ」
「全然・・やっぱりそれって・・春樹さん・・美樹のこと」
「絶対そうだって、気があるんだよ」
「そういえば美樹ってチキンピラフしか食べないよね。それも春樹さんの作るやつしか。あれって春樹さんのオリジナルメニューでしょ・・おいしいけど・・よく飽きないねぇ美樹は。それとも、なにか・・別の理由があ・る・の・か・なぁ~」
ぎょっとしてしまった。そんなことまで・・みんな見てたんだ。ただ、おいしいから・・という言い訳を、その瞬間に用意したけど、それは余りにも説得力がなさすぎる気がする。
「本当に・・どうしてだろねぇ?」
と、みんなの、じとぉっとしたいやらしい目付きがものすごく恐い。
「二人の間に何があったの? なにかあったでしょ。痴漢に襲われたとき助けられたとか。以前どこかで逢ってたとか。最近、町でナンパされたとか。昔、出会い系で知り合ってたとか」
「実は生き別れた兄妹だったとか」
「それはないでしょぉ」
その質問、彼に、初めて逢った日の出来事を思いだしたけど・・それは、白状してしまうには恥ずかしすぎるし。そんなことを白状してしまったら、それは、私が春樹さんのこと好きだと認めてしまうようなものかもしれないし。じろぉっと、にやにやな目付きで、私を見つめるみんな。イヒヒヒヒ・・って笑ってる。きょろきょろ見つめると、「そんなにいじめないで・・くださいよ、私、ナニ悪いことしましたか?」そんな変な感情が湧き上がって・・なぜか顔が歪み始めた。
「あぁ~・・美樹・・やだ、なんで泣くのよ」
「・・ちょっと、美樹・・泣かないでよ、なんで泣いちゃうのよ・・」
「そんなつもりじゃないんだから、ごめんなさい。ただ、ちょっと興味があっただけだから。からかっただけだから。ごめんなさい、もう。これ以上突っ込まないから。泣かないで。泣かない、泣かない・・もぉぉ、泣くとこじゃないでしょ」
そんなことを言うから、もっと、目頭が熱くなってしまうし。
「あぁ~・・美里が泣かしちゃったぁ」
「違うわよぉ・・優子でしょ、あんなこと言うから、ホントにごめん。美樹、そんなんじゃないんだから、ホント泣かないで、からかっただけでしょ」
「美樹ぃ~、私たち応援してあげるから、絶対うまくいくって。美樹と春樹って名前も似てるし、絶対似合うよ。絶対うまくいくって。二人の間に生まれてくる赤ちゃんには、美春って名前もいいじゃん。春美でもいいし」
「樹を二つ並べて、樹々もかわいい、漢字だとよけいに」
「ほんとだ樹々って名前もかわいいかも・・男の子でも女の子でもいけるんじゃない、樹々って」
「美樹だって、赤ちゃんの作り方くらいは知ってるでしょ。ほしいでしょ。あたしたちが何とかしてあげるから。ねっ・・ねっ。思い切ってつくっちゃえば」
そんな、みんなの身勝手な提案。赤ちゃんの作り方も、ぎこちなく知ってたから、とりあえずうなずいたけど・・私・・どうして泣いてしまったんだろ。くすんとしながら不思議な涙の理由を考えてみた。そして、袖で涙を拭いて。もう一度そうなりたいと思う気持ちも感じるから、小さくうなずいた後、そぉっと顔をあげたら、みんなの目付きはとっくに変わってた。ワナ・・だったんだ。
「やっぱり・・うん、だって。春樹さんのこと好きなんだぁ・・彼の赤ちゃんほしいんでしょぉ・・らぶらぶぅ~。私たちが二人を結び付けてあげるからね」
「きつぅく、結んじゃうよ。なにがあっても絶対解けないように。うしししし」
「ねぇ~・・普通そんなこと言ったら、はずかしがるのに・・うん・・だって・・。美樹ぃ~・・ませてるぅ。でも・・赤ちゃんってどうすれば作れるのかなぁ?・・美樹は知ってるのぉ?」
「コーノトリさんが連れてきてくれるんだよねぇ・・それとも・・ちがうのかなぁ・・うしししし。みんな知らないよねぇ」
「知らなぁ~い」
「今度美樹に教えてもらおぅかなぁ」
みんな・・絶対イジワルだ。そんなこと私より詳しく知ってるはずなのに・・イヤラシイ視線でそんなこと・・・それに・・私が春樹さんのこと好きなのも、完ぺきにばれてしまった・・・涙も・・・止まった。もうどうにでもなれ、そんな気分があふれ始めて。泣いてしまったことがばからしく感じて。みんな・・まだ、いやらしい顔で私を見つめている・・ムカッとする気持ち。だから、知識を総動員したら、あの本に書いてたことが思い浮かんできて。赤ちゃんなんて・・。
「つけずにやればできるでしょ」
って言い放ったら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と7秒間の沈黙。の後。
最初に。「ぷっ」と笑い始めたのは美里さん。
「やだーっ・・・ぎゃはははははは」
「美樹・・・ダメよ、ダメ、だめだめだめだめ。そんなこと17歳の女の子が言い放っちゃダメ・・でも・・笑い死ぬぅ・・・」
「そりゃまぁ・・そうだけどさ・・美樹・・ぷぷぷ・・美樹・・・くっくっくっ・・・」
「でも・・美樹・・くっくっくっくっ・・・」
私、何か、勘違いしたかな・・という気持ちになった。そして、笑いが収まって。
「美樹・・そりゃ、つけずにやればできちゃうけどね・・いい・・くくく」
まだこらえられなさそうな美里さんは。
「もし、明日、春樹さんとそうなっちゃって、春樹さんが、つけずにやりたがったら、今からってときでも、蹴っ飛ばして捨ててしまうのよ」
え?・・どゆこと・・明日・・そうなっちゃうって・・・。なぜかリアルに想像してしまいそうだけど。
「どんなに好きだからって、勢いで作るものじゃないんだから、春樹さんが、そんなこともできない男だったら、やる前に蹴っ飛ばしなさい、わかった?」
わかったような・・わからないような・・。
「でも・・・伝説になりそうな暴言だったね・・」
そんなにリアルにイメージできることではないのだけど・・、わかりきっていない知識をさらけ出すとこうなるの見本だったかも・・と冷静になりながら実感している私。と、まだ笑っている美里さん。
「私・・変なこと・・言いましたか」
そう言うと。
「変じゃない、大丈夫、ごめんごめん・・変じゃない・・でも・・いい勉強になりました」
「くくくく・・・つけずにやれば・・・笑っちゃいけないことだけど・・・くくくくく」
なんていうから・・なんだか恥ずかしくなって。そんな、まだ笑ってるみんなの顔、夢にでてきそうな顔だった・・。
やっとのことで解放されたその日の夜中、部屋を見渡して・・・はぁぁぁっとため息がでた。いつもの部屋だから、そんなに違和感はないのだけど。突然の予想もしなかった未来の予感のせいかしら、いつもと全然違って見える。このぬいぐるみ・・・子供っぽ過ぎやしないだろうか・・・。カーテンの模様も・・・ミッキーマウスだし・・ベットのお布団は・・ドナルドだ・・。考え始めると・・子供のころからそうだった、ディズニーがあふれた私の部屋。今でも子供かもしれないけど。とめどない不安が背中にズシィーとのしかかった気がした。机の上・・勉強グッズより・・つまらない雑誌の束・・本棚には少女コミックがズラリ・・・。勉強に関連してる本なんて探し出すのにも苦労する。そして・・壁の学校の制服・・は、だらしなく斜めになってるし。スカートははしたなく床に脱ぎっぱなし・・片づけてない体操服とブルマー・・。取り込んだままのベットの上の子供っぽい下着とシャツ・・ここに・・本当に春樹さんが来てしまうだないて・・。想像しただけでわなわなな気持ちが押し寄せてくる。とりあえず片づけようと腕をまくったけど・・。何をどこにしまえばいいのか・・6帖の部屋・・タンスにベットに、一応・・勉強用の机。もう、収納スペースなんてどこにもない。ベットに座り込んで・・はっとひらめいた。そぉっとベットの下をのぞいた・・。かなりのスペースがそこにあった。だから、目につくものを片っ端から押し込んで・・たら。奥の方に・・本が一冊・・忘れていた・・あんな本を買っていたこと・・。ハウツーSEX・・。そういえば・・この本・・中身は・・。手を延ばして・・。その時。
「美樹・・何やってんの?」
ぎょっと、飛び跳ねてしまった。
「ガサゴソ変な音がするから、なにしてるの? 誰かお客さんでも来るの?」
・・振り向くと・・お母さん、いつのまに・・それに、誰かくるの? だなんて、いつもどうしてこんなに鋭いんだろう。嘘ついてもばればれな気がする。だから。
「・・うん・・」
と、うなずいたら。
「ホントに・・誰が来るの? だれ・・友達?」
と、大きな目で聞き返すお母さん。しかたないし、とにかく、正直に言えば、たぶん認めてくれそうな予感がするから。
「家庭教師さん・・・」
と、つぶやいたら、お母さんは数秒沈黙してから目を剥いだ。
「ちょっと・・やだ・・美樹・・家にはそんなものに払うお金なんてないんだから・・ちょっと、家庭教師だなんて、なによそれ今から断りなさい。だいたいあんたに何で家庭教師なんてものがいるのよ」
「・・・・うん」なによその反応・・・
と、しぶしぶうなずいてる時も。
「そんなものがいるくらいなら、バイトやめて自分で勉強すればいいでしょ。ったく。家庭教師だなんて。そんなのもに頼るくらいなら、アルバイト辞めなさいよ」
と・・ものすごい剣幕だ。だから、もう一度しかたなくうなずいて・・断ろうかな・・そんな気が一瞬。でも、断るだなんて・・それは絶対にしたくない・・。断った瞬間、あの人はもう二度と私に振り向いてくれなくなる気がしてしまうから。
「いい、美樹。絶対断るんだからね、そんなのが来たら追い返してやるんだから」
もっと恐いお母さんの顔。とりあえず、もう一度・・しかたなく・・うん・・と、うなずいた。そして、ドアを閉めて出ていった、壁の向こうのお母さんをぎっと睨んでやった。そぉっと音を立てないように、ベットの下にものを押し込みながら。でも・・本当に来てくれるのだろうか・・。同級生の女の子の友達ですら、この部屋には数える程しか来たことがないし・・ましてや・・年上の男の人・・それも・・私の・・好きな。もやもやと想像してしまう。ここに春樹さんが来てしまう。彼は若い大学生でオトコだ。私は、もっと若い高校生で女の子・・二人ともそれっぽい年頃で・・ベットもあるし、カーテンもあるし・・さっきは美里さん「もし、明日春樹さんとそうなっちゃったら・・・」と予言めいたことを言ってたな。そうなっちゃったら・・だから、ついつい例の本に手が延びてしまった。引っ張り出すと・・どきどきと、顔が火照ってしまう。ほこりを払って、ページをめくると、ものすごい内容・・な、気がする。裸の男女・・・が・・・赤ちゃんがどうすれば作れるかも・・詳しく書かれてる。できなくする方法も。なんだろ?・・このいぼいぼな風船みたいなのは?・・。ぱらぱらめくるページ。ねぇ~来て・・ゲットしたいなら、恥ずかしさを少しだけこらえてみよう。男を誘い、その気にさせるポーズ集・・だなんて・・。男がその気になるセーラー服・・だなんて・・おへそもこんなにはだけて、太股もこんなに全開で・・・恥ずかしくないのだろうか?
「ねぇ~・・来て・・好きにしていいんだよ。抱いて・・優しくしてね。お願い」
写真のポーズをまねして、朗読している私の声。ふと、気がついた・・。血の気が引くと、少しだけ冷静になれた。春樹さんは・・勉強を教えてくれる人なんだから・・。こんな本は・・だから・・とりあえず、教科書と参考書と・・・でも・・・・とりあえず、さっきのところにタグを付けとこう。もしも・・万が一・・春樹さんが・・こんなこと・・逆らうなんて私にはたぶんできないだろうから。そのときは・・恐くなったら目を閉じて・・か・・違う・・なに考えてるのよ・・ったく・・・でも・・もしも・・万が一・・。オトコをその気にさせる、いやがり方? 手足をジタバタさせては駄目・・背中と肩でいやがるのか・・くねくね・・こんな感じなのかな? どうしても駄目なときのセリフ?
「私・・今日生理だから・・か」
・・違うよ・・ったく。なに考えてんのよ・・でも・・始めての痛みは我慢して・・それは女の子の宿命? ・・・痛いのかなぁ・・・わなわなわなわな。でも・初めての人が春樹さん・・なら・・私は・・・たぶん・・大歓迎だと思う・・・かもしれない・・ような・・・気が・・すこし・・いや・・相当・・する・・呼吸が乱れ始めた・・駄目だ駄目だ・・そんなことを考える女の子はふしだらだ・・でも・・もし・・万が一・・春樹さんが・・私を・・その気になってしまったら・・やっぱり、あゆみが言ってたような言葉・・それは、予告無しで突然訪れる逆らうことのできない運命・・。後悔しない受け入れ方? 濡れないときのローション? 濡れないって・・いったい何なんだろう・・コンドームは・・知ってるけど・・教科書に書いてたものとは形が違う・・。ぎょっ・・本当に何を期待してんだろ・・でも・・春樹さん・・優しくしてくれるだろうか・・オトコの優しさを引き出す悶え方・・目を閉じて、少しの力で体を閉じてみる・・かぁ・・わなわな・・でも。「明日、春樹さんとそうなっちゃったら・・」と美里さんの声が頭の中でこだましている・・わなわな・・本当にそうなっちゃったらどうしよう・・「春樹さんがつけずにやりたがったら蹴っ飛ばせって・・」蹴っ飛ばすなんて、できるわけないし。でも。想像が想像を呼んで・・エンドレスで無限ループな夜になってしまったようだ。
夜中の妄想なんかすっかり忘れていた日曜の朝。バイトに出勤すると、春樹さんはもう来ていた。いつも通りに自転車を止めるとむふふっ・・な気分。私の自転車と春樹さんのオートバイ。いつも通りに仲がいい。悦な気分のまま重い扉をあけて挨拶しながら奥へと進んだ。
キッチンを覗いたら、いつも通り、知らん顔したまま、フライパンをふるってる春樹さんがいた。
「おはようございます」
と、いつも通り小さな声で言ってみる。でも・・スパイスを振る方が大事だったみたい。料理をお皿に盛って、できばえをチェックしてる春樹さん。カウンターにお皿を上げて。オーダーシートの番号をピンポーンとしてから。
「よっ、美樹ちゃんおはよっ」
と、ようやく、きらきらしてる笑顔で言ってくれた春樹さんと、いつもの朝の挨拶。タイミングが少しずれたけど・・すっごくうれしい。だから。もう一度。
「おはようございます」
と、挨拶してあげる。
「うん・・おはよ・・今日もかわいいね」
でしょ、って思うと、もじもじな気分がすっごくくすぐったい、むちゃくちゃ気持ちいい。すごく接近できはじめた感じがするわくわくな雰囲気。これってカイカン・・だなぁ。でも・・何回くらい「おはよ・・」と言っただろうか。
「4番でぇす! おはようございまぁ~す」
ぎょっ!! あわてて逃げ出した。ちらっと見ると、オーダーチェックしてる由佳さんが、横目でくすくす笑っていた。
でも、そんな私の仕草。春樹さん以外の人はみんな知ってるみたいなのに・・なぜか、本人だけは気づくそぶりを見せてくれない。遠くからじぃーっと見つめてるのに、今日は私の視線には全然気づいてくれない。それがわざとらしければ私は救われると思うのに。全然自然体だから。ものすごく不安になってしまう。昨日は家庭教師に来てくれると言っていた。本当に来てくれるのだろうか。思い出すと・・ごく当たり前のような仕草だったと思う。ごく当たり前・・。どうしてだろ・・。
「ところで美樹、昨日のメモ、持ってる? なにか聞いてくれた?」
と、美里さんが訊ねたとき、また春樹さんを見つめていたようだ。
「おい・・美樹」
「いてっ・・・」
と、頭をこつんとされるまで気づかなかった。
「・えっ?・・なんですか?」
「昨日の質問、なにか一つくらい聞いたの?」
「ううん・・・」
と首を振ると、美里さんは、はぁーっとため息。
「じれったいねぇ・・ったく。思い切って告白しちゃえば。春樹好きだ愛してる今すぐ結婚してくれ、って、一応、みんな公認してくれてるんだし」
「そ・そ・そんな・・公認だなんて・・」
じっと私を睨む美里さん。その目付きにおろおろしてると、ちらちらと春樹さんを見つめてしまう勇気がどこからもとなく・・私をうなずかせ・・奮い立たせて・・足が、勝手に春樹さんへと向かいはじめて。好きだ、愛してる、結婚してくれ、とこだましている頭の中。好きだ愛してる結婚してくれ、とつぶやき始めた私。その時。
「おい、美里、美樹。喋ってないで、8番のテーブル片づけろ。今から忙しくなるんだから」
その店長の恐い声が、はっと気づかせてくれた、気づいてから・・今、なにかしようとしてた事、ぎょっとしてしまう。危ない一歩を踏み止めた。そ知らぬ顔の美里さんはテーブルを拭いている。本当に告白しようとし始めた、ほかの皆もこんな私には、気づいてないみたいだから、とりあえずほっと胸をなで下ろしてしまった。
忙しいランチタイム、今日もすんなり乗り切れた。そして、お客さんが退き始めて、残りはさっきお料理運んだあの家族連れだけか・・・ちらっと目があって、私にほほえんでくれるお客さん。とりあえず会釈して愛想笑い。すぐ、ため息ついて、疲れた脚をもみもみしてると。・・・・美里さん、奈菜江さん、優子さん、由佳さん・・何も言わずに知らん顔で休憩しはじめる。そのたびに、どきどきと変な期待が大きくなってる。昨日、みんなは言った。
「休憩、仕組んであげるから」
と。本当に・・仕組む気なんだろうか、確かに、春樹さんもなかなか休憩しようとしない。どきどきな気持ちでテーブルを拭いていた。そのとき、ぎょっとしたもの・・。となりのテーブルには、あの、パルメザンチーズがなぜか5つもある・・ものすごく不自然な配列。テーブルの四隅と真ん中・・だなんて・・ものすごくわざとらしいような・・気がしたけど・・。誰もいないし・・だから・・私が・・片づけなきゃならないけど・・これをしまう場所は・・キッチンのカウンターの下。そこは・・春樹さんから1メートルも離れてない・・場所だ・・・。そぉっと手にして、キッチンを振り返ると。
「なにしてんだ美樹。そんなもの早く片づけろよ」
と、びくぅっとさせられる、店長の恐い声。急に足がかたかたかたかたし始めてしまう。もう一度そぉっとキッチンを振り返ると、春樹さん、チーフとなにか冗談を言い合ってるみたいな笑顔。ごくっとしてしまった。テーブルを片づけている店長の横顔は恐そうだし・・ここにチーズを置いたままにはできないし・・。だから、こんなものだけど・・大事そうに胸に抱いて・・うつむいたまま。忍び足で・・・。でも・・なんで私こんなにおどおどしなきゃならないんだろ・・。そのことに気づいて、歩幅を大きくしてみた。そうだよ・・別に、春樹さんのそばに行ったからって・・近くに来たからって、なにか親密な事を話するわけじゃないんだし。愛を告白するわけでもないんだし・・いきなり・・抱きつかれるわけでもない。また・・おしゃべりできるかもしれないし・・なんだか・・馬鹿みたい。ふぅと深呼吸して、気持ちを落ちつけて。空虚な気持ちでチーズを仲間達の元へ帰してあげた。その瞬間。
「美樹っ!」ってチーフが呼んだ。
「ひゃっ・・ひゃい!!」
また、心臓が喉から飛び出たかと思うほどびっくりしてしまった。チーフが繰り返す・・。
「ひゃい?」
顔がぶるぶる震えた・・それ以上に今の私の裏返った声。むちゃくちゃ恥ずかしい。そぉっと顔をあげたらチーフが・・はぁ?・・としていた。春樹さんも見つめている。もっと恥ずかしい気持ちが、また、意識をもうろうとさせた。
「そこのコーヒーフレッシュ取ってくれねぇか」
と、チーフが言った。あわててうなずいた私は、目に付いたコーヒーフレッシュの業務用1リットルパックを乱暴にカウンターに置いて。
「どっ・・どうぞ」
と、言って。逃げ出したい気分がいっぱい。あわてて、春樹さんの視界から遠ざかろうとしたのに。
「美樹ぃ~」
と、チーフの低い声。ぎょっとキオツケの態勢で止まってしまう私。
「こんなにたくさんいらないよ、そこの小さなボトルを取って。コーヒーに入れたいの」
「はっ・・はい」
回れ右をしてから、ぎくしゃく歩いて、パックを受け取って、氷に囲まれてる、小さなボトルを一つ取って。そおっと渡してあげた。そのとき、今日仕事をはじめてから、はじめて・・ようやく春樹さんと目があった。にこっとしてる春樹さん。いつもと同じな、ものすごくさわやかな笑顔。つい・・つられて、私もほほえんだけど・・歯がかたかた音をたてている。
「じゃぁな、ごゆっくり」
と、言うチーフ。その視線?・・ごゆっくり? 今・・私に言った・・の? えっ? と思って、回りを見渡したら・・・だれもいない・・・。静かなBGMが流れていることに気が付いて、さぁぁっと血の気がひいてしまった。本当に・・仕組まれてしまった・・予想だにしなかった。こんな演出。そおっと店を振り返ると、遠くでテーブルを拭いている、独りぼっちの店長までもが横目でにやにやしていた。それに・・さっきの家族連れのお客さんまでもが私を見て・・にやにや・・してる気がする・・。そのお客さんが店長に声をかけて。店長とお話しして、私を指さしてる気もするけど、店長の横目な視線が私から反れた瞬間。そぉっと春樹さんを見上げると。
「わざとらしいな・・。それっぽい雰囲気の二人を、こうして、からかうのは、ここの恒例行事なんだ」
と、まじめな顔で言った。その声はものすごく落ちついていた。なんとなく意味も理解できた。
「そ・・そうなんですか・・それっぽい二人って」・・私と春樹さんのことですか?
と、最後まで言えない返事をした。きょろきょろすると、あっちこっちの角から、みんなの耳や片方の目だけがちらちら見えた。おろおろしてしまう。本当に・・仕組まれたんだ。私を見つめている春樹さん。にこっと笑ってる。なにか・・なにか話しなきゃいけないと思うけど。私から話始めれば、絶対告白になってしまいそうだし。それは、したいけど、したくないというかできそうにない。昨日メモした質問リストは家に忘れてきた・・でも・・あんな質問なんて、恥ずかしすぎて、どうしてもできそうにないし。今、この瞬間も気絶してしまいそうだし。うつむいて、ど・・どうしよう・・と、考え込んで、もう一度、そぉっと春樹さんを見上げてみた。くすっと笑顔を傾けた春樹さんは。いつもと変わらない、落ちついた声で言った。
「俺も、美樹ちゃんのこと、好き・・・・・だ・・よ」
当たり前のことを言ったような、緊張のかけらも感じない、アクセントのない言い方。それなのに、頭の中、ストレートに飛び込んできた春樹さんのセリフ。
「好き・・だ」
と、もう一度ゆっくり言った。頭の中、お寺の釣り鐘がこ゜ぉぉ~んと響いてるかのように・・好きだ・・好きだ・・・、好きだ・・・・と、響いている。男の人に「好きだ」なんて言われたのは生まれて初めてだし。それも、年上の、こんなに好きな男の人に「好きだ」なんて。突然時間が止まったような錯覚。心臓の音がトクントクンと弾んでる。魂が体から抜け出したような、ふわふわしてる足もと。返事をしようとしたけど・・少し離れたところから、がたたっ・・いててっ・・なにすんのよ・・パチン・・いてっ・・やべっ・・こそこそこそこそ。そんな音が聞こえたから。そっと視線を反らせる返事だけで答えてみた。そらせた視線をゆっくり戻しながら、そのまま上目遣いで見上げると、春樹さんははにかんだまま、うなずいていた。そして。
「それより、期末テストは、いつからなんだ。明日から休むんだろ。昨日、電話しようとして、番号・・まだ聞いてない事に気づいて。後でいいから、教えてくれる?」
「・・・うん」
「俺が行く事、両親には、ちゃんと言ったのか?」
「・・・う・・うん」
「本当か?」
「・・う・・うん・・」
「じゃっ・・そう言うことで」
ど、どうしよ・・昨日、お母さんは、断れって、追い返してやるって、あんなに凄い剣幕で言ったのに・・春樹さんに嘘ついちゃった。でも・・まあいいや・・今日帰ってから言おう。そうしよう。でも、私の曖昧な返事。嘘ついてる事見透かしたように、くすっと笑う春樹さん・・また、うつむいてしまう・・お母さんになんて言おうか・・そう考えようとしたけど・・。そぉっと顔をあげたら。ぱちっとウィンクした春樹さん。どきっと跳ねた心臓。・・もう一度、さっきのセリフが頭の中でこだました。・・・俺も・・美樹ちゃんの事・・好きだよ・・って。そういえば、春樹さん・・好きだって言ってくれた。私のこと好きだって。頭の中で何度もこだましてる。好きだって。私のこと、好きだって・・言ってくれた。見つめあってしまった・・。春樹さん、今ごろになってようやく、恥ずかしそうにはにかむから。見つめたままくすくすしてしまう。そして、勇気を振り絞って・・私も・・と、言おうとしたのに、みんなが、ものすごくわざとらしく、にやにやと。
「はぁ~食った食った」
なんて言いながら、ぞろぞろとでてきたから。少しだけ残念で、かなり、ほっとしてしまった。でも、本当に、ものすごくわざとらしい、みんなの視線の反らせ方・・登場の仕方。でも・・今、この瞬間。ジィィンと感激した事。私をずっとからかってたみんながこんなに優しいだなんて・・生まれて始めての経験。それに・・店長も・・本当はこんなに優しい人だったんだな。それに、由佳さんの声。
「さっ、美樹も食べておいでよ」
そして、耳元に「よかったね・・好きなんだって・・おめでと」と祝福の言葉をささやいてくれて。
「うん・・」と返事した私。
そして、笑顔で私を見つめたままのチーフの声。
「春樹、飯食ってこいよ」
本当に・・私はこんなに素敵なみんなと仕事してるんだなと思う。でも、そんな余韻に浸っていたのに、春樹さん、チーフの声に、うなずくだけの返事をした瞬間の横顔。直感したテレパシー・・好きだけど・・だけど? と、言う一言が何も聞こえていないのに心にこだました。春樹さんの横顔の影に気づいた瞬間、心の奥にカツンと何かが引っかかった気がした。
「美樹ちゃん、いつもの?」
と、私の顔も見ずに言った時も、だけど・・と感じる、淋しそうな影が見えた。そして、ぎこちなく「うん」と私が返事した時は、しっかりと私を見つめていた春樹さん。私が春樹さんの影に気づいてしまった事に、春樹さんも気づいたこと、春樹さんは小さな返事で私に教えてくれた。・・だけど・・と、頭の中で、まだ、こだましている直感。やっぱり・・彼女とか、恋人がいるのだろうか・・。聞き出せる勇気なんて全然ないし。
「ねっ・・ねっ・・あのチーズ、最高だったでしょ」
と、奈菜江さんの声が突然聞こえ始めた。
「また、使おうね」
と、美里さんの声も。
「じゃぁ、功労賞は奈菜江か?」
は、店長。
「俺のセリフもわざとらしくなかったろ」
と、もう一度店長。
やっぱり、あの不自然なチーズ・・そう思って、振り向いた。予想通り、にやにやしてるみんな。もぉう、な、気がしたけど、手を振りあげる余裕は全然ない。今の春樹さんの淋しそうな横顔・・まだ・・だけど・・を感じてる。なんだろ・・。頭の中でぐるぐるしてる。でも。
「はいよっ、おまっち。美樹ちゃん、水、頼むね」
いつも、あっと言う間にできあがるチキンピラフ。その声に振り向いたときはもう、春樹さん。いつもの顔に戻っていた。
「美樹、例の事よろしくね」
「がんばるんだぞ」
「つけずにやれば、なんて言い放っちゃだめだからね」
「ちゃんと、つけてからするのよ」
「くくくく・・・それはもうやめましょ」
「ひゅーひゅー」
みんなの声はほとんど聞こえなかった。
冷静に思うこと。今、さっきの瞬間、私と春樹さんは、彼と彼女という関係になってしまったのだろうか? 好きだって言ってくれた、私はうんってうなずいて、たったそれだけで、彼と彼女という関係になるのだろうか、それをどうすれば確かめられるの?・・どきどきしてる心臓・・そして、わなわなしてる足元・・そして、わくわくしてる想像・・。心の中で、フクザツな想いが揺れている。休憩室に行くのが怖い・・と、思っている私と、早く行きなさいよと言っている私が心の中で戦っているような気がする。ドアに手をかけて、はぁぁとため息。いよいよ・・私は・・身も心もあの人の・・なんて想像・・をぶるぶると振り払って・・期待してる。でも・・。ドアを開けると、いつも通りの笑顔の春樹さんがいて。その顔を見たせいか、私はそぉっと椅子を出しながら、さっき、なにか不安なことを悩んでいたような気がするけど、なんだったか思い出せないし。だから。
「いただきます・・」
と、言ってみる。もぐもぐと食べ始めると。
「おいしい?」
と、聞いてくれる。うん・・とうなずいて。そうだ・・と、思いだしたこと。黙ったまま、携帯電話の番号と家の地図を簡単に書いて渡すと、電話をかけなおしてくれた春樹さん。私の携帯電話に表示される番号はストレートに頭の中にも記憶されて、二人っきりの休憩室で地図を眺めあう。ふううん・・と眺めてる春樹さん。
「近くなんだね」
と、言う。
「う・・うん」
と、返事する私。
「いつから行こうか?」
「えっ?・・・」
「家庭教師・・明日から、本格的に勉強する? その様子だと、バイト始めてから、おろそかになってんでしょ」
「・・う・・うん・・」
「苦手な科目は?」
「・・う・・うん・・数学とか・・物理とか・・化学とか・・歴史も・・国語も・・英語も・・」
・・・気がついたときは、すでに遅かったようだ・・・。リストを並べるごとにうつむく角度が増えていた。
「全部ってこと?」
と、鼻で笑う春樹さん。まさにセキメンの告白だった。でも・・そぉっと顔をあげると、さっき悩んでいたことを思いだした。まだ、影がつきまとってる。でも・・影の理由・・聞く事なんて恐すぎるし。顔を見つめるだけで、変な意識があふれてくるし。それに・・さっき、春樹さん、私の事好きだって・・言ったよね・・。絶対「俺も、好きだよ」って言った。俺も? も? って言う事は、もう一人いる事だし。それって・・やっぱり。私の気持ちを・・。「美樹ちゃん」
って私を呼ぶ春樹さん。そういえば、今日は難しそうな中国語の本。そこにあるけど読もうとしない。
「美樹」
と、もう一度私を呼ぶ春樹さん。そういえば、私の事好きだって言ったくせに、いつもと同じ顔してる。
「美樹、美樹、みぃーきっ」
と、なんども私を呼ぶ春樹さん。そういえば、私はこんなにどきどきなのに、どうして、春樹さんは、いつもと変わらない顔なんだろうか。それも、どことない影をしのばせた顔だ。その影の理由を探そうとまじまじと見つめてしまう春樹さんの顔。お髭が2本少しだけ長い。でも、影の理由なんて全然想像できない。彼女がいる・・。いや・・いるわけない。いたら、私のこと好きだなんて言うはずないし。フタマタ・・・?
「美樹!!」
「はっ・・はい」
ものすごいまばたきをしてしまった。
「どうしたの? 今の幽体離脱でしょ・・大丈夫? 食べないの? おなかすいてないの?」
ぎょっ・・また・・私・・どうかしてたみたいだ。むちゃくちゃ恥ずかしい。あわててかき込むチキンピラフ。恥ずかしくって噛むのと飲み込むのと、順番を間違えた、喉につかえた。げほげほ、したら、春樹さんの顔にご飯粒が飛び散った。
「ち・・ちょっと、美樹・・なにすんだよ? もぉ」
と、のけぞって、顔のご飯粒を摘む春樹さん、少しだけ考えてから、それを口にほりこむ春樹さん。その仕草がものすごく親密すぎる気がした。それに・・さっきから・・私の名前にはちゃんが付いていない。気がする。
「ったく・・まだ、飯粒、付いてるか?」
その言葉にうなずいて、見つけたほっぺの一粒。そっと摘んで、お母さんがそうするかのように口に入れて噛みしめる・・・。くすくす笑う春樹さん。その笑顔は私の悩みごとをなにもかも吹き飛ばしてくれた。私たち・・本当に、恋人どうしになってしまったのだろうか・・。なってしまったんだ。それは、今噛みしめてるたった一粒のご飯粒だけで、十分実感できる。本当にこの人が私の彼氏? 私の恋人? なんだ。でも・・・。
「両親には、まだ言ってないんだろ。美樹ちゃんって嘘付くと、すぐばれる顔してるから。ちゃんと言っておくんだぞ。美樹ちゃんってかわいいから、いきなり俺みたいな男が部屋にやってきたら、警察ザタになってしまうかもしれないし」
と、言う春樹さん。・・・やっぱり、恋人どうしにはまだなってないみたい。私の名前にまた、ちゃんがついた。でも・・ちゃんが付かない私の名前は、なんだか変な名前だと思う。美樹、と呼ばれると、どきっと言葉に詰まってしまう。ちゃん、と呼ばれると、でれでれしてしまうのに。
「じゃっ、明日、何時に行けばいい?」
「えっ・・うん」
「学校は何時に終わるんだ?」
「えっ・・うん。5時頃」
「じゃっ・・その・・5時半頃に行こうか。夜遅いと、いろいろプライベートな事もあるし」
「・・プライベート?・・」
「うん、お風呂にも入るし。パジャマにも着替えるし。ぬいぐるみを抱いて、かわいい寝顔で眠るんでしょ・・。美樹ちゃんも。・・その時間までいてもいいのか? 俺は別にかまわないけど」
と、いたずらな笑みを浮かばせて言う春樹さん。・・なんでそんな事知っているんだろ・・一瞬そう思ったけど。
「かわいい女の子は、たいていそうなんだろ」
と、うれしくなる言い訳をしてくれたから、とりあえず、ほっとした。うなずいて・・感じたこと。春樹さんのいたずらな笑顔。
「お風呂にも、入るし、パジャマにも・・」
絶対、春樹さんは今、私がお風呂に入ってる姿を想像してる。私のパジャマ姿と寝顔を想像してる。絶対そうだと思う笑顔だ。恥ずかしいけど・・うれしい。もっと想像していいよ・・私のこと・・そんなことを考えてる。でも、そんな、訳のわからない事を考えてると。
「・・なに考えてんだよ」
と、ほっぺをつついた春樹さん。テレパシーが通じた気がして、顔にまた火がついた。
「でも・・どんな寝顔で眠るのでしょうね、美樹ちゃんは。かわいいだろうなぁ」
私の向こうを眺めてる、とろんとした目。そんなことを言う春樹さん。その声も表情も、ものすごく優しい気がした。暖かい雰囲気が全身を包んでくれる。心の底からほぉっと長いため息が出た。くすっと、同時に笑いあってくれた春樹さん。そのとき、少しだけ恥ずかしくなって、うつむいた。ときどきちらちらと視線をあげて、でも、恥ずかしいからまたうつむいて。春樹さんには気づかれないように深呼吸。心が妙に落ちついてることにも気づいた。休憩時間が終わるまで、残り一口のチキンピラフとにらめっこしてた。頭の中真っ白になっている。何も考えられない。何も思わない。ただ、春樹さんがそこにいるからだと思う。こんなに心が満たされているようなリラックスな気分は生まれて初めて。ふと、小さな物音に気がつくと、春樹さんはため息混じりにページをめくっていた、気がついた音はページをめくる音だったみたい。春樹さんは、難しそうな中国語だと思う題名の本を険しい顔で読んでいた。見入ってしまう、その険しい表情。一人でうっとり、私も好きよ・・春樹。なんて心の中でつぶやく小さな声を、彼にテレパシーで送ってる私。恥ずかしくて、くすくすしてしまった。そのとき、また聞こえた物音。
「ひそひそひそひそ」
「・・なにしてるか・・わかる」
「・・全然、何も話してないみたい」
「・・一体なにしてんのよ」
「・・さぁ・・」
「おい・・いつまで休憩してんだよ美樹。お前らもなにしてんだ、表、一人もいないじゃないか」
「ちょっと・・やだ・・シィィィー・・店長・・声が大きい」
「ちょっともくそもないよ。美樹~。入っていいかぁ~」
と、休憩室のドア。店長が勢いよくあけたら、全員がゴキブリみたいに音もたてずに逃げて行くのが見えた。うつむいて、くすくす笑ってしまった。本を閉じた春樹さん。ふぅっとため息ついて、背伸びして、あくびして、あくび涙を拭いて、立ち上がった。更衣室に本を戻しに行った。そんな春樹さんを見送った後、そのまま、そぉっと振り向いたら、初めて見た、店長の笑顔で怒っていない本当に優しそうな顔。そして、向こうの角に隠れてる、みんなの鈴なりの半分顔。
「もう、いいだろ。さぁ、仕事仕事。本当は、こんなところでいちゃいちゃされると困るんだ。ここは仕事場」
うなずくのが精いっぱいだった。最後の一口をもぐもぐ食べた。冷たくさめていた。でも、その冷たさが、火照ってるほっぺを冷やしてくれる。そして・・更衣室から出てきた春樹さん。私はそっと視線を向けたのに・・私には、目もくれずに出て行った。私を不安にさせる影、まだ、しのばせたままだ。一瞬・・春樹さん、本当は照れているのかな・・そんな気がしたけど。全然そうじゃない気もする。その胸騒ぎは、また、私をうつむかせてしまったようだ。
「ったく、どうしたの? 今日の美樹ってすっごく危なっかしかったよ」
「ホント・・なんか、お客さんの前で上の空って感じ、みててハラハラした」
と、言われたとき・・。でも・・。
「でもさぁ・・うふふっ。どぉ、美樹。今日、春樹さんとなにか話せたの? 肩揉んでもらったぁ・・気持ちよかったでしょ」
と、言う質問には、正直に。
「ううん・・あの人・・本に夢中だったから・・・」
と、うつむいたまま返事したけど。それ以上なことは黙っていた。言う勇気なんてなかったし。
「本・・? またぁ~? ったく、ワセダってのはそこまで勉強しなきゃならないのかねぇ?」
「あの人暇さえあれば本読んでない?」
「読んでる、読んでる」
「本読んでない春樹さんって想像つかないよ」
「本読んでる時って、あの人、顔に落書きされても気が付かないんじゃない?」
「あの人、本が好きなのよ。セックスの最中も難しい本読むんじゃない? 難しい題名の本読みながら。これ読んでるから勝手にやってよ、じっとしといてあげるから・・好きにしてぇ・・って感じで。なんかそんなイメージ想像できる、あの人って」
「でも、そんなのも、いいと思うけどなぁ・・なにもしない男の子に乗って好きなように・・」
「それって、マグロ男・・」
「もう・・ロデオじゃないんだから・・」
「ぷぷっ・・やだぁ。でも・・なにかに夢中になってる男の人っていいと思うけどなぁ。あの真剣な眼差しって、あの真剣な眼差しで見つめられるだけでぞくぞくぅって、脇をくすぐられてるみたいな」
「するする。美樹ぃ~・・その若さを武器にして甘酸っぱく迫ってみなさいよ。難しそうな本と同じくらい美樹に夢中になってくれるかもよ。私を研究してぇ~って言えば」
「あぁ~。それっていいかもしれない。あの人頼めば何でも引き受けてくれるしね」
「もっとぉって言えば・・体のすみずみまでしつこく、ネチネチ、タンキューしてくれたりして。美樹はここが一番ビンカンだね、こちょこちょ・・あぁ~ん・・なんて。肩揉みあんなにうまいから・・全身マッサージなんて、気持ちいいかもよぉ」
「きゃはははは、やぁねぇもぉ、どんな話してるのよ・・」
アイスクリームをつつきながら、私の下心をくすぐる、年上のお姉さま達。そんなお姉さまたちの会話には、知識として少しだけ知っているけど・・どんな返事していいかわからない言葉がぽんぽんとでてくるから・・私は恥ずかしくなって、一人うつむくだけになってしまう。みんなのせりふをひとつひとつ想像するだけで・・・その。
「やっだぁ・・美樹、うつむいちゃって、ぶりっ子ねぇ、今どきこんなに純情なんだねぇ。本当に春樹さんのこと好きなんだ」
「ち・・違います」
「じゃぁどうして、リンゴみたいになってるの、ぷぷぷぷ。かぁ~わいいぃぃ。えっちな想像してるんだぁ」
と、ほっぺをつつくから、もっとほっぺがじんじんしてしまうし。想像してることがもっとリアルな映像になるし。頭の中、春樹さんにくすぐられて、あぁん・・な声も響いてるし。
「美樹って、本当に、本当に、春樹さんのこと好きなのぉ?」
そのみんなお揃いの一言の後、興味津々な視線がものすごく痛い。ふるふると首を振っても、その力の無さは、まるでうなずいてるみたいだし。でも・・うん・・とうなずくなんて絶対できるわけないし。
「素直じゃないね。うんっていいなさいよ、別にいいと思うよ春樹さん。謎が多いヘンな人だけど。この中には彼をねらってる女はいないし。あの人よく見れば、結構魅力あるし。私は応援したいけど」
そう言ってくれる奈菜江さん・・でも・・謎・・が多いって。ヘン・・って。だから、聞いてしまう。
「ナゾ?・・ヘン?」
「うん。休日しかこないし、ワセダのロケット博士・・なのと、みゃぁの恋人なのと、肩揉むのがうまいのと・・あと、チーフの親戚ってのは知ってるけど。他のことは謎だな。まあ、謎って言っても、悪い方じゃなくて、いい方の謎が多い。休みの日は必ずきてるから、休み無しで働いてるのかなぁ・・ふだんなにしてるのだろう・・お金かかるのかなぁワセダって・・とか。料理がすごく上手だから、料理が趣味なのかなぁ・・とか。それに・・余り女の子にちょっかいかけないしね。こっちから言わないと肩も揉んでくれないし。すごく優しいときもあれば、ムシンケーにずけずけ言いたいほうだい言うときもあるし・・よくわかんない。ホント、詳しいところは全然知らない。よく考えると。バイトも結構長いよね」
「うん・・3年位になるんじゃない」
「由佳さんが来たときもういたって言ってたし」
「その間、彼女がいるようなうわさも聞かないし」
「それに・・雨が降っても、いつもバイクだよね。車には乗らないのかしら」
「そういえばそうだよね・・」
「それに・・聞いた? こないだカレー作ってた春樹さんの歌?」
「ううん・・なにか・・歌ってたの?」
「うん・・くくく」
「えぇ~・・なになになに、なに歌ってたの?」
「うん・・このカレーは気になるカレー、だれも知らないスパイスですから、だれもしらないカレーになるでしょう・・って仕込ながら」
「知ってる知ってる、この樹何の樹のテーマに乗せた替え歌でしょ」
「そぉそぉ、この樹何の樹って、最後まで全部聞いたことある? 森になる日が未来~って。それも、一人コーラス入りで」
「このー樹何の木気になる木になるきぃ~って」
「えっ? 美里も聞いたの?」
「星が回れば宇宙~って二番だっけ?」
「そうそう、一番はね・・森になる日が未来~、その日を、その日を、みんなでまちましょう、このー樹の、このー樹の、下で待ちましょう。だよね、私も覚えちゃったよ」
「あたしがスタンバイしてる最中、一時間くらい延々と歌ってた・・」
「料理がおいしくなるとか何とかって、あの人、スープとかに歌聞かせながら作ってるみたい」
「あの人って、絶対、ヘンだよねぇ」
「そういえば去年、本みながら、もくもくと編み物してたし」
「してたしてた。かわいいセーター編んでた、誰にあげたんだろ? 誰かもらった?」
「ううん・・誰も・・」
「ケーキとかシュークリームとか最近作ってくれないよね」
「そういえば、こないだまで、よく作ってくれたのに」
「あっ・・そうだ・・美樹、明日も入ってるんでしょ、休憩時間また仕組んであげるから、追求しといてくれない」
「仕組む? 追求?」
「うん、質問、メモするから。えっとねぇ~」
それから、黙って見ていたけど・・美里さんの手帳の一枚に書き綴られはじめた質問は、顔が青くなってしまいそうな質問ばかりだ・・みんながきゃいきゃい言いながら提案する質問リスト。一文字一文字書き加えられるたびに・・ぞぉっとしてしまう。
「恋人はいるのか? いるとしたらどんな女性? 芸能人に例えると? 好きな女の子のタイプは? 年上、年下。女子高生は好きか? ロリコンか? マザコンか? ホモか? 女の子の胸と脚どっちが好きか? どこに住んでいるのか? 車は? 部屋の間取り。趣味は? 将来の夢? 携帯の番号、結婚はいつしたいか? 誰としたいか? 相手は今いるのか? 最近の興味。最近見た映画。好きな音楽。血液型。誕生日。好きなアイドル。子供は好きか? 男の子と女の子どっちがいいか? 好きな動物。アダルトビデオはよく見るか? 女の子を選ぶ基準は、脚、胸、ウエスト、お尻、足首、顔、性格、年齢。セックスの相性。セックスは前と後ろどっちが好きか?」
「上と、下も、書いといてよ」
「する方、される方も、どっちがいいか」
「上と下ぁ~・・する方、される方、やだ・・もう。書くけど。こんなものかなぁ? ほかにない?」
「そんなとこでしょ」
「ちゃんと聞いてよね」
「はい、美樹、頼んだよ。あした、絶対仕組んであげるから、聞いておいて」
「お話するきっかけにすればいいだけだから、そんなに深刻な顔せずに・・ねっ・・」
受け取った後、まじまじと見つめるメモ。それは・・ありきたりの質問じゃないと思う。ものすごく恥ずかしい文字がやたら強調されてる・・。だから。
「私が・・・聞くんですか?」
おそるおそる聞いたら。
「当たり前じゃん、春樹さんと話せそうな娘って美樹だけだし」
・・・恐怖に身がすくむ、あまりにもあっけない返事だった。
「仕事以外・・話しにくい雰囲気あるよね、あの人」
「なんか、春樹さんって存在が遠いっていうか、近づきにくいところあるし」
言えば気軽に肩揉んでくれるって言ってたくせに・・急に話が違ってるし。と思っていたら。
「そぉそぉ。住む世界が違う人って感じがする。でも・・春樹さんって美樹には異常なくらい優しいよね。どうしてだろ・・」
と、話の芯が私になり始めた・・・・。
「美樹のときは、いつもオーダーとか揃えてくれてるし」
「お料理取りに行くと必ずカウンターでなにか一言話してくれるでしょ」
「あたしたちがバイト始めたときでも、あんなに優しくしてくれなかったよねぇ」
「全然・・やっぱりそれって・・春樹さん・・美樹のこと」
「絶対そうだって、気があるんだよ」
「そういえば美樹ってチキンピラフしか食べないよね。それも春樹さんの作るやつしか。あれって春樹さんのオリジナルメニューでしょ・・おいしいけど・・よく飽きないねぇ美樹は。それとも、なにか・・別の理由があ・る・の・か・なぁ~」
ぎょっとしてしまった。そんなことまで・・みんな見てたんだ。ただ、おいしいから・・という言い訳を、その瞬間に用意したけど、それは余りにも説得力がなさすぎる気がする。
「本当に・・どうしてだろねぇ?」
と、みんなの、じとぉっとしたいやらしい目付きがものすごく恐い。
「二人の間に何があったの? なにかあったでしょ。痴漢に襲われたとき助けられたとか。以前どこかで逢ってたとか。最近、町でナンパされたとか。昔、出会い系で知り合ってたとか」
「実は生き別れた兄妹だったとか」
「それはないでしょぉ」
その質問、彼に、初めて逢った日の出来事を思いだしたけど・・それは、白状してしまうには恥ずかしすぎるし。そんなことを白状してしまったら、それは、私が春樹さんのこと好きだと認めてしまうようなものかもしれないし。じろぉっと、にやにやな目付きで、私を見つめるみんな。イヒヒヒヒ・・って笑ってる。きょろきょろ見つめると、「そんなにいじめないで・・くださいよ、私、ナニ悪いことしましたか?」そんな変な感情が湧き上がって・・なぜか顔が歪み始めた。
「あぁ~・・美樹・・やだ、なんで泣くのよ」
「・・ちょっと、美樹・・泣かないでよ、なんで泣いちゃうのよ・・」
「そんなつもりじゃないんだから、ごめんなさい。ただ、ちょっと興味があっただけだから。からかっただけだから。ごめんなさい、もう。これ以上突っ込まないから。泣かないで。泣かない、泣かない・・もぉぉ、泣くとこじゃないでしょ」
そんなことを言うから、もっと、目頭が熱くなってしまうし。
「あぁ~・・美里が泣かしちゃったぁ」
「違うわよぉ・・優子でしょ、あんなこと言うから、ホントにごめん。美樹、そんなんじゃないんだから、ホント泣かないで、からかっただけでしょ」
「美樹ぃ~、私たち応援してあげるから、絶対うまくいくって。美樹と春樹って名前も似てるし、絶対似合うよ。絶対うまくいくって。二人の間に生まれてくる赤ちゃんには、美春って名前もいいじゃん。春美でもいいし」
「樹を二つ並べて、樹々もかわいい、漢字だとよけいに」
「ほんとだ樹々って名前もかわいいかも・・男の子でも女の子でもいけるんじゃない、樹々って」
「美樹だって、赤ちゃんの作り方くらいは知ってるでしょ。ほしいでしょ。あたしたちが何とかしてあげるから。ねっ・・ねっ。思い切ってつくっちゃえば」
そんな、みんなの身勝手な提案。赤ちゃんの作り方も、ぎこちなく知ってたから、とりあえずうなずいたけど・・私・・どうして泣いてしまったんだろ。くすんとしながら不思議な涙の理由を考えてみた。そして、袖で涙を拭いて。もう一度そうなりたいと思う気持ちも感じるから、小さくうなずいた後、そぉっと顔をあげたら、みんなの目付きはとっくに変わってた。ワナ・・だったんだ。
「やっぱり・・うん、だって。春樹さんのこと好きなんだぁ・・彼の赤ちゃんほしいんでしょぉ・・らぶらぶぅ~。私たちが二人を結び付けてあげるからね」
「きつぅく、結んじゃうよ。なにがあっても絶対解けないように。うしししし」
「ねぇ~・・普通そんなこと言ったら、はずかしがるのに・・うん・・だって・・。美樹ぃ~・・ませてるぅ。でも・・赤ちゃんってどうすれば作れるのかなぁ?・・美樹は知ってるのぉ?」
「コーノトリさんが連れてきてくれるんだよねぇ・・それとも・・ちがうのかなぁ・・うしししし。みんな知らないよねぇ」
「知らなぁ~い」
「今度美樹に教えてもらおぅかなぁ」
みんな・・絶対イジワルだ。そんなこと私より詳しく知ってるはずなのに・・イヤラシイ視線でそんなこと・・・それに・・私が春樹さんのこと好きなのも、完ぺきにばれてしまった・・・涙も・・・止まった。もうどうにでもなれ、そんな気分があふれ始めて。泣いてしまったことがばからしく感じて。みんな・・まだ、いやらしい顔で私を見つめている・・ムカッとする気持ち。だから、知識を総動員したら、あの本に書いてたことが思い浮かんできて。赤ちゃんなんて・・。
「つけずにやればできるでしょ」
って言い放ったら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と7秒間の沈黙。の後。
最初に。「ぷっ」と笑い始めたのは美里さん。
「やだーっ・・・ぎゃはははははは」
「美樹・・・ダメよ、ダメ、だめだめだめだめ。そんなこと17歳の女の子が言い放っちゃダメ・・でも・・笑い死ぬぅ・・・」
「そりゃまぁ・・そうだけどさ・・美樹・・ぷぷぷ・・美樹・・・くっくっくっ・・・」
「でも・・美樹・・くっくっくっくっ・・・」
私、何か、勘違いしたかな・・という気持ちになった。そして、笑いが収まって。
「美樹・・そりゃ、つけずにやればできちゃうけどね・・いい・・くくく」
まだこらえられなさそうな美里さんは。
「もし、明日、春樹さんとそうなっちゃって、春樹さんが、つけずにやりたがったら、今からってときでも、蹴っ飛ばして捨ててしまうのよ」
え?・・どゆこと・・明日・・そうなっちゃうって・・・。なぜかリアルに想像してしまいそうだけど。
「どんなに好きだからって、勢いで作るものじゃないんだから、春樹さんが、そんなこともできない男だったら、やる前に蹴っ飛ばしなさい、わかった?」
わかったような・・わからないような・・。
「でも・・・伝説になりそうな暴言だったね・・」
そんなにリアルにイメージできることではないのだけど・・、わかりきっていない知識をさらけ出すとこうなるの見本だったかも・・と冷静になりながら実感している私。と、まだ笑っている美里さん。
「私・・変なこと・・言いましたか」
そう言うと。
「変じゃない、大丈夫、ごめんごめん・・変じゃない・・でも・・いい勉強になりました」
「くくくく・・・つけずにやれば・・・笑っちゃいけないことだけど・・・くくくくく」
なんていうから・・なんだか恥ずかしくなって。そんな、まだ笑ってるみんなの顔、夢にでてきそうな顔だった・・。
やっとのことで解放されたその日の夜中、部屋を見渡して・・・はぁぁぁっとため息がでた。いつもの部屋だから、そんなに違和感はないのだけど。突然の予想もしなかった未来の予感のせいかしら、いつもと全然違って見える。このぬいぐるみ・・・子供っぽ過ぎやしないだろうか・・・。カーテンの模様も・・・ミッキーマウスだし・・ベットのお布団は・・ドナルドだ・・。考え始めると・・子供のころからそうだった、ディズニーがあふれた私の部屋。今でも子供かもしれないけど。とめどない不安が背中にズシィーとのしかかった気がした。机の上・・勉強グッズより・・つまらない雑誌の束・・本棚には少女コミックがズラリ・・・。勉強に関連してる本なんて探し出すのにも苦労する。そして・・壁の学校の制服・・は、だらしなく斜めになってるし。スカートははしたなく床に脱ぎっぱなし・・片づけてない体操服とブルマー・・。取り込んだままのベットの上の子供っぽい下着とシャツ・・ここに・・本当に春樹さんが来てしまうだないて・・。想像しただけでわなわなな気持ちが押し寄せてくる。とりあえず片づけようと腕をまくったけど・・。何をどこにしまえばいいのか・・6帖の部屋・・タンスにベットに、一応・・勉強用の机。もう、収納スペースなんてどこにもない。ベットに座り込んで・・はっとひらめいた。そぉっとベットの下をのぞいた・・。かなりのスペースがそこにあった。だから、目につくものを片っ端から押し込んで・・たら。奥の方に・・本が一冊・・忘れていた・・あんな本を買っていたこと・・。ハウツーSEX・・。そういえば・・この本・・中身は・・。手を延ばして・・。その時。
「美樹・・何やってんの?」
ぎょっと、飛び跳ねてしまった。
「ガサゴソ変な音がするから、なにしてるの? 誰かお客さんでも来るの?」
・・振り向くと・・お母さん、いつのまに・・それに、誰かくるの? だなんて、いつもどうしてこんなに鋭いんだろう。嘘ついてもばればれな気がする。だから。
「・・うん・・」
と、うなずいたら。
「ホントに・・誰が来るの? だれ・・友達?」
と、大きな目で聞き返すお母さん。しかたないし、とにかく、正直に言えば、たぶん認めてくれそうな予感がするから。
「家庭教師さん・・・」
と、つぶやいたら、お母さんは数秒沈黙してから目を剥いだ。
「ちょっと・・やだ・・美樹・・家にはそんなものに払うお金なんてないんだから・・ちょっと、家庭教師だなんて、なによそれ今から断りなさい。だいたいあんたに何で家庭教師なんてものがいるのよ」
「・・・・うん」なによその反応・・・
と、しぶしぶうなずいてる時も。
「そんなものがいるくらいなら、バイトやめて自分で勉強すればいいでしょ。ったく。家庭教師だなんて。そんなのもに頼るくらいなら、アルバイト辞めなさいよ」
と・・ものすごい剣幕だ。だから、もう一度しかたなくうなずいて・・断ろうかな・・そんな気が一瞬。でも、断るだなんて・・それは絶対にしたくない・・。断った瞬間、あの人はもう二度と私に振り向いてくれなくなる気がしてしまうから。
「いい、美樹。絶対断るんだからね、そんなのが来たら追い返してやるんだから」
もっと恐いお母さんの顔。とりあえず、もう一度・・しかたなく・・うん・・と、うなずいた。そして、ドアを閉めて出ていった、壁の向こうのお母さんをぎっと睨んでやった。そぉっと音を立てないように、ベットの下にものを押し込みながら。でも・・本当に来てくれるのだろうか・・。同級生の女の子の友達ですら、この部屋には数える程しか来たことがないし・・ましてや・・年上の男の人・・それも・・私の・・好きな。もやもやと想像してしまう。ここに春樹さんが来てしまう。彼は若い大学生でオトコだ。私は、もっと若い高校生で女の子・・二人ともそれっぽい年頃で・・ベットもあるし、カーテンもあるし・・さっきは美里さん「もし、明日春樹さんとそうなっちゃったら・・・」と予言めいたことを言ってたな。そうなっちゃったら・・だから、ついつい例の本に手が延びてしまった。引っ張り出すと・・どきどきと、顔が火照ってしまう。ほこりを払って、ページをめくると、ものすごい内容・・な、気がする。裸の男女・・・が・・・赤ちゃんがどうすれば作れるかも・・詳しく書かれてる。できなくする方法も。なんだろ?・・このいぼいぼな風船みたいなのは?・・。ぱらぱらめくるページ。ねぇ~来て・・ゲットしたいなら、恥ずかしさを少しだけこらえてみよう。男を誘い、その気にさせるポーズ集・・だなんて・・。男がその気になるセーラー服・・だなんて・・おへそもこんなにはだけて、太股もこんなに全開で・・・恥ずかしくないのだろうか?
「ねぇ~・・来て・・好きにしていいんだよ。抱いて・・優しくしてね。お願い」
写真のポーズをまねして、朗読している私の声。ふと、気がついた・・。血の気が引くと、少しだけ冷静になれた。春樹さんは・・勉強を教えてくれる人なんだから・・。こんな本は・・だから・・とりあえず、教科書と参考書と・・・でも・・・・とりあえず、さっきのところにタグを付けとこう。もしも・・万が一・・春樹さんが・・こんなこと・・逆らうなんて私にはたぶんできないだろうから。そのときは・・恐くなったら目を閉じて・・か・・違う・・なに考えてるのよ・・ったく・・・でも・・もしも・・万が一・・。オトコをその気にさせる、いやがり方? 手足をジタバタさせては駄目・・背中と肩でいやがるのか・・くねくね・・こんな感じなのかな? どうしても駄目なときのセリフ?
「私・・今日生理だから・・か」
・・違うよ・・ったく。なに考えてんのよ・・でも・・始めての痛みは我慢して・・それは女の子の宿命? ・・・痛いのかなぁ・・・わなわなわなわな。でも・初めての人が春樹さん・・なら・・私は・・・たぶん・・大歓迎だと思う・・・かもしれない・・ような・・・気が・・すこし・・いや・・相当・・する・・呼吸が乱れ始めた・・駄目だ駄目だ・・そんなことを考える女の子はふしだらだ・・でも・・もし・・万が一・・春樹さんが・・私を・・その気になってしまったら・・やっぱり、あゆみが言ってたような言葉・・それは、予告無しで突然訪れる逆らうことのできない運命・・。後悔しない受け入れ方? 濡れないときのローション? 濡れないって・・いったい何なんだろう・・コンドームは・・知ってるけど・・教科書に書いてたものとは形が違う・・。ぎょっ・・本当に何を期待してんだろ・・でも・・春樹さん・・優しくしてくれるだろうか・・オトコの優しさを引き出す悶え方・・目を閉じて、少しの力で体を閉じてみる・・かぁ・・わなわな・・でも。「明日、春樹さんとそうなっちゃったら・・」と美里さんの声が頭の中でこだましている・・わなわな・・本当にそうなっちゃったらどうしよう・・「春樹さんがつけずにやりたがったら蹴っ飛ばせって・・」蹴っ飛ばすなんて、できるわけないし。でも。想像が想像を呼んで・・エンドレスで無限ループな夜になってしまったようだ。
夜中の妄想なんかすっかり忘れていた日曜の朝。バイトに出勤すると、春樹さんはもう来ていた。いつも通りに自転車を止めるとむふふっ・・な気分。私の自転車と春樹さんのオートバイ。いつも通りに仲がいい。悦な気分のまま重い扉をあけて挨拶しながら奥へと進んだ。
キッチンを覗いたら、いつも通り、知らん顔したまま、フライパンをふるってる春樹さんがいた。
「おはようございます」
と、いつも通り小さな声で言ってみる。でも・・スパイスを振る方が大事だったみたい。料理をお皿に盛って、できばえをチェックしてる春樹さん。カウンターにお皿を上げて。オーダーシートの番号をピンポーンとしてから。
「よっ、美樹ちゃんおはよっ」
と、ようやく、きらきらしてる笑顔で言ってくれた春樹さんと、いつもの朝の挨拶。タイミングが少しずれたけど・・すっごくうれしい。だから。もう一度。
「おはようございます」
と、挨拶してあげる。
「うん・・おはよ・・今日もかわいいね」
でしょ、って思うと、もじもじな気分がすっごくくすぐったい、むちゃくちゃ気持ちいい。すごく接近できはじめた感じがするわくわくな雰囲気。これってカイカン・・だなぁ。でも・・何回くらい「おはよ・・」と言っただろうか。
「4番でぇす! おはようございまぁ~す」
ぎょっ!! あわてて逃げ出した。ちらっと見ると、オーダーチェックしてる由佳さんが、横目でくすくす笑っていた。
でも、そんな私の仕草。春樹さん以外の人はみんな知ってるみたいなのに・・なぜか、本人だけは気づくそぶりを見せてくれない。遠くからじぃーっと見つめてるのに、今日は私の視線には全然気づいてくれない。それがわざとらしければ私は救われると思うのに。全然自然体だから。ものすごく不安になってしまう。昨日は家庭教師に来てくれると言っていた。本当に来てくれるのだろうか。思い出すと・・ごく当たり前のような仕草だったと思う。ごく当たり前・・。どうしてだろ・・。
「ところで美樹、昨日のメモ、持ってる? なにか聞いてくれた?」
と、美里さんが訊ねたとき、また春樹さんを見つめていたようだ。
「おい・・美樹」
「いてっ・・・」
と、頭をこつんとされるまで気づかなかった。
「・えっ?・・なんですか?」
「昨日の質問、なにか一つくらい聞いたの?」
「ううん・・・」
と首を振ると、美里さんは、はぁーっとため息。
「じれったいねぇ・・ったく。思い切って告白しちゃえば。春樹好きだ愛してる今すぐ結婚してくれ、って、一応、みんな公認してくれてるんだし」
「そ・そ・そんな・・公認だなんて・・」
じっと私を睨む美里さん。その目付きにおろおろしてると、ちらちらと春樹さんを見つめてしまう勇気がどこからもとなく・・私をうなずかせ・・奮い立たせて・・足が、勝手に春樹さんへと向かいはじめて。好きだ、愛してる、結婚してくれ、とこだましている頭の中。好きだ愛してる結婚してくれ、とつぶやき始めた私。その時。
「おい、美里、美樹。喋ってないで、8番のテーブル片づけろ。今から忙しくなるんだから」
その店長の恐い声が、はっと気づかせてくれた、気づいてから・・今、なにかしようとしてた事、ぎょっとしてしまう。危ない一歩を踏み止めた。そ知らぬ顔の美里さんはテーブルを拭いている。本当に告白しようとし始めた、ほかの皆もこんな私には、気づいてないみたいだから、とりあえずほっと胸をなで下ろしてしまった。
忙しいランチタイム、今日もすんなり乗り切れた。そして、お客さんが退き始めて、残りはさっきお料理運んだあの家族連れだけか・・・ちらっと目があって、私にほほえんでくれるお客さん。とりあえず会釈して愛想笑い。すぐ、ため息ついて、疲れた脚をもみもみしてると。・・・・美里さん、奈菜江さん、優子さん、由佳さん・・何も言わずに知らん顔で休憩しはじめる。そのたびに、どきどきと変な期待が大きくなってる。昨日、みんなは言った。
「休憩、仕組んであげるから」
と。本当に・・仕組む気なんだろうか、確かに、春樹さんもなかなか休憩しようとしない。どきどきな気持ちでテーブルを拭いていた。そのとき、ぎょっとしたもの・・。となりのテーブルには、あの、パルメザンチーズがなぜか5つもある・・ものすごく不自然な配列。テーブルの四隅と真ん中・・だなんて・・ものすごくわざとらしいような・・気がしたけど・・。誰もいないし・・だから・・私が・・片づけなきゃならないけど・・これをしまう場所は・・キッチンのカウンターの下。そこは・・春樹さんから1メートルも離れてない・・場所だ・・・。そぉっと手にして、キッチンを振り返ると。
「なにしてんだ美樹。そんなもの早く片づけろよ」
と、びくぅっとさせられる、店長の恐い声。急に足がかたかたかたかたし始めてしまう。もう一度そぉっとキッチンを振り返ると、春樹さん、チーフとなにか冗談を言い合ってるみたいな笑顔。ごくっとしてしまった。テーブルを片づけている店長の横顔は恐そうだし・・ここにチーズを置いたままにはできないし・・。だから、こんなものだけど・・大事そうに胸に抱いて・・うつむいたまま。忍び足で・・・。でも・・なんで私こんなにおどおどしなきゃならないんだろ・・。そのことに気づいて、歩幅を大きくしてみた。そうだよ・・別に、春樹さんのそばに行ったからって・・近くに来たからって、なにか親密な事を話するわけじゃないんだし。愛を告白するわけでもないんだし・・いきなり・・抱きつかれるわけでもない。また・・おしゃべりできるかもしれないし・・なんだか・・馬鹿みたい。ふぅと深呼吸して、気持ちを落ちつけて。空虚な気持ちでチーズを仲間達の元へ帰してあげた。その瞬間。
「美樹っ!」ってチーフが呼んだ。
「ひゃっ・・ひゃい!!」
また、心臓が喉から飛び出たかと思うほどびっくりしてしまった。チーフが繰り返す・・。
「ひゃい?」
顔がぶるぶる震えた・・それ以上に今の私の裏返った声。むちゃくちゃ恥ずかしい。そぉっと顔をあげたらチーフが・・はぁ?・・としていた。春樹さんも見つめている。もっと恥ずかしい気持ちが、また、意識をもうろうとさせた。
「そこのコーヒーフレッシュ取ってくれねぇか」
と、チーフが言った。あわててうなずいた私は、目に付いたコーヒーフレッシュの業務用1リットルパックを乱暴にカウンターに置いて。
「どっ・・どうぞ」
と、言って。逃げ出したい気分がいっぱい。あわてて、春樹さんの視界から遠ざかろうとしたのに。
「美樹ぃ~」
と、チーフの低い声。ぎょっとキオツケの態勢で止まってしまう私。
「こんなにたくさんいらないよ、そこの小さなボトルを取って。コーヒーに入れたいの」
「はっ・・はい」
回れ右をしてから、ぎくしゃく歩いて、パックを受け取って、氷に囲まれてる、小さなボトルを一つ取って。そおっと渡してあげた。そのとき、今日仕事をはじめてから、はじめて・・ようやく春樹さんと目があった。にこっとしてる春樹さん。いつもと同じな、ものすごくさわやかな笑顔。つい・・つられて、私もほほえんだけど・・歯がかたかた音をたてている。
「じゃぁな、ごゆっくり」
と、言うチーフ。その視線?・・ごゆっくり? 今・・私に言った・・の? えっ? と思って、回りを見渡したら・・・だれもいない・・・。静かなBGMが流れていることに気が付いて、さぁぁっと血の気がひいてしまった。本当に・・仕組まれてしまった・・予想だにしなかった。こんな演出。そおっと店を振り返ると、遠くでテーブルを拭いている、独りぼっちの店長までもが横目でにやにやしていた。それに・・さっきの家族連れのお客さんまでもが私を見て・・にやにや・・してる気がする・・。そのお客さんが店長に声をかけて。店長とお話しして、私を指さしてる気もするけど、店長の横目な視線が私から反れた瞬間。そぉっと春樹さんを見上げると。
「わざとらしいな・・。それっぽい雰囲気の二人を、こうして、からかうのは、ここの恒例行事なんだ」
と、まじめな顔で言った。その声はものすごく落ちついていた。なんとなく意味も理解できた。
「そ・・そうなんですか・・それっぽい二人って」・・私と春樹さんのことですか?
と、最後まで言えない返事をした。きょろきょろすると、あっちこっちの角から、みんなの耳や片方の目だけがちらちら見えた。おろおろしてしまう。本当に・・仕組まれたんだ。私を見つめている春樹さん。にこっと笑ってる。なにか・・なにか話しなきゃいけないと思うけど。私から話始めれば、絶対告白になってしまいそうだし。それは、したいけど、したくないというかできそうにない。昨日メモした質問リストは家に忘れてきた・・でも・・あんな質問なんて、恥ずかしすぎて、どうしてもできそうにないし。今、この瞬間も気絶してしまいそうだし。うつむいて、ど・・どうしよう・・と、考え込んで、もう一度、そぉっと春樹さんを見上げてみた。くすっと笑顔を傾けた春樹さんは。いつもと変わらない、落ちついた声で言った。
「俺も、美樹ちゃんのこと、好き・・・・・だ・・よ」
当たり前のことを言ったような、緊張のかけらも感じない、アクセントのない言い方。それなのに、頭の中、ストレートに飛び込んできた春樹さんのセリフ。
「好き・・だ」
と、もう一度ゆっくり言った。頭の中、お寺の釣り鐘がこ゜ぉぉ~んと響いてるかのように・・好きだ・・好きだ・・・、好きだ・・・・と、響いている。男の人に「好きだ」なんて言われたのは生まれて初めてだし。それも、年上の、こんなに好きな男の人に「好きだ」なんて。突然時間が止まったような錯覚。心臓の音がトクントクンと弾んでる。魂が体から抜け出したような、ふわふわしてる足もと。返事をしようとしたけど・・少し離れたところから、がたたっ・・いててっ・・なにすんのよ・・パチン・・いてっ・・やべっ・・こそこそこそこそ。そんな音が聞こえたから。そっと視線を反らせる返事だけで答えてみた。そらせた視線をゆっくり戻しながら、そのまま上目遣いで見上げると、春樹さんははにかんだまま、うなずいていた。そして。
「それより、期末テストは、いつからなんだ。明日から休むんだろ。昨日、電話しようとして、番号・・まだ聞いてない事に気づいて。後でいいから、教えてくれる?」
「・・・うん」
「俺が行く事、両親には、ちゃんと言ったのか?」
「・・・う・・うん」
「本当か?」
「・・う・・うん・・」
「じゃっ・・そう言うことで」
ど、どうしよ・・昨日、お母さんは、断れって、追い返してやるって、あんなに凄い剣幕で言ったのに・・春樹さんに嘘ついちゃった。でも・・まあいいや・・今日帰ってから言おう。そうしよう。でも、私の曖昧な返事。嘘ついてる事見透かしたように、くすっと笑う春樹さん・・また、うつむいてしまう・・お母さんになんて言おうか・・そう考えようとしたけど・・。そぉっと顔をあげたら。ぱちっとウィンクした春樹さん。どきっと跳ねた心臓。・・もう一度、さっきのセリフが頭の中でこだました。・・・俺も・・美樹ちゃんの事・・好きだよ・・って。そういえば、春樹さん・・好きだって言ってくれた。私のこと好きだって。頭の中で何度もこだましてる。好きだって。私のこと、好きだって・・言ってくれた。見つめあってしまった・・。春樹さん、今ごろになってようやく、恥ずかしそうにはにかむから。見つめたままくすくすしてしまう。そして、勇気を振り絞って・・私も・・と、言おうとしたのに、みんなが、ものすごくわざとらしく、にやにやと。
「はぁ~食った食った」
なんて言いながら、ぞろぞろとでてきたから。少しだけ残念で、かなり、ほっとしてしまった。でも、本当に、ものすごくわざとらしい、みんなの視線の反らせ方・・登場の仕方。でも・・今、この瞬間。ジィィンと感激した事。私をずっとからかってたみんながこんなに優しいだなんて・・生まれて始めての経験。それに・・店長も・・本当はこんなに優しい人だったんだな。それに、由佳さんの声。
「さっ、美樹も食べておいでよ」
そして、耳元に「よかったね・・好きなんだって・・おめでと」と祝福の言葉をささやいてくれて。
「うん・・」と返事した私。
そして、笑顔で私を見つめたままのチーフの声。
「春樹、飯食ってこいよ」
本当に・・私はこんなに素敵なみんなと仕事してるんだなと思う。でも、そんな余韻に浸っていたのに、春樹さん、チーフの声に、うなずくだけの返事をした瞬間の横顔。直感したテレパシー・・好きだけど・・だけど? と、言う一言が何も聞こえていないのに心にこだました。春樹さんの横顔の影に気づいた瞬間、心の奥にカツンと何かが引っかかった気がした。
「美樹ちゃん、いつもの?」
と、私の顔も見ずに言った時も、だけど・・と感じる、淋しそうな影が見えた。そして、ぎこちなく「うん」と私が返事した時は、しっかりと私を見つめていた春樹さん。私が春樹さんの影に気づいてしまった事に、春樹さんも気づいたこと、春樹さんは小さな返事で私に教えてくれた。・・だけど・・と、頭の中で、まだ、こだましている直感。やっぱり・・彼女とか、恋人がいるのだろうか・・。聞き出せる勇気なんて全然ないし。
「ねっ・・ねっ・・あのチーズ、最高だったでしょ」
と、奈菜江さんの声が突然聞こえ始めた。
「また、使おうね」
と、美里さんの声も。
「じゃぁ、功労賞は奈菜江か?」
は、店長。
「俺のセリフもわざとらしくなかったろ」
と、もう一度店長。
やっぱり、あの不自然なチーズ・・そう思って、振り向いた。予想通り、にやにやしてるみんな。もぉう、な、気がしたけど、手を振りあげる余裕は全然ない。今の春樹さんの淋しそうな横顔・・まだ・・だけど・・を感じてる。なんだろ・・。頭の中でぐるぐるしてる。でも。
「はいよっ、おまっち。美樹ちゃん、水、頼むね」
いつも、あっと言う間にできあがるチキンピラフ。その声に振り向いたときはもう、春樹さん。いつもの顔に戻っていた。
「美樹、例の事よろしくね」
「がんばるんだぞ」
「つけずにやれば、なんて言い放っちゃだめだからね」
「ちゃんと、つけてからするのよ」
「くくくく・・・それはもうやめましょ」
「ひゅーひゅー」
みんなの声はほとんど聞こえなかった。
冷静に思うこと。今、さっきの瞬間、私と春樹さんは、彼と彼女という関係になってしまったのだろうか? 好きだって言ってくれた、私はうんってうなずいて、たったそれだけで、彼と彼女という関係になるのだろうか、それをどうすれば確かめられるの?・・どきどきしてる心臓・・そして、わなわなしてる足元・・そして、わくわくしてる想像・・。心の中で、フクザツな想いが揺れている。休憩室に行くのが怖い・・と、思っている私と、早く行きなさいよと言っている私が心の中で戦っているような気がする。ドアに手をかけて、はぁぁとため息。いよいよ・・私は・・身も心もあの人の・・なんて想像・・をぶるぶると振り払って・・期待してる。でも・・。ドアを開けると、いつも通りの笑顔の春樹さんがいて。その顔を見たせいか、私はそぉっと椅子を出しながら、さっき、なにか不安なことを悩んでいたような気がするけど、なんだったか思い出せないし。だから。
「いただきます・・」
と、言ってみる。もぐもぐと食べ始めると。
「おいしい?」
と、聞いてくれる。うん・・とうなずいて。そうだ・・と、思いだしたこと。黙ったまま、携帯電話の番号と家の地図を簡単に書いて渡すと、電話をかけなおしてくれた春樹さん。私の携帯電話に表示される番号はストレートに頭の中にも記憶されて、二人っきりの休憩室で地図を眺めあう。ふううん・・と眺めてる春樹さん。
「近くなんだね」
と、言う。
「う・・うん」
と、返事する私。
「いつから行こうか?」
「えっ?・・・」
「家庭教師・・明日から、本格的に勉強する? その様子だと、バイト始めてから、おろそかになってんでしょ」
「・・う・・うん・・」
「苦手な科目は?」
「・・う・・うん・・数学とか・・物理とか・・化学とか・・歴史も・・国語も・・英語も・・」
・・・気がついたときは、すでに遅かったようだ・・・。リストを並べるごとにうつむく角度が増えていた。
「全部ってこと?」
と、鼻で笑う春樹さん。まさにセキメンの告白だった。でも・・そぉっと顔をあげると、さっき悩んでいたことを思いだした。まだ、影がつきまとってる。でも・・影の理由・・聞く事なんて恐すぎるし。顔を見つめるだけで、変な意識があふれてくるし。それに・・さっき、春樹さん、私の事好きだって・・言ったよね・・。絶対「俺も、好きだよ」って言った。俺も? も? って言う事は、もう一人いる事だし。それって・・やっぱり。私の気持ちを・・。「美樹ちゃん」
って私を呼ぶ春樹さん。そういえば、今日は難しそうな中国語の本。そこにあるけど読もうとしない。
「美樹」
と、もう一度私を呼ぶ春樹さん。そういえば、私の事好きだって言ったくせに、いつもと同じ顔してる。
「美樹、美樹、みぃーきっ」
と、なんども私を呼ぶ春樹さん。そういえば、私はこんなにどきどきなのに、どうして、春樹さんは、いつもと変わらない顔なんだろうか。それも、どことない影をしのばせた顔だ。その影の理由を探そうとまじまじと見つめてしまう春樹さんの顔。お髭が2本少しだけ長い。でも、影の理由なんて全然想像できない。彼女がいる・・。いや・・いるわけない。いたら、私のこと好きだなんて言うはずないし。フタマタ・・・?
「美樹!!」
「はっ・・はい」
ものすごいまばたきをしてしまった。
「どうしたの? 今の幽体離脱でしょ・・大丈夫? 食べないの? おなかすいてないの?」
ぎょっ・・また・・私・・どうかしてたみたいだ。むちゃくちゃ恥ずかしい。あわててかき込むチキンピラフ。恥ずかしくって噛むのと飲み込むのと、順番を間違えた、喉につかえた。げほげほ、したら、春樹さんの顔にご飯粒が飛び散った。
「ち・・ちょっと、美樹・・なにすんだよ? もぉ」
と、のけぞって、顔のご飯粒を摘む春樹さん、少しだけ考えてから、それを口にほりこむ春樹さん。その仕草がものすごく親密すぎる気がした。それに・・さっきから・・私の名前にはちゃんが付いていない。気がする。
「ったく・・まだ、飯粒、付いてるか?」
その言葉にうなずいて、見つけたほっぺの一粒。そっと摘んで、お母さんがそうするかのように口に入れて噛みしめる・・・。くすくす笑う春樹さん。その笑顔は私の悩みごとをなにもかも吹き飛ばしてくれた。私たち・・本当に、恋人どうしになってしまったのだろうか・・。なってしまったんだ。それは、今噛みしめてるたった一粒のご飯粒だけで、十分実感できる。本当にこの人が私の彼氏? 私の恋人? なんだ。でも・・・。
「両親には、まだ言ってないんだろ。美樹ちゃんって嘘付くと、すぐばれる顔してるから。ちゃんと言っておくんだぞ。美樹ちゃんってかわいいから、いきなり俺みたいな男が部屋にやってきたら、警察ザタになってしまうかもしれないし」
と、言う春樹さん。・・・やっぱり、恋人どうしにはまだなってないみたい。私の名前にまた、ちゃんがついた。でも・・ちゃんが付かない私の名前は、なんだか変な名前だと思う。美樹、と呼ばれると、どきっと言葉に詰まってしまう。ちゃん、と呼ばれると、でれでれしてしまうのに。
「じゃっ、明日、何時に行けばいい?」
「えっ・・うん」
「学校は何時に終わるんだ?」
「えっ・・うん。5時頃」
「じゃっ・・その・・5時半頃に行こうか。夜遅いと、いろいろプライベートな事もあるし」
「・・プライベート?・・」
「うん、お風呂にも入るし。パジャマにも着替えるし。ぬいぐるみを抱いて、かわいい寝顔で眠るんでしょ・・。美樹ちゃんも。・・その時間までいてもいいのか? 俺は別にかまわないけど」
と、いたずらな笑みを浮かばせて言う春樹さん。・・なんでそんな事知っているんだろ・・一瞬そう思ったけど。
「かわいい女の子は、たいていそうなんだろ」
と、うれしくなる言い訳をしてくれたから、とりあえず、ほっとした。うなずいて・・感じたこと。春樹さんのいたずらな笑顔。
「お風呂にも、入るし、パジャマにも・・」
絶対、春樹さんは今、私がお風呂に入ってる姿を想像してる。私のパジャマ姿と寝顔を想像してる。絶対そうだと思う笑顔だ。恥ずかしいけど・・うれしい。もっと想像していいよ・・私のこと・・そんなことを考えてる。でも、そんな、訳のわからない事を考えてると。
「・・なに考えてんだよ」
と、ほっぺをつついた春樹さん。テレパシーが通じた気がして、顔にまた火がついた。
「でも・・どんな寝顔で眠るのでしょうね、美樹ちゃんは。かわいいだろうなぁ」
私の向こうを眺めてる、とろんとした目。そんなことを言う春樹さん。その声も表情も、ものすごく優しい気がした。暖かい雰囲気が全身を包んでくれる。心の底からほぉっと長いため息が出た。くすっと、同時に笑いあってくれた春樹さん。そのとき、少しだけ恥ずかしくなって、うつむいた。ときどきちらちらと視線をあげて、でも、恥ずかしいからまたうつむいて。春樹さんには気づかれないように深呼吸。心が妙に落ちついてることにも気づいた。休憩時間が終わるまで、残り一口のチキンピラフとにらめっこしてた。頭の中真っ白になっている。何も考えられない。何も思わない。ただ、春樹さんがそこにいるからだと思う。こんなに心が満たされているようなリラックスな気分は生まれて初めて。ふと、小さな物音に気がつくと、春樹さんはため息混じりにページをめくっていた、気がついた音はページをめくる音だったみたい。春樹さんは、難しそうな中国語だと思う題名の本を険しい顔で読んでいた。見入ってしまう、その険しい表情。一人でうっとり、私も好きよ・・春樹。なんて心の中でつぶやく小さな声を、彼にテレパシーで送ってる私。恥ずかしくて、くすくすしてしまった。そのとき、また聞こえた物音。
「ひそひそひそひそ」
「・・なにしてるか・・わかる」
「・・全然、何も話してないみたい」
「・・一体なにしてんのよ」
「・・さぁ・・」
「おい・・いつまで休憩してんだよ美樹。お前らもなにしてんだ、表、一人もいないじゃないか」
「ちょっと・・やだ・・シィィィー・・店長・・声が大きい」
「ちょっともくそもないよ。美樹~。入っていいかぁ~」
と、休憩室のドア。店長が勢いよくあけたら、全員がゴキブリみたいに音もたてずに逃げて行くのが見えた。うつむいて、くすくす笑ってしまった。本を閉じた春樹さん。ふぅっとため息ついて、背伸びして、あくびして、あくび涙を拭いて、立ち上がった。更衣室に本を戻しに行った。そんな春樹さんを見送った後、そのまま、そぉっと振り向いたら、初めて見た、店長の笑顔で怒っていない本当に優しそうな顔。そして、向こうの角に隠れてる、みんなの鈴なりの半分顔。
「もう、いいだろ。さぁ、仕事仕事。本当は、こんなところでいちゃいちゃされると困るんだ。ここは仕事場」
うなずくのが精いっぱいだった。最後の一口をもぐもぐ食べた。冷たくさめていた。でも、その冷たさが、火照ってるほっぺを冷やしてくれる。そして・・更衣室から出てきた春樹さん。私はそっと視線を向けたのに・・私には、目もくれずに出て行った。私を不安にさせる影、まだ、しのばせたままだ。一瞬・・春樹さん、本当は照れているのかな・・そんな気がしたけど。全然そうじゃない気もする。その胸騒ぎは、また、私をうつむかせてしまったようだ。
0
あなたにおすすめの小説
『愛が切なくて』- すれ違うほど哀しくて
設楽理沙
恋愛
砂央里と斎藤、こじれてしまった糸(すれ違い)がほどけていく様子を描いています。
◆都合上、[言う、云う]混合しています。うっかりミスではありません。
ご了承ください。
斉藤准一 税理士事務所勤務35才
斎藤紀子 娘 7才
毒妻: 斉藤淳子 専業主婦 33才 金遣いが荒い
高橋砂央里 会社員 27才
山本隆行 オートバックス社員 25才
西野秀行 薬剤師 22才
岡田とま子 主婦 54才
深田睦子 見合い相手 22才
―――――――――――――――――――――――
❧イラストはAI生成画像自作
2025.3.3 再☑済み😇
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。
クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。
3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。
ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。
「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」
【完結】1日1回のキスをしよう 〜対価はチョコレートで 〜
田沢みん
恋愛
ハナとコタローは、 お隣同士の幼馴染。 親から甘いもの禁止令を出されたハナがコタローにチョコレートをせがんだら、 コタローがその対価として望んだのは、 なんとキス。
えっ、 どういうこと?!
そして今日もハナはチョコを受け取りキスをする。 このキスは対価交換。 それ以外に意味はない…… はずだけど……。
理想の幼馴染み発見!
これは、 ちょっとツンデレで素直じゃないヒロインが、イケメンモテ男、しかも一途で尽くし属性の幼馴染みと恋人に変わるまでの王道もの青春ラブストーリーです。
*本編完結済み。今後は不定期で番外編を追加していきます。
*本作は『小説家になろう』でも『沙和子』名義で掲載しています。
*イラストはミカスケ様です。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる