まばゆいほどに深い闇(アルファポリス版・完結済)

おにぎり1000米

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第3部 ギャラリー・ルクス

19.ゴーストの腕(中編)

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 峡が変えたチャンネルからは俺の知らない古い映画が流れていた。俺は本を棚に並べ、画材を作業部屋に戻し、窓をあけて掃除機をかけた。騒音で他の音が消え、俺はホースの先を床に押し当てながら、マスコミが世間に暴露した事柄についてとりとめもなく考えた。

 報道されているのはある種のスキャンダルだが、俺の両親と藤野谷藍閃のあいだが不倫関係でもつれていただけなら、もう三十年以上前の話だ。今話題にされているのはそのことではなかった。藤野谷家がかつて佐井家――つまりオメガ系に圧力を加えていた結果、俺が保護プログラム下でベータに偽装せざるを得なかった事情や、さらに藤野谷家がオメガ性に関連した製薬利権を握っていることが、一部の人々の想像をかきたてているのだ。

 たぶん〈オメガ系〉の存在自体、これまではアルファ名族やオメガ性専門医の間でしか知られておらず、空想の産物だと思われていたから、好奇心の的になっているのだ。それに現代では法でも倫理でも認められていないとはいえ、アルファがオメガを所有して一方的に支配することは、いまだにフィクションのネタとして人気がある。

 ネットでは人権団体から藤野谷家に対し質問状が出たらしいといった噂が飛び交う一方で、オメガのヒートについて、俺には少しも面白くないジョークも目についた。俺の父たちについて、生まれたばかりの俺を放置して無責任だ、といったコメントもあったが、そんなのは他人の知ったことではないし、そもそも俺は佐枝姓だ。
「零、できたぞ」

 キッチンから峡が呼び、俺は掃除機を片づけながらすぐ行くと返事をする。マスコミにしてみると、佐井家の当主銀星や、肝心の相手である俺がつかまらないのも気に入らないようだ。おまけに大筋では俺は被害者として扱われていたものの、空良=葉月=藍閃というアルファふたり、オメガひとりの関係と、俺と藤野谷と三波――オメガふたりにアルファひとり――の関係は面白い対比に見えるらしい。あるサイトではわざわざ図で解説されていた。

 三波はずっとリポーターから逃げ切っていたが、三日前、TEN‐ZEROの社屋から出たところをつかまったと連絡があった。メディア報道では顔はモザイクでぼかされていたが、三波が学生時代から藤野谷と多少の付き合いがあったことや、藤野谷の母が一時、三波と藤野谷の結婚に前向きだったという話も合わせて報道され、すぐにSNSには三波を見たとか、学生時代の知人だという投稿が出て、かなり以前にハウスで写されたらしい写真が流れた。

 藤野谷家が手を回したらしくすぐに写真は消えたが、数年前でも三波の美貌はきわだっていて、それがまた余計な想像を呼んでいる。藤野谷にとっては運命のつがいとモデル並みの美貌と、どっちがいいのか、という話だ。

『いわせておけばいいでしょう。僕の知ったことじゃありませんよ』
 最後にビデオ通話で話したとき、三波はいつものように快活にしゃべったが、俺が公衆の前で裸にさせられたような気分でいるのだから、彼も同じように感じていても不思議はない。

 キッチンへ行くと峡がテーブルに用意していたのは「和定食」そのものだった。味噌汁、焼き魚、煮物、青菜のおひたし、細かく刻んだ二種の漬物、真っ白いご飯、そして海苔。
 俺はテーブルに座り、黙って食べた。しばらくパンとパスタだったから、白く光る炊き立てのご飯は美味しかった。

「あの子は大丈夫か?」
 いきなり峡がいった。
「誰」
「あの――紹介してくれた子だよ。三波君」
「ああ……どうだろう」
 ちょうど三波のことを考えていた俺は確信が持てないまま返した。

「三波は頭がいい。うまく切り抜ける」
「おまえが治験でいないあいだにたまたま一度会ったんだ」
 峡は食べ終わった皿を積み上げている。
「おまえのことを聞かれた。彼はなんだ、その、すごく――」
「何」
「すごくきれいな子だな。最初に会った時はあまりよく見ていなかったから、驚いたよ」
「ああ、うん。そうだな」
 俺は上の空で漬物を噛んでいて、峡が続きを待っていることにしばらく気づかなかった。
「外見だけなら三波はエンジニアよりモデルが似合うけど、中身はかなりオタクだし、変なやつだよ。いいやつだけど」
「そうか」
「ちょっと前にここでケーキを食べた」
「ケーキ?」
「うん。ただ三波はケーキより酒のほうが好きみたいだな」
「そうか。その、たまたま会った時だが、英語のサイトにまで今回の話が出ていることをひどく気にしていた。知っていたか?」
「海外のニュースサイト? うん、知ってる。すこしだけ見たよ」

 名族のゴシップは海外でも需要があるらしい。最後にTEN‐ZERO本社で取材を受けたアート系メディアは好意的だったが、他は日本の報道の総まとめのようなもので、まとめられている分、厄介だった。
「零?」
 気がつくと峡が立って俺を見下ろしていた。
「いちばん嫌なことはなんだ?」
「いちばん嫌なこと? そりゃ、どれも嫌だよ」

 俺ははぐらかしてリビングへ行った。パソコンを弄って検索をかける。
 SNSで拡散されたTEN‐ZEROのプロモーション映像については、TEN‐ZERO本社が行き過ぎたヘイトコメントを片っ端からスパム報告していた。うんざりするのは、学生時代のコンペ騒動が記事にされたために、またも盗作だの、俺の実力がどうこうといい立てる連中が現れたことだ。

 それは俺に何年も前、藤野谷から逃げ出そうと決意した夜のことを思い出させた。藤野谷と一緒では俺は結局何にもなれないのではないか、何も描いたり作ったりできなくなるのではないか。

 ――やっとここまで来たのに、またあの気分を思い出すのは嫌だった。

 俺はリンクをクリックする。峡がうしろからのぞきこんだ。
「おい、それはなんだ」
「今朝みつけた匿名掲示板」

〈検証!佐枝零〉スレッドとあるが、なにも検証などしていない。俺の作品はすべてパクリだといいたいだけのもので、要するに嫌がらせだ。途中から野次馬が次々に参入して、話題はヒートのオメガに何ができるんだという話に変わっていき、最後は貼り付けられた映像で終わっていた。

 膝をついた細い肢体のオメガの男が、顔の前にぶらさがる男根をしゃぶりながら、うしろから別の男に犯されている。無料のセックス動画だろう。発情期に枕営業して仕事をとるオメガというのは、この系列のAVでよくあるシチュエーションらしい。オメガの顔にいかにもコラ画像とわかるように、写真が貼ってあった。

「零」
 峡がひじで俺を押しのけ、強引に手を出してパソコンをシャットダウンした。
「こんなもの……弁護士には知らせたか?」
「ああ」
 ネット上で自分に対する誹謗中傷をみかけたらすぐに知らせるよう、藤野谷の弁護士から連絡をもらっていた。俺が見つける前に手を回したものもあるかもしれない。
「藤野谷天藍とは話しているか?」
「あいつも疲れているんだ」

 俺は早口でいった。今朝たまたまこのスレッドのリンクを踏んでから、俺はずっと考えつづけていた。

 結局のところ、ベータのふりをしていようがオメガと知られていようが、クリエイターとしての俺には状況はほとんど変わらないのかもしれなかった。周囲が俺のことをただのベータだと思っていたときは藤野谷家の利権目当ての連中が足をすくいにかかり、オメガだと知ったら知ったで、今度は……。

「零、あのな」
 峡が何かいおうとしたとき、門扉のベルが鳴った。
「誰だ?」
「さあ」

 俺は首を振る。私道の先にあるこの家まで迷いこむ者などまずいない。表札に出ている名前は佐枝でも佐井でもない。大学を出た俺が独立したいといったときも銀星は抜かりがなかった。
「見てくる」
 峡が必要もないのに足音を忍ばせてガレージへ行った。壁に切られた隠し窓から門扉の方をのぞくことができるのだ。
 戻ってきた叔父は青い顔をしていた。「まさか俺か?」とぶつぶついう。
「何?」
 俺は聞き返したが、峡の顔色のおかげで、答えはもうわかっているような気がした。
「門の外にTVカメラがいる」そう峡がいったとき、またベルが鳴る。

 顔色は悪くても峡の声は冷静だった。
「零、荷物をまとめろ」
「荷物?」
「すぐ調達できるものはいい、服みたいなのはな。そうじゃなくて、ないと困るものだ。ほら、おまえなら画材とか道具とか」
「あのベルは?」
「ほっとけ。無視だ無視。急ぐんだ。当分ここには戻らない」

 戻らない? 俺は愕然としたが、峡は真剣な顔でモバイルを取り出すとタップし、追い払うかのように俺に手を振る。門扉のベルがまた鳴り、俺は飛び上がった。
 納戸からスーツケースを引っ張り出すと奥の作業部屋に広げる。必要なものといっても何を持っていけばいいのか、すぐに頭が回らない。使いかけのクロッキー帳やスケッチブックを数冊。手近に置いてあった道具――電子機器から絵筆まで――読みかけの本にノート、バックアップデータ、ポートフォリオ。ふと思い出して、先日渡来がくれた葉月の写真のファイルを入れ、棚の奥から彼のポートフォリオも一冊取り出して上に積んだ。

「他には? それと、着替えた方がいいな」
 モバイルを片手に持った峡が戸口に立つ。俺はスーツケースをそのままにして廊下に出た。また門扉のベルが鳴った。何度か繰り返しうるさく鳴っては止まるのだ。俺は寝室へ行ってクロゼットをあけ、手近な下着とTシャツをかきあつめる。最近外出のたびに着ているダボっとした服装に変え、カーゴパンツのポケットにTEN‐ZEROの香水を入れた。最後に置きっぱなしのままだった藤野谷のジャケットを荷物に追加してスーツケースを閉め、時計をみる。もう一時間近く経っていた。

 峡がモバイルを耳にあて、うなずきながら小声で話している。通話を切って俺を見ると「そろそろ来る」といった。
「誰が?」
「渡来さんだ。どういう風に門の連中をやりすごすのか、わからんが……」
「渡来さん?」
「マスコミがここまで来たときは連絡をくれといわれていてな」
 外でクラクションの大きな音が響いた。



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