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闇に咲く花~王を愛した少年~②
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その事実に改めて思い至り、少女の白い面に朱が散った。
その時、初めて客の口からホウという軽い息が洩れた。
「愕いた。こうして証をこの眼で見るまでは、私も到底、そなたが男であるとは信じられなかった」
男が燭台に近寄り、焔を大きくした。
灯火に照らし出された少女、いや少年の上半身には、その年頃の女人であれば当然あるはずの胸のふくらみは存在しなかった。
「月華楼が表向きは高級娼妓を抱かせる見世として営業しながら、その実、その娼妓たちが女と見紛うほどの美男だという噂が流れている。そのことをよく知っているはずの私でさえ、これまでこの廓の妓生(キーセン)を抱いたことはなかったから、信じられなかったが、どうやら、その噂は真のようだな」
男は少年のつるりとした平らな胸を見て、言う。その口調には何の感慨もこもってはいなかった。
そう、月華楼に住まう女たちは皆、見かけだけは女でも正体は正真正銘の男なのだ。売れっ妓(こ)として名を馳せる名月を初め、走り遣いの少女から果ては、あだな中年増の女将までもが実は男だと知れば、世の人は皆、腰を抜かさんばかりに仰天するだろう。
月華楼には男のなりをした男は一人もいない。
もっとも、都でひそかに流れているその噂を端から信ずる者など、いはしない。が、その手の噂というものは否定する者がいる一方で、真しやかに語られてゆくものだ。ゆえに、月華楼には時折、そんな噂を鵜呑みにした輩が下卑た好奇心だけで登楼することがある。女将は、そういった手合いは幾ら金を積まれても相手にしようとはせず、門前払いを喰らわせるのが常であった。
女将は生まれこそ両班(ヤンバン)の家門ではあったものの、生母は側室どころか下女であったため、庶子としてすら父親に認知して貰えず、母親と共に幼い中(うち)に屋敷を追い出された。不遇な境涯に生い立ったからこそ、見世の娼妓たちの悲哀も理解できたし、娼妓を売り物としてしか見ない妓楼の主人が多い中では比較的良心的でもあり、情け深くもあった。
元々、病気がちであった母と自分の糊口を凌ぐために、街頭で男の袖を引いたのが見世の始まりであった。少年であった女将は我が身をひさいで得たわずかばかりの金で母親と生活し、後に年寄りの裕福な商人の囲われ者となった。旦那の死後は、手切れ金代わりとしてその遺族から得た金を元手に見世を始めた。それが、月華楼の始まりである。
平たくいえば、月華楼は男娼がひしめく色子宿なのだが、娼妓たちは皆、女のなりを装い、表向きは通常の妓楼と変わらぬ体で通っている。
あられもない姿のまま、少年は男の強い視線に晒され続けている。
「私にそういう趣味があったとしたら―、いや、なくても、そなたをこの場に押し倒したいと思わずにはいられない。それほどまでに、そなたは美しく瑞々しい」
男の声が先刻までとは違って、やや掠れていた。ほどなく、少年の前に色鮮やかなチョゴリが無造作に放り投げてよこされた。
少年が弾かれたように顔を上げると、男が初めて笑った。
「もう良い、着ろ。いつまでも、そのような姿でいられては眼の毒というものだ」
その時、少年は漸く男の貌を間近に見ることができた。くっきりとした双眸は炯々とした光を放っており、笑うと眼尻に細かな皺が寄る。
髪にも白いものがちらちほらと混じっており、予想外にこの男が歳を取っているのを知った。だが、膚には十分な張りが漲っており、若々しい。三十代後半といっても通るし、或いは五十をとっくに越えているといっても、おかしくはない。年齢不詳に見えることが余計にこの男を謎めいて見せている。
「折角の機会を逃すのは男としては真に残念だが、そなたには私の敵娼(あいかた)になる以外に、もっとして貰いたい重大な任務があるものでな」
男は淡々とした口調で言い、懐からおもむろに一冊の本を取り出した。随分とうすっぺらい書物のようだ。
その書物がふいに眼の前に飛んできて、少年は眼を見開いた。
「そなたの名は?」
「―翠(チユイ)玉(オク)」
短く応えると、男が声を上げて笑う。
「何と、遊女風情が翠玉とは、何ともまた大層な名前であることよ。されど、それが真の名ではなかろう。親が付けた名は何というのだ」
「誠(ソン)恵(ヘ)」
愛想も何もあったものではない。取りつく島もない返答であった。初めての客にこのような横柄な態度を取るなど、女将に知られれば、鞭で打たれるだけでは済まないだろう。が、誠恵には何故か、この男が自分の不遜な態度に腹を立てないだろうと判っていた。
その時、初めて客の口からホウという軽い息が洩れた。
「愕いた。こうして証をこの眼で見るまでは、私も到底、そなたが男であるとは信じられなかった」
男が燭台に近寄り、焔を大きくした。
灯火に照らし出された少女、いや少年の上半身には、その年頃の女人であれば当然あるはずの胸のふくらみは存在しなかった。
「月華楼が表向きは高級娼妓を抱かせる見世として営業しながら、その実、その娼妓たちが女と見紛うほどの美男だという噂が流れている。そのことをよく知っているはずの私でさえ、これまでこの廓の妓生(キーセン)を抱いたことはなかったから、信じられなかったが、どうやら、その噂は真のようだな」
男は少年のつるりとした平らな胸を見て、言う。その口調には何の感慨もこもってはいなかった。
そう、月華楼に住まう女たちは皆、見かけだけは女でも正体は正真正銘の男なのだ。売れっ妓(こ)として名を馳せる名月を初め、走り遣いの少女から果ては、あだな中年増の女将までもが実は男だと知れば、世の人は皆、腰を抜かさんばかりに仰天するだろう。
月華楼には男のなりをした男は一人もいない。
もっとも、都でひそかに流れているその噂を端から信ずる者など、いはしない。が、その手の噂というものは否定する者がいる一方で、真しやかに語られてゆくものだ。ゆえに、月華楼には時折、そんな噂を鵜呑みにした輩が下卑た好奇心だけで登楼することがある。女将は、そういった手合いは幾ら金を積まれても相手にしようとはせず、門前払いを喰らわせるのが常であった。
女将は生まれこそ両班(ヤンバン)の家門ではあったものの、生母は側室どころか下女であったため、庶子としてすら父親に認知して貰えず、母親と共に幼い中(うち)に屋敷を追い出された。不遇な境涯に生い立ったからこそ、見世の娼妓たちの悲哀も理解できたし、娼妓を売り物としてしか見ない妓楼の主人が多い中では比較的良心的でもあり、情け深くもあった。
元々、病気がちであった母と自分の糊口を凌ぐために、街頭で男の袖を引いたのが見世の始まりであった。少年であった女将は我が身をひさいで得たわずかばかりの金で母親と生活し、後に年寄りの裕福な商人の囲われ者となった。旦那の死後は、手切れ金代わりとしてその遺族から得た金を元手に見世を始めた。それが、月華楼の始まりである。
平たくいえば、月華楼は男娼がひしめく色子宿なのだが、娼妓たちは皆、女のなりを装い、表向きは通常の妓楼と変わらぬ体で通っている。
あられもない姿のまま、少年は男の強い視線に晒され続けている。
「私にそういう趣味があったとしたら―、いや、なくても、そなたをこの場に押し倒したいと思わずにはいられない。それほどまでに、そなたは美しく瑞々しい」
男の声が先刻までとは違って、やや掠れていた。ほどなく、少年の前に色鮮やかなチョゴリが無造作に放り投げてよこされた。
少年が弾かれたように顔を上げると、男が初めて笑った。
「もう良い、着ろ。いつまでも、そのような姿でいられては眼の毒というものだ」
その時、少年は漸く男の貌を間近に見ることができた。くっきりとした双眸は炯々とした光を放っており、笑うと眼尻に細かな皺が寄る。
髪にも白いものがちらちほらと混じっており、予想外にこの男が歳を取っているのを知った。だが、膚には十分な張りが漲っており、若々しい。三十代後半といっても通るし、或いは五十をとっくに越えているといっても、おかしくはない。年齢不詳に見えることが余計にこの男を謎めいて見せている。
「折角の機会を逃すのは男としては真に残念だが、そなたには私の敵娼(あいかた)になる以外に、もっとして貰いたい重大な任務があるものでな」
男は淡々とした口調で言い、懐からおもむろに一冊の本を取り出した。随分とうすっぺらい書物のようだ。
その書物がふいに眼の前に飛んできて、少年は眼を見開いた。
「そなたの名は?」
「―翠(チユイ)玉(オク)」
短く応えると、男が声を上げて笑う。
「何と、遊女風情が翠玉とは、何ともまた大層な名前であることよ。されど、それが真の名ではなかろう。親が付けた名は何というのだ」
「誠(ソン)恵(ヘ)」
愛想も何もあったものではない。取りつく島もない返答であった。初めての客にこのような横柄な態度を取るなど、女将に知られれば、鞭で打たれるだけでは済まないだろう。が、誠恵には何故か、この男が自分の不遜な態度に腹を立てないだろうと判っていた。
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