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失くした色
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この日、世界から〈色〉が消えた。
最初は漫画の描き過ぎで、私の眼がおかしくなったのかと思った。
だが、どうやらただの色盲とかとは違うらしい。どうも、初めから世界には〈色〉が無かった事にされているのだ。
「〈色〉? なんだいそれは? ははは、久遠君はおかしなことを言う少年だな。君も理科で習っただろう? 目に見える風景は全て光という電磁波の反射だ。そして、それらは全て光の明暗で表されて視えるんだよ。ほら、この歴史教科書の写真も見てごらん。世界は白黒で全て表されるんだよ」
とまぁ、保健室の飯垣先生に相談してみてもこんな感じの講釈を垂れるだけだ。しかし、この説明ももっともと言えばもっともと感じて、そう言われてみれば昔からそうだったような気がしてくるから不思議だ。
世界がおかしいのか……私がおかしいのか……
早々に保健室を追い出された私は時間つぶしの為に美術室へと向かう。まだ昼休みは残っているし、何よりあのやかましい教室に戻りたくない。それに美術室は油絵がたくさん並んでいて、油絵の具の匂いが落ち着くのである。
「まぁ、どっちでもいいか……。どうせ世界にとって私はどうでもいいように、私も世界のことなんてどうでもいい」
いつもの一番奥の席へと座り、鞄から描きかけの原稿を取り出す。
だったらもう視えなくていい……、
その方がマンガ作業によっぽど集中できる。もともと世界に色なんていらなかったんだ
そう納得させて、黙々とペンを走らせる。それは誰にも見せる予定も、見てくれるアテも無い漫画原稿だった。ただ私はこの限りなく精緻で美しい世界を少しでも描いてみたかった。たとえこの世界は広すぎて、私の腕じゃ描ききれないのだとしてもだ。だから、私は今日も街で撮ってきた写真を参考に漫画背景として白黒の線へと落としこむ。
「……っと、もうこんな時間か……」
集中していると時間が過ぎるのが早い。またあの教室に戻らなきゃいけないのは気が滅入る。休み時間の教室はいつも皆のおしゃべりがうるさいのだ。他人の話ほど興味の無いものはない。どうせ私には関係ないのだから。
大体、私はあのクラスの奴らが嫌いである。この前なんかは、私が唯一の美術部員だからと言って、文化祭のクラス劇で使う背景とかを居残りで描かされたこともあった。しょせん、クラスの日陰者みたいな私は使い勝手のいい雑用係のようなものなのだろう。私の方こそそんな奴らと馴れ合うのは御免である。なので、私はいつも授業開始のギリギリに教室に入るようにしているのだ。
「はぁ~、やっとクソつまんねー授業終わった……」
放課後も私はせっせと美術室へと向かう。これでも私は優良美術部員なのだ。もっとも、他のメンバーはみんな大して顔も知らない幽霊部員だし、顧問も放ったらかしで滅多に顔を見せないから実質貸し切り状態である。周りの目からようやく解放されたので、また原稿を机の上で大っぴらに広げて作業が出来るようになり、私は再び集中して黙々と作業を続けるのであった。
「へぇーっ、久遠くんって漫画が描けるんだ。すっごーい! 完成したら是非とも見せて!」
「いや、私の腕ではまだまともに読めるかどうかも…………って! 誰だお前!?」
背後から掛けられた、突然の女生徒の声に私は仰天する。どうやら集中しすぎたらしく、人が美術室に入ってきたのにも気付かなかったみたいだった。
「もぉーっ、同じクラスになってから半年もたつのに、まだあたしのこと覚えてくれてないの? あたしはクラス全員はもちろん、久遠庸平くんのことも覚えているけどね。あ、ちなみにあたしの名前は田辺志帆だよ。気軽にシホって呼んでね!」
その田辺志帆とかいう女子中学生はショートボブの髪をしていて私の背より少し小さい、可愛らしい子だった。そういや、クラスで何回も見かけた顔のような気がする。
「あ……いやごめん、でも田辺さんみたいな人がどうしてここに?」
「なによ~、あたしに美術室は似合わないみたいなこと言ってくれちゃってーっ……。まぁ、絵がヘタなのは事実なんだけどね。おかげで、今だにあたしだけ先月の美術の課題完成してないのよ。だから、居残りでちょっとだけここ使わせてもらいたくて……」
「えーっ……そんなの自宅でやればいいだけじゃあ……」
突然の要請に私は顔が引きつる。一人で集中する空間を破られたくはない。
「やり方がわからないからここへ先生に教わりに来たのよ。でも良かった。いつもここに久遠くんがいるなら百人力だわ! お願い、あたしの課題を手伝って! やり方さえ教えてくれれば、後は自分できちんとやりますから! どうかお願いします!」
田辺は私の嫌がる顔も無視して、お願いお願いと手を合わせたポーズをとって引き下がろうとしない。ついには根負けして渋々引き受けることになってしまった。
「その替わり、ここで私が漫画を描いていることはクラスの誰にも言うなよ」
無下に断ってしまって腹いせにこのことを言いふらされてもまずいのだ。それにもう、むしろさっさと協力して終わらせた方が早い気がしてきた。
「了解であります久遠隊長! ……それでその、肝心の課題内容はこのグラデーション練習のやつになりまして……」
「って、これ初歩の初歩のヤツじゃないか! こんなのカケアミを重ねて濃淡を表現すればいいだけだろ! ここをああしてこうやって……」
「ふえーん! わかんないよぉー!」
結局、この日は陽がどっぷり暮れるまで付き合わされる羽目になった…………。
それから一日経った次の日の昼休みにも、ヤツはやって来た。
「久遠くんってば、お昼も一人で美術室で食べてるのね。そんなにいつも制作活動を頑張れるなんてすごいわね。あたしもここで食べていい?」
田辺は私の返事を聞くまでもなく、もう隣の席に座って弁当を広げていた。
「え? でももうお前、昨日の課題はどうにか完成したはずじゃあ…………?」
「えへへ……、実はまだ今まで提出していない課題がどっちゃり十個くらいはあるのよね~……」
まさに開いた口が塞がらないとはこのことだろうか……。
それからというものの毎日、何かにつけて教えてと田辺は美術室にやって来た。半分以上はくだらない雑談だったが、そのうち私は不思議と悪い気分はしなくなっていった。
「ねぇ、久遠くんはそんなに絵が上手いのに、皆には漫画を描いてることを内緒にしてるの? きっと皆に言ったらたちまち人気者になれると思うけどなぁ……」
「さぁな……、私は自分に自信が無いからかもな……。そりゃあ描き上げた時は最高の気分さ。でも、しばらく置くと全然ダメダメだってとこが自分でもわかるんだ。だから、こんなの見せる価値が無いと思ってしまう。」
「じゃあ、今描いてる作品は完成したらその瞬間にあたしに見せに来てね。それなら最高の瞬間のままでいられるでしょう? 絶対に約束だよ」
田辺が私の右手の小指を握って指切りげんまんをしてくる。
不可思議だった。今まで私はこんな本音など誰にも言ったことが無かったのに、彼女の前だと自然に引き出されてしまう。彼女は絵の才能はからっきしだったが、まるで誘導尋問みたいに本心を引き出す才能はあるように感じた。
そんな日々が二週間近く続いたある日、田辺がぱったり来なくなる日があった。最初は偶然急用でも入ったんだろうと思っていたが、次の日もその次の日もやって来なかった。
課題はもう完遂したのか? それとも、もう飽きてしまったのか? と私は悶々と想像を巡らせてみるが、真相は直接聞いてみないとわからない。
ちょうど、アイツがいない間に、4・5時間目もサボって、原稿も完成させた事だし、すぐに見せるという約束をしてしまった以上、今度は私の方から田辺に会いに行くことにした。今ならまだ教室にいるかもしれない。
陽は早くもすでに傾きはじめ、廊下一面に西口の玄関から眩しい夕日が差し込んでいるのが見える。そういや、いつも私は授業終了のチャイムが鳴る度に速攻で美術室に向かうので、教室で田辺とあまり話したことは無かったのであった。それに加えて手には出来立ての原稿も持っているせいか、自分の教室に向かうのにも妙に緊張している。
「……いた! アイツ……」
しかし、私は教室のドアを開けようとするが、そこで立ち止まってしまう。
何故なら、視線の先には田辺がクラスメイトのグループと楽しそうに談笑している姿があったからだ。普段の私が見ない光景、その眩しさを前にして、私は立ち尽くす。
やはり彼女はそちら側の人間だ。私はそちら側には行けない。近付いちゃいけなかったんだ。
そう感じた私はゆっくりと踵を返して、美術室へと向かう廊下を歩きはじめた。
「そう……だよな……、初めから届くはずなどなかったんだ」そう言って私は美術室にたどり着くと原稿を机の上に投げだして、床に敷いてあるビニールシートの上に倒れ込んだ。
このまま寝てしまいたい、そう思ったからだ。少々床が硬いし冷たいが、今の自分にはそれくらいがお似合いだと思った。
それからどのくらい私は眠っていただろうか? 3時間くらいな気もするし、30分くらいな気もする。起き上がるのもしんどいので、寝っ転がったままゆっくりと目を開けて美術室を見渡してみると、辺りはもうすっかり真っ暗になっていて、外のわずかな街灯の光が窓から射し込んでいるだけだった。
「おはよ、よく眠れた? 久遠くん」
「うっひゃああああああああああ!?」
暗がりの中で突然、頭上で声がしたので慌ててビビりながら飛び起きて、尻もちをつく。
「まったくもうっ! しばらくあたしがクラス委員の仕事で行かなかった間にまさか、床で眠るようになっていたとは驚きだわ。風邪でも引いたらどうするのよ!」
その声は田辺だった。小刻みに身体を震わせてぷんすかと怒っている。どうやらわざわざ私が起きるまで電気も点けずに、待っていてくれたようだ。いつのまにか私の身体に膝掛け用の毛布が掛かっているのもそのためだろう。
「ど…………どうして…………、なんで君はこんな日陰者の私のとこになんて来てくれるんだ? 今日みたく、クラスの他の皆とつるんでいる方がよっぽど楽しいだろう? 私と違って、君の方がたくさん友達もいるんだから、そっちの方に課題を教えてもらえばいいじゃないか……。私は……私は……誰からも見向きもされないつまらない人間なんだよッ…………!」
不意打ちの暖かさに思わず涙が滲んで、嗚咽が漏れる。これまで怖くて聞けなかった疑問が喉をついて出てきてしまった。
「久遠くん……」そんな私の表情を見た田辺は一瞬驚くが、すぐに私の目を見つめ直して優しく語りかける。
「そんな事ないわ、久遠くんがすごい人だってことは私がよく知ってる。久遠くんがいつも一人で頑張っていたのも、居残りしてみんなの為に文化祭劇用の背景を描いていてくれてたのも全部、あたしはずっと見ていたもの……。でも、絵の才能が無かったあたしは、あなたを手伝おうとしてあげられなかった。黙って見ているだけだった。それが本当に申し訳なくて、くやしかったの。だからあたしは、今度こそちゃんと久遠くんに話しかけてみようと思ったの」
「田辺…………」意外だった。まさか私をそんな風に見ていてくれた人がいたなんて。その言葉に胸打たれた私の頬には涙が伝うのが分かった。
「久遠くんの作品、もう読ませてもらったわ。とっても面白かった。やっぱりあなたには力があるわ。夢があって、人を楽しませる力が」
田辺の手前の机には私の原稿とLEDライトの点いたスマホが置かれてあった。どうやら私が寝ている間、それで照らしながら読んでいたらしい。
その原稿の内容は美術部を舞台にした〈fine arts〉という題の物語だった。腐敗したダメダメ美術部を天才転校生がズバズバと改革していくという、よくある部活王道モノだ。今になって思い返すと、自分では叶わない願望を丸出しにしたこっ恥ずかしい内容だが、それでも田辺に伝わったことで、私は今までにない喜びを感じた。
「あたしも……あたしもそんな夢を見ていいかな? あたしもここの美術部に入ってもいい? 才能は無くても、絵の勉強がしたいの。次は少しでもあなたの力になれるように…………」
田辺は少し照れながら祈りように手を合わせて、いつものお願いのポーズをとる。
その刹那、私は光を見た。
それも色とりどりの光をだ。それらは彼女の瞳の奥で宝石のようにきらきらと輝いていた。
私はゆっくりと頷くと、涙を拭いて立ち上がる。
「そうだな、今度は『色塗り』でも始めようか――」
失くしてしまったはずの〈色〉は、みんなそこにあった。
ずっと彼女が持っていてくれていたんだね――――――
最初は漫画の描き過ぎで、私の眼がおかしくなったのかと思った。
だが、どうやらただの色盲とかとは違うらしい。どうも、初めから世界には〈色〉が無かった事にされているのだ。
「〈色〉? なんだいそれは? ははは、久遠君はおかしなことを言う少年だな。君も理科で習っただろう? 目に見える風景は全て光という電磁波の反射だ。そして、それらは全て光の明暗で表されて視えるんだよ。ほら、この歴史教科書の写真も見てごらん。世界は白黒で全て表されるんだよ」
とまぁ、保健室の飯垣先生に相談してみてもこんな感じの講釈を垂れるだけだ。しかし、この説明ももっともと言えばもっともと感じて、そう言われてみれば昔からそうだったような気がしてくるから不思議だ。
世界がおかしいのか……私がおかしいのか……
早々に保健室を追い出された私は時間つぶしの為に美術室へと向かう。まだ昼休みは残っているし、何よりあのやかましい教室に戻りたくない。それに美術室は油絵がたくさん並んでいて、油絵の具の匂いが落ち着くのである。
「まぁ、どっちでもいいか……。どうせ世界にとって私はどうでもいいように、私も世界のことなんてどうでもいい」
いつもの一番奥の席へと座り、鞄から描きかけの原稿を取り出す。
だったらもう視えなくていい……、
その方がマンガ作業によっぽど集中できる。もともと世界に色なんていらなかったんだ
そう納得させて、黙々とペンを走らせる。それは誰にも見せる予定も、見てくれるアテも無い漫画原稿だった。ただ私はこの限りなく精緻で美しい世界を少しでも描いてみたかった。たとえこの世界は広すぎて、私の腕じゃ描ききれないのだとしてもだ。だから、私は今日も街で撮ってきた写真を参考に漫画背景として白黒の線へと落としこむ。
「……っと、もうこんな時間か……」
集中していると時間が過ぎるのが早い。またあの教室に戻らなきゃいけないのは気が滅入る。休み時間の教室はいつも皆のおしゃべりがうるさいのだ。他人の話ほど興味の無いものはない。どうせ私には関係ないのだから。
大体、私はあのクラスの奴らが嫌いである。この前なんかは、私が唯一の美術部員だからと言って、文化祭のクラス劇で使う背景とかを居残りで描かされたこともあった。しょせん、クラスの日陰者みたいな私は使い勝手のいい雑用係のようなものなのだろう。私の方こそそんな奴らと馴れ合うのは御免である。なので、私はいつも授業開始のギリギリに教室に入るようにしているのだ。
「はぁ~、やっとクソつまんねー授業終わった……」
放課後も私はせっせと美術室へと向かう。これでも私は優良美術部員なのだ。もっとも、他のメンバーはみんな大して顔も知らない幽霊部員だし、顧問も放ったらかしで滅多に顔を見せないから実質貸し切り状態である。周りの目からようやく解放されたので、また原稿を机の上で大っぴらに広げて作業が出来るようになり、私は再び集中して黙々と作業を続けるのであった。
「へぇーっ、久遠くんって漫画が描けるんだ。すっごーい! 完成したら是非とも見せて!」
「いや、私の腕ではまだまともに読めるかどうかも…………って! 誰だお前!?」
背後から掛けられた、突然の女生徒の声に私は仰天する。どうやら集中しすぎたらしく、人が美術室に入ってきたのにも気付かなかったみたいだった。
「もぉーっ、同じクラスになってから半年もたつのに、まだあたしのこと覚えてくれてないの? あたしはクラス全員はもちろん、久遠庸平くんのことも覚えているけどね。あ、ちなみにあたしの名前は田辺志帆だよ。気軽にシホって呼んでね!」
その田辺志帆とかいう女子中学生はショートボブの髪をしていて私の背より少し小さい、可愛らしい子だった。そういや、クラスで何回も見かけた顔のような気がする。
「あ……いやごめん、でも田辺さんみたいな人がどうしてここに?」
「なによ~、あたしに美術室は似合わないみたいなこと言ってくれちゃってーっ……。まぁ、絵がヘタなのは事実なんだけどね。おかげで、今だにあたしだけ先月の美術の課題完成してないのよ。だから、居残りでちょっとだけここ使わせてもらいたくて……」
「えーっ……そんなの自宅でやればいいだけじゃあ……」
突然の要請に私は顔が引きつる。一人で集中する空間を破られたくはない。
「やり方がわからないからここへ先生に教わりに来たのよ。でも良かった。いつもここに久遠くんがいるなら百人力だわ! お願い、あたしの課題を手伝って! やり方さえ教えてくれれば、後は自分できちんとやりますから! どうかお願いします!」
田辺は私の嫌がる顔も無視して、お願いお願いと手を合わせたポーズをとって引き下がろうとしない。ついには根負けして渋々引き受けることになってしまった。
「その替わり、ここで私が漫画を描いていることはクラスの誰にも言うなよ」
無下に断ってしまって腹いせにこのことを言いふらされてもまずいのだ。それにもう、むしろさっさと協力して終わらせた方が早い気がしてきた。
「了解であります久遠隊長! ……それでその、肝心の課題内容はこのグラデーション練習のやつになりまして……」
「って、これ初歩の初歩のヤツじゃないか! こんなのカケアミを重ねて濃淡を表現すればいいだけだろ! ここをああしてこうやって……」
「ふえーん! わかんないよぉー!」
結局、この日は陽がどっぷり暮れるまで付き合わされる羽目になった…………。
それから一日経った次の日の昼休みにも、ヤツはやって来た。
「久遠くんってば、お昼も一人で美術室で食べてるのね。そんなにいつも制作活動を頑張れるなんてすごいわね。あたしもここで食べていい?」
田辺は私の返事を聞くまでもなく、もう隣の席に座って弁当を広げていた。
「え? でももうお前、昨日の課題はどうにか完成したはずじゃあ…………?」
「えへへ……、実はまだ今まで提出していない課題がどっちゃり十個くらいはあるのよね~……」
まさに開いた口が塞がらないとはこのことだろうか……。
それからというものの毎日、何かにつけて教えてと田辺は美術室にやって来た。半分以上はくだらない雑談だったが、そのうち私は不思議と悪い気分はしなくなっていった。
「ねぇ、久遠くんはそんなに絵が上手いのに、皆には漫画を描いてることを内緒にしてるの? きっと皆に言ったらたちまち人気者になれると思うけどなぁ……」
「さぁな……、私は自分に自信が無いからかもな……。そりゃあ描き上げた時は最高の気分さ。でも、しばらく置くと全然ダメダメだってとこが自分でもわかるんだ。だから、こんなの見せる価値が無いと思ってしまう。」
「じゃあ、今描いてる作品は完成したらその瞬間にあたしに見せに来てね。それなら最高の瞬間のままでいられるでしょう? 絶対に約束だよ」
田辺が私の右手の小指を握って指切りげんまんをしてくる。
不可思議だった。今まで私はこんな本音など誰にも言ったことが無かったのに、彼女の前だと自然に引き出されてしまう。彼女は絵の才能はからっきしだったが、まるで誘導尋問みたいに本心を引き出す才能はあるように感じた。
そんな日々が二週間近く続いたある日、田辺がぱったり来なくなる日があった。最初は偶然急用でも入ったんだろうと思っていたが、次の日もその次の日もやって来なかった。
課題はもう完遂したのか? それとも、もう飽きてしまったのか? と私は悶々と想像を巡らせてみるが、真相は直接聞いてみないとわからない。
ちょうど、アイツがいない間に、4・5時間目もサボって、原稿も完成させた事だし、すぐに見せるという約束をしてしまった以上、今度は私の方から田辺に会いに行くことにした。今ならまだ教室にいるかもしれない。
陽は早くもすでに傾きはじめ、廊下一面に西口の玄関から眩しい夕日が差し込んでいるのが見える。そういや、いつも私は授業終了のチャイムが鳴る度に速攻で美術室に向かうので、教室で田辺とあまり話したことは無かったのであった。それに加えて手には出来立ての原稿も持っているせいか、自分の教室に向かうのにも妙に緊張している。
「……いた! アイツ……」
しかし、私は教室のドアを開けようとするが、そこで立ち止まってしまう。
何故なら、視線の先には田辺がクラスメイトのグループと楽しそうに談笑している姿があったからだ。普段の私が見ない光景、その眩しさを前にして、私は立ち尽くす。
やはり彼女はそちら側の人間だ。私はそちら側には行けない。近付いちゃいけなかったんだ。
そう感じた私はゆっくりと踵を返して、美術室へと向かう廊下を歩きはじめた。
「そう……だよな……、初めから届くはずなどなかったんだ」そう言って私は美術室にたどり着くと原稿を机の上に投げだして、床に敷いてあるビニールシートの上に倒れ込んだ。
このまま寝てしまいたい、そう思ったからだ。少々床が硬いし冷たいが、今の自分にはそれくらいがお似合いだと思った。
それからどのくらい私は眠っていただろうか? 3時間くらいな気もするし、30分くらいな気もする。起き上がるのもしんどいので、寝っ転がったままゆっくりと目を開けて美術室を見渡してみると、辺りはもうすっかり真っ暗になっていて、外のわずかな街灯の光が窓から射し込んでいるだけだった。
「おはよ、よく眠れた? 久遠くん」
「うっひゃああああああああああ!?」
暗がりの中で突然、頭上で声がしたので慌ててビビりながら飛び起きて、尻もちをつく。
「まったくもうっ! しばらくあたしがクラス委員の仕事で行かなかった間にまさか、床で眠るようになっていたとは驚きだわ。風邪でも引いたらどうするのよ!」
その声は田辺だった。小刻みに身体を震わせてぷんすかと怒っている。どうやらわざわざ私が起きるまで電気も点けずに、待っていてくれたようだ。いつのまにか私の身体に膝掛け用の毛布が掛かっているのもそのためだろう。
「ど…………どうして…………、なんで君はこんな日陰者の私のとこになんて来てくれるんだ? 今日みたく、クラスの他の皆とつるんでいる方がよっぽど楽しいだろう? 私と違って、君の方がたくさん友達もいるんだから、そっちの方に課題を教えてもらえばいいじゃないか……。私は……私は……誰からも見向きもされないつまらない人間なんだよッ…………!」
不意打ちの暖かさに思わず涙が滲んで、嗚咽が漏れる。これまで怖くて聞けなかった疑問が喉をついて出てきてしまった。
「久遠くん……」そんな私の表情を見た田辺は一瞬驚くが、すぐに私の目を見つめ直して優しく語りかける。
「そんな事ないわ、久遠くんがすごい人だってことは私がよく知ってる。久遠くんがいつも一人で頑張っていたのも、居残りしてみんなの為に文化祭劇用の背景を描いていてくれてたのも全部、あたしはずっと見ていたもの……。でも、絵の才能が無かったあたしは、あなたを手伝おうとしてあげられなかった。黙って見ているだけだった。それが本当に申し訳なくて、くやしかったの。だからあたしは、今度こそちゃんと久遠くんに話しかけてみようと思ったの」
「田辺…………」意外だった。まさか私をそんな風に見ていてくれた人がいたなんて。その言葉に胸打たれた私の頬には涙が伝うのが分かった。
「久遠くんの作品、もう読ませてもらったわ。とっても面白かった。やっぱりあなたには力があるわ。夢があって、人を楽しませる力が」
田辺の手前の机には私の原稿とLEDライトの点いたスマホが置かれてあった。どうやら私が寝ている間、それで照らしながら読んでいたらしい。
その原稿の内容は美術部を舞台にした〈fine arts〉という題の物語だった。腐敗したダメダメ美術部を天才転校生がズバズバと改革していくという、よくある部活王道モノだ。今になって思い返すと、自分では叶わない願望を丸出しにしたこっ恥ずかしい内容だが、それでも田辺に伝わったことで、私は今までにない喜びを感じた。
「あたしも……あたしもそんな夢を見ていいかな? あたしもここの美術部に入ってもいい? 才能は無くても、絵の勉強がしたいの。次は少しでもあなたの力になれるように…………」
田辺は少し照れながら祈りように手を合わせて、いつものお願いのポーズをとる。
その刹那、私は光を見た。
それも色とりどりの光をだ。それらは彼女の瞳の奥で宝石のようにきらきらと輝いていた。
私はゆっくりと頷くと、涙を拭いて立ち上がる。
「そうだな、今度は『色塗り』でも始めようか――」
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