花さんと僕の日常

灰猫と雲

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過去

乃蒼の章 「La promesse brillante/Partie 1」

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幼い頃、私は母にベッタリとくっついて離れなかったらしい。
母が抱いている時は機嫌いいが、母以外の人が抱くと烈火のごとく泣き出し手がつけられなかったそうだ。
父が抱いても泣かなくなるまでに半年かかったと以前母に聞いた。
そんな手のかかる子どもだったので母は自分会社に私を連れて行き、デスクの隣にベビーベッドを備え付け、そこに私を寝かせて仕事をした。
重要な会議の時もおんぶ紐で私を背負い、部下の人たちに叱咤激励していたらしい。
それでも私が大きくなり1人で歩けるようになると母は止む無く私を保育園に預けた。5歳の時だ。
母に手を引かれ、初めて保育園に行く時の私はいつものように母の会社に行くものだと思っていた。
しかし私の知らない建物の中に入り、母は繋いでいた私の手を離し知らないお姉さんと手を繋がせた。
え?と思うよりも早く、
「それじゃあね。行ってきます。泣かないでね乃蒼」
と母は私をここに残し、まだ少し寒い春の街に消えていった。
私は捨てられたのだと思った。
泣きたくて泣きたくて仕方なかったけど、それよりも母に捨てられたことがショックで泣くこともできなかった。
お姉さんは私の手を引き、プレイルームと呼ばれるところで、
「みんな~。今日からお友達になる乃蒼ちゃんだよ。仲良くしてね~」
と子どもの私が引くようなテンションの高さで私を紹介した。
「はーい」
とプレイルームにいた15人ほどの子どもたちは元気に返事をした。
この子達は自分が親に捨てられたことをわかってないんだ…。
私は可哀想に思った。
それに比べ私は賢い子どもだった。
賢いが故に、ここで泣き叫んでしまっては殺さるのだと悟った。
私よりも体の小さな子がギャン泣きすると、知らないお姉さんはその子を抱きかかえ違う部屋へと連れて行く。
あぁ、あの子はこれから死ぬんだ。殺されてしまうんだ。
と思っていたが、しばらくするとまだグズりながらも泣き止んだその子を再び知らないお姉さんがプレイルームへと連れてくるのを見て、「すんでのところで泣き止んで助かったんだろう。命拾いしたな」と賢い私は解釈していた。
とにかくここで泣くのは命取りだと思い、私は泣くことはしなかった。
まだ死にたくなかった。
だが母に捨てられては母が取り戻しにくるという日を5回ほど繰り返すと、なるほどここはそういうところなのだとようやく理解した。
繰り返すが私は賢い子どもだった。
軌道修正も早い方だ。
そんな私がプレイルームで好んでいたのはもっぱら絵本だ。
ままごともヒーローごっこも私の琴線にふれなかったが、絵本だけは私をわくわくさせてくれた。
プレイルームのはしっこで、1人大きな絵本を両手に抱え絵を見ているだけで幸せだった。
私は賢い子どもではあったけど、残念ながら平仮名はまだ読めなかった。
だから絵を見てどんな話なんだろう?と想像するのがとても楽しかった。
保育園に通い始めて一ヶ月が過ぎた頃、男の子が
「ねぇ、何見てるの?」
と私のそばに来た。
青い空に大きな白い鳥が飛んでる絵を見ながら私はうっとりしていたので、思わず
「Livre d'images」
と言ってしまった。
「りー?ぶるま?なに?」
「Livre d'i…あっ!絵本っ!」
私は大きなミスを犯した。
うっとりしすぎて日本語より先に覚えたフランス語で男の子に教えてしまったのだ。
「お~い!コイツ英語喋ってるぞ!」
英語じゃないよフランス語だよ、と訂正したところでもう取り返しがつかなかった。
「 コイツ髪も目も変な色だもんな~」
変じゃないもん。
可愛いってお母さんは撫でてくれるもん。
「そういえばコイツのお母さん外人だったぞ!」
がいじん?ガイジン…?
「え~、ホントぉ?魔女なんじゃない?」
魔女じゃないもん、イレーヌだもん。
それよりも私のお母さんのことバカにしないでよ!
私はその日、預けられて初めて保育園で泣いた。
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「どうしたの?泣いてばかりじゃわかんない」
保育園から帰って来ても泣きじゃくってばかりでなにも話さない私に母は困っていた。そんな私に母は
「ma ptite  Noé」
と優しく声をかけた。
「お母さんは魔女じゃないよね?ガイジンじゃないよね?」
母は悲しそうに、とても悲しそうに「alas…」と目を抑えた。
「乃蒼、ごめん。ごめんなさい」
そう言うと声をあげることなく静かに、けれど激しく母は泣いた。
よく意味がわからなかったけど、この事は母をとても悲しませ、傷つける事なのだと幼心に深く刻まれた。
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しつこいようだが私は賢い子どもだった。
1年後にはほぼ完璧に日本語をマスターした。平仮名はもちろん、漢字も少しだけど読めるようになった。
ただそれと引き換えに2つのことを失った。
1つは家で全く話さなくなったフランス語をほぼ忘れてしまったということ。
母も今ではほとんどフランス語を話す事はない。
よっぽど嬉しい時や楽しい時にちょっと溢れてしまう、そんな程度だ。
耳で慣れて覚えた反面、さっぱり聞かなくなったフランス語を私の賢い脳は消去することを選んだらしい。
とにかく、私はフランス語を失った。
そしてもう1つは私自身が私であるという、自信だった。
簡単にいえば自己同一性の喪失だ。
もっと簡単にいえば、「私は何者であるかがわからない」だ。
私は保育園でのあの件まで自分のことを日本人だと思っていた。
母の髪や瞳の色が他の人と違うのは、母がそれだけ美しいからだと思っていた。
しかし段々と世の中というものがわかってくると、母は紛れもなくバリバリに普通の外人だった。
つまり私はハーフなのだな、と理解した。
私が好きだったテレビに出ているお姉さんもトーク番組で自分はハーフだと言っていたし、それはそれで逆にカッコいいかも?と少しだけ気が楽になった。
しかし、それすらも脆く崩れてしまう。父が日系ドイツ人とロシア系アイルランド人のハーフだったのである。
もうすでに何がなんなのかわからない国々の血が流れて入る父と純粋なフランス人の母が出会い生まれたのが私だった。
つまり私の体の中にある日本人の血は、父方の遠い遠い祖先に少しあるだけで、ほぼほぼ私は外国人なのである。
なのに「じゃあ結局ドコの国の人なの?」と聞かれてもたくさんの国の血が入っていてどれを言っていいかわからない。
父は若い頃に来日し20歳の時に帰化したので戸籍上は日本人である。
その父がフランス人の母と結婚して生まれた私も戸籍上は日本人である。
は?なにそれ?私は何人?日本人?この体に流れる血に日本なんてほんのわずかしか入ってなくないけど?むしろドイツとアイルランドとフランスの方が、濃いじゃん。
日本生まれ、日本育ち。
髪は金髪、瞳は青色。
私に流れる血液はドイツフランスアイルランド、そしてほんの僅かな日本。
戸籍は日本、だから私は日本人…。
本当に?
本当に私は日本人と言えるのだろうか?
紙切れやデータでしかない戸籍よりも、この血の方が私を強く表しているとはいえないのだろうか?
ワタシハドコ?
ワタシハダレ?
私は自分がわからなくなった。

このことが、私を混乱させ自己喪失・崩壊 (アイディンティティー・クライシス)を引き起こした。
そして自身の喪失により、自信を喪失してしまった。
私が何者なのかを取り戻すため、まず私は男の子にかわれた髪の色を黒く染めた。
金髪に近かったのと地毛が染まりにくいのもあって2週間に1度は髪を染めなければならないのはとても大変だった。
母に無理を言ってこの歳から黒色のコンタクトレンズもするようになった。
そうまでして日本人に近づいたのに、それでも嫌がらせが止まる事はなかった。
いくらフランス語だと言っても外国語は全て英語だと思っている頭の悪いガキには通用せず、私が保育園で日本語を喋ると
「英語で喋れよ外人」
と囃し立てた。
外人、ガイジン、がいじん…。
私は保育園で声を出すことをやめた。
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