【R18】義弟の舌

志貴野ハル

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3章

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「デートは楽しかったですか?」


 お盆最終日のお昼過ぎ、安藤さんがうちに顔を出した。実家に帰省していてこれから一人暮らしの家に帰るところだという。


「で、デート?」
「あれ、夏祭り、行ったんでしょう?」


 そう言って玄関先の水槽の中を泳ぐ金魚を指さす。
 我が家に来る時はいつもスーツで前髪も上げていたから、私服で髪を下ろしているのを見るのは初めてだ。髪型が変わるだけで最初の印象より少し落ち着いて見えた。


「あ、はい。でも、デートでは……」
「またまた。僕がここに来た日があったでしょう。その前日に急に電話がきて、仕事が終わったから金を寄越せと。そんなにすぐ渡せるわけないじゃないですか。理由を聞いたら夏祭りに行くって言うんで、余計になんのことかと思いましたよ」
「あっ、すみません、私がきっと楽しみだって言ったから」
「いやいや、お義姉さんを責めてるんじゃないんです、むしろ逆で、あいつが意欲的に外に出るのが嬉しかったんですよ。僕があれこれ理由をつけて何度誘っても連れ出すことは無理だったから」


 「ありがとうございます」と安藤さんが目を細めた。
 本当にずっと心配していたのだろう。友人というよりも、家族ぐらい近しい人のように見えた。見捨てずに何年もここへ通って差し入れをしてきたのだから、義弟が元気になった姿を見るのはきっと私以上に嬉しいのかもしれない。
 私の好きな人が、こんなに大切に想われているのは私も嬉しい。


「ここで立ち話も暑いでしょうから、どうぞ上がってください」


 もう少しでおやつの時間だから義弟も戻ってくると伝えると、安藤さんが笑った。


「じゃあお言葉に甘えて。お邪魔します」
「はい」


 安藤さんを居間に通してお茶を準備する。冷蔵庫には昨日の夕食後に作っておいたフルーツ寒天を冷やしておいてあった。義弟が甘いもの好きだというのと、頭を使うとお腹が空くというのを聞いてから、図書館からレシピ本を借りて少しずつ簡単なお菓子を作るようになったのだ。
 居間の一番奥に座って雑誌を捲っている安藤さんに、冷たいお茶を差し出す。そこで安藤さんの背後にある寝室の襖が開きっぱなしになっていることに気づいてそそくさと閉めに向かった。布団は今、外に干してあるから部屋の中は化粧台と小さな本棚くらいしかない。見られて困るものはないけれど、それでもやっぱり生活している場所を見られるのは嫌だった。ましてや今は義弟も一緒に寝ているのだ。一瞬でも安藤さんの目に触れたかと思うと、そこでしていた昨夜の行為を思い出されて一層ヒヤヒヤする。
 なんでもない素振りを見せながらテレビを背にして、テーブルを挟んで安藤さんの向かい斜めに座る。


「あ、そういえば、安藤さんから貰ったお財布、大切そうに見せてくれました」


 さっきまで好意的に接することができていたのに、話の切り出し方が下手くそでぎこちなくなってしまった。
 雑誌を閉じた安藤さんがこちらを向いた。見上げるように向けられた大きな目に、一瞬怯む。


「えー、デザインが古臭いとか好みじゃないとか言ってました?」
「まさか! そんなこと言いませんよ! すごく嬉しそうにしていました」
「それならよかった」


 大きな目が細く形を変えた。
 玄関先では普通に話せていたのに妙に緊張する。寝室について何も思わなきゃいいけど……。次の話題を出さなきゃ。でもその引き出しがない。仕事中の義弟を呼びに行こうかと胸に抱き締めるようにして持っていたお盆に視線を落とす。


「新婚なのに、こんな大きな家に一人にされて寂しいでしょう」
「……え」


 前にも義弟と同じようなことを言われた気がして、一瞬、体が強張った。


「あ、すみません、失言でした」
「い、いえ」


 安藤さんもこの場をどうにかしようと気を利かせてくれたのだろう。だけどやっぱり私のことは聞かないで欲しい。義弟の友人として仲良くしたい気持ちはあるけれど、仲良くなればなるほど私の方が失言してしまいそうだ。


「そういや旦那さんは、今どこへ単身赴任してるんですか?」
「ええと」


 どこまで打ち明けていいかわからないまま、夫の赴任先を告げる。すると安藤さんの表情が明るくなった。


「あぁ、そこなら仕事で何度か行ったことありますよ!」
「そうなんですか。あ、安藤さんは確か、雑誌を作るお仕事をされてるんですよね」
「はい、まさにこれですね。これは僕が作りました」


 そう言って安藤さんはさっきまで読んでいた大衆雑誌の表紙をこちらに見せるように、とん、とテーブルの上に立てた。そしてまたパラパラと捲り出す。
 話題が私たち夫婦から逸れたことに安堵する。


「食べるのが好きで、その土地の有名どころはもちろんなんですが、隠れた名産品を探すのが仕事みたいなもので……あぁ、これだ、先々月はここと、ここの取材に行きました」


 安藤さんが指差したのは、飛行機の距離にある有名なチーズケーキの本店と老舗和菓子屋の記事だった。義弟と一緒に雑誌を見ながら、いつかは食べてみたいとたわいもない話をして盛り上がった。


「あ、こっちのチーズケーキ、私も気になってたんです」
「今度、買ってきましょうか?」
「本当ですか!? 嬉しいです!」


 思わず期待して大きな声が出る。安藤さんが「お安い御用ですよ」と気前よく笑ったところで玄関の扉が開く音が聞こえた。足早の摺り足が居間の前で止まって、義弟が顔を見せる。


「……なんだ、お前か」


 何故か少し慌てたような顔の義弟は、安藤さんを見ると安心したようながっかりしたような複雑な表情をした。


「なんだとはなんだ、客に向かって」
「今日は来る予定じゃなかっただろう」
「実家に帰ってたんだよ。ついでにお前の顔を見に来た」
「だったら真っ直ぐ離れに来ればいい。日中はここにいないって言っただろ」
「いいじゃないか、お前だけじゃなくてお義姉さんにも会いに来たんだから」
「はあ?」


 居間の入り口に立ったまま珍しく義弟が不機嫌そうな声を出したところで、二人の間に割って入る。


「あ、あの、お仕事、お疲れ様です。おやつありますよ。安藤さんもまだお時間があるなら食べていってください」
「お、やった、ありがとうございます、いただきます」
「……お義姉さん、こんな急に来た奴、わざわざもてなさなくていいんですよ」
「まあまあ。すぐ準備しますね」


 立ち上がって、義弟の横を通り過ぎる。義弟が来てくれて、正直嬉しかった。安藤さんのことはいい人だとわかるけど、二人きりでいると義弟のこと以外で何を話していいかわからなくなるし、かと言って義弟の話題を出せば余計なことを言ってしまいそうで気を揉んだ。
 義弟はてっきり安藤さんのところへ行くのかと思ったら、そのまま振り返って台所へやって来た。


「手伝います」


 私が冷蔵庫からフルーツ寒天の入った琺瑯の容器を取り出すと、人数分の器を用意してくれる。


「あら、座っていてもいいのに」


 うまく固まってくれたのを確認し、ほっとしながら包丁で大きめの角切りにしていってガラスの器に盛りつける。フルーツはパイナップルやキウイ、みかんの缶詰を入れてみた。味はどうだろうか。美味しくできているといいけど。


「安藤のはその崩れたやつ、一欠片でいいですよ」


 盛り付けている間、義弟が容器の端を指差して茶々を入れる。


「お客様にそんなことしません。ちゃんとみんな均等にします」
「えぇ、せっかく楽しみにしてたのに、安藤なんかにやったら僕の取り分が減るじゃないですか」
「また作りますから、ね?」


 本気で悔しがっている義弟を笑いながら嗜めて居間へ移動すると、安藤さんはテーブルに肘をついて含み笑いを浮かべながらこちらを見ていた。ぎょっとして、安藤さんの座る位置から私達のことは丸見えだったのだと今さら気づいて、瞬時に顔が熱くなる。どうしてこう、私は脇が甘いのだろう。


「あ、お待たせしました」
「いいえ~」


 大丈夫、勘繰られるほど馴れ馴れしくはしてなかったはず……。そう思うけれど、ガラスの器を持つ手が震えて笑顔がぎこちなくなる。


「なんだよ」


 テーブルを挟んで私の向かい側に座った義弟が、ニヤニヤと笑う安藤さんを見て怪訝そうな顔をした。


「いや、仲が良いなぁって微笑ましく見てたんだよ」
「微笑ましい? 羨ましいんだろ」
「そりゃあな。うちにはこんなに甘やかしてくれるお姉さんはいないからな」
「それは残念だな、可哀想に」


 安藤さんの含みのある言葉を軽くいなして、義弟がフルーツ寒天へスプーンを入れた。その後すぐに二人から「美味しい」という言葉が聞こえてくる。
「よかったです」


 貼り付けた笑顔で返したものの、話の矛先がこちらに向いたらと思うと気が気じゃない。だけど二人はひとしきり味の感想を言い終えると、次の話題は自然と仕事のことになった。


「あ、お仕事の話なら私はここで失礼します」
「あぁ、大丈夫ですよ、聞かれて困るようなことはないので」


 立ち上がる私に義弟が声をかける。


「いえ、ちょうどお布団を取り込んだりしなくちゃいけないと思っていましたから」


 スプーンを咥えた直後の安藤さんに「どうぞゆっくりなさってください」と伝えると、にこやかな顔で会釈を返された。
 居間を出て、布団を干している縁側へ向かう。一日のうち一番気温が高くなるこの時間帯は空気が乾いていて、じりじりと日差しが強く刺さって痛かった。

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