まばゆいほどに深い闇(アルファポリス版・完結済)

おにぎり1000米

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第1部 カフェ・キノネ

20.影たちの審判(後編)

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 ステージ照明は何種類もあり、藤野谷は前年の記録とつきあわせながら照明プランを作っていた。舞台照明器具の使い方については講習を受けたが、何しろ素人の高校生だ。俺たちはオペルームとサイド、ステージを行ったり来たりして機材の配置を確認した。下校時間の前に終わらせなければならない。オペルームは講堂二階の背部にあり、ガラス窓からステージを見下ろせる。操作卓でいっぱいの小さな部屋で、外部の音もいっさい聞こえない。
 何度目かの往復の途中、突然すうっと、何の前触れもなくあたりが暗くなった。

「停電?」
 上部の窓は夜の薄青に変わっていて、屋内はほぼ真っ暗だ。少し先に藤野谷がいる。暗いのにまとわりつく輝きではっきりわかる。
「照明のせいでブレーカーが落ちたとか」と藤野谷が笑う。
「まさか」と俺。
 通路をたどって講堂の出口へ行く。学生証を兼ねたICカードの鍵をかざしても、思いがけないことに扉が開かない。
「まさか、本当に停電?」藤野谷がつぶやいた。
「停電だと鍵も開かない?」

 さあ、と藤野谷が首をふる。俺たちは他の出口も回ったが、どれも反応しなかった。藤野谷はモバイルを取り出して電話をかけたがつながらない。講堂は電波が弱いし、ネットがつながらないのは校内の電源が落ちているためらしい。
 講堂内を二周したあとで俺たちはあきらめて復旧を待つことにした。この停電が校内だけでなく広い地域に及ぶもの(いわゆる「首都圏大停電事件」)だと知ったのは翌朝のことだ。

「寒い」と俺はつぶやく。
「オペルームにいよう。あそこの方がましだ」

 狭いオペルームには椅子がひとつしかなかった。幸い電池式のLEDライトがあった。俺はバックステージで拾った暗幕を床に敷き、操作卓のうしろの壁にもたれて座った。足をのばせる程度の幅しかない。藤野谷はしばらくモバイルで外部と連絡をとろうとがんばっていたが、やがて電池がもったいない、といって切り、俺の横に座った。
 LEDの白い光と藤野谷がまとっている色が俺の視界で混ざる。突然、隣にいる藤野谷の熱を肌に直接感じたように思った。俺はみじろぎした。

「これ、飲んでいいかも。未開封だ。チョコレートもある」
 藤野谷は誰かの忘れものらしい缶コーヒーをライトにかざし、プルタブをあけた。少し飲んで俺にまわす。
「半分ずつ」
 喉が渇いていたにちがいない。甘い缶コーヒーはこれまで感じたこともないくらい美味しかった。俺は飲みかけの缶を藤野谷に返して暗幕の上に座りなおした。突然体の奥がぽうっと、はっきりと熱くなった。まるで火がついたように。次にぶるっと震えが走った。
「サエ?」
 藤野谷が缶の残りをあおる。
「寒い?」
「あ……よくわからない」
「くっつこう」
 藤野谷が暗幕の端をひきよせる。
「一緒にくるまろうぜ」

 腕が俺の肩にまわされた。拒否することなど思い浮かばず、俺はされるがままだった。暗幕にすっぽり包まれ、制服ごしに触れる藤野谷は暖かかった。あたりは暗く、閉じこめられて外と連絡がとれない状況なのに、途方もない安心感を覚えた。
「チョコレートもいただいてしまおう。俺たちのためにこれを忘れてくれた誰かさん、ありがとう」
 そう藤野谷がいう。こんな状況でもその声は明るかったし、楽しんでいるようにも思えた。
「チョコレートなんて、遭難してるみたいだ」
 俺は何気なくつぶやいた。
「そう――」
 藤野谷がいいかけたが、即座に俺は指を立てる。
「天、おやじギャグ禁止」

 LEDの小さな明かりでも藤野谷の口元はよくみえた。ニヤッとして「俺がいおうとしたこと、わかった?」という。
「わかる」
「さすがサエ」
「馬鹿」

 突然口にチョコレートが押しこまれた。不意打ちに俺は口をもぐもぐさせて抗議する。
「いきなり入れるな」
「口封じ。サエはすぐ俺を責めるからな」
 チョコレートのかけらは大きすぎる。俺はあふれた半分を手で割って、藤野谷に押しつける。
「馬鹿、口封じってこんなのじゃないだろ」
「そうだっけ」藤野谷もチョコを口に入れた。
「ある種の比喩だよ比喩。金を渡すとか……」
「やっぱ足りない? じゃあもう一度」
「何いって――」

 そのとき俺の言葉を封じるように、藤野谷はまた俺の口にチョコレートを突っ込んだ。今度は自分が齧りかけていたチョコレートだ。俺の唇に藤野谷の指が触れる。その瞬間、俺は凍りついたように動けなかった。藤野谷の指は俺の口からなかば溶けたチョコレートをすくいとる。まるで自分のチョコと交換するみたいに。そして指を口元に運んで、俺をまっすぐにみつめながらぺろりと舐めた。
「ほら、口封じと……間接キス」
 藤野谷がそうつぶやいたとたん、匂いを感じた。チョコレートの香りではない、ひどく甘い匂いだ。

 意識すると同時になぜか腰に強烈な甘いしびれが走り、頭のてっぺんを貫いて溶けた。暗幕の下で肩を抱く藤野谷の腕を感じ、背筋がぞくりと震える。
 この匂い――この感じ――この熱。まさか。
 俺はすばやく体をよじり、まわされた腕を振りはらった。暗幕を振り払って立ちあがった拍子に壁に頭をぶつけそうになる。暗くてろくに見えないのが幸いだった。
 ただの悪ふざけ。藤野谷はきっとそのつもりだ。

 頭の中にそんな言葉が横切る。でもじっとしていられなかった。藤野谷がつっこんだチョコレートに呼び覚まされた何かのせいで、足が震え、膝が揺れる。腰の奥でうごめく熱を意識する。
 俺は口に残ったチョコレートを飲みこんだが、藤野谷の指の感触はまだ舌に残っている。思わず睨みつけると、藤野谷の顔がこわばるのがわかった。
「サエ。俺――」
 俺は立ったまま、なんとか平静を保った。「天、俺はこういうのは嫌いなの。その……口に指つっこまれるのとか。こんなときにふざけるなよ」

 藤野谷は床に座りこんだままのようだが、暗がりにぼんやりみえる影以外何もわからなかった。俺が突き飛ばしたはずみにLEDライトが床におちたからだ。
「そうだな。ごめん、ふざけすぎた」
 藤野谷がそっという。

 俺の体の奥はまだどくどくと音を立てている。そこからいっせいに走り出し、行く場所もわからないままやみくもに出口を探して流れるものがある。藤野谷をみつめると一直線にそちらへ向かい、息があがる。俺はまだ混乱していた。俺が本当はオメガだといっても、薬も飲んでいて、ヒートも来たことがないのに、どうして……?

 本当はもっと――触れてほしかった。
 心の片隅でささやく声がきこえた。あのまま、もし――藤野谷の唇と直接、触れていたら……キス、していたら……? 俺はどうなっていたのだろう。あの匂いに飲みこまれて、そのまま……。

 俺はよたよたと体を曲げ、くしゃくしゃになった暗幕を拾い、たたみ直した。
「まったく、停電したからって何やってるんだ。口封じでもなんでもいいけど、こんな悪ふざけはもっと喜ぶやつにやればいい。モテるくせに」
 俺の口は勝手に喋っていた。自分の過剰反応も含めて、はやく他愛ない冗談にしたかった。
 友達同士の悪ふざけ、たったそれだけのこと。それなのにたったそれだけのことがなぜか俺の体に作用している。いったい何が? あの匂いのせい? 藤野谷の指のせい? 俺はこの熱をどうしたらいいのかわからない。
 でも俺には本能的にわかっていた。本当はオメガだなんて、絶対に知られてはならない、隠さなくてはならない、と。

「モテないよ、俺は」
 小さく藤野谷がいった。
 俺は暗幕の上にまた座りなおし、壁によりかかる。
「嘘つけ。B組の子とか、C組の話とか、噂で聞いたよ。告られてるの」
「オメガの子とは付き合わないから」
 刺すような痛みをおぼえた。俺は目を閉じる。

「他にもいるだろ。おまえに告ってるの」
「いいよ……付き合うとか」
 ため息のような音が聞こえた。
「俺はサエと一緒がいい」

 どのくらいのあいだ暗闇にじっとしていたのだろう。
 今度は離れて座って、俺たちはあまりしゃべらなかった。体の中で荒れ狂っていた嵐のような熱はしだいにおさまって、俺はだるさと眠気を感じていた。やっと非常電源が回復し、藤野谷のモバイルがつながるまで、数時間かかったと思う。

 たとえ数時間のことでも、その日起きた首都圏大停電はあちこちで種々のパニックと事故を引き起こした。俺と藤野谷のあいだで起きたのもきっと同じような出来事だ。
 俺はそう考えようとしたが、動揺は抑えられなかった。迎えにきた峡はすぐに異常に気づいたらしい。
 それから三日後、俺に最初のヒートがはじまった。




「それではもう一度、最初の映像をご覧いただくと説明の意味をより理解していただけるかと思います。この映像はアーティストの佐枝零氏によって可能となりました」
 鷹尾が俺の名前を出し、俺は我にかえる。このビルはあの校舎と同じような建材の匂いがする。鷹尾がしきりとこちらにジェスチャーするので俺はぎこちなく立って軽く礼をする。
 もう一度スクリーンに映像が流れる。影たちが動く。

 俺の作品に何度もあらわれるあの「影」は高校を転校してから、俺のスケッチブックに出現した。もう描くのをやめようと思っても描いてしまう像だ。何度も描くうちに形が変わって、いまでは誰にもわからないが、あれは藤野谷のイメージだった。俺自身にはごまかしようもなく、はっきりとわかっていた。

 だからこそ破ったのだ。ある晩、うんざりして、破ってくしゃくしゃにして――なのに捨てきれず、その皺をなぞった。そして数年後、ただの線の交差とからまりになったそれを動く映像にしてみたら、そこから現れたのはまた同じ「影」だった。

 俺は藤野谷が座る方向をみた。場内は暗いが俺には見えていた。スクリーンにあらわれる光と影の輝きと、藤野谷のまとう〈色〉が重なり、踊るように動く。俺の視界で〈色〉がにじむ。スクリーンの動きと〈色〉は不思議なくらい同期していた。
 ひょっとして、俺はあの〈色〉を多少は再現できたのだろうか。
 ふとそんなことを思ったが、まばたきすると幻想は消え去った。



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