石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ

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柘榴の月 第三話⑫

石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 お民が石澤の屋敷にゆけば、また嘉門に引き止められるのではないか―、源治がそう思うのも無理はなかった。
 水戸部に白髪頭を深々と下げられては、源治も得心せぬわけにはゆかない。結局、お民だけが迎えに遣わされた駕籠に乗り、雨の中、石澤邸に向かった。
 お民が案内されたのは、屋敷の奥まった一室であった。奥向きと称される当主の正室や、その子女が住まう私邸部分に当たる。対する表は当主が政を行う公邸部分に匹敵し、これが公方さまの住まう江戸城では表御殿と奥御殿―即ち大奥であった。むろん、旗本の石澤家でもこの奥向きには、当主の嘉門以外の男子は脚を踏み入れることはできない。
 とはいえ、お民が以前、この屋敷にいた頃は離れで起居していたため、〝本邸〟と称されていた屋敷の仕組みは殆ど知らなかった。
 龍之助が寝かされていた座敷も初めて見る部屋であった。八畳ほどの部屋に豪奢な布団がのべてあり、そこに小さな身体が横たわっていた。
「龍之助ッ」
 お民は蒼白い顔の我が子を見て、悲鳴のような声を上げた。
 龍之助の枕辺に座していた女性がちらりと振り返る。その顔は忘れようとしても忘れられない、祥月院その人であった。紫の打掛に切り下げ髪の武家のご後室姿は相変わらず若々しく美しいが、その白い面は凍てついた氷のようであった。
 お民は急のこととて、着の身着のままで長屋を出てきた。ゆえに、粗末な木綿の一重を身につけている。町家暮らしの女―しかも、いかにも、その日暮らしの裏店住まいの女といった装いのお民を見て、露骨に眉をひそめた。
 お民は龍之助の枕許ににじり寄った。
「龍之助、龍之助ッ」
 半狂乱になって叫ぶお民を、祥月院は冷たい眼で見つめる。
「相変わらず、騒がしき女子よの。そのように気違いのように騒いでは、治る病も治るまい。静かに致さぬか」
 吐き捨てるように言い、立ち上がった。
 もう後を見ることもなく、打掛の裾を翻して去ってゆく。襖が外側から開き、祥月院の姿はその向こうに消えた。
 あたかも、お民のような身分の賤しい女とはただのいっときも共に居たくないと言わんばかりの態度であった。祥月院が自分を町人だと蔑み、憎んでいたのは知っていたが、久々にこうしてあからさまに敵意のこもった眼にさらされると、今更ながらにこの女の自分に向ける憎しみが鋭い刃となって心を抉るようだ。
 お民は横たわるだけの我が子を見つめた。
 半月前、最後に逢ったこの子はあんなにも元気そのものであったのに、一体何があったというのか。
 水戸部の話では、龍之助は数日前から風邪を引き込んでいたという。何でも観月の宴を催すとかで、祥月院が夜、庭に連れ出したその翌日から、体調を崩したようだ。連れ出すとはいっても、廊下に毛氈を敷き、祥月院を初め、嘉門や龍之助、主だった石澤家の家族が居並び、明月を愛でたにすぎないのだが。
 とはいえ、二歳になるかならずの幼児には、夜風は良くなかったらしい。その翌朝から、咳や軽い発熱の症状が見られ、大事を取って医師の診察を受け処方された薬も服用していたにも拘わらず、二日前から俄に高熱を発し、枕も上がらぬ体になった。医師の診立てでは、どうやら肺炎を併発しているとのことだった。
 そして、昨日の夜、容体は更に悪化し、医師も難しい顔で首を振った―。祥月院はお民を呼ぶ必要はなしと最後まで言い張ったが、水戸部が当主である嘉門に願い出、急きょ、徳平店に知らせに走ったのである。
 お民が駆けつけた時、既に龍之助は意識を失っている状態であった。
 それでもお民は龍之助の小さな手を握りしめ、枕許で我が子の名を呼び続けた。
「龍っちゃん」
 握った手は愕くほど熱かった。
 顔は蝋のように白いのに、額も手も身体の至るところが異様に熱い。かなりの高熱を発している証であった。
 龍之助は練り絹の夜着を着せられている。
 このような豪奢な着物は、ここに連れられてくるまで着たことはなかった。だが、何が東照権現さま以来の譜代の名門だろう、五百石取りの殿さまの世継だろう。
 こんな贅沢な着物を着せられて、何不自由ない暮らしをさせていても、誰一人として本当に龍之助のことを考えてやる人はこの屋敷にはいなかったのだ!
 わずか二歳にもならぬ幼児を夜風に当てた挙げ句、瀕死の状態に追い込んだのは他ならぬあの女、祥月院ではないか! 自分を賤(しず)の女(め)と蔑むのは良い。だが、龍之助はあの女にとっては孫になるのだ。何ゆえ、もう少し龍之助の身体のことを考えてやってはくれなかったのか。
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