オー・マイ・メサイア ~バタフライ~

ほだか

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1.飛べない蝶

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 高瀬樹たかせ いつきは5年に及ぶ片想いの末…本日、完敗した。

 半年ほど前、突然 “好きな人ができた。おまえとはもう寝ない” と宣言された。

 樹にとって、そんなことはどうでもよかった。
 体の関係だけでもいい、何としてでも彼をつなぎとめたかった。
 だから彼の家に無理やり押しかけ、“納得がいかない”と詰め寄ったのだ。
 そして…完全に拒絶されてしまった。

(まさか土下座されるとは思わなかったな…)

 片想いと知りながら抱かれた。他にもセフレがいる樹は、そんなこと大した問題じゃないと思っていた。
 抱かれたい時に抱いてくれれば、それで満足だったのに…

 “愛されてもいないのに、抱かれることがどんなに切ないことか知らなかった”と、彼は言った。
 切ないと思ったことなんか一度もないのにと思いながらも、生涯を誓い合ったという平凡な男と二人で土下座され、引き下がらざるをえなかった。

 彼、津川勝つがわ まさると会ったのは5年前。
 仕事で訪れていたサイパンでマネージャーを介して出会い、そのままベッドになだれ込んだ。
 彼は俳優で、ゲイであること完全に隠していた。そして、それが樹の自尊心をくすぐった。

 世間的には、イケメン俳優で婚約者一筋な彼の本性を僕は知っている。
 クールに見える彼が獣のように男を抱く。それを僕は知っている。
 彼とのセックスも顔も好きだったけど、そのシチュエーションが何より好きだったんだと思う。

 新しい人、探さなくちゃな…と、樹は車を運転しながら大きくため息をついた。

***
「ただいま」
「おかえり。肉あるぞ」
「また、鳥の胸肉?」
「それがダイエットにいいんだと。明日撮影ないなら、塩コショウふって食え」

 ダイエットなんかしなくても太らないのに…と思いながら、茹でただけの鶏肉に、たっぷりとチリソースをかけて食べる。もちろんご飯も一緒に。

「樹、いいのか?米なんか食って」
「いいんだよ。当分撮影ないから。ケーキだって食えちゃうもん」

 へへんっと両手を腰にあて、ドヤ顔してみせる樹を優しく見つめる渡辺。

 渡辺薫《わたなべ かおる》と樹は、同居を始めて10年になる。樹が上京してきた16歳の時から面倒を見てくれている、お兄さん的な、お父さん的な存在だ。

「俺は先に寝る」
「明日、仕事?」
「オジサンは早寝早起きなんだよ」
「じゃあ、座って話聞いてよ」

 樹は嫌なことがあると渡辺に話す。嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても話す。これまで何でも渡辺に話してきた。

 初恋の相手が同じクラスの男子だった時も渡辺に話した。

「そうか…人を好きになるのはいいことだ。それが男でも女でも。ただ、これから樹がつらい思いをするかもと思うと…でも俺がいるから。俺はいつでもおまえの味方だ。何でも話してくれ。解決はできなくても、気持ちは楽になるはずだから」
 そう言ってくれた。

 結局その人に彼女ができ、片想いのまま恋が終わってしまったけど、渡辺の胸で思い切り泣いたことで甘酸っぱい初恋として記憶に残すことができた。
 その後、仕事のことも、勉強のことも、セフレのことも何でも話した。渡辺と話す時間は樹の癒しの時間だった。


「そうか。残念だったな」
 片想いしていたセフレにフラれたと聞き、渡辺は樹の髪をグシャグシャにしながら頭をなでた。

「また新しい人、探さなくちゃ」
 髪を整え終わると、樹の気持ちはすっきりしていた。

「他に3人いるんだろう。十分じゃないか」
「そうだけど…」
「ちゃんと病気がないかチェックしろよ」
「わかってる」

 ふと、下を向くと短めのスウェットパンツから渡辺の足が見える。
「あれ?渡辺さん、また傷増えた?」

 渡辺のすねには、大きな傷あとがいくつかある。短いズボンをはいて野外撮影に行き、知らないうちに枝や落ちていた針金などで切ってしまうらしい。そのため一度縫ったこともある。浅い傷は痕がなくなるけど、縫った傷や深い傷はそのまま残ってしまっていた。

「…あ、ああ」
「気をつけなよ。また縫うことになるよ」
「そうだな。もっと深く切ることになるかもな」

 傷に目を向け沈んだ声でそう言う渡辺の髪をグシャグシャにして、樹は部屋に向かう。

「おやすみなさい。聞いてくれてありがとう」
「ああ。おやすみ」

 渡辺は乱れた自分の髪を直しながら、部屋に戻っていく樹の背中を見つめていた。
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