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闇に咲く花~王を愛した少年~㊱
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しゃがみ込んで、顔を伏せて泣いていると、背後からそっと肩に乗せられた温かい手があった。
「緑花」
抑揚のある深い声は、光宗その人であることはすぐに判った。
光宗は思いやりのある人だ。あの場で誠恵が居たたまれなくなってしまったことも十分理解している。だから、尚宮や内官を置いて、たった一人で逃げ出した誠恵を追ってきたのだ。
だが、王の優しさが時折、徒になることもある。今頃、血相を変えて女の後を追いかけていった国王を、内官や尚宮たちは渋い顔で見送っていることだろう。
そして、結局は誠恵が悪者になる。
張緑花はその色香で殿下を誑かし、意のままに操ると。
すべては領議政孫尚善に言われたとおりになった。若い王は誠恵の魅力の虜となり、美しき花にいざなわれる蝶のように魅せられている。
後は、寄ってきた蝶を隠し持った毒の棘でひと突きにし、その息の根を止めるだけ。
それで、〝任務〟は完了する。
なのに、どうして、こんなにも哀しい?
どうして、こんなにも哀しくて、やるせなくて、涙が止まらないのだろう?
「何故、あのように突然、いなくなった?」
優しく問われ、誠恵は嫌々をするように小さく首を振る。
「そんなに優しくしないで下さい。殿下、私は殿下のお側にいる価値のない女なのです」
光宗は誠恵の両肩をそっと掴むと、立ち上がらせた。温かな手のひらで彼女の頬を包み込み、顔を上向かせる。
「予がそなたを望んでいる。そなたでなければ駄目なのだ、緑花。そなた以外の女など要らぬと思うほどに、予はそなただけを求めている。だから、そなたは何も気にする必要はない。大威張りでここに、予の傍にいれば良い。それとも、そなたは、こうまで申しても、予の傍を離れると申すか?」
「いいえ、いいえ! 殿下、私も殿下のお側にずっといとうございます。私がお慕いするのは未来永劫、殿下お一人でございますもの」
口にしてから、緑花が今の言葉が自分の本心だと初めて気付いた。
ずっと、この男の傍にいたい。
だが、それは所詮、叶わぬ望みというもの。
自分は女ではなく、男、しかも領議政に送り込まれた刺客なのだから。
夢はいつか醒める。
だが、いずれ醒める夢ならば、今だけは夢に浸っていたい。
誠恵が眼を閉じると、残った涙の雫がつうっとすべらかな頬をころがり落ちる。
その涙を唇で吸い取りながら、やわからな頬をなぞっていた光宗の唇がやがて花のような誠恵の唇に辿り着く。
貪るような烈しい口づけは、男の恋情を余すことなく伝えてくる。薄く口を開くと、男の舌が入り込んできて、誠恵は自分から男の舌に自分の舌を絡めた。
いつになく積極的な誠恵の反応に、光宗も情熱的にこたえる。深く唇を結び合わせながら、光宗の手がそろりと動き、誠恵のチョゴリの紐にかかった。
口づけに夢中になっている誠恵は気付かない。紐を解いた男の手がやわらかな胸に触れようと懐に侵入しかけた。
その寸前、誠恵はうっとりと閉じていた瞳を見開いた。
「―!」
烈しい驚愕と狼狽が可憐な面にひろがる。
身を翻して逃げ出した誠恵の背に、王のやるせなさそうな呼び声が追いかけてくる。
「何故だ、緑花。どうして、予から逃げるのだ」
光宗の端整な貌に酷く傷ついた表情が浮かんだ。その横顔には拭いがたい暗い翳が落ちていた。
何故、あれほどまでに自分を嫌うのだろう。いつもは口づけても、なされるままになっている緑花が珍しく自分から積極的にこたえ、求めてきた。とうとう緑花が頑な心を開き、自分のものになってくれるのではないかと期待した。
やはり、性急すぎたのが、いけなかったのだろうか。それとも、自分は身を任せるのは嫌悪感を感じるほど、緑花に厭がられているのだろうか。
いや、緑花は、確かに自分を慕っている。
―私も心より殿下をお慕いしております。
あの涙と言葉には嘘はなかった。にも拘わらず、あくまでも自分を拒む、その理由は何なのか。
緑花には、自分の愛を受け容れられぬ真の理由があるのではないだろうか。
光宗は暗澹とした想いに駆られていた。
「緑花」
抑揚のある深い声は、光宗その人であることはすぐに判った。
光宗は思いやりのある人だ。あの場で誠恵が居たたまれなくなってしまったことも十分理解している。だから、尚宮や内官を置いて、たった一人で逃げ出した誠恵を追ってきたのだ。
だが、王の優しさが時折、徒になることもある。今頃、血相を変えて女の後を追いかけていった国王を、内官や尚宮たちは渋い顔で見送っていることだろう。
そして、結局は誠恵が悪者になる。
張緑花はその色香で殿下を誑かし、意のままに操ると。
すべては領議政孫尚善に言われたとおりになった。若い王は誠恵の魅力の虜となり、美しき花にいざなわれる蝶のように魅せられている。
後は、寄ってきた蝶を隠し持った毒の棘でひと突きにし、その息の根を止めるだけ。
それで、〝任務〟は完了する。
なのに、どうして、こんなにも哀しい?
どうして、こんなにも哀しくて、やるせなくて、涙が止まらないのだろう?
「何故、あのように突然、いなくなった?」
優しく問われ、誠恵は嫌々をするように小さく首を振る。
「そんなに優しくしないで下さい。殿下、私は殿下のお側にいる価値のない女なのです」
光宗は誠恵の両肩をそっと掴むと、立ち上がらせた。温かな手のひらで彼女の頬を包み込み、顔を上向かせる。
「予がそなたを望んでいる。そなたでなければ駄目なのだ、緑花。そなた以外の女など要らぬと思うほどに、予はそなただけを求めている。だから、そなたは何も気にする必要はない。大威張りでここに、予の傍にいれば良い。それとも、そなたは、こうまで申しても、予の傍を離れると申すか?」
「いいえ、いいえ! 殿下、私も殿下のお側にずっといとうございます。私がお慕いするのは未来永劫、殿下お一人でございますもの」
口にしてから、緑花が今の言葉が自分の本心だと初めて気付いた。
ずっと、この男の傍にいたい。
だが、それは所詮、叶わぬ望みというもの。
自分は女ではなく、男、しかも領議政に送り込まれた刺客なのだから。
夢はいつか醒める。
だが、いずれ醒める夢ならば、今だけは夢に浸っていたい。
誠恵が眼を閉じると、残った涙の雫がつうっとすべらかな頬をころがり落ちる。
その涙を唇で吸い取りながら、やわからな頬をなぞっていた光宗の唇がやがて花のような誠恵の唇に辿り着く。
貪るような烈しい口づけは、男の恋情を余すことなく伝えてくる。薄く口を開くと、男の舌が入り込んできて、誠恵は自分から男の舌に自分の舌を絡めた。
いつになく積極的な誠恵の反応に、光宗も情熱的にこたえる。深く唇を結び合わせながら、光宗の手がそろりと動き、誠恵のチョゴリの紐にかかった。
口づけに夢中になっている誠恵は気付かない。紐を解いた男の手がやわらかな胸に触れようと懐に侵入しかけた。
その寸前、誠恵はうっとりと閉じていた瞳を見開いた。
「―!」
烈しい驚愕と狼狽が可憐な面にひろがる。
身を翻して逃げ出した誠恵の背に、王のやるせなさそうな呼び声が追いかけてくる。
「何故だ、緑花。どうして、予から逃げるのだ」
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何故、あれほどまでに自分を嫌うのだろう。いつもは口づけても、なされるままになっている緑花が珍しく自分から積極的にこたえ、求めてきた。とうとう緑花が頑な心を開き、自分のものになってくれるのではないかと期待した。
やはり、性急すぎたのが、いけなかったのだろうか。それとも、自分は身を任せるのは嫌悪感を感じるほど、緑花に厭がられているのだろうか。
いや、緑花は、確かに自分を慕っている。
―私も心より殿下をお慕いしております。
あの涙と言葉には嘘はなかった。にも拘わらず、あくまでも自分を拒む、その理由は何なのか。
緑花には、自分の愛を受け容れられぬ真の理由があるのではないだろうか。
光宗は暗澹とした想いに駆られていた。
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