Front Of Crisis

佐藤 景虎

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まるで地獄のような

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「ハァ……ハァ……っ!」

 進治は、荒い呼吸を繰り返しながら北へ北へと街を駆ける。
『目標は、ここから北に一〇キロ──都内有数の”病院”だ』という妖精の言葉を耳にした瞬間、彼は一も二もなく尋問部屋を飛び出していた。
 ……余談だが、進治はこのとき初めて自分が“自衛隊の駐屯地地下“に監禁されていたことを知る。
 そして事情を知らない職員による制止を掻い潜り、妖精に目的地までの案内を任せて現在に至る。
 閑話休題。

「なんでっ! 最初にっ! 言わなかったんだよっ!」

 進治は、舌を噛まないよう気を付けながら声を張り上げる。
 状況は文字通り一分一秒を争っていた。
 ヒビ割れから魔獣が出現するまでのタイムリミットは不明。
 妖精いわく、『個体ごとに差はあるけど、下限は大体十分前後。とにかく急いだ方がいいのは確実だよ』とのこと。
 そしてヒビ割れが確認されてから現時点で、既に最低ラインはオーバーしている。今は到着までに空が完全に割れないことを祈りつつ、ひたすら走り続ける他にない。
 一方、くだんの妖精は進治の右肩に掴まりながら涼しい顔で答えた。
 
「もしも真っ先に説明していたら、キミは諸々の手順を無視して勝手に飛び出していたかもしれないからね。こういう力は権力者えらいひとの公認を得てから振るう方が面倒が少なくて済むんだよ」
「こンの腹黒ウサギ……ッ!」
「これでもボクなりに急いだんだよ? じゃなきゃあんな強引な進め方はしないさ」
「どうだか」

 進治が思い返すのは、妖精と山田の問答。
 妖精が言うには、本来ならもう少し時間を掛けて着実に説得するつもりだったという。
 けれどヒビ割れの出現に追われていたこともあり、不本意ながら脅迫紛いの強硬策に出たというのが実情なのだとか。
 実際、あの時の山田が納得していたとは到底思えない。許可が下りたのも他に魔獣への対抗策が無かったために、渋々妖精の案を受け入れざるを得なかったと見るべきだろう。
 コトが済めば、改めて話し合いの場が設けられるのは容易に想像がつく。
 もっとも、

「ま、何にしても過ぎたことさ」
 
 妖精は、あっけらかんと開き直りながら進治の頭をペシペシ叩いた。

「それより急いでくれ。スピード、落ちてきてるよ」
「無茶言うな! こちとら外に出てからずーっと走り通しなんだよ、普段ならとっくにヘバってるようなハイペースでな!」

 と、ここで進治に疑問が過る。

──って、だっだらなんで今の俺は、受け答え出来る程度に余裕があるんだ……?

 進治は、これといったスポーツの経験があるわけでも、体力に自信があるわけでもない。趣味もアニメやゲームといったインドア系が主で、たまに運動する機会も体育の授業くらいである。
 なのに外へ飛び出して以降、妖精に指摘されるまで走り続けていられることを不思議に思わなかった。
 走行ペースを維持しつつ、進治は装備の一つである指抜けグローブに目を向ける。
 
「これもヒーローの力、なのか……?」
「より具体的には身体および心肺機能の強化だね。パワーについては言うに及ばず、スタミナに関しても一〇〇km程度なら運動不足の中年サラリーマンだって問題なく走り切れるよ」
「……なぁ、俺ってまだ人間なんだよな? 人外カテゴリー入りとかしてないよな?」
「あくまで変身中だけだから大丈夫。一応人間のままだよ」
「一応!? 断言してくれないかなぁ!?」

 吠える進治。
 思っていたより数段ヤバかった。
 もはや強化どうこうの次元じゃない、身体機能からして完全に人の域を逸脱している。
 進治は今、山田があれほどまでに自身と妖精を警戒していた理由を心で理解した。
 と、そこで不意に妖精が呟く。

「それより前を見て走りなよ。ぶつかるよ」
「え……って、うわあっ!?」

 促され、前へ向き直る進治。
 直後、彼は悲鳴と共に全力でかかとを地面に押し付けた。
 視線の先は裏路地の出口付近。そこに、およそ裏路地とは思えないほどの人だかりが出来ていたのだ。
 何があったのか、などと考えている余裕はない。とにかく衝突を避けるため全身全霊で減速に努める。
 その甲斐あって、どうにか人垣をピンに見立てた人間ボーリングを回避することには成功した。
 だが、

「いったい何なんだよ、この人だかり……!?」

 息を整える間もなく、進治は眼前の光景に目を剥く。
 彼の視界に映ったのは、裏路地の出口とその先に広がる大通り。そして、そこにひしめく無数の人だかりだった。
 その密度は満員電車にも引けを取らず、歩道と車道の境目すら曖昧だ。
 当然、割って入れるようなスペースは無い。無理に割り込もうとすれば洒落にならない規模の将棋倒しすら起こりうる。
 耳を澄ませばサイレンの鳴る音が遠くから響き、中には苛立つ人の声や交通整理の係員のものと思しき怒号まで聞こえてきた。
 大都会の大通りとはいえ今は昼下がり。そうでもなくても普段ではありない規模の混雑具合に、進治の表情は焦りを増す。

「世界的スターの来日パレードでもしてんのか!? なんだって今日に限ってこんなっ!!!」
「あぁ、交通が麻痺してるんだ」
「は? 交通麻痺?」

 地団駄を踏み、頭を掻き毟る進治。
 一方、妖精は何かを思い出したかのようにポツリと呟く。
 その言葉を疑問形で繰り返した進治に、頷く妖精は続けて語った。
 
「山田氏が尋問部屋で話していたことを覚えているかい? 国内に現れた魔獣の数のこと」
「えっと、たしか俺が倒したやつと……って」

 妖精に促され、山田との会話を思い返す進治。
 そしてすぐに思い至った。
 国内に出現した魔獣の数は、二体。
 即ち、

「この混雑の原因……もしかして、もう一体の魔獣がやったのか?」
「そのようだね。どうやら随分と派手に暴れ散らかしていたようで、インフラ系を中心にアチコチで被害を出したみたいだ。この大混雑も、その弊害だろう」
「とことん迷惑な生き物だなあ魔獣は!」
「それよりボクとしては、こんな状況でも仕事に出向く人間たちに驚きを隠せないよ。こういう時って普通シェルターか何処かに避難するなり、せめて出歩かないようにするものじゃないの?」
「それに関しては、日本人の生態というか悲しいさがというか……。って、そんなこと話してる場合じゃない。タイムロスになるけど、他に迂回ルートを……」

 姿も知らぬ魔獣への苛立ちと悲しき日本人の生態に、進治はなんとも言えない表情で眉間を摘む。
 とはいえ、そんなことに時間を浪費している状況ではない。
 魔獣の出現時間は、今も刻一刻と迫っているのだ。
 面倒とは思いつつも、こういう時は『急がば回れ』。別のルートを探すため、彼は人だかりにきびすを返す。
 だが、ここで妖精が待ったを掛けた。

「おいおいおい、何処へ行くんだい? 油を売ってる暇は無いんだ、早く越えて行きなよ」
「は?」

 そう応える進治の声は、酷く間抜けなものだった。
 思わず目を丸くして肩の妖精を見る。
 一方、妖精は淡々と続けた。

「聞こえなかったかい? 早く行きなと言っているんだ」
「お前は何を言ってるんだ?」

 聞き間違いじゃなかった。
 眼の前の大混雑を見ていながら、妖精は一切の逡巡もなく『早く行け』とのたまったのだ。
 確かに、かなり強引に割り込めば力ずくで通れるかもしれない。だが、そんなことをしたら魔獣とは別件で大変なことになる。
 実際、どこかの国のイベントで大混雑が原因で一五〇人を超える犠牲者が出た、というニュースを進治は見たことがある。
 もし今同じことが起これば、その規模は一体どこれほどになるか。
 であれば妖精の言葉など、到底受けれられるものではない。
 しかし、

「この込み具合だ、無理に割って入ろうものなら事故すら起こりかねないぞ。魔獣を倒すためとはいえ、道中で被害を出したら意味ないどころかマイナスだ」 
「割って入る? キミこそ何を言っているんだい」 
「は?」
「ボクは”越えられる”と言ったんだ。まさかとは思うが、キミは”渡る”ことを想定しているのかい?」
「…………いや、いやいやいやいや、ちょっと待ってくれ意味がわからない。それってどういう」

 妖精の言葉は、事故を危惧する進治の前提を覆すものだった。
『何を言っているんだコイツは』という目を妖精に向けられ、進治は混乱するように眉間を指でつまむ。
 一方、妖精は彼の挙動に肩を竦めて溜息を吐くと、呆れるように言った。

「ヒーローの力を舐めすぎだ。この程度の距離なら、走り幅跳びの要領で軽く越えられるよ」
「いや、この程度って……」

 この程度と妖精は言うが、進治の前に続くのは幅六車線の大通りだ。そこに歩道も含めるとなれば実際の距離は更に伸びる。
 参考までに、走り幅跳びの世界記録は八メートル九五センチだ。
 一方、大通りの幅は車道だけでも十メートルを軽く超えている。おまけに歩道には大量の人垣。
 
「……マジで言ってる?」
「大マジ。むしろ実際に力を経験したというのに、キミは少しもその考えに至らなかったのかい?」
「普通はね、昨日今日手にしたばかりの力で考えつく
方がおかしいと思うんだ」

 ヤレヤレと首を振る妖精に対し、不服そうに異議を唱える進治。
 そんな彼に、妖精は改めて言う。

「ここで迂回なんてしていたら、一体どれだけのタイムロスになるか分かったもんじゃない。今はこれが最適解だ」
「……確認だけど、本当に大丈夫なんだよな?」
「もちろん。それより急いだ方がいいよ、ギャラリーが増えてドンドン助走の距離が少なくなっているからね」
「え?」

 妖精の言葉に虚を突かれ、進治は思わず間の抜けた声を漏らす。
 そして周囲に視線を向けてから、ようやく気付いた。

「……なんか俺、囲われてない?」

 進治は、顔を真っ青にしてピクピクと頬を引き攣らせる。
 理由は一目瞭然。
 大通りに居た人を始めとした多くの人々が彼を取り囲み、一斉にスマホを構えていたのだ。

「嫌でも目立つ格好だからね。それに昨日のことがあれば尚更さ」
「え、もしかして交差点のカメラ映像アレ、流出してんの!?」
「そりゃあもうバッチリと。なんなら全国ニュースになってるよ」
「冗談だろ……」

 とんだ悪夢だった。まさか、知らぬ間に全国ネットで晒されているとは思わないだろう。
 大勢の人間に一挙手一投足を注視され、進治は油が切れた機械のような硬い動作で大通りへと向き直る。
 本人は努めて無関心を装っているつもりだが、その手足は小刻みに震えて止まらない。
 とはいえ、それも当然のこと。
 人目を集めることが本懐の芸能人やインフルエンサーならともかく、ただの一般人からすれば意図していない注目など恐怖でしかない。
 それが現実に影響を及ぼすものであり、なおかつスポットライトとは無縁の生き方をしてきた者にとっては尚更だ。

「……とにかく行こう」
「お、ようやくやる気になったみたいだね」
「というより、早くこの場から離れたい」

 幸い、観衆は遠目に取り巻くばかりで近付いてこようとする者はいなかった。
 助走の距離を確保するため進治が後ろに下がれば、その分だけ人も退く。
 だが、それもいつまで続くか分からない。時間が経てば経つほどに、彼を囲う人の数は着実に増え続けているのだから。
 いずれ何かの拍子に人垣が決壊すれば、最悪、病院に向かうどころではない騒ぎになる可能性も考えられた。
 
「すぅー……よし」

 大きく深呼吸し、腹を括る。
 怖くないのかと訊かれれば、間違いなく怖い。
 とはいえ交差点で魔獣と相対した時や山田に銃を向けられた時のどうしようもなさを思えば、力の程度を把握している分いくらかマシだ。
 であれば後は思い切りの問題。
 変に気後れして勢いが半端になれば、成功率は却って下がる。
 故に、

「行くぞッ!」

 失敗したら、責任は全て妖精に押し付けよう。
 そんなことを思いながら、進治は全力で駆け、跳んだ。
 次の瞬間──。

「……へっ?」

 進治は、自然とそんな声を零していた。
 果たして、成功か失敗かでいえば成功だ。
 進治の身体は見事、六車線という広い車道を跳び越えていた。
 ただ、あまりに跳び過ぎた·····
 全力で地面を蹴った直後、彼の身体は一瞬にして周囲のビルすらも越え、その瞳は眼下に広がる街を映していたのだ。
 あまりのことに思考が止まる。けれど時間は止まらない。
 彼が状況を理解すると同時、重力は己が役目を思い出す。
 即ち、

「うわあああああああああああ!?!?!?」

 空に響く進治の絶叫。
 彼の身体は、勢いよく降下を始めた。
 妖精の話を聞いた時は、月面を跳ねるような緩やかな放物線で大通りを越えるイメージだった。
 しかし実際はどうだ、これではまるで砲弾ではないか。

「くぅ……ッ!」

 進治は体勢を整えるため、空中でジタバタと足掻く。
 その甲斐あってか、どうにか頭を上にすることには成功した。
 しかし出来たのはそこまで。
 それ以上はどうしようもなく、彼の身体は勢いのまま地面に激突した。
 幸いなことに、着地地点が無人の駐車場だったおかげで人を巻き込むような被害は免れた。
 ただし落下する彼を受け止めた金網はグチャグチャにひしゃげ、地面は接地の際に生じた火花の影響で焦げるような臭いを放っていた。
 これはこれで中々の惨事である。
 そんな中、

「ナイスショートカット!いやぁ、 思った以上に飛んだね」
「かける言葉が違うよなァ!? 本気で死ぬかと思ったんだけど!?」

 妖精は、まるで愉快なアトラクションに乗った時のような調子で進治の肩から顔を出す。
 対する進治は、怒りや恐怖を始めとした様々な感情で手足を震わせながら、ありったけの怒声を上げた。

「越えられるったって、あんなに吹っ飛ぶとは聞いてないぞ! 前フリで不安煽り過ぎだ!」
「いや、それに関してはボクも想定外だったよ。流石にビルは越えないと思っていたからね」
「それはそれで大概なんだよ」
「ともかく、だ。怪我も無いようだし、さっさと立ちたまえ。おかげで病院はもう目と鼻の先、無駄話をしている時間はないよ」
「おまっ、ホンッッットにお前さぁ……!! …………この件が終わったら覚えとけよクソウサギ」

 進治は、歯をギリギリと鳴らして額に青筋を浮かべる。言いたいことは掃いて捨てるほど溜まっていた。
 とはいえ、ここにきて言い合いに時間を浪費するほど冷静さを欠いてはいない。
 思わず出掛かった言葉を強引に飲み下し、その分を立ち上がるための活力に変換する。
 手足の震えは未だ続いているが、歩けない程ではなかった。
 目標を見据え、感覚を確かめるように爪先で地面をコツコツと叩く。
 直後。
 パリンッ。

「っ!?」
「まずい、この音は──」

 北の方角から不意に響いた、ガラスの割れるような音。
 少し距離はあるが間違いない。間違えるはずがない。
 それは紛れもなく、

「「空が割れた音……!」」

 二人の声が重なる。
 始まった。
 始まってしまった。
 妖精の表情はにわかに深刻さを増し、目の色を変える。

「風守進治っ!」
「わかってるッ!」

 叫ぶ妖精。片や進治は、すでに走り出していた。
 これまでより更に速い、正真正銘の全力疾走。車道を飛び越えた時の力を前進のために注ぐ。
 途端、彼の身体は凄まじい風音を靡かせながら真っ直ぐに病院へと向かって行った。
 そして──。


 
「嘘……だろ」

 空が割れる音が響いてから、およそ二分後。
 ようやく目的地に到着した進治が目にしたのは、あまりに惨憺たる光景だった。

「こんな短時間で、こう・・なんのかよ……!」

 聞いた話では、都内でも有数の大病院だった筈だ。
 見上げてなお見上げ切れない一〇階建ての本館。その右隣に渡り廊下で繋がる一回り小さな別館。白いタイルの壁には汚れ一つなく、入院患者たちの憩いの場となる中庭も完備されている筈だった。
 しかし今は、白いタイルの壁は爪痕らしき傷が至る所に刻まれ、上階を繋ぐ渡り廊下は崩れ落ち、中庭は荒れ放題。窓ガラスなど無事なものを数えた方が早い。
 また病院の正門に目を向ければ、そこには多数の患者たちが憔悴し切った様子で身体を震わせていた。その付近では医者や看護師が怪我人の応急処置に追われ、迷彩服の重装備を纏う自衛隊員が大声で無線機に指示を送っている。
 一方で建物内は、今も物が壊れる音や何かが崩れる音、謎の破裂音などが響いて止まない。
 有り体に言えば、まるで地獄のような光景だった。

「……っ。と、とにかく今は、魔獣をどうにかしないと……!」

 あまりの惨状に思わず立ち尽くす進治。
 だが、ここへ来た理由を思い出し一目散に病院内へと駆けて行く。
 途中、医者や看護師から大声で制止を呼び掛けられたが、それらは全て無視。
 こんな状況では冗談じゃなく一秒の遅れで人が死ぬ。善意を無碍にするのは憚られたが足を止めているヒマはなかった。
 しかし彼らを横切る途中、

「トカゲが、トカゲが……」
「……?」

 患者の一人が譫言うわごとのように繰り返した『トカゲ』という言葉。
 それが進治の脳裏に、小さな違和感を植え付けた。
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