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1章 セレン・フォーウッド
02 壁の花仲間
しおりを挟むフロアに入ると、人の視線が突き刺さり足が震える。
こんなにたくさんの人の前に出たこともないし、貴族たちと話したこともない、何しろ幼い頃のお茶会ですらうまくいかなかったのだから。
大人数の煌びやかな舞踏会は、私にはハードルが高すぎたらしい。もう帰りたい、などと思っていると一人の令息に話しかけれた。
「はじめまして」と声をかけてきた令息は華やかな人だった。どこかの伯爵家のご長男だそうだが、緊張してなにも頭に入ってこない。
「美しいご令嬢、貴女のお名前は?」
「……」
私は完全に固まってしまっていた。どうしよう、せっかく話しかけてくださっているのに、挨拶ひとつ思い浮かばない。口を開くけれど焦れば焦るほど言葉が続かない。普段から口数は多くないけれど、全く喋れないわけではない。それなのにこの人が結婚相手になるかもしれないと思うとなぜか恐ろしくなり喉がぎゅっと締まってしまって何も言えなくなった。男の人は怖い、お腹から恐怖が上がってくる。
そうだ、こういう時は笑顔を作ってごまかしてみよう!お姉さまが夜会で困った時は微笑んでいればいいのよと仰っていた。
しかし私は忘れていた。私は笑顔を作ったことが、ない。
そんな私が微笑もうと思っても、完全に表情筋は死んでいて使い物にならないのだ。
相手をじっと見てニコ、と笑ったつもりだったが、相手の令息は「ひ……」と言った。一体どんな顔をしてしまったのだろうか。彼は気味悪そうに私を見ると「失礼した」と去ってしまった。
その後、何人かの令息が話しかけてくれたが結局同じやり取りになった。返事ができないものだから怒りを露わにした方もいた。
笑顔を向けているはずなのにおかしいな、と思った私は廊下にある大きな鏡で確認したのだけど、鏡に映る私は笑顔どころか口元を歪めながらキッと睨みつけている。意図していないこととはいえ、これは失礼だ。せめて即座に返事ができればいいのだけどなぜか恐怖で足がすくんでしまう。どうして口が聞けなくなるのだろうか。
メインホールに戻ると皆楽しそうに思い思いの時間を過ごしているようだった。
中心に戻ればまたどなたかに失礼なことをしてしまうかもしれない、私は会場の壁際でひっそりと立っていることにした。すると一メートル程先に私と同じく壁の前に立っている男性がいることに気づいた。隣に並んでいる形なので話しかけられるのかと思ったが、どうやら彼は私に気づいていないらしい。
さらさらと揺れるまっすぐな白髪と、涼やかなアイスブルーの瞳。すらりとした長身の美しい男性だった。年齢は私と同じか、少し上くらいだろうか。
こんな美しい人でも、隅っこにいるものなんだなと思って見ているとパチリと目が合った。
彼はすぐに微笑んで軽く会釈をしてくれた。そうか、会釈をすればいいのか、笑顔を作れない私も会釈を返した。
彼は休憩をしているのかと思ったが、曲が終わってもその次の曲が終わっても場所を移動しなかった。
一度、彼の元に何人かご令嬢がやってきて熱心にダンスを誘っているらしかった。しかし彼は微笑みながらやんわりと断って誰とも踊ることはなかった。
私の元にも何人か令息がやってきたが、私は言葉をうまく返せず皆去っていった。さっき白髪の彼にしたように会釈をしてみたのだが、下から睨みつける結果になってしまった。
結局、私も彼も壁の花のままで誰ともダンスをすることはなかった。
ひどい対応になってしまう私と違って、彼はとてもスマートだったし、ご令嬢と話が弾んでいる様子もあったけれどダンスだけは頑なに許可しなかった。もしかするとダンスがとても苦手な方なのかもしれない。
こうして、私の社交界デビューは大失敗に終わった。
・・
次は前回の物より小規模なパーティに参加してみた。イメトレはしっかりしてみたが、やはりうまく返すことはできなったし小さな悲鳴を上げさせてしまった。
被害者をあまり出さないために今夜も端っこにいよう。そう思って壁の近くで軽食を食べていると、先日の白髪の彼も同じく料理をつまんでいた。彼は私に気づいてニコリと笑顔を向けてくれる。
「やあ、また会ったね」
私も笑顔を作って頷いた。きっと私は笑顔を作れていないけれど、彼は嫌な顔をしなかった。
彼は特にそれ以上話を広げることもなく、もちろん私から会話をスタートできるわけもないので、私たちは黙々と食べた。
その後、彼の元には何度もご令嬢が訪れた。
彼の話は面白いようで令嬢たちはクスクス嬉しそうに笑った。どのご令嬢も可愛い素敵な方ばかりだったが、彼は誰かをエスコートすることもダンスをすることもなく、その場で対応するだけだった。
この方は女性と親密になるために参加していないのかしら、それともやはりダンスが壊滅的なのかしら。
それから私は三回程夜会に参加してみた。三回目にはもう誰にも話しかけられることもなくなり、隅っこにただいるだけだった。
そして三回とも、白髪の彼はいた。私と違って彼は何度も話しかけられたけれど、やはり誰か一人を特別に扱うことはなくずっと私の隣にいた。
私たちは会話をすることはなかったけれど、私は壁の花仲間だと勝手に思っていた。
・・
その日、我が家に妹のリリーが訪れていた。
会うなり「お姉さま、一体舞踏会でどんなことをしているの!?」と叫ばれた。
「何もしていないけれど……」
「お姉さま、噂になっているわよ、ブリザード令嬢って!」
リリーは兄弟の中では一番話しやすい存在だ。お話好きで私の反応を気にせずに自分の話をたくさんしてくれるし、末っ子らしく思っていることをなんでも口に出す。時にはもう少しオブラートに包んだ方がいいと思うこともあったが、感情を全て言葉にされると逆に安心できた。
そう、今回も包み隠さず私の噂について教えてくれたのだ。
最近舞踏会に頻出している私は、令息令嬢たちの間で「ブリザード令嬢」と呼ばれているらしい。
最初は氷細工のように美しいと思ってくれていたようだが、今は不気味な存在だと思われているそうだ。
誰とも口を利かず、目が合うと相手を睨み何かブツブツ呪詛を唱えている。あれは呪いではないか……?から派生して、私の正体は氷の魔女や雪女で口を開ければ最後、吹雪に襲われる、と噂されているらしい。
「そんな……呪ってなんていないわ」
「それはもちろんそうよ!でも一言も喋らずに睨みながらブツブツ言っていたら変な人だとは思われるわよ!お姉様は確かに口下手だけど、挨拶くらいは出来るでしょう?一体どうしたの?」
「そうなのよね」
それは自分でも不思議だった。喋るのは苦手で友人もいないけれど、普段仕事もしているし大人になって表面上の会話くらいはできるようになったのだ。それが、結婚相手候補だと思うと恐怖で身体が凍ってしまう。私こそ何かの呪いがかけられてるのでないかと思うほどに。
「つまり緊張し過ぎてしまったということね?」
「そうなの」
「どんな光景か想像がついたわ。子供の頃のお茶会の時のようなお姉様に戻ってしまったのね。今のお姉さまなら舞踏会に参加さえすれば、引く手あまただと思っていたのに!」
リリーは呆れたように嘆いたが、返す言葉もない。私が悪いのである。
「同じ雪でも、スノープリンス侯爵とは大違いの噂ね」
「……?」
「どんな女性に誘われてもYESをくれない貴公子、レイン・リスター様よ!白髪の王子様、覚えがあるでしょう?」
「ええ」
どうやら私の壁の花仲間はスノープリンスと呼ばれているらしい。確かに雪の中から生まれた妖精とか王子だと言われても違和感はない。
しかし、私と同じく誰からの誘いも受けず、同じく雪にたとえられているというのにこの違いはなんだろうか。
「あのね、お姉さま。プリンスは笑顔でやんわりとスマートにお断りされているのよ。高嶺の花なの」
私の表情を読み取ったリリーは先回りして言った。どうやら彼の場合は断ることが逆にブランドになっているらしい。
「いいわ、次の舞踏会は私も参加するわ。お姉さまの噂を払拭して、素敵なお相手を見つけてあげる。わかりましたね?」
私は頷くしかなかった。
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