秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ

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秘花㊻

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

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 ジュチはやりきれなくなった。
「殿下、賢華は物じゃない。心を持つ一人の人間なのですよ? 賢華を好きだというなら、男として惚れた女が幸せになるのを願うのが男というものではないですか? 嫌がる女を無理に攫うようにして連れ去って、それで女が幸せになるとでも?」
「ええい、相も変わらず小賢しいヤツめ」
 王が癇性に叫んだ。額に青筋を浮かべた王の背後から、漸く数騎の護衛兵らしき男たちが駆けてくるのが見える。
 まずい、と思った。王だけならまだしも、数人を相手に戦うとなると、賢を奪い返すのは相当厳しくなる。しかも、王の護衛は近衛の中でも特別に訓練され選りすぐりの精鋭ばかりだ。また、政よりも女のことしか頭にない王ではあるが、この王自身、武芸にかけてはなかなかの遣い手であることも判っていた。
 護衛兵たちは直に砂埃を上げながら到着した。正確には四人、それぞれが王を守るように左右と背後に陣取った。
「殿下、どうかご賢察下さい。賢華を自由にしてやって下さい」
 ジュチが言い終わらない中に、王に囚われている賢が動いた。王がジュチとのやりとりに気を取られている隙を見て、逃げ出したのだ。王の腕を逃れた賢が身を躍らせる。
 女といえども、かつては王太子として武術の鍛錬にも励んだ身だ。賢は難なく着地し、ジュチの許へ向かって駆けてくるかに見えた。
 だが、王の方も速かった。いち早く反応した王はおもむろに取り出した鞭を振り上げた。
「―!!」
 賢が大きく眼を見開き、悲鳴にならない悲鳴を上げた。王が繰り出した鞭はあたかも大蛇がうねるかのごとく大きく宙をしなり、賢の細い身体に幾重にも巻き付いた。
 王の手を離れた鞭は賢の身体を強く縛め、賢はそのままドッと地面に倒れ伏した。
「何てことをするんだ」
 ジュチは賢の方へと駆けつけた。賢は俯せた格好で倒れ、微動だにしない。よもやこのまま息絶えてしまったのではないか―。ヒヤリとした時、賢の身体がかすかに動いた。
「賢華!」
 ジュチは賢を抱き起こした。ジュチは更に言葉を失った。賢の口には布が押し込まれていた。これも王がやったのか?
 烈しい怒りがジュチの中で渦巻いた。もう、許せないと心が悲鳴を上げていた。ジュチは痛みを堪えるような表情で、賢の口から布を取り出した。
「何故、判らない。あなたは本当に賢華を愛しているのか? 彼女を大切だと思っているのか! これがあなたの愛する女への愛の示し方なのか」
 王は叫ぶジュチを眼を眇めて見ている。その酷薄そうな双眸の奥で冷徹な光が閃き、右隣の護衛官に耳打ちをした。護衛官が頷き、ジュチに向かってくる。
 ジュチの手前で、護衛官は立ち止まった。まだ二十代前半ほど、宦官をしていたジュチにも見憶えのある顔だった。
 彼はジュチに一礼し、事務的に告げた。
「女を置いていけば、今なら殿下はホン内官のことは見逃すと仰せです」
「それは選択の中にはない。私が去るときは賢華も連れてゆく」
 きっぱりと断じると、若い護衛官がやや声を低めた。
「引き返すなら今の中ですぞ。この方は今や殿下の婚約者であり、高麗の王妃となるべき女性です。そのような女性を殿下とあい争うなど、およそ正気の沙汰とも思えません。ホン内官、勤める部署は違えども、私はいつも有能で沈着なあなたを先輩として尊敬していたのです。そのあなたがこんな名もない場所で無駄死にするのは耐えられない。今、殿下に逆らえば、犬死にですぞ」
 ジュチは軽く頭を下げた。
「ご忠言、痛み入る。さりながら、私は死にはしない。絶対に生きる。何故なら」
 ジュチは腕の中の賢を見つめた。
―ずっと側にいて彼女を守ると約束したから。
 その時、賢の睫が震えた。その美しい瞳がゆっくりと開くのをジュチは何か花の蕾がひらいてゆくかのような畏敬の念をもって眺めた。
 類い希な女人に出逢えた奇蹟。十歳で身売りするように宦官になったその瞬間から、自分の生涯は終わったも同然だと思っていた。人を愛する歓びなどは無縁だろうと思っていた人生で、ここまで愛することのできる女にめぐり逢えたのは幸せなことだった。
 ジュチは賢に向かって微笑んだ。
 賢を見つめるジュチは、護衛官が痛ましげに眼を伏せたのに気付かなかった。次の瞬間、ジュチめがけて護衛官が振り上げた刃が陽光を浴びて鈍いきらめきを放った。
 意識を取り戻し始めていた賢が悲痛な叫び声を放った。
「ジュチ―っ」
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