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部屋に入ると、背後で静かに扉が閉まる。
そこは廊下と同じく、しんと静まり返った空間だった。柔らかな絨毯が足音を吸い込み、ほんの少し歩いた先にもう一枚、扉がある。
何だこの構造、とカナデは小首を傾げる。やたらと厳重なこの造りからして、やはり高位貴族専用の部屋ということなのだろう。
戸惑っていると、その扉の向こうから低く落ち着いた声が届いた。
「入りなさい」
優しい声だった。穏やかで、どこか眠たげな響きさえある。
高位の貴族なんてもっと威圧的な人々だと勝手に思い込んでいたカナデは、少しばかり驚く。いかにも公爵らしい、冷たく威圧的で権威に満ちた声音で命令されるのだと思っていたのに――。
(結構普通なのかも?)
運が良ければ、人並みの扱いをしてくれるかもしれない。淡い望みを抱いてカナデは深呼吸する。
「……失礼します」
とはいえ相手は公爵だ、礼を欠くわけにはいかない。カナデはそっとドアノブに手をかけ、中へと入った。
足を踏み入れた瞬間、思った以上に広い部屋だと分かる。
天井は高く、間接照明の灯りが空間全体を柔らかく包んでいる。だが、その光景をじっくりと眺める間もなかった。
「……っ」
突然、視界が遮られた。
目の前に誰かが立っている。いや、そういうレベルじゃない。
距離が近い――近すぎる。
「やっと会えたね。まったく書類だの、なんだの……人間は面倒な手続きが好きなんだね。待ちくたびれたよ」
耳元で囁かれた言葉に、カナデは硬直する。
その体温に気づいたときには、すでに相手の両腕で抱きしめられていた。
(な、なにこれ……)
混乱したままカナデは行き場のない手を浮かせた。そしてそっと相手の胸元を押し、距離を取ろうと試みる。
指先に触れたグレースーツの生地は、驚くほど滑らかで高級品と分かる手触りだ。
「あ、あの……」
基本的に貴族は、下位の者と対等に話などしない。公爵ともなれば番でもないオメガと、初対面でこんなに至近距離で話すなんてありえないことだ。
あえてこうすることで、何か試されているのかとカナデは勘ぐってしまう。
「名前を教えて。書類で読んだけど、君の声で聞きたい」
言われて、カナデは迷う。先程の男はカナデが既に戸籍が抹消されていると告げた。玩具に名前や人権など必要ないという事だと、カナデでも理解できた。
「……名前は、ありません」
俯くカナデの背を、公爵の手が撫でる。
「不安に思うことはないよ。大丈夫」
その声は怯え凍り付きそうになっていたカナデの心をゆっくりと解かしていく。
「…………カナデ、です」
掠れた声で答えれば、公爵が満足げに頷くのが分かった。
「ああ、やっばり良い響きだ。君の声で聞くと、格別に美しく感じる」
そしてやっと少しだけ体を離し、公爵がカナデの顔を覗き込む。
(碧い瞳……宝石みたいだ)
長い金色の髪に、彫刻のように整った容姿。その姿はまるで絵物語に描かれる王侯貴族そのままだった。
「レオンハルト・ドレイグだよ。これからよろしくね。可愛いカナデ」
にこりと微笑むその顔に見惚れ、カナデはぼうっとして立ち竦む。
顔立ちもさることながら、彼がこれまで出会ったアルファとは全く違うと気づいた。
そこは廊下と同じく、しんと静まり返った空間だった。柔らかな絨毯が足音を吸い込み、ほんの少し歩いた先にもう一枚、扉がある。
何だこの構造、とカナデは小首を傾げる。やたらと厳重なこの造りからして、やはり高位貴族専用の部屋ということなのだろう。
戸惑っていると、その扉の向こうから低く落ち着いた声が届いた。
「入りなさい」
優しい声だった。穏やかで、どこか眠たげな響きさえある。
高位の貴族なんてもっと威圧的な人々だと勝手に思い込んでいたカナデは、少しばかり驚く。いかにも公爵らしい、冷たく威圧的で権威に満ちた声音で命令されるのだと思っていたのに――。
(結構普通なのかも?)
運が良ければ、人並みの扱いをしてくれるかもしれない。淡い望みを抱いてカナデは深呼吸する。
「……失礼します」
とはいえ相手は公爵だ、礼を欠くわけにはいかない。カナデはそっとドアノブに手をかけ、中へと入った。
足を踏み入れた瞬間、思った以上に広い部屋だと分かる。
天井は高く、間接照明の灯りが空間全体を柔らかく包んでいる。だが、その光景をじっくりと眺める間もなかった。
「……っ」
突然、視界が遮られた。
目の前に誰かが立っている。いや、そういうレベルじゃない。
距離が近い――近すぎる。
「やっと会えたね。まったく書類だの、なんだの……人間は面倒な手続きが好きなんだね。待ちくたびれたよ」
耳元で囁かれた言葉に、カナデは硬直する。
その体温に気づいたときには、すでに相手の両腕で抱きしめられていた。
(な、なにこれ……)
混乱したままカナデは行き場のない手を浮かせた。そしてそっと相手の胸元を押し、距離を取ろうと試みる。
指先に触れたグレースーツの生地は、驚くほど滑らかで高級品と分かる手触りだ。
「あ、あの……」
基本的に貴族は、下位の者と対等に話などしない。公爵ともなれば番でもないオメガと、初対面でこんなに至近距離で話すなんてありえないことだ。
あえてこうすることで、何か試されているのかとカナデは勘ぐってしまう。
「名前を教えて。書類で読んだけど、君の声で聞きたい」
言われて、カナデは迷う。先程の男はカナデが既に戸籍が抹消されていると告げた。玩具に名前や人権など必要ないという事だと、カナデでも理解できた。
「……名前は、ありません」
俯くカナデの背を、公爵の手が撫でる。
「不安に思うことはないよ。大丈夫」
その声は怯え凍り付きそうになっていたカナデの心をゆっくりと解かしていく。
「…………カナデ、です」
掠れた声で答えれば、公爵が満足げに頷くのが分かった。
「ああ、やっばり良い響きだ。君の声で聞くと、格別に美しく感じる」
そしてやっと少しだけ体を離し、公爵がカナデの顔を覗き込む。
(碧い瞳……宝石みたいだ)
長い金色の髪に、彫刻のように整った容姿。その姿はまるで絵物語に描かれる王侯貴族そのままだった。
「レオンハルト・ドレイグだよ。これからよろしくね。可愛いカナデ」
にこりと微笑むその顔に見惚れ、カナデはぼうっとして立ち竦む。
顔立ちもさることながら、彼がこれまで出会ったアルファとは全く違うと気づいた。
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