秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ

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秘花⑩

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

 言葉を切ったジュチに対し、賢は咳き込んで問うた。
「乾は何と?」
 短い沈黙があり、ジュチが応えた。
「調べても特に問題はないと仰せになり、侍医が調べたところ、特に問題はないとのことでした」
「―そう」
 思わず安堵の息が洩れる。やはり、あの乾が父王に毒薬を盛るなど考えられない。乾は子どもの頃から、真っすぐすぎるほど正直で優しい男だったのだから。
 ジュチはわずかに首を傾げた。
「邸下のご不快は承知で申し上げますなら、私はなお、陽寧君の差し上げる薬に疑念を持っております。或いは遅効性の毒ということも考えられますゆえ」
「良い加減にして」
 賢はやや語調を強めた。
「乾は父上にとっては息子も同然なのに、どうして彼が父上を殺害する必要がある?」
「それは」
 言いかけたジュチに、賢は声を荒げた。
「もう、良い。父上をお待たせしてはいけない。さっさと行こう」
 磨き抜かれた廊下を幾重にも折れ曲がり、やがて室の前に至る。精巧な文様が彫り込まれた重厚な両開きの扉の前には国王付きの尚宮や宦官、女官たちがそれぞれ数人控えている。賢の姿を認めると、宦官長が声を張り上げた。
「世子邸下のおなりでございます」
 女官が両側から扉を開け、賢は国王の寝所に入った。ジュチは少し離れた後方に控え、扉はまた元どおりに閉まった。
「父上、お加減はいかがにごさいますか?」
 王は大きな寝台に横たわり、殆ど眠ったままでいることが多い。だが、今日は呼びかけると、すぐに眼を開いた。
「賢か?」
「はい、父上。お呼びとのことで、飛んで参りました」
 細い手が差しのべられ、賢はその手をしっかりと握った。父はここ一年で随分と痩せた。賢は哀しい想いで、やせ細った父の手を握りしめた。賢や乾が幼い頃はこの手が軽々と抱き上げたり、肩車してくれたものをと思うと、熱いものが込み上げてくる。
 が、病床の父に涙はみせられないと、賢は努めて明るい笑顔を拵えた。
「人払いを」
 国王の掠れた声に、ジュチが深々と一礼して静かに室を出ていった。
「賢、そなたには済まぬことをした」
「父上、何故、突然、そのようなことを仰せになるのですか?」
 賢が愕いて訊ねるのに、王は蒼白くやつれた面に哀しげな笑みを浮かべた。
「十八年前、そなたが生まれた時、私は選択を誤った。それゆえに、そなたが辛い茨の道を歩くことになってしまった。何故、そなたを男として育てることにしたのか、私は後悔しているのだ」
 賢は真顔で首を振った。
「ご心配には及びません。父上、私は今でも我が身は高麗の王子だと思っています。今更、女として生きるつもりは欠片ほどもないのです」
 それに、と、賢は続けた。
「父上の苦衷を私は理解しております。我が国は長らく元の支配下に置かれてきました。れきとした独立国でありながら、王の即位ですら元皇帝の承認がなければ正式な王とは認められぬというこの屈辱。元から迎えた正妃であられた母上が亡くなられたことも考えれば、私を女として育てることはできなかったのは当然のことです」
 王妃が乾在であれば、まだしも状況は変わっていたに相違ない。王妃という存在が元国と高麗の橋渡しとなったからだ。だが、皇帝の愛娘であった王妃は出産で亡くなった。王妃という美しき楔(くさび)を失った時、高麗王の取る道は一つしかなかった。
 賢は微笑んだ。
「母上は亡くなられても、生まれた私が王子であれば、いずれ私は父上の跡を継いで高麗の王となります。元の皇帝もその繋がりがあれば、高麗を無下にはしないと思し召した父上の深いお考えはよく判ります」
「済まぬ、賢」
 もう一度、王が呟いた。まだ四十歳の王の顔には幾筋もの皺が刻み込まれ、まるで百年も生きた老人のように見えた。
 お労しい。賢は涙を堪えて、別人のように変わり果てた父から眼を背けた。
「賢よ、そなたの決意を改めて聞いて、私も安心して逝ける。どうか私が亡くなった後は、乾を頼りとして立派な高麗の王となって欲しい」
「もちろんです、父上。乾であれば、信頼できます。私が即位した暁には、必ずや二人でこの高麗を良き国に導けるよう、私にできる精一杯のことはするつもりです」
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