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こっくりさん
しおりを挟む“こっくりさん”といえば、きっと誰もが一度は耳にしたことがあるはずだ。
中には、実際にやったことのある人もいるかもしれない。それほどに全国各地で知名度の高い降霊術で、子供達からしてみればとても魅力的なものだったりもする。
その起源は西洋のテーブルターニングにあるとされ、日本では狐や狸などの動物の霊を呼び出しお告げを聞く占いの一種とされている。十円玉と紙とペンさえあれば誰でもできるという手軽さからか、遊び感覚で安易に手を出してしまう子供らも多く、そのトラブルは各地でも多く語られている。
果たしてそれが本当に幽霊の仕業なのか──はたまた恐怖心からくるただの集団ヒステリーなのか。その原因は定かではないが、そもそも素人が霊を操ろうなどという考え自体に無理があるのだ。
そんな理由からか、今では“こっくりさん”を禁止している小学校も少なくはなく、私の通っている小学校でもそれは同じだった。
当然ながら、私にはそのルールを破るつもりは全くなかったけれど、時折隠れて“こっくりさん”をしている子達がいることは知っていた。いくら禁止されているとはいえ、それを守るとは限らないのだ。
勝手に動き出す十円玉。そんな不思議な現象を一目見てみたいと思ってしまうのは、むしろ当然のことなのかもしれない。
それがどんな悲劇を生むとも知らずに──。
◆◆◆
小学六年生の夏休み。私は汗だくになりながら住宅街を彷徨い歩いていた。
時刻はもうすぐ十八時になるというのに、八月の陽射しは容赦なく私を照りつけその体力を奪ってゆく。
「もうっ、ホントどこ行ったのよ」
ポツリと小さく愚痴を溢した私は、額に流れる汗を拭うと足を止めた。先程から三十分近くも弟を探しているというのに、一向にその姿が見つからないのだ。
いくら夏休みだからとはいえ、犬の散歩もせずに遊び歩いているとはいい度胸だ。
「蓮のやつ……覚えてなさいよ」
連日のように散歩を押し付けられていた私は、今日こそは文句の一つでも言ってやろうと息巻いた。けれど、その肝心の弟が見つからないのだから困ったものだ。心当たりのある場所や友達の家は訪ねてみたものの、そのどこにも弟の姿はない。
おまけにこの暑さだ。流石に疲れてきたし、ここは大人しく自宅で待っていた方が賢明なのかもしれない。
(もしかして、もう家に帰ってたりして……)
入れ違いになった可能性を考えた私は、自宅に戻ろうと踵を返した──その時。
「──杏奈」
不意に肩を叩かれて呼び止められた私は、その声の主を確かめるべく背後を振り返った。
「……あ、茉莉花。塾の帰り?」
「うん、そうだよ。杏奈は何してるの? 今から帰るなら一緒に帰ろうよ」
そう言ってニッコリと微笑んだのは、塾帰りの茉莉花だった。
「うん、一緒に帰ろ。弟を探してたんだけど今から帰るとこだから」
「あ、蓮くん? 蓮くんならさっき見たよ」
「……え、本当!?」
「うん。神明神社に入ってくとこ見たよ」
「なんで神明神社なんかに……」
「さぁ……遊んでるんじゃない? 友達と一緒にいたし」
「もうっ! 人に散歩押し付けて遊んでばっかなんだから……!」
「あ~あ、杏奈を怒らせちゃった」
膨れる私を見て可笑そうにケラケラと笑ってみせる茉莉花。
「今から迎えに行くなら一緒に行こうか?」
「え、いいの?」
「うん。一人で帰るのつまらないし、杏奈と話したいこともあるし」
「ありがと~、茉莉花っ!」
夏休みとはいえ、塾通いで毎日忙しくしている茉莉花。そんな茉莉花と話したいことが沢山溜まっていた私は、遠回りになることを申し訳なく思いながらも、茉莉花からの提案を素直に喜んだ。
そんな茉莉花との出会いは、茉莉花がこの街に越して来た小学三年生だった頃。その後、五年生になってクラスが同じになってからというもの、その距離は急激に縮まり今では親友と呼ぶ程の仲にまでなった。
それでも、私は未だに自分の秘密を打ち明けられないでいた。
“人には視えないモノが視える”だなんて、そんなことを言ってしまったら気味悪がられてしまうのでは──。そう思う気持ちがどうしても拭えなかったのだ。
「いつ見ても凄い階段だよね……」
そびえ立つ階段を前に感嘆の声を漏らすと、私はその視線を頂上へと向けて“神明神明”と書かれた鳥居を見上げた。
百段近くあると思われる階段はいつ見ても壮観で、何故よりにもよってこの神社なのかと、二つ歳の離れた弟のことを恨めしく思う。この階段を登らなければならないことを考えると、私がそう思ってしまうのも無理はない。
「なんでこんな階段造ったんだろ」
「せめてもっと緩やかにして欲しいよね」
そんな文句を溢しながら、茉莉花と二人で急な階段を登ってゆく。一段の高さが通常よりも高く造られたこの階段は、思った以上に私達の体力を奪っていった。
「……っ、しんど~」
「あ~、キツかったぁ。もう二度と登りたくない」
やっとの思いで頂上へと辿り着いた私達は、ゼエゼエと息を切らしながら膝に手を着いた。
やはりあのまま帰って自宅で弟の帰りを待っているべきだった。そんな後悔すら感じさせる階段を、息を整えながらもチラリと横目に見下ろしてみる。
(ここから転げ落ちたら間違いなく死ぬよね)
階段というより、まるで切り立つ崖のような勾配だ。踏み外さなかったことに今更ながらに安堵すると、私は弟の姿を探すべく顔を上げた。
「……あっ。蓮! も~、何やってるの! またリッキーの散歩サボって遊んで!」
なんなく見つけることのできた弟の姿に、私の怒りは即座に頂点に達した。そのままズンズンと弟に近付いてゆくも、当の弟ときたらこちらを振り返るでもなく突っ立ったままでいる。
「……ちょっと! 聞いてるの、蓮!」
「お姉ちゃん……っ、助けて」
「……え?」
啜り泣くようなか細い声を発した弟は、相変わらず突っ立ったままピクリとも動こうとしない。そんな姿に妙な違和感を覚えた私は、すぐさま弟の側まで駆け寄ると口を開いた。
「何!? どうしたの!?」
────!!?
途端にその場に漂い始める禍々しい空気。その毒気に軽く眩暈を起こしながらも、私は弟の足元へとゆっくりと視線を移した。
そこにあったのは、五十音の書かれた紙と十円玉。
「あんた……まさか“こっくりさん”やってたの?」
私の口から出たその声は、酷く震えて情けない声だった。
「帰ってくれないんだ……お願いしても帰ってくれなくて……っ」
ポタポタと涙を流しながら、必死に状況を説明しようとする蓮。
「それで、Yが指を離しちゃって……っ」
「分かった……、分かったから。もういいから、とにかく帰ろう」
助けてと言われたところで、情けないことに私にはどうすることもできない。見たところ、弟の友達の姿はどこにも見当たらないしきっと先に帰ったのだろう。
だとしたら、今の私にできることといえば弟と茉莉花をこの場から避難させることしかない。間違いなく今この場には私達以外の“何か”がいる。それだけは肌で感じるのだ。
「動けないんだよ……っ」
クシャリと顔を歪ませた蓮は、そう告げると更に涙を流した。
「動けないって……何言ってんの? あっ。リッキーの散歩のこと? それならもう怒ってないから。早く帰ろ? ね?」
「……っ」
「ねぇ、どうしたの? 早く帰ろうよ」
一刻も早くこの場を立ち去りたかった私は、その場を動こうとしない蓮の腕を軽く引っ張ってみる。けれど、それでも動こうとする素振りをみせない蓮を見て、私は更に強い力で腕を引いてみた。
「……え、?」
性別の違いはあれど、私より一回り以上も身体の小さい弟。そんな蓮が私に腕を引かれてピクリとも動かないなんて事があるのだろうか? 途端に私の全身から嫌な汗が吹き出し、それまで感じていた嫌な空気が一気に私の身体を包み込んだ。
それはまるで、私の存在を拒んでいるかのように重くのしかかり、私のしようとしていることを邪魔しているかのようだ。
「……っ、何で!? 何で動かないのっ!?」
ボロボロと泣き続ける蓮の腕を掴みながら、その見えない“何か”に負けてたまるかと渾身の力を振り絞って何度も蓮の腕を引いてみる。けれど、何度やっても微動だにしない蓮の身体。
「……キャーー!!?」
突然響いた悲鳴に驚いて振り返ってみると、階段付近で地べたに座り込んでいる茉莉花がいる。
「ちょっと待ってて」
「やだ……っ、行かないで」
「大丈夫、すぐ戻ってくるから。絶対に置いてかないからちょっと待ってて」
泣き縋る弟を一人その場に残すと、私はすぐさま茉莉花の元へと駆け寄った。
「茉莉花、大丈夫!?」
「あ、あれ……っ」
力なく右手を持ち上げた茉莉花は、すぐ目の前の階段を指差した。その指先を辿るようにして階段を覗いてみると、そこには伸び切った木の枝の側で倒れている男の子がいる。よく見てみると、どうやら頭から血を流しているようだ。
(一体、何が……っ?)
状況からみて、きっと階段から落ちたに違いない。けれど、この男の子は一体どこから現れたのだろうか? 先程見渡した限りでは、私と茉莉花と蓮の三人以外はここには誰も居なかったはずだ。
もしかして、先に帰ったと思っていたY君はどこかにまだ残っていて、あの男の子が弟の言っていたY君なのでは──。そんなことを考えながらも、パニックに陥った私は声を荒げた。
「何!? ……っ、どーゆうこと!?」
「い、いきなりその茂みから男の子が二人出てきて……っ。それで、いきなり階段から突き飛ばしたんだよ!」
茉莉花のその言葉を聞いた瞬間、私の頭の中に閃光のように浮かび上がったのは、友達二人と“こっくりさん”をしている蓮の姿だった。そして、“何か”に取り憑かれてしまったかのように奇妙な行動を取り始める三人。
勿論、その場に居合わせなかった私がそんな情報を知る由もない。けれど、やけに鮮明に浮かび上がってくるそれらの光景は、間違いなく現実に起こったことなのだと私に訴えてくる。
「──助けて! ……お姉ちゃんっ!」
弟の泣き叫ぶ声で我に返った私は、重くふらつく頭を懸命に動かすと蓮の声が聞こえてきた方へと視線を移した。するとそこには、ズルズルといとも簡単に蓮を引きずって歩く男の子の姿があった。
私がどんなに引いても微動だにしなかったというのに、私より身体の小さな男の子が自分と同じ背丈の弟を引きずって歩いている。そんなにわかには信じられない光景を前に、私は思わず自分の目を疑った。
「杏奈っ! あの子だよ、階段から突き飛ばした子!」
茉莉花の焦ったような声を合図にその場を駆け出すと、私はそのまま蓮達の元まで行くと男の子の腕を掴んだ。
「蓮を離してっ!! ……っ、離してったら!!」
六年生と四年生という体格差があるにも関わらず、私の力にびくともしない男の子。その瞳はやけにドス黒く、何かに憑依されているのは一目瞭然だった。
一体、この男の子に取り憑いているモノは何なのか──それは私には分かりようもなかったが、このままでは二人共危険だということだけは明白だった。けれど、どんなに頑張っても力で押し負かされるばかりで、ついに突き飛ばされてしまった私はその衝撃で地面に投げ飛ばされた。擦りむいた掌や膝からは薄っすらと血が滲み出し、鈍い痛みが私の全身を駆け巡ってゆく。
「……杏奈っ!!」
加勢に加わった茉莉花が、男の子と格闘しながらも不安と恐怖の入り混じった瞳を私へと向ける。
それもそのはず。男の子は蓮を引きずりながら階段へと近付いているのだ。きっと弟のことも階段から突き飛ばす気なのだろう。その意図が分かった瞬間、私は痛みを堪えて立ち上がった。
「蓮っ!!」
自分の無力さを呪いながら、私は蓮を抱きしめて啜り泣いた。
いくら霊力が強いとはいえ、何もできないのならこんな力になど意味はない。そんな無念さを抱きながら、私は血の滲む掌を男の子の胸に押し当てた。
「やめてーー!!!」
渾身の力を振り絞って大きな声を上げた瞬間、目の前の男の子は突然ドサリと地面に崩れ落ちた。
一体何が起きたのか──その場に居た全員それは分からなかった。
「っ、……お姉ちゃん!」
金縛りが解けたのか、泣きじゃくりながら私に抱きついてきた蓮。その元気そうな姿を見てホッと胸を撫で下ろすと、今度はその安堵感からポロポロと涙が流れてくる。ふと横を見てみれば、カタカタと小さく震えながら涙を流している茉莉花がいる。
とてつもない恐怖に見舞われたのは、その場に居た誰もが同じだったのだ。
その後、駆けつけた救急車によって病院へと運ばれたY君。枝がクッションとなったことが幸いし、足の骨折と額の裂傷で全治三ヶ月の怪我で済んだとのことだった。
憑依されていた男の子はというと、あの時の記憶は本人には全くなかったらしく、その後一ヶ月も経たない内に転校してしまったと。弟伝に話し聞いた。
あの時取り憑いていたモノが何故急に姿を消したのか──。それは私には分からなかったけれど、あの時感じた掌から流れ出た暖かさは私の気のせいなんかではなかった。
きっと私の力が弟を救ったのだ──。
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