45 / 108
秘花㊺
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
しおりを挟む
王が燃えるような眼を向けた。
「申せ、夜毎、あの宦官はそなたを抱いたのか!?」
王の言葉の意味が判らず、賢は眼をまたたかせた。王が苛立ちを露わにした。
「そなたの身体を女にしたのは、あの忌々しい宦官なのかと聞いているッ」
賢は質問の意味を完全に取り違えていた。―というより、内容が理解できていないのだ。
「―ジュチは関係ない。僕が勝手に王宮から逃げたのに、ジュチは仕方なく協力させられたんだ」
王が賢を烈しいまなざしで見た。底冷えのする冷えた視線なのに、奥にはぎらつく焔が見えるようだ。その焔が嫉妬だと賢に理解できるはずもなかった。
「そなたが黙って付いてくれば、あやつはうち捨てておけば良いと思うていた。だが、あくまでも逆らうなら、まずは手始めにあの宦官から始末せねばな」
賢の顔色が白くなった。
「お願いだ、ジュチには何もしないで。ジュチは何も悪くない。僕が悪いんだ」
「煩いッ、あのような下郎の名は聞きたくない」
また布を突っ込まれ、賢は涙眼で呻いた。
「うぅ―」
その時。確固とした声が賢の耳を打った。
「待て、賢華は渡さない」
懐かしいあの声は―。
―ジュチ!
王に抱かれた馬上の賢は泣きながら最後の力を振り絞って暴れた。
ジュチは眼前にひろがる光景を信じられない想いで見つめた。昼過ぎに家に帰っても、賢の姿は見当たらなかった。出かけているのかと思い、しばらく待ったが、帰る気配もない。
黙って遠出するような妻ではなかった。それで心当たりといえば、この川原しかなかったので、探しにきたのである。
案の定、妻は川原にいた。あろうことか、あの男―王が賢を腕に抱き馬に乗って連れ去ろうとしていた。賢が採ったらしい魚や花、釣り竿が辺りに散乱している。どう見ても、嫌がる娘を略奪するように連れ去ろうしている図だ。
あの釣り竿はジュチが妻に作ってやったものだった。賢はとても悦んで、毎日のように釣りにきていた。魚は売り物になるので、ジュチの役に立てるそのことが嬉しいのだと言っていた。
健気な少女だと思う。残酷な運命にも屈さず、それを受け容れて進もうとするその姿に何より惹かれた。何不自由ない王宮暮らしに慣れた身にはさぞ不便だろう今の生活にも文句一つ言わず、懸命に生きようとしている。
何故、王は賢をそっとしておいてやらないのか。その想いがつい口をついて出た。
「殿下は何故、賢華を苦しめるのですか?」
王が露骨に眉をひそめた。
「賢華だと? そのような者は知らん。それも、ふざけた夫婦ごっこの延長か?」
からかうように言い、鼻を鳴らす。これが一国の王かと思うと、心底情けなかった。ジュチ自身、かつては宦官ではあるが朝廷の臣下として仕えた身だ。いつまでも靡かぬ女の尻を追いかけ回すよりは、もっと他に王としての務めがあるはずなのに、そのことにも気付かないのか。
殊に今は即位したばかりで、こなさなければならない政務は山積しているはずだ。ジュチはかつての王太子時代の賢を思った。
両性具有であるという秘密を抱えるからこそ余計に、賢は良き王太子であろうと自らを厳しく律していた。学問だけでなく苦手な武術にも励み、何をすれば国が良くなるのか考え、民の声に真摯に耳を傾けようとしていた。
同じ王族として生まれながら、王と賢のこの違いは何だろう。
こんな王にたとえ何を言おうが、千言万言を費やそうが、届くはずはないのかもしれない。それでも、ジュチは言わずにはいられなかった。何より、彼が愛する賢のために。
ジュチは静謐な声音で続けた。
「愛することは力で征服することではありません。もし殿下が賢華を本当に大切に思うなら、彼女の意思をいちばんに考えて下さいませんか」
「どうでも、はっきりと己れの罪状を明白にし、天下の大罪人になりたいと申すのだな。良かろう、申してやる。賢は俺の許婚だ。王の女を攫い、あまつさえ寝取った貴様がこのままで済むと思うてか」
「賢華は私の妻です」
「ぬけぬけと申したな。この者は俺の女だ。十年以上前から、俺は賢だけを見てきた。いずれは賢を妻にするのだとそれを夢見てきたのだ! 貴様にそれを邪魔立てする資格はない」
「申せ、夜毎、あの宦官はそなたを抱いたのか!?」
王の言葉の意味が判らず、賢は眼をまたたかせた。王が苛立ちを露わにした。
「そなたの身体を女にしたのは、あの忌々しい宦官なのかと聞いているッ」
賢は質問の意味を完全に取り違えていた。―というより、内容が理解できていないのだ。
「―ジュチは関係ない。僕が勝手に王宮から逃げたのに、ジュチは仕方なく協力させられたんだ」
王が賢を烈しいまなざしで見た。底冷えのする冷えた視線なのに、奥にはぎらつく焔が見えるようだ。その焔が嫉妬だと賢に理解できるはずもなかった。
「そなたが黙って付いてくれば、あやつはうち捨てておけば良いと思うていた。だが、あくまでも逆らうなら、まずは手始めにあの宦官から始末せねばな」
賢の顔色が白くなった。
「お願いだ、ジュチには何もしないで。ジュチは何も悪くない。僕が悪いんだ」
「煩いッ、あのような下郎の名は聞きたくない」
また布を突っ込まれ、賢は涙眼で呻いた。
「うぅ―」
その時。確固とした声が賢の耳を打った。
「待て、賢華は渡さない」
懐かしいあの声は―。
―ジュチ!
王に抱かれた馬上の賢は泣きながら最後の力を振り絞って暴れた。
ジュチは眼前にひろがる光景を信じられない想いで見つめた。昼過ぎに家に帰っても、賢の姿は見当たらなかった。出かけているのかと思い、しばらく待ったが、帰る気配もない。
黙って遠出するような妻ではなかった。それで心当たりといえば、この川原しかなかったので、探しにきたのである。
案の定、妻は川原にいた。あろうことか、あの男―王が賢を腕に抱き馬に乗って連れ去ろうとしていた。賢が採ったらしい魚や花、釣り竿が辺りに散乱している。どう見ても、嫌がる娘を略奪するように連れ去ろうしている図だ。
あの釣り竿はジュチが妻に作ってやったものだった。賢はとても悦んで、毎日のように釣りにきていた。魚は売り物になるので、ジュチの役に立てるそのことが嬉しいのだと言っていた。
健気な少女だと思う。残酷な運命にも屈さず、それを受け容れて進もうとするその姿に何より惹かれた。何不自由ない王宮暮らしに慣れた身にはさぞ不便だろう今の生活にも文句一つ言わず、懸命に生きようとしている。
何故、王は賢をそっとしておいてやらないのか。その想いがつい口をついて出た。
「殿下は何故、賢華を苦しめるのですか?」
王が露骨に眉をひそめた。
「賢華だと? そのような者は知らん。それも、ふざけた夫婦ごっこの延長か?」
からかうように言い、鼻を鳴らす。これが一国の王かと思うと、心底情けなかった。ジュチ自身、かつては宦官ではあるが朝廷の臣下として仕えた身だ。いつまでも靡かぬ女の尻を追いかけ回すよりは、もっと他に王としての務めがあるはずなのに、そのことにも気付かないのか。
殊に今は即位したばかりで、こなさなければならない政務は山積しているはずだ。ジュチはかつての王太子時代の賢を思った。
両性具有であるという秘密を抱えるからこそ余計に、賢は良き王太子であろうと自らを厳しく律していた。学問だけでなく苦手な武術にも励み、何をすれば国が良くなるのか考え、民の声に真摯に耳を傾けようとしていた。
同じ王族として生まれながら、王と賢のこの違いは何だろう。
こんな王にたとえ何を言おうが、千言万言を費やそうが、届くはずはないのかもしれない。それでも、ジュチは言わずにはいられなかった。何より、彼が愛する賢のために。
ジュチは静謐な声音で続けた。
「愛することは力で征服することではありません。もし殿下が賢華を本当に大切に思うなら、彼女の意思をいちばんに考えて下さいませんか」
「どうでも、はっきりと己れの罪状を明白にし、天下の大罪人になりたいと申すのだな。良かろう、申してやる。賢は俺の許婚だ。王の女を攫い、あまつさえ寝取った貴様がこのままで済むと思うてか」
「賢華は私の妻です」
「ぬけぬけと申したな。この者は俺の女だ。十年以上前から、俺は賢だけを見てきた。いずれは賢を妻にするのだとそれを夢見てきたのだ! 貴様にそれを邪魔立てする資格はない」
5
あなたにおすすめの小説
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
αからΩになった俺が幸せを掴むまで
なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。
10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。
義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。
アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。
義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が…
義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。
そんな海里が本当の幸せを掴むまで…
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される
あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。
雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―
なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。
その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。
死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。
かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。
そして、孤独だったアシェル。
凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。
だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。
生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー
大嫌いなこの世界で
十時(如月皐)
BL
嫌いなもの。豪華な調度品、山のような美食、惜しげなく晒される媚態……そして、縋り甘えるしかできない弱さ。
豊かな国、ディーディアの王宮で働く凪は笑顔を見せることのない冷たい男だと言われていた。
昔は豊かな暮らしをしていて、傅かれる立場から傅く立場になったのが不満なのだろう、とか、
母親が王の寵妃となり、生まれた娘は王女として暮らしているのに、自分は使用人であるのが我慢ならないのだろうと人々は噂する。
そんな中、凪はひとつの事件に巻き込まれて……。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる