さだめの星が紡ぐ糸

おにぎり1000米

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第7章 糸のゆくえ

4.つなぐ手

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 甘い蜜の香りのために、七星がどこにいるかすぐにわかった。一階の客間のドアは半開きになっていた。
「七星――」
 伊吹が声をかけると、座卓の前で志野と七星が同時に振り向いた。七星は元の服に着替えている。家政婦がアイロンで乾かしたのだろう。伊吹は駆け寄りたいのをこらえ、敷居の手前で立ち止まった。

「入ってきなさいよ」と志野がいった。
「怖い顔をしないで、いじめたりしてないわよ。すこし話を聞いていただけ。伊吹さんともこの一週間――いや、二週間か、話してなかったね」
 伊吹は返事に迷った。
「志野さん、武流とは……」
 志野は座卓に置いたスマホに目をやった。

「さっきから電話やメッセが来てるけど、頭が沸騰するから今夜はやめておく。蓮と私で二股なんて……たしかに蓮は昔から武流さん武流さんってついていってたけど、自分にぞっこんだからいいくるめられると思ったのかしら。私が馬鹿だったわ。結婚相手としてはちょうどいいなんて、考えたのが間違っていた」

 志野の声には憤りがにじんでいたが、どこかビジネスライクな雰囲気である。「結婚相手としてはちょうどいい」とはどういう意味かと伊吹は思ったが、今は詮索する気も起きなかった。そもそも伊吹は志野との仲を武流から聞いただけである。武流は恋愛関係のような口ぶりだったが、今となっては、彼の言葉は何ひとつ信用できない。

 それに実のところ、そんなことはどうでもいい。伊吹は居心地悪そうに座っている七星をみる。髪はすっかり乾いて、ひたいで前髪がくるくる巻いている。七星は目をあげ、ぱちりと視線があった。伊吹の背筋にぞくっと甘い感覚が走る。志野がいるから自制できているのだという自覚があった。だが本当は、彼女をこの部屋から叩き出したい気分だ。

「だからそんな目で見ないで」
 志野が伊吹の心を読んだようにいった。
「伊吹さんと彼のことは理解した。〈運命〉でしょ? 武流さんはわかってなかったみたいだけど。彼はベータだから」
 七星が気まずい空気に割り込むように、おずおずと口をひらく。
「あの、僕は迎えが来るので……」
「迎え?」

 それは誰だ、といいそうになって、伊吹は口をつぐんだ。七星がひっそりと苦笑いのような表情を浮かべる。
「相談していた弁護士さんの……会社の方から連絡があって。僕が早まったことをするんじゃないかと心配してくれたんです。実際そうだったんですけど」
「それなら警備から連絡がきてる。門の前にいるって」と志野がいう。
「僕、帰ります」
「そうした方がいい。この家にいると爛れた関係に巻きこまれるわよ」

 冗談とも本気ともつかない志野の言葉に七星は曖昧な笑みをうかべた。伊吹は七星を守るように、すぐうしろについて客間を出た。志野はものいいたげな目でみたが、何もいわなかった。七星に触れるのをこらえている伊吹の苛立ちに気づいているのかもしれない。

 三人で玄関ホールへ行くと、家政婦が小走りでやってきて七星のスニーカーを並べた。
「どうも、お邪魔しました」
 七星は頭をさげ、スニーカーに足をつっこんだ。伊吹も靴を履こうとした。だがその時、どこからか蓮の声が響いた。
「どこに行くつもり?」

 伊吹と志野は同時にふりむいた。吹き抜けになった正面階段から、蓮が転がるように下りてくる。水色のパジャマの裾から細い足首がのぞいた。
「僕のものなのに、勝手なことをしないでよ、伊吹」

 当惑した声で「蓮、伊吹さんは別に……」といいかけた志野を、七星がさえぎった。
「きみのものじゃない」
 蓮が小さく声を立てて笑った。

「七星はさ、伊吹が欲しくて、僕と武流のことをばらしたんでしょ? でも、そんなことして伊吹が手に入ると思うなんて、どうかしてる。伊吹は僕の夫だ。七星にはあげない」
 七星の頬がさっと赤くなった。

「馬鹿は蓮の方だ。何もわかってない」
「はあ?」
「一生そのまま馬鹿でいれば? 僕は帰る」

 七星は憤然と背を向け、ドアに突進した。他人から侮辱された経験のない蓮はぽかんと口をあけて七星をみつめたが、伊吹もとっくに蓮に背を向けていた。靴のかかとを踏んであとを追う。玄関を飛び出してつがいを呼ぶ。
「七星!」

 伸ばした手が肩に触れた。七星が振り向いて伊吹をみた。泣きそうな目をしていた。

 伊吹は抱き寄せたいのをこらえ、そっと七星の右手をつかんだ。両手で包みこむように握ると、七星は左手を伊吹の手にかぶせるように重ねて、伊吹をみあげた。
 玄関灯の黄色い光に照らされて、七星の黒い眸は夜の水面のようだった。吸いこまれそうだ。蜜の香りが伊吹をとりまき、頭がくらりとする。

 門の外でクラクションが鳴った。
「あの音、たぶん境さんです。迎えに来てくれた……」
 七星はつぶやくようにいったが、手を離そうとはしない。視界の隅で、警備スタッフがひとり、こっちにやってくるのがみえた。

「会いに行く」と伊吹はいった。
「〈ユーヤ〉に。明日」
「でも……」
「今の宮久保家はきみに手出しできない。私のことなら自分で決着をつけられる。つけることにした。きみのおかげで、こう思えるようになった」

 七星は目を大きく見開いたまま、こくりとうなずいた。
 お互いにつないだ手を離し、並んで門の方へ向かう。警備スタッフが通用口をあけた。外に黒っぽいセダンが停車している。

 七星がぺこりと礼をして通用口をくぐる。運転席のドアの横で手持無沙汰に立っていた男がかすかに眉をあげて伊吹をみる。そっと目礼を投げると、向こうも小さく頭を下げた。
「境さん、すみません」
 七星は助手席のドアをあけながらいった。
「いいえ。行きましょう」と男が答える。

 警備スタッフが通用口を閉めた。車が走り去る音を聞きながら伊吹は玄関に戻った。蓮と志野はもう玄関にはいなかった。家政婦長の窪井が背筋をまっすぐに伸ばして待っていた。伊吹は靴を脱ぐと、何気ない口ぶりでいった。

「窪井さん。私のスマホと車の鍵を持ってきてください」
 窪井の顔に珍しく狼狽の色が浮かんだ。
「それは……」
「どうせあなたが保管しているのだろう。当主に確認したらいい。私は今夜、客間で寝ます」
 瀧は窪井にどう説明するだろう。伊吹の知ったことではなかったが、当主は拒絶しないという確信があった。

 廊下を行きながら、客間に七星の残り香があればいいのに、と思った。伊吹はそっと拳を握り、つないだ手の感触を忘れまいとした。



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