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秘花⑧
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
逃げるようにその場を離れても、まだ背中に乾の鋭い視線が注がれているのが判るほどだった。
賢は哀しい想いで、乾との間に流れた年月を振り返った。あれほど実の兄弟のように仲の良かった自分たちであったのに、何故、このようなことになってしまったのか。
思えば乾の態度が少しずつ変わりはじめたのは、八年前に郊外の川辺に遊びにいってからだ。あの日、木春菊が一面に群れ咲く川原で二人は花冠を作って遊んだ。はしゃぎすぎた自分は水遊びをしたいと川に入り、うかと転んで軽い怪我をした。
あの時、乾は
―一国の王太子の身で、自覚がなさすぎる。
と、随分と怒ったものだった。
確かに、十歳にしては分別もない行動ではあった。あの出来事が乾を怒らせてしまい、自分たちが対立するようなきっかけになってしまったのだとしたら、あまりに哀しすぎた。
それでも、まだ数年前までは互いに行き来したり、よく話したりしていたのに、二年前から、乾は賢にも判るほどはっきりと隔てを置くようになった。
あの頃、賢はあまりに急激に変化する自分自身に自分でついてゆけなくて戸惑っていた。突然、下半身から流れ出た大量の血に愕き、泣き叫び、気を失いそうなほどに取り乱した、あの日。あのことを忘れはしないだろう。
それほど、今も大きな衝撃となって賢の心に残っていた。自分は何かの病気なのかと、もしや病がちの父王を残して先立つ不孝をしなければならないのか。不安に怯える賢を優しく諭してくれたのは幼いときからの侍医ではなく、古くから後宮に仕えている尚宮だった。
彼女は元々は高麗人ではない。賢の生母永国公主の乳母であり、そのお付きとして元からはるばる高麗王妃となる皇女について高麗に来た人だ。
そんな尚宮は賢にとっては祖母のような存在だ。尚宮はすすり泣く賢に、
―お泣きになることはありません。
と、その髪を撫でながら告げた。尚宮は言った。
―世子さまは女性になられたのです。
その一言を理解するまでには、多くの時間を必要とした。十三歳になった時、父王から自分が背負った〝重大な秘密〟は教えられた。けれども、その秘密というのは、なかなか理解できるようで、できなかった。
自分の身体が普通ではないという感覚はその前から薄々は持っていた。男子の身体というものは通常、筋肉がついていて逞しいものなのに、自分は幾つになっても華奢なままなのも不自然に思っていた。
むしろ、後宮で見かける女官たちのように、十歳を過ぎた辺りから胸が少しずつ膨らみ始めたこの身体は男というよりは女みたいだと思うようになっていた。
父王から聞かされた秘密は、十三の賢が受け止めるにはあまりにも大きすぎた。それでも、女性化してゆくその身体の変化は本当にゆっくりとしたものだったため、賢は束の間、自分が実は男でもなく女でもない―という重大な秘密を遠く意識の片隅に追いやっておくこともできたのだ。たとえ、それが一時的な逃避にすきないとしても。
ただ、時間はそれを許してはくれなかった。そして、賢が残酷な事実と正面から向き合う瞬間が訪れたのである。そのきっかけとなったのが十六歳で迎えた遅すぎる初潮であった。
尚宮が去った後、自室の寝台に打ち伏して泣く賢を慰めてくれたのはジュチだった。
―そんなにお泣きにならないで下さい。
―ジュチ、僕は化け物だよ。女でもない男でもないんて、中途半端だ。この身体は一体、何なんだ?
―尚宮さまもおっしゃていたではありませんか、邸下は女性になられたのですから、もう、中途半端ではありません。
―僕は女になんか、なりたくなかった! 僕は高麗の王子だ。父上の跡を継いで高麗の王となるために今まで頑張ってきた。なのに!
八つ当たりだとは判っていた。ジュチに当たっても仕方ないことなのに、激した感情は止まらなかった。
―私は邸下が女性であろうと男性であろうと、そのようなことは関係なく、邸下を大切なお方だと思っております。ゆえに、あなたさまが進まれる道ならどこに続いていようとも、常にお側におります。
賢は泣きながらジュチの腕に飛び込んだ。躊躇いがちにジュチの腕が賢の背中に回され、それからしっかりと抱きしめられた。
宦官であるジュチは、既に男性としての機能は失って久しい。それでも、他の多くの宦官のように彼は中性的ではなく、均整の取れた身体に男らしい精悍な風貌の持ち主だった。そんなジュチは後宮の若い女官たちからも熱い視線を集め、時には好きだと告白されることもあるという。
賢は哀しい想いで、乾との間に流れた年月を振り返った。あれほど実の兄弟のように仲の良かった自分たちであったのに、何故、このようなことになってしまったのか。
思えば乾の態度が少しずつ変わりはじめたのは、八年前に郊外の川辺に遊びにいってからだ。あの日、木春菊が一面に群れ咲く川原で二人は花冠を作って遊んだ。はしゃぎすぎた自分は水遊びをしたいと川に入り、うかと転んで軽い怪我をした。
あの時、乾は
―一国の王太子の身で、自覚がなさすぎる。
と、随分と怒ったものだった。
確かに、十歳にしては分別もない行動ではあった。あの出来事が乾を怒らせてしまい、自分たちが対立するようなきっかけになってしまったのだとしたら、あまりに哀しすぎた。
それでも、まだ数年前までは互いに行き来したり、よく話したりしていたのに、二年前から、乾は賢にも判るほどはっきりと隔てを置くようになった。
あの頃、賢はあまりに急激に変化する自分自身に自分でついてゆけなくて戸惑っていた。突然、下半身から流れ出た大量の血に愕き、泣き叫び、気を失いそうなほどに取り乱した、あの日。あのことを忘れはしないだろう。
それほど、今も大きな衝撃となって賢の心に残っていた。自分は何かの病気なのかと、もしや病がちの父王を残して先立つ不孝をしなければならないのか。不安に怯える賢を優しく諭してくれたのは幼いときからの侍医ではなく、古くから後宮に仕えている尚宮だった。
彼女は元々は高麗人ではない。賢の生母永国公主の乳母であり、そのお付きとして元からはるばる高麗王妃となる皇女について高麗に来た人だ。
そんな尚宮は賢にとっては祖母のような存在だ。尚宮はすすり泣く賢に、
―お泣きになることはありません。
と、その髪を撫でながら告げた。尚宮は言った。
―世子さまは女性になられたのです。
その一言を理解するまでには、多くの時間を必要とした。十三歳になった時、父王から自分が背負った〝重大な秘密〟は教えられた。けれども、その秘密というのは、なかなか理解できるようで、できなかった。
自分の身体が普通ではないという感覚はその前から薄々は持っていた。男子の身体というものは通常、筋肉がついていて逞しいものなのに、自分は幾つになっても華奢なままなのも不自然に思っていた。
むしろ、後宮で見かける女官たちのように、十歳を過ぎた辺りから胸が少しずつ膨らみ始めたこの身体は男というよりは女みたいだと思うようになっていた。
父王から聞かされた秘密は、十三の賢が受け止めるにはあまりにも大きすぎた。それでも、女性化してゆくその身体の変化は本当にゆっくりとしたものだったため、賢は束の間、自分が実は男でもなく女でもない―という重大な秘密を遠く意識の片隅に追いやっておくこともできたのだ。たとえ、それが一時的な逃避にすきないとしても。
ただ、時間はそれを許してはくれなかった。そして、賢が残酷な事実と正面から向き合う瞬間が訪れたのである。そのきっかけとなったのが十六歳で迎えた遅すぎる初潮であった。
尚宮が去った後、自室の寝台に打ち伏して泣く賢を慰めてくれたのはジュチだった。
―そんなにお泣きにならないで下さい。
―ジュチ、僕は化け物だよ。女でもない男でもないんて、中途半端だ。この身体は一体、何なんだ?
―尚宮さまもおっしゃていたではありませんか、邸下は女性になられたのですから、もう、中途半端ではありません。
―僕は女になんか、なりたくなかった! 僕は高麗の王子だ。父上の跡を継いで高麗の王となるために今まで頑張ってきた。なのに!
八つ当たりだとは判っていた。ジュチに当たっても仕方ないことなのに、激した感情は止まらなかった。
―私は邸下が女性であろうと男性であろうと、そのようなことは関係なく、邸下を大切なお方だと思っております。ゆえに、あなたさまが進まれる道ならどこに続いていようとも、常にお側におります。
賢は泣きながらジュチの腕に飛び込んだ。躊躇いがちにジュチの腕が賢の背中に回され、それからしっかりと抱きしめられた。
宦官であるジュチは、既に男性としての機能は失って久しい。それでも、他の多くの宦官のように彼は中性的ではなく、均整の取れた身体に男らしい精悍な風貌の持ち主だった。そんなジュチは後宮の若い女官たちからも熱い視線を集め、時には好きだと告白されることもあるという。
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