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闇に咲く花~王を愛した少年~㉑
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賢明には三人の息子と二人の娘がいる。長女は二十二歳で既に嫁いでいるが、次女は十七歳で、まだ決まった相手もいない。賢明がこの二番目の娘を光宗の中殿にと野心を燃やしていることは周知の事実だが、当の光宗自身がそれを頑なに拒み続けているのだった。
その時、誠恵は十八歳の少女らしく、頬をうっすらと染めて、いかにも恥ずかしげにうつむいた。そんな彼女を王は〝可愛い奴だ〟と、愛しげに眺めていたものだった―。
誠恵は改めて背後を振り返った。大丈夫、尚薬が戻ってくるまでには、まだ十分時間がある。湯気を上げる土瓶に近づいた途端、周囲の温度が一挙に下がったような気がした。
緊張のあまり震える手で布を取り、懐に手を差し入れ、小さな紙包みを取り出す。
包みを開こうとしても、指がもつれて上手く動かない。まるで、自分の意思に反するかのように手脚が言うことをきかない。
それでも、震える手を持て余しながらも、包みを解き、中の粉薬を土瓶にさっと流し入れた。
ホウと、思わず深い吐息を吐く。これは月華楼の女将から持たされた薬だった。いずれ、時が来れば、この粉薬を王の飲食物の中に混ぜるのだと言いつけられていた。
小さな薬包の中身が何であるかを知らされてはいないが、毒であるのは明らかだ。王の召し上がる食事はすべて毒味が済んだ上で御前に運ばれる。常識で考えれば、王の口にするものに毒を混入させるのは不可能ではあるが、ひと口に毒薬と言っても、実に様々な種類があるのだ。
いつか聞いた話だが、毒薬の中には、すぐに効果を発揮せず徐々に体内に入り込み身体を蝕んで、やがては死に至らしめるという巧妙、かつ怖ろしい薬まであるそうな。香月が自分に持たせた毒薬も大方はその類の薬で、毒味の段階で毒だと容易には知れないものではないか。誠恵はそう見当をつけていた。
この煎薬を光宗はいつものように疑いもせず服用するに相違ない。今夜か、明日の朝か、いつになるのかは判らないけれど、この薬はほぼ間違いなく王の生命を奪う。
愛する男を自分はこの手で殺すのだ。
この手で―。
誠恵は両手のひらを眼の前にかざした。一瞬、その白い手がどす黒い血にまみれているような錯覚にとらわれ。
誠恵は小さな叫び声を上げた。
瞼に、血を吐きながら倒れる光宗の姿がありありと浮かぶ。この手を濡らすのは、他ならぬ愛しい男の吐いた血だ。
手が、戦慄いた。七月の暑い盛りに寒いはずもないのに、まるで瘧にかかったかのように両手がふるふると震える。
その時。
「そなた、このような場所で何をしている?」
誠恵はハッと我に返った。
「柳内(リユウネ)官(ガン)」
誠恵は、できるだけ笑顔が不自然に見えないように細心の注意を払った。
柳内官は、尚薬を務める内官と親しく、この薬房にも頻繁に出入りしている。
しまったと、後悔しても今更、遅かった。尚薬や医女の出入り時間は頭に叩き込んでいたのに、この部外者である柳内官のことまでは考えていなかったのだ。
「張(チヤン)女官(ナイン)、そなたが今どき、ここに何の用がるのだ?」
大抵の男は―それが男根を切り取った内官であるとしても―、誠恵の可憐な微笑みを眼にしただけで、警戒心を解き、その笑顔に魅了された。しかし、この柳内官だけは、その女としての魅力を武器にできない唯一の男であった。
案の定、柳内官は誠恵の笑顔にいささかも動ずることなく、眉一つ動かさない。
「趙尚(チヨンサン)宮さま(グンマーマ)が朝からずっと頭痛がすると仰って、お薬を頂きにきたの」
可愛らしい声で応えると、柳内官は眉をわずかに顰めた。
「だが、薬房に入って、勝手に薬を探して良いということにはならぬだろう。尚薬どのの許可を得た上でのことなのか?」
誠恵は困ったような表情で周囲を一瞥した。部屋の隅の薬種棚にはありとあらゆる薬の入った壺が所狭しと置かれ、天井からは日干しにした薬草が隙間なくぶら下がっている。
「ごめんなさい。趙尚宮さまがあまりにお苦しみでいらしたので、そこまで気が回らなくて。今度からは気をつけるわ。とこで、柳内官、肝心の頭痛に効く薬を頂けないかしら」
柳内官はまだ疑いの眼で見ながらも、棚から一つの壺を取り、幾らか薬を分けてくれた。
「ありがとう」
誠恵は紙に包まれた薬を渡されると、逃げるように薬房を出た。
どうも、あの若い内官は苦手だ。誠恵は帰る道々、柳内官の整った貌を思い出していた。内官といえば、男性機能を失ったということで、色白ののっぺりとした中性的な風貌を想像しがちだが、実際には、そうではない。
その時、誠恵は十八歳の少女らしく、頬をうっすらと染めて、いかにも恥ずかしげにうつむいた。そんな彼女を王は〝可愛い奴だ〟と、愛しげに眺めていたものだった―。
誠恵は改めて背後を振り返った。大丈夫、尚薬が戻ってくるまでには、まだ十分時間がある。湯気を上げる土瓶に近づいた途端、周囲の温度が一挙に下がったような気がした。
緊張のあまり震える手で布を取り、懐に手を差し入れ、小さな紙包みを取り出す。
包みを開こうとしても、指がもつれて上手く動かない。まるで、自分の意思に反するかのように手脚が言うことをきかない。
それでも、震える手を持て余しながらも、包みを解き、中の粉薬を土瓶にさっと流し入れた。
ホウと、思わず深い吐息を吐く。これは月華楼の女将から持たされた薬だった。いずれ、時が来れば、この粉薬を王の飲食物の中に混ぜるのだと言いつけられていた。
小さな薬包の中身が何であるかを知らされてはいないが、毒であるのは明らかだ。王の召し上がる食事はすべて毒味が済んだ上で御前に運ばれる。常識で考えれば、王の口にするものに毒を混入させるのは不可能ではあるが、ひと口に毒薬と言っても、実に様々な種類があるのだ。
いつか聞いた話だが、毒薬の中には、すぐに効果を発揮せず徐々に体内に入り込み身体を蝕んで、やがては死に至らしめるという巧妙、かつ怖ろしい薬まであるそうな。香月が自分に持たせた毒薬も大方はその類の薬で、毒味の段階で毒だと容易には知れないものではないか。誠恵はそう見当をつけていた。
この煎薬を光宗はいつものように疑いもせず服用するに相違ない。今夜か、明日の朝か、いつになるのかは判らないけれど、この薬はほぼ間違いなく王の生命を奪う。
愛する男を自分はこの手で殺すのだ。
この手で―。
誠恵は両手のひらを眼の前にかざした。一瞬、その白い手がどす黒い血にまみれているような錯覚にとらわれ。
誠恵は小さな叫び声を上げた。
瞼に、血を吐きながら倒れる光宗の姿がありありと浮かぶ。この手を濡らすのは、他ならぬ愛しい男の吐いた血だ。
手が、戦慄いた。七月の暑い盛りに寒いはずもないのに、まるで瘧にかかったかのように両手がふるふると震える。
その時。
「そなた、このような場所で何をしている?」
誠恵はハッと我に返った。
「柳内(リユウネ)官(ガン)」
誠恵は、できるだけ笑顔が不自然に見えないように細心の注意を払った。
柳内官は、尚薬を務める内官と親しく、この薬房にも頻繁に出入りしている。
しまったと、後悔しても今更、遅かった。尚薬や医女の出入り時間は頭に叩き込んでいたのに、この部外者である柳内官のことまでは考えていなかったのだ。
「張(チヤン)女官(ナイン)、そなたが今どき、ここに何の用がるのだ?」
大抵の男は―それが男根を切り取った内官であるとしても―、誠恵の可憐な微笑みを眼にしただけで、警戒心を解き、その笑顔に魅了された。しかし、この柳内官だけは、その女としての魅力を武器にできない唯一の男であった。
案の定、柳内官は誠恵の笑顔にいささかも動ずることなく、眉一つ動かさない。
「趙尚(チヨンサン)宮さま(グンマーマ)が朝からずっと頭痛がすると仰って、お薬を頂きにきたの」
可愛らしい声で応えると、柳内官は眉をわずかに顰めた。
「だが、薬房に入って、勝手に薬を探して良いということにはならぬだろう。尚薬どのの許可を得た上でのことなのか?」
誠恵は困ったような表情で周囲を一瞥した。部屋の隅の薬種棚にはありとあらゆる薬の入った壺が所狭しと置かれ、天井からは日干しにした薬草が隙間なくぶら下がっている。
「ごめんなさい。趙尚宮さまがあまりにお苦しみでいらしたので、そこまで気が回らなくて。今度からは気をつけるわ。とこで、柳内官、肝心の頭痛に効く薬を頂けないかしら」
柳内官はまだ疑いの眼で見ながらも、棚から一つの壺を取り、幾らか薬を分けてくれた。
「ありがとう」
誠恵は紙に包まれた薬を渡されると、逃げるように薬房を出た。
どうも、あの若い内官は苦手だ。誠恵は帰る道々、柳内官の整った貌を思い出していた。内官といえば、男性機能を失ったということで、色白ののっぺりとした中性的な風貌を想像しがちだが、実際には、そうではない。
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