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番外編2 魔法のかかる城
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そろそろ夏を迎えようとする季節の、とある昼下がりのことです。
次の時間枠をご予約頂いたお客様方の情報を記した帳簿には、「ジョーとエイミー夫妻」とだけ、記録されておりました。平民も次々と自ら家名を持ち始めた、今日この頃。家名を名乗らないお客様をお迎えするのは、当ホテルでは初めてのことです。
「ジョー様とエイミー様ご夫妻、ご到着にございます!」
案内役の声が聞こえて、私とアイザックはお客様を出迎えるべくエントランスへと向かいました。
そこにいたご夫婦の装いは、本館をご予約頂くお客様としては、ごくごく質素なものでした。しかしそのお仕立ては、どこか品のよさを感じられるものです。
そこでようやくお客様のお顔をしっかりと拝見して、私はとても驚きました。歳を重ねてはおりますが、その顔を忘れるはずがありません。しかし、今はおもてなしの最中です。私は平静を装って微笑むと、いつものご挨拶を述べました。
「ジョー様、エイミー様、ようこそエルスター伯爵城へ。どうぞ我が家に帰ってきたように、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
「本日は、お招きに預かり光栄です」
「こっ、ここ光栄です!」
帽子を取り、どこか緊張した面持ちで会釈をするジョー様を見て、慌てたようにエイミー様がぺこりと頭を下げました。
ここまでは、当ホテルのお約束通りです。しかしここから先、どう対応するのが正解なのでしょうか。私がわずかに逡巡していると……その様子を黙って見ていたアイザックが、不意に口を開きました。
「久しぶりだな、ジョー」
……ジョーさんはハッとしたような表情を浮かべたあと。少しばかり気まずそうに、微かに笑って言いました。
「ああ……久しぶり」
「消息を絶ったと聞いて、心配していた」
「心配……」
ジョーさんは一瞬驚いたように目を見開くと。微かに唇を震わせてから、軽く目を伏せました。
「……そうか、すまない」
二人のやりとりを見ていたエイミーさんが、傍らに立つ連れ合いを見上げて、訝しげに問いかけます。
「……ジョーって、いったい何者なの?」
「……ただのジョーだよ」
「で、でも、伯爵さまと知り合いだなんて……」
不安そうな様子の彼女に、私はあえて嘘をつかないことに決めて微笑みかけました。
「子どもの頃、同じ学校に通っていたのです」
「学校……」
まだ不安が拭えない様子の彼女の肩に手を置きながら、ジョーさんは口を開きました。
「その、まずお二人に伝えておかなければならないことがあるんですが……少しお時間を」
どこか言いにくそうに口ごもる彼を見て、私は言いました。
「かしこまりました。ですがその前に、奥様は先に滞在中のご衣装を選んでいらしてはいかがでしょう? レディの準備には時間がかかりますもの。それでも良いかしら?」
「あ、ああ、頼む……みます」
「ジョー……」
「大丈夫だ、行ってこい」
*****
侍女役の従業員に連れられてエイミーさんが別室に消えると、ジョーさんはぼそりと小さく呟きました。
「すまない……恩に着る」
そうして止める間もなく崩れ落ちるように両の膝をつくと……膝に手をつき、今度ははっきりとした声で、言いました。
「その節は、本当に、申し訳ないことをした。俺の浅はかな人気取りのためだけに、大勢の前で晒すようにして傷付けた。……いや、違うな。貴女はいつも正しかったから、幼稚な俺は逆恨みして、わざと深く傷付けるようなことをしたんだ。いつも冷静な貴女が絶望に狂う様を見てみたい……そんな身勝手な欲望で、俺は……!」
彼はそこで一瞬言葉を詰まらせると、まるで血を吐くように、言いました。
「赦されることではないとは、解っている。だが、どうか謝罪だけ、させてくれないだろうか」
彼は両膝をついたまま身体を深く折り曲げるようにして、深く頭を垂れました。
「本当に……申し訳のないことをしました」
ですがそんな彼に、私は冷たく言いました。
「……許すことはできませんわ」
「貴女の言う通りだ。本当に、本当に……すまなかった」
「……貴方に本当にすまないという気持ちがあるのなら、一生許されることのないまま、償い続けてもらうべきですわ。でも、困りましたわね。わたくし、今とっても幸せですのよ」
私は少しだけ考える仕草を見せてから、探るように問いました。
「……本当に大事なものは、見つかりまして?」
「ああ……。どん底へと堕ちた俺を、エイミーが……今の妻が、救ってくれたんだ」
「ではその大事な奥様を、一生かけて幸せにし続けなさい。わたくし、ちゃんと見ていましてよ? 許してなんか、差し上げませんから」
「あ……ああ、約束する!」
弾かれたように顔を上げた彼の目を、しっかりと見据えながら。私はいつも子どもたちを叱っているときのように、含めるように言いました。
「……ならば、謝罪の方は受け取って差し上げますわ。今日の貴方は当ホテルのお客様なのですから、それ相応の振る舞いをして頂かなければなりません。さあ、お立ちになって」
手を差し伸べようとする私を、軽く制すると。代わりに手を伸ばしながら、アイザックはニヤリと笑いました。
「一度手離したら、二度と戻らないと言っただろう?」
*****
ご婦人用のお支度部屋に入りますと、ちょうどエイミー様は仕上げのお化粧を終えられたところでした。
「まあ! とても良くお似合いですわ!」
無心に鏡を見つめていた彼女は、私の声に我に返ったかのように振り返りました。
首もとまでのびる繊細なレースが重なる襟ぐりに、きゅっと締められたコルセット。対するスカートはふんわりと広がって、まるで絵本から抜け出した姫君のようです。
「あのっ、すっごくキレイにしてもらって、これがあた……わたしだなんて、本当にビックリです。ありがとうございます!」
頬を上気させながら頭を下げる彼女を見て、私は微笑みました。
「いいえ、このドレスにして正解でしたわね。まるで貴女のためにあつらえたかのようで、本物のお姫様みたいですわ」
「お姫さま……」
ですがエイミー様は、そう反芻してどこか物憂げに顔を伏せました。
「……あの、お気にさわってしまったかしら?」
「いいえ、違うんです!」
彼女は慌てたように両の手を振ると。一転して、浮かない顔で話を続けました。
「あの、さっきの話……ジョーと同じ学校だったって、ほんとですか?」
「ええ」
「ジョーって、どんな子どもでした?」
「そうねぇ……あまり真面目な生徒ではなかったわね」
私はおどけたように言いましたが、それでも彼女は、その表情から憂いを消すことはありませんでした。
「そうなんですね……」
「何か心配なことでもあるのかしら?」
「ジョー……昔のこと、何も話してくれないから……」
落ち込む彼女の背に手をあてて、私は静かに口を開きました。
「……人は誰しも、過去を持っているわ。どんなに大事なひとにでも、大事だからこそ、怖くて言えないこともある。でもきっといつか話せる日が来ると思うから……どうか、待っていてさしあげて?」
「うん……じゃない、は、はい、伯爵夫人」
「そうかしこまらないで! 貴方は旧友の奥様。つまり私たちもお友だちということで、いいんじゃないかしら? ねえ、エイミーさん」
「えっと……」
「ミラベルよ」
「……ありがとう、ミラベルさま」
*****
全ての準備を終えると、私はエイミーさんを伴い集合場所のロビーへと向かいました。いつもは侍女の仕事ですが、この二人のことは、もう少しだけ自分で見守っていたかったのです。
ロビーに到着すると、そこには旧い貴族の衣装に身を包んだ、かつての王族の姿がありました。
……なんということでしょう。これが、生まれというものなのでしょうか。思わずかつての臣下の礼をとりかけた私は、ハッとしてスカートから手を離しました。
「お待たせ致しました」
「ウソ……ジョー……? ほんとに、王子さまみたい……」
私の傍らで放心したように呟くエイミーさんを見て、彼は頭を掻きながら……皮肉げに顔を歪めて笑いました。
「ああ、馬子にも衣装ってヤツだな。中身は『王子さま』なんてのは、程遠い人間なのに」
彼はまだ固まったままのエイミーさんの手を取ると、困ったように微笑みました。
「ほら、行くぞ。……最初は写真を撮るんだろ?」
*****
写真を撮り終えたお二人は、お城のテラスでアフタヌーンティーを楽しまれたあと。展示物の鑑賞やお庭の散策で、ゆっくりと過ごされたようでした。係の者を通してそれとなく様子をうかがいますと、どうやらとてもご満足頂けたようです。
当ホテルの特別な晩餐会は、少し早めのお時間に開きます。お客様全員と城主である私共夫妻とで、広間の大テーブルを囲むのです。これまでは二人の時間を気楽に過ごしていた様子のエイミーさんでしたが……ここで多くの他のお客様たちを前にして、ひどく緊張しているようでした。
練習した通りにすれば問題ない。困ったら俺の真似をすればいい──そう、ジョーさんが小声で言い聞かせているのが聞こえます。
かつてのジョシュア殿下にとっては、周りが彼に尽くすのが当然で……このように誰かの世話を焼く姿を見るのは、私も初めてのことでした。人とはこうも変われるものなのでしょうか?
……いいえ。本当は、こちらが彼の本質に合っていただけなのかもしれません。
やがて食事は進み、食後のデザートがテーブルに並べられました。飾り切りされたフルーツのお皿の横には、小さなフィンガーボウルが並んでいます。これは皮を取り外したあとの指先を、お水で洗うために用意されているものです。
しかしここで、予想外のことが起きました。ここまで緊張しつつもなんとか食事をとっていらしたエイミーさんが、ボウルを手に取り水に口をつけたのです。
「エイミー!」
「え、な、なに?」
小さく焦りの声を上げるジョーさんを、エイミーさんは不安そうに見上げます。それを見た私はすかさず自分の前のボウルを両手で取ると、くいっと一気に飲み干しました。
「ふう。今日は暑いですわね!」
一瞬で察したアイザックが、そしてジョーさんが、ボウルを手に取り次々と水を飲み干します。
「全くだ。レモン水が美味しい季節だな」
「本当に」
「ど、どうしたの?」
「いや、何でもない」
面食らったかのように左右を見やる彼女へと、ジョーさんはそう穏やかに微笑んでから。私にそっと目礼を送りました。
彼は、変わりました。きっと本当に守りたいものを、見付けたのでしょう。
*****
少し早めの晩餐を終えた後は、夜会服へと姿を変えて……舞踏室での、ダンスタイムです。
「どうしよう、あたしやっぱり、自信ないよ……」
「あんなに楽しみにして、毎晩練習していただろう? 大丈夫だ。お前は、俺に身を任せておくだけでいい」
楽士の演奏が始まると──かつてダンスの名手だった王子を想起させる所作で、二人はゆっくりと踊り始めました。しかしそのリードは、かつてのような強引に相手を意のままにしようとするものではなく……パートナーを優しく導こうとするものへと変わっています。
ですが──
「だめ……」
「エイミー?」
「怖い!」
「……っ、エイミー!」
突然身をひるがえして広間から飛び出して行ったエイミーさんを……なぜか反応が一拍遅れたジョーさんは、慌てて追いかけてゆきました。私は他のお客様へ軽くお詫びの言葉を述べてから、急いで二人の後を追いました。
ボールルームの外は開放型の廊下になっていて、すぐ横には夜の静かな庭園が広がっています。私は軽くあたりを見回すと、すぐに話し声が聞こえてくる方を見つけて、植え込みの陰からそっと二人に近寄りました。
「やだ……あたしいま、とっても幸せで、だけど、ジョーがすっごく遠くに見えて……怖いよ」
そこには夜会服から覗く肩を震わせうずくまる女性と、その傍らに膝をつく彼女の夫の姿がありました。
「朝になったら魔法がとけて、ジョーが、ジョーじゃなくなっちゃう。イヤだ……あたしをおいていかないで……」
ポロポロと涙をこぼすエイミーさんを抱きしめて、彼は言いました。
「エイミー……。大丈夫だ、俺はどこにも行かない。帰ろう、俺達の家に」
小さくうなずいた彼女の手を取り、そっと立ち上がらせると。彼はいつの間に気付いていたのか、私の方をまっすぐに振り返りました。
「……シェリンガム夫人、すまない。時間外で恐縮だが、元の服に着替えてチェックアウトさせてもらえるか?」
「ええ、もちろんです」
「せっかく優しくしてもらったのに、ミラベルさまにはたくさん迷惑かけてごめんなさい。あたしなんかでもお姫さまになれたみたいで……本当に、とっても、楽しかったです」
すまなさそうに小さくなる彼女に、私は微笑みかけました。
「それは何よりだわ。迷惑だなんて思っていないから、また、遊びにいらしてね」
「……いいんですか?」
「もちろん! だって、エイミーさんと私はお友だちでしょう? ……約束」
私が小指を差し出すと、彼女は少しだけ迷ってから、そっと自分の小指を絡めてくれました。
「うん……約束」
エイミーさんの着替えを侍女に託して振り返ると。アイザックがジョーさんの肩に手を置いて、低く囁いているのが聞こえました。
「復権派が『王子』を探している。気を付けろ、大事なものは必ず守れ」
「ああ……必ず」
その日の夜遅く、二人は帰ってゆきました。最寄りの駅まで夜行馬車で行き、始発で首都へと向かう汽車に乗るのだそうです。そんな彼らのわずかな手持ちの荷物には、行きにはなかった銀の写真が一枚、増えておりました。
そこに刻まれた二人の姿が、どうか、良い思い出となりますように。
私は、願わずにはいられないのです。
おしまい
次の時間枠をご予約頂いたお客様方の情報を記した帳簿には、「ジョーとエイミー夫妻」とだけ、記録されておりました。平民も次々と自ら家名を持ち始めた、今日この頃。家名を名乗らないお客様をお迎えするのは、当ホテルでは初めてのことです。
「ジョー様とエイミー様ご夫妻、ご到着にございます!」
案内役の声が聞こえて、私とアイザックはお客様を出迎えるべくエントランスへと向かいました。
そこにいたご夫婦の装いは、本館をご予約頂くお客様としては、ごくごく質素なものでした。しかしそのお仕立ては、どこか品のよさを感じられるものです。
そこでようやくお客様のお顔をしっかりと拝見して、私はとても驚きました。歳を重ねてはおりますが、その顔を忘れるはずがありません。しかし、今はおもてなしの最中です。私は平静を装って微笑むと、いつものご挨拶を述べました。
「ジョー様、エイミー様、ようこそエルスター伯爵城へ。どうぞ我が家に帰ってきたように、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
「本日は、お招きに預かり光栄です」
「こっ、ここ光栄です!」
帽子を取り、どこか緊張した面持ちで会釈をするジョー様を見て、慌てたようにエイミー様がぺこりと頭を下げました。
ここまでは、当ホテルのお約束通りです。しかしここから先、どう対応するのが正解なのでしょうか。私がわずかに逡巡していると……その様子を黙って見ていたアイザックが、不意に口を開きました。
「久しぶりだな、ジョー」
……ジョーさんはハッとしたような表情を浮かべたあと。少しばかり気まずそうに、微かに笑って言いました。
「ああ……久しぶり」
「消息を絶ったと聞いて、心配していた」
「心配……」
ジョーさんは一瞬驚いたように目を見開くと。微かに唇を震わせてから、軽く目を伏せました。
「……そうか、すまない」
二人のやりとりを見ていたエイミーさんが、傍らに立つ連れ合いを見上げて、訝しげに問いかけます。
「……ジョーって、いったい何者なの?」
「……ただのジョーだよ」
「で、でも、伯爵さまと知り合いだなんて……」
不安そうな様子の彼女に、私はあえて嘘をつかないことに決めて微笑みかけました。
「子どもの頃、同じ学校に通っていたのです」
「学校……」
まだ不安が拭えない様子の彼女の肩に手を置きながら、ジョーさんは口を開きました。
「その、まずお二人に伝えておかなければならないことがあるんですが……少しお時間を」
どこか言いにくそうに口ごもる彼を見て、私は言いました。
「かしこまりました。ですがその前に、奥様は先に滞在中のご衣装を選んでいらしてはいかがでしょう? レディの準備には時間がかかりますもの。それでも良いかしら?」
「あ、ああ、頼む……みます」
「ジョー……」
「大丈夫だ、行ってこい」
*****
侍女役の従業員に連れられてエイミーさんが別室に消えると、ジョーさんはぼそりと小さく呟きました。
「すまない……恩に着る」
そうして止める間もなく崩れ落ちるように両の膝をつくと……膝に手をつき、今度ははっきりとした声で、言いました。
「その節は、本当に、申し訳ないことをした。俺の浅はかな人気取りのためだけに、大勢の前で晒すようにして傷付けた。……いや、違うな。貴女はいつも正しかったから、幼稚な俺は逆恨みして、わざと深く傷付けるようなことをしたんだ。いつも冷静な貴女が絶望に狂う様を見てみたい……そんな身勝手な欲望で、俺は……!」
彼はそこで一瞬言葉を詰まらせると、まるで血を吐くように、言いました。
「赦されることではないとは、解っている。だが、どうか謝罪だけ、させてくれないだろうか」
彼は両膝をついたまま身体を深く折り曲げるようにして、深く頭を垂れました。
「本当に……申し訳のないことをしました」
ですがそんな彼に、私は冷たく言いました。
「……許すことはできませんわ」
「貴女の言う通りだ。本当に、本当に……すまなかった」
「……貴方に本当にすまないという気持ちがあるのなら、一生許されることのないまま、償い続けてもらうべきですわ。でも、困りましたわね。わたくし、今とっても幸せですのよ」
私は少しだけ考える仕草を見せてから、探るように問いました。
「……本当に大事なものは、見つかりまして?」
「ああ……。どん底へと堕ちた俺を、エイミーが……今の妻が、救ってくれたんだ」
「ではその大事な奥様を、一生かけて幸せにし続けなさい。わたくし、ちゃんと見ていましてよ? 許してなんか、差し上げませんから」
「あ……ああ、約束する!」
弾かれたように顔を上げた彼の目を、しっかりと見据えながら。私はいつも子どもたちを叱っているときのように、含めるように言いました。
「……ならば、謝罪の方は受け取って差し上げますわ。今日の貴方は当ホテルのお客様なのですから、それ相応の振る舞いをして頂かなければなりません。さあ、お立ちになって」
手を差し伸べようとする私を、軽く制すると。代わりに手を伸ばしながら、アイザックはニヤリと笑いました。
「一度手離したら、二度と戻らないと言っただろう?」
*****
ご婦人用のお支度部屋に入りますと、ちょうどエイミー様は仕上げのお化粧を終えられたところでした。
「まあ! とても良くお似合いですわ!」
無心に鏡を見つめていた彼女は、私の声に我に返ったかのように振り返りました。
首もとまでのびる繊細なレースが重なる襟ぐりに、きゅっと締められたコルセット。対するスカートはふんわりと広がって、まるで絵本から抜け出した姫君のようです。
「あのっ、すっごくキレイにしてもらって、これがあた……わたしだなんて、本当にビックリです。ありがとうございます!」
頬を上気させながら頭を下げる彼女を見て、私は微笑みました。
「いいえ、このドレスにして正解でしたわね。まるで貴女のためにあつらえたかのようで、本物のお姫様みたいですわ」
「お姫さま……」
ですがエイミー様は、そう反芻してどこか物憂げに顔を伏せました。
「……あの、お気にさわってしまったかしら?」
「いいえ、違うんです!」
彼女は慌てたように両の手を振ると。一転して、浮かない顔で話を続けました。
「あの、さっきの話……ジョーと同じ学校だったって、ほんとですか?」
「ええ」
「ジョーって、どんな子どもでした?」
「そうねぇ……あまり真面目な生徒ではなかったわね」
私はおどけたように言いましたが、それでも彼女は、その表情から憂いを消すことはありませんでした。
「そうなんですね……」
「何か心配なことでもあるのかしら?」
「ジョー……昔のこと、何も話してくれないから……」
落ち込む彼女の背に手をあてて、私は静かに口を開きました。
「……人は誰しも、過去を持っているわ。どんなに大事なひとにでも、大事だからこそ、怖くて言えないこともある。でもきっといつか話せる日が来ると思うから……どうか、待っていてさしあげて?」
「うん……じゃない、は、はい、伯爵夫人」
「そうかしこまらないで! 貴方は旧友の奥様。つまり私たちもお友だちということで、いいんじゃないかしら? ねえ、エイミーさん」
「えっと……」
「ミラベルよ」
「……ありがとう、ミラベルさま」
*****
全ての準備を終えると、私はエイミーさんを伴い集合場所のロビーへと向かいました。いつもは侍女の仕事ですが、この二人のことは、もう少しだけ自分で見守っていたかったのです。
ロビーに到着すると、そこには旧い貴族の衣装に身を包んだ、かつての王族の姿がありました。
……なんということでしょう。これが、生まれというものなのでしょうか。思わずかつての臣下の礼をとりかけた私は、ハッとしてスカートから手を離しました。
「お待たせ致しました」
「ウソ……ジョー……? ほんとに、王子さまみたい……」
私の傍らで放心したように呟くエイミーさんを見て、彼は頭を掻きながら……皮肉げに顔を歪めて笑いました。
「ああ、馬子にも衣装ってヤツだな。中身は『王子さま』なんてのは、程遠い人間なのに」
彼はまだ固まったままのエイミーさんの手を取ると、困ったように微笑みました。
「ほら、行くぞ。……最初は写真を撮るんだろ?」
*****
写真を撮り終えたお二人は、お城のテラスでアフタヌーンティーを楽しまれたあと。展示物の鑑賞やお庭の散策で、ゆっくりと過ごされたようでした。係の者を通してそれとなく様子をうかがいますと、どうやらとてもご満足頂けたようです。
当ホテルの特別な晩餐会は、少し早めのお時間に開きます。お客様全員と城主である私共夫妻とで、広間の大テーブルを囲むのです。これまでは二人の時間を気楽に過ごしていた様子のエイミーさんでしたが……ここで多くの他のお客様たちを前にして、ひどく緊張しているようでした。
練習した通りにすれば問題ない。困ったら俺の真似をすればいい──そう、ジョーさんが小声で言い聞かせているのが聞こえます。
かつてのジョシュア殿下にとっては、周りが彼に尽くすのが当然で……このように誰かの世話を焼く姿を見るのは、私も初めてのことでした。人とはこうも変われるものなのでしょうか?
……いいえ。本当は、こちらが彼の本質に合っていただけなのかもしれません。
やがて食事は進み、食後のデザートがテーブルに並べられました。飾り切りされたフルーツのお皿の横には、小さなフィンガーボウルが並んでいます。これは皮を取り外したあとの指先を、お水で洗うために用意されているものです。
しかしここで、予想外のことが起きました。ここまで緊張しつつもなんとか食事をとっていらしたエイミーさんが、ボウルを手に取り水に口をつけたのです。
「エイミー!」
「え、な、なに?」
小さく焦りの声を上げるジョーさんを、エイミーさんは不安そうに見上げます。それを見た私はすかさず自分の前のボウルを両手で取ると、くいっと一気に飲み干しました。
「ふう。今日は暑いですわね!」
一瞬で察したアイザックが、そしてジョーさんが、ボウルを手に取り次々と水を飲み干します。
「全くだ。レモン水が美味しい季節だな」
「本当に」
「ど、どうしたの?」
「いや、何でもない」
面食らったかのように左右を見やる彼女へと、ジョーさんはそう穏やかに微笑んでから。私にそっと目礼を送りました。
彼は、変わりました。きっと本当に守りたいものを、見付けたのでしょう。
*****
少し早めの晩餐を終えた後は、夜会服へと姿を変えて……舞踏室での、ダンスタイムです。
「どうしよう、あたしやっぱり、自信ないよ……」
「あんなに楽しみにして、毎晩練習していただろう? 大丈夫だ。お前は、俺に身を任せておくだけでいい」
楽士の演奏が始まると──かつてダンスの名手だった王子を想起させる所作で、二人はゆっくりと踊り始めました。しかしそのリードは、かつてのような強引に相手を意のままにしようとするものではなく……パートナーを優しく導こうとするものへと変わっています。
ですが──
「だめ……」
「エイミー?」
「怖い!」
「……っ、エイミー!」
突然身をひるがえして広間から飛び出して行ったエイミーさんを……なぜか反応が一拍遅れたジョーさんは、慌てて追いかけてゆきました。私は他のお客様へ軽くお詫びの言葉を述べてから、急いで二人の後を追いました。
ボールルームの外は開放型の廊下になっていて、すぐ横には夜の静かな庭園が広がっています。私は軽くあたりを見回すと、すぐに話し声が聞こえてくる方を見つけて、植え込みの陰からそっと二人に近寄りました。
「やだ……あたしいま、とっても幸せで、だけど、ジョーがすっごく遠くに見えて……怖いよ」
そこには夜会服から覗く肩を震わせうずくまる女性と、その傍らに膝をつく彼女の夫の姿がありました。
「朝になったら魔法がとけて、ジョーが、ジョーじゃなくなっちゃう。イヤだ……あたしをおいていかないで……」
ポロポロと涙をこぼすエイミーさんを抱きしめて、彼は言いました。
「エイミー……。大丈夫だ、俺はどこにも行かない。帰ろう、俺達の家に」
小さくうなずいた彼女の手を取り、そっと立ち上がらせると。彼はいつの間に気付いていたのか、私の方をまっすぐに振り返りました。
「……シェリンガム夫人、すまない。時間外で恐縮だが、元の服に着替えてチェックアウトさせてもらえるか?」
「ええ、もちろんです」
「せっかく優しくしてもらったのに、ミラベルさまにはたくさん迷惑かけてごめんなさい。あたしなんかでもお姫さまになれたみたいで……本当に、とっても、楽しかったです」
すまなさそうに小さくなる彼女に、私は微笑みかけました。
「それは何よりだわ。迷惑だなんて思っていないから、また、遊びにいらしてね」
「……いいんですか?」
「もちろん! だって、エイミーさんと私はお友だちでしょう? ……約束」
私が小指を差し出すと、彼女は少しだけ迷ってから、そっと自分の小指を絡めてくれました。
「うん……約束」
エイミーさんの着替えを侍女に託して振り返ると。アイザックがジョーさんの肩に手を置いて、低く囁いているのが聞こえました。
「復権派が『王子』を探している。気を付けろ、大事なものは必ず守れ」
「ああ……必ず」
その日の夜遅く、二人は帰ってゆきました。最寄りの駅まで夜行馬車で行き、始発で首都へと向かう汽車に乗るのだそうです。そんな彼らのわずかな手持ちの荷物には、行きにはなかった銀の写真が一枚、増えておりました。
そこに刻まれた二人の姿が、どうか、良い思い出となりますように。
私は、願わずにはいられないのです。
おしまい
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その2人に、ある出来事で入れ替わりが起きる。それによって互いの距離がグッと縮まる。
一緒にいると互いに居心地が良く、何の気兼ねも要らない2人。
2人で過ごす時間は、あまりにも楽しい…。
それでもエドワードは、ルイーズへの気持ちを自覚しない。
あるきっかけで体が戻る。
常々、陛下から王女との結婚を持ち掛けられているエドワード。
彼の気持ちはルイーズに向かないままで、自分の結婚相手ではないと判断している。
そんななか、ルイーズがいなくなった…。
青ざめるエドワード。もう会えない…。焦ったエドワードは彼女を探しに行く。
エドワードが、ルイーズを見つけ声を掛けるが、彼女の反応は随分とそっけない。
このときのルイーズは、エドワードに打ち明けたくない事情を抱えていた。
「わたし、親戚の家へ行く用事があるので、あの馬車に乗らないと…。エドワード様お世話になりました」
「待てっ! どこにも行くな。ルイーズは俺のそばからいなくなるな」
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こちらも読んでいただきありがとうございます!
個人的に何が悪かったのかも分からないまま破滅されるより、心の底から悪かったなと自覚して反省してくれた方がスッキリします笑
イイネと言っていただけて、嬉しいです!
ご感想、ありがとうございました♪
応援ありがとうございます。嬉しいです!
また何か書けた際には、よろしくお願い致します♪
大好きと言っていただけて、嬉しいです!
ご感想、ありがとうございました。