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秘花⑨
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
もちろん、その噂はジュチ本人から聞いたわけではない。お喋り好きな女官たちの噂話から偶然、知ったことだ。それでも、ジュチは律儀に想いを寄せられた女官に断っているそうだ。
―私には恋い慕うお方がいますゆえ。
その話を知った時、賢は衝撃を受けたものだ。〝宦官だから〟と断れば相手を傷つけないのに、〝恋い慕う女がいる〟と理由を真正直に言うところがいかにもジュチらしいといえばいえた。賢は妙なところで、納得した。
いつも側にいて影のようにまめやかに仕えてくれたジュチ。彼は賢にとっては昔の乾のような存在でしかないはずだった。乾が弟なら、ジュチは兄ともいえる。だからこそ、何故、ジュチに好きな女がいると知り、そこまでショックを受けるのか自分でも理解できなかった。
自分が女性になりつつあるという事実を受け容れるまでには時間がかかった。いや、今でさえ、心のどこかでは認め切れておらず、悪あがきをしている。賢はジュチに言った。
―ジュチ、天は僕の意思とは裏腹に僕に女になれと言われているのかもしれない。でも、僕は今でも自分は男だと、高麗の王子だと思っている。だから、ジュチも僕に付いてきてくれるかい? 男として生きようと決めた僕を助けてくれる?
ジュチはその場に跪いて頭を垂れた。
―もちろんですとも。いつかも申し上げたように、私は邸下が男であろうと女であろうと、そのようなことは関係ないのです。あなたさまが王子として生きる道を選ばれるというのならば、悦んでその道にお従いします。
―ありがとう。ジュチがいてくれて、僕は本当に良かった。
―私こそ、邸下のお力になれて幸せです。
ジュチとの絆が深まったのとは対照的に、乾との距離は離れるばかりだった。いや、離れるどころか、乾は最近では賢に敵意さえ見せるようになった。特に乾の露骨な敵意は賢そのものにというよりは、いつも背後に控えているジュチに向けられた。
何故、乾が一介の宦官にそこまで敵意と憎悪を剥き出しにするのか、皆目解せない。しかし、ジュチはその原因には心当たりがあるようで、では何なのかと賢が訊ねても、彼は淡く微笑んで黙っているだけで応えない。
しかも、朝廷ではかねてから、王太子派と陽寧君派が二大勢力を作って席巻していた。最早、国王の余命が長からぬことを知った重臣たちは自分たちがいずれの派閥に付けば有利になるか様子見である。
そして、その勢力はそのまま高麗の親元派と反元派に直結していた。つまり、元の皇女を母に、皇帝を祖父に持つ王太子を支持するのが親元派、父を元人に殺害された陽寧君を擁する反元派だ。その大きな勢力はその頂に担ぎ上げられたそれぞれ二人の王子たちの思惑とはまったく与り知らないところで、互いに牽制し合っていた。
後に、その二大勢力の反目が二人を巻き込んで激動の歴史の渦に巻き込まれることになるとは、神ならぬ身の賢はまだ想像だにしていなかった。
「陽寧君にお心を許してはなりませぬ」
ジュチの声が間近に聞こえて、想いに耽っていた賢はピクリと身を震わせた。
「あ、ああ。だが、乾なら、大丈夫だよ。今でこそ大臣たちの思惑に巻き込まれたような形で隔てができてしまったが、元々、彼は実の弟のようなものだからね」
「ですが」
ジュチは周囲を窺うように見回し、人影がないのを確かめてから、また声を低めた。
「邸下はお気づきでしょうか、殿下のご病状が特に悪化したのは陽寧君が薬湯を差し上げるようになってからなのです」
その言葉に、賢は眉をひそめた。
「ジュチ、乾は父上が実の息子のように可愛がってきた甥だ。憶測だけで、そのようなことを言うのは、たとえジュチでも許せないよ」
ジュチはうつむき、唇を噛みしめた。が、すぐに顔を上げた。
「私が単なる憶測や思い込みで、このような重大なことを邸下のお耳に入れるとお思いですか?」
もっともな指摘に、賢は言葉を失った。確かに、そのとおりだ。ジュチはいつも冷静で、賢がどれだけ動揺しているときでも、落ち着いて的確な助言をくれる。そんな彼が何故、王族にして王位継承権第二位の乾に国王毒殺の疑いがあると言うだろう?
「それは真実なのか?」
信頼していた従弟だけに、賢の衝撃は計り知れない。声が震えないようにするのが精一杯だ。
ジュチは小さく頷き、いっそう声を落とした。
「侍医が不審の念を抱き、陽寧君が差し上げる薬湯について調べさせて欲しいと申し出たそうなのですが、陽寧君は」
―私には恋い慕うお方がいますゆえ。
その話を知った時、賢は衝撃を受けたものだ。〝宦官だから〟と断れば相手を傷つけないのに、〝恋い慕う女がいる〟と理由を真正直に言うところがいかにもジュチらしいといえばいえた。賢は妙なところで、納得した。
いつも側にいて影のようにまめやかに仕えてくれたジュチ。彼は賢にとっては昔の乾のような存在でしかないはずだった。乾が弟なら、ジュチは兄ともいえる。だからこそ、何故、ジュチに好きな女がいると知り、そこまでショックを受けるのか自分でも理解できなかった。
自分が女性になりつつあるという事実を受け容れるまでには時間がかかった。いや、今でさえ、心のどこかでは認め切れておらず、悪あがきをしている。賢はジュチに言った。
―ジュチ、天は僕の意思とは裏腹に僕に女になれと言われているのかもしれない。でも、僕は今でも自分は男だと、高麗の王子だと思っている。だから、ジュチも僕に付いてきてくれるかい? 男として生きようと決めた僕を助けてくれる?
ジュチはその場に跪いて頭を垂れた。
―もちろんですとも。いつかも申し上げたように、私は邸下が男であろうと女であろうと、そのようなことは関係ないのです。あなたさまが王子として生きる道を選ばれるというのならば、悦んでその道にお従いします。
―ありがとう。ジュチがいてくれて、僕は本当に良かった。
―私こそ、邸下のお力になれて幸せです。
ジュチとの絆が深まったのとは対照的に、乾との距離は離れるばかりだった。いや、離れるどころか、乾は最近では賢に敵意さえ見せるようになった。特に乾の露骨な敵意は賢そのものにというよりは、いつも背後に控えているジュチに向けられた。
何故、乾が一介の宦官にそこまで敵意と憎悪を剥き出しにするのか、皆目解せない。しかし、ジュチはその原因には心当たりがあるようで、では何なのかと賢が訊ねても、彼は淡く微笑んで黙っているだけで応えない。
しかも、朝廷ではかねてから、王太子派と陽寧君派が二大勢力を作って席巻していた。最早、国王の余命が長からぬことを知った重臣たちは自分たちがいずれの派閥に付けば有利になるか様子見である。
そして、その勢力はそのまま高麗の親元派と反元派に直結していた。つまり、元の皇女を母に、皇帝を祖父に持つ王太子を支持するのが親元派、父を元人に殺害された陽寧君を擁する反元派だ。その大きな勢力はその頂に担ぎ上げられたそれぞれ二人の王子たちの思惑とはまったく与り知らないところで、互いに牽制し合っていた。
後に、その二大勢力の反目が二人を巻き込んで激動の歴史の渦に巻き込まれることになるとは、神ならぬ身の賢はまだ想像だにしていなかった。
「陽寧君にお心を許してはなりませぬ」
ジュチの声が間近に聞こえて、想いに耽っていた賢はピクリと身を震わせた。
「あ、ああ。だが、乾なら、大丈夫だよ。今でこそ大臣たちの思惑に巻き込まれたような形で隔てができてしまったが、元々、彼は実の弟のようなものだからね」
「ですが」
ジュチは周囲を窺うように見回し、人影がないのを確かめてから、また声を低めた。
「邸下はお気づきでしょうか、殿下のご病状が特に悪化したのは陽寧君が薬湯を差し上げるようになってからなのです」
その言葉に、賢は眉をひそめた。
「ジュチ、乾は父上が実の息子のように可愛がってきた甥だ。憶測だけで、そのようなことを言うのは、たとえジュチでも許せないよ」
ジュチはうつむき、唇を噛みしめた。が、すぐに顔を上げた。
「私が単なる憶測や思い込みで、このような重大なことを邸下のお耳に入れるとお思いですか?」
もっともな指摘に、賢は言葉を失った。確かに、そのとおりだ。ジュチはいつも冷静で、賢がどれだけ動揺しているときでも、落ち着いて的確な助言をくれる。そんな彼が何故、王族にして王位継承権第二位の乾に国王毒殺の疑いがあると言うだろう?
「それは真実なのか?」
信頼していた従弟だけに、賢の衝撃は計り知れない。声が震えないようにするのが精一杯だ。
ジュチは小さく頷き、いっそう声を落とした。
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