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番外編『公から見える景色』side公亮
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しおりを挟むその日は、朝から曇天だった。
昨晩降った雨の匂いで、外気が生臭く感じられる。また降り出しそうな、憂鬱な空。
仕事で隣県に向かうため、山道を走っていた。〝9時か……順調にいけば10時前には到着するな〟と思いながら、窓ガラス越しの外に視線を戻した瞬間、急ブレーキと同時に車体が傾き、体が宙に投げ出される。
悲鳴と、衝突音、光が消える。
あ、これ俺、死ぬのかも────。
◇
次に意識が戻った時、見知らぬ天井が眩しく光って見えた。真っ白…………清潔な布団に包まれているが、身体のあちこちが激しく痛み、ぴくりとも動かせない。
ここ病院……? 助かった、か…………。
「──こうさん…………こ、公さん!?」
陽葵の、悲痛な声が耳に届く。
「……ひな……」
「喋らなくていい。今先生、呼んだからね」
「ごめ、ん、いきてる……」
「公さんっっ、当たり前だよ生きてるよ、よかっ──」
その後のことは、あまり覚えていない。
かなり大きな事故だったようで、翌日は全国ニュースになったらしい。
取引先の社員ひとりが亡くなったことを、後から知った。俺の目の前に座っていた親切な男性社員で、お子さんが二人とも大学院に進んだからまだまだ働かなくちゃなんだ、などと、嬉しそうに話をしていた記憶がある。
即死だったらしい。
辛い……胸が痛い…………そして、
俺が死んでもおかしくなかった。
ほんの数秒、数cm違えば違ったと思う。
自分が今ここで生きていること、生かされたことが、不思議に思えた。
子どもの頃はずっと、自分の命の価値など大したことはなくて、自分がいなくなったところで悲しむ人も泣く人もほとんどいない、だからいい、いつ死んでも。そう思って生きていた。誰かが死ぬくらいなら俺がそうなればいい。明日この世界が滅びてもかまわないと、本気で思っていた。
けどもう、そんな風には思えない。
死にたくない、まだ。
一日でも長く生きたい。
この世界に大切なものがたくさんあるから、俺は死ねない。
*
事故からひと月ほど経ち、順調にリハビリを進めていた。度々病院に通ってくれている陽葵の負担が大きく申し訳なくて、一日でも早く退院したいと思っていた。
目が覚めると、人の気配がした。
「おお、起きた?」
「────丈?」
いつから居たんだ、起こしてくれよ。
「いや、今来たばかりだ」
丈と会うのは、いつぶりだろうか。
丈は丈でとにかく多忙で、休みも合わない。お互いもういい歳で、立場も状況も違う。けれど会えばすぐに、昨日も一緒だったかのように馴染む。『友人』という枠には収まらない、当たり前の存在。
会う機会は大分減ったが、ふと思い出しては話がしたくなる。おそらく、このまま年を重ねて、互いの人生の終わりまで続く。
「悪かったな、心配かけて」
「ほんとだよ 勘弁してくれ。おまえの青白い顔見て、生きた心地しなかったわ」
事故の当日も、丈と碧は直ぐに病院に駆け付けてくれた。
「けど無事で良かった」
「いやー、人生何が起こるかわからんね」
丈は呆れるように笑いながら、近くにあった椅子に腰を下ろした。
「今日は、丈一人?」
「ああ。俺一人だけど、なんで?」
「いやなんとなく、碧も一緒かと思った」
碧が、意識のない俺の姿を見て青褪めていたと、陽葵から聞いた。
『顔が真っ白だったの、碧さんの方が消えちゃうんじゃないかと思ったくらい。でも、あの状況ではショック受けるね……丈さんが一緒だったから大丈夫だと思うけど』
『あー、うん……。碧は血とか病院の匂いとか苦手だからな』
『違うよ、公さんのことが心配過ぎて──』
『わかってますよ、冗談。連絡してみるよ』
そう言いながら、紅利さんや日向に「碧にもよろしく言っておいて、元気だって」と、人伝にして『無事です』と文字を送っただけで、まだ話をしていなかった。
丈はなぜか苦笑いを浮かべ、俺から不自然に顔を逸らした。
「俺さ、アメリカに行くことになった」
「え、アメリカ? 旅行?」
「いや、仕事」
「いつ?」
「もう、来週には。予定では三年くらいか」
「来週!? 三年って……」
思ってもいなかった急な話に戸惑うが、以前丈から聞いた夢の話を思い出した。公邸料理人は、丈の夢というか野望の一つだったはずだ。
「良かったじゃんか、希望が通ったってことだろ?」
「まあ、そうだな」
三年か。長いような短いような。
長期の休みを取って日本に帰ってくるなど、おそらく難しいだろうとのこと。渡米を前にわざわざ会いに来てくれたのだと思った。
ところが、こちらは嬉しい知らせだと思い聞いているのに、丈はなぜか浮かない顔をしたまま固まっている。
「どうした、あんま嬉しそうじゃないな」
「……おまえは、どうするんだよ」
「は? 俺?」
「結婚するのか? 彼女と……陽葵さんと」
「結婚て、どうした急に」
なぜそんな事を言い出したのかわからず、思わずまじまじと丈の顔を見た。
さっきから、どうも様子がおかしい。
「碧は? 碧のことはどうするつもりだ」
「……碧って、何の話だ?」
長い付き合いだが、丈から真剣な口調で碧の名前が出されることなど、まずない。
丈が、過去に碧を思っていたことは知っている。そして丈も、俺の気持ちを知っていたのに知らない振りをしてくれていたことも。
なんでも話せる関係でありながら、唯一、お互いに避けてきた話題だった。
それを今ごろ、なぜ──。
「何の話だじゃねえ、公、わかってんだろ? 碧が今も独身で寂しそうにしているのは、おまえだろ、おまえが原因だろ」
「……え?」
「公が碧を置き去りにして家を出てから、あいつはずっとひとりで、同じ場所にいたんだぞ。いつまで放って置くつもりだ」
「放って置くって、俺が?」
「一度だって、碧と二人で腹を割って話したことはあるのか? あいつが何を考えているのか、ちゃんと聞いてやったことあるのか、お互いの気持ちをちゃんと────」
「…………」
丈が、いつになく切羽詰まった状態であることに、俺は全く気づかずにいた。
「……なんかあったのか、碧と」
「なにもない。けど碧が、最近までずっと苦しんでいたのは知ってる」
ずっと、苦しんでた、って……。
「……仕事もプライベートも充実して、幸せそうにしてて、苦しいなんて微塵も、」
「そう見せてるだけだ、やせ我慢して」
やせ我慢、たしかにそうかもしれない。
大人になるにつれて、俺には不安定なところは全く見せなくなっていったし、不自然なくらいいつも元気そうに笑っていた。
何より俺自身が辛くて、碧のことを見ようとしなくなっていた。
昔はどんな些細な変化も気付けたのに。
「───ちゃんとしてやれよ、そういうのは儀式だって、公が言ったんだろ」
「儀式、え、何の話……」
「公にとって、陽葵さんが大事な相手だってのは見てればわかる。けどその前に碧と、ちゃんと話をしろよ。自分ばっかり幸せになろうとしやがって、俺は認めねえからな。おまえがなんとかしろ」
「……」
「頼むよ公、妹の幸せを望むなら向き合ってやって。おまえじゃないとダメなんだ」
丈の悲痛な思いを聞きながら、俺は、事故に遭う数週間前に交わした、日向との会話を思い出していた。
*
『公ちゃんさ、何か聞いてない? 隠してるわけじゃなく本当に知らんの?』
『なにが?』
『碧ちゃんと丈君だよ~、あの二人、なんか最近怪しくね?』
『碧と、丈?』
日向からそう聞かれても、本当に何も知らなくて、首を横に振った。
『最近碧ちゃん外泊が増えたらしい。てかさ、姉さんもいい歳じゃん? けど碧ちゃんがまともに付き合ってる男なんて丈君ぐらいだしさ、丈君も丈君であんなでしょ? あの二人なんとかならないかなーって思ってたんだけど、よくよく考えてみるとその外泊の相手って、ひょっとして丈君じゃない? って。とっくに二人ってそうなのかと思ってさ』
『なんでそう思うんだよ』
『え? 勘。碧ちゃんが丈君のことを話す時の空気かな』
『聞けばいいじゃん直接、丈か碧に』
『だからさ、それを聞けないから公ちゃんに聞いてるんじゃん。俺だって察するわけよ、聞いても差し支えないことかどうかくらい。二人と一緒の時何か感じたことないわけ?』
『……わかんないなーー普通に仲いいし』
『いやいや、公ちゃんて意外とそういうとこ鈍過ぎる。丈君はだって昔から碧ちゃんのことをさ……あれ絶対本気で好きでしょ』
『…………』
ああそうか、そういうことか。
なるほどな、やっとわかったよ、日向。
俺は本当に、情けないくらい鈍感だ。
情けないを通り越して、ポンコツ過ぎる。
薄情で、優しくない人間だ。
聞かれた時はぴんとこなかった。
でも丈の話を聞いて、やっと繋がったよ。
まさか俺が、碧と丈の間にいて、いまだに二人の邪魔をしているなんて、考えもしなかったんだ。
自分を守ることだけに必死で、大切な人の気持ちから目を逸らし続けてきた。
置き去りにして放って逃げた、そう言われてもしょうがない。その通りだから。
俺にとって二人は、唯一無二の二人なのに。
丈もずっと、囚われていたんだな。
*
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