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1章 セレン・フォーウッド
04 結婚のための唯一の条件
しおりを挟むリスター侯爵からの衝撃的な申し出の翌日、早速彼がやってきた。
お互い仕事もあったので、退勤後に職場から割と近い我が家で話すことになったのだ。
「お姉様一人だとお断りしちゃいそうだわ」ということでリリーも私の隣に座っている。
「話をする機会をありがとう」
お茶を飲みながら彼は微笑んだ。壁の花仲間であっても、彼は高嶺の花で誰の誘いにも乗らない人だ。そんな方がなぜここにいるのだろうか、不思議な気分だ。
「どうしてお姉様を選んでくださったのですか?」
子供のように輝いた表情のリリーに、リスター侯爵は苦笑いをした。
「期待してくれているのに申し訳ないのですが……正直なことを言いますとロマンチックな理由ではありません。私とセレン嬢は利害が一致すると思ったのです」
「利害……?」
リリーは訝しげな表情になる。そんなリリーに「お姉さん思いの妹さんですね」と微笑んでからリスター侯爵は話し始めた。
「まず私は事情があり半年以内に結婚相手を探さなくてはなりません。事情は後ほど説明するとして……。貴女もご両親の勧めやご家庭のご事情で結婚相手を探されていると思っていますが、合っていますか?」
そういえば先日そんな話をしたなと思いながら私は頷いた。
「先日お二人が話しているのを聞いてしまったのですが、セレン嬢はお仕事を続けられたいのですよね?」
「はい」
「私は妻となる方が仕事を続けていても問題はありません。むしろ私の事情的にはその方がありがたいのです。
それからリスター家と言えば貴女のご両親にも納得いただけるでしょう。セレン嬢にとって、私は都合がいい相手だとは思いませんか?」
「まあそうですね」
私の代わりにリリーが答えた。「しかし、リスター侯爵には利がないと思うのですが?」
「そんなことはありません。まず家柄的に問題ないこと。それにしても貴女がフォーウッド家のご令嬢とは驚きました、研究所で働かれていましたからね」
「それでも貴方でしたら上位貴族令嬢からもたくさんお声がけがあったのでは?」
「ええ、しかし家柄を気にするのは私の親族です。
私自身が希望する女性は『私のことを好きでない女性』なのです。ご令嬢は皆私に愛を求めます。私はそれを返せません」
「えっ……」
さすがのリリーも面食らってそれしか言えなかった。もちろん私も驚いて彼のことを見る。
「あまり惚れっぽくなくて、私と事務的に話してくれる方が良いのです。何度かセレン嬢とお話もしましたが、貴女は私に愛を求めませんでしたから」
「ですが、お姉様だってこれから共に過ごすうちに貴方を好きになるかもしれませんよ?」
「はい。ですからこれは交渉なのです。失礼なことを言っているのはわかっています。ですが、こちらも切実でして。貴女たちならば冷静に話を聞いて頂けると思って打ち明けてみました。もちろんお断りいただいても構いません」
柔らかな物腰だが、固い意志が彼の中にあるのを感じる。彼から新雪のような優しさを感じていたが、さらさらの表面に隠れているものはカチカチの氷のように冷たいのかもしれない。
「愛するな、と言うことなのかしら?」
リリーの語尾が強くなるのを感じる。
「まあ愛して頂いても構いませんが……私からの条件はひとつです。『私に触れないで欲しい、そして私も貴女に触れません』
それ以外でしたらなんでも叶えますし、こちらからは何も求めません。もちろん仕事を続けて頂いてもかまいません。条件は悪くないと思うのですが、いかがでしょうか?」
涼しい顔してそう言い放つ彼は、本当にスノープリンスなのかもしれない。
隣のリリーは「お姉様、断ってもいいのよ!」と目で激しく訴えてくる。
恋愛結婚よりも政略結婚の多いこの世では、愛のない結婚だって溢れている。しかし結婚前にそれを宣言されると、どんな結婚生活が待っているのだろうかと身構えるのが普通だろう。触れないということは子供も望めない。しかし……
「そのお話、受けます」
私が言うと、リリーは「お姉様!」と小さく叫んで私の腕をぎゅっと掴んだ。
「よく考えて!この方はお姉様のことを愛さないと仰っているのよ」
リリーの言葉を受けても、微笑みを崩さないリスター侯爵を見て私は聞いた。
「少し質問をしてもいいでしょうか?」
「もちろん、どうぞ」
「まず一つ目。リスター侯爵には恋人がいらっしゃるのでしょうか?」
彼の発言から考えて一番想像がつく理由はこれだった。身分違いや結ばれることができない相手がいるのかと思ったのだ。リリーもそう思っていたらしく頷いている。
「いいえ、いません。誓ってもいいです。それから今後も恋人を作るつもりはありません。貴女以上に大切にする方も作りません」
こちらをまっすぐ見る彼の目は嘘を言っていないようだ。
「二つ目。先程仰っていた結婚しなければならないご事情を伺ってもいいでしょうか?」
「もちろん。私は今、結婚をするか家に戻るか、どちらか貴族の責を果たせと言われています。ですが、私は領地に帰りたくないのです。貴女と同じく私も今の仕事を続けたいのです。
二年前、私が二十の時に父が亡くなり急遽爵位を引き継ぐことになりました。私は魔法に関わる仕事がしたいので、領地経営は父の代から信頼ができる者に任せています。
しかし以前から、私を領地に戻ることを母が強く求めていまして。領地に戻りたくないのであれば結婚をしろと」
リスター侯爵は苦笑しながら、一気に事情を吐き出した。なるほど、こちらについてはすんなり飲み込める事情だ。
「ですので、妻となる方に領地経営の手伝いだとか社交界でのお付き合いを任せるだとか、一般的な貴族夫人の仕事はさせてあげられません。しかし貴女は元々仕事もされていますし舞踏会は苦手。ちょうどいいでしょう」
「わかりました。結婚しましょう」
私が答えると、リリーがまた私の腕を掴んだ。
「お姉様、そんな簡単に決めてしまってもいいの?」
心配そうに私を見つめるリリーの気持ちはありがたいが、私は頷いた。
「私は少しだけリスター侯爵の気持ちがわかる気がするの」
「仕事をしたいから?」
「それもあるけど……愛を返せない件についてよ。私も男性と関わるのがどうしてかすごく怖いの」
「お姉様……」
昔から婚約者を決める場になると、私を恐怖が支配する。なぜだかわからないけど、胸が押しつぶされそうに痛くなるのだ。
「最初から愛さなければ、裏切りもないでしょう」
自然とその言葉が口から出ていた。なぜだろう、愛と裏切りがセットで出てくる。恋したことがないのに、まるで恋の苦しみを知っているみたいだ。
「私は誰かを愛すのが怖いの」
ぽとん、と言葉が零れ出た。そしてしっくりくる。そうか、今まで結婚相手かもしれないと思うと恐ろしかった正体はこれだ。友人が一人も欲しくないのも、これだ。なぜだかわからないけど、誰かを大切に思うのが恐ろしかった。
ふと顔を上げると、リスター侯爵もリリーも私を心配そうに見ていた。私の声はそれほど悲痛に満ちていた。なぜだかわからないけど泣きたくなった。
「ですから……愛さないという契約は逆に安心できるのです。愛さなければ裏切られることもありませんから」
よくわからない不安のようなもののせいで、心配させてしまっただろうか。先程まで饒舌だった彼も押し黙っている。
彼の方を見ると、彼はまっすぐ私を見て言った。
「私は貴女に触れることはありませんが、大切にはします。裏切りません」
彼の瞳は言葉以上に誠実さを感じる。きっとこれは信じてもいいのだろうと私は思った。
「私も裏切りません。よろしくお願いします」
リリーはもう何も言わなかったが、リスター侯爵が帰宅した後に私に言った。
「お姉様は気づいていないと思うけど、私たち家族はお姉様を愛してるし幸せになってほしいと思っているのよ」
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