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プライベートでは話かけないでいただきたい④
しおりを挟む「おはようございます」
「おはようございまーす」
翌々日の出勤日は、何ごともなかったかのように平常通りだった。
河上さんとは午前中から会議などで何度も顔を合わせているけれど、彼の方から「そういえば一昨日は──」などと話し掛けてくることはなく、態度もいつもと全く変わらず、出勤拒否したくなる程の憂鬱は何だったのかと、胸を撫で下ろした。
でも思えば、なぜあんなにしつこく絡まれたのかわからない。不仲なわけではないが、普段から必要以上に話す関係ではないのだ。
いままでもこれからも、それでいい。
河上さんには、例の呟きは聞こえていなかったかもしれない。聞こえていたとしても、意味の分からない独り言が聞こえちゃっただけと、大人の対応で流してくれるはず。忘れてくれるはず。「愛されたいとか言っちゃって痛い人ぷぷ……」なんて、いちいち嘲笑ったりしないだろう。うん、大丈夫。
大丈夫、とは思うけれど、赤裸々過ぎる。
社内では精一杯取り繕っている分、自分自身のダメージは大きい。もう本当に馬鹿。
『私も愛されて生きてみたい』
なぜそんな寒い台詞を、よりによって河上透弥に聞かれるか。
違うんです!と、言い訳したい。
穴があったら入りたい!とはこのことで、思い出しては何度も悶えてしまい、昨日の休みは何も手につかず気が晴れなくて、何度も頭を掻きむしる羽目になった。自分の発言を後悔する事自体が自意識過剰なのかもしれないが、ああもうほんと、私の記憶、消して。
「沢北さん、打ち合わせいい?」
あ。
「はい、打ち合わせブースでいいですか?」
「いや、会議室で。空いてたから」
「会議室……」
なんでわざわざ会議室? やだな、個室。リーダー同士が籠って打ち合わせをするのは通常業務で、これまでも何度もやっている。不自然ではないけれど。……やだ、また思い出してきた。ぐぬぅ恥……。この繰り返しでほとほと疲れました、ハァ。(自意識過剰)
*
「──ではこの件は、前日の会場設営状況を見て判断するということでいいですか」
「そうですね、了解しました」
密室で何か聞かれるのではと身構えたのは最初だけだった。当然仕事モード。
週末に大きなイベントが控えており、河上リーダー、そんなくだらない事を話している場合ではないですよね! 今度こそ納得。
時計を見ると終業時刻を過ぎていた。
今日はもう、早く帰ろうと思う。
無駄に緊張して精神が疲れた一日だった。
「ところで、沢北さん」
「はい」
「一昨日は、無事に帰れたみたいですね」
「……」
ちょっと、なんで! 油断させておいて!
いきなりキタ。
「ええまあ、すみませんご心配おかけして。お風呂は気持ち良かったですか?」
「……まあね、けど沢北さんのことが心配で、それどころではなかったような」
「ええーっ、そんな、まさかぁ!」
いつになくふざけてみるが、不思議そうに身体を反らし、腕を組み直してしまった。
「……」
「すみません。ご心配おかけしました」
なんで私が謝らなければならないんだ。
フンだ。
「いえ、冗談ですけどね。無事で良かったです。けどタクシーで帰るとか嘘まで吐いて」
「……雨にも、降られませんでしたし」
嘘を吐いたのは、河上さんがしつこかったからじゃん。大丈夫って言ってるのに。
「一昨日の夜さ、パトカー多かったでしょ? あの日、沢北さんが自転車漕いで帰ったあの時間帯に、あの近辺で強盗殺人犯が逃亡して大変な騒ぎだったみたいですが。勿論知ってますよね?」
「え……、そうなんですか?」
怖……うちの近所でって事? 捕まったのかな。だからパトカーがたくさん……あ。
「知らないとか、危機意識低すぎですから。でも僕もあの時は、パトカーが多くて変だと思いつつ知らなかったんですけどね。知ってたら、羽交い絞めにしてでも止めたし」
「はは、河上さんが私を羽交い締め」
「笑い事じゃないですよ」
「たしかに強盗殺人は恐ろしいです。ナイフとか持っていたかもしれないし。けどそんな人と出くわすなんて、宝くじに当選するより可能性は低……」
「……」
「そういう問題じゃありませんか、ごめんなさい、無事に生きてます」
だから私 なんで謝っているの! フンだ!
「夜道は危ないよ」
「……わかりましたよ。なるべく休みの日の日中に行くことにします」
「なるべく?」
「……はい、気を付けます」
何となく癪に障り、否定も肯定もしたくない。河上さんが、これほど心配性とはね。
私ごときにこれでは、恋人なら身が持たないのでは? 籠に閉じ込められるのでは?
身の回りで誰か危険な目に遭った人でもいるのだろうか、誘拐とか。
でもとりあえず良かった、これでこの話は終わりと、ホッとして席を立ちPCと資料を脇に抱えた。ところが案の定、それだけでは終わらない。
「ところでさ、あれはどういう意味?」
「……あれ、とは?」
え、ウソでしょ?
まさか、と、おでこに右手の甲をあてる。
頭にドクンと血が上り、心臓がざわめく。
やめてよ、あの話、出すか!?
「〝愛されて生きてみたい〟って」
「ぎゃーーーー!!」
「あはは、ぎゃーーって」
「い、言いたくもなります! やっ、止めてください、酷い、意地悪ですか?」
「いや意地悪のつもりは……けどあれって、僕に言ったんですか?」
「は?」
言ってしまった文章自体を恥だと思い、赤面しながら何度も頭の中で掻き消した。けど河上さん まさか、誤解してる? 彼の脳内でどう変換されたのかわからないが、私が嫉妬したとか、彼女らしき女性を連れている自分を見てショックを受けたとか……、思って?
これだからナルシストは!!
「そんなわけないでしょ! 何をどう取ればそう聞こえるんですか! ビッックリです。 あなたになど言ってません」
「そうですか」
「そうですよ、河上さん個人に興味など一ミリもありませんからご心配なく! 私はただ、人としてあまり好まれない方ですので、なんなら可愛くないとか面白くないとかつまんないとか……そういうタイプの人間ですので、ああ私も人たらしのようなモテ人生歩んでみたいな、いや、ずっとは疲れるから、一度でいいから体験してみたい、的な、河上さんみたいに……」
なんで私河上さん相手に、自分で言った恥台詞を掘り起こして嚙み砕くような惨い事をしているのだろう、それも仕事中に。
河上さんも 呆れてほら、黙ってしまった。
「そういう意味でしたか」
「それ以外ありません」
「沢北さん面白いのにな~」
「は?」
「話をするの、楽しいけど。いろいろ物知りだし口調も可笑しいし、思考回路が……」
「…………思考回路が、何ですか?」
「読めないからいい」
「どういうコト??」
適当なことを、言わないで欲しい。
盛大な溜息を吐きそうになるのを堪える。
「お風呂はたしかに良かったよ。サウナも露天風呂も良かったな~。すっごくオススメ、よくわかりましたよ」
「あぁ……それは、良かったです」
「あの時一緒にいた友人の家がすぐ近くなので、ちょくちょく行こうかな銭湯」
「え……」
「あはは、めっちゃ嫌そう」
バレてる。そりゃめっちゃ嫌だよ絶対やだ、来ないで欲しいけど、
「嫌なんてことはありませんよ」
「ほんとに?」
「ええ」
「沢北さんさ、自分が思っているよりずっと顔に出る人だからね? 全然無表情なんかじゃないし」
「出てますか? 無意識に?」
そうかな、ポーカーフェイスは私の十八番と思っているのだけど。今日だって朝からちゃんと平常心でいかなくちゃって……ん? 無表情? 私 河上さんにそんな話した?
まあいいか、そんなことより、
「本当に、また行くつもりですか?」
「そうですね、気に入ったから。ダメ?」
なんか、揶揄って遊ばれているような。
楽しそう、こっちは真面目なのに。
「ダメなんて言いません。私の銭湯ではありませんし。でもあの施設は、私も度々利用している、大事なストレス解消の場なので、ただ、」
邪魔は、されたくない。
「もしかしたら、私とまたバッタリ会うかもしれませんが……」
「うん」
「私に声は掛けないでもらいたいです」
言うてしまった。だって本当にまたちょくちょくやって来て、話し掛けてきそうなんだもの、この人。
「沢北さんに気付いても、無視しろと」
「はい。落ち着かないんで」
「ふーん、落ち着かないか」
「すみません、失礼なのはわかっています。だけど、あんな所で知り合いに会うの普通は嫌ですよ。河上さんは嫌じゃないかもしれないけど、私は嫌。視力があまり良くないから此方からは気付かないですし。だから、プライベートの私には極力話し掛けないでいただきたい、というお願いです」
わかっている、こんな子どもっぽい事ばかり考える厄介な性格だから、上手くいかないんだってことは。
でもダメだ、言わずにはいられない。
仕事はしっかり、やりますから。
「眼鏡、かけてましたもんね」
「素っぴんで、全体的にひどい状態でした」
「可愛かったですよ、沢北さんの素っぴん」
「だからそういうのも、止めてください」
「うん、わかりました。声掛けません」
「……そうしてください」
「はい、なるべく、気を付けます」
「……」
なんで笑ってるの、なにが可笑しいの?
私なんかよりずっと読めない、河上透弥の思考回路。
その時、会議室のドアがノックされ、外から勢いよく開けられた。
河上さんの部下の一人がとても焦った様子で、会議室の中に飛び込んで来る。
「いたいたお二人 こんな所に。河上リーダー沢北リーダー、マネージャーがお呼びです」
「え、二人?」
「急ぎ? なにかあった?」
何だろう、身に覚えがないけど。
クレームとかじゃないよな。
「いやっ、わかりませんけど、なんかすごく大事な話みたいですよ? さっきから上層部の数名がぞろぞろうちの部にやってきて──」
「え?」
「……ん?」
それは、始まりの合図。
嵐の前触れだった。
私の周りの何かが、変わろうとしていた。
そして私はそれらに、否応なしに巻き込まれていく事となる。
人はこれを、人生のターニングポイントと呼ぶのかもしれない。
おそらく私にとってはそうなるだろう。
これまでの人生をひっくり返す程の大きなうねりの中に片足を突っ込んでいることに、私はまだ、気付かずにいた。
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