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私が3点リーダを使用しない理由
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これは全く持って自分の都合であり、他人に対して何ら強制力を持たない筆者の勝手の話であるが、基本的に筆者は3点リーダを使用しない。
3点リーダとは、「……」のように「・」を1文字として扱わず連続した3点、すなわち「・・・」を一つの文字単位「…」として表記し、一般的には「……」というように3点リーダを2つを一つのセットとして使用する約物のことを指す。
三点リーダはJIS規格によってリーダと規定されているようだが、外国由来の「leader」なので正しくはリーダーと発音するべきものである。しかし実際の呼称はリーダ、リーダーのどちらでも問題がない。個人的にはリーダーと発音したいところであるが、自分勝手な言い分を伝える本稿にかぎり、せめて規格に準じてリーダと表記しようと感じた次第である。
リーダには本来3文字を1セットに表記するルールはなく、「・・」「・・・」「・・・・」「・・・・・」のように2点、3点、4点、5点のリーダが存在し、新聞などの出版物などでも4点、5点リーダが使用されてもいたようである。
それが印刷技術の都合により、3点リーダが一般的に使われるようになった。その理由としてわかりやすく、そして説得力があるものはコスト削減の為ということである。
ここまで書けば察しの良い方には伝わるであろうが、3点リーダが使用されねばならぬ理由は、ネットに投稿される小説には基本的に関係性がない話なのである。
関係があるとすれば、出版物にするときには出版の習いである3点リーダに変更しなくてはならないときだけである。
しかしである。それは底辺作家には関係がない話であるし、仮にまかり間違って出版社にお声がけがあったとして、「・・・」を三点リーダ「…」に変更する労力を惜しむ者がいるだろうか?
筆者はその時の労力を惜しむ者が存在するとは考えにくいと思う。仮定がどちらも非現実的な話だとさえ思う。
いや。まかり間違って出版社に声がかかる可能性がゼロではないのであれば、最初から3点リーダを使用しておけば「・・・」を3点リーダに変更する無駄が発生しないのではないか? と言う意見もあるだろう。
また、3点リーダを使わない者は出版のルールを知らない未熟者であると思われて最初から相手にされないのではないか? という懸念を抱く人もいるであろう。
それは全く正しい意見であり、指摘である。
認めよう。筆者の完全敗北である。
その言い分には反論の余地が一分も存在しない。
故に筆者は冒頭に「これは全く持って自分の都合であり、他人に対して何ら強制力を持たない筆者の勝手の話である」と前置きをしたのである。
では何故、筆者「黒神譚」は三点リーダを使用しないかと言えば、「視覚的効果」を期待しての事である。
三点リーダ関連に関する視覚的効果とは何か?
それは「間」を視覚的に表現できることである。
約物である三点リーダ「…」よりも「・・・」の方が明らかに長く見えるし一文字の大きさの違いによる視覚的強さも異なる。それは二つの表現方法には視覚的「間」の違いが発生していることの証拠である。
以前、こんな話をしたときに、とある人物から「その視覚的間をどれくらいの長さに感じるかは読み手によって異なるし、その間を正確に伝えることなど不可能であいまいな話だから意味を感じない」という指摘をされたことがある。
その意見も正しい。しかし、間違ってもいる。
なぜなら読み手がどう解釈し、どう感じるかは三点リーダに限った話ではない。文章表現におけるテクニックの全てがそれに該当する。ならば、そういった文章表現に挑戦することは無意味なことであろうか?
答えは否である。
これは筆者個人の感想や判断ではなく、古来多くの物語が行ってきたことである。書き手は読み手に伝えたいものがある。それは書き物である以上、文字で伝えねばならない。(挿絵はともかく)
故に三点リーダを使用せず「・・・」を使用し「間」の長さを表現することも立派な手法である。
これと似た手法に行間を大きく空白で開ける手法がある。その行間に発生した文字の書かれていない真白な紙を見て、そこにどれほどの間があるか、間に何を感じるかは読者の感性によるが、そこに何の意味も持たないと感じる者はいない。少なくとも義務教育を終えた者ならば、それくらいの感性は身についているものである。
筆者はそこに期待して今後も三点リーダを使用しない。
また、ネット投稿小説は出版物ではない。活字印刷の習いに従う必要はなく、そのルールに縛られる理由もない。
それはネット小説の無駄に多い改行や、一字下げを使用しない手法が認められていることも同様なのだ。PCモニターならまだしもスマホ画像では改行と行間を開ける工夫が無ければ読みづらくてしょうがないという読者側の視点に立った工夫もネット小説ならではの物と言える。
段落ごとの一字下げを行われない工夫も改行が多いネット小説においてはさほど視覚的影響が発生しないから利用される、まさにネット小説独自のルールと言っても過言ではないだろう。
三点リーダを使用しないこともまた、印刷出版物のルールに縛られないネットならではの可能性として筆者は今後も「・・・」を使用していくだろう。そこにある「間」を読者に感じて欲しいから使用するのだ。
以上が本稿で筆者が伝えたいことであるが、あくまで筆者の勝手の話であり、あまり参考にしない方がよい戯言である。(了)
3点リーダとは、「……」のように「・」を1文字として扱わず連続した3点、すなわち「・・・」を一つの文字単位「…」として表記し、一般的には「……」というように3点リーダを2つを一つのセットとして使用する約物のことを指す。
三点リーダはJIS規格によってリーダと規定されているようだが、外国由来の「leader」なので正しくはリーダーと発音するべきものである。しかし実際の呼称はリーダ、リーダーのどちらでも問題がない。個人的にはリーダーと発音したいところであるが、自分勝手な言い分を伝える本稿にかぎり、せめて規格に準じてリーダと表記しようと感じた次第である。
リーダには本来3文字を1セットに表記するルールはなく、「・・」「・・・」「・・・・」「・・・・・」のように2点、3点、4点、5点のリーダが存在し、新聞などの出版物などでも4点、5点リーダが使用されてもいたようである。
それが印刷技術の都合により、3点リーダが一般的に使われるようになった。その理由としてわかりやすく、そして説得力があるものはコスト削減の為ということである。
ここまで書けば察しの良い方には伝わるであろうが、3点リーダが使用されねばならぬ理由は、ネットに投稿される小説には基本的に関係性がない話なのである。
関係があるとすれば、出版物にするときには出版の習いである3点リーダに変更しなくてはならないときだけである。
しかしである。それは底辺作家には関係がない話であるし、仮にまかり間違って出版社にお声がけがあったとして、「・・・」を三点リーダ「…」に変更する労力を惜しむ者がいるだろうか?
筆者はその時の労力を惜しむ者が存在するとは考えにくいと思う。仮定がどちらも非現実的な話だとさえ思う。
いや。まかり間違って出版社に声がかかる可能性がゼロではないのであれば、最初から3点リーダを使用しておけば「・・・」を3点リーダに変更する無駄が発生しないのではないか? と言う意見もあるだろう。
また、3点リーダを使わない者は出版のルールを知らない未熟者であると思われて最初から相手にされないのではないか? という懸念を抱く人もいるであろう。
それは全く正しい意見であり、指摘である。
認めよう。筆者の完全敗北である。
その言い分には反論の余地が一分も存在しない。
故に筆者は冒頭に「これは全く持って自分の都合であり、他人に対して何ら強制力を持たない筆者の勝手の話である」と前置きをしたのである。
では何故、筆者「黒神譚」は三点リーダを使用しないかと言えば、「視覚的効果」を期待しての事である。
三点リーダ関連に関する視覚的効果とは何か?
それは「間」を視覚的に表現できることである。
約物である三点リーダ「…」よりも「・・・」の方が明らかに長く見えるし一文字の大きさの違いによる視覚的強さも異なる。それは二つの表現方法には視覚的「間」の違いが発生していることの証拠である。
以前、こんな話をしたときに、とある人物から「その視覚的間をどれくらいの長さに感じるかは読み手によって異なるし、その間を正確に伝えることなど不可能であいまいな話だから意味を感じない」という指摘をされたことがある。
その意見も正しい。しかし、間違ってもいる。
なぜなら読み手がどう解釈し、どう感じるかは三点リーダに限った話ではない。文章表現におけるテクニックの全てがそれに該当する。ならば、そういった文章表現に挑戦することは無意味なことであろうか?
答えは否である。
これは筆者個人の感想や判断ではなく、古来多くの物語が行ってきたことである。書き手は読み手に伝えたいものがある。それは書き物である以上、文字で伝えねばならない。(挿絵はともかく)
故に三点リーダを使用せず「・・・」を使用し「間」の長さを表現することも立派な手法である。
これと似た手法に行間を大きく空白で開ける手法がある。その行間に発生した文字の書かれていない真白な紙を見て、そこにどれほどの間があるか、間に何を感じるかは読者の感性によるが、そこに何の意味も持たないと感じる者はいない。少なくとも義務教育を終えた者ならば、それくらいの感性は身についているものである。
筆者はそこに期待して今後も三点リーダを使用しない。
また、ネット投稿小説は出版物ではない。活字印刷の習いに従う必要はなく、そのルールに縛られる理由もない。
それはネット小説の無駄に多い改行や、一字下げを使用しない手法が認められていることも同様なのだ。PCモニターならまだしもスマホ画像では改行と行間を開ける工夫が無ければ読みづらくてしょうがないという読者側の視点に立った工夫もネット小説ならではの物と言える。
段落ごとの一字下げを行われない工夫も改行が多いネット小説においてはさほど視覚的影響が発生しないから利用される、まさにネット小説独自のルールと言っても過言ではないだろう。
三点リーダを使用しないこともまた、印刷出版物のルールに縛られないネットならではの可能性として筆者は今後も「・・・」を使用していくだろう。そこにある「間」を読者に感じて欲しいから使用するのだ。
以上が本稿で筆者が伝えたいことであるが、あくまで筆者の勝手の話であり、あまり参考にしない方がよい戯言である。(了)
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